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にほんブログ村私が通院してる、脳外科のてんかん外来が終了した。まったく予期してなかったので、なんとも驚いたというより、不安。寂しい、どうして?と言った気持ちが優先。 てんかん専門外来が、大学病院にその機能の全てを移すので仕方ないのだが、一部のてんかんを患う患者でも、問題の少ない患者だけを継続して診てくれてた。 しかし、今回全く発作が無い私や他の患者についても、てんかん外来ではもう診ないという話になった。そして次回より、脳外科一般外来で、薬の処方箋のみもらいに来ることに変わった。診察は、ないらしいが、本人が希望すれば、年1回くらいは今のてんかんの専門医に会えるらしい。 たしかに、発作はないのだが、何時あるか解らないからてんかんが、怖い理由がある。先生に質問してみた。 私;『発作の時、後遺症が残ったりしないように発作は抑制しようと、常々言われている 後遺症ってどんな後遺症なのですか?』 お医者さん;「人の事は、いいですから、あなたは発作が無いので、後遺症の心配もありません」 なるほど、一般的、または他の人のてんかん発作の後遺症についての話、教えてもらえないようだ。なんか、納得いかないけど仕方ない。 先生は、きっと忙しいのだ私は、その辺を察して、自ら3分診療に協力してきた。実際に発作も無ければ、これといって相談もなかったのだが、3ヶ月に1度お目にかかれる先生は、それなりに楽しみな存在であったが、なおの事 先生の多忙ぶりを気にしてなるべく煩わせないよう、3分で診療が済むよう控えめに、無駄な話や質問は極力しないようにしてた患者が、医者に気を使っていたのだ。 それも、これも本日で終了。AKB48の前田敦子じゃないけど、私もてんかん専門外来は卒業し 一般外来へと、これでいいのかという本音と、いつかは卒業。でも、どっか医者側の都合のような気がしないでもないが、グチグチいって仕方ない 私の数年通ったてんかんの外科手術を行ったてんかん専門外来は、なくなった。私の発作もなくなったが、発作のないてんかん患者の第2ステージのようだ
2012.05.10
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にほんブログ村今更なのだが、私はカルテ上始めての発作は、小学生(6年生頃)となってる。もちろんそれらしい事が、あったので自分が医者にそう話したからなのだ。専門医に話せば、それがてんかん発作なのかそうでないのか、判断してくれると思いそれらしいエピソードを伝えた。 どんなエピソードかというと小学校で気分悪くして、意識失くした、と。詳しくその日の事を、話すと運動会の総練習の日でとっても暑い日。おまけに、私はリレーのアンカーで長時間に及ぶ本番前の練習でヘトヘト。やっと、終わりかけた校庭に集合し、先生の話を聞かされていた。同じ学年や、クラスの子が次々、体調を崩して倒れたりが、始まった。私は、よく朝礼で具合悪くする子を見て、体の弱い子は休めていいなぁ~くらいに羨ましくその頃思っていた。なので、運動会の総練習の倒れる子も、「休めていいなぁ、私も疲れたよォ休みたいよ。あの子とあの子はウソの便乗かな」と、ちびまる子ちゃん並みの発想。それでも、クラスの約1/3くらいが、次々倒れた。その一人に、私も・・・・・便乗ではなく。 保健室で休まされ、ベットには他に数人寝かされていた。後で親が、迎えに来て保健室の先生は、後日病院に行って診てもらうよう言って親と家に帰った。 後日、小児科に行き 着いた診断名が、自律神経失調症。私は、意識を失くした経験はこれが最初なので、てんかんを診てもらった医師にもそう話した。でも、これって今で言う、暑さから来る熱中症によく似てる。これを、てんかんと判断するのは、なんか変。でも、私がてんかん患者なのは間違い無いので、その6年の時のエピソードが、発作かどうかの判断は、何とも言えない。ましてや、私は医者じゃないしその時の医者は自立神経失調症と言ってたし。 真相は良く解らないまま、親も私も、そういえば子供の頃意識なくした経験があるので、これをてんかん発作と、今の病院に伝え、当然医者は、私は小学生から。と、記されてる。 その他にも、怪しいエピソードがある。数年前、大人の私はガーデニングのため、6月頃のまたしても蒸し暑い日。草取りに励み、その後庭に農薬をまいてた。その後、吐き気と気分悪さで、家の中で洗面器を持ってしゃがんで吐いてるうちに、意識を失くして倒れたらしい。夫に言われて、私は、倒れるのはてんかんの発作かと思った。意識を失くすイコールてんかんの、発想が習慣化してる。普段、倒れたり意識を失くす経験の無い発作型の私でも、遂に倒れるてんかん発作かと思い、急患で近くの病院に行った。私は、事実を言った。てんかん患者である事、もしかしたら農薬を吸って気分を悪くしたかも知れない事、暑くて汗ダラダラだった事は、特に言わなかったが、同じ地区の病院なのでそうとうに、暑い日だった事は承知してた。その時は、点滴されて帰って来た。 私は、私も倒れる発作に、なるんだと思う自分と、否定する自分。ただ、これもてんかん発作かどうかの真相は、解らない。自宅なので脳波計も無ければ、ビデオも無いし。てんかんの病院には、後日通院の際に報告はした。聞かれることは、毎回発作がありましたか、とか、何回ありましたか、くらいしか聞かれないので、たぶん1回あったと、報告したと思う。今考えると、私はてんかん患者なのだが、どれがてんかんの発作でそうでない意識消失なのか解らない。むしろ、上のエピソードは発作では無かった様に思う。というのは、通常私の発作は、数年に1回くらいの睡眠中の発作と、日中は自分にのみ解る違和感の発作が通常だったから。でも、中途半端な知識や先入観で倒れるも意識消失もてんかん発作に含めていた自分
2012.05.05
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またまた、久々に登場すにはチト重いタイトル。でも、今悩んでる患者の方達に何か伝わればと思いこのテーマで復活。 昨今、京都のてんかん患者による車の事故など、多発。何か大きな事故が起こる度、同じ病気の方達は、もしかして・・・と、悪い方に心配してたと思います。病気と事故の関連。 私は、事故の起こった日、会社で終礼時、上司が事故原因知ってか知らずか、同じグループ内(約6名の部下に)「京都で車のすごい、事故がありました。車を運転して帰る方、免許を持ってる方一人ひとり、自分も含め注意しましょう」と、珍しく注意喚起した。私は、車の事故?何でそんな話題?もしかして、と・・・、その時感じました。 と、いうのも今の上司私が今の会社のこの部署に配属なった数年前、隣の席のお兄ちゃんだった人。私はその頃、障害や病気、診断書みな提出しての、障害者雇用枠で入社したのでいろいろ、私に関しての情報は書類だけでなく知ってるお兄ちゃんかと、約半年くらい隣で仕事を一緒にしその後お兄ちゃんは移動した。 その方が、数年後上司となって昨年また一緒になった。京都の事故の話を職場でされ事故の内容を後で知った私は、会社での注意喚起の話が、ムッとしたのが率直な気持ちだった。だが、こうして数日たって今思うに、そうだドンドン話題にしてもらおう 私個人にも、「気をつけなよ」と、声を掛けてもらえるそんな職場の方が、うれしいのではないか。 車の免許に関しては、私はてんかん患者だが免許センターに赴いて医師の診断書の提出と、免許センターの面接官みたいな方と面談をして、免許を頂いた。もちろん発作のあった2年前までは、車の運転のドクターストップの約束は果たした。 その2年前、私は「2年たったら〇〇才になっちゃうよ~、先生。」と、泣きついたというよりたぶん怒った。車運転ダメの通達に、不貞腐れたし、なんか言ったような気も。でも、先生の頑固さ、絶対譲らないのは知ってはいたが 何故なら、数年前の脳の手術(てんかんの手術)をした時も術後2年間車の運転は、やっぱり我慢させられたから。女性にとっての2年は大きい???よ(笑) 私も、先生もあれから数年、お互いに年を取ってしまった私は、てんかん患者にすれば発作は抑制しやすいタイプのようだ。でも、それなりに苦しんだ。てんかんの手術をしたのもその、悩みがあったから、けして発作のためではなかった。薬、勝手に断薬も体験、それが2年前の車の運転ダメの理由だ。紆余曲折は、あったもののてんかん患者でも免許は、手続きを踏んでちゃんと持ってる そして、今回会社で「車の運転気をつけて」と、私も含めみんなに声を掛けた上司、りっぱだと思う。たぶん、てんかんとか、意識をなくす人とか、そんな意図は無く、単純に悲惨な事故を失くすために、言ったと思うんだけどたぶんその上司てんかんにそれほど詳しい訳では、ない。ただ私の病名は知ってるし、免許の経緯も知ってる。逆に、思い込みや偏見も無かったように察してる。だとしたら、普通に危険な運転の注意喚起を、この上司のように、どこでも誰でも、誰にでも言い合える職場や、社会になると良いよね。私たち、てんかん患者が、今日は調子悪いの、とか頭痛いとか、発作来そうとか、普通に言える環境があるといい。そしてその時「大丈夫?心配しなくていいよ。付いててあげるよ」とか、普通にみんなが、言ってもらえるようになったらいいのにね。 てんかんは、誰にでも起こりうる、といろんな人が言ってるがどれもやっぱ他人事。ただ今回、震災や津波があって、とても好く似てると思ったの。私だって、阪神大震災の時は、その悲惨さに驚き悲しんだけど、まさか自分が東日本大震災で、津波が我が家を襲うとは・・・、そしてこの、いつ、どこで、起こるか解らない大きな地震に対する備えそれって、日本全体で、 みんなで関わって行かないとどうしようもない。怪我のしにくい家、環境、そこに、てんかんの人が発作中におぼれたりしないお風呂、ぶつけたりしない床、火傷とか起こさないキッチンとか、物。そして、発作を見た人も、起こした人も悲しまない心。 復興の取り組みをみてると、とてもてんかんの患者に役立ちそうな事が多いのに気が付く。てんかんの患者を励ましてくれる人はいないのだろうか。人を轢かない車を本気で考えてくれる人はいないのか。 そんな事を、これからもブログに書いて行こうかなと、考え中。それなりに、悩んだ時間が今悩んでる人の役にたてたらね、もうおばあちゃんになっちゃった事だし、私ことポンちゃんは。 震災で1階は津波が来たので、2階でしばらく暮らしてた時。犬(グレート)も、孫(1歳)も、皆一緒で窮屈だったけど、それなりに愉快でした。
2012.05.05
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