風に恋して ~自由人への応援歌~

風に恋して ~自由人への応援歌~

そよ風にのって 13章



歓喜を識る

2001年4月8日、日曜日、晴。午前10時40分頃、山の手線は駒込駅に入った。線路を超えて太鼓の音が響いている。「祭り?」意識が反応する。改札を通り、意識は喉の渇き信号をキャッチする。「駅前にあるマックでコーヒーを買って行こう。」「ちょっと空腹」マックのパンがイメージに昇る。「マックのバーガーは嫌だなあ。ああ、それならリトルマーメイドのパンを買おう。」足は反対方向に進みリトルマーメイドに入る。太鼓の音。「何だろう?ちょっと見てもみようかな?いや、見に行くと遅刻してしまう。」「でもちょっとだけ。」足が音のする広場へ向かう。立ち止まる。いなせなお兄さんやお姉さん達の競演。体細胞を震わせて染み入る音に、全身鳥肌となる。身体だけでなく心も反応する。「アリガトウ。」涙が止めど無く流れる。「コレハ、シアゲノウタゲ。アリガトウ。」扉が開かれていく。実在のワタシが笑っている。何一つ無駄がない。総ては私の創る世界、その完璧さに感謝する。和太鼓保存会の皆さんに感謝する。そして今、この瞬間を創造してくれている万物万象に対し歓喜を伝える。私は今言葉にして説明できない宇宙物理の道理(潜象、現象が重合して織り成す万物万象の有り様)をわずかずつでも感受し始めている。この世界を創造してもらい、「ここに」「今」「居る」という「ありがたさ」が解り、そのことに始めて「歓喜」という至福の躍動を味わっている。

宇宙の万物万象は、どの局面であろうと切り離すことが出来ない統合体であり、すべては関連しあい繋がっていることが実態として直覚知され、自由性がありながら一体であるところの根源の力の存在に心が震える。言葉に変えることの出来ない大いなる愛の実在を感受する。全宇宙隈なく織り込まれている愛の前に立ち「歓喜」という言葉が現す波動に包まれて、涙が止まらない。私は今日「歓喜」の意味を識った。

流れにのる

私にとって必要な書籍が必要な時に、まるで計画されているかのように手元に引き寄せられてきた。
「黎明」葦原瑞穂著 コスモテン、「あるヨギの自叙伝」パラマハンサ・ヨガナンダ著 森北出版、「心身の神癒」マクドナルド・ペイン著 霞ヶ関書房、「タオ自然学」F・カプラー著 工作舎、「ヒマラヤ聖者の生活探求全5巻」ベアード・T・スポールディング著 霞ヶ関書房、「聖なる科学―真理の科学的解説」スワミ・スリ・ユクテスワ著 森北出版。そして現在読み始めている潜象物理学研究相似象学会誌「相似象 第11号」。

人間とは何か、神とは何か、何故私は肉体を持って生きているのか、私が生きている意味は何なのか、平成6年会社の倒産以来、紆余曲折しながらも読み続けてきた各種各様の700冊を上回る書籍たち、そして出会うべくして出会ってきた多くの魂たちに導かれて意識の上では上記の答えが私なりに形を取り始めていたが、今一つ突き破れない薄いベールが立ちはだかっていた。観念で理解することの限界に足踏み状態が続き、眠れない日々を送ってもいた。このベールを突き破るのは恐らく直覚知とも言うべき直接体験が必要であろう。毎夜の瞑想で、自己の肉体は消え宇宙との一体感に入り、自己が宇宙そのものであるという体験はしつつも、今一歩その先へ抜けそうで抜けられない日々に悶々としていた。まるで孵化寸前の雛が不自由ながらやっと形を成してきた嘴で、内部から卵の殻を突ついているようなもどかしさを感じている時、あるワークの案内書が舞い込んできた。もしかしたら突き破れるかもしれないというひらめきがあった。
「創造とは?」「創造主とは?」の答えを求めて意識がある程度熟してきている段階で、昨年私は山形でのワークを企画し自らもそのワークに参加した。その時の体験は前号に記載したように、私は創造主と合体し黄金のフェニックス(不死鳥、火の鳥、鳳凰)となって飛翔したことを思い出す。あの日より、その体験を踏まえ意識の積み上げが成されているこの時、この閉塞感を突き破れるかもしれないという期待感でワークに参加することにした。

夢と目覚め

その日、2001年4月6日、会場に向かう電車の中でいつものように本を読み始める。「相似象・11号」である。この本の中に書かれている「カタカムナウタヒ」の第一首「カタカムナ ヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシ マツル カタカムナ ウタヒ」と第二首「ヤタノカカミ カタカムナ カミ」に意識がとらわれており、まだ充分その意味が掴めないながらこの言葉を何度か心で繰り返している時、螺旋状に渦巻くこれら一つ一つの言葉に翻弄されながらもこれらの言葉が発する波動が私の身体を構成している全細胞に染み渡っていくのを感じていた。

これまでに数度体験してきたワークで、私は一度も不快感を味わったことがない。常に新しい気付きを与えてもらい、多くの参加者が苦しんだり、吐いたりしているのが不思議であった。それゆえ今回も苦しみが訪れることはまったく予期していなかった。 友人に誘われて、半信半疑このワークを体験したのは2年前のことである。

赤ん坊の泣き声から、それは始まった。赤ん坊?泣き声?誰?目を開けて周囲を見回しても何の変哲もないワーク会場が見えるだけで再度目を閉じた。泣き声がひっそりと続いている。どうしてこの声が聞こえるのだろうと思っている時、私の意識が回転し始める。ああ、これは私の泣き声だ。……そうか、母は「おまえを産む時、出来れば堕ろしたかった。もう先の希望のない亭主の子供は産みたくないと思ったんだよ。」と私に語ったことがあった。その言葉を聞いたのは中学生の時だったが、私の心は少しも動揺することなく、まるで今日もいいお天気だねと話されたかのように、「ふーん、そうなんだ。」と聞き流していた。その時心が傷つかなかったのは、赤ん坊の時既に私はそのことを識っていたからだ。受け取りかたによっては深く傷つく母の言葉から自分を守るため、赤ん坊の私はその時心を閉ざしてしまったのね。自分を傷つけるものやことに対する心のレセプター(受容器官)を抹消してしまったのね。だから私はこれまで心を傷つけられたという出来事を何一つ感じることなく、今日まで生きてこれたのね。多くの人から不思議がられてきた。「何故あなたは怒らないの?」「悔しくないの?」自分に怒りの感情がわかない理由を誰にも、自分にさえも説明できなかったけれど、今その答えを見出した。怒りの感情がない代わりに私がしがみついたのは、悲しみの感情だった。小学生の頃から物悲しい歌が好きで、ひとりになるといつも悲しいメロディや歌詞を口ずさみ涙を流していた。成人してからもその習性は続いており、ひとりになると理由もなく、意味も解らないままに私は涙を流し続けていた。「私はなんで泣いているのだろう?」今日までに一体何度この問いを自分に発してきたことか。心を傷つけることなく流し続けてきた涙の理由と対面し、私は亡き母に呼びかける。「母さん、辛かったね。母さんの気持ち、解ってるから大丈夫、私はOKよ。」

私は子供が苦手である。子供を産みたいと思ったことはないのだが、肉体は健康なので妊娠してしまう。心から子供を可愛いと思ったこともあまりない。そんな冷えている心の理由が分からず、母性愛の欠如しているらしい自分をどこかで責めていた。やっとその理由が解り、私は自分を慰撫できた。
そんな意識が表面化するにつれ 赤ん坊の泣き声は消え、その後私の身体はまるでガリバーのように巨大化し、森の中に横たわっていた。

エイホーォ、エイホーォ、楽しそうな歌声が遠くから近づいてくる。森の小人たちだ。なんて可愛いんでしょう。見ている間に小人たちは私の側までやって来て、私の皮膚細胞の隙間から体内に入っていってしまう。体内に入っても相変わらず楽しそうに歌を歌いながら、みんなで細胞の大掃除をし始める。エイホーォ、エイホーォ、歌声が体内で響き渡る。棒ずりやスコップなど様々な清掃用具を手に、細胞の目詰まりや汚れや破損部分を逐次修復しピッカピカに磨き上げてくれる。何億年にも渡る過去生を遡って、人間としての生命が始まってからの塵、埃を払ってくれている様子。これらのヴィジョンがあまりにも鮮明で幻想とは思えず、時々目を開けてみる。愉快、愉快。目を閉じるとすぐにヴィジョンの続きが音響効果もすばらしく、リアルに、実にリアルに見えるのに目を開けるとそこには薄べったいワーク会場が広がっている。どちらが実で、どちらが虚なのか。二つの世界のコントラストを楽しく体験する。

ワーク後、体験を参加者たちとシェアしていて、私は母と同じ行為を娘にしてしまったことに気付く。
アメリカから帰国後すぐに会社を興したのだが、同時に娘を身ごもってしまった。会社創設の最も多忙な時期、妊娠という事態を両立させる自信がなく、中絶するために病院へ行った。「中絶しても良いですが、それを決める前に、今現に生きている赤ちゃんの姿を見て下さい。それから決めても間に合います。」と産科医に促され、エコーを見せられた。規則正しく心臓が動いていた。一つの生命がそこに息づいていた。「わかりました。考え直します。ありがとうございました。」
娘が中学生の時、宿題で赤ん坊の時のことを調べてくるようにと言われたらしく質問された時、私は不用意に中絶しようとした経緯を娘に話してしまった。そのことで娘が深く傷つくとは思っていなかったのだ。ところが彼女はそのことで深く傷ついたらしく、「私は生まれてきてはいけなかったんだ。お母さんは私が嫌いなんだ。私は死んだほうがいいんだ。」との想いを持ってしまったらしい。私は潜在意識で、娘は顕在意識で、同じ体験をしていることに気付かされ、母から娘へ、娘から孫娘へと無意識に流れていく見えない心の傷という連鎖を止めなくていけないと決意して帰宅。この件についてその時の私の想いや、何故今あえてこの話をするのかなどじっくりと娘に話し、謝った。

二回目の体験。私の視線は海底の砂の中にあった。岩があり、大きな昆布たちがゆらゆらと揺れ、その間を色とりどりの魚たちがゆったりと泳いでいる。360度視野で海中を眺める。海中をたっぷり堪能した後、陸に上がりたくなった。意識と視線はどんどん上昇していき、とある島に上陸した。このヴィジョンに私の姿はない。あるのは意識と視線だけである。どうやら上陸したのはイギリスらしい。そう思った途端、この地で繰り返され続けてきた人間たちの血みどろの戦いの様子が、高速度フィルムを廻すように展開していく。ああ、そういうことなのね。解ったわ。この地が体験した苦しみ、憎しみの歴史の総てを洗い出し、放下しましょう。ヴィジョンに意識を合わせ、それらを総て捨てていく。もうこれでお終い?良かったね。じゃ、私は次へ行くわ。ヨーロッパに上陸。その地で繰り返されてきた戦いのすべてを表面化させ、それらを放下するという同じ作業を、訪れた土地土地で繰り返す。アジアから日本、北米、南米、オーストラリア、アフリカと順次私の意識は移動し、現在陸として現れている総ての大地から過去の戦いの総てを映写フィルムとして引き出し、放下するという行為を繰り返す。もう残っている所はないかな。意識が地球表面をもう一回確認しながら一周する。OK,大丈夫のようね。取り残しなく全地球上で展開されてきた戦いのエネルギーを浄化出来たみたい。ありがとう。とっても嬉しい。

そして三回目の体験。球体の地球がヴィジョンに現れる。地球大の私がその中で瞑想している。地球全体に対して何本ものラインが縦横に入っていく。すると縦横に輪切りになった一つ一つのピースがゆっくりと外れて宙に離れていっては戻ってくる。一つ残らずピースたちが、順次全体から外れ宙に出て行き、元へ戻るという行程が無音の中で展開していった。成る程、地球という質量全体の汚れ落し、浄化ということね。すごいね。一体誰がこんな事を考えたのかしら。誰でもいいや、ともかくありがとう。

その後しばらくこのワークから離れ、晶美たちとの地球風水ともいうべき旅が始まったのだった。そして昨年、別の友人から薦められた別種のワークを「時をはずした日、7月25日」に体験、これら一連の流れについては、当ニュースVol。13で紹介させてもらった通りである。自分でも笑ってしまうくらい苦しみはなく、常に高揚感に包まれる体験ばかりであったが、今回は何かがおかしい。

時間が経過しても光と闇が入り乱れ、波のまにまに私の意識は浮き沈み、まるで溺れかけている人が無闇矢鱈に手足をばたつかせているかのような状況が続いていた。どのくらいの時間かは解らないが意識が消え、気付いた時私は所謂地獄に居るようだった。
四方八方から聞こえてくる苦しみの声、泣き声、叫び声。苦しいよーぉ、助けてくれーぇ。一体何人くらいの人たちが泣き叫んでいるのか。呪詛、哀願の声が木霊している中で、私は空腹で空腹で、飢餓地獄にいるらしい。ひもじいなどという生易しい言葉では伝えきれない極限の飢えの中にいる。しばらく意識が飢餓を体験し、さまよう。これは今生の私の体験にはないから過去生の体験か?いいえ、過去生での体験はあるかもしれないけれど、私の過去生というよりはこの宇宙創生の源初から実在している極微の質量が、種種様々に重合したり離反したりしながらその姿形を変遷し続け、今日の私の身体を構成しているのだから、その実在の質量たちが吸収し解放できなかった波動がうめき出しているのかもしれない。そうであるなら、それは私に所属するというよりは全人類の波動(記憶)であり、この波動を私は放下する必要がある。どうすれば良い?「吾は神なり。調和の光なり。」意識を集中させる。

胸がムカムカする。苦しい。辛い。どうすれば良い?と思う間もなく一気に吐き気が襲ってくる。目を開け、バケツを探し吐く。まだ苦しい。再び目を閉じる。闇に落ちていく意識……。
またしても、うめき声。寒いよーぉ、寒いよーぉ。氷に閉ざされた世界に一人ぼっちの私。身体の感覚はすでにないようだ。私はこのまま凍死するのねと思った時、意識が動き出す。これは氷河期の記憶のようだ。重ね着する物はないかな?今日は暖かかったから余分な衣類は何も持ってこなかった。でも寒い。寒いよ。意識が現実とヴィジョンの間を行ったり来たり…。そうだ、水を飲もう、駅前のコンビニで買ってきた1リットルのペットボトルを手に取る。また吐き気がやってくる。吐く。吐きながら気付く。そうか、私の細胞の一つ一つ、細胞を構成している分子の一つ一つ、分子を構成している原子の一つ一つ、原子を構成している粒子(電子、中性子、陽子)の一つ一つ、粒子を構成している微粒子たち。現代科学ではもはや検出不可能と言われ、未完成ながらブーツストラップ理論で推論されている、意識と意志を持つという実在の質量(エネルギー)たちは、調和しようとする傾向があるという。それを呼び起こそう。地獄のヴィジョンを彷徨しながら私は手足を動かし、手指、足指の一本一本をマッサージし始める。こんな記憶はもう不要です。出て行きなさい。私はカミとして命じます。放下します。腕や足、背中、お尻、胸、自分の身体のありとあらゆる箇所を強くマッサージしたりタッピングしながら命じ続ける。「カタカムナ ヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナウタヒ」この会場に来る道中、心に繰り返していた言葉が急に意識に浮上する。海底でもがいていた身体が次第に浮き上がっていく感覚。海面まで到達する。吐く。「カタカムナ ウタヒ」が人類の記憶を放下してくれるようだ。浮き上がっては落ち、落ちてはまた浮き上がりという体験の中で確かな手応えがある。浮き上がっては吐くという体験の都度都度、薄いベールのような織物が一枚ずつ剥がされていく。薄い白色の織物が宙にふわりと浮き消えていくのが確かに視える。ヘドロ状態の沼に落とされたり、蛆だらけの闇に入ったり……。ふと思う。これはイエスがユダの荒野で体験したという48日間の出来事の縮小簡易版だろうか?

水を飲んでは吐き、身体を振動させる。指先で頭部全体をトントンと叩いていると、指先に電磁気のようなものが発生し、指は自らの意志で勝手に動き始める。ものすごいスピードで指の一本一本が独自に動き頭部全体を隈なく刺激し続けている。私の意志ではない別の力で指が勝手に動いていることに驚き感動する。目を開けてショックを受ける。肉眼で見る世界の異様さにたじろぎながら、でも観察せずにはいられない。見えているのは正にワーク会場であり、参加者の姿なのだが視界全体が白と灰色だけしかなく、画面のあちこちがチラチラとハレーションを起こしている。最近のビデオは使ったことがないので知らないけれど、昔のビデオは撮影時、白合わせということをやる。白合わせがうまく出来ると肉眼で見える通りの色彩で写るのだが、白合わせに失敗すると画面は白と灰色の世界となり、チラチラハレーションが起きてしまったものだ。何度も目を擦って見るが、眼前に広がっているのは正にそのハレーションの世界である。
亡者の群れが蠢いている。髪を振り乱している者、横たわってうめいている者、苦しんでいたり、救いを求めている者、介抱している者、彼らの顔は一人一人異なっているが、総てが私だと解る。助けている天使のような笑顔の女性も私であり、横たわり苦しんでいるのも私。薄っぺらい映像、ゾンビの世界。目を閉じても地獄、目を開けても薄いベールの掛かった白と灰色のゾンビ空間…。
「ヤタノカカミ カタカムナ カミ」「吾は神なり、幻想よ去れ。」何度も上下を繰り返しながら、次第に私の身体は薄いベールを一枚ずつ剥ぎ取り上昇していく。乳房からも子宮からも、人類の苦しみの総てを絞り出し放下すべく自らの身体に振動を与え続ける……。そして何時とはなく、意識を失っていった。

大きな欠伸で意識が動き始めた。これでもかというほどの欠伸の連続。吐き出せ、吐き出せ、肉体を構成している質量が溜め込んできた、真理に反する幻想の記憶や波動、それら総てを吐き出せ。欠伸に連動して涙も止めど無く流れている。神である私に不要なエネルギーの総てを吐き出そうと強く決意し、意識は排泄器官をフル稼動させる。口が裂けてしまうかもというほどの、全身全霊を駆使しての大欠伸を続ける。口から肉体の内側にある臓器たちの総てを取り出し、表裏をくるりとひっくり返すような欠伸を意志的に意識的に行いながら背伸びをし、手足を最大限に伸ばす。身体中を動かし、伸張する……。

「あーぁ、よく寝たなあー。なーんだ、すべては夢だったのか?!」と大欠伸をしながら目覚める意識。穏やかな光の中、清々しい空気、さわやかにくちづけしていく風。生命エネルギーが溢れている。とてつもなく大きな身体、眠りから覚めた私は「天上天下唯我独尊」と口にする。えっ?仏陀?自分の中から突然発声された言葉を再度確認する。「吾は在りてあるものなり。吾のほかに在るものなし。」神の聖言が体内に響き渡る。すべては夢、実在するのは吾のみ。永い永い眠りから覚めた爽快感に浸る。そうか、これが仏陀の悟りなのね。イエスの悟りなのね。この世の出来事は夢のまた夢、マーヤ、虚妄、幻想。多くの書籍たちが語り続けてくれたことの意味が、言葉としてでなく実体験となって、一瞬にして全身を貫いた。「吾は 神なり。」「全知全能 遍在する神と 吾は一体なり。」目覚めた私は神だった。仏陀でもあり、イエスでもあった。圧倒的な愛と力が漲っていた。恐くなるほどの「絶対の叡智と愛と力」に溢れている私がそこに居た。そしてそこに存在しているのは私だけであり、私以外何者も存在していなかった。宇宙も地球も人々も、これまで自分の外側に存在していると信じ、その中で生きてきた、ありとあらゆるものはことごとく私の夢の中での現象であって、実在するのは吾一人であるということを、私は静かに感受した。世界中で発生しているクーデターや戦争、飢餓や貧困も、すべては私の夢の中での現象にすぎなかったことを識る。
全宇宙にたった一人の私(神)は自分が何者か知りたかった。そこで神の創造活動が始まっていった。神は神の分身を誕生させていった。この唯一の大いなる意志は私の中にも貫流している。絶対神としての私と、夢(幻想)の中で創造活動をしている私。共に生きているあらゆる人間や動物、植物、鉱物及び出来事など一切を私が創造し、私が登場人物としてドラマが展開している。私と触れ合うすべての人々もまた、私(神)であった。地球上に存在しているすべての人間一人一人が、神の本質から生まれ、本人がそのことに気付いていようがいまいが、神と一体であり、創造する神の力を持っている。畏敬すべき人間の本当の姿、存在の意味を識り、自尊の念に包まれる。
自分の身体に声をかける。「ご苦労様でした。」自己の身体がいとおしい。自分で自分を抱きしめる。ベールは取り除かれ、殻は破られた。夢から目覚めた私がいた。

目覚めの後

ワーク終了後、自分の身体が二廻りも三廻りも大きくなっている感じがする。両の目で見える世界は輝いている。参加者たちの一人一人、姿形は同じでありながら周囲の輝きを受け、どの人も生き生きと内部からの光で後光がさしているように見える。この人たちも全員仏陀であり、イエスなのだということが解る。先程自分をいとおしんだ同じ感情が湧き出てくる。どの人も神であり、愛さずにはいられない感情が私を大きく包む。
中央のテーブルに食パンやフランスパン、お茶、りんご、バナナ、キューリ、トマト、チーズ、バター及びナイフなどが配られる。りんごを一つ手に取り齧る。何という美味しさだろう。食物とはこれだったんだ。これで充分。これまで食い散らしてきた数々の豊富すぎる食物たちの映像が、高速で脳を通り過ぎる。自己の本質を見失い、グルメ嗜好で心を満たそうとする愚かで哀れな集団。不足感に追い立てられ、食べることで自己を見つけようとしてきた、これまでの私の生活が見えてくる。一切れのパンにチーズとキューリ、トマトをのせ、口に運ぶ。お、い、し、い。食物たちの滋養が身体に染み広がっていく。か、ん、し、ゃ。これが食物、これで充分。迷妄の料理よ、さようなら。私は選ぶ、本物の食物を。一噛み、一噛み、食材のありがたさを確認しながら噛み続ける。我が家にある大型冷蔵庫一杯に詰め込まれた数々の食材が幻となって消えていく。「お母さん、どうしてそんなに沢山の食材が必要なんですか?毎日必要な物を必要なだけ、買えばいいじゃないですか?冷蔵庫だって、何故こんなに大きなものが必要なんですか?」かつて今村興一君に言われた言葉が、今日の私を突き刺してくる。そうなんだ、飢餓地獄の記憶を放下した今、私には必要でない夢幻の食卓に笑顔で別れを告げる。不足するものは何もない。すべては幻だった。細胞内に刷り込まれた記憶に翻弄されていたのだ。すべては吾内にある。望めば与えられる事実を識った。2001年4月6日は、私にとって大切な「目覚めの誕生日」となった。まだ殻を破って出たばかりの雛鳥だけれど、だからこそ何もかもが美しい。人生とはなんと楽しく、光に満ち満ちていることであろうか!私は歓喜の雄叫びを発したいくらいに高揚している。
帰りの電車の中、多くの人たちを見つめる。この地上に生きる60億の魂たちに呼びかける。人間のすばらしさ、偉大さにどうぞ気付いて下さい、どうぞ夢から目覚めてください。自己の生命力、根源の力に気付き、豊かに楽しく生きていきましょうと。

人間、それはかけがえのない生命

4月7日、いつものように鳥のさえずりに送られて職場へ向かう。いつものようにではあるが、いつもと違い、何処から集まってきたのか、鳥たちの数が3倍くらい増えている。私の感性は鳥たちからの祝福を受け取る。空は澄み渡って美しく、桜も満開。生命が輝いている。感謝しかない。全宇宙の万物万象よ、ありがとう。すべてに「カ」「ミ」の息吹を感じる。
夢から覚めて思う。この私の生活総てがマーヤ(幻想)であるのなら、マーヤを創りかえることも可能である。全知全能、遍満する神として、私は私のマーヤを、確信を持って再創造することが出来る。制限など一切存在しない自由性の中で、私は私を創造していこう。私の偉大なるマーヤを、創造していこう。
「カタカムナ ヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナ ウタヒ」である。この言葉の意味を詳しく説明することは出来ないが、私なりに感受するヒビキ(波動)がある。実在する表象と潜象の力が織り成すコズミック・ダンスの世界に覚醒した意識で入っていこう。


...






© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: