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すっかり夏ですねぇ。我が家の小さな小さな菜園にもチビ野菜が実りだしました。 チビキュウリは来週初めには食べごろキュウリになりそうです。ピーマンと伏見甘長とうがらしを1株ずつ植えたんですが、どっちがどっちだったかわからなくなってしまいました。でも、判明するまであと少しです。チビナスは「少年アシベ」にそっくりだと思いませんか?。フルーツトマトはヘタと実の大きさのバランスがとれてきたので、あと色づきを待つばかり。みんな早く、大きく、おいしくなっておくれ~っ!と、野菜が育つには暑くならないとダメなんですが、我が家のポチ君は暑さに弱いんです。いかにも暑いのがキライって感じでしょう?!それで、昨日、散髪して来ました。ヘ~ンシン! みごと、柴犬に変身犬相が全く違って見えますが、涼しくなってご機嫌のようです。
2007年06月09日
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昨日、佐保川の桜を紹介しましたが、この地域は佐保といい、佐保姫伝説伝承の地でもあります。奈良市の不退寺と興福院の間にある狭岡神社。県立奈良高校の西側にあたります。佐保川にも近いです。本殿も小さく、見落としてしまいそうですが、霊亀2年(西暦715年)藤原不比等(淡海公)が国家鎮護、藤原氏繁栄のため勅許により天神八座を祭祀し崇拝したのが始まりといわれます。この地は、開化天皇の皇女で垂仁天皇の妃であった佐保姫(古事記では沙穂毘売命、日本書紀では狭穂姫)が幼少から成人まで母と暮らしたといわれています。神社の鳥居をくぐると、左手に佐保姫が身を映したと言われる鏡池があります。狭岡神社の紹介をするならと、佐保姫について日本書紀と古事記を読んでみました。古典はあまり得意じゃないので詳しいことはわかりませんが、大体こんなことです。佐保姫は兄の佐保彦王に「兄と夫とどちらが大事か?」と問われ、「兄です」と答えると、「では、一緒に天下を取ろう。垂仁天皇の首をこれで刺せ」と言われて、小刀を渡された。その後、垂仁天皇が佐保姫の膝枕で昼寝をしていた時、佐保姫は小刀を取り出し、刺そうとしたが、どうしても刺せない。やらなければ兄を裏切ることになり、やると夫と国を裏切ることになる。と、目から涙が溢れ、垂仁天皇の顔に落ちた。垂仁天皇は驚いて起き、「夢を見た。佐保の方から雨が降ってきて顔にかかった。そして錦色の小蛇が首に纏わり付いた。これは何を意味しているのだろう?」佐保姫は隠すことはできないと謀反の計画を白状した。ほどなく戦となり、兄は稲城にたてこもった。佐保姫も兄と一緒に稲城にたてこもった。ここから古事記と日本書紀は若干違いますが、ここでは古事記の内容を紹介します。この時、佐保姫は垂仁天皇に「子をあなたの子だと認めてくれるなら育ててください」と言った。垂仁天皇は「兄は憎いが佐保姫は憎からず」と家来に子と一緒に掴めるところは髪でも着物でも何でも掴んで佐保姫も連れてくるように命令する。それを察して佐保姫は髪を剃り、着物を朽ちさせ、玉の緒も朽ちさせ、掴める所がないようにしたうえで、なんでもないように身に付けておいた。家来は子を連れ、佐保姫も連れて行こうと髪を掴それは落ち、着物を掴むとすぐに破れ、玉を掴むとその緒は切れて連れ戻すことができなかった。その後、佐保彦王は討たれ、佐保姫は兄の後を追ったとされている。この神社は鳥居をくぐるとすぐに5~10cmの高さの石段が続きます。手すりはありますが、スロープはありません。またトイレ計画も別にする必要があります。奈良には開化天皇陵、垂仁天皇陵もあります。こちらは次回、紹介します。佐保川の桜とセットで訪ねてみてはいかがでしょう?
2006年04月05日
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