少し前にセラーを構築することについて書いていた。長々と書いたが、要約すると、セラーを構築するのは人生を一歩一歩進み高みを目指す自分を鼓舞する為に、そして milestone の高みに到達した時に自分への reward とする為だと言う事だ。だが、意図的に纏めを書かなかった。 何故なら人生をかなり進んで、多分これからは高みに登るどころか降下し、最終着陸体制に入ったところなのに、セラーを畳むところか、まだ少しずつだが買っている。そして、ふと周りを見ると私と同年代の手練のブルゴーニュファンも同様のようだ。
さて、このワインだが、前にも書いたと思うが、30年近く前に SD の酒屋から3 cs 程分けてもらった最後のボトル。自分がブルゴーニュに嵌ったきっかけになった記念のボトルだ。勿論実際の作り手は現在神となられたあの人だ。完璧(に近い)保管でワインは状態も良く、同時に開けた00(これも同じ作り手だ)よりも若々しかったのには吃驚した。まあ、ワインは素晴らしかったのだが、30年近く持っていた最後の 1 本を開けることが出来たという安堵、そして遂に最後の 1 本を開けてしまったという無常感が混じり、複雑な心境であった。開けた場所、設定が人間関係で少し揉めた事もあり、自分が思っていたシチュエーションで無かったことも少し残念だった。
私がまだ少しずつ買っているのは本能的に多分この無常感を避ける為なのだろう。はっきり言って自分のセラーのワインは自分の思いだ。そしてその思いは自分にしか分からない。勿論、一緒に飲む仲間たちもそれぞれの思いを込めてワインを持ってくるのだと思う。ただこうやって30年近く、いやそれ以上セラーで保管しているワインはある意味で自分と一緒に人生を歩んできた訳で自分にとってそのワインの金銭的な価値以上の物で有る。その思いを解ってくれる友と分かち合うのは素晴らしい事なのだが、ワイン奉行(或いは税吏か)のようにワインの格だけで唯物的に判断されるのは少し悲しすぎる。
そう言う訳で消費して減らすべきなので買うという矛盾した行動を取っている。昔と違ってかなりの作り手の上級クリマで適度に熟成したワインが有名オークションサイトで頻繁に取引される。勿論それなりの金額を払う事になるが、余り心が入ってないので気楽に開ける事ができる。心が痛まないのである。ブショネや劣化に当たっても金銭的には痛いが、精神的には割り切れる。偽物かもしれないと判るとひょっとして彼の天才作かと逆にワクワクしたりする。
そういえば、若いワインファンから伝え聞くところに依ると、前述の手練れのワイン通の方々も時折、ヤフ●クを利用なされているらしい。まあ、それが真実であれ、どうであれ、その辺は心境を理解して見て見ぬ振りをしてあげてほしい。彼らも後10年ほどすればきっとその心境に達するだろう。
と言う訳で次のワイン会では多分私もヤフ●クで落としたワインを持っていくと思いますが、気がついても見て見ぬ振りをしてくださいね(笑)。
Vosne Romanee Gaudichot 2004 (Forey) 2023/10/30
Saumur Champigny Poyeux 2012 (Clos Roug… 2023/10/28
Puligny Montrachet Pucelle 2018 (Morey-… 2023/10/23
PR
Calendar
Free Space
Comments
Keyword Search