距離






「距離」

私の住んでいる町で、「バスの中で隣に座った人を突然なぐる」と
いう事件がおきた。
本当に小さな町なのでニュースにもならないのだが、時々
東京までバスを使っている私は、背筋が凍った。
その事件では、隣の人が眠ってしまい寄りかかってきたことにはら
をたてて激しく殴ったという事だ。
寄りかかるっていうのは私がいつもしていることなので、驚いた。
しばらく前にも、電車でかたが触れたとたん殴られたという大きな事
件があったことを脳の片隅に思い浮かべる。

私はこういう事件を耳にするたびに、あるテレビ番組を思い出す。

それはとある大学の心理学科のメンバーが行った実験だった。
人と人が、数メートル離れて向かい合って立つ。
そしてお互いに少しずつ近づく。
二人の距離はどんどん縮まるわけだが、「心地悪い」と感じた時点
で手をあげることになっている。
実際実験してみると、まだ3メートルは離れているのに手を上げる人、
体がぶつかるくらい近づいても大丈夫な人、さまざまだった。
(思えばちょっと残酷な実験かもしれない・・・・苦笑)

それは「快適な距離感」というテーマでの実験だった。
私はこれを見て、「人によって、相手によって、心地よいまたは不愉
快な「距離」というものが存在するということをはじめて知ったのだった。

私たちは乗りものに乗るとき、否応なしにその乗り物の面積の範囲に
入らされる。面識さえない人たちと、意思なしに接近することを強制
される。

事件の人たちが殴った瞬間、彼らの頭の中では手が挙がったのだ。
「距離」に絶えられなくなったことが生んだ悲劇。

心地悪い「距離」に耐えうる力を身につけること。
それは社会で生活していくのに大切なもののひとつのような気がする。
私たちはみな、無意識にそんな力を身につけてるのかもしれない。
たとえば、心の距離。
かみ合わない人ともうまくやっていくというのも、距離に対する能力だ
と思う。

そして、くっつくくらい近づいても、抱き合ってさえ心地いいと感じられる
ような人間関係を広げていきたいということも、私の人生での願いのひとつ
になった。


   人の心とのふれあいは
   ひんやりとして気持ちいい

   気持ちいいそのひんやりとしたところに
   手や顔をつけて
   眠ろう

   森の奥
   この世界という森の奥

(銀色夏生さんの詩より)







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