1

何度も書いているが90年代初頭の神と甥の関係というのは中々難しい。87で神が(第一次)引退しているので、88年からは甥のドメーヌを手伝ったという風に考えるのが論理的だが実際甥の88、89は余り出来が良くない。一方神とのメタヤージュが終わって自分(と言っても結局はChristian Fauloisなのだが)で作り出した弟子の88は(メタヤージュを除いた)87と比較すると断然出来が良いので神が甥よりも弟子に目をかけたのではないかというのが色々飲んだ私の推論だ。さて、その甥のドメーヌだが90、91はどれを飲んでも神作なので共同、或いは神の指導下で作られたことはまず間違いない。そして92だがこれは中々に難しい。エチケットの表記からFlageyにキュブリが移っているので甥が醸造瓶詰めをやっているのは間違いないがクリマによっては神作としか思えないものもある。その一つがこのワインだ。NSGとは思えないシルキーでなめらかな酒質、トーンは少し低いがそのため浮ついたところがなく凝縮感溢れる果実。15年を経てまだ官能美を保っている美魔女的なワインだ。同年のCros ParantouxやEchezeauxよりも妖艶ですらある。先日飲んだ神作の90も素晴らしかったが、 こちらの方が幾分重心が高く浮遊感がある。このワイン、「我を忘れて上半身裸でテーブルに乗り踊りだしたくなる」度は50点位だろうか。私がもう20年若ければ踊っていたかもしれないけど。
2018/02/08
閲覧総数 699
2

何度も80年代後半から90年代前半のJayer, Rouget, Camuzet の関係について書いているが、この辺は本当にごちゃごちゃしている。もう一度書くと、Rouget に関しては85~87まではmediocre、88,89と格段と上がり90で爆発、91も素晴らしい、92も良いが、93以降は普通の優れたドメーヌの感が有る。ふと、昔撮ったエチケットを見ていたら、何と言う事は無い、エチケットにヒントが書かれているではないか。このエチケットは1988のものだが、Vosneで元詰めと記されている事からH. Jayerの蔵で作っていた事はほぼ間違いないだろう。91年までこのエチケットで、 92年のワインからエチケット変更でFlageyの蔵表記だ。更にこの年が彼がCrotetに託されたSavignyの最初のワインだと思われるので彼が独立して作る最初の年だろう。これは先に書いた自分の飲んだ感じと合致する。何の事は無い!どうして彼の85~87までは駄目で、88から良くなったかだが、これについては、仮説だが、 MeoとのRichebourgのメタヤージュの最後の年87で一応H. Jayer氏は引退したことになっていて(第一回目の引退)、88からH. Jayer氏がワイン作りの薫陶を与えたではないかと考えられる。89と90の出来の違いは単にVTなのだろうか?それとも別の理由だろうか?真実はボトルの中。年度末を乗り切ったら、もう一度垂直をしてみよう。
2013/05/19
閲覧総数 78
3

今日は軽く。 「ブルータス、お前もか」では無いのだが、一口飲んで驚愕して思わず口に出してしまった「グロフレ、お前もか」。 ちょっと話題になっていたので飲んでみたのだが、のっけからかなりの酢酸、ナチュール。よく言えばキノコを思わせる香りに滑らかな舌触り、のっぺりとした冷涼感を思わせる赤果実なのだが個人的には酢酸が支配的で全く杯が進まない。先日書いたArnoux-Lachauxと同じ系統というか、酢酸が入ると他の要素はあまり感じられないのでこの2つは殆ど同じように感じられる。 日本ワインやナチュールが好きな人には訴求するだろうがオーソドックスなブルゴーニュが好きな私のような人は避けた方が良いのではと思う。この傾向がこのクリマだけに限定されるかは判らないが何もリスクを取る必要もないのでこのドメーヌは個人的には棄却。 あくまでも個人の感想です。
2021/11/10
閲覧総数 793
4

ブルゴーニュ、シャンパーニュの価格、そして有名シャトーを中心にボルドー赤が暴騰する一方、ボルドー白はまだまだそれ程は高くなっていない。ブルゴーニュ白と違い酸が弱くちょっと鈍重な感が有るため1、2杯でお腹いっぱいになってしまうがその分だけ料理の相方としては広範囲と良マリアージュのように思う。 さてそのボルドー白、そのエアラインのお陰で集中的にテースティング出来る事が出来た。最近はかなりのシャトーが白も作っているが、そのスタイルや質はかなりばらつきがあるように感じた。超有名なYでも鈍重さが勝ち気味で果実味があまり感じられないものは1杯で食傷気味になってしまい杯が進まないものも有る一方、重さと果実味がバランス良いものは食中酒として十分楽しめる。中でもこのワインは中々よく出来ている。果実味はブルゴーニュにも通じる白果実に少し桃やアプリコットなども感じられ、ヴォリューム感が有る。ワイン単体で飲むにはちょっと重いが反面、焼き魚などの和食からフレンチ、イタリアの魚料理全般とは合わせやすいだろう。フィニッシュにかけて少しナッツも感じられ複雑な要素もきちんと有る。ワイン会に出すにはちょっと中途半端だが、この辺りのワインを1−2杯グラスでゆっくりと料理と合わせ、会話を楽しむには最高の小道具だ。そしてこのワイン、ガレージシャトーだけあって生産量は約300ケース弱と極僅少だが、全く知られてないので、まだ値段もブルゴーニュ1級より遥かに安い。という事で少し発注しておく。 これは先日書いたエアラインで頂いたのだが、小生産だが質に優れ、価格もリーズナブル、1−2杯で十分満足できるワインを選んで来るその慧眼に唸ってしまう。アドヴァイザーにMWを雇用しているらしいが誰だか興味津々である。
2018/08/20
閲覧総数 421
5

前にも書いたが、赤と比べてブルゴーニュ白で新たに秀逸な作り手が出る事は難しいと思う。赤が色々なパラメーターを変えて色々とスタイルを変える事が出来る、所謂足し算で有るのに対し、白は変数が少なく殆どの作り手が似たような作りになってしまう。そして赤以上に一級から村名、レジョナルと一貫して優れたワインを作ることの出来る作り手は非常に数少ない。 さて、この作り手。2005年に先代が死去し、2006年から若干21歳で瓶詰めを始め、一躍トップドメーヌの仲間入りを果たしたとの触れ込みのこの蔵。その触れ込みによると「ピュアで繊細」と言う事だ。興味が湧き、何度か飲んでみた。結果から先に書いてしまうと、悪くは無いものの、どうも感動とまでは行かない。少ない新樽で淡く白果実の品の良さは感じるのだがどうしても薄く、ミネラルもそれ程感じない。端的に言うと没個性でこの蔵独自の味というものが感じられない。精々中堅どころ、2番手グループ後半か3番手グループ前半位置だろう。どうしてもこの蔵に限ると言うファンが付くのは難しいのではないだろうか。 厳しい事を言ったもの、まだ若干30代半ばで単独でここまで仕上げているのは中々であるとも言え、今後この作り手が伸びてトップドメーヌの一角に食い込む可能性も無いとも言えないこともなくはないようにえる気がしなくもない。 自分でも良く分からない(あくまでも個人の感想です)
2020/05/31
閲覧総数 440
6

一般にワインの楽しみと言えば美味しいワインを味わうというものだろうが、ブルゴーニュワインの場合、その楽しみが初級級、中級、上級と少し細分化されているように思う。昨今はワインの値段が暴騰した事もあり、ビギナーの楽しみは何と言っても有名ドメーヌの上級クリマを飲んでSNSに上げたりして達成感を感じる事であろう。まあ、スタンプラリーみたいなものだ。中級になるとそういう高価なワインを一捻りして適度な熟成をしたワインを楽しみ、さらに上級になるともう少し古い古酒や現在の御当主ではなく、先代のワインを探し求め、少しノスタルジアを感じながら他のワインファンに対して少し優越感を感じる、とまあ、こういう感じだろう。そして大抵のワインファンはこの辺りで終わりなのではないか。まあ、それはそれで良いのだろうが、粗方飲んでしまうと結局は大抵どれも想定内で別段感動はしない。 この先のワインの楽しみというのは実はまだ有る訳でそれは「想定外のもの」に出会うことだろう。その一つは同じ作り手があるVTに於いてそのスタイルが突然変異を遂げる事がありこれはnegativeでもpositiveでもあるが人の成長変化を見ているようで中々面白い。もう一つの楽しみは世にあまり知られていないが秀逸な作り手を見つける事である。当たり前だが玉石混淆の中からこういう作り手を探し出すのは偶然と幸運が必要でそれが故に探し当てた時の嬉しさは格別だ。 ちょっと前置きが長くなってしまったが今日はこの1本。全く無名のしかもPernandというちょっと盲点的な村。しかもVergelessesのような伝統的に素晴らしいと言う畑ではなく、2001年に格上げされた畑。全体的に硬質でスレンダーな酒躯でMeursaultやPulignyといった所謂本筋のブル白とは違う。所謂「冷たい陰」と呼ばれるPernand側のEn Charlemagneを感じさせる透明感が有る。果たして、畑の位置はEn Charlemagneの少し北側、高度的、地質的にはほぼEn Charlemageと同様だが、exposureは東向きでEn Charlemagneよりも良いように思う。2013であるにも拘らずデキャンタージュが必要に思える位の還元的な作りで酸も高く十分熟成もするだろう。惜しむらくはもう少し果実のマチエールが有れば良いが、個人的には並のEn Charlemagneに匹敵する素晴らしさ。何よりも価格的に魅力だ。 30年以上飲んでいてもこういったドメーヌとふと出会う事もあるのがブルゴーニュの奥深さだ。時折ブルゴーニュから出てみたけどやっぱり戻ってきてしまう。
2021/03/28
閲覧総数 685
7

最近少し知っているワイン通に「俺はワインを混ぜる奴は許せない」と言う事を彼のSNSに書かれてしまったが、まあその気持ちは判る。純粋な気持ち、ピューリタンと言うのは理想を追う若者の特権で私も彼の年代なら二回り近い年長者がそうやっているのを見たら嫌悪感を覚えたと思う。まあ、そういう彼もシャンパーニュには区画(村)、セパージュ、VT、赤白(これはシャンパーニュだけだ)、全て混ぜれるという人為的な自由度は全く鑑みてないようだ。 考えてみれば(私も含めて)ワイン通はブルゴーニュに関して温度、全房、樽(新樽率、樽熟期間)、浸漬等の発酵、熟成方法について詳細まで拘る人が多いのに対し、シャンパーニュに関してはせいぜいドザの量やセパージュ、Viellissementの期間を気にする位かただ単に「美味しい、美味しくない」等の非常に大雑把な感想しか述べないように思う。レゼルブワインに何を使うか、何と何をアッサンブラージュすると言う事は言わばブラックボックスだ。まあ、ワイン会でも大抵開始30分前に飲まれてしまうし、それを承知でブランディングに高い値を払う人もいるのでそれはそれで良いのだろう。 ま、件のワイン通のそのブラックボックスはブラックボックスで味わうべきであるという哲学も分からなくはないが、敢えてそのブラックボックスに挑戦するのも一つの考え方だと思う。実際やってみるとそれほど単純なものではなく、ワインを混ぜる、即ちアッサンブラージュだが単に何でも混ぜれば良いと言う訳ではなく、シャンパーニュの性格、混ぜるスティルワインの質、熟成度、両者の相性、割合等、色々なパラメーターが有り、アッサンブラージュにより1+1=3、或いは4みたいな素晴らしい効果をもたらす事も有るし、逆に1+1=0みたいな事も起き、中々奥が深い。最初は逝ってしまったブル白を廃品回収的に少し泡で混ぜてみたのだが最近はこのアッサンブラージュにも幾通りかの定石が有り、それぞれ違う性格(そして質)のシャンパーニュが作れる事が分かってきた。 さて、このパターンは線の細いBdBに良質のHCNの白を足したもの。割合はスープとタレの感じ。良質なHCNやChablisはマチエールが弱いシャンパーニュとの相性は中々良くMeursaultやPulignyを足した時のように決して自分をひけらかさず、シャンパーニュに寄り添う感じだ。多分酒質が近いのだろう。繊細すぎて気弱だったシャンパーニュに芯が出て格段に良くなる。1+1=3とまでは行かないが確実に2.5は達成しているだろう。 バブルの頃、ロマコンのピンドン割りというのが流行った事が有った。当時は退廃的、成金的だと思い嫌悪感を覚えたものだが、今、何となく自分もやってみたいような気がする。案外かなり美味しいだろう。そして少なくとも高価なワインを有り難く頂戴してSNSにあげるよりもカッコいい気がする。
2021/06/19
閲覧総数 935
8

Chablisで一流とされる作り手は何人も居るが結局の所Raveneauを除いてDauvissat、Piuze、Louis Michelなど全てがChablisの範疇を越えられないと思っていた。どれもが一口飲んでChablis独特の締まりの有る淡く透明感の果実が支配的で禁欲的な感じを受け、優れたCdBのような濃い時にはふくよか、厚みも有る楽しさを感じさせながらもエレガントなワインとは違うと思っていた。まあ、CdBより北で葡萄の完熟しにくいクリマだから当たり前と言えば当たり前なのだが。 このワイン。まだ日本ではそれ程知られていないが米ではじわじわブレークしつつある。ビオ(Chablisではまだ少ない)、ステンレスから樽という発酵熟成過程はまあ、今時のChablisでもまずまず有るがこ特記すべきは極度に抑えた収量と驚異的なまでの樽熟(一級で34ヶ月)に有るだろう。この為にワインはChablisとは思えない位の厚み、複雑さを備えている。まず口に含む良質のCdBに共通する柔らかく品の良い果実が感じられる。そして中盤からChabilis特有の綺麗なミネラルが感じられ、フィニッシュへの縦切れ。畑的には一級畑とは言え左岸のForetより落ちるクリマからここまで完熟させるにはかなりの遅摘みだと思われる(実際彼はVandange tardiveのキュベも有る)。個人的にはDauvissatよりも遥か上、Raveneauと並んでSuper Chablisのカテゴリーに属する素晴らしい作り手だと思う。一級は日本には殆ど入ってないだろうが値段も(今の所は)まあ許容できる範囲なのでもし可能なら試されることをお勧めする。 先日白はもうこれで良いと書いたのだがこのワインもまずまず飲みたいと思って少し発注してしまった。これじゃ減らないわけだ。
2023/02/25
閲覧総数 854
9

日本人に生まれて良かったなと思う事は侘び寂びに代表される儚さを理解する能力が有る事であろう。人生は有限で有る事を悟り、簡素、貧素、枯槁、幽玄なものを愛でる美意識。大玉の打ち上げ花火は美しいが、線香花火の一瞬の煌めきの儚さに真理を見る事が出来る。平家物語や枕草子に代表される諦観がDNAに入っているのだろう。この価値観ばかりは西欧の絢爛豪華を旨とする価値観とは全く対極にあるように思える。この儚さという言葉一つを取ってみても英訳するのは難しい。fragility、transience, transitoryなどという言葉が浮かぶがどれも表面的で精神性、美意識には言及しない唯物的な表現で有るように思える。 閑話休題、今日のワイン。有り触れたレジョナルだが、中々素晴らしかった。10余年経っているが元々抽出が弱めだったのだろう。淡いがクランベリーを思わせるチャーミングな酸が有る高いトーンの赤果実。キノコや下草、エピスのようなニュアンスは全く無く、素晴らしく純度が高い。あくまでもフェミナンで他の凡庸なレジョナルのように鈍重さはない。良い意味で線が細く儚さを感じる。少し感動してしまった。 普通CdNのレジョナルと言えば大抵は国道(県道D974)の反対側に有る畑から作るのが殆どだが、そういえば、ここのレジョナルはVougeot、NSG、Chambolle村の畑をブレンドしていた筈。それが故に出自の良さ、バランスの良さが感じられるのだろう。作りも他のキュベと全く同じ(多分新樽は違う)だ。個人的にはVTによってはここのVR村名を凌駕するように思う。 侘び茶の開祖とされる村田珠光によれば「茶の湯を学ぶ上で一番悪い事は慢心、我執の心を持つ事で有る。」との事だ。彼の書を読むとかなりワインにも通じるものがある。裾物にもきちんと向き合い、その儚さを慢心なく尊ぶ事が出来て初めてワインは精神性を持ちワイン道となるように思える。
2020/08/29
閲覧総数 686
10

今日は旅出前の最後の週末なので自分の為に料理を作る。マルシェで丁度出始めのビーツ(betrave)が有ったのでそれをソースにしたら綺麗だろうな?とふと思いつく。ビーツは少し甘いので甲殻類かシェーヴルの焼いたものかどちらかだと思ったのだが直感的に甲殻類、それもクラブケーキにする。クラブケーキはこの辺りから南部の伝統的な料理で渡り蟹のほぐした身に野菜を加え、卵白で繋いだものである。クラブケーキをほろっと崩してビーツのソースを絡めて食べるとほんのりとした甘さが渡り蟹の風味を引き立てると感じる。ソースはシンプルにビーツを軽く茹で、ポワローをスゥエーしたジュで茹で、ミキサーで潰す。少し白ワインを加え酸味を出す。シンプルに食べたいのでバター類は一切無し(私は最近バターを一切使わない)。仕上げにロケット(ルッコラ)を載せ、白バルサミコとマスタードのソース。シンプルだが中々味わいがある。合わせるワインは勿論いつものシャンパーニュ。相性は抜群である。先週のCoup d’Etatで旅出が数日延期になり、時間をロスした為、西回りで日本に立ち寄れない。次に寄るのは一体いつになるのだろう?
2006/09/24
閲覧総数 246