2006年03月12日
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きのう新発見をして感動したことについて

少し調べごとをしていました

あまりにも奥が深いのに 表面すら知らなかったことがショックです




まぁ 興味がなければ全く知らない世界と言っても

おかしくはないかな (^^ゞ







































調べていたのは 百人一首 です




百人一首カルタ なんていう高尚な遊びは

中学校の正月明けに大会があって初めてやりました






初めての大会なのにグループの中でトップになったのは

カードの神経衰弱と似ていたからでしょうか (^^ゞ




で その百人一首とは・・・

天智天皇から順徳院までの約5百数十年間の歌人たち100人から

一人一首ずつ選び集められた和歌集で

鎌倉時代初期の人 藤原定家 によって編纂された 




こんなことすらウロ覚えでした









































この百首の歌を 縦10首 横10首 の正方形の枠内に

ある特別な順序で並べると

隣り合う歌同士が 上下左右 何らかの共通語を含み

ぴったり結び合わされるという






歌によって描かれた背景を絵にすると 桃源境 が描き出される

それは 後鳥羽上皇 を中心とする新古今歌壇の舞台となった

< 水無瀬の里 >  のリアルな描写と推定されている

水無瀬の里 というのは

現在の大阪府三島郡島本町と京都府乙訓郡大山崎町あたりである






水無瀬の里 なんて全く知る由もありませんでした

近所にでも住んでいれば 少しは知っていたかな (^_^;)











































その水無瀬の里がどんなところだったのか

後鳥羽上皇って何をした人だっけ (^_^;)

時代背景は・・・

藤原定家はなぜ水無瀬の里を描こうとしたのか

それによって何を言いたかったのか

気になることが次々に沸いてきました




高校では世界史を選択していたので

日本史の勉強は中学でおしまい

だから複雑な日本史はとりあえず置いといて (^^ゞ

百首が 【 水無瀬絵図 】 にどのように配置されているのかが

とっても気になりました
















































これが 【 水無瀬絵図 】 です

水無瀬の里













































歌織物

絵図を100の正方形に区切って歌を配置された 【 歌織物 】

この画像には70首しかないのは何でだろう・・・

描かれていない30首は画面の左側に3列続くようです

全体図はどんな絵になるのかな






































百首それぞれの歌の意味もつかめていないけど

ともかく どのマス目が どの歌なのかを調べました

でも歌と風景を同時に対比して見るためには

どんな図表を描いたらいいのか思いつきません



ここに写っていない30首の絵がどうなっているのか

歌から想像してみるしかないのかな








































絵図の4隅の歌

この4首に撰者の意図が込められているという解説がありました


   右上 : 第100序 : 順徳院

      ももしきや 古き軒端の 忍ぶにも なほあまりある 昔なりけり

        ( 皇居の古びた軒端に忍ぶ草の生えているのを見て

          いくら忍んでも忍びきれないのは あの栄えた昔の御代のことである )



   右下 : 第97序 : 権中納言定家 ( 藤原定家 )

      来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ

        ( 来ぬ人を待って松帆の浦の夕凪どきに 焼かれて藻塩が焦げるように

          私も焼かれて身も焦がれそうだ )



   左上 : 第89序 : 式子内親王

      玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする

        ( わが命よ 絶えるならば絶えておくれ このうえ生きながらえば

          恋を秘めようとする心が弱って面にあらわれてしまいそうだ )



   左下 : 第99序 : 後鳥羽院

      人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は

        ( 人がいとしく また人が恨めしい

          味気ない世の中だと思うゆえに物思いにふける私にとっては )













































歌の背景には < 承久の乱 >  があったんですね

貴族と武士 朝廷と幕府の政権争い 源氏から北条氏へ

北条将軍の独裁化を苦々しく思う幕僚たちが後続すると踏んだ後鳥羽上皇が

北条義時を追討させようとした乱

しかし結果は敗退

後鳥羽上皇は隠岐へ 順徳上皇は佐渡へ配流される




それより先に後鳥羽上皇は < 新古今和歌集 > を編纂したが

その撰者の中に藤原定家がいた

定家は 式子内親王 の家司をしていた

生涯 独身だった内親王は定家に恋をしていたようです

また定家は幼い頃の順徳院の和歌の師をやっていた などなど




鎌倉幕府と戦い敗れて離島に幽閉され

帰ることが許されない都を恋いこがれつつ亡くなった非運の帝や内親王を

【 歌織物 】 右下の自分から遠くに置くことにより

「 来ぬ人 」 への想いを訴えた構図になっているという




古代・中世の歌には色々な趣向が凝らされているというけど

この百人一首にも こんな仕掛けがあったんですね

日本史の大転換期の社会の様子を歌の奥に含めている

賢いですね~




定家は79歳という当時では長生きだったようですが

どの歌人達も短い人生の中で偉業を為していたんですね




当時は何万とあったであろう歌の中から

水無瀬の里を作り上げる歌を選ぶだけでなく

それらの中の言葉合わせによって絵図を作り上げるなんて

ものすごい想像力があったんだろうと思います




粋な仕掛けだと感心するばかりですが

やるせない想いを当時は

こういう形で表すことしかできなかったのでしょうか




いつか歌と絵図を照らし合わせながら

じっくりと想いを感じ取ることができたらいいな



































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最終更新日  2006年03月12日 19時54分06秒
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