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色々な手法の中で、気持ちを感じ切ると変容が起きる、ということがあります。
すこし誤解があるので、感情を感じることの深さについてお伝えしたいと思います。
まず、浅い層の感じ切る、というのは、怒っていたら怒りまくる、泣きたかったら泣く、というものです。
このセラピー方法は有益なこともありますが、人によってはその場ではスッキリするけれども、その後人生にあまり変化が起きないことがあります。
というよりも、ほとんどの場合がそうなのだろう、と思います
例えば癒し、というのは、特定のタイプの人が大嫌いでも、それが気にならなくなるということです。
これはセッションでよく起きているとの報告もありますし、自分自身も経験が多々あります。
だけれども、その場での怒りをぶちまける方法は、その場だけ何となくスッキリしたような感じがあるけれど、また同じようなタイプの人が気になったり、突っかかったりしてしまうということの繰り返しです。
もう一つ。
感情には自浄作用というのがあります。
癒されていく力を自ら持っています。
然しそこには、「感情が移り変わっていく」という特徴があります。
例えばなんですが、
お子様をなくされた方々がおられて、その方々が癒されるとき、悲しみと、かすかな喜び。
笑いや、そういった感情が悲しみと同時に現れる時期があります。
周りの方々が気を遣いすぎて「嬉しくてもそれはきっと嘘なのよ。苦しいに違いない」などの偏見(判断)を持ってしまうと、彼女たちは自然と「自分は喜びを感じるなんて悪い母親だ」と思うようになります。
そうして混乱し、癒される力が軽減してしまうのです。
しかし彼女たちがそういった様々な感情を、自ら許せるような環境にいたとき。
つまり罪悪感を持たずに感じられるとしたら癒しが早まる、という傾向は見受けられました。
なのである感情の根底に感じている、様々な感情に移り変われるということも、とても役に立つことなのです。
私は真の強さというのは、あらゆる感情を受け入れた人にあるものだ、と感じています。
たとえば、力だけを信頼したら、力で押して、あらゆる人の権利を無視してしまうかもしれません。
ご主人が奥さんを力で支配したために見捨てられたり、会社でもそんなことがありえます。
「ああすごく強く推したい。だけれどもここには弱みがあるなあ。じゃあ、この弱みをこう改善しよう」という見方ができずに、
「絶対に力だ。弱さを認めたら崩れる。全部こうするんだ」と思ってしまえば、周りがその人にその生き方だと人と壁ができてしまうことを見せつけてくる環境になることがあります。
なので、二つ目の層としては、移り変わる感情に寄り添っていくことが大事に思います。
もう一つ、ここが最も大事なことではあるのですが、皆さんのあらゆる感情の根底には、まったく違う感情がながれています。
この感情は、すごく力を持っていて、ここをふと感じられたとたんに、人格の変容、問題そのものの変容があります。
よくセッションで「何かこう思うのがなくなってしまった」ということがあり、それはこの層に触れているためです。
ここは決して理屈で扱ってはならない部分に思います。
例えば、ある方が、お母様が亡くなって、今までの憎しみが消えていきなり愛情が深くなったりする場合ですが、これは表面上のうらみ、つらみ、期待、といったものが相手の死によって亡くなったために、奥の層が感じられるということでもあるのです。
これは、あらゆる場面で見受けることでもあります。
深い層では、あらゆる悲しみも恨みも、自分自身を大切にしたいという希望や、相手と静かにあるいは活気をもって繋がりたい単純な感情があります。
純粋で、素直で、そして触れるとほっとして、という感覚があるのです。
ここを理屈で扱ってはならないのは、例えばそういった経験をしたときに、その経験は永く記憶に残ります。
そのためその経験をした方々は、それを「正論」にしてしまいがちです。
例えば、奥底には愛があるよねーとか、「本当は優しい気持ちなんだよねー」といった指摘や宗教論です。
それは場面によっては大変に効果的ではあるものの、その人が表面の感情にしか触れていないときにかけられるその言葉は、とても腹ただしいものでもあるのです。
この表面の、解消出来ていない気持ちを責められている気がして、その気持ちがあってはならない気がして、自分が否定された痛みをそうとうに感じてしまいます。
だから、三番目は自然に起きていることが大切です。
決して理屈でわかろうとしてはならないのです。
理屈をだしてしまうと、「愛すべき」とか「許すべき」とか「べき」になり、その人にとってはとても出来もしないのに課せられた苦しい課題になるからです。
1 , 2 を扱うときには、今のあらゆる変化と感情を「理屈抜きで」感じていく作業が感じ切る作業に近いとは思います。
実際には皆さんの中にある、あらゆる感情の理由付けは間違っていて、本当の理由ではなく、頭が作り出しているものです。
例えば、
泥団子を作っていて、光り輝くものを作りたかったけれど、親がそんなものには価値がないと言った、として。
それから自分の生き方がちょっとずれていくとします。
違和感があるまま、希望通りの大学へ行ったけれど、やる気がなくなるなどの場合。
自分と逸れたものを選んでいるのに、もう頭では「こういうのがいい、こういう生き方が幸せだ」と信じ込みすぎていて、元々どんな方法で、どんなふうに、泥団子を作りたかった時の気持ちのように現実に接していきたかったのか、心の在りかたさえわからなくなっています。
その人たちが感じる怒りや悲しみはもともとの物とはかけ離れていて「相手がこうしてくれない、環境がこうしてくれない、こういうことをしてくれないから愛がない」といったように、別の信じ込みからくる(こうしてくれないのは私に価値がないからだ。馬鹿にしている、ダメなことだ、悔しいといった)強い感情になりすぎていて、ここを感じても、感じても、何も変容を感じないのは、実は皆さんが感情だと思っているものの中には、もはや信じ込みと考えが組み込まれているからです。
つまり屁理屈を感じても、もっと感情が強化されるだけなのです。
しかしその理屈が貴方の頭を駆け巡るのです。
(こう彼がしてくれなかった、馬鹿にしている、大事にされていない、親がこうした、会社はこうではないといけないのにしてくれないなど)
その際には、ワークとして、それをただの体に起きている変化としてとらえていくとよいとは思います。
いずれにしろ、もともとの問題はその方々が感じているものとはとても違います。
自分が自分に禁じてしまった方法を開けることができなくなっていて、そのために様々な問題が起きています。
まあ近いところとしては、私は私の生き方をしてはダメだとすごく信じていて、だから他人がそれを強化してしまう言い方がとても苦しい悲しいすごく苦しい、という言葉や、私は怒っている、それは、私が自分ではできない自分に禁じてしない絶対に怖くてしない社会が認めてくれていないと感じている部分を相手が私のためにしてくれないからだ。
という言葉は真実に近いです。
興味深いことなのですが、潜在意識の奥底は真実を知っているので、例えどんなにわからなくても真実に近い言葉はその人を解放します。
blog を見て、過食症がおさまったというようにおっしゃって来てくださる方々や、自傷行為が収まった方がおられて、それはそういったその方の真実に触れたためだと思います。
セッションではあなたに何が起きているのかを知ることができます。
それはあなたにとって、一生の宝になることでしょう。
youtube もはじめました
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