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数学はニガテだしキライでした。ここで告白しちゃうけど高校のとき基礎解析の教科書を「こんなのわかるか~!!」と破って投げたことや200点満点の試験で19点を取ったことがあります(ー ー;)でも「センター試験が私の人生で最後の数学よ!」と試験終わるなり数学の問題集参考書あっさり処分してやっと数学との縁は終わったと思ったのに数学専攻のパパと結婚し、数学の塾をやってるおかげで見るだけでもヘドが出そうなサインコサイン、何をやってるのか全く理解できなかった微分積分、ベクトルなんてのをまた見ることになってげっそり。長男とっちはパパの血は少しも混じってないのかと思われるほど、算数がさっぱり…いっつも学校から補習のお知らせを持ってくる。私だって小学校の算数までは一応理解してたよ。中学受験とかもしたぐらいだからさ。数日前のとっちの言葉にかなりの衝撃を受けてしまったのでここに記しておこうと思います。「お母さん、九九段って簡単だよね。」へ?「だってさ2段の1番最後2掛ける9、3段の1番最後3掛ける9って各段の最後を覚えたら自動的に9段はわかるじゃない?」えっ?それ今頃気づいたの??「うん、九九段始めて4年にして」…はい、彼は現在6年生。来年中学生になってもよいのでしょうか?という気持ちを抑えおお〜、それ自分で気づいたの?すごいねえと言ってあげたのだけれども…他にも分数と割り算の関係、分数を小数に(その反対も)、百分率(パーセント)なんてのもわかってらっしゃらないことが判明…内心これはヤバ過ぎる、数学はできなくても算数まではできてもらわないとと切実に思ったのでありました。このレベルになるとパパにはどうしてわからないかが理解できないレベルで、塾のお世話になるずーっと前の段階だと思われとりあえず私が忍耐力を持ってこの夏休み中に見てやるしかなさそうで…やはり私の人生からスッキリサッパリ算数数学と縁を切ることはできないようです。
2013.07.19
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今年初めての更新です…もう2月韓国の年で40になりました。(韓国では数え年です)人生80年としたら折り返し地点なわけです。密かに「女は40からよ!」と思ってた私としてはドキドキワクワク女に磨きをかけ深みのあるステキな人になるのよ!!人生第二幕の始まり始まり...ってわけで今年は韓国年齢40になった記念に(?)‘一人で’キムチ漬けに挑戦しようと思ってます韓国に嫁いで10数年…実は今まで義母のお手伝いしかしたことないんです…だってどう頑張ったって義母のが美味しいに決まってるじゃないですか?絶対キムチ漬けは自分ではやらない!と決めてたんですね。でもやっぱりオモニ(母)の味ってのを残したいなあと思うようになってきた。きっと義母の味はムリでしょうから私の味みたいなのができたらいいな〜という感じで。子供たちにもやっぱり母さんのが美味しいなって言ってもらえる、そんなのを作って行きたい。と考えてたけど行動には移せないままひと月が過ぎてしまってますが…更新が滞りがちではありますがワタクシとっちまむが生きてる証しのこのブログやめることは考えていませんので、時々覗いてやってくださいね
2013.02.03
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朝、診察を受けてから学校に行かせようと長男をつれて眼科へ行った。開院時間に合わせて行ったがすでに一人のハラボジ(おじいさん)が受付を済ませ、待っていた。そのハラボジ曰く、「君は国の宝だ。先に済ませて早く学校に行かないと。自分は後でいいから」いえいえ大丈夫です、と言ったがハラボジは受付のお姉さんに自分は後にしてくれと言い、結局うちの順番を先にしてもらった。忙しい朝に、はっきりものを言わずにぐずぐずする長男にいらいらしたまま出てきたのだったが「国の宝」という言葉にはっとさせられた。こいつは私の息子だと思っていたが私のものではない、預かりものなのだ。私は国の宝を育てさせてもらってるのだと...ハラボジ、ありがとうございました。
2012.10.17
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スマホからの写真アップの便利さと手軽さからこのところミクシィやフェイスブックばかりで足が遠のいていたこのブログ...私とっちまむ、生きておりますのでご心配なく^^9月から月~土まで毎日午前中働いてて午後は人に会ったりギターデュオの練習だったりウクレレ習いに行ったりでなかなか充実しているのだけどやっぱりちょっと疲れてきた...とりあえず韓国嫁のストレスの元凶、旧盆もなんとか終わり、旧盆の連休のせいでろくに練習できずに迎えた演奏会も終わって嵐は過ぎ去ったので今日はのんびりさせてもらいます^^といっても実際日曜日というのは母親をのんびりはさせてはくれない。食欲の秋というけれど私は食欲なしの秋で食べたいものもなく食べないで生きていけるならそうしたいくらい。(でもお酒は飲める^^)作るの片付けるの面倒だし。でも家族は食べさせないといけないし。手抜きの食事が日常化しつつあり...栄養バランスが崩れてるせいかひさびさにとっちは咳でネブライザーのお世話になり...これじゃいかんと気を奮い立たせて今日はこれから買出しに行ってきます。久しぶりに作り置きのおかずいろいろ作ってお料理がんばります!
2012.10.07
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けっこう経ってしまったのだけどキャットカフェに行ってきました。ちょうどネコが恋しくなってたところにお友達からお誘いがあって2つ返事でOKキャットカフェデビュー5000ウォンでドリンクは2000ウォン追加。そう広くはない空間に全く人見知りしないネコちゃんたちが10数匹。ちょっぴり警戒?完全リラックスコーヒーをくんくんしにきたり肉球さわらせてくれた白くつしたちゃんもうネコ好きにはたまらない空間!!ご飯の時間が終わって眠たくなったのかみんなお昼寝モードになってしまったのでカフェを後にしました。子供たちに写真を見せると大変行きたがっていました。そして上の子たちは「ナビくん、会いたい...」と。ナビを知らないけれどナビとお誕生日が同じ末っ子ふしぎはやっぱり犬よりネコが好き。 *ナビは実家にいたネコ。くわしくはこちら演奏が立て込んでけっこうナーバスになってキリキリしてたところにふわふわのネコちゃんたちに癒されてホッと一息ついた時間でした。また行こうっと...
2012.07.08
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我が家の子供たちはそろって言葉数が少なく人前で自分からすすんでやるタイプではない。コンジュの担任からは「口数がすくなくて。もっと積極性をもつように家でも働きかけてほしい」というようなことを言われ、義父からも子供たちをもっと積極的になるように育てろと言われて...はいはい、十分わかってるんですよ。確かに自己主張を言葉でできれば相手には伝わりやすいし、相手を説得する手段としても今のグローバル時代には必須だということ。でも口数が多くて活動的ならば積極的でいい子なんでしょうかね?みんながみんなそれを求められなければいけないのか?上の2人は集中力があるし、それぞれの表現方法を持っていると思っている。コンジュは文章を書くことでとっちは絵を描くことで。その子の持って生まれた性質ってのもあるし育つ環境もある。まだ可能性のある子供たちだからこの性格のまま大人になるってわけじゃないし、もうちょっと長期的に見れないものだろうか...実を言えば自分は小学生の国語の時間挿絵にあったうさぎの絵を見て「このうさぎは何を考えているでしょう?」なんて質問をされて答えに困って泣いてしまったくらい小心者で自分の意見なんて言えない子だったし常に通知表には積極性がほしいとか書いてあるくらいだった。けれども中学に入ってからは代表委員とか部活の部長とか合唱の指揮者とか演劇の主人公とか果ては生徒会の選挙に立候補もしたくらいでしゃばってた^^これは通った中学校が小規模でとにかく行事が多くていろんな役割を分担してやる機会が多かったということと先輩たちのやることを引き継いだり、一生懸命な先輩たちにあこがれたりしながら自分もああなりたいなあというモデルが身近にいたからだろうと思っている。勉強面では受験を乗り越えて学校に入ったことである程度自信がついた運動面では毎日朝早くから部活の練習や大会で基礎体力と目標をもって続けることを学んだ。学校行事で忙しい中ギターのレッスンは続けていたし片道50分の通学。息つくひまもなく忙しい中学生活だったけどこのときの環境は今の自分に大きく影響していると思う。でもここでの学校生活はどうなのか?(うちの子たちの学校ではということだが...)まず何かに向かって周到に準備するということがない。行事にしたって運動会の練習なんてほとんどないし、学芸会は習い事の発表の場と化しているし、クオリティは低い。よく言えば臨機応変。はっきり言わせてもらえば秩序がない。生徒会や学級委員でなければ自分が任される仕事というのはないし責任もって自分の仕事をするという機会がない。それなら勉強はというと塾任せなところもあるようで中学生のコンジュは「塾で習ってなかったら学校の授業ついていけないと思う」という。私の学校時代には勉強のやり方やノートのとり方も先生が示してくれる方式に従ってやっていたと思うがそんなことは教えてもくれないしノートを使わない、つまり書いてまとめるということをしない教科もある。日本の小学生なら漢字、計算、本読みなどは毎日のようにでる宿題だがこれは少しずつこつこつ積み重ねるという意味もあると思っている。ここではそんなことは親が家でやらせない限りそんな習慣はつかない。このような環境で何を身につけ何を感じどんな人格形成がされるのだろう...習い事や塾に追われ、勉強、勉強といわれ続け一息するのは無気力にPCやケイタイを見ること。一生懸命になれることも楽しいこともない...そんな教育に関する話をパパにすると「だから日本で学校行かせろって言っただろ」と言われがっくりくる。そうできるならしたいけれどそんな簡単な問題じゃない。一方では自分の知っている日本は昔の話で今はまた違うのかもしれないし結局どこにいてもこれがベストだということはないのでは?と思ったりも。だから子供たちにはこの与えられた環境の中でいかに多様な機会に触れさせオンリーワンの自分を作っていきどう自分を生かして発揮していけるのかそれを考えているのに頭ごなしに勉強しろ、積極的になれ、と言われたって腹がたつ話...
2012.06.27
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いつかスペインと中南米に行きたい。10何年も前からスペイン語を勉強したかったのだが何度挫折したことか...やっぱり私には独学は無理だ。40までにスペインに行きたいとひそかに思っているのだけど(ここに書いた時点でもうひそかではないが^^;)もう40が目前になっているそんなあせりを天が見かねてかこのタイミングでボランティアのスペイン語教室が開かれるといううれしい情報が!もうこれは行くしかない。ただ問題は英語で説明がされるということ...昨日は初日だったのだけど英語を1時間半もの間集中して聞くなんてたぶん大学以来。まあなんとか聞くには聞き取れるのだけど全神経を集中しているので終わったあとにはもう頭は麻痺状態スペイン語の内容も知ってるフレーズだったのでまだよかったのだけどこれから先どうなることやら...でもなんとかなるでしょう。週1だしね。予習復習頑張ります。前に中国語を韓国語で勉強した過去ありだからね~あれよりはましかな。(もう中国語はすっかり忘れてしまってます...)本日の韓国語講座モリエ チュィガ ナダ : 頭がしびれる、痙攣する (難しいことを考えたり聞いたりして頭がボーっとする)
2012.05.16
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結婚するときセットで買った食器。ばたばたの結婚準備でじっくり選ぶ時間もなく義母に東大門だったか南大門だったか食器市場に連れて行かれて入った1軒の店で選択肢がそうない中から「ここで決めなさいね」みたいな感じで言葉もよくできなくてこんなたくさんのセットはいりませんと言いたいのだけどわけがわからないままそのときはなんとなく高麗青磁みたいな感じの色具合にひかれて結局これを選んだのだけど(こんなの↓)それが間違いだったと気づくのにそう時間はかからず...だって赤い食べ物が多い韓国料理。緑系統の食器では全く食欲をそそらない。もう最近ではどうにも我慢ならないくらいこの食器を使うのがイヤになってきて。ついでに汁器の形が犬の餌入れみたいで嫌。でもこれ、どうやらよいものだったらしくけっこう雑に扱っても割れるどころか欠けてもくれない。欠けてくれれば潔く捨てられるのに...8こづつのセットだったと思うのだけどなかなか減らないので先日売れるか半信半疑ながらいくつかフリマに出してみたらまとめて持って行ってくれた。ラッキー!今度のフリマで全部処分しちゃおう。結婚当初はうちで人が集まって食事する機会も多くてお皿もたくさん必要だったけれど今ではパパの実家も目の前だし、うちで祭祀をやることもなくなってもうそうたくさんはいらない。10年以上使ったから替えてもいいかな?人の好みも変わるのだ!飽きのこないシンプルなものでと思ってたところに大きさも形も重さもシンプルさもお値段も適当なものに出会った。これを買うか買うまいかで一晩悩んで「よし、これにしよう!!」と決め店に行ったのだけれどバラで買うよりお得な3個セット。5人家族の我が家。あと2つをバラで買うか、それとも3個セットをもうひとつ買うかで売り場の前でかなり迷って結局決めきれず...とりあえず3個セットを1つだけ買って帰ってきた。食欲が少々戻ってきた気がして料理もちょっと頑張ってみる。家族の反応もいいので満足^^でもまだ3つのまま...こんなところで決断力のない私。
2012.05.10
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実家に5泊6日で行ってきました。約1年ぶり。上の子たちは冬休みに2人で行ってきたし、学校もあるので今回は末っ子のふしぎだけ連れて行きました。疲れました...普段あまり一緒にいることのないふしぎと一日中一緒にいるのと子連れでてくてく歩いたりバスに乗ったりすること。おんぶとか抱っことか言われるし。大きな声で「おっかさ~ん!」と呼ぶのでかなり恥ずかしかった週末に鳥類センターに行って乗り物に乗ったり鳥や小さな動物を見たりしたのと何度か外食をしたくらいであとは近くの公園で遊んだりスーパーに行きがてら散歩するだけだったけれどでもふしぎは何をしても「楽しかったね~」何を食べても「おいしいね~」と言って楽しんでいましたあちこち行ったり人に会ったり買い物に行ったりもしたかったけれどなかなか思うようにもいかず時間は過ぎてしまい...実家を無線インターネット環境にしてiPadを使えるようにしてきました。これで顔を見ながら電話しようというのが大きな目的。操作が簡単なのでパソコン触ったこともない母でもこれくらいならできるでしょうということで。買って10年以上になるはずなのにほとんどワープロでしかなかったらしいパソコン。デジカメで撮った写真を現像に出してパソコンで作った文書に貼り付けてコンビニでカラーコピーするというすごくまどろっこしい方法で書類を作っていた父デジカメの写真をパソコンに取り込むとかメールに写真を添付するとかそういうことも伝授しなければならず...団塊の世代を飛躍的に文明開化させてきました海外生活長くなると新聞に入ってくるチラシを見るのも楽しい。日本のモノの多様さにやっぱり豊かで便利な国なんだなあと。外に出ても静かできれいで丁寧で。でもだんだん実家に帰る頻度も少なくなりこちらの生活にどっぷりつかってるともうたまに行く日本の生活というのは夢か幻か、浦島太郎の竜宮の思い出か...将来日本に住むということはあまり深く考えてなかったけれど親は年老いてゆき、自分は一人っ子だという現実。充電というよりはなんだかもやもやが新たになって疲れが残る滞在だったけれど一年ぶりで孫の顔を見せてやれたということで。今日は早速ふしぎは託児所に放り込んでちょっとゆっくり一人時間を楽しんでから食材の買出しに行ってこようと思います。
2012.04.25
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午前中の仕事が減ったので家で一人の時間が増えてちょっぴり満足な日々。(収入は減るんだけどね)やっぱりこういう気持ちの余裕が必要なんだなあ。自分の練習時間も今までより格段に増えてうれしくって急激に練習したせいか右手首が痛い来週演奏があるのに...日本のもの食べたらちょっとは元気になれるかなとラーメン食べに行ったけどやっぱり違う。かえって大砲ラーメン(地元のラーメン屋です^^)が恋しくなっちゃって。やっぱり来月あたり一度日本に行ってこようかと思う。円がちょっぴり下がってくれてるうちに。1年ぶり久々に沖食行ってみるか?(すみません、完全に地元ネタ^^)ラーメン食べに日本に行くのか?って感じですね。でも日本に行くと散財してしまうのでそれがね...あれもこれも目をひくものいっぱいなんだもん。でも結局こっちに持ってきてみるとあったら生活が潤うけれど無くてもどうにかなるものだったりする。これ以上モノを増やしたくない&40までに楽器を買いたいので我慢ガマン。充電終えたらまたちょっぴり頑張ろう。
2012.03.23
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3月から新学期が始まり新しい生活リズムがまだ定着しないためなのかまだまだ暖かくならないの気候のせいなのか頭もぼんやり心もどんより。特に何をしたわけでもないのに疲れ気味。ちょっとしたことにいらいら。これはよくない兆候...とりあえず今日はフリーの日。ゆったり自分の時間を楽しむことにします。---------------------------------------昨日はこれ↓をためしてみました。NEW 韓国コスメ 『THE FACE SHOP』 ザ・フェイスショップ スマイル フット ピーリング 20ml×2枚最近美容に関心を持ち出したコンジュが美容にあまり関心のない母のために自分の買い物のついでに買ってきてくれました。(ああ、娘がいてよかったと思った瞬間^^)効果のほどは?1,2週間後のお楽しみ^^
2012.03.14
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韓国嫁の皆様、旧正月お疲れ様でした。名節症候群やら胃腸炎やらを引き起こす精神的にも肉体的にも嫁を酷使するこの年中行事、もう時代に合わせて変えていくべきじゃないかと思うんですがね...とりあえず終わったのですっぱり忘れることにしましょう。今日は雪が積もったし、お疲れだしということで主婦の方たちのレッスンがお休みになったので朝から洗濯機回して、掃除機かけて洗濯物を煮ちゃいました。洗濯物を煮る??水質のせいなのか洗剤に蛍光剤が入っていないからなのかこちらでは白い洗濯物が真っ白にならないのです。下着とかタオルとか布巾とか白いものはなんだか黄ばんできたなあと思ったら粉末漂白剤入れてぐつぐつ煮ます。こちらには煮る洗濯用のバケツや鍋もあるんですが(電気で煮てくれるシロモノもあります)こんなのとかこんなのとかうちはたまに使うだけだしそうたくさん煮ることもないので壊れた炊飯器の内釜^^ここに嫁に来た頃はこの家中に広がる漂白剤の匂いがたまらなく嫌で「今の時代、ノミやシラミがいるわけでもあるまいし なんで洗濯物を煮なきゃならんのだ!」と思ってたのにそれをやってる今の私...だってすごく真っ白になるんです。これは癖になります。すっきり。義母は雑巾も真っ白にしてしまいます。色柄物のパンツやハンカチも煮てしまって淡い色とかまだら模様を作ったりすることもあってそこまでする必要があるかと思うときもあったけれどもう今では私の感覚も麻痺してしまってますので大丈夫です^^ただ我が家にあったベルギー土産の生成りのレースまで真っ白にされた日はさすがに泣きましたが...これも白衣の民族に嫁いでしまったワタクシの運命...雪景色の見えるベランダに真っ白な洗濯物を干して今日から新しい気分で新年の始まりです。
2012.01.25
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家族そろって無事に新年を迎えました。おせちやお雑煮のかわりに韓国お雑煮(トックッ)と黒豆を食べて1つずつ年をとりました。 ※韓国では数え年です今年は辰年。天に昇る龍のように上昇志向でいきたいなあと思います。今年の目標は「収納する」すっきりした暮らしを習慣化するのが目標です。更新が滞っているこのブログですが今年もまた思い出した頃にときどきのぞいてくださるとうれしいです^^今年もとっち家をよろしくおねがいします。
2012.01.01
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Eさんはギターレッスンに来られてい60代の女性です。30を過ぎた娘さんと社会人1年生の息子さんがいらっしゃいます。初めてEさんの娘さんに会ったときこちらからあいさつするとにっこりしながらあいさつを返してくれて感じのいい人だなあと思いました。でも話しかけても返事が「ネ~(=はい)」だけで後が続かない..あれ?なんだかちょっと??と思っているとEさんが言いました。「娘はね、知的障がい2級なんです」そして「この子は産まれて数ヶ月のとき養子にもらった子なんですよ」と。障がいは生まれたときからだったのかEさんの家に来て数ヶ月後に入院するほどの高熱を出したのが原因なのかはわからないらしいのですが...それまで私の知っている韓国での養子縁組についての知識は以前書いたような(こちら)ものだったのにその当時は国内養子自体もそう多くなかったに違いないのに。そしてこの国はまだまだ障がいを持った人に対する認識、理解が低いという事実...こんな身近にこういう人がいたのだということに本当に驚きました。娘は胸を痛めて産んだ子、息子はお腹を痛めて産んだ子...息子さんには軍隊を除隊してから初めて実はお姉さんが養子であることを知らせたそうです。そしてお父さんとお母さんをとても尊敬する、自分は苦労をかけないように頑張るからとこの就職難の時期に大学卒業と同時に大企業に就職が決まりました。同じ頃、娘さんもキムチ工場に障がい者の枠で就職することができました。交通機関を使って通勤することはできないので、送り迎えをしてあげなければいけない。自分で自分のロッカーを探すのも難しい、仕事を覚えるのも時間がかかる、仕事がはかどらないからときどきは手伝いに行ってあげなければならない。でもシャワーから着替えからなんでもしてあげなければいけなかった娘が仕事を持つことができ自分でお給料を稼げるようになった。30年苦労してきたけれどこれほどうれしいことはないとEさんはとてもうれしがっていました。数日前のこと。Eさんは教会で運営している障がい者の施設に5年ほど前に話をしていたのですがそこから入所の審査を受けないかと電話がきました。これを断われば今度はいつ入れるかわかりません。Eさんの考えは自分は年をとるにつれ体もつらいし、これから先は長くないことを考えたら娘を前もって施設に入れ、ほかの人との生活に慣らしておきたい。娘は結婚もできないし、かといって息子に姉の世話まで任せるわけにはいかない。施設は家からも遠くないし会いたいときに会うこともできる。施設ではいろいろなプログラムもあるし、先を考えたら娘のためにもそのほうがいいと思う。嫁に出したと思って施設に入れたい、ということでした。でもEさんのご主人はなんてことを考えるんだ。自分たちの娘なのに自分たちが死ぬまで一緒にいて面倒を見るのが当然だ。と言って大反対したそうです。その話を聞いて正直少々気分のよくない感じを覚えたのは確かです。死ぬまで一緒にいるのが当然だと思ったし、果たして自分のお腹を痛めた子でも同じ選択をするだろうか?という点でです。でも親が先に逝ってしまうことを考えれば自分で決定することができない子なのだから親が後のことを考えてやっておかなければいけない、というのが親となった責任でしょう。私だったら?と考えましたが私にははっきりと答えをだすことはできません。自分のことではないですが数日間、なんだか心の重い日が続いています。
2011.11.29
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あちこちかけまわって忙しくしていたところ意外な場所で何年も会ってなかった人たちとうれしい再会をした。1人目はコンジュが幼稚園のときのハングルの先生。じーっと見つめられて「誰だ?」と思ってたら彼女。6,7年ぶりなのに覚えてくれていた。コンジュがお姉さんになってるのをみて驚いてた。今はもう先生はやめてホームステイの受け入れをやっているそうで自分の知り合いともつながっててびっくり。お酒好きなことが判明し^^次回食事(お酒?)をご一緒することを約束して電話番号の交換。2人目、以前いた日本語学院の生徒。4年ぶり。「先生!僕、覚えてますか?」と流暢な日本語で話しかけられびっくり。かなりマニアックな日本語学習者だった彼、(難読漢字の読み方を聞いてきたりして私を困らせていた)国際交流関連のボランティアをしているという。結婚して子供も生まれたという。また外国人の参加するような催し物があるときは知らせてくれるように頼んでおいた。3人目、ここに来た当初住んでいた家のお隣さん。とっちが赤ちゃんのとき、ときどき見てもらったりてんぷらを揚げたと言っては持ってきてくれたり引っ越した後もときどきごはんをごちそうになったり愚痴を聞いてもらいに行ったりしていた。電話で話したのも2年前くらいだし、会ったのは5,6年前が最後かな?演奏に行った先で客席から満面笑顔で大きく手を振っている人がいるなあと思ったら彼女。多文化家庭(外国人)対象に韓国語を教える先生をしているそうで全然思いもしないところでの偶然の再会に手をとりあって喜んだ。ふしぎを連れて今度遊びに行くことにした。このほかにもここ数ヶ月の間でfacebookやらmixiやらでなつかしい人たちとつながってびっくりうれしいの連続。一番のびっくりは27年前シンガポールにいたころ父の会社にいた現地スタッフから連絡が来たこと。中国系シンガポーリアンの彼女とは何回かうちに来たり彼女の家に行ったりしたことがあって、高校のときぐらいまでは年の近い彼女の妹と文通をしていたりしていた。名前を覚えていて、検索して探しあてたらしい。父に話すと「なんだか玉手箱だかタイムマシーンみたいな話だなあ」と言っていた。先日も在韓歴の長いフィリピン人の知り合いが言っていた。ここで知り合った人たちは自分の財産だよね、と。本当にそう。自分がここで作った人とのつながりは大事な財産だ。今、自分の携帯電話に入っている連絡先を全部失くしたとしたらきっと生きていけないだろう^^今まで出会ってきたたくさんの人との出会いに感謝!
2011.11.04
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今日は午前中のレッスンに来られる方からお休みするとの連絡があって久々にのんびりした午前中を過ごしています。今月に入って立て続けに2つも演奏会があったので先月からかなりぴりぴりしてました。終わったと思ったら子供たちが調子が悪いし...今日はなんとかみんな学校、託児所に送り出しやっと一息ついたところ。(でも明日は区の催しで歌を歌わなければならない...)ひとつは修道院の野外音楽会でした。夜の野外は指先がしびれるくらい寒かったー。でもやっぱり秋はギターの音が一層美しく冴える季節です。空気も天気もよくて月が明るい夜、松の木の下でソルの月光、シューベルトの夜と夢、夜霧のしのび逢い(映画曲)を先生とギター二重奏。我ながら粋な選曲^^アンコールのお声までいただいて演奏が終わった後にギターの音色がとても美しかったと何人もの方に言っていただいて満足の演奏でしたほかの出演者は歌、韓国舞踊、チェロなどでしたが無形文化財の方のカヤグム(韓国のお琴)はあの場で一番絵になっていた。月夜と松とお琴。水墨画にでも描けそうな。(いや私は描けませんがね^^)平和放送(カトリック放送)でラジオ録音されてたようです。その2日後には生涯教育院の宣伝を兼ねた演奏会で先生と私の二重奏をメインに教育院の受講生の二重奏、合奏、先生のお友達(?)のハーモニカなど。教育院にクラシックギター科が創設されて6年にして初めてのギター演奏会でした。こちらのほうははっきり言って準備不足で自分の練習もやらないといけないのに合奏の指導も頭痛くなる水準でついでに先生もほかの演奏会満載で忙しく...こんなんでいいのか??という感じでしたがなんとか演奏会にこぎつけてまあ、これが記念すべき第一歩ということで受講生の合奏ができるようになっただけでも舞台で弾けたというだけでも私は感動だったのだけど。これからは合奏のほう、しっかり指導してギターの楽しさを感じさせながらレベルアップさせていくという目標ができました。発表の機会も増やさないとね。自分も練習不足でついでに客席の物音に気をとられて途中で止まっちゃってやり直すという大きなミスをしてしまったのだけどやっぱり先生との二重奏は安心できるからやりやすいし上手な人と一緒に弾くのはほんと快感。(先生もちょこちょこミスってたけどさ...)まだまだ実力不足で発展途上の私をパートナーに選んでくださった先生には感謝感謝ですパパと子供たち、義母さん、家族みんな来てくれました。義母は初めて嫁が演奏するのを見たんだけどどう感じたんだろう...ふしぎも母が何をしてる人かわかってくれたかなあ?これらの演奏はどちらもノーギャラ。(おいしいご飯をごちそうにはなったけれど...)ギターで食べていくのはなかなか難しいけれどこうやって自分の好きなことをやれてときどき舞台の心地よい緊張感を味わって自分の演奏を通してああ、ギターっていい音だなあって思う人が一人でも増えたりほかの誰かと感動を共有できるっていうこと自体が私には快感なのです。これからもここでギターの伝道師としてまい進していく所存であります^^
2011.10.13
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かなり放置状態のブログでしたが(1度更新しようとしたけど全部消えてしまった...)とっち家、みんな元気です。とっち家の最近コンジュ:背も伸びてかなりお姉さんになりました。 (おでこにはにきびが...) 友達と地下鉄乗って買い物&カラオケに行くなど 行動範囲が広がってます。 KARAとかが踊ってるダンスを習ってたせいか ダンスや歌に興味があるようだけど、決して披露してくれません... 来年はどきどき中学生。とっち :もう反抗期突入か!?小学4年生。 言うことは聞かない、口答えする、みえすいたうそをつく。 友達の影響でテコンドーに通い始めて帰宅が遅いし 友達と遊ぶのに忙しくてほとんど家にいません。 関心分野ミリタリー。暇があると銃とか戦車の絵を描いてる。 でも軍隊には行きたくないらしい。 でもまだ母の髪の毛を触るなどまだまだかわいい部分も。ふしぎ :託児所にいる時間が長くなって 家では完全に「だっこあら」になった2歳5ヶ月。 わりとあっさり1日半でお昼のオムツ卒業。 ねえねの新しいおふとんがお気に入りで静かだなあと思うと ふとんにくるまってごろごろしてる。 日本語と韓国語を区別していて、父が日本語、母が韓国語を使うことを 否定します。パパ :なぜか突然オカリナを習い始めました。 午前中の講座なのでおばちゃんたちの中で黒一点らしい。 夜10時以降の授業がなくなったので 夕食は家で食べるようになり、朝に起きるようになってよい傾向。 ふしぎと遊びたいのにふしぎが冷たい態度をとるし、 自分に全然似てないので 「我が子じゃないんじゃないか」との疑惑をもっている。 私 :スマートフォンにしてから寝転がってネットを見るなど ぐうたらに磨きをかけている。 ミクシィやフェイスブックでときどきつぶやいてます。 レッスン費を4ヶ月滞納されてたのだけど なんとかそれを回収してからは どどーっとあちこちから仕事やら演奏やらお手伝いやら なんやらの話がやってきてなかなか大きな 収入にはつながらないが充実(というか頭の中ごちゃごちゃ)な日々。 ってな感じです。私の今年の秋は芸術の秋&食欲の秋のようです。みなさんの秋は?
2011.09.30
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長い長い夏休み。どこに行くでもなくただただ夏休みが過ぎるのを指折り数える毎日...この時期って周りの日本人の知り合いたちは長期で日本に帰省してたりして自分もなんとなく日本が恋しくなる時期子供たちも日本食がちょっぴり恋しいようだったので先日お友達と行った日本式ラーメン屋に子供たちを連れて行くことにしたのです。以前にも日本風ラーメン屋には何軒か行ったことはあるけどまあ、最初から大きく期待はしてないけどやっぱりがっかりさせられることが多くてでもこのお店は全く日本の味とまではいかないけれどたぶんもう在韓歴も長くなってきて麻痺してしまったのかもしれない私の舌には合格点だったのです。行こうと子供たちと約束していたその日は朝から雨で別の日にしようと言いたかったのだけど楽しみにしていたのを裏切っちゃうのもなあと重い腰を上げて行ったわけです。お店で席に着くとお店の女主人らしき人がでてきて「テレビの取材が来てるんですけど出てください。 食事代はサービスしますから」なんて言うではありませんか!!でもすっぴん&よれよれの格好で子供3人連れでそんなのテレビに映されてもねえ...まあ、地方局だし、編集されて一瞬で終わるのだろうしあんまりでかけたくなかった雨の日にでてきてそんな日に偶然タダで外食できるんだからラッキーじゃない?と得意の能天気プラス思考コンジュが友達が見たらなんか言われるから絶対嫌だというのを誰も見ないよ、それにタダで食べられるんだからといいさとしOKする。TV局の人とお店の主人とがやってきてお店のほうで出したいメニューがあったらしく私たちが注文した3品にお店のおすすめメニューが1品加わってとっちは久しぶりの日本のラーメンにもくもくと食べ続ける姿を撮られ私はカメラを撮ってる人と自然な感じでおしゃべりしながら実家が日本であることを打ち明け、他の店ではがっかりすることが多かったがここは日本の味に近いというコメントをし、普段は知らない人には恥ずかしがって私の後ろに隠れてしまうふしぎがカメラには物怖じもせず日本語で「おいし~」とVサインを。そして29000ウォンの食事代は出演料(?)として無料に子供たちもおいしく食べたようだし、満足、満足どこの放送局だかも番組の名前もうろおぼえでKBSのなんとかトゥデイって番組で次の日かその次の日に放送っていうあやふやな情報でパパに話をしたところネットでひたすらタシボキ(終わった放送分を見ることができる)を探したようす...(実はKBSでなくてKBCだった...)自分がでてるのを見るのはぜーったい嫌なので私は見てないけれどとっちが食べてる姿とふしぎが「おいしー」って言ってるのとサインしてるのはちゃーんと写ってたらしい。私は名前まで出されてて...今回の教訓ああ、もうこれからはすっぴんで出かけるのはやめよう。
2011.08.16
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実は先月、無料だっていうから多文化(外国人)対象のネイルアート講座にちょこっと通ってて爪にマニキュア塗ったり、絵を描いたりすることに特別興味あるわけではなくギター弾きとしては爪の手入れ方法とか割れたときくっつけたりするのを教えてくれればいいなあって感じで行ってみたんだったんだけどそれをやりたいんだったら資格取得までを目標に入れた研究クラスに!とかメイクアップやら頭皮管理やらもタダで受けられるとかっていう先生の口車に乗せられて(?)軽い気持ちで始めることにしたらこれが実は労働庁から支援が出る名づけて「就職成功パッケージ」(日本でいうハローワークの職業訓練ですね)私ら外国人は就職弱者ってことで職についてなければ(雇用保険に入ってなければ)無条件で教育を受けれちゃってついでに就職するまで面倒見てくれちゃうという。結局はこの職業訓練を委託された学校に利益があるってわけで...わかった時点でやめとけばいいものをまあ、どうにかなるでしょと自分をだましだましやってるうちにあれよあれよと事は進んでしまってなんだか面倒なことになってきちゃってて8月から教育が始まるのだけど道具も先に受け取ってしまってもうあとには引けない...美容方面で就職したいという確固とした意志があるわけではないしほかのこともちょこちょこやってる身としてはこれにこんなに時間を費やすと身動きできなくなってしまう。自分で自分の首しめてるよ。ああ、ほんとにもう今回は後悔の嵐...まあ、とりあえず3ヶ月だし、仲間もいるしやるしかないので頑張ってみます。新しい出会い、新しい道が開けるかもという期待も込めて。始める前からくじけそうになってる私にエールをお願いしますm(_ _)m
2011.07.31
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なんだかものごとうまくいかないときは続くものでついでにいらいらさせる人だらけでこれはもうマイナス思考の罠にはまってしまった証拠なんだけど韓国&韓国人こんちくしょーと思っちゃう。韓国が好きで来たくて来た私でもそうなんだから好きでもないのに来た人たちはなおさらだろうなあ。でもそういうときこそいろんな人に会っていろんな場所に出向いてなんとかそこから抜け出る蜘蛛の糸でもつかめたらラッキー。自分をハッピーにする方法についての話を聞いた。その中でふむふむと思ったもの。1 3つの'ッポ’毎朝鏡を見ながら「ナヌン キッポ(私はウレシイ)」「ナヌン パッポ(私はイソガシイ)」「ナヌン イェッポ(私はキレイ)」と唱える2 プラス思考の人と付き合うことマイナス思考の人とは付き合うな!その話を聞きに行った先でもやっぱりいらっとすることを言う人がいたのだけど...結局は相手のせいにするのではなく自分の考え方、受け止め方を変えるしかないんだよなあ。頭ではわかってはいるつもりだけどそれを日常化するにはまだまだ修行中。今日もハッピーな1日になりますように。
2011.06.27
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久しぶりにCDを買いました。「スターキング」というTV番組にでて大きく知られるようになったフルーティストでジャスミン・チェ(チェ・ナギョン)ファンタジー(FANTASY)/チェ・ナギョン 22歳にしてアメリカのシンシナティ交響楽団の主席フルート奏者。アメリカの有名交響楽団の管楽器では初の韓国人らしい。テレビで見たときはルックスとなんだかアクロバティック(?)な演奏とでただ「すごいねー」って感じだったのだけど先日、車のラジオで流れてきた演奏ははっとするほど美しい音色と情緒的で表現豊かな音楽だったのでCDを即買いしてしまいました。(韓国はCD安いですからね~)実はコンジュととっちはフルートを習っています。コンジュは2年目とっちはもうすぐ1年。でも発展途上中の彼らのフルートの音は尺八なのか口笛なのか...といった感じで息も絶え絶えで聞いてるほうも呼吸が苦しくなりそうなくらいですCDを聞くと「ああ、フルートってこんなに美しい音がでるんだったのね」しみじみ思います。我が家のフルーティストたちもいい音や音楽を聴いて上達してくれたらなあという思いを込めて...
2011.06.04
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私とっちまむは鹿児島県人と佐賀県人のハーフである。現在実家は佐賀県との県境の福岡県にあるのだけれども幼少時代は日本のあちこちを転々としていて小中学校時代は福岡県に近い佐賀県にいた。なので正確には自分の話す方言がどこの方言なのかははっきりしにくい。ついでに高校卒業後は関東(南東北とも言われる?)で過ごしながら標準語で話してた(つもり?)し今も韓国に住みながら日本語を使うときも方言を使うことはほとんどないので長い間どっぷり方言で話すことはなくなってしまって九州人だとばれない自信はある。それでも何かの拍子にふと思い出す方言があって「ああ、こんな言葉があったよな」とひとりでにんまりすることがある。最近思い出した言葉「わがよかごつ」「いっちょん」「(かばんを)からう」「がば(り)」最近 とっちが いっちょん ゆうことば きかんでから わがよかーごつ するけん こげん 方言の でてくるとかんしれんのです^^翻訳すると最近 とっちが 全然 いうことを きかないで自分勝手に するから こんなに 方言が でてくるのかもしれないという意味^^「からう」というのは「背負う」という意味なのだけど最近ふしぎが託児所のかばんを「からって」行けるようになったので思い出したらしい。「がば」は「とっても、すごく」の意味で佐賀では「がっぱ」と言っていた気がするのだが、中1のときの社会の先生が今まで聞いたこともなかった「がばり」を連発して新しい中学生活の中でも結構衝撃的なできごとだったのを思い出したのはこの先生が校長先生を経て退職されたとの情報を聞いたから。方言ネタは話し出したら尽きることはないけれど“ふるさとのなまりをなつかしむ”在韓満12年を迎え...
2011.05.02
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今、韓国はフォークギターブーム再来中。集まるのが好きで歌好きな国民性にあっているのだろう私がクラシックギターを教えている教育院でもフォークギター講座を開講して欲しいということで開講したところ超人気で昼、夜の講座を合わせると40人以上にもなり急遽手伝って欲しいということで助手としてフォークギターまで教えることになってしまった。ここだけの話、実はフォークギターなんて中学のとき音楽室にあったのを爪弾いたのが最初で最後^^今まで韓国のしかもこんな地方都市ではギターなんて演歌か単なる歌の伴奏楽器と思ってる人は多くてクラシックギターやってます、なんて言っても必ずといってもいいほど「じゃ、古賀政男(いやもちろん韓国では知られてないけど似たようなの)、一曲!」「歌の伴奏ちょっとやってよ」と言われ「『禁じられた遊び』ならかじったことあるよ」なんて人すらいない。もちろんクラシックギターで独奏も伴奏も可能だしまあ、日本でもそんな人はいるんですけどねギターくらいじゃないのかなちゃんと楽器の区別があるのに クラシックギター↑マイファーストギターはこんな感じでした フォークギター↑今回はこんなのを買いましたジャンルの線引きをされずにオールマイティーを求められる?っていうか何でもOKと思われてる?いやクラシックギターという存在自体も知られてなかったり?だってオペラ歌手に演歌を歌えとか言うか?ジャズピアニストにピアノコンチェルトを、と言うか?(もちろんOKな方もいらっしゃるでしょうが..)と憤慨してみるけれど哀しいかなクラシックギターを習いたいといってくる人もそういないし私はクラシックギターだけで食べていけるような身分でもなく...お気楽ごきらく深く考えないたちなのでクラシックやってて基礎はあるので応用は利くしコードじゃかじゃかやってピックで弾くのをちょっと練習すればいいだろう、この機会にフォークギターも弾けるようになって守備範囲(?)も広がって韓国の歌謡曲もできるようになってレパートリーも増えていっかと前向きに考えることにしたのだけれど...クラシックギターの名器を購入しようとこつこつ貯めてるのに計画外のフォークギターを買うことになり楽器屋に行ったところ予算をオーバー。でもやっぱり金属的な音が耳に障って、スチール弦は押さえる指が痛いし慣れないピックで弾いてるので手首やら肩やらが痛い。生徒さんもクラシックギターの方は比較的おとなしくて素直に受け入れ、地道に練習するタイプの方たちが多いのに比べてフォークギターは典型的韓国人タイプの方々のオンパレードでちょっとやれば歌いながら弾けるようになると思ってて練習もしてこなければ、最初っから歌に合わせようとするのでしっちゃかめっちゃか。その上できないとすぐあきらめようとするか、教える側のせいにする。ほんと肉体的にも精神的にもツカレル...でも韓国歌謡に手を出したついでにやけくそ半分で韓国懐メロ演歌にも手を出したが、これがもう日本の演歌そっくりそのまんま。これは日韓どっちでもお年寄りの施設なんかで演奏したら喜ばれそうなのでレパートリーにすべく練習中。クラシックで始めればつぶしがきくってことを身をもって見せてやろう。そしてこのギターブームに乗っかってクラシックギターにも風を吹かせようともくろみ中なのであります。
2011.04.14
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最近話題のカタツムリの化粧品を買いました。セール中!【公式】◆ プレステージ・クリーム・エスカルゴ 幻のカタツムリ粘液抽出物が入ったBBクリーム ☆[It's skin] イッツスキン【正規品】基本的に何を使っても大丈夫な肌だし化粧品にはこだわりもなく興味もあまりない^^試供品とか雑誌のおまけとかおみやげとかもらいものの化粧品で済ましてたりして...たまに気が向くとふらっと寄った店で買ったりする。数年前にそうやって買った化粧品が「It's skin」のリキッドファンデーションなのだけれどこれが塗りたくってもさらっとしててgood。ついにこれを使い切ったのでリピートするつもりで買いに出かけたのだけれども20前半とおぼしき若い店員が私が買おうとするものは「学生たちが使うものです」と若者が使うものだと強調し、やたらと「オルン(=大人)たちにはこっちがいいです」2倍ほど高いものを薦めるまあ、確かにもうチープな化粧品使ってる歳でもないよなあ...塗ってみたら確かにこれもさらっとしてて香りもいいし最近流行のカタツムリでついでにBBクリームということでお買い上げ。さらさらでお肌の調子はいい。色もちょうどよく馴染んでくれる。ただ私にはこれだけではちょっと薄づきかな。(歳は隠せませんね...)でもこれにしてから顔色がいいねとか健康そうねといわれる今まで使ってたBBクリームは「ハンスキン」肌の潤いと欠点を効果的にカバーする「おネェ★MANS」で放映!話題のBBクリーム★ハンスキン プレミアムスーパーマジック BBクリーム10ml(003-129)これはやっぱりBBクリームの元祖なのでカバー力もよくってパウダーをはたかなくてもけっこう平気。でも色黒の私にはけっこう白く見える...3児の母となり、さすがにアガシ(=独身女性)には見られなくなりふしぎのためにも若いお母さんでいるために自分に投資
2011.03.11
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ギターの生徒さんの中に75歳になる男性がいらっしゃる。ソウル大の哲学科だかドイツ文学科だかをでてドイツで博士号を取ったとのことで「パクサニム(=博士+ニムは敬称)」と呼んでいる。ドイツに渡って40年近くになられるらしいがドイツの冬の寒さは堪えられないと冬の4ヶ月ほどを韓国で過ごし、そして春になるとまたドイツに戻って過ごしやすい夏を過ごすというなんともうらやましい生活を送っていらっしゃる。話し方は整然としてるけど暖かくてユーモアもあってときどき「えっ?」と思うような日本語なんかをご存知で服装もハンチングだとかベレー帽だとかアスコットタイ(なのかな?)とかそういう小物使いがやはり外国を思わせるというか明らかに全羅道のじいちゃんではないよなという...ギターも理論と研究と実践に基づいた練習をされているのだろう手が小さいことで苦労されているが常に1週間できちんと曲を弾けるようにして来られるし「モボムセン(=模範生)」として表彰したいくらい。うちの父は孫たちに「おじいさま」と呼ばせたがっているがこういう方にこそふさわしい「おじいさま」そんなパクサニムから遠いドイツの話を聞いたりするのは楽しみでもあり、海外生活をしているという共通点、日本語が通じるという気楽さもあり...先日レッスンの合間のティータイムみんなでおしゃべりしていたときなんの話の流れからだったかパクサニムが「ドイツにいると今でも朝起きたときから緊張するんです、 ここは外国だ、ってね。外に出ても極端に目立つようなことがないように 言動にも気をつけます。 でも韓国に帰ってくれば足を伸ばして眠れますし、安心して目を覚ませます」とおっしゃるのだ。すかさず誰かが「とっちまむ先生もそうでしょうね?」と言ったのだがごめんなさい...私はそんな緊張感持って暮らしてません...「まあ、日本と韓国は同じアジア圏だし通じるものも似通ったものも共通点も あるし、そうでしょうね。 でもヨーロッパは人種から食べ物から全く違いますからね」とフォローしてくださったのだけれども。自分はアジア圏から出たことがないのでわからないけれどというかのほほんとしすぎなのかもしれないし日本人の平和ボケってやつかもしれない。今日は3・1節(三一独立運動記念日)20年前初めて韓国に来たとき光復節(8/15日本からの解放記念日)や3・1節には外に出て大きな声で日本語を話したりすることは控えるようにと教えられた記憶がある。今ではこんな日に日本人が日本語を話していたからといって石を投げたりなんやかんやいう人はないと思うが...民防衛の日(毎月15日は午後2時にサイレンがなり退避訓練をしていた)のサイレンが鳴らなくなって久しかったが先の北の砲撃事件でここがまだ休戦状態の国なのだというのを思い出させられた。そういう国に住んでいるのだった...「外国に何十年住んでもやっぱり自分の国が安心しますね」のパクサニムの一言にはっとした。ここでの生活が長くなれば「こっちのほうが居心地がいい」と思えるようになるのではないかという淡い期待が揺さぶられた。
2011.03.01
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先日奥さん仲間で集まったとき写真に写ったのだがあまりに老けて生活感にじみ出たような自分の姿に愕然としスタイルを変えようと一大決心をした。仕事が午後からになって午前中の時間が空いたのでふしぎはいつもどおり朝から預けて美容院に行った。いつも仕事上パンツばかりなのだけど最近ほとんど着てなかったセーターにスカート、ロングブーツといういでたちで普段はメガネなのだけれど美容院に行ってはずしてしまうと鏡に映ったのが自分かどうかもわからなくなるくらいのド近眼なのでこれまた久しぶりにコンタクトをして行った。パーマをかけてからも1年以上経ってて肩まであったワンレングス、面倒なのでいつも額丸出しのひっつめ頭だったのだけど最近子供たちと見てるドラマ「ドリームハイ」のペッキ(この人↓)みたいなスタイルにしてくださいと言ってばっさり切ってしまった。会う人みんな「若くなったね」とか「そっちのほうが似合う」とか結構好評。うっしっしさてさて気分よく仕事が終わってふしぎのお迎えに行くと...託児所の玄関で固まってしまったふしぎ。警戒心丸出しの顔には「オカアサンジャナイ。ダレ?」と書いてある。先生の袖をつかんで離さないいくら「お母さんだよ、ほらかばんも財布もお母さんのじゃない?」と言って見せても決して来ようとせず先生の腕に抱かれて口をへの字にまげて私と目も合わせようとしないのだ。先生からも「お母さんに行かないなんて... 教師生活、けっこうなるけどこんなことは初めてです」と言われ...仕方がないので家に電話してコンジュに託児所まで来るように言い数分後に姉コンジュと兄とっちの顔が見えてやっと顔がほころんだふしぎコンジュに抱っこされての帰宅となった。家の前のスーパーでお菓子を買ってあげたのだが私からは受け取ろうともせず手もつながない。服を着替えてメガネにかけかえても「アナタ ホントニ ボクノ オカアサンナノ??」という疑惑のまなざしで普段なら日に100回でも呼ぶであろう「オンマ」を結局その日は呼んでもくれず...ふしぎにとっては大変ショッキングな事件だったようでありました。「女の変身は無罪」という広告宣伝文句があったけれど母の変身は有罪だったかも。あ、次の日からはちゃんと母と認識してくれました本日の韓国語講座チュンギョッチョッ(衝撃的) :ショッキング
2011.02.11
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怖い話苦手な方はお読みにならないことをおすすめします。先日パパが高熱を出した。普段はひどい風邪をひくこともない人だし熱を出すことなんて結婚以来はじめてかも?かなりつらそうだった。塾にとっては冬休みはかきいれどきで授業はぎっしり詰まってるし教材作ったり予習したりで家での仕事も山のよう。ふらふらながらも深夜まで起きて作業をしていた模様。翌朝起きてきて言う。「ほんとに死ぬかと思った....」と。夜中の1時半から2時ごろ玄関横の部屋でPCをしていたところ玄関の電気がついたらしい。(うちの玄関はセンサーがあって 動くものに反応して灯りがつくようになっている)そうしたかと思うと耳元でフー、スーッと息をする音が聞こえたという。そしてしばらくするとまた玄関の電気がついたのだと。「チョスンサジャ(=あの世からの使い)がやってきたけど こいつはまだ連れて行くやつじゃないって 行ってしまったらしい」ぞぞぞーっいやいやまだ連れて行ってもらっては困りますから。そういえばコンジュも言ってた。コンジュの友達も夜遅くまで起きててパソコンやってる自分を携帯の動画に撮ったらしいのだけど(なんでそんなことする??)あとで動画を見てみたら明らかに自分のではない息をすったりはいたりする音が入っていたのだとこれを書きながらまた背筋が寒~くなってるのだけれども。でも玄関からちゃんと入って出て行くって礼儀正しいのね本日の韓国語講座チョスンサジャ: あの世からの使者 冥途の使者 (←って言葉あるんでしょうか??)
2011.01.20
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新年のご挨拶を申し上げます。PCの調子が悪くて約2週間ほどPCなしの生活を送っておりました。(よそで1,2度メールチェックはしましたが..)PCなしの生活、悪くはないですね。(たまにはね!?^^)この冬は日本に帰国せず大雪にも寒さにも負けずこちらで家族みんな元気に過ごしています。今年はうさぎ年。ホップ、ステップ、ジャンプ。今年はHOP HOP HOP 飛躍に向けた準備の年にしたいと思っています。今年もとっち家をよろしくお願いいたします
2011.01.10
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やっと自分の靴下を2足買った。何年ぶりだろう...別に2,3000ウォンの靴下も買えないくらい貧乏なわけではないのだけれど特に靴下にこだわりがあるわけでもなく頂き物があったり、パパが履かない白いのがあったりでそんなのを履いてて自分の気に入ったのがあれば買えばいい話なのだけれどやっぱり子供のが優先になっちゃう。穴が開いたら繕って普段は「ああ、私ってなんてアルトゥル チュブ(倹約家でつましい主婦)なの!」って自己陶酔に浸ってられるのに最近「ここまでしてビンボくさっ」ってなんか自分にヒジョーに腹が立ってきて繕ったものとか擦り切れそうになってるものを潔くそのままゴミ箱に捨てた。いつもだったらベランダのサッシなんかでも拭いてから捨てるのだけど。なんかいつもと違うけどすっきりした。たかが靴下...自分への出費、靴下2足5000ウォン也...本日の韓国語講座アルトゥルハダ:まめだ、倹しい
2010.12.13
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最近マイナス思考に陥りつつあるので脱出するためによかったね~な話題を。新しい家族を迎えることになった方たちのお話...その1同じアパートのAオンマ。久しぶりに会って立ち話してたら何と妊娠6ヶ月だって!!来年5月に出産予定らしい。わあ、ほんと?おめでとう!!えっ?ちょっとまって、娘たちといくつ違いになるのよ?(彼女には中3、中1の2人の娘がいる。)「老産(ノサン=年をとって妊娠出産すること)よ、老産!」私よりも4つか5つ上だからね。体きつくない?と聞いたら「体よりお酒飲めないのと遊びまわれないのがつらい...」とのこと彼女にはコンジュと同い年の息子がいたんだけど年中さんのときだったかな、へびにかまれて亡くなってしまった。嫁ぎ先から息子を息子をと言われて産んだ子だったのに。とっちを見るたび自分の息子と重ねてみてたんじゃないかな。背が高くなったね、お父さんと似てきたねetc...いつもとっちを気にかけてくれる。悲しみを乗り越えて新しい家族を迎えることになってよかった。ほんとによかったね。その2中国語モイム(集まり)のKオンニ。娘さん結婚!数年前から娘がお年頃になったのに結婚相手がいないとお見合い相手を探していたところ教会で知り合った男性がいるがその男性が孤児なのでどうしようかと言っていたのが今年の頭。敬虔なクリスチャンのKオンニ娘も気に入っているし両親のいないかわいそうな彼と家族になるのは神様のおぼしめしと結婚を決めたらしい。Kオンニは来年から医師であるだんなさんとバングラデシュに宣教&医療ボランティアに行くのでその前に娘を結婚させてから、というのがかなった形。新しい家族を迎えてこれからまたより多くの人の助けになる決意をしたKオンニと新しい家庭を築いていくKオンニの娘さん夫婦の前途を祝して。
2010.12.04
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我が家の末っ子ふしぎ。別名「食神」食神(シクシン)というのはよく食べる人を指していうのだけれど我が家でこんなにもがつがつ食べる人は初めてで「まだ食べるの??もういいかげんにしてよ」ってくらい家にいるとしょっちゅう食べるものを探しているふしぎ。でも先週から高熱に始まり扁桃腺のはれ→嘔吐、せきで1週間ろくに飲めず食べられず体重も1キロが減ってしまい食べないので力が出ない→だっこorごろごろであんなにいつもにっこにこでごにょごにょ何か言ってる人が口から発する言葉は「んー」と泣き声だけ。日に100回くらいは言っていた「オンマ」さえ言わない。完全に別人...頭は熱でやられてしまい体は栄養失調じゃないかというくらいだったけれど1週間が過ぎ、少しずつ食欲をとりもどし食神復活の兆しが見えてきた言葉も戻ってきて最初に言った言葉は「にゃにゃ(=バナナ)」やっぱり食べ物...次が「オンマ」だったが数日ぶりに言われたので涙が出そうだったコンジュに言われて気がついたがふしぎの発する言葉のうち私たちが解読可能なものはほとんど食べることに関するものばかりだ。ぱーん(パン)がん(ごはん)ち(チーズ)にゃにゃ(バナナ)っこ(肉、魚)っかっか(おかしorサプリ)あっち(あつい)あっちゃ(つめたい)日本語、韓国語ごっちゃごちゃ...ま、ちゃんと意思を伝えてるのでよしとしよう。あと「おにぎり」は頭に両手を乗せる牛乳を飲みたい時は引き出しからストローを持ってくる冷蔵庫まで手を引っ張ってくるなど行動が先にでる^^我が家の食神よ!たくさん食べてどうか健康な子に育ってください。本日の韓国語講座食神(シクシン):たくさん食べる人
2010.11.27
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聞いてもらえる相手もいないのでここでぐだぐだ言おうと思います。義姉んちの息子(小1)が風邪をこじらせて肺炎で入院になったと大騒ぎ。金曜日にソウルから戻ってきた義母はまたとんぼ返りでソウルへ。仕事持ってたら自分の子供が入院しても面倒見てやれなくて大変ですね。娘を亡くし今度は息子が入院だなんてかわいそうです。(これがたぶん正常な感情...私にとってはタテマエ)(ここからはホンネ)でも、義姉は看護士です。自分の病院に入院させてます。それにある程度自分のことはできるようになった子供が一人ですからね。こっちはコンジュは幼稚園のとき1回とっちは幼稚園はいる前に2回、入ってから1回肺炎で入院している。こうしょっちゅうなので「ああ、そうですか」という感じで肺炎なんてのは4、5日ほど入院すれば大丈夫だしたいしたことない病気のように感覚が麻痺している肺炎入院の達人だ。小さい頃だったから健康な子までを病室に連れているのはよくなさそうだし義母がこちらにいるときはもちろんいろいろ手伝ってもらったけれど私は義母がソウルの義姉のところにいるときは入院したことを連絡しなかったしパパにも連絡するなと言った。面倒や心配をかけてはいけないと思ったから。そしてこんなことがあったから。ソウルに住んでいた私たち家族は光州で義姉の娘を育てている義母と同居することになって我が家は年子で3人の子がいた。小さいのが3人もいると誰かが風邪をひけばたちまちうつってしまう。あるときとっちのせきがひどく長引き入院になりそうでびくびくしていたとき義姉の子は鼻水をたらしていた。義姉は娘の鼻水をひどく心配した様子で電話してきて「病院に連れて行ったか?」と聞くのだ。症状は透明な鼻水だけで病院に行くほどでもなくこっちは入院するかしないかなのだ。そんな状況を知ってか知らずか自分の子だけを大げさに心配する態度にとても腹が立って「病院に行くほどではありません、こっちは今大変なので」と言って電話を切った。こんなことは1,2度ではなかったしとにかく一緒に暮らしているにもかかわらずうちの子たちを気遣ったりしてもらったことはないと記憶している。それよりさかのぼって光州に来てすぐの話とっちがまだお腹にいるとき、5ヶ月くらいだったと思う引越しや正月や同居やらの疲れからかお腹が痛くなって安静のため4日ほど入院したことがあった。明日は退院という日、義姉から病室に電話があった。「小さい子2人も見るなんてお母さんが大変だから大丈夫なら早く退院しな」という看護婦をしている人の口から出るとは思えない言葉だった。その日私はパパにこの子は堕ろす、産めないと言った。私はなりたくて具合が悪くなったわけでもなく義母がまだ幼い年子のコンジュと義姉の子を見るのは大変なことは重々わかっているし本当に申し訳ないと思っているのに。誰のせいで同居まですることになったと思ってるのか...自分は仕事だけやってればよく遠くから電話であれこれ言ってればいいのだから。それからできるだけこちらからは義母の手を借りないよう努力した。同居解消してすぐ目の前に住んでいても。孫に会うことを楽しみ喜ぶ義母はそれを寂しく感じているようだけれども。お義母さん、どうぞ幼い頃から優秀でかわいい自慢の娘苦労が多くかわいそうな娘家族のほうを最優先にしてください。子持ちの女性が仕事をする場合誰かサポートしてくれる人がいなければ仕事を続けるのが難しいのは事実だ。だけれども体が丈夫ではない子を持ったなら人に預けておいて心配で日に何回も電話しなくてはいけないようなら働き方を変えるなり自分で子供を見るなりするという選択肢はないのか?といつも思ってしまうがまあ、それは彼らの決めることだから私が口出しすることではないけれど。娘と嫁ワーキングマザーと専業主婦実家の手助けありとなし...立場も違い、環境も違う比べる対象ではない、比べる必要はないとわかっていても何かあるたびに沸き起こってくるこの感情...もう何年も経っているのに忘れたいのにまた掘り返される嫌な思い出。義母がかわいそうなS(義姉の息子)...病院で退屈だろうから電話してやれと言うけれど悪いが私自身はそういう気にはまったくなれない。子供たちには電話するように言ってやるくらいはできるだろうが...
2010.11.15
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多文化家庭(外国人)対象の無料健康診断に行ってきまして生まれて初めてバリウムというものを飲みました。飲む前はもうどっきどきで飲めるのかなあとか気持ち悪くならないのかなあとか心配で前に内視鏡(麻酔で)はやったことあったので内視鏡に変えてもらえないかなあとか胃の検査だけははずしてもらえないかなあとかぐるぐる頭の中で回ってて。でも待ってる間にほかの人が検査してるところが見えて予習(?)できたのでよかったやってみたら別にたいしたことはなくってバリウムというのはただやけに重たい舌触りの悪い飲み物ではあったけど飲めない代物ではなく中間でしゅわしゅわする粉と水を口の中に入れられげっぷを我慢しろといわれたのとまたその重たい飲み物を飲んで動く台の上でうつぶせになったりするのがちょっとつらかったくらいで無事に終わった!!自分の周りで自覚症状なしにガンが見つかったりしてるのでやっぱり受けとかないととは思いながらこれが怖くて今まで健康診断受けられずにいたのだけどでも終わってすっきり他にはマンモグラフィーなどもやってくれてこれも初めての体験でした。身長、体重、視力、聴力、血圧、心電図尿、血液、婦人科(子宮、乳がん)超音波(甲状腺、内臓)、骨密度、X線、胃の検査(20万ウォン程度と思われる)が無料で受けられるのでありがたいことです次のどきどきは検査結果...
2010.10.26
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我が家の子供たちの通う小学校来月から給食費タダになります2人分で月に8万5000ウォンほどの支出がなくなるわけですからこれは大きいです。今年度の頭には1,2年生が、今学期からは6年生が給食費無償になっていましたが先日の地方選挙の公約どおりになりました。パルリパルリ(早く早く!)のお国柄ですがこういうのが即時に反映されるのはよいことです。まあ、昨日は誰かが「無条件に行われる給食費無償化と老人地下鉄乗車無賃化は過剰だ」とかなんとか言ってましたが...後先考えずにばらまいて後で「やっぱ、やーめたっ」ってことにならないことを祈りながら。日本も海外に住んでる日本人には出ず日本に住んでいない外国人の子供には出るという不思議な子供手当よりはそれを給食費に当てたらどうでしょう?と思うのは私だけ?義務教育だからとか食べさせてくれとは言ってないとか言って給食費を払わない親もいるらしいし。十分な食事を与えない親もいたり。でも学校に行っていれば少なくとも日に1回はちゃんとご飯を食べられるわけで..「食事しましたか?」が挨拶になることからもわかるように食べることをおろそかにしないさせないという態度は日本が見習うべきところではないかなあと思います。
2010.10.22
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気候も過ごしやすくなってきたので少し「何かやってみようかな」という気になってきた。夏にはとにかく海外旅行に行きたいと思ってたのだけれどやっぱり海外行くなら必要最低限の外国語も必要だよなあ。先日外国人に英語で「ワワワワ...」(ほんとにそう聞こえた...)って言われて頭の中パニックになっちゃって。そんなとき友達が実に冷静にきちんと対応してるの見て完全韓国語オンリーモードになっちゃった自分がなんかなさけないやら。ということで前にちょっとかじったスペイン語をまた始めようと思い立ったのです。スペインと中南米、絶対いつか行きたいし。でもここでスペイン語習えるところは夜の授業しかなく子持ちの主婦には難しい。家でインターネット講義を聞くのも考えたけれどこれといってよいものも見つからず。それでロゼッタストーン スペイン語(スペイン) レベル1,2,3,4&5 セットこれ↑を考えたわけですがやっぱりお値段が...ただ6ヶ月以内なら返品できて全額返金してもらえるからよいかなあと。でもやっぱり大きな投資...ああ、買おうか買うまいか...と迷い続けて1週間ほどが経ち買いたいものはすぐに買わないと気がすまないパパが横でやきもきしています。不法ダウンロード天国のこの国。探せばきっとこれもどこかにあるはず...^^
2010.10.18
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明日から秋夕(旧盆)連休です。憂鬱です...カレンダー上では3日間の休みだけど子供たちの学校は金曜日を休みにしてしまって6連休。やっと長い夏休みが終わったと思ったのに...こんなに休みになるんだったらばーんと海外旅行でも行きたいところです。日本からだったら今、円高で海外旅行お得なんだろうなあ...とにかく現実逃避、妄想の日々です^^9月に入ってからやたらいらいらするし、頭痛、胃腸の調子がよくない食欲減退、などなどの体の不調。これは夏の疲れだけではないのは確実です。秋夕が終われば改善されると思われます^^(秋夕が終わっても続くようだったら健康診断に行くことにします)秋夕の料理を考えるだけでももう吐き気がしてくる...油とにんにくとが胃の壁にこびりついて舌に残るにんにくのにおい...名節当日午後には必ずやってくる義姉家族。比べてはいけないとはわかっていても比べずにはいられない嫁と娘。嫁は3日間(+α)料理準備しては片付けを繰り返し娘は嫁ぎ先には丸1日いるだけであとは実家でごゆっくりご滞在。子供を預けてご友人らとお食事。10年近く繰り返しているのにまだまだ受け入れられません。こうやって書いてるだけでもむかむかしてくるのでこの辺でやめておきます^^とにかくどうか早く過ぎ去ってください、この連休。う~ん、海外どこがいいかな台湾でおいしいものめぐり?サイパンのリゾートでのんびり。こないだTVで見たイタリアもよかったぞスペインにギター買いに行くか?20数年ぶりのシンガポール住んでたところを訪ねてみるのもいいかな。とりあえずロトでも買って夢みてみるかな^^
2010.09.20
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まんまとテレビショッピングの思う壺にはまってしまい買ってしまいました。鍋のセット...こんなの前に料理番組で使われてるのを見て色がカラフルでかわいいなあと思って調べてみたらこのお鍋だったわけです。前回もテレビショッピングを見てたら同じ鍋の放送をやっていたんだけど今回のは最新で内側の色が白くなっておまけにフライパンとガラスのまな板2枚つき!しかも「今日だけ!」とかいうもんだから絶対必要ってわけじゃなかったんだけど今使っているステンレスの鍋は汚れ落とすのが面倒だしテフロン加工のフライパンもちょっとこびりつくようになってきたし(実は前からテフロン加工のフライパンに少々疑問もあり...)手数料なしの10回払いOKで月々10000ウォンしないならま、いっか、買っちゃえって。パパのカードで。パパには事後報告。いえ、普段はこういう買い物の仕方はしないですよ。もともと物欲とか購買意欲があまりないし。必要なものなのに考えに考えすぎて結局買わずじまいとか...なんかちょっといらいらしてたのもあるけど。秋夕も近いし、精神ちょっぴり不安定?日本では違う名前で出てるようですね。★DYNASTONE [ダイナストーン]超硬質セラミックフライパン20cmDNFP20フライパンはくっつかないし洗うの楽だし大満足です。鍋のほうはこれから食欲の秋に向けて使いまくることにします。この夏暑くて下がってた料理へのモチベーションもあがるかな?
2010.09.08
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ここでは第三子からの特典として保育施設に入れると20万ウォンの補助金がでる。我が家の末っ子ふしぎ1歳3ヶ月。現在私の仕事は午前中だけ週3日。義母にみてもらってもいいのだけれど月に1,2週間はソウルの義姉や義父のところに滞在。パパも午前中は家にいるのでみてもらってもいいのだけれど夜遅くまで働いて朝は10時11時まで寝ているのが常。私も24時間子供と一緒にいて常に正気でいられるような性格ではないしこれから徐々に活動時間を増やしたいと思っているしふしぎには集団生活にも慣れてほしい。受けれる恩恵は受けときたい^^上2人は大きいのでふしぎには同世代と遊ぶ機会もあっていいと思う。1日中預けるわけでもないし、一緒にいる時間はたっぷりべったり。というような理由でふしぎにはオリニチプ(託児所)に行ってもらっている。徐々に慣れてもらおうと今のところ9時から1時まで週3回。オンマと別れるときは泣いても中に入るとすぐに泣き止むそうで楽しく遊んでごはんももりもり食べていろんな刺激を受けている様子。帰ってくると激しく甘えっ子ちゃんになるけれどそれも仕方ない。私も預けてるほうが気が楽だし、離れていた時間があるからこそ迎えに来た私に満面の笑みででてくるふしぎが一層かわいいと思える。ふしぎを迎えに行って家に上がるときエレベーターの中で一緒になった見知らぬおばちゃんがオリニチプのかばんを見て「まだこんな小さいのにオリニチプ送ってるの!? このくらいのときはお母さんと一緒にいなくちゃ」とか言うのでその場では適当に「ネ~(はい)」と言っておいたけど家に帰ってから余計なお世話だ、うちの状況も知らずに何をおっしゃるとムカムカしてきた。でもやっぱり落ち着いて考えてみるとそんなんでも声をかけてもらえるってことだけでもまだ救われてるのかなあ。先日日本に行ったとき日本ってとこは結構子連れには優しくないところだなあという感じを受けた。電車の中でベビーカーに荷物も抱えて11キロ強の子供抱いて2,30分立っていても席を譲ってもらえたのは降りる駅が近くなったころだった。子供がぐずっても誰も見ぬふり聞かぬふり。とにかく公共の場所では子供をおとなしくさせることにかなりの労力を使わないといけない。(まあ、短期間の滞在だったし、都会に行ったので そう感じただけなのかもしれないが...)最近子供を虐待したりするニュースが後を絶たないが子育て中のお母さんたちが追い詰められるのがちょっとわかるような気がした...その点ここでは子連れで外に出れば必ず誰かに声をかけられるし(それが余計なお世話的発言であっても)お菓子やらをくれて子供の気を紛らわせてくれる人がいたり食堂などで空いた時間だったりすると手の空いてる従業員がだっこしたり遊んでくれてたりする。もちろん赤ちゃんの肌がちょっとでもでてたりすると「寒そう」だとか「靴下はかせなきゃ」とか日本式に薄着させてると「こんな薄着させて!風ひくよ」だとかちょっとでも皮膚が赤くなっていようものなら「アトピーでしょ、アトピーには○○がいいのよ」とかほんとに余計なお世話なおばちゃんたちが多いのは確かだが「そんなことも知らないようだから教えてやろう」「子供がかわいそうだ」という韓国人的親切心からくるものでそれがそのまま口をついてでてくるものなので仕方がない。無関心と過干渉、どちらもつらいけれど干渉されるほうがまだましなのかもしれない...と思ったのでした。
2010.08.18
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いえ、悪いことをするつもりはないのだけどどこで誰が見てるかわからないということです。今日家族でマートに行ったら突然「○○さ~ん」(私の本名ね)と日本語で呼ぶ男性の声。振り返ると若い男の人。一瞬「日本語の生徒さんだったっけ?」と思ったら「ゆうびんきょく」(これも日本語で)と笑顔で言われ...いつもうちに小包を届けてくれる郵便局のお兄ちゃんでした...私服なのでわかりませんでしたよ。一緒にいた彼女まで紹介されちゃいました。彼は日本語を勉強したことあるとかでうちの実家や日本から送ってくる荷物を届けるのを楽しみにしてるよう。荷物を届ける前にはインターフォンや電話で「○○さんに小包きましたよ~」と言ってエレベーターを上がってくるのだけれどもそのたびにパパは「君のファン2号が来たよ^^」と言う。(1号についてはまた別の機会に)そして好奇心旺盛な彼は何かしら質問をして帰る。勤務中にタダで日本語勉強して行ってる!?^^今日もパパが「君は有名人だねえ...」とかいうものだから「悪いことはできないってこと」とかえしました。ここにいるのが長くなるにつれだんだん知ってる人が増えていくということはうれしいことだと思ってたけど特にこっちはよく覚えてなくても向こうは私が外国人だってことでよ~く覚えてくれてるのです。どこで誰が見てるか聞いてるかわからない。前にも知り合いの知り合いは私の知り合いだったということがありました。世の中けっこう狭いものです。言動にも気をつけないといけないなあと(ついでに外見ももうちょっと気を使ってみないといけないかな?)あらためて思ったのでした。
2010.08.03
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1歳児と5年生を連れて7/27から1泊博多から新幹線で大阪に行ってきました。目的は 九州脱出 新幹線に乗る お友達に会う お好み焼き、たこ焼きを食べる最初は JRのJAPAN RAIL PASS (新幹線までJR乗り放題。くわしくはこちら)か 山陽パス(調べたら日本国籍所有者は購入不可でした)を購入して2泊くらいの旅行を考えていたのだけどやっぱり1歳児連れて列車の旅は大変そうだということでいろいろ探しているとこんなお得なものが。大阪ぐるりんパス新幹線往復料金より断然安くっていろんな施設の入場券やらJRと市営地下鉄、バス乗り放題がついてる。USJ(ユニバーサルスタジオ)も海遊館も行けてこれはめっちゃお得やわあ(にわか大阪弁)ってことでこれに決定お宿は1歳児はベッドでは落ちてしまいそうなので和室のあるここに。丸一ホテル3人で泊まって(まあ、1歳児はタダだけど)6600円(簡単な朝食付き)でも安いと思ったけど楽天のポイントを使って4000円になりました。ポイント、少しずつだけどこつこつためといてよかった...切符は現地で当日でもOKだからと宿の予約だけを韓国でしていきました。しかし...その後うちのPCは完全にいかれてしまい修理から戻ってきたのは日本出発の前日の夜当てにしていた実家のPCもネットが使えず...行く場所の下調べもできず結局行き当たりばったりの旅...でもなんとかなりました。なんといっても日本語通じるしね~^^
2010.08.02
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暑さのせいかPCもいかれてしまい修理に出したらすっかり一掃されて戻ってきました...久々の更新ですがみんな元気です21日に終業式でした。子供たちにはうれしい、楽しい母親には憂鬱な夏休みの始まりです...始まったばかりなのに早く終わることを願う毎日ですいきなり思い立って日本に行くことにしました。とっちをソウルの義姉のところに送り込みコンジュとふしぎだけを連れて今日から5泊6日行ってきます。新幹線での大阪1泊旅行を計画していますが日本列島、かなりの猛暑のようで...晴れ女の私ですが今回は天気がよくないことを祈りますいろいろやりたいことはあるけれどちび連れなのでどこまでできるのか...まあ、とにかくできる範囲で楽しんでこようと思います。それでは行ってきま~す^^
2010.07.24
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外国人なら必ずお世話にならないといけない出入国管理事務所。でもできるなら行きたくないところでもある。手際が悪い、待たせる、不親切、態度が横柄、面倒 etc...去年の10月末に引っ越したのに日本に行ったりなんやらで在留地変更の届けを出すのをすっかり忘れていたのだった。まあほんとは実をいうと頭の片隅にはあって行かなきゃなあと思ってはいたのだけれども面倒だったので延び延びになっていたというのが事実だったりする...先日近くに用事があったので寄ってみた。14日以内に申請しなきゃいけないことになってるのになぜ今まで出さなかったのかとかなんで気づいたのかとか洞事務所や区庁でもできるのになんで家族の届けを出すときに一緒にやらなかったのかとかきつい口調で言われ...14日以内なんて知らなかったし、第一、洞事務所でできるなんてのは初耳だ。こんなに遅れては罰金だからと言われてショーックとりあえず必要書類(配偶者の住民登録謄本)が用意できてないのでまた出直せということに。ああ、罰金いくらなんだろう...数日後、必要書類を持って申請しに行くとこのあいだよりは落ち着いた感じでだいぶ過ぎてますねえ...うっかりしてたの?区庁でもできるのに(いや、区庁よりこっちが近いですから..)確か洞事務所はできないけど(こないだと話が違うじゃない..)といった調子だったけどこっちはもうどきどき。PCの画面を見ながらキーボードを叩いていた係の人が隣の人に「居住地変更申請遅延、国民の配偶者で永住権所有者は罰金ないんだっけ?」と聞いている。やったー!!おもむろに電話の受話器をとりあげてどこかに同じことを聞く。その結果は「とりあえず、罰金はないけど4階の違反調査課に行って また下りてきて。時間かかるかもしれないよ」違反調査課?なんだかものものしい響きではありませんか?違反調査課とやらに上がっていくと分厚いドアがちょうど開いて「どういう用件?」とガタイの大きい兄さんが聞いてくる。用件を言って中に入ると緑色のTシャツに短パン姿の東南アジア系の女性と同じ緑色上下の男性数人が椅子に座らせられ顔写真を撮られてたり指紋をとられたりしている。シャツの背中には「保護外国人」の文字が...不法滞在者?車足りないなあ、他の車呼んでこないと、と言ってるところからするとこの人たちをどこかに移送するのだろう。そんな中でびくびくどきどきしながら持って行った書類を渡したけれど何を聞かれるわけでもなく無言で書類を処理する係の人がコピーをしたりパソコンのキーを叩いたりするのがなんと時間のかかることか。なんだか自分も犯罪者のような気分になってきてああ、早くここからだして~と思っていた。「数日過ぎたくらいだったらそのまま処理できたんだけどねえ もう何ヶ月も過ぎてるから。今回は罰金やら処罰はないけど 記録残ってるから今度またこんなことあったら罰金ですからね」ほっ。思ったよりは時間はかからなかったがそんなに時間をかける意味はあったのだろうか??再び下に下りて行ったらまたあれこれ入力したり書き込みしたりがのろのろとなされついに外国人登録証に新しい住所がサインペンで書かれ無事に手続きが終わった。ああ、この一行を書いてもらうためだけに所要時間1時間+無駄などきどきを費やした...次に引っ越すときは絶対に住所変更届けだしてやる、区庁に。外に出ると入り口にTV局のカメラが1台構えていた。あの人たちが移送されるのがニュースに出るのかなあ..と思いながらもうここにくることはないことを願った。
2010.06.14
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ギターを教えている生涯教育院で開講されている講座の1学期のまとめとして発表展示会があった。私は講師...とは名ばかりでわが師の補佐的役割として下働き(奉公!?)しているわけだけれどもこの発表会について聞いたのが2週間前。おまけに師は私に一切を丸投げしてアメリカにお行きになった...人前で弾くなんてとんでもないという生徒さんたちの中でも2,3年続けている4人がなんとか練習してでてくれることになりソルの月光2重奏と4人で禁じられた遊びを弾くことにしてレッスン日以外にも集まって猛練習。もう細かいことは抜きにしてとにかく止まらないで弾くことで精一杯。結局私も入ることにして演奏当日。発表展示会は教育院の入り口で講師のテープカットに始まって絵画や写真の展示を鑑賞したあと食堂に移動して教育院からや受講生代表のあいさつやら講師紹介やらが終わると「食事をしながら演奏を聞くことにします」とおっしゃる司会!目の前に用意されているのはサムギョプサル(豚バラ肉)とカセットコンロ...食事をしながらのほうが演奏者としてはし~んとして聞かれるよりは緊張しなくてすむかもしれないし聞く人としてはおいしいものをいただきながら音楽を聴くという贅沢ができるといえるかもしれない。が...焼肉ですかあ!?いえもちろん普通にご招待ご飯で焼肉だったら大歓迎です。でもでもほかの演奏は声楽(合唱)やテグム(竹製の横笛)数人とチャンゴ(太鼓)なので音量ばっちりだろうけどこちらはクラシックギターの二重奏ですよ。しかも演奏を聴きながらお昼ごはんなんてことは知らされてなかったし選んだ曲は繊細で静~かな曲です。ギターの経験もおありの主催者の神父様が「やっぱり演奏を聴いてから食べることにしましょうか」と言われたけれど食前のお祈りは終わっていて時刻は1時近くにもなっていて目の前には食べてくれとばかりに食べ物が並んでいるのにお預け状態ではねえ...結局肉がジュージュー焼ける音がしている中で演奏が始まり演奏中に音が聞こえないことに気づいた教育院の職員さんがマイクで「みなさんいったん火を消して聞きましょう」と言ってくれたころには演奏の半分以上が過ぎていてなんかもうこっちも緊張も何もふっとんでやけくそとにかく演奏終わらしちまえってな感じでわけわからんまま終わった...毎年1学期の終わりにはこういう発表の場があるということを教育院の職員さんに確認し来年に向けての準備を今から始めることを参加した4人と固く誓いあった。来年の目標が早くにできてよかったねーという結論に落ち着いた。来年からは演奏の後に食事もしくは焼肉の音に負けない大迫力のギター演奏は可能なのか!?
2010.06.05
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無事に1歳の誕生日を迎えたふしぎ。1年経っても髪の毛がぽやぽや。オランウータンのようでした^^こどもの日の記念に(?)髪を切りましたそれも見事に大胆に!マルコメくん!?頭を剃られてミニ少林寺なふしぎ。パパやねえたんにいたんと違って後頭部が絶壁ではありません。美しきナクチ(=タコ)ライン頭をしきりに触ります。引っ張る髪がない!!こちらでは生まれたときの髪は一度剃ってしまうときれいな髪がふさふさになると信じられていて髪の少ないふしぎは早くから剃ってしまえといわれていたのをまだ寒いからとのばしにのばしてこの日に至ったのです^^(とっちは生後100日過ぎてからでした。)コンジュはさすがに女の子だからやめてといって剃らなかったんですが今でも言われます。「あのとき剃らなかったから髪が細くて少ないんだ」と。とっちのときにこんなの↓を買っていたのですがまた役に立ちました。パパは軍隊時代床屋兵だったのでバリカンを使った軍人カットは得意^^とっちの床屋代もかなり浮いてもとはとれてるかな?髪の毛がなくなったふしぎにくしを与えてみました。あの...梳かす髪の毛はもう残念ながらありませんから。くしは無用の品となりました。これからは帽子が必需品です。でも大丈夫。コンジュがフリマで稼いだお金で帽子を買ってくれました。小坊主が家の中でうろうろしているので笑えます。本日の韓国語講座ッパッパギ ;坊主頭(の人)
2010.05.06
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結婚当初から使っていたテレビ台とベッドサイドに置いてあった小さな引き出したんすを思い切って捨てた。物を減らそうと思うのだけどいっこうに減らない。これは収納道具があるからなのだということに気づいたのが引っ越してから。テレビ台はここにはもともと備え付けのものがあるので単なるもの入れになっていたけれどいらないものを捨て整理してみるとここに入っていたものはそれぞれ違うところにおさまった。引き出しもしかり。これまでいかにいらないものをためこんでいたかということ。引越し前に気づけ!なのだけれども...ついでに数年着てない服や靴も捨てた。本当は髪を切ったので服のスタイルもすっぱり変えようと古い服を捨てて思い切って何着か新しい服を買おうと思っていたのだけどコンジュの服を買わされてしまったので買えず...テレビも買い替えの時期が近づいている。我が家の家電製品、結婚当初から使っているのはテレビと洗濯機だけになった。そんな話をパパにしたら「10年も経ったからそろそろマヌラ(女房)も若いのに替え...」と言いかけて私ににらまれた。本日の韓国語講座マヌラ:家内、女房
2010.04.15
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2003年、近所の女性センターで中国語を習ったメンバー6人でケモイムを始めた。ケは「講」モイムは「集まり」の意味。ケ(契)はもともとは数人で毎月お金を集めてまとまったお金が必要なときに順番にそれをもらうことができるシステムなのだが私たちのそれは毎月1度顔をあわせて食事をしながら、おしゃべりに花を咲かせ月々一定金額を集め積み立てて中国旅行に行こうと始めたものだった。長男の嫁だからという理由で何がなんだかわけもわからないまま仲間にいれてもらい年齢も違うオンニ(お姉さん)たちの機関銃のようなおしゃべりには入る隙もなかったが月に1度おいしいものも食べいろんな情報や考え方を聞けるしなにより家族でもなく子どもを通じてでもない自分の人間関係ができたのがうれしかった。2年間積み立てをして中国旅行に行った。脂っこい中国の料理が口に合わないと食堂で出された料理とご飯、持参したコチュジャンでピビンパッをまぜこねしだしたときにはこの人たちと一緒に来たことを非常に後悔したが後になってはそれもよい思い出。その後2人が新たに加わって中国語の講座に通わなくなってもみんなで集まってスタディをやったりケーキで誕生日を祝ったり。集まる日でなくても遊びにも行ったし、教えてもらったり人を紹介したりされたりぐちを聞いてもらったり。入院すればお見舞いに子どもが結婚すればお祝いにいった。年齢も職業も境遇も興味の対象も全く違ったけれどそれぞれの個性がきらきらひかる楽しい人たちだ。ところがこの2月末積み立ても大分たまったことだしそろそろどこか旅行に行こうということになっていたのが2人がソウルに引っ越すことになり(そのうちの一人はお金の管理をしていた)1人はバングラデシュにボランティアとしていくことが決まり結局この集まりを解散することになった。それぞれの新しい出発は喜ぶべきだしバングラデシュは無理だとしてもソウルくらいならしようと思えば連絡して会うことも話すこともできるのだけれども7年も毎月会っていたメンバーがそろわなくなるというのがやっぱりさみしい。戻ってきた積立金でどこに旅行しようかとあれこれ考えてみることで気をまぎらわせている。
2010.03.26
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に行ってきました。ベンジャミン・バードリーというギタリスト。アメリカのエール大学院教授で作曲家でもあるという彼がどうして文化都市をうたっているくせに室内楽に適したホールもなくクラシックギターの認知度さえ低い光州くんだりまで来ることになったのかというと我が師匠の教え子の留学先の師という縁で...まあ、裏ではいろいろあるけれどとにかくここで海外のギタリストのコンサートを聞けること自体がとても有難いことなのであります。さてさてコンサートですがこう変わった笑えるコンサートは初めてでした^^現代音楽風の自作の曲でコンサートは始まりバッハのチェロ組曲を真面目に弾いたかと思ったら次のプログラムはダライラマと平和を愛するすべての人に捧げるという彼の作曲でエレキクラシックギター(?)に持ち替え足元のペダルで今弾いた部分を再生できるようになっているらしい機械を駆使して一人で重奏曲の途中でギターをひざの上に寝かせるとコリアン・チョップスティック(彼曰く)を弦と指板の間に入れたり(ああ、高価であろう楽器をそんなふうに扱うとは!)物作り職人のような真剣さで弦にクリップをはさんだかと思ったらそれを韓国箸で叩き出したどこかの民族楽器のような音がする。アルベニスのコルドバでほっとしたのもつかの間またまたエレキクラシックに持ち替えニューヨークの高層ビルの間を綱渡りした男のどきどきと達成感をあらわしたという曲シュトラウスの美しき青きドナウをオーケストラに劣らない編曲で華やかに弾いたのに〆はエルビスプレスリー、プリンス、ジミーヘンドリック...一番のりのりで弾いてたところを見るとどうやら彼のギターのルーツはここから始まっているらしい。アンコールではなぜかチプシン(韓国のわらじ)を履いて出てきて楽しげに自慢していたとにかくこんな秩序のない奇想天外なコンサートは初めてでそして演奏者がこんなにしゃべるコンサートも初めて一応弟子が通訳を試みていたのだけれどもなんとなくしっくりこないし客席に英語を解す人が多かったのか彼のキャラクターからか通訳する前から十分笑いが取れていたので途中から通訳を放棄してしまったほど...鳥肌の立つような感動...とはまた違った強烈な思い出の残る楽しい時間でした。まだまだクラシックギター発展途上であるここでクラシックギターコンサートと銘打ってこういう演奏家のコンサートをやったのは時期尚早だった気もするけど(実際500席のホールは空席が目立った)これを機にクラシックギターに関心を持つ人が少しでも増えてくれればなあそしてもっといろんな演奏家がきてくれるといいなあ。でもやっぱりいつも不満が残るのはあのホールの反響の悪さでコンサートの良さが半減してしまうということ。これでは演奏家も来たがりません。早くちゃんとしたホールを作りましょう、光州!
2010.03.13
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来月末に誕生日を迎えるふしぎ。おとといまで半歩踏み出すのがやっとだったのによじ登ったソファーから落ちておでこと鼻をぶつけたショックでなのか昨日から突然10歩も歩き出したAmazing!!子育てなんてのはたまにこういうごほうびがあるからやっていけるんだよなあ。しかし昨日は夜まで興奮状態で普段なら10時には寝てくれるのに11時を過ぎてもおめめぱっちり。いつもより早く帰ってきたパパにコルンマ(あんよ)を披露して11時半におやすみになったのだった本日の韓国語講座コルンマ :よちよち歩き、あんよ
2010.03.06
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4年ぶりに韓国で旧正月を迎えました。この3年間旧正月の時期は子どもたちの日本での学校体験を理由に日本にいたので^^それでもそのうち1回は義両親が日本に来て実家の両親とそろって温泉旅行それでもちゃんと旧正月の当日には実家で韓国式お雑煮トックッを作って食べたし1回はパパがやはりトックッ用の餅持参でやってきたので食べた。日本に来てまで食べなくてもいいのだがまあ、献立一回分考えなくてよいので^^そして4年ぶりの韓国での旧正月だったわけだがそんなこんなで正月気分になれるはずもなく義母も最初はトックッだけにすると言っていたけれど義姉家族も来ているし、飯は食わねばならぬ義母も何か忙しくしていないとどうかなりそうな感じ結局義母が怒涛のようにすべての料理を準備をして嫁の出番はほとんどなし...しかしたくさんの料理を前にしても食欲のある人は誰もなくなのにお互い食べろ、食べろといいながら明るくふるまおうとするわざとらしさと痛々しさときどきもれるため息やぼーっと心ここにあらずの姿これ以上居心地の悪いことはない。人見知りするようになった風邪ひきのふしぎをダシに義母宅と自宅を行ったり来たりしながらなんとか3日間を乗り切った。新しい年にはいいことだけがありますように...
2010.02.16
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あまりにも早く逝ってしまったあなたいくら悔いても「時」は決して取り戻せないけれど誰もあの時が最後だとは想像だにしなかったのです「叔母さん、ギター弾いて」また今度ね、と言わず弾いてあげればよかったねラーメンやカルメ焼きではなくもっとおいしいものを準備しておけばよかったねあの日の朝電話してきたあなたにもっとかける言葉はなかったのか...最後に会った日笑いながら私にぽつんと言った「叔母さん、私ね、弟がまだ小さいとき(ベビーシッターの)おばちゃんが 弟のめんどうみないといけないから、ひとりで遊んでたの」なぜ突然そんなことを言い出したのか叔父さん叔母さんは所詮はコンジュ姉さんととっちのお父さん、お母さん家では弟に譲ってお父さん、お母さん、おばちゃんさえも独占できずそれに不満をいうわけでもなく、いろんなことをがまんしてきたんだねさみしかったんだねあなたのお葬式を終えてうちに戻ってきてから叔父さんが私に聞くのです「Jと一緒に住んでたときのこと覚えてる?」私はコンジュ、あなた、とっち常に誰かが病院にかかってる状態だったことしか覚えていないと言ったあなたたちを見ながら笑ったことも楽しかったこともあったはずなのに本当にそんなことしか覚えていないのです小学生になって手もかからなくなってあなたたち3人仲良く遊んでいる姿を見ながらああ、あのときつらかったのも今となっては私にとってよい経験だったのだとやっと思えるようになったのにそれなのにあなたが逝ってしまった今あなたがいなくなってしまったことは悲しいこのような形で行ってしまったことは残念だしかわいそうだと思うでもあなたのことを考えると記憶のうすれつつあった思い出したくない過去がまた思い浮かんでは私の心をぐちゃぐちゃにかき乱すわきあがってくる怒りをどうしようもないのです決してあなたが憎いわけではなかったただ生まれ育った環境や文化の違いと私のひとりよがりでせまい考え方のせいなのですだからこれから私の心の中にあるものを吐き出してしまうことどうか許してください
2010.02.11
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