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今日、ようやくネットが繋がりましたでも、電話はなぜかまだ繋がっていません先日、おそべ小僧さんがご夫妻で支援物資を届けにいらしてくれました。おそべさんのお知り合いの方などから届いたという沢山の物資を届けていただき、本当にありがとうございました!早速、被災した親戚や友人宅に届けてきました。今年は下の子が小学校に上がるので、わざわざ入学祝にとケーキまで持ってきてくれましたよく買いに行っていたケーキやさんや親戚のお菓子屋さんも津波で流されてしまい、しばらくケーキは無理だねぇと言っていたので、被災後、初めて食べるケーキに大喜びで、入学式のあと家族みんなでおいしくいただきました!本当にありがとうございました!!震災当日は、私は仕事へ、主人は休みで家に、子供たちはそれぞれ保育園、小学校へ行っていました。地震が起きた時、私は、会社の2階にある事務所に一人でいたんですが、前の日にも震度4くらい?の地震があったばかりなので、揺れはじめても、すぐにおさまるかなぁと思って油断していたら、急に揺れが大きくなり、外に出ようと思って階段に向かったときには、1階の店舗にある棚から商品がバタバタと崩れだし、逃げることができなくなってしまいました。電気も消え、本当に今まで体験したこともないくらい大きく長い揺れで、このまま店がつぶれてしまうんじゃないかと、とても恐ろしかったです。幸い、階段には落ちてくるようなものもなく、とにかく揺れが収まるまではと、じっとしていました。デスクにあったパソコンや書類も次々と倒れだし、ほんの少し揺れが収まってきたときに、すぐにかばんを持って店の外に飛び出しました。外に出てからもまだ揺れが続いていて、回りの建物や電柱が大きく揺れていました。このままじゃぁ電話が繋がらなくなると思い、主人のケータイへかけたら幸いにもすぐに通じたので、自宅に近い長男の迎えを頼み、次男は私が迎えに行くと伝えました。姪っこが同じ保育園に通っているので、一緒に連れて行こうかと思い、次に姉に電話をかけたけど、もう繋がらなくなってしまいました。子供たちもきっと、とても怖がっていると思い、すぐに車で迎えに向かいました。次男の通っていた保育園へは職場から車で10分くらいのところにあるのですが、すぐに道路が渋滞してしまい、信号も停電していて、なかなか進むことができませんでした。あまりにも地震が大きかったので、津波が来るかもしれないと思い、海岸沿いから来る車を先に通しながら進んでいたら、保育園まで40分くらいかかりました。保育園では、みんな外に避難し無事でした。年長さんなどはみんな意外と落ち着いた様子でしたが、小さい子の中には泣き叫んでる子もいてとても心が痛みました。姪も連れて帰ろうか迷いましたが、姉の勤め先も私の職場の近くなので、すぐに迎えに来るかと思い、しばらく待っていました。2~30分待ってもなかなか姉はやってこなく、主人が長男と同じ学校に通っている甥っ子を連れて迎えに来てくれました。仕方がないので、先生に姪も連れて行くと伝えて、自宅に戻りましたが、途中の国道45号線を走っているときに、ふと脇道に目をやると、信じがたい光景がありました。国道脇の細い路地にまで津波が押し寄せてきて、止めてあった車?が次々と路地に流されていました。いつも帰る道は津波で通れなくなっていて、別の道を通って、無事に家まで戻ることができました。私の父も高校生のとき、チリ地震津波を経験しており、小さい頃から津波の恐ろしさは良く聞かされていました。どこまで津波がきたとか、地震があったときは住んでいた近くの小学校に避難するとか、ここまでは津波は来ないから大丈夫とか・・・あとから知りましたが、私が通っていた大船渡小学校も避難所になっていて、近くに住む叔母もすぐに小学校へ避難したそうですが、そこにも津波が押し寄せ、パニックの中、さらに高台へと避難したそうです。ここまでは来ないだろうと思っていた多くの場所が、津波に飲み込まれてしまいました。叔母の家も津波が来るとは思っていない場所でしたが、家は流され全壊でした。。私の姉は魚市場で働いていて、連絡が取れなくなってしまい、本当に不安でしたが、地震直後すぐに海面がみるみると下がっていったそうで、危ないと思い、職場の人とすぐに高台へ走って逃げて無事でした。車が流されてしまい、すぐに帰ってくることができませんでしたが、知り合いの車に乗せられて、夕方には帰ってくることができ、安心しました。自宅にいた父や母も無事で、少し内陸の住田で働いている義兄もほどなく戻ってきました。私はちらっとしか津波が来たところを見ていませんでしたが、戻ってきた姉から聞いた様子は耳を疑うようなものでした。とにかく家族全員無事で戻ってこれたことを心から感謝しました。真っ暗な中、ラジオから聞こえてくる隣の陸前高田が壊滅状態という言葉もなんだか夢のようで全然現実感がありませんでした。おそらく自衛隊のヘリだと思いますが、一晩中ヘリの音が聞こえていました。翌日、連絡の取れない義母を探しに主人が大船渡町内に向かったところ、前日帰ってきた道は瓦礫の山となっていて進むことができず、三陸縦貫道も封鎖されていましたが、なんとか合間を見て通ることができましたが、そこから見る大船渡の町は変わり果てたものとなっていたそうです。幸い、義母も自宅へ戻っており無事を確認することができました。私の家は山に囲まれた高台で、日中は電気・水道がないことを除けば、いつもと変わらない様でした。4日後、ようやく電気が復旧し、テレビに映し出された光景を見て愕然としましたが、それでもまだ、映画でも見ているような実感のないものでした。変わり果てたこの町をはじめて自分の目で見たとき、ようやく現実なんだなと。ただただ涙が止まりませんでした。今は自衛隊の方々のおかげで瓦礫もずいぶん片付き、道路も通れるようになっていて、毎日通勤しています。私に職場は閉店することになってしまい、今は残務整理のために通っていますが、5月には解雇予定です。毎日、瓦礫の中を通い、閉店の為の片づけをしていると、気が滅入ることもありますが、これから自分に何ができるか?何をしようか色々と考え、前向きにがんばっていかなきゃなぁと思います。最後になりましたが、この震災によって亡くなられた多くの方々に心よりお悔やみ申し上げます。私も多くの親戚や友人を失いました。今でも考えるだけで涙が出てきます。まして肉親を亡くされた方々の深い悲しみや絶望、行き場のない怒りは如何ほどかと胸が痛みます。今はまだ無理だけど、いつか乗り越えられると信じて
2011年04月27日
コメント(4)
少しずつですが、復興も進んでいます。今日から倒壊した建物の撤去も始まりました。道路も撤去が進み、だいぶ通れるようになっています。仕事は無くなってしまいましたが、地元を離れるわけにもいかないので、何とか頑張っていこうと思います。今年は下の子が小学生になるのですが、ようやく入学式の日取りも決まりました。少しずつですが、元の生活になれるように頑張っていきます!
2011年04月11日
コメント(5)
今はケータイ繋がるけど停電です。とりあえず家族全員無事でした
2011年04月07日
コメント(1)
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