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付け忘れていた生協の注文表を記入する。
空腹の時に記入すると、どうしても注文数が多くなってしまう。気をつけなければ。
それでなくても我が家の「エンゲル係数」は、とても高いのだから。
最近強く思うことだが、生協のカタログに加工食品が増えていて、その分、料理の手間が省けて、便利と言えば便利になってきている。
しかし、原料となる食材が、それを食べる家族の前で調理され、あの硬い豆が、こんなに柔らかくなるなんて!といった、料理人への感謝や、その技術への尊敬が失われていってしまったようで、何だか、寂しい側面もある。
まな板や包丁、そして鍋などがなくても、毎食バラエティーに富んだメニューから選べる時代を象徴しているかのようだ。
魚が捌けなくても、人に加工してもらい、その手間賃もお金で解決する。そのことが経済的な負担となり、仕事に拘束されてゆく。
日常的な生活ではそれで、何の疑問もないまま過ごせるのだろうが、病気になったり、被災したりして、非日常の生活では、たちまち困り果ててしまう。そんな人が増えはしないだろうか。
便利になった分、人間の能力としては不自由になってゆく。 命の糧として、食材を加工する技術を持っているか否か、人間として問われているような気がする。
注文表を書き上げてから、会議に向かう。そして、終了後、駐車場料金を払うために、自宅近くの郵便局へと出かけて驚いた。入り口のシャッターが降りていて、張り紙がしてあった。

休止させていただきます。
先月のタバコ屋さんの自動販売機荒らしと言い、郵便局強盗と言い、こんなにも身近な所で起こっていることに、貧困・格差政治の実態を感じる。
富める者が、ますます搾取を強め、弱いものから吸い上げる。弱いものは更に弱いものから、略奪する。「新自由主義」では、更に加速される。自民・公明が大敗しても、民主党がそれを補完する限り「富める者」は安泰である。