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今月の周期はめちゃくちゃおかしくて、排卵検査薬にもイマイチ反応せずいつもなら伸びオリ開始時にうっすら反応し始めるのに陰性のままで何本もつかっちゃってこりゃ不経済だわ~って感じで。次回から排卵期のシダ状チェックも併用することにしました。商品的には何種類もありますね、だいたい口紅型でレディなんとかとかが有名かも。唾液を塗りつけて乾かして様子を見るというやつ。でもよくわからないという話も聞いていたので、どうせならと顕微鏡を買いました。送料込み2000円。安すぎ~。しかも600倍まで出てLEDライト付き~。いざ到着して見てみると、視野も広いしめちゃくちゃ良く分かる。排卵期以外のツブツブみたいな状態を覚えといて、変化が出たらタイミング。うまく行くといいなー。で、おまけ程度にちょっとだけ期待していたのが、だんなさんの精子クンも見られるかも?!て点。なーんて、趣味悪いですかねー、でも実際どんな状態か見て見たいナと思ったのでした。ネットではいくつか動画もあって、へーこういうふうに見えるんだーと興味深々。いざ見てみると…一回目、ほとんど何も見えない。えーっ↓↓↓かすかにちょろちょろと動いてるかなーって程度。でもこのときは、随分時間が経ってしまった後だったせいも?しかし少し操作に慣れた二回目!見えましたじゃっくりと!めちゃくちゃ泳いでました。100倍でも粒々状の精子クンたちが見えました。600倍だと尻尾もちゃんと見えました。人体ってすごいなあ。めちゃくちゃ感動。男性はこんな生き物を毎回放出するようになっているとは。プレパラートを洗うのがちょっと申し訳ないほどに思ってしまいました。よぉし、来周期こそは!こちらの体調も整えて準備万端でいざ!
Oct 11, 2008
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早撮りで、撮ってきます。娘も、お着物で一人で撮るんだよーってはりきってます。去年の家族写真では、私の横に立って撮るのも嫌がって抱っこするの~って泣いたのにね。子どもの成長って早いですね。さて、一人バージョンと家族写真を撮りますが娘と私は着物、この場合、父親はスーツのほうが無難でしょうか。和装が似合う人なので、着てもらおうかと思ってましたが、コスプレみたいになってもいけないしとかいう気持ちもあって。年賀状にも使うし。やっぱヘンかしら。
Sep 17, 2008
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幼稚園選びで頭がいっぱいの今日この頃。同じように悩みまくりのママたちと、児童館でおはなしした中でやっぱり思ったこと(今日は久々声が枯れた(汗)幼稚園は何故並ばせるんだ?って話。イヤ、願書提出の数日前からたいていの園の入り口に並ぶんですよねこのへんは。人気のある園は、逆にそれをステータスにしてるような…?だってさあ、本当に保育方針に自信があれば、並ぶことから他に切り替えるくらいのことはできるはずでただただ園の現状維持をねらってだけのこのシステムじゃないのかい?と疑問。市内近郊でも並ばない園は、私が知ってるのは4園くらいしかない。一つは園に近い順に取る。もう一つは抽選。他の二つは面接によって合否を決める。ある並ぶ園の園長先生は「希望してくれた子すべてを入園させたいのだ」とか言ってるらしい。でも数年も前から並ぶことを黙視している限り、建前としか思えないじゃないの。っていうか、「面接で選抜する園」となったら、もしかしたら敬遠されるかもしれない。そのへんは園としてもおそれちゃうだろうなあ。何より、何を基準に選ぶのかはっきりしてないと、そんなことできっこない。ウチはどんな園で、どんな子を取りたいかとか、もしそんなところでなくても、保護者がどういう理由で入園を希望してるのか、きっちり知ったらいいじゃん?とか思う。固いかなー。無論、どんなにその園に入りたいか、を量るものさしが、「数日前から願書提出のために並ぶ」という行動にあらわれるということになるってことか。でもなあ。それなりの意識をもって子どもを預かってるなら、園の意思を示してもいいのに。来る者拒まずで、定員の60人増もとっちゃって、園庭にプレハブを建ててそこに押し込めちゃった園も、やっぱり行列のできる園、月謝も高かったりするのにねなんて話を聞くとマジこの園のどんな部分にひきつけるものがあるんだろう?とか思う。あーそういえば、見学に行ったとき、先生方みなさんの挨拶なんかが某テーマパークのキャストさんみたいだったなあ。ああいうのに魅かれるのかなあ。とかね。「面接や抽選で落とすなんて、子どもがかわいそう」とかいう声もあるかもしれないけど、それこそ幼稚園で何が決まるわけでもないし、他の幼稚園に入ったって子どもに何か支障があるわけでなし縁がなかったと諦めることも教えようってもんだ。もちろん親の都合で高月謝やら全日弁当とか、そうなったらそれはそれはキツイだろうけど、園バスとか最低限アシさえ確保できてればねえ、それこそそういうのを選ぶのも親の都合、だいたいどの園でも子どもは自分のキャラを使いながら楽しく遊べるもんでしょう。親の熱意を数日前から並ぶという点だけで量ろうなんて、幼稚園とはいえ教育機関なのに。なんとかなりませんかねえ。と、ボヤく暇もなく、日々は過ぎる…今のところの第一希望の園は、定員が少なく、それこそ毎年数日前から行列ができるらしい。近くに大規模園があり、そっちのほうが月謝は安くてそれはそれで人気園だけども。今年はどうなることやらまったく検討もつかないらしい。希望の園に入れればいいんだけど。並んででもその園を希望するかどうか、「並ぶなんて、絶対にありえん!」と思っていた従前の自分との葛藤中なのでありました。それこそ娘はどこでも楽しく過ごせると思います。ひとえに親の希望なんですけど。うーん、今日お話して、みんな悩んでるんだなーと思ったら、逆にまた、悩みが深くなったような。
Sep 16, 2008
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思えば年始のころ娘に怪我をさせてしまい、ふたりめに向けた気持ちが完全に萎えきってました。自分には育児なんて無理なんじゃないのかとかなんとか、しつこく思い続けていて(正直今でもそんな気持ちがまったくないわけではないんだけど)クヨクヨしてても時間ばかりがたってしまう。あーんど、娘のためだんなさんのためそして自分のためにも、二人目を決意しました。この秋、次周期から年末までの間に必ず妊娠するっ!と例によってイメトレから開始。そんなこんなで今周期までは避妊してましたもので。しかし母体作りは着々とやってきたつもりなので(とは言ってもサプリやら漢方やらなんですけど)加齢に負けずに短期集中だっ。ただねぇ。排卵まで3週間かかるのね。タマゴちゃん的にはどうなんでしょ。高温期も3週間ほど続くし。どうしてなんだい自分の体よ。でも、いまここでそれについてあーだこーだ言ってられないし、何よりしっかり妊娠して元気なベビちゃんが生まれたらそれがすべて。なのでとりあえず病院は行かないことにして自分を信じてみることに。季節も涼しくなってきました。幼稚園選びの程よい緊張感も味方にしつつ、マジがんばる☆
Sep 13, 2008
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ウチの近所に園バスが来ている幼稚園の内訳。ちなみにすべて私立。月謝と給食費とバス代でア.2万5千円前後の園が4園。イ.3万8千円前後の園が3園。ウ.4万円超の園が1園。アは、昔ながらの保育方針、遊び中心のいわゆるのびのび系。イは、とにかく経験値を上げようという保育方針、行事頻繁のびのび系。ウは、いわゆる一貫校、お勉強費に月々1万円以上かけるが、それより何より施設費が入園時に数十万。さらにアについてはひたすら遊ばせる、細かいことにこだわりませんと豪語する1学年2クラスのお寺園最近1学年5クラスまで増員した、木々の生い茂った環境の団体行動重視園あまりに特色のない、なのに数日前から願書提出の列ができる1学年2クラスのゆるゆる園ベテラン先生ばかり、給食なくて親の出番の多い絵本中心のインドア園イについては先生のオーラが輝くが、園庭が狭く遊具も安全でない1学年3クラスの体育会系先生ばかり園園外行事が多く、1学年3クラスで先生&生き物とも濃密に触れ合う習い事重視園大学付属、1学年5クラスで裸足保育&園庭の広い、かなり遠方まで送迎する老朽園ウについては、書類審査・素行の受験があり、でも大学もなく高校は進学校でもないお金持ち園さて私はどれを最終的に選ぶのでしょうか。数個について、シュミレーションを頻繁にしてしまうため日々コロコロ変わりますが少しずつ絞れてきました。
Sep 12, 2008
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いや、その…マンガやドラマで描かれる園長先生のイメージしかなかったなあと反省?っていうか、ちょっと振り出しに戻ってみた。今日見学会に行った園の園長先生。年齢は50代前半って感じの化粧っ化のない女性、そっくりな人がどこかのレジにいたような。とか思っていたらいやあ、威圧的というか紋切り型というか、「ですからっ、それも願書を見てからですよっ」「こちらの答えられる質問ではないですよっ」フリー質問タイムに、何回か言い放たれてました。そうですね。そうなんですけどね。確かに若干、そんなしょーもなー質問をしてはとは思ったりもしましたけどね。でもこの時期、園選びの親はセンシティブになっている場合が多く(評論家の受け売りだけど(笑)普段なさってるであろう、ちっちゃな子を叱るような態度はいかがなものかと。ちなみに電話問い合わせ時の若い先生は、ものすごく丁寧でした。電話対応はその組織の顔である、幼稚園だって同じだ!とか(これも評論家の受け売り(笑)モノの本に必ず書いていましたけども、でも、実際もっといろいろなものをふまえて選ぶ必要があるなあと思ったのでした。とりわけ園長のキャラって、園全体の空気に影響するかも。でもそれだって、1時間やそこらの接触で見極められる人なんていないかも。よーするに、あとは運?でしょうか?相性のいい先生が担任になるかどうかも。いやいや、せめて「縁」なんだよね、というふうに思っておこうと思います。
Sep 12, 2008
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幼稚園選び始動。でもちょーっと気になったこと。問い合わせ時の電話対応のマズさ。みなさんどれだけ参考にしてました?他の園はステキな対応・普通の対応、いろいろありましたけど嫌悪感(緊張感)を感じる対応ってのは始めてでした。もっとも第一希望は決めかねているので、どーしても入りたいというわけでもなし。まてよ、そんなことにとらわれてはダメ?でも電話対応は園全体の雰囲気が伝わるものだから、ウエイト大きいよという説もあるし。運動会と説明会で見極めるとするか。
Sep 11, 2008
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1歳の誕生日にプレゼントした本ですが、最近自分で読み始めました。自分で読む、というかなんというか、われわれ親によみきかせしてくれます正座して絵を向けて、表紙から一字一句忠実にときどきつぎのページの文章をフライングしつつも視線はこちらを見ていてなかなかの素話モード。おまけにうずらちゃんたちが隠れるページでは「さてどこにいるでしょう?」としっかり親のまねをして、ここ、と言うと「どうかなー?」とこれもまた親のまね。裏表紙をじっくり見せてから、おしまいっ!と言うところも親のまね。なかなか楽しい時間です。
Jul 5, 2008
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多分生まれて初めて周期10日程で排卵。今までは1ヶ月間低温期ということもザラでしたが、今朝から体温上がってきました。このまま行けば、30日未満での次回生理ということになるんでしょうか。多分マカが効いてるんでしょう!すごいねー、別のメーカーの時はそれほど効果を感じなかったのにあと、飲み始めの3ヶ月くらいはぜんぜん整わなかったのに実はこんなに効くものだったとは。それと気持ち面に絶大な効果。快適に暮らしてます。セロトニン関係に影響してんのかしら。でも10日目の排卵ってかなり早すぎ。実はハーブも併用していて、そっちと共同して卵胞の成熟を促進してしまったのでしょうか。次回はまた自分に合うように調整してみようっでも早い排卵って老化現象と聞いたこともあり、実はいくらかビビっていたり…今回はこんなのはじめてで、思い当たるフシもあるからいいとして、あまり続くようなら迷わず医者に行こう。実はちょっと怖かったりするー。
Jun 23, 2008
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ひたすら屋台という構成の絵本です。字が無いので、どんなふうにも読めます。大人と読むなら話者のお好みのままに。もちろん絵だけを楽しむのもアリです。大人にとってはある種ノスタルジックな絵柄。うちはだんなさんの弾丸トークで娘が引き込まれここんとこずっと歯ブラシ時に大活躍です。夢中になれるようです。
Jun 23, 2008
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鼻水だけで始まった鼻かぜ、そのうち治るだろうとそのままにして1週間。一日中ハードに遊んだ日、フロアのエアコンも寒めだったこともあってその夜、咳が出てきてしまい。ちょうどその日、念のためと小児科で薬をもらって飲み始めて3日目、そんなに変わらない感じがするなあ。ほんとに効いてるのかしら。咳もかわいそうだけど、鼻水が続くと耳にも良くないとかいうし。熱も出ないし、こちらも軽くみてしまう傾向があって、できれば抗生剤なんか無しで治ってもらいたい気持ちもあって。でも今後は早めに手を打つべし!と思いました。民間療法的な治し方も調べてみよう。
Jun 23, 2008
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児童館で遊んでいたときのこと。0歳1歳が多い中、しばらくしてやっと来た2歳の女の子。遊べるかなーと近づいた娘。最初はボールプールでそれなりにママたちとも遊んでいたけど場所を移していつものようにいっしょに楽しく遊ぶのかと思ったら電車のダンボールは取られるわ持っていた本は取られるわ手をつなげば振り払われるわうーん、それでいいのか?特に抵抗もせず不機嫌になるでもなく離れるでもなく困ったなあという表情で相手に合わせてなされるがままの娘よ。確かにねえ、いちいち嫌だわーと思っていたら遊べないもんね。オトナだよアナタは。でも受身一辺倒も芸がないと思うぞ。常々言ってるんだけどなあ、嫌ならいやだよって言うのよって。横取りされたら、まだ遊んでたのにっていいなよって。通じなくても言葉にしなくちゃ。相手に合わせるだけがコミュニケーションじゃあないぞ。今からことなかれ主義でどおするっ。自分の気持ちを伝えようとすることにも慣れていって欲しいものだ。けして相手より強い子になって自己主張のとおりを勝ち取れと言うつもりはない、力で押してくる相手には、それ相応の意思表示が必要だということだ。って、そんな大げさな?2歳にそれが可能とは思えないってとこもあるし相手だってそんなオトナの考えるような意図など持ってるわけではないし。でも何事も練習しといてソンはないはず。やっぱりがんばれっと思っていたら、児童館のスタッフの方に「やられてもやられてもついていくのねー、がまんできるのねーどうやったら仲良く遊べるか考えてるのかもねー」と声をかけられ。うーん、はたして褒め言葉だったのかどうか?と懐疑的になってしまったのは他人の目からもやられてるように映ってたんだなーと最初に思ってしまいちょっとしょんぼり…コレってやっぱ元来の性格かしらと思ったひとときであった…でもまだまだ人間関係の修行もはじまったばかりだっこれからどんな風に形作られていくんでしょ。今日もこれから児童館。果敢にチャレンジだっ
Jun 20, 2008
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おなかいっぱい食べないことを始めて数日しか経ってないけど、調子がいい。先週の吐き気などの消化器症状の不調から、食べるのをセーブしはじめてとにかく少しずつ少しずつ食べるようにして胃腸を休めてみたら体内に穏やかさが漂いはじめたような。胃に語りかけたりしてね、「量もこんなもんでいいよね?」とか何とか。必要カロリーがどうのとかいう話はおいといて、もう少し続けてみよう!でも調子がいいのは体調のほうで、気分のほうは必ずしも同調しないみたい。昨日はなかなか眠れなかった。まさか空腹すぎたせい?絶食してるわけでもないし普通の食事だし、慣れるまではこんなもんかしら。それと、どーにもテンションが上がらない感じ。寝不足のせい?この胃腸具合で気持ちがはじけることができたらホンモノかも…子どもが小さいと、お年寄りのような境地で生活するのはなかなか難しいところ。テンションあげずに済む日なんてほとんどないし?ぎゃーぎゃーさわぐのに応戦しなくちゃいけないし?やって欲しくないことはフツーにやるし?空腹の時間って健康には大事というが、おなか減ってるところにイライラさせられたら怒り倍増は必至だわ。痛し痒し。さてはておとしどころはどのへんだろう?
Jun 11, 2008
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近すぎていきそびれていた動物園。市営のちいさな園なので、象とかキリンとかはいないけど、レッサーパンダが特にかわいかったそれと、小動物を触れるコーナーがあって、某巨大動物園と違ってすぐ入れたのも良かったです。あそこでは順番待ち数時間だったか整理券おしまいだったかで入れずかなりがっかりしたものです思えば小動物とのふれあいといえば、静岡の動物園でも移動時間がせまってるのに、休憩中です~とか張り紙があってふれあえなかったしなんとなく体験しそびれ連続で。いきもののぬくもり、ちっちゃな子にも触っていのちを感じて欲しいもんです。動物はストレスですけどもね。今日行った動物園では時間を区切って動物ごとに交代制にしているようでした。娘は案外上手に小動物を抱っこしてました。もっと怖がるかとおもったけど。ブタやヤギやヒツジたちもそのへんを歩き回っていて、一緒におさんぽ~とか言ってついてまわる娘よ…麦藁帽子をかぶってヤギに伴走する姿は、さながらヤギ飼いのようでしたよ。年間パスポートも買ったことだし、今後も気軽に行ってみよう。うまれたばかりのあかちゃんたちの成長振りも気になるところ。やっぱいきものっていいなあ
Jun 7, 2008
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高温期の真ん中あたりに吐き気。つわりみたいな症状。トシのせいで黄体が減ってきてると思ってたけどそうでもないのかな、どっちにしてもホルモンバランスはよろしくないにちがいなのだけど(涙それと、風邪。高確率で引いてしまいます。抵抗力が下がるのは昔から。サプリでホルモン活動が活発になるよう整えてきたつもりがうーんいたしかゆし。もともと不順なので、今期は卵胞の発育促進にいいとかで飲んだサプリですがこれがまたよく効いたみたいで、逆に過剰な黄体分泌ってとこかしら。こういうPMSには何が効くんだろう?つわり用の漢方でも探してみようかな。とほほ。
Jun 4, 2008
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匿名度が高いBBSだと、ホントえげつないこと書く人っているけど、一例をあげると、某巨大掲示板よりは発言○町なんかのほうが数十倍読んでてムカついたなあ。なんつーか、善人ぶるから。前者はそれなりのローカルルールがあって(いわゆる「空気嫁」みたいな)あえてその世界に踏み込もうとは思わないんだけど、後者だと案外入り込みやすくて、イラつきながらもハマってしまう。完全に匿名のステハンだと、どんな人間にもなれるって感じなのでしょうか、極限まで現実世界とかけはなれたところで、言葉のやりとりが続いたりして、相手を目の前にしたらそんな言葉、吐けないだろうって感じの、でも「匿名だから、包み隠さず本音が言えるんです」か何か言って開き直ったりして、最低限の社交マナーっていうか、人として下品になるのも自由な本音ですか?そこに価値あります?とか思ったりしたなあ。文字しか情報がないもんだから、キツい表現は意味に拍車がかかるし、ホント、よーするに掲示板遊びって不毛に傾くことが多いなあって、しばらくたってから気が付くわけなんだけど。でも、最低限、目の前にいる人に対してもその言葉が吐けるのかって点だけ気にしたら、もうそれだけで選ぶ言葉も変わるはず。方向は違うかもしれないけど、最近も見てしまいまして。「こういう投稿を読んで傷つきました、皆さんどう思いますか」的な悲壮感漂う投稿。「ネガティブでごめんなさい」かなんか、ご丁寧にエクスキューズしてたりなんかして。目の毒になっちゃって、その感情を持て余しちゃって、誰でもいいから「そうだよね」と共感して欲しくて書いちゃうんだろうけど要するに、書いたことで、自分と同様に傷つく人を増やしてしまってるだけなのではないかなあと。読んだ人に、自分と同じイヤな感情を持たせることになるんですよ、気が咎めませんか?いや、まあ、それこそスルーすればいいだけの話なんだけど、結構レスがあって、みんなで傷ついてたりするから気の毒で。でもね、アレだ、精神世界では、現実以上に類友システムが作動しがちなんだそうだよ。げ~っ!何それ~!私は深く傷ついた…と思うような沈み込んだ感情に引きずられてそのイヤな文章に渦巻くどろどろしたもの?に巻き込まれたらどうします?傷つけた文章をじっくり考えてやる必要などないんですよ、味わっている場合ではないんですよ、むしろ即刻、一生懸命離れるべき!自分とは関係ない世界の話、と処分すべきだ!…と、レスしようかと思ってやめました。相手の感情を救えるかなんて分からないので、わざわざ関係を持たないに越したことはない。匿名同士でもね。たとえ文章だけであってもね。コレって非情かしら。世の中、いいことばかりではないけど、少なくとも嫌に思うことをいつまでも溜め込んでおくのって損。それってしがちだけど。にしてもあの方たち大丈夫かなあ…自分に直接言われたのではなくても、目に触れた文章でひそかに傷ついてしまえるのも、ネット社会の特徴なんだなあ。ホント、用心せねばね。
Jun 3, 2008
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パンツにすると、とにかく外出時がハラハラなんですよねー。グズグズとしたテキトーなおむつはずしをしているのですべて中途半端になってしまっていて。おしっこ告知は半々ぐらいで(でもちょっとチビっていることが多い)トイレでしてきてーと言うと、パンツ脱ぐのも補助便座設置して後片付けも自分でできる程、(最初から型から入る子でした(笑)でも1時間も間隔が空かないことも多く。何故。前回に出きっていなかったのかなあ?よくわからんのです。まだ時期じゃないってことはないでしょうけども…廊下なんかへのおもらしも今までに数回あったけど、別に気になんないほうだけど、うんちをおむつにされると、腹が立って腹が立って。こんなに短気でごめんよー。おむつとぱんつ、行ったり来たりしないで思い切って「今後はすべてトイレでしようね!」とするのがおむつはずしというもんなのでしょうね…外出時はどうしてるんでしょう。車や電車での移動中やショッピングの最中に失敗したりとか、誰もが通る道で、おっかなびっくり回避しようと、するとだらだらしてしまうだけなのかしら…?
Jun 3, 2008
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最近読んだ本の中に、現実と意識との相互関係について書いてある箇所があった。互いに影響しあっているんだって。ってか、この物質界は心で思ったことが現実に起きているに過ぎないと。だからあまりに後ろ向きな思いが潜在意識にあると、容赦なくどんどんその通りの現実になる…起こったことに心が囚われていると、そのとおりの現実が引き寄せられる…そんなオカルティックな、と思いつつも、過去思い当たるフシはいくつもあって、娘にやけどを負わせてしまったことについても、強烈に自己嫌悪の気持ちと、ごめんねごめんねと思い続けたらほんの数日後、ごめんねといわなくちゃいけない怪我が起きてしまい(大事には至らなかったけど)悪いことは重なるとか、そんな言葉も思い出したが、まさか自分が引き寄せた結果だったら…!?最近考え方を変えて、傷跡などぜーったい完全に良くなるよ!もとどおりになるよ!と思っていたら本当にそうなってきたし。気のせい?感じ方が変わっただけ?どっちでもいい、傷が治れば。とにかくそれが願いだもの。そんな気持ち。さらに親子の想念は密接で、関係が深いとか。だとしたら、ごめんね大丈夫かなもしかして跡がのこったり、なんて思い続けるのはかなり危険だ。そうなってほしいと暗示を送り続けているようなものだから。知らずに真逆の願い?を繰り返していたとしたら、なんと怖いことか。願いを表面だけのものにせず、なおかつ自分も他人も幸せにというコンセプトも必要だそうだ。あと、潜在意識に「そうは言っても本当はそんなの無理だ」と思っていると実現しにくいというのもなんだか頷ける。私自身、はじめからヘンに諦めてしまう思考回路があることにも気付かされる。そのへんからの意識体質改善をしていこうと思う。ありえない・ウソだろうと思うのはたやすいけど、試してみる価値がある。それから判断しても遅くない。さて、未来に何を願おうかなー。どんなイメージを持とうかなー。未来を作ってるのは自分自身、そう思うと、潜在意識の体力づくりも楽しくなってくる。
Jun 2, 2008
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先月、ほぼ毎週バイキング行ってました…コレはやっぱりマズイでしょう!毎回たらふく食べて、帰宅後自己嫌悪、でも寝る前ににはそこそこおなかすいてたりするしありえん胃がデカくなってしまったのかなあちまたでは断食ダイエットとかあるとか。プチ断食なんてやつ。減量というよりむしろ美容と健康づくりにいいんだそうです。あとは風邪など引いたら何も食べずに胃腸を休ませた方が治りが早いだとか(それでも私は風邪は食べて治す派)消化にかかるエネルギーって、カロリー換算とは別なところで消耗の元なのかも。普段から、やっぱり食べすぎはいいことないよねとは思ってたけど、何かダイエットふうなこと始めるにもきっかけがなかったのねー、とか思ってたら今日届いた通販に低カロリー食品の広告が。なんでもカロリーオフできる白米などもあるというから驚きだー。週1くらいなら続けられるかなあ。レトルトの利用でまんま手抜き料理だなー、でも健康を考えたうえでのダイエットなのだっ!という建て前で(ちょっとくるしいかもさっそく始めてみまーす。お金もかかるけどねー、おいしいといいなー。なにより成果はどうなんだろう、ゆる~くやってもきちんとあらわれるのかなー。
Jun 1, 2008
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市役所主催の幼児教室に参加してます。来春入園を予定している2~3歳児とその親を対象に子どもにとっては母子分離の練習、親にとっては仲間作りと育児知識の講話タイムということで毎週通ってますが、娘も相変わらずソツなくその時間を過ごしてる様子。しかしまあ母子分離の練習、と言ってもですね、その点に関しては練習などもともといらない子でして、常日頃の児童館でも、お友達との遊びがノリノリになってくると「あっち行っててっ」とハハの私に非関与を指示するほどで寂しさこの上ないのですが、そーいや私自身もそういうタイプでした、ハイ。でも来ている総勢30名程の子どもたちのうち、10名弱はママとの別れ際泣いてて娘よりも月齢も大きい子でもホント気の毒なくらいに泣き叫び「この講座、やめたほうがいいのかしら」と、女の子ママ。そーいや保育園などでは同じ場面でも保育士さんが「もう時間だからっ」とどんなに泣いても無造作に引き離すわけですね、年度始めの保育園ではよく見られる光景でそりゃそうです、ママはオシゴトがあるのですから。ワーワー泣くからといってそんなこと理由に仕事を休むわけにはいきません。でも今回は、やめる気になればやめられる講座ですから、ママの気持ちも揺れ動くのですね、何も今、無理して分離しなくてもいいというわけで。うーん来週は来るかしら。終了時にはその子もケロっとしていたけども。そしてなぜか、追い討ちをかけるような講義があり、「この時期になっても分離ができないということはですね、心が不安定な子が、ママしか信じられる人がいないと思ってしまうから泣くのです」とか何とか。そりゃないでしょう。たまたまその状況が嫌いなだけですぐ「心が不安定」だなんて。気の小さい私などはドキッとしてしまったですよ。ウチだって娘はいまだに一人では寝ません。だんなさんでもダメ。最近でこそ20分くらいで寝入るようになったけど、昼寝しすぎた日など2時間もボーッとつき合わされこれもまた心が不安定でママしか信じられる人がいないからなんでしょーか。なんだか失礼な講師だなー、環境以上にその子の気質もあるとかゆーふうには考えられんのかね。どこか母親を責めるかのような口ぶりが違和感、てか、始めから個人的に気にくわない(おっと失礼!)講師でした。話の中にもそこかしこにそれってどうよ?的フレーズが出てきます。元気になるどころか、説教じみてて結論がなく、何故こんなおばちゃんが講師に?!でも受講し始めたからには最後まで通ってみよう。おばちゃんのお話はあと2回くらいあるようですが、他にもいろいろな回があるようだしそっちに期待しよう。何より娘が楽しそうにしているので、わざわざやめるものでもないし。話の内容以外でも何かしらの得るところがあれば、ヨシとしよう。
May 27, 2008
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いよいよ今秋、どの園かを選ばなきゃならんわけで。ポイントは何でしょう。ウチのマンションにも数台の園バスは来ていて。いや迷う迷う。プレやら親子講座など開催してる園に参加がてら、いくつかの園を訪問して思ったのは「大所帯」と「こじんまり」の区分。実際の保育現場を見たわけではないから、なんというか、ただの印象なんだけども。いくつか見てみて気になったのは数百人ナリの大人数の子どもたち相手に、きめこまやかに目が届く保育というのはありえるもんかなという点。そりゃ受け持ち人数は決まってるわけだけど、当然クラスの子だけで遊ぶわけでもないだろうしもちろん大人数だからといって、おおざっぱな保育ではないだろうけど?1学年、5クラスの園と1クラスの園を見て、そのへんどうなんだろうと思ったのであった。1クラスの園にて、年長さんが数人でグループになって、プレの子と遊んだり手をつないであげたり先生の言葉がよく届いててコミュニケートがのんびり密で、感心してしまった。でももちろん大人数でのメリットあるはず。園庭は広々してるし、楽しそうな行事も賑やかに行われ、先生の数も多くていろんな大人に接することができて。でもなんというか、集団が大きいと、良くも悪くも全体の中のひとり。主張しない目立たない子の扱いは、そのまま埋もれちゃったりしないんだろうか?かつて、娘1歳の春あたり、お砂場などで3歳のママたちがお話して賑わってる中で知ったのは園の特色からお勉強系とのびのび系に区分されるでしょー、うちは絶対のびのび系だわー、なんて会話。そういうもんかなと思っていたが、実際のところ今の段階ではなーんもわからなかったなあ。説明会に参加して、教育方針をイメージしてみるしかないのしら。例えば物理的な問題、家から近いかとか給食が週の半分以上あるかとか園バスが近くまでくるかとか延長保育があるかとか親の出番はどうだとか、そういった親の都合で選んだとしても、そのうち順応するもんでないの?子どもってそのへん、子どもならではのパワーがあるよね!とか思う。一方、「ウチの子、人見知りするから、こまかく面倒みてくれる園のほうがいいのですがどこがいいでしょうか」なんていう相談も、地域のママさん掲示板では見られたり。親はあれこれと心配するもんだなあ。ええ、まだ春だというのにさてどこが合ってるかしら~と選びはじめている人間もいるくらいですから(笑あとは、後にも先にも先生の質だってさ。先輩ママは声を大にして言ってたなあ。でも、いい園だと思っても、こちらが園にイメージした通りの先生にあたるかはわからない。どんな先生でも、縁と思ってお任せするけどねーとの意見も先輩ママ。後者のほうが大らかで好きだわー。もちろんあまりにおかしな先生(てか合わない先生)だと、園生活の楽しさにも響きそうだけど。だいたいねー、願書提出の数日も前から門に並んだぐらいにして、親族総動員したり並ぶバイトさん雇ったりですねー、そこまでしてその園に入れたいと思うもんなんでしょうか!幼稚園がナンボのもんじゃあ!と思ってたけど、親の時代にもそういったエピソードが既にあったそうだ。親はというと、引越しと重なり、結構苦労して幼稚園に入れてもらえることになったそうだ。親心はありがたいもんだなあ。でも、私は並ばなくても入れる園にしたいです。マジで。園選びはまだまだ始まったばかりだけどね。絶対、両思いの園に入園するぞ~☆
May 25, 2008
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昨日行った保育園もリトミックでした。外部から専門の講師をお招きして~とかいう話で近隣の親子への子育て支援なんだそうです。ぜんぜん近隣じゃあないんだけど、HPで見つけたので参加してきました。月2でいろいろな内容で開催してるということで(基本はモンテッソーリらしい)次回の予約もしてきました☆ちなみにこちらは無料講座。月の三分の一くらいはリトミック関連でおでかけしてます。音楽に合わせて踊る踊る&歌った歌は即リピートしてるし親の運動のためにも素敵なひとときです。児童館での自由遊びもいいんだけど、設定モノの楽しさを感じ始めているようでなんと言っても来年は幼稚園だしね、ここぞとばかりに今のうち一緒におでかけの日々です。これがまた、たのしーの。おべんと持って帰りは公園などでお昼。月謝制のお教室は避けて、随時申し込みの集まりに参加してます。遠くの市にも出向き、3駅とか先でもちょっとした旅気分。1回数百円とかで、お財布にも優しい!めちゃくちゃ調べたけどねー、その労力もまたよし。さて今日は幼稚園の公開講座&親子体操。今週は始めての場所が3箇所も!楽しいといいなあ~行って来まあす。
May 22, 2008
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しつこいぐらいに心の痛みがジクジクしていた数ヶ月、気が付くと季節は春から夏へ向かって着実に移り変わり…娘の傷はというと、まだ広い範囲で白く抜けた感じで痛々しいのは正直言って変わらない、でも!気をつけて見なければ分からないほど、治っています!あとは今後も本人の回復力に任せるしかないんだなとあきれるほど長期間かけて、やっと一歩前に進めるハハなのでした。今日…救急車がマンション前に止まって。ちょうど、うちらが帰ってきて駐車場に入ったとき到着して。あの時のことをまた思い出してしまいました。あの時も、この場所に救急車が来て、隊員が数名降りてきて、やっぱり病院の確保に数分停車して、それから発車した。ちょうどうちの棟の、2階のおうちに隊員は入っていって誰が具合悪いんだろうね、早く良くなるといいね、などとだんなさんと話ながら帰宅したけど、あの時の極度の緊張と身の置き場のない焦燥感、取り返しの付かないことをしてしまったという思い、叫びたいほどのパニック。車が動きだす数分が、何時間にも感じられた。でも、過去なんだ。今も継続して起こっている失敗ではないんだ。そして絶対絶対、取り返しの付かない出来事ではなかったんだ。私のしてしまったことは失敗だったけど、けして小さいものではなかったけど、それでも娘は傷が回復するという事実で完全に過去を払拭する機会をくれている。私が自分ひとりで最後まで処理し償わなくてはならない失敗、しばらくの期間、そう思っていたけれど、それは逆に思い上がりで「その先」は、手放したらいい、誠心誠意、自分のできることをし尽くしたあとは。こんなふうにして娘はずっと私を助けてくれていた。確実に治ってきてくれてありがとう。生きてるといろんなことがあるんだけど、ほんとうにいろいろ大切なものを知り得た出来事でした。自分自身の中身も成長したと信じよう。だけど痛みも失敗も、やっぱり怖いよ。自分の成長のために誰かに痛みを引き受けてもらうなんて絶対絶対イヤだよ。完全に、引き裂かれるような思いでいるのに、実際自分が引き裂かれることができないなんて、どれだけ辛いことかと思い知った、そんな気持ちも味わった。今はただ、こうして昇華しつつあることに静かに感謝していよう。もう過去にしよう。このへんで手放そう。まだまだこの先も心配は全然尽きないんだけど、今なら1年後を期待することができる。完全に治っている、その未来は絶対に事実だ。
May 17, 2008
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娘の傷の状態も一段落して、気が抜けたのか、逆にあの時のことを思い出すことが多くなってきた。特に、キッチンでシャワー状の流水に触れるとき。手に触れると、当然ながらものすごく冷たい。5秒も当て続けると、頭に血がのぼる感じで、少しでも早く。手もカチカチに痛みが出てくる。この何十倍もの苦痛を、私は娘に与えてしまった。それも、受傷後の適切な処置にはならず、まったく別の部分を冷やしてしまったという意味のないどころか暴虐な行為を犯してしまった。過失でさえない。あわてずに、少しだけ注意を払えば、確実にこんな暴挙は防ぐことができた。今後もシャワー水に触れるたびに思い出し、毎回いてもたってもいられない感情を味い続けることだろう。しかし、すぐに手を引っ込めることのできる私とは違ってひたすら泣いて、加害者の私に助けてくれと訴える、あのときの娘の姿。体はどんどん冷えて、傷は痛くて、どれだけの恐怖心を持たせてしまっただろう。本当に涙が出てくる。すぐにやめろ!と叫びたくなる感覚。何ということをしてしまったのか。いつまでも私は忘れない、せめてもの償いなどと言うつもりはないけどこの痛みがやがて心の奥に引っ込んでしまうかもしれないその前に、しっかり向き合っていなければと思う。できるだけ風化させぬまま、ありありと持ち続けなくてはいけない。もしかして娘の心の中で、恐怖心が潜在意識に残って心の傷となってしまったとも考えられなくもなくそれを癒すためにも、いつかふさわしい時期が来たらしっかり話して娘なりに消化できるようにしてあげたい。その時はもう傷跡などまったくなくて、2歳時のことだからもちろん記憶にもなくてでもあえてその過去を表出させる作業は必要ではないのか。不要であればそれでもいい。わざわざどうして、嫌な感情を植えつける必要があるものかという考え方もある。しかし低体温に陥っていく恐怖、一番信頼していた親に裏切られた悲しみ、その傷は小さくはないだろう、影で情動に悪影響を与えることはないだろうか。状況を見ながら考えていくことになるだろう。心の成長をしっかり見守っていく必要がある。でもどちらにしても私はいつまでも今の痛みを忘れない。絶対に。少なくともこの件に関しては。泣き続ける。ずっと心で謝り続ける。
Feb 7, 2008
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熱湯をかぶった際に、顔にもかかっていたと思われ(日焼けのように赤くなり後日皮がポロポロむけた)眼球に何か異常はないのかずっと心配だったが傷の治りのほうにばかり気を取られて、眼科の受診はのびのびになっていた。あれから3週間が経過しているが、HPでしらべて診療内容に「小児眼科」の文字を見つけたクリニックを受診することにした。電車で3駅ほど先の隣の市。でも逆に市内の医者にかかるより交通の便がいい。駅前の雑居ビルの中で、それほど新しくもないフロアででも患者は切れることなく入ってくるし、子どもの姿も何人かあったので若干ホッとした。はじめての目の検査、あごとおでこをつけて検査機械の前に座ると特に嫌がるでもなく、操作されていたふくよかなおじさんに褒められ無事終了。しかし、ランドルト環のほうは反応せず、絵を答えることもできず測定不能。診察室に入ると、40代半ばといった感じの近所のおとうさんタイプのドクター。あららららら、やけどしちゃったの、あらー、たいへんだったねー、とかなんとか言いながら検査を開始しひどいやけどになるとねー、まぶたも黒焦げになって目とくっついちゃうんだよー、まぶしいよねー、おお、おりこうさんだー、えらいえらいとしきりにつぶやきながら検査終了。結果は角膜などに異常なし、とにかく私はその一言が聞きたかったんだと思う。受傷時にはもしかしたら炎症などを起こしていたかもしれないけどまったく問題ないからね、とのこと。遠くから来てもらって悪いんだけど、薬もないよー、と言われイヤ、それほど遠くないです、とくに薬は欲しいわけではないですし、と思ったけど逆に恐縮してだいじょうぶですーぐらいのことを言っただけ。やけどの関連は何も問題なしとのことだったが、ほかの所見としてさかさまつげのようだ、数年経てば治るはずだが、目をこすらないように注意すること、機械の検査から、いくらか近視傾向があるようだから、3歳児健診では注意すること、そちらの市の健診項目にも同じ検査があるはずだからね、とのこと。さかさまつげはともかく、近視?少なからずショックだった。パパママは近視?と聞かれ、どちらも強度近視ですと言ったら、そうですかー…とだけのお返事、どうも近視は遺伝傾向があるらしい。ほんとかなあ。ここのことろ家で遊んでばかりで、テレビ時間がどんどん長くなっていたし寝室での絵本もまずかったかなあ、そのへんも改めようと思ったりした。受診までは、たぶん大丈夫なはずだ、でも実際に検査してみないとという両方の気持ちがあってのびのびになってしまっていたが、いいドクターに診ていただいたし、安心できたし、目に関して他に気をつける点も知ることができ受診してよかったと思う。
Feb 6, 2008
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やけど後、上皮化が進んだあと薄い皮膚の部分に紫外線があたって色素沈着でシミになるのを防ぐため日焼け止めをぬるのが有効とのことで毎日せっせと塗っています。子どもの肌にも負担にならないものをと思いジョンソン&ジョンソンのベビーローションを選択。SPF15でPA+++、印象としてはSPFが小さくはないか逆にPAは強いかなと言う感じ。SPFは表皮のダメージをカバー、欲を言えばもうちょっと高いほうがいいのかな。ドクターは、物理的に覆うのがいいよと言っていたので、遮光カーテンのきれっぱしを貼ることに。肌色テープで全面固定し絆創膏ふうに作成。これなら白いのよりも比較的自然。でも、服も通すというA波は、もっと深いところに影響するとか。色素沈着回避のためにどっちを気にずべきかと聞いたら、どっちもしっかり避ける必要があるとのこと。でもどうやら幼児にPA+++は若干肌に強すぎるんだとか。とは言っても、このベビーローションは、紫外線吸収剤とか不要な添加物フリーとのことで、石鹸で落とせるという説明書きを信じて使ってみようと思います。最近「経皮毒」についての記事を読んで衝撃を受け、(以前からそれなりに知っていたし親もよく注意をする人だったもので、その感覚はあったけど最近はそれほど気にしてなかった、でも人体にこれほどの影響があったとは!)シャンプー・ボディーソープ・洗濯洗剤を最近すべて天然のものに変更していて(ミヨシ製品ばかりになった(笑)子どもの肌に毎日毎日一日中日焼け止めを塗りっぱなしというのも、ごく一部分ではあるけどどうしても気にはなる、でもとりあえず夏が終わる頃までは塗り続けることに。黒くなってしまったら取り返しがつかない。ドクターは、赤みについては絶対きれいになるといってたから、信じて塗っていこう。念のため、部屋の中で遊ぶときも塗るのを忘れずに…。貼ったり剥がしたりが苦痛のようでかわいそうだけど、慣れてもらうしかないなあ…でも、ピリピリ違和感を感じながらも「痛くないぉーっ」とこらえる姿にはほんとに申し訳なく悲しいです。毎日のことで負担をかけるけど、一緒にがんばろう!ごめんね!おねがいね!
Feb 2, 2008
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たくさんの方々の手によって、おかげさまで娘は完治に向かっています。・救急関係電話交換士 落ち着いた口調で対応して下った声が今も心に残ってます。 「冷やして下さいね」とせっかくアドバイスし始めてくださったのだから 続けて質問などすればよかったです。救急隊 迅速に急行してくださり、 だいじょうぶだよーとのんびり言ったりしながら、 こちらの心配を的確な言葉で受け止めてくださいました。・ER警備の方 救急車を誘導してくださいました。 病院の入り口で、大きく腕をふっている姿が目に焼きついています。若いドクター 救急入り口で出迎えてくださり、処置していただきました。ナース 娘の保温などいちはやく対処してくださいました。ベテランドクター 跡は残らないと思うよ、体質にも寄るけどね、と言ってくださったことが心に残っています。・形成外科ドクター うちの子もやったことがある、そうやっておおきくなるもんだよと励ましてくださいました。ナース やけどは親の責任なんだよ、もう家に危険なものはないでしょうね?と言われ、 貧血を起こし倒れてしまったのですが もっともな言葉だと思うし娘をかばおうとしてくださったのだ、と思うことにしました。 倒れた私を待合室で励ましてくださいました。・薬局薬剤師 薬の使い方を丁寧に教えてくださり、跡が残るかという質問にも丁寧に答えてくださいました。・外科ドクター 湿潤療法を採用してくださって、傷の管理をしてくださりありがとうございます。 初診時は特に、長い時間をかけて治療方針について説明してくださいました。 瑣末な質問にも、フフっと笑いながら答えてくださいました。 子どもはそうやって大きくなるもんだよと励ましていただきました。 浅黒い顔の、間違いなくシャープなイケメンドクターです。 ナース こちらのクリニックで、全部で6人のナースにお世話になりました。 最初に待合室で軽くお話したナースは(今思うと、ここからケアは始まっていた) 自分の子もやけどさせちゃったことがあってね、と言って緊張をほぐしてくださいました。 診察のあと、ベテランのナースがセルフケアについて丁寧に説明してくださいました。 うそのない笑顔と完璧なムンテラで、親の私のこともケアしてくださいました。・皮膚科 目の周りのやけど、首の後ろの表層やけどについて見ていただきました。 一度別件でかかったことはありますが、 メールでの質問にも、何度も迅速に回答していただきました。そして、湿潤治療のパイオニアの先生方。 こちらの療法を世に知らしめてくださるご活動、ありがとうございます。 メールで取り乱した質問をしてしまい申し訳ありません。 傷についての見解や治療法の疑問にも、迅速に丁寧にご回答くださいました。 なんというかあこがれの存在です。 製薬会社主催で今度講演会が開かれるとの事、問い合わせたところ素人の参加もOKとのことで 是非ご尊顔を拝したいと…楽しみにしています。
Feb 2, 2008
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「今日で終わりだよ」と言われホッとして診察の終わり、気が緩んで「先生はどちらでこの治療法を?」と不躾なのを承知でお聞きするとめんどくさがらずにまた丁寧に答えてくださった。「コレの原理としてはね、大学病院でも十分に経験してはいたことなんだよね、おなかの中がぐちゃぐちゃで大手術をした患者さんでも、消毒やめてお風呂に入ると目に見えて手術の傷が治ったりね、そんなのをいくつも経験してると消毒とか従来の方法ってマズイんじゃないかと思い始めていはいた、あとは推進されているドクターがHPを開設してたから、その方とのやりとりはあったかな」そんな内容だった。推進されているドクターというのはやはり夏井先生のことでしょうか…。「そのうちね、傷は乾かさない消毒しないってのはあたりまえの処置になると思うよ」とおっしゃっていたがいつになるやら、この国の医療界全体をあげての「白い巨塔」構造はそうそう簡単には崩れないのではないかと思ってしまいます。だってヘンな話、悪性腫瘍とか心臓外科あたりなら、10年前に発表された医療技術だってけっして「最新」ではないんじゃないかな、ましてやずいぶん前に海外ではスタンダードになっている治療法がこうまで定着を見ないのって一体。何か故意にブレーキがかかってないと無理でしょう。「傷を消毒するってのはね、まったく意味がない」外科医特有の?ばっさりと切り捨てる口調。「それどころか単に傷口を悪化させるだけ、ガーゼだって同じ、古いっていうかやっちゃダメなんだよ、明らかなんだよ、そんなの治療でも何でもないから」いやもっと厳しい口調だったと思う。ああ、もっとお聞きしたいことはあったんだけどなあ……大学でも医局でも、ドクターがこの治療法に触れることはないわけですよね、スタンダードになるためにはやはりドクターが個人的にとかいわゆるクチコミ的にあるいは先生のようにご自分で気付かれるとかの道に限られるんですよね、医学生が知るためには教授が納得してないとありえないわけだし、そもそも創傷治療自体がろくに授業に入ってないとか、それって本当ですか?とにかく早く当たり前の治療法になって欲しいです……ぐらいのことはお聞きしたかったなあ。さらにどんなおはなしをいただけたか、もったいなかったなあ。せっかくの機会だったのに。じゃ、そういうことでね、とカルテを閉じながら「ああ、またなんかあったら聞きに来て」そ、それって湿潤療法について、ドクターの見解は?というご質問でもいいですか?とちらっと思いながら診察室をあとにした。お世話になりました、先生もハードスケジュールの中、お体を大切にどうぞこれからも、先生を待っている患者たちのためにお骨折りいただけますように。
Feb 1, 2008
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今日、外科で「治療終わりね。」との診断。先生、ありがとう。日本ではまだ数パーセントのドクターしか認知してない湿潤療法を採用してくださって。大げさかもしれないけど、なんというか、親子ともども救われました。ナースのみなさんにもありがとう。ホームケアのこと、精神的なケア、いろいろな面で何人もの方々にお世話になりました。今日はお会いできなかった方も多く、きちんとお礼もいえなくてすみません。受傷から2週間、辛かったりホッとしたり泣き呻いたりこれで助かったと思ったり感情の起伏のアップダウンの日々。親の不注意でやけどを負わせ、しかも処置の間違いのせいで傷を悪化させそのこと自体どれほど悔やんでも悔やみきれないことでほんとうに言葉で言い表せないような心を切り刻まれる思いをしたがでも一方で、精神面を含めたくさんの「新しいこと」を得た日々だった。そして、湿潤療法をはじめ「それまで知らなかった本当のこと」を知る日々だった。でもまだ周囲の皮膚より白っぽく、まだらな部分もあってこれから数ヶ月、紫外線に注意しながらきっちり治るのを見守る日々が残っている。「小さい子だからずっと外遊びをさせないわけにもいかないと思うし、帽子をかぶったり日焼け止めをぬるなりして、外にも出してあげてね」と言われたが、前回の「ドクターの奥さん?」と直感したナースとお話した時の内容と同じ。あ、やっぱりそうだったのかな?てか、診察はしてなかったからナースだと思ったけど、実はドクターなのかな?他のナースと違って、患部にワセリンの塗布もしていたし?まあ、どっちでもいいや。また一つの山を越えた。娘にも、がんばってくれてありがとうと言いたい。どんなにか辛い思いをさせてしまったか、特にお風呂場で、傷にベッタリ張り付いたガーゼをはがした時の激痛は、しっかり記憶にのこってしまったのだろう、今でも父親とお風呂に入るのを全身で嫌がる。あんなに大好きだったのにね。毎日楽しみにしてたのにね。でも、そんな心の傷だって少しずつ癒えてくると信じるよ、私ももちろんできる限りのことをするからね、今後も一緒に完治までがんばろうね。
Feb 1, 2008
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今日は皮膚科を受診、やけどとは別件の診察で先週「来週また来てね」と言われて受診したのだが当然のようにやけどの傷の話にもなって。はじめみていただけるのはありがたいと思ったけど、なんだか話がおかしい。以前、目の周りの発赤について、ここもお湯がかかってやけどしたのかと相談したときには、やけどとは関係ないだろうと言っていたけど「その後、日焼けのあとみたいに黒くなり皮がポロポロとれてきた」と言ったらうーんどうだろうなあ、やけどだったのかなとかなんとか…あの時はやけどとは別の薬出しといて、なにそれかなり適当じゃん(汗おまけに「こういうやけども他の深い傷と同じく紫外線の心配をしたほうがいいものでしょうか」と聞いたら「そうだね、同じだね、帽子とかで日光は避けたほうがいい」ってアナタ、あんときやけどと関係ないって言うから、(あのときそういう質問もできないで)特に気にしないでフツーにしてたじゃんよー!んもー!頼りないったらない。いいかげなんじゃないのと正直ムカッとしたがこちらもあのとき有効な質問もできずに(やけどと違うと言われても食い下がれずに)うのみにしてしまったのがすべての間違いでした。「やけどのあとに湿疹が出てるね」とかなんとか言って、ニキビ用の薬を処方されました…それ、ほんとうに効くんですか??ほんとに適応あります?と疑心暗鬼、不信感もてつだって、もらっても塗らなかったんだけど、夜おふろで洗って翌日には湿疹も随分減ってましたが…?うーん…要するに重複受診になってるわけで、それがマズイと言われればそれまでだけど、やけどのあともついでにみるよって言われちゃ、いらないやめてよとも言えないし…こっちについては結構ですと言うべきだったのかなあ。しかも2週間したらまた来てって言われたけど、何を見るんでしょうか、何を。センセーの御高診は、とりあえず傷の治りにまったく関係してないようなんですが。まあ、きれいに治るためになにか少しでも必要な情報を下さるならと期待をこめて2週間後に参りますとも。ええ。そうは言っても、こちらの皮膚科のドクターにはこれまでおもにメールでの一般的でちまちまとした相談に丁寧に乗っていただいたと思います。その安心感はものすごく価値のあるものだった、というのは確かでいろんなドクターにお世話になってるなあ、ということは言うまでもありません。医者へのかかりかたというものもありますね、これは当然の話、やはり病院でのコミュニケーション力ってことに意識的になったほうがいい、たいていフツーにできてることなんだろうけど、私にはどうも足りないようで場慣れだなあ、白衣緊張というか、とにかく医者の前では焦らずリラックスリラックス…。
Jan 30, 2008
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どんどん良くなる娘のやけど傷だがでもすごく気になることが出てきた。顎の広範囲の負傷部位のうち、中央部分が3~4センチ、スジ状に白く残っている。受傷直後はもっと白い範囲が広くて、その部分をはりついたガーゼで皮膚をはがしたりの傷害行為をしていたのだが(救急で処置後の1日間と再診し何も知らなかった1日と)どうも周りの傷より陥没している気がする。その周りの傷自体も、赤みがまだまだある。すべすべなのはそのとおりだが、いつになったらもとどおりになるんだろう…ややもりあがってさえいないか。ここんとこ私自身の気持ちも順調に回復に向かっていたと思ったがふと気が緩んだのか、また大きな不安が襲ってきて娘の前で泣いてしまった。なにか治ったあと傷跡をまったく残さないためにいい方法はと調べていると美容外科?的なものを見つけた。ビタミンか何かが入ったローションを塗るとか何とか…少しでも効果があるならと心が動く。しかしあたまではもうわかっていること、皮膚は排泄器官、外側から栄養やら何か特別な液体を塗ったところでどれだけの効果があるものか、それは疑わしいとしか言いようがないと思う。でも、治療実績があるというのならぜひ試してみたいしこの傷のためにまだできることがあるんじゃないかという気持ちは押さえようがない。本当に、あとは皮膚自体の再生力に賭けるしかないのか。っていうか、それで必要十分か。それが皮膚ってもんか。でも…。問い合わせ可ということなので、とりあえずメールをしてみた。症状と経緯をざっと書いて送ったが、帰ってきたお返事は多分テンプレで当院の治療方針&診察しますのでいらしてみてください、という文章。個別の質問や相談には一切ふれていない。ガッカリしたような想像してたとおりだったような湿潤療法の先生方が、「メールを読んだ限りですが」とことわりつつ娘の傷の状態について見解を詳しく書き送ってくださったのとは大違いだ。療法に対する質問に答えて下ったのとは大違いだ。でも、返信があっただけいいのかな。そのクリニック、もういちどよくHPを見てみたら、しっかり消毒治療をしているみたい。ちょっと心配。消毒アリでも健全な皮膚の再生ってできるのかしら。できるかもしれないけど。「患者さんの喜ぶ顔が見たくて」とうたってたしたくさんの症例も紹介されてあったけど、整形外科のドクターでも皮膚表面にお詳しいものかしら、いや別にご専門はなんだっていいんだけどその治療でどれだけの効果があるのか、実は何もしなくても同じ経過をたどったんだったりして?とかうわー、正直わからなくなってきてしまいました…そもそも生物学的に、皮膚自体が外側から何かを吸収するってありなんでしょーか。いやありうるのかもしれないんだけど。うーん、いまいち心がぶれてしまった。不安になると手当たりしだいに手を出してみたくなるが、よく考えれば気付けるものもあるだろう、何がホンモノで何が怪しいものなのか患者側も勉強する必要があるんだよなあ、と自分を見て思う。知識を得る、ということに関してたとえ限界があるにしても。「もっと他に、傷のためにできることがあるんじゃないか、私が知らないだけじゃないのかほんとうに再生力に任せるしかないのか」と焦る自分がいることもこの期に及んで事実ではある。こういう自分自身との格闘も、今後なんどもすることになるだろう。月日がたって、本当に元通りになるまで、この焦燥感は続くだろう。うろうろしながらも本物を見極めていこう、向き合って行こう。
Jan 28, 2008
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湿潤療法について、一般向けに、おもに文章で説明されている1冊。(写真メインの本も出版されている)本書を入手する前は、HPの情報のみを手がかりにしていたがやはり手元で気になった時に読めるという点で本という形は便利だなあと思った。この本はHPに掲載されていた論文がふんだんに含まれているのでさらにありがたく親しみやすい。HPでは「無断転載OK」となっているが、出版物の場合そうはいかないんだろうな。自分でよく咀嚼して自分の言葉で今後も内容を記録していけたらと思う。もくじ1 こんなにきれいに傷が治る2 常識を疑おう3 傷はどのようにして治るのか4 傷は湿潤にして保とう5 家庭でできる怪我、火傷の治療法6 消毒しないと傷は化膿するのか7 傷はなぜ化膿するのか8 消毒薬ってなんだ?9 痛い治療、痛くない治療10 手術前の消毒をやめれば術後感染が減る11 傷に塗っていいのは何か12 なぜ「消毒とガーゼ」がスタンダードになったのか13 皮膚と皮膚常在菌14 善悪二元論を超えて小見出しもすべて書きたかったけど、その数130にも及ぶので断念。我ながら根性ないなあ。どれほど盛りだくさんな内容になっているか、こちらを目にしてくださった方々に少しでも詳細にご紹介したかったのだけれど。
Jan 27, 2008
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傷の色は、まだ赤みが強いものの、だいぶツルツルになってきた。消毒をかさねつつ浸出液がたくさん出ている時期にガーゼを使って傷口をはがしながら治療していたら、こうはいかなかっただろう。なにせ、あっちの治療法はかさぶたを作ってナンボだから、当然治療期間も長めになりでこぼこともっと痛々しかったろう。跡もこんなに自然にはいかなかったろう。(何人もの医療機関の方々が、その治療法の比較を〔消毒法と湿潤法の〕自らの体を使って人体実験されている例を、HPでいくつも見た)さらにかさぶたを間違ってはがしてしまったりしたら、また感染の危険が!さあ消毒!という展開になるんだろうけど(そうやっていつまでも傷をいじめるなんて、治り自体をさまたげてさえいると思うんだけど)なるほどあっちの治療法でも、最終的にはなんとか傷も乾き、傷も痛まなくなったろうし要するに、治らないというわけではないんだし?なんて言われたとしてももう消毒+ガーゼの世界には戻れないです。本当のことを知ってしまったからには。さて、傷の治り方自体は順調だが、おもに傷周囲に湿疹が出てきた。あせもか何か?これはワセリンをきっちり洗い流せていなかったせいか、ワセリンとなじませたオリーブオイルを落としきれていなかったせいかもうラップしなくてもいいのに念のためと貼り続けていたせいか(本当は上皮ができた時点でラップをしなくていいものらしい、そのタイミングは前回受診時に微妙だったのかも)ホームケアの盲点、これはどんな治療法だからということに限らずシロウトの限界とでも言うものだろう。そーいや受傷翌日の、形成外科の初診時「次回は1週間後に来てね」と当然のように言われ、ものすごく不安になったのを思い出す。心配な点を電話で問い合わせしても、ドクターやせめてナースが電話に出てくれるでもなく事務の方が受診時の説明を繰り返すだけ、いてもたってもいられないほど心細かった。話はそれるけど、最近レセプト点数の算定方法が改定され自宅でできる処置(まさに傷の手当て的なものはこの範疇)については病院側が請求できる診療報酬の点数がかなり減ってしまったらしく(要するにお国サイドは外傷に医療費を使うのはもったいないということなのか)良心的な医療機関でもない限り「念のため明日もみて見ましょうか」とはいかなくなったということか。(湿潤療法の外科ドクターは、翌日もみようかと言ってくださったなあ)要するにオカネにならないから医療機関は創処置をめんどくさがる、こっちは忙しいんだから自宅でやんなさい、ということ?にしても、打撲や慢性の痛みの場所などにシップを貼るという明らかに簡単な処置とやけど後のジュクジュクしてる創面の処置がどちらも「軽い処置」として同列にしているとは恐れ入った。そーいや「今日からおうちでやるんだからよく見ておきなさい」とナースが言っててまたそんなご冗談をと思ったが、たしかにドクターにも「じゃ、来週ね」と言い放たれてビビった。大きい病院はコレだからなー、なんだかなー。(もちろん大きい方が設備などいろんなメリットはある、そんなの当然の話としても)でも、私も消毒法をやってみて(ほんの1日だったけど)大いに不安になったのは家庭でちゃんとした消毒など適切にできるのかということ。消毒法では、傷は菌が1個も残らないほどキッチリ消毒しないと感染して化膿するからとことん消毒!っていう理屈なんでしょ、その理論から言ったら、まだ傷の乾かない受傷直後の急性期、1週間もの長きにわたってシロウトが処置するなんてありえなくない?言うまでもなく消毒不足はありうるし、危険きわまりないですよね?傷にはきっちり消毒すべき、というのと大いに矛盾してると思うんですけど?「家庭でもできる」なんて国が推進し始めてしまっているのに(ありえないくらい乱暴な決定でしかないが)肝心の医療界が創傷は消毒しかないとしがみついていたんでは、何も変わらないではないか。細かいところはよくわからなくても、矛盾と治療放棄の無責任感が否めない。湿潤法は、家庭で無菌操作をせずにケアできると言っている。プロの管理のもと、素人でもできる治療法だと言っている。さて、湿疹。失敗したなあと思ったけど、熱傷自体が化膿したりプツプツいっているわけでもないし相談して指示を仰ごう。とりあえず明日は石鹸で皮脂汚れを落としてみよう。トラブルなくすっきり治って欲しかったけど、皮膚機能の未熟な幼児の当然の反応だ、ここはもう少し我慢、そのうちもとどおりの肌に治ればそれでよしとしよう。がんばれ、娘の皮膚。
Jan 26, 2008
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言うまでもないが、注意点がまったくない魔法の治療法などあるはずがないわけで(傷に消毒&ガーゼは普遍的万能療法と信じられているわけだが?)マスコミなどで話題になっても遅々として普及していない湿潤治療について「この治療はこれほどまでに問題点がある極悪な治療法だ」という論文を探そうと思ったが一生懸命探してるのになかなか見つけ当てることができない。とりあえず、パイオニアの先生の書かれているものの中からかいつまんで注意点を記録しておきたいと思う。私が特に記憶に残った注意点は2つ。「まず、創面は徹底的に洗い流さないといけない。この洗浄が不十分だと、傷を閉鎖することによって逆に異物や壊死組織や血液が菌の温床となり、化膿の原因になる場合が出てくる」洗浄といえばデブリードマンなどが記憶にあるが、やはり汚れた創面ややけどの水ぶくれの洗浄自体については、ドクターに任せるべきでそんなことは言うまでもないと思う。そこまでは一緒、そのあと消毒するなり浸潤療法をするなり…道は分かれる。「乳幼児のやけどは、その皮膚機能の未熟さから化膿(蜂窩織炎や敗血症なども含め)する場合が起こったりするので、とにかく徹底的な洗浄が大前提である」ということは、やはり新しい治療法など避けておいたほうが無難かなと思いがちだが必要なのは創面の菌を消毒しつくすことではなく、異物を除去すること、裏を返せばどんなに消毒を一生懸命やっても洗浄が不十分だと化膿する可能性はあるということ、なぜならもともと皮膚には常在菌の1個もない状態などありえないから。どういう場合が不適応になるのかは、特に言及されていなかったと思うのでつまるところ乳幼児の適応については、プロの医学知識と療法への理解力に頼るしかない部分があるということか。少なくともドクターに見せずに素人判断をするのは危険である。子どもの大怪我に、医者に見せない親はいないとおもうけど。それにしても説明あとの一言がふるっている。「乳幼児の熱傷を化膿させないために必要なこと、それはやけどをさせないことである」読んで脱力…ホントその通りだ…。事前の事故予防が十分できるのだから、と書かれていた…つくづくそう思う…。さて「浸潤療法をしてはいけない場合」としてすでに化膿している傷動物や人に噛まれた傷異物が傷の中に残っている場合とされておりさらに「病院に行ったほうがいい怪我」として動物咬傷歯にぶつかってできた傷骨折・腱損傷・神経損傷などが疑われる傷骨や腱のような組織が露出している傷指が動かなかったり感覚が鈍い場合真っ赤に腫れている・痛みを伴うなど、既に化膿している傷表面に傷はないが真っ赤に腫れ上がっている場合出血が止まらない場合傷口がパックリと開いている傷大きな水疱ができているやけど電気アンカなどによる低温やけど意識障害を伴う怪我…って、こういう状況を目の当たりにして、病院に行かない人などいないと思いますが!てか、フツーの判断なら即刻救急車だと思いますが!ところでざっと項目を読んでみて低温やけどは想像以上に怖いものなんだなあと思ったのと、歯にぶつかってできた傷もあなどれないものなんだなあということ、軽く考えてはいけないんだな、と再確認。ざっと書いてみたが、要するにドクターに見せてからホームケアで治療し適宜ドクターに創傷管理していただくのがベストだろう。やはりあたりまえの医療技術として導入されればいいだけの話としか言いようがない。素人がおっかなびっくり行うのも限度があると思う。でも最近では幼稚園やPTAで「家庭でできる傷の治療法」として保護者に紹介してる機関もあるということだから本業の医療機関のほうが遅れているということははっきり言えると思う。最初の消毒がなんというか無駄でもったいない時間というか。手や足に傷を作ってしまい、マキロンなんかで消毒するのと同じノリでとりあえず家庭からでも浸潤療法が普及していけばついには医療機関も動きが見られて…と草の根に期待するしかないのかな。言うまでもないが、薬品を使わない(少なくとも消毒薬は)と言っても明らかに民間療法とは種類がまったく違うのだから、治療のプロの方々にも早くその有用性に気が付いて欲しいものだなあとつくづく思う。今日たまたま、娘がおもちゃのシールばんそうこうを私の指に巻きながら「もーだいじょーぶ」と言ってくれた。ガーゼ関係の創傷治療材料が、おもちゃでしかなくなる日が早くきてくれればいいのにと思った。
Jan 26, 2008
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転医して3回目の受診。今日おもに担当してくださったナースは、またはじめてお会いする方でもしかしたらドクターの奥さん?と直感したのだが(ドクターとのやりとり・年齢的に・なんとなくお似合いな気がした、そのあたりから想像)そのナースが開口一番、「やけどよねー、このくらいの子にはよくある話よねー、ちょろちょろ動くしねー、ウチの子もやったわよー、あ、あと私も!私自身もやけどしたことあるのよー!」と独特の包容力ある語調でお話してくださった。もう、お世話になるナース片っ端から「私はダメな母親です、それどころかこともあろうにあわてて傷を悪化させてしまって」と半べそかきまくっていて今日こそは「やけどは100%親の不注意ですよね、ちょっと気をつけていれば防げたのに」とどうしても言いたい、「そんなことないわよ」ではなく「そうよね、親の責任よ、気をつけなくちゃね」とちょっと暗め?に言ってもらいたいと自分勝手なストーリーを期待して処置室に入ったがこのとおり出鼻をくじかれる?格好になった。しかし言うまでもなく善意と思いやりの中に、受け入れていただいたということだろう。こんな小さな子の軟らかくすべすべな皮膚に、大きく焼けただれ赤くむき出しになった傷があるのを見てなんてかわいそうなんだ、まったく保護者の不注意のきわみだ、と思わない人がいるだろうか。でも、実際のところ、負傷の原因をその場でどうのこうの言っても仕方がない。医療現場では、現時点でどう対処していくかということに、もっとも注意が集まらなくてはならない。この目の前にいるダメ母を諭したところで、それこそナースの自己満足感だけが残る。それで患者の傷が治る足しになるわけではない。そんなことをするくらいなら、しっかりと励ましてフォローして、少しでも気持ちをほぐして家庭でのセルフケアを前向きにがんばらせるほうが、どれだけ生産的な作業であることか。心から誠心誠意反省していくつもりだ、という気持ちをなんとか表現したいと思ったけど、他人の思いやりに素直に感謝していくことのほうが私のすべきことだった。やみくもに「なんとか償いをしたい、どなたか私を罰してください」と言われても、誰がその適役だというのか。私は性格的に、良くも悪くも内側に気持ちが向かってしまう人間だと思う。ぶつぶつと自問してしまうのだ。でも今後はもっと世の中でいきているんだという気持ちを持とうと思う。自分の気持ちだけではなく、他人の気持ちをもっと慮りたい。それがたとえ「力いっぱい反省したい」という一見誠実な思いからの言動であってもその感情は他人の目にどう映っていくものなのか考えなくてはというところだ。そして、ゆくゆくは適時に照れずに他人を励ますことのできる人間になりたい。そのためにはもらった思いやりをきちんと受け止めること。いつかそれを他の人にお渡しするために。人は、もらった愛、持っている愛、経験した愛情でなければけっして他人にあらゆる愛を表現することはできないからだ。道徳の授業でもあるまいに、青臭いことを書いてしまった。でも今のこの気持ちを忘れずにいたいと思う。
Jan 26, 2008
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何度も書いていることで、また繰り返しになるけど浸潤療法はなにもキテレツな治療法ではない。欧米の常識日本の非常識、ということだけである。しかしやはり傷に消毒ナシと言われて納得する日本人はそうそう多くないと思う。皮膚には常在菌がいる、それはたぶん常識だろう。でももし一旦皮膚が破れてそれらの菌たちが体内に入り込んだら、菌が体中をまわって大変なことになるのではないか、そのへんは安全なのか、私もそう思った人間の一人だった。滅菌してないただの水道水などを傷口につけたら、そこから化膿でもしやしないかと思ったりもする。かくいう私も、断片知識としてではあるがこの療法を理解しているつもりだが、夏井先生のHPや入手した先生の本でどんなに詳しく説明されても、その微生物の世界でどんなことが起こっているのか、承服しきっているわけではない。申し訳ないがシロウトなら仕方がないと思う。負傷後最初の1回ぐらいは徹底的に消毒をしてほしいものかも、ぐらいに思っていてでもそれでは逆に、不可解な矛盾だけが残るではないか。だいたい、なんだ最初の1回って。でもそれがよくある心情だとお許しいただきたい…シロウトの悲しさから、理性とは違う部分で別の感情が残らなくもないのだ。でも、科学が常識になる時に、情に支配された常識は、邪魔者になることが多い。ところでもし、浸潤療法が、痛みなく治療できることのみメリットでその安全性がけっして実証されてないものだったらどうだろう。誰がその方法を選択したいと願うものか。たとえば、例えとしては不適切かもしれないが、末期症状のある患者でモルヒネなどの麻薬に頼らなくてはならない状況で混迷などの副作用以上に痛みを取る処置をして欲しいと願う場合もあるだろう、意識という面以外にも、麻薬の連続投与は全身状態に大きな影響を及ぼす、それでも、使うことが多いということがあると思う。しかし一方、傷の痛みとはそういった種類のものではなく耐える気になれば耐えられるもの、一過性のもの、そして傷を負ったら処置の痛みに耐えならが治すのが常識でもある。しかしもし、痛みも伴わないし直りも早いし傷口もきれいに治ってそして何よりしっかりとした安全性が確認されてる治療法が世の中にあるとしたらどうだろう。なぜ一般的な治療法にならないのか、何ものかが意図的に広まらないように圧力をかけているのかと思わずにいられないではないか。でも、もしかしたら、反対派のエライ立場のドクター方々にも医学的にもっともらしい言い分はあるのだろうと思う。それは確かなことだろう。そうでなくてはあまりにも悲しすぎる。今まで、まずこの療法自体を知ることに時間を使ってきたので、懐疑的意見は偶然見つけたやはり推進派の先生のHP内の1文のみだったので、(わざわざ防衛的表現を入れておかなければならないのには理由がある、とこちらの問い合わせに丁寧に答えてくださった)そろそろ敵のことも知るべきかもしれないので、反対派の理論立った意見なるものがあるかどうかも調べてみようと思う。もっとも、娘は順調に回復している事実があり、そろそろ治療自体が終了になるので今更どんなことを目にしても動揺はしないつもりだ。(一度は最大限に疑い焦った私だった)実は今までも一生懸命ネット上で反論を調べてみたつもりだが、検索の方法が悪いのか、まったくそれらしい論文にヒットしない。どんな意見でも、片方だけの説をひたすら見ているだけではやはり不十分である。もう少し気合を入れ直して調べ、きっと探し出して読んでみたいと思っている。
Jan 26, 2008
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今回、ERにお世話になった。迅速な処置をしてくださったと思う。でも、世話になっててこんなこと言うのはなんだけど、インフォームドコンセント、「こういう処置をします」的な説明は一切なかった。そして事後も詳しい説明など一切されなかったと思う。ERってそういうショクバなのかしら。そりゃ一刻を争う現場で、いちいちコレしますアレしますは言ってられないけど事故の状況説明をする時間とか「処置しますからおかあさん外で待っててください」という言葉がけをしていただく時間はあったわけだからひとことふたこと「これからこういう処置をするつもりですから」ぐらいの説明は欲しかったとは思う。娘の泣き声が聞こえてきて、最初は「いやよー、いやよー、」と言ってたのが「やめてよー」と大泣きに変わり、何されてるんだろう、水ぶくれもあったし創洗浄がそうとう痛むんだ…と想像したけどあのときどんな薬を塗っていたのかどの程度消毒したのか、今となると気になる。処置が終わって、できることはしました、とか、お子さん小さいからまだ手術なども先になると思う、と若いドクターに言われて「手術、ですか?!」と聞き返したのを覚えている。横にいた指導ドクター?が何かフォローしたような…ここでもしつこく「あの、跡がのこったりしませんか」と聞いたら「そうだねえ、傷自体は深くはないからね、ただ、人によって残りやすい体質ってもんもあるから、はっきりしたことはなんともいえないんだけどね」とかなんとか言われたと思う。包帯をぐるぐるまきにされた姿が痛々しくて、泣き疲れて目にいっぱい涙をためている娘を一刻も早く抱っこしてあげたいと思うと同時に、なんとしてもきれいに治してあげられるよう、最大限の努力をするから、と誓ったのを覚えている。もし、あのとき浸潤療法の知識があったら、何か申し出ることはできていたか。とにかくしっかり洗浄をお願いします、消毒と軟膏はナシでお願いできませんか、と。けっして「このようにして」と指示するのではなく、娘の傷の程度に対して、そういうやり方は適応しませんかと相談する余地もなかったか。でも不審がられたりシロウトのくせにナマイキなとおもわれたりしたら善意的に処置していただけなくなったりして?!なんて心配になって結局はなにも言えなかっただろう。実際はそんなプライド大事大事ERドクターがいたらイヤだけど。いや、実際はそんな直情型のERドクターなんていないと信じたいけど。どっちにしても、相談であっても、治療に口出しなどしようものなら「必要ですから消毒します、イヤならヨソに行ってください」ぐらいのことは言われて御機嫌を害してしまったかもしれないし、シロウトが専門家にあーだこーだ注文つけるのはおかしな話かもしれない。特にまだまだ医療界にあっては。患者の立場って、つくづく弱いなあ。ドクターの手に、一人の人間のいのちそのものがかかっている場合も多いのに、すべてお任せするしかない、まな板の鯉状態。それでも、新しい治療法があることを自分で発見して、その方法を試してみたい賭けてみたいという場合は転医して治療再出発という選択もあるかもしれない。より腕のいいドクターや見立てのいいドクターに頼ろうとすることもアリだろう。でも、ERでなされる処置に、新旧があるとしたらどうだろう。その緊急の場でなされることに、待ったはかけられない。つまり「状況」というものだけに限ったって、ERにおいては患者関係者が何か言える余地などそうそうあるわけないのは確かだと思う。外傷の処置とは、直接命に影響を及ぼすわけではない場合が多いだろうし、(かなり乱暴な言い方でけっして正確な意見なんかではないとあえて断っておく)従来のものをやっとけば何も疑問の余地もなく正当な処置以外の何ものでもない。でも、なんというか、QOLというものがある。処置自体はスタンダードであっても、その後の経過で患者に苦痛は与えないか少しでもいい経過を取れるものであるか常に進歩する医療界において、その可能性を常に模索して海外などによく目を向け症例を研究をしていただくわけにはいかないものか。でも、いわゆる「すりきず」的な外傷の治療などは、医学部では積極的に教えないとかいうから(簡単すぎるから医者がする医療とはいえないとでもいうのか)皮膚などの治療についても、ありふれた決まりきったものと考えず意識的に研究することでもない限り進んだ知識を得る余地すらないということか。消毒+ガーゼという19世紀末の治療法に何の疑問もなく欧米などの常識はどうなんだと照らし合わせることもなくただいつもの処置を行うしか他にありえないということか。私のお世話になった浸潤療法には処置に痛みが伴わない上に、傷の治りが早い・きれいに治るなどのメリットがある。というか、消毒とガーゼのほうが、もういいかげんやめてしかるべき処置法だというだけでもし、ERで消毒ナシでやってもらえていたならば、もっと治りが早く無駄な時間、むしろただ単に慣例でしかない消毒で皮膚をいじめてせっかく再生しようとしている細胞を片っ端からやっつけるだけの処置など受けないで済んだのに、と思う。それ以上に、やはりなんといってもガーゼはがしの激痛…もし治るためにどうしても必要であるなら、ひたすら仕方ないと耐えるだけだし乳幼児への適応はそれなりに慎重を要すると言えなくもないらしく(その薄さと対応力の未熟さから、皮膚にとびひができたりの危険がまれにあるそうだがきちんと管理されていれば最大限防げることだし、同じ原理から、消毒によるトラブルだって起こりうるわけで言うまでもなく何の問題もなく順調に治った多くの症例もきちんとあるわけで、いや、うちの娘の例も確実にその一例)他の方法があるのにそれを知らずに知ろうともせずに、古来の方法を取るしかないドクターはいらっしゃいませんか?しかも消毒治療に使われたソフラチュールという抗菌剤入りのガーゼは、数年も前に製造中止になっているというではないか。どこかの国から輸入で仕入れられているというが、これはどういうことなのだろう。さらに、医者がおかしな操作(治療)を続けることで、2度の熱傷が3度に深くなることすらあるというではないか。それを読んだとき、衝撃で目を疑った。医者はそんな恐ろしいことをしている気などまったくないはずだ。患者はなおのこと、医者のせいで大変なことになってしまったなんて、思いもよらないだろう。医者は科学者でもある。もし「ほんとうのこと」だと確証が得られたなら、積極的に研究して臨床に採用して欲しい。信用に足るだけのデータと生物学などの理論をきちんと検証してのちそのすべての労力を目の前の患者に恩恵として施して欲しい。もし、消毒しないことで不審がる患者がいたとして、この非常識に思われる操作こそ最新の医療であるときちんと説明してもらえるようなそんな科学者であってほしい。消毒というものは一害もなく百益のみ、という一般的なイメージをはねつけ、どんな場合は徹底的に消毒すべきで、どんな場合は本来消毒すべきでないのだと、噛み砕いてシロウトでもわかるように説明するくらいであって欲しい。それほどまでに、生命を預かっていることに対してプロであってほしい。浸潤療法が、ERでもあたりまえに行われる処置になるにはあとどれくらいかかるのだろう。何が足りないのか。何が余計なのか。まさかとは思うが、万が一にも患者の痛みやQOLより製薬会社や医療材料の会社の利益の方が重要であると言われては困る。さらに、せっかくの新技術をほかならぬ自らの経験や治療実績が邪魔をしてしまい触れることすら阻むようであってはならないと思う。創傷治療は、華々しい分野の医療と比べたらもしかしたら、失礼ながら地味かもしれない。しかし身近でありふれたように見えるこういった治療の分野でこそ最新の医療技術は活躍して欲しい。最新と言っても50年も前からある技術、西洋医学の歴史からみたらその長さを取っても症例の数や合理性など実証の説得力に不足はないのではないか。しばらく前の話らしいが、形成外科学会全体で湿潤療法を採用しているドクターは1%ほどではないかと言われていたそうだ。何年もたって、テレビなどのメディアでも取り上げられ一般人の注目も集めるようになって、気にしだしたドクターがどれくらい増加したかは分からないが、まだまだぜんぜん少数だと思う。医学部で授業になるのがまだまだ無理というのなら、せめて医局で紹介し伝授する指導医がたくさん出てきたっていい。でなければ、草の根で開業医が独自に研究し、広がっていくしかない。まさに現状がそうだろう。パイオニアであられる夏井先生によると、数十年経っても創傷消毒をしつこくやり続けるのは大学病院や大病院に限られていくことだろうとのこと。設備の整った最新技術がウリの医療機関が「まだあんな古い方法を採用してるなんてね」と嘲笑されることになるだろうと。組織が大きくなると小回りがきかなくなるのはどこの世界でも一緒というただそれだけのことなのだろう。でも患者のための医療であるべきだという、その一点を阻む事柄についてはどんな事情でも弁解の余地はないのではないかと思う。ところどころ、極端な書き方をしてしまった。まったくの個人的な印象で書いたことゆえ、不適切な内容があったならお詫びを申し上げたい。興味をお持ちになった方には、是非ご自分の目で調べ確かめていただけますよう。
Jan 25, 2008
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宗教が大嫌いな私だが、10代のときから環境的に聖書に触れた日々があった。必要以上に、かなりの知識を詰め込んだと思う。その量は、そこらへんの信者サンには絶対に負けないと思う(何の自慢だ(笑)旧約聖書の中に、確か「ナウマン」という王様が出てきて、皮膚の病気だか何だかを病んで預言者の誰だかに、人をやって相談に行くというくだりがある。その預言者は「ただ川に7たび体を沈めなさい」と使者を通じて指示する。しかし王さまは「この患部の上でその預言者が手を動かして何かしてくれるだとか、ありがたい呪文を唱えてくれるだとかしてくれると思っていたのに、川に浸れだと?私を誰だと思っているんだ!ふざけるなそんなことをしてもこの病気は治るはずがない」しかし王さまはいい従者をもったことが幸運だったようで従者いわく「王さま、あなたは簡単なことだから実行できないとでもいうのですかもっともっと難しいことだったら、すぐにやろうとでもいうのですかあなたに必要なのは何をこの病にするかではなく、ただ預言者に従うことです」そして預言者の言うように7たび川に体を浸すと、病気はすっかりなおり王の肌は幼子のような肌に回復した。…とかなんとか。(多分記憶違いがあると思うのでつっこまないように(汗)私がその恩恵にあずかった浸潤療法にどこか似ている。「傷は、ただ水道水で洗えばいい」といわれても、「イヤイヤ、何かありがたい消毒薬を使って治療しなければこの傷は治らない」と言いたくなる。でも、ただ信じてその方法を実行するなら、その療法の正しさははっきりとわかりもし自分の信念?に従って従来の方法を選ぶなら、本来不要なガーゼはがしの大苦痛をGETするだけだ。もちろん実行すると言っても自己流にというのではなく実際に傷を管理してくれる、この療法の知識や臨床経験の豊富なドクターのもとで、治療にかかるべきだというのは大前提。くだんの預言者も、確かそのスジではたしか人を生き返らせるぐらいの、相当な実績を積んでいた人である、ということを王も聞き及んでいたわけだから従来の方法(当時は医療は魔術だったから、呪文とかが必要だったのだろう)とちがうなあと思っても、さっさとやっちゃえば、一日でも早く治ったのにねと思う。「傷はシャワーで十分に洗い流し、浴槽にできるだけ浸かりなさい」と受傷後3日の、傷がまだ痛むであろう時期に指示されたときは、正直うたがった。ほんとに、ほんとに風呂に浸からせるんですか?と何度も聞いた。しかし、信じて実行するしかなかった。そしてその日から傷は痛まなくなり、上皮組織の活発な再生が始まった。開始8日目にして、ほぼきれいに出来上がってきているからもうほとんど治療終了だよ、と言われた。療法を信じることそのものではなく、実際に実行するのに勇気が必要で常識との葛藤もそうだけど、本当に私に確実な操作ができるのかとビクついたがおかげさまですべてうまくいって、ひとつの山は越えたと言ってもいい状態だと思う。傷もだいぶきれいになってきた。あとはこのまま新陳代謝でどんどん新しい肌が出てきてくれればと思う。信じるものは救われる?いや、むしろかなり半信半疑でも、検証データなどを先入観を排除して判断し実行にうつす者は救われる。いくらかの勇気を従者にしつつ。
Jan 25, 2008
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睡眠は体内リズムに影響すると聞いたことがありますが、強烈に乱れた睡眠時間って、どのように修正されていくものなのでしょうか。先週は、1睡もできなかった日から始まって、翌日は明け方1時間ほど寝たような寝ないような、そのまた翌日は2~3時間の睡眠でそのあと何日か一日3時間睡眠が続いて、徐々に昼間に眠くなるようになって午後に5分ぐらいフッと意識がなくなる感じの睡眠を2回ぐらいして、自分のいびきで目が覚めてちょっと前から、4時間睡眠に延びてきて、3時とか4時とかの早朝に目が覚めて、今朝は5時間は寝たけど、ぜんぜん寝たりなくてクリニックの待ち合い室で何度もコックリコックリしてしまった。ごほんよんでーという娘に、ねむいからーねむいからーと泣きつきながらモゴモゴ言い訳する私。帰宅後40分ぐらい昼寝できて、昼寝から起きてから深夜までかあるいは寝かしつけて一緒に寝てしまい、目が覚める未明から早朝までが絶好調タイム、夫と子どもが寝ている間に記録して記憶の整理…。言うまでもなく、PCの前にいること自体がまずいと思います。脳が休まらず、興奮状態のままだから、ぜんぜん足りない休養時間。リズムがガタガタしててもそれほど問題ない期間とか、限度はあるのでしょうか。このままこの状態が続くとさすがに内臓にもいい影響がなさそうだなと心配になってきました。精神面では、まだまだアドレナリンとドーパミンが放出し放題だと思うので一旦覚醒するとギンギンいいながら文字を入力していきます…そだ、甲状腺ホルモンとか、そっち方面は大丈夫かなあ、そういったホルモン異常って、継続して心がストレスにさらされ続けることが引き金になることも多いというし。寝たりないのは十分ストレスではないのかなあ。とは言っても、記憶を風化させるわけにはいかないので今後もちまちまと記録していこうと思います。コレはやるべこことだと思ったら、納得いくまでやりきらないと気持ちの悪いものです。まあがんばれ、自分の体力!
Jan 25, 2008
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昨日、母親から電話が来たようだ。留守電に声が残っていた。以前に書いたように、まだやけどのことは言っていない。電話口で言おうか。それとも会ったとき直接言おうか。驚くかな、怒るかな、案外仕方がないわよなんて言うのかな、多分に気分屋なので、いまいち反応が予測できない。それも語調が極端に激しいので、お互いに地雷を踏まないようにたびたび気を使う。過去、衝突することは少なくなかったし、ありえないほどの不快を経験していらぬ衝突は自分にも損と学習し、気持ちをわかってもらいたいなんて考えるのはやめて、話が険しい方向に向かうと、私も露骨に話題転換をして、事なきを得ることもしばしばだった。母との関係は、親子っぽくない。物心ついた頃から、私が精神的な母親代わりをしてきたくらいの感覚を持っている。反発したり疎遠にしたりの時期も長く、娘がうまれてもそれほど「自分の母の愛もやはりすばらしかったんだ」などと殊勝な考えを持ったことはほとんどない。育児に煮詰まって、とりあえず子どもから一時解放されたいと思っても「育児ノイローゼ予防のためには」なんてことが書いてある新聞の切抜きを無言で置いてさっさと外出してしまうような母だった。あのときはさすがにキレた。私が1歳半の時には、母がちょっと目を離したすきに、自宅の2階から転落している。手すり枠などのない履き出し窓を開け放って、母は掃除機をかけていたそうだ。そのときの状況は何度も聞かされ「あんときはもうしんじゃったかとおもったよ」と懐かしい昔話にして話す母、やはりこの危険予測の不備は、遺伝なんだろうか。月末に、帰省することにしていたので、やはり近いうち連絡を入れなくてはならない。「やけどだけはダメだよ、一生残るからね」そう何度も言われていて「そうだよね、私もそう思う」と珍しく意気投合した話題だったが実はね…といずれ言わなければならない。母はどんな反応をするんだろう。どっちでもいいや。母にとっても大事な孫なのに、怪我させちゃったんだもん、どんな語調や態度でも受け止めるしかないな。心の準備をしてその場に臨もう。でも案外、話の流れが穏やかに進んで「親って本当はありがたいもんだな」と感じられるひとときになるかもしれないじゃない?
Jan 25, 2008
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お正月、家族でスキー場へ旅行した。その日はかなり天候が悪く、ふもともふぶいていて、そりで遊ぶにも寒さとの戦いでなにやら必死の形相で、そり斜面をのぼったりすべったりする娘。こりゃあ、ただ疲れさせるだけだったかなあ、他にもっと優雅なお出かけ場所があったはずだよなあ、何も2歳の子に雪山体験だなんて、だいぶ早すぎたかと思ったが、案外痛烈に、楽しい思い出として記憶に残ったようでテレビでも雪の場面が出てくると「しゅーって、したぉねー」スキーのパンフレットを見ると「しゅー、ねー、あした、いこぉねー」と大興奮する。この様子に気をよくした私は実家が雪国なもので、この冬はしばらく帰省してそり遊び三昧の日々にしてあげようと思っていたがこの怪我で立ち消えになってしまった。やけどに紫外線は厳禁。色素沈着が起きてしまう恐れがある。雪山で雪焼けさせるわけには行かないので、スキー場なんてとんでもない。この冬、ぴかぴかのスキーウェアを新調し、また着ようねじいじばあばに見せてあげようねと盛り上がっていた矢先の怪我だった。ほんとにがっかり、一緒にいっぱいすべりたかったのになあ…でも、大丈夫、大き目のものを買ったから、来年だって着られるよ。今年はちょっと無理だけど、来年には絶対。楽しみにしていようね。また、いっぱいいっぱい雪山であそぼうね。
Jan 25, 2008
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やけどを負わせてしまってから、1週間が過ぎこちらもケアの仕方に若干慣れてきたせいか、お風呂場でも楽しい時間を過ごせるようになってきた。浴槽でたくさんあそんで(いま大ウケなのは、ただのおはじき)、ゆっくりあったまって腕枕で睡眠へ…例によって、「好きよ、ありがとね、明日も一緒に遊ぼうね」を呪文のように繰り返していつものように眠りに入るかなと思ったあたりにふと思い立って、娘に質問してみた。「ねえねえ、まーちゃんさあ、かかのおなかにいたとき…、どぉーだったぁー?」(このどぉーだったぁー?の、のんびりした疑問系は、最近のブーム)「んとねぇ…」こんな質問、まだ早いかなと思ったが、意外にもはっきり話し出してくれた。でもきっと「ぼっばったい(わかんない)」が続くだろうなと思った瞬間、「きもちぉかった…」ぼそっと、はずかしそうにあるいは真剣に、どこかを注視しながら思い出すようにつぶやいた。ひゃー!気持ち良かったって言ってくれたの?すごくはっきり発語してるんですけど!てか、気持ちよかったなんて言葉、今まで言ってるの聞いたことがないよ。偶然かなあと思ったりして、さらに質問、「おなかにいたときさあ…、どんなふうにしてたの?」「(足を曲げて膝をおなかにくっつけるようにして)こーんなふうー」はっきりと表現してくれた。これはなにかの偶然が重なったのか、本当に記憶として脳裏にあるから答えてくれたのか後者であることを信じたいが実はこれらの前に軽く言ってみた質問があって「まーちゃんさあ、かかのところにくるときさあ、まーちゃんが『あのママのところに行きます!』って言ったの?それとも誰かに『イヤだろうけど、行ってきなさい!』って言われたの?」そう質問したところ、「うん。うん。」と言っただけだった。まだ心のどこかに「私のところにきたばっかりに、大やけどなんか…」という気持ちがあったから、そんな質問が出てきていた。だから、「気持ちよかった」という答えは本当に嬉しかったし、もっともっとおなかにいたときのお話を聞きたいと思ったが例によって興奮してしまった私がベラベラと話ししてしまい、質問自体はそれでおしまいになった。胎内記憶のある子どもは全体の3割だったか6割だったか、ちょうど筋道立った言葉を話し始める頃に一番語りやすくなっていてもっとお話が上手になる頃(何歳だったか詳しくは忘れたが)にはすっかり忘れて話さなくなってしまうものだと言うから今後折を見て、またいろいろ聞いてみたいと思う。まれに、胎内記憶が芳しいものでなかった場合、ひとことも話さず逆に不機嫌になることもあるというから娘の場合はきっとそれなりに快適に過ごせていたんだよねと想像してホッとした。しかしまあ、よく覚えているもんだなあ。ほんと、もう十分に幼児サンな2歳児の娘だが、実はまだまだどっぷり赤ちゃんであっちの世界から片足が抜け切ってないってことかな。そう考えると、やっぱりまた「こんなにも小さい子に、私の落ち度でこんな大怪我…」としつこく落ち込む陰気な私、しかし、胎内記憶を聞かせてもらったからこそ、大事な一つの魂を授かっているということをもう一度思い巡らすことができたし育児ライフをさらに前進させていきたいなあと思った。自分の手でどうにでもしていい存在ではないこと、それは分かってたつもりだけど少なくとも最低限まごころをこめて育てていく義務があるということ、今回ありえない大失敗をした母を、ひたすら許してくれている娘今後わたしはどれだけの愛情で、そのやさしさに応えて行ったらいいのか。いやあそれにしても、ほんとに、私のところに来てくれてありがとね。及ばずながら、大切に育てるよ。という気持ちをあらたにした。
Jan 25, 2008
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もう2年くらい前になるか、ブログがきっかけで知るようになった事件、(ニュースに大きく取り上げられ、現在はご存知の方も多いと思う)ブラジル人のひき逃げ犯が、自国に逃亡、2歳の女の子(被害者)の遺族に一切の謝罪も贖罪もせず、罪に問われることさえなく今ものうのうと生き延びている自分も人の子の母親という立場のこの犯人をなんとか日本で裁判にかけられるよう犯罪者引渡しという願いをかなえられないか、そんな悲痛な遺族の思いを記録するHPだった。私はそのとき、0歳の娘をあやしながらHPを開いていたが、ひき逃げされてしまった「りとたん」という愛称の女の子のママの「りとたんへの手紙」という項目を読んで、涙が止まらなかった。親が子どもに対して抱く、独特のいとおしい気持ち、突然奪われたその命に対峙しなくてはならない悲痛を想像して泣いた。何にもかえがたい、かけがえのない最愛のわが子を失った悲しみ、喪失感、そして深い深い自責の念。2年ほど経って、なぜか今年の年明けすぐに、りとたんのことを思い出しお気に入りに登録していたのだが今回のことが起きてもう一度、ママの手紙のところを読み返してみた。先を読みすすめることがなかなかできない。でもどうしても最後まで読まなくちゃいけないと、3回目ぐらいでやっと読み終わったが私にとって、とても辛い作業だった。自分のせいで。自分がほんの少し気をつけていさえすれば。子どもはこんなことにならないで済んだかもしれないのに。りとたんのママは、その日たまたま、りとたんをチャイルドシートに乗せていなかった。近くまでだし、おとなしくしてるしという理由で。わざわざ言うまでもない、ママはその点を悔やんで悔やんで、自分は取り返しのつかない失敗をしてしまったと極限まで苦しみ続ける。そのHPの掲示板がまだ稼動していたころ、冷酷な傍観者が、訳知り顔に、その点を執拗にえぐり続けていた。「外国人の引渡しを求めるより、自分の落ち度を反省したらどうですか」「そもそも自分が悪いんでしょう、私は署名なんてしませんから」そういうコメントが書き込まれるたび、りとたんのママは一人一人に丁寧におっしゃるとおりです、わたしが悪かったのだと思っています、と回答していた。一言も反論などしていなかった。私はいたたまれなくなって、りとたん宛てに手紙を書き込んだ。(そもそもその掲示板は、HPや遺族に対しての感想用ではなく、天国にいるりとたんに宛てて何かお願いします、というタイトルと説明文が付けられていた)その後、どんなお返事コメントが書かれたのか覚えていない。心無い人たちの、この心優しい誠実なママへの中傷コメントが、どうしても人間のすることとは思えず、それ以上一文字も目に触れたくなくて結局見に行かずじまいだったかもしれない。「この掲示板は過失のうんぬんを興味本位に論じるところではなくあくまでりとたんへの手紙ということで設置してます」第三者にあたるHP開設者がたびたびコメントを入れるが「それではHPを公開している意味がないと思います、善悪を論じてこそ意味があります」と譲らない。どこまで非情な人間なのか。顔が見えない匿名掲示板だからか。もし自分にとって近いところに、大きな失敗をしてしまった友人がいたとしてあんたの目の前で苦しみ続けるその隣人にも同じ言葉を吐けるのか。ひき逃げは、シートベルト未装着より罪が軽いとでもいうのか。我が子を不憫に思う気持ちから、せめてもの償いに検挙を求めたいという気持ちがまったく想像もできないのか。ママの悲痛な叫びを書いた文章にの中にもはっきり書いてあるではないか。率直に気持ちが悪くなったのを覚えている。でももちろん、そんなのは全体のごくごく少数で、多くは「バナーを貼りました」「署名しました」「逮捕まで応援してます」「どうか今後も前を向いて、りとたんのためにもがんばって下さい」というあたたかいコメントばかりだったと思う。2年前に、りとたんのHPを初めて見たときのことを思い出すままに書いてみた。いま、娘は2歳、ほんとうにかわいいさかりの女の子、りとたんが天国に行ってしまったのが2歳10ヶ月、もしかしたら今年の年明けに、ふと、りとたんのHPを思い出したのはおばちゃん注意してあげてね、というりとたんからのメッセージだったのかもしれない。娘の傷は小さいものではなく、抉り取られるように洗浄された円形の傷はあまりに痛々しいものだが命にまったく別状なく、負傷の当夜に入院もせず特に注意事項もないですよと言われて帰宅した程だったから私が感じた気持ちと命を落とした子のママの気持ちはまったく別物なのは言うまでもないこときもちがわかるなんて言うつもりはない、2年前の、出産後ほどない頃のほうが、ひょっとしたら思いは近いくらいかもしれない、その前提にあって親がどんなにか子どもの命を案ずるか、もう亡くなってしまっても、元気で楽しく遊んでいるかとか、ひもじい思いをしていないかとかママと突然別れ別れになってしまって淋しくて泣いていないかとか現在の環境を案じる。いつまでも、心配する。愛しい人へ。偶然みつけたこの「テーマ」がぴったりだと思った。思いのままに書いてみた。
Jan 24, 2008
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娘を寝かしつけながら、一緒に寝てしまった。夫はPCでも見ていたのかな、そのあたりの記憶など起きるまでまったくなかったし夢も覚えていない。しかし今朝、どうやら夫が布団に入るときに、私は寝言を言ったというのだ。「急がないでよぉ、そんなに急がないでよぉ」俺は別になんも急いじゃいないんだけどなぁ?と思いつつさては私と娘の布団を直したのが気になったのかな、悪かったかな、と思ったらしい。布団に入ると、やおら私の手が伸びてきてごそごそと夫の手を捜し、ぎゅっとにぎってほどなく手は自分のところに帰っていったという。まったく覚えていない。それでも、手を握ろうと探したこと自体は…うっすらと断片的に憶えがあるような気もするがそのときの気持ち、手を握ろうと思い立った気持ちはについてはまったく記憶にない。言うまでもなく、事後、まだまだ興奮状態にある。急がないでというのは、急ぎすぎている自分自身に対する言葉だったのか。はやくよくなれはやくよくなれと、あまりに焦りすぎていたのか。夫の手を握ろうとしたのは、やはり安心感を得たかったからだろう。心のふかいところの思いが、無意識の行動を起こさせたんだと思う。結婚前は「人は結局はひとり、一人でなんでもやらなければならない、人生誰にも頼れないものだ」と思っていたが結婚後、夫と暮らし始めて、それが少しずつ変わってきている。今回のこともそう。一人では絶対に対処できなかった。結婚してよかった、この人が夫でよかった、ほんとうにありがとう。そして、娘を助けてくれた多くの方々の手があった。善意の手に支えていただきました。娘は元気にがんばっています。ゆっくりでも確実に、治癒に至ってくれればいいと思っています。焦らず、行きたいと思います。
Jan 24, 2008
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サムシンググレイトを信じている。人智を超えた存在と、その宇宙意思とも言われるもの。人間そのものがかみさまの使い、それぞれがそれぞれに影響を及ぼしながらそれぞれが持って生まれた修行を確実に実行していく、それが人生というものそんな思想に触れたのは2年ほど前、飯田史彦氏の著書を読んだとき。衝撃的だった。はたして上記のことを主旨としていたかどうか、そんなことほんとに書いてあったのか実はあまりはっきりとは覚えていなのだけどまあ自分なりの解釈もふまえつつ、「袖刷りあうも多生(他生)の縁」といったところが古来からあるごくありふれた人生観だったとしても、私にとってはとても新鮮だった。互いに影響を及ぼす、その営みの中で特別に大きな影響力を持つ人物という方はいる。多くの人がその動向を注目し、死後しばらくしても歴史に名が残り、世界中に大きな影響を及ぼす人。世界宗教家のような聖人?に限らず、天命として、自分の任務をまっとうした人々。例えばプロジェクトXに取り上げられた人たちのような?その影響力の大きさはもちろんすばらしいが自分の役割と命を活かしきったこと自体に、大きな尊敬の気持ちをもつ。私は何をするためにこの世に生まれてきたんだろうかみさまは私を使ってなにをしようとしておられるかそんなふうに、思春期に考えていた。その時期特有の迷いや憂い、そして若さを持て余し逸るきもち。今、30代も半ばになって、この私がかみさま的な存在に使ってもらうなんて困難を極め、いくらかみさまでも頭を悩ますのではと思う。使いようがないのではないか。まだまだ弱くて迷ってばかりで、失敗も多くて臆病で、でも、「私はかみさまにとって、世の中に対して、ちょっと使いものにならない人間だ」と分かっただけ、自分なりの何かを為す、スタートラインには立ててるように思う。とは言っても、事を成す人間になんてとうていなれそうもない。しかしもしこんなちっぽけな自分であっても、家族や友人や一期一会の人たちに対してでも自分のなすべきことを生き生きと愛をもって行い、そこに喜びがあるのならそれが天命なのではないか。それが、「私を使ってしようとしておられること」の核心ではないのか。浸潤療法のパイオニアの先生方は、ご自覚されているいないに関わらず間違いなく天命としてその道を走っておられると思う。世の中のいろいろなものと戦いながら、時に喜びを得ながらご自分の信念を死守し、世の中に「ほんとうのこと」を知らしめる活動をされている。誰が、利益を得るか。その活動の恩恵を受けるか。それはありふれた一患者であり、創傷治療の苦しみから少しでも逃れたいと思う人たち。皮膚を害する怪我や皮膚の特別な再生が必要な傷は、どんな人にでも起こりうるのではないだろうか。事故により手術により、明日はわが身と言っても過言ではない。その時、どんな処置法を取るかでよりよい医療を享受できるかどうかが決まってくる。より人道的で理にかなった医療を。大学病院や大病院でしかできないと言ういうような、閉鎖的なものではない、逆に本当におどろくほど当たり前な原理原則に基づく医療とも言えるかもしれない。しかし、これからあたりまえの処置になるために、どれほど高い障壁があることか。ご苦労はしごく途方もないもので、きっと骨が折れる仕事であるはずなのに先生方は今日もご自分の信念のもとに邁進されておられる。本当に、頭が下がる。感謝の気持ちをどう表現したらいいのだろう。大それたことに、この処置法の普及のために私にもできることは本当に何もないんだろうかと思うようになってきた。実際、何もない。一患者が何もできるわけがない。そんな簡単な話ではない。ばかいっちゃ困る。天命なんかじゃない。でも、もしこのように、目の前でありありと驚くばかりのスピードで、痛がらずそして安全に娘の傷が着々と治り、完治に向かっていることを表現することが許されるなら、今後もこの思いを文字にして綴って行きたいと思う。
Jan 24, 2008
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日に日に傷跡はよくなって、ワセリンをつけたラップ剤を貼るのも大分慣れてきたと思う。テープで固定するのは夫の仕事。ちょっと不十分な箇所があって、補修をしつつ長くなって切ったテープの切れ端を娘に渡す。「貼っていいよ、どこにでも好きなところにね」と言ったがいまいちもじもじしている。「じゃあさ、かか(私)に貼って。どこに貼る?」まだもじもじ。ふっと思いついて、娘と同じ側のほっぺに自分で貼ってみる。「ほら、おんなじおんなじ」娘の顔がぱあっと明るくなる。楽しくなって、切れ端を作って、貼ってもらう。「いっちょ、だね、いっちょいっちょ」にわかにはしゃぎだした。今まで、娘の痛みをどうにかして軽減したい、できることならすべてこちらに渡して欲しいそう思ってきたけどこんな方法で共有することができるなんて、思っても見なかった。母親が自分と同じ状態になっている、それだけでどんなにか心がホッとするのだろう、ああ、もっともっと早く気が付いていれば良かった。外出時にもガーゼなどくっつけて(傷がない場所なので(笑)、貼り続けてみようか。今も貼ったままだが、これがまた相当じゃまくさい。かゆくなったりもする。よく動く顔のぶぶんなだけに、いちいち気になる。娘はここ1週間、何箇所も、広い範囲でコレが張り付いたままだったのだ。しかもこの先、たぶん相当な長い間、何ヶ月も。それなのに、けなげに元気に振舞ってくれて。本当に良かったです、思いついて自分にも貼ることができて。なんの足しにもならないけど、せめてほんの少しでも同じ思いをしていくことができて。昨夜のお風呂もまた、慣れてきたせいかワセリン流しもきっちりできた。白くべったりと張り付き、ポロポロ落ちた黒っぽい皮膚も傷口にくっついていてこのままでは良くないんじゃないかなあと思いつつも、オリーブオイルをなじませても、まだまだ触れるのが怖い気持ちが先立ってしまいなかなか上手にはがすことができなくて。でも昨夜はちょっと強めに指の腹を十分に使ってゴシゴシこすって、ついにペロンと白い皮状のワセリンを取り去ることができた。正直、上手にできたかゴシゴシして悪影響はなかったか気になったけど新しいワセリンを傷に付けることができ、皮膚の新陳代謝はさらに順調に進むと確信できる。今日もがんばるぞ。あんなに恐かったお風呂タイムが楽しみだ。また新しい発見ができるかもしれない。23日でちょうど受傷後1週間が経った。
Jan 24, 2008
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2年5ヶ月ほど前。陣痛が本当に痛かった。なんかおかしいなあ?収縮している感じがするけど、予定日はまだ何日か先だし?と、わけのわからないことを考えていた、出産当日の未明。17時間ほどの陣痛のうち、極期は12時間ほど。ハハハなに言ってんのまだまだそんなの軽い軽い、3日間ぶっとおしで痛みに耐えたママだって珍しくないんだからね!と言われるならイヤ、それはそうなんだけど、私も私なりに苦しい思いをして無事出産まで至ったわけで産みの苦しみは想像以上だったなあと思う。陣痛の痛みはいろいろと表現されるが、私が思ったのはおなかのなかを、鋭利な刃物とかミキサーのようなものでグルグルグルグルかき回される感じ子どもは大丈夫なんだろうかと思ったほど。陣痛には波があり、痛みは間欠的なものなので、まったく痛くない1~3分間は談笑できるほどででもその落差も精神的に辛かったなあ。どんどん強くなる痛み、その5分間ずつの時間中でのた打ち回りながら思ったこと、「今までやってきたすべての悪行の数々、心から謝りますから、誠心誠意あやまりますから、どうかこの痛みをなんとかしてくださいすぐになんとかしてください、お願いします」今回、娘にやけどをさせてしまったことで、あの感覚を思い出した。何も不安要因のない時間は、普通に振舞い、ちょっとハイテンションかもという程度なのにひとたび何かショックな情報に触れたり、自己嫌悪の念に翻弄されるとありえない勢いで落ち込み、振るえ、嗚咽し、感情のコントロールがきかなくなり口から何か熱せられたものが飛び出しかけているような、焦燥感に押しつぶされていく。これは自分の過去の所業がよっぽど悪いからこそなんだと想像したりした…すごくネガティブな思考回路だなあとも思うけど、これはもう考え方の癖だと思う。一方、もっと単純に考えるなら、苦しいときのなんとやらで救ってくださいとかみさまふうなものに語りかけるのは、日本では一般的な感情で、また、今の苦しみが過去の業だという思想は、案外仏教風土に生きている証拠、ということなのでしょうか。子どもの身代わりになりたい、という感情は、親なら当然だけど、私の場合まっさきにはそれが浮かばなかった。ソウルメイト的な人生観があるからか。「私について、何が間違っているのか教えてください、改めますから、いままでのあやまちをすべてについて一つ残らず謝罪しますからどうか子どもを助けてください」どっちかっていうと、唯一神への問いかけか。結局、かみさまからの声は何も聞こえなかったけど今回のことで一新された思考回路もあってああ、人生は修行なんだなあ、まだまだだなあ、この世での一切の生命活動が終わるその時までわたし用の課題を、粛々とこなして行きたいものだなあと思った。にしても、自分のせいで子どもになにかあるってのは、ここまで辛いことだったのか。こんな思いは、もういやだ。でもそれ以上に、なにより子どもが最高に辛い思いをする。ほんとうに、気をつけて行こうと思う。育児は先が長いけど、気を引き締める分野にあっては絶対に気を抜かない。絶対に。
Jan 23, 2008
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やがて皮膚がきっちりと覆われて、上皮化したあとは紫外線を極力さけなければならない。せっかくきれいに治っても、負傷箇所自体が小さいものではないしその広範囲にシミやアザを残すようなことになっては娘に対して申し訳なく、死んでも死に切れない。長い道になる。3ヶ月、いや半年は用心すべきだという説もある。でも薬局で「今はまだ冬ですから」と励まされたことを思い出す。比較的紫外線量の少ないこの時期、夏よりハラハラしなくて済むかもしれない。胸は厚い服で覆われているから構わなくていいかな、首のところは防寒もかねてスカーフのようなもので目隠ししつつなんとかなるか、でも問題はあごの下の大きな傷。どうやって保護したらいいんだろう。たくさんの子が集まる児童館は、あまり露骨だとちょっと視線を集めてしまいそうだし屋外の公園などは、被覆が十分にできてなかったらと躊躇してしまう。狭くない範囲だから、絆創膏というわけにもいかないかも…どうしてもシール面があごにかかってしまうだろうし、よく動く場所だから、しなやかな素材のほうがいいか、いろいろやって一番合った方法を探していくしかないか。娘には本当に面倒をかけることになるなあ。常にバンソウコウを貼っている状態が長期間続くなんてかわいそうでかわいそうで…言葉がわかってきている娘が、お兄ちゃんお姉ちゃんたちの「これ、なに?」とか、もしかして「へんなのー」とかいう無邪気な言葉や、例えば遠巻きに好奇の目で見られたりとか「どうして自分だけそんなこと言われるんだろう、ジロジロ見られるんだろう」と劣等感を持ったりしないかなあと心配になったり…いつまでもバンソウコウな自分の顔のイメージが、心の奥底に暗い影を落としやしないかとか…じいじばあば宅とか育児サークルなどに遊びに行って写真を撮ったときはほっぺの下のところにいつも何か張り付いている状態になってしまうのか…でも、仕方ない、なんとか乗り越えて行くしかない、フォローは十分するから、全力でするから、かあさんと一緒にがんばろう。がんばってくれるかな。あなたならがんばれるよね、きっとだいじょうぶだよね。
Jan 23, 2008
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この療法については、今後よく勉強をしてから後日に詳しく自分なりに理解したものを書き込みたいと思っている。一傷に限らず、医療界の内外を大きく揺るがす手法であることは確かだと素人目にも思う。しかし、やってみてはじめて良さが分かる。とにかく痛みが付きまとわない。消毒という異物刺激で、せっかくできてきた皮膚細胞を消滅させる方法など単純に考えたらおかしい。よくちまたで言われること、悪性腫瘍などの治療時、放射線療法などでがん細胞を叩くことは治療の大前提だががん細胞は死にました、同時に患者も死にました、では何のためにする治療なのかわからない。創傷治療に関し、消毒以外に他に違う方法はないものかと考えてくれた研究者たち、最初はどんなにか異端児扱いをされたことだろう。パイオニアは信念と志しを持って、自分の目指す方向を突き進む。でも、「患者を触るときには手をきちんと洗ってからにすべきだ」という現代にあってはごく当たり前の操作ですら圧倒的に否定された時代があってその提唱者は排斥され、狂気の末に亡くなってしまったというから世の中の常識というものを覆すのはどんなに大変なことかは、容易に想像できる。わけても医学界はどうやらその傾向が強いらしく、依然「白い巨塔」に見られるような序列社会があって組織が大きくなればなるほど従来からのものに固執してどんなに明らかに進歩したものであっても、変化を受け入れることは困難を極める。上の人間の鶴の一言で、それ以外の人間の提案は却下されその結果は絶対に覆らない。また、担当医師が日替わりの大病院では、誰か一人が良心的にであったとしても、新しい方法を採用してしまっては翌日には従来のものしか知らない医師が診察し、もとの操作にもどり患者に混乱を与えるだけ。とにかく足並みが乱れることは許されない。だから、自分のしたいように医療をしたい医師は、どうしても開業医のような個人に傾く傾向があるということだろう。世の中、何か大きな体調の心配のあるときは、いきなり大病院に行きたくなるのが心情だし設備の整った、エキスパートなイメージの「教授」に診てもらえそうな大学病院にかかるのがベストと思いがちだが教授はもっぱら研究に熱心で、臨床にはほとんど関わらないドクターだって多い。腕のいいかかりつけ医をもつこと、そのほうがどれだけ自分の体にとって安心で実益があるか分からない。これは昔『ぼくが医者をやめた理由』の著者、永井明氏が言っていたことだ。さて、タイトルの浸潤療法が医学常識にならないわけ、だが医学界のこういった事情の他にも『医療材料の会社や製薬会社との兼ね合い』『世間の常識との戦い』があるのではないかと思う。一素人がつれづれに考えるには限度があるし十分稚拙になるのはわかっている。が、浸潤療法が一般的な療法になったら、ガーゼや消毒薬の会社が収益難になるのは目に見えている。医療界とそれらの会社との間にどんな関係がもたれているのかわからないが全国の創傷治療のために、一日どれだけのガーゼと消毒薬が使われているかその量は想像以上だと思う。医療材料などの会社を巻き込んで、浸潤療法をすすめるためには、その会社が十分にもうかるような、ガーゼと消毒薬に代わるものを製品化しなくてはなかなか進まないだろう。到底受け入れられないだろう。確かにそのような会社にお勤めの方のことを考えれば、急激な変化はそれらの方々が、生活を維持できなくなることにさえ関わるだろう。だが、何とか各方面から知恵を絞って、この問題を解決できないものだろうか。ちょうど、寝たきりの方などの褥創にあっては、やはり一昔前は創部をドライヤーで乾かすのが医療常識だったが専用の被覆材が開発されて、医療材料の企業が逆に収益に繋がると考えたのかわからないがそれが処置法変革のハードルを乗り越えさせたのかはわからないがいまでは完全に、褥創は乾かしてはいけないということが常識になっている。褥創だけなら、ある一つの領域に限ったことと言えなくもないだろう。でも創処置全体に範囲をひろげると、術後経過観察をする外科界全体などを確実に巻き込んで相当大きな話になってしまう。それ以上に、「清潔と不潔」の概念を揺るがす問題と考えられなくもないならもう収集もつかないほどである。これはとても、おいそれと動きだせるものではないだろうと素人でも分かる。そして、もう一つの面、世間の常識との戦いというものがある。テレビ番組などのメディアで科学的な検証が行われ、へえ、そんな方法が理にかなってるんだ、そのほうがメリットが大きいんだと感心し一時的に話題になったり興味を持つ人が増えたとしても実際自分が負傷した時に「消毒はしないでください」と言える患者がどれだけいるか。怪しまれるか一笑に付されるだけだろうしなによりテレビでやっていたからそうしてみようと思える人など、そうそういないだろう。そういう私ももちろんそうだった。「傷は水でよく流して、汚れはきっちり取ってラップでぐるぐる巻きにするのがいいんだって」テレビでやってたよと人から聞いたことはあったが、自分が負傷した場合、間違いなく従来の方法で消毒もきっちりやってもらうのが当然で創感染はあってはならないし、だから消毒しなくてはという気持ちばかりでそんな方法を願い出るなどとんでもないことありえないこと自分には無関係だと思っていた。そんな、日の浅い処置法なんて信用できるもんか、と。でも、娘にやけどを負わせ、創処置が大きな大きな現実問題になったとき私はその方法に頼らざるを得なかった。藁にもすがる思いで検索をし、運良く、本当に運良くこの治療法に出会えてメリットだらけのこの治療法で、娘の傷の完治を待つことになった。(もちろんつきつめればメリットだけの魔法の治療法ではないのか知らないが、本当に理にかなってるし、少なくとも消毒法とは比較できないほどの有用性があるし臨床例もいくらでもあるらしい)もっと以前から知っていれば、ERで消毒をされてしまっても翌日にでもすぐに浸潤療法を行っているクリニックにかかることもできたろう。それでも、受傷後2日後に、比較的自宅から近い場所にこの治療法を採用しているクリニックを見つけられたのはやはり運が良かったのだと思う。ちなみに傷を乾燥させて治すというのは、実は日本にどす黒く横たわる迷信チックな治療法らしい。お国柄それぞれだからというにはあまりに負の影響の大きい日本の常識、私もまったく全世界の普遍的常識だと思っていた。それを知ることができた私はいいが、今日もまたどこかで不慮のやけどで子どもたちが負傷しているかもしれない、毎日のガーゼ交換でいらぬ激痛を味わい、その親は気が狂わんばかりに苦しみでも病院に任せるしかないからとひたすら耐えているかもしれない。同じ思いをした人間として、いたたまれない。各方面のいろいろな問題も孕むだろうが、どうか少しでも早い時期にこの手法が創処置の常識となって欲しいと思う。
Jan 23, 2008
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最大限に痛い痛いガーゼ剥がしだが、治療にどうしても必要なものであれば感情であれこれ言ってはいられない、継続するしかないそれ以上に苦痛を伴う治療も、世の中には残念ながらまだたくさんあるだろう。しかし、もっと他の方法があるばかりか、そちらのほうが丁寧な治癒の経過をたどるのがあきらかであれば急速に治療のスタンダードになってしかるべきなのにどうして…どうしてこんなに遅々として進まないのか。21世紀の世の中で、未だ19世紀の治療法がまかり通っているのか。新しい治療法と言っても、50年ほど前には確立し医療先進国に数えられる国々では当たり前に「傷は乾燥させず水で洗い流し消毒しない」というのは常識で、納得させられるだけの臨床例もこんなにたくさんあるというのに。ソフラチュールを処方してくださった病院の、ベテランと思しきナースだって「今はね、昔と違って傷口は乾かしちゃいけないの、怖いかもしれないけどがんばってシャワーで洗ってね」とはっきり言っていた。でも、処方されたソフラチュールは、油状の薬がしみこんでいるとはいえ、ガーゼはガーゼで貼付後いくらもしないうちに、せっかくの浸出液をいくらでも吸い取って傷を乾燥させそれでも足りずに傷口にめりこんで絡めとり交換時に組織をはがし、神経に触れ、激痛をもたらすハメになる。そのことと、「傷は乾かしてはいけない」という説明はどう考えても矛盾しているではないか。湿疹でかかった皮膚科のドクターが、やけどの傷についても問診してくださって「ラップ治療ですか、昔は傷は乾燥させるものでしたが、今は皮膚の再生には湿らせとくのは不可欠ですからね、いいとおもいますよ、でも化膿には気をつけてください、化膿したらすぐガーゼに切り替えたほうがいいです」ガーゼ、ガーゼ、ガーゼ…ドクターはある意味もっともなことを話してくださったのだと思うが傷にガーゼ、もう考えたくもない。医療界で、確実に常識となってきていると思われる、「皮膚の再生には、乾燥ではなく湿潤環境が必要」という概念もいまいち中途半端で180度変革するにはいたっていないように思う。それでは何も変わらない。患者は知識として聞かされ、医療者側も理にかなっていることと確信して「昔はこう、今はこう、先進医療のことを私は言うことができる」と知識を披露されても、患者の利益にならなくては何も意味がないではないか。言うまでもないことだが、皆さんとても良心的に治療にあたってくださっていたと思う。親切な言葉はもちろんだが、厳しい言葉もこちらを思ってくれているからこそと信じられるし患者のために害になることを、あえて採用しようとする医療者などいるわけがないはずだ。そう信じたい。しかし、いかんせん「中途半端」な感が否めない。そこまで知っていて、どうして。どうして従来の方法を変えようとしないのか?実は、意味がよくわかっていないから、それに十分に沿った方法を取れないのではないか。もちろん問題があまりに大きいものだから、てこ入れは相当難しいのは想像できる。草の根ででも、確実に浸透していくしかないのか。それともカリスマな人物が大号令を発すれば一気に解決するのか。早く夜明けが来て欲しい。患者は、苦しい。痛い。心も体も。最大限、その場でできるそのドクターの持つ最高の医療を提供していただきたい、医療の進歩に敏感に反応し、ご自身の研鑽を臨床医になっても積み続けていただきたいのです。何も分からない人間が生意気言ってすみません。おねがいです。ほんとうにおねがいします。
Jan 23, 2008
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