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いつもここに綴る私の他愛ない文章を読んできてくださった方々、本当にありがとうございました。今、別の場所で新たなページを作っています。日々、いろいろな経験をしながら迷ったり悩んだり進んだりする中で、自分の中でも価値観や考え方が大いに変化したり、そのままだったり、文章にしたいこともあふれるように次々出てきています。年明けに一人暮らしを始めてから、アパートにパソコンを持ってこなかったこともあり、会社やネットカフェでのみPCを見るようになり、なかなか日記を書く機会もなくなってしまいました。けれど、私にとって文章を書くことはとても好きなことなので、手帳やワードに書き留めたりしていました。そして、時間が経ち、日々、自分の中で、今後自分が向かっていく方向やしていきたいことなどがどんどん明確になってきています。なので、今後、もっとそれらに絞った文章を、もっと自由に綴っていけたらと思い、思い切ってページを一新することにしました。ここでページを作ったり削除したりする作業は、単純なようで実は、自分の中にある雑多なものを整頓したり、清算したり、そこに何かを加えて新しいものを生み出したりという試みの一つであったような気がします。新しいページが整い次第、このページは閉じたいと思います。これからも、よろしくお願いします。
June 11, 2005
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胸が高鳴る 足音はやまる トーンがあがる ***学生時代、私は最初の一年間を目白、次の2年間を高田馬場、そして最後の一年間は弟が大学に入学するのと入れ替えに、実家から通った。何もかもが型にはまっていた高校時代を終え、パーン!と何もかも自由な大学生になり、親元を離れられる喜びとともに、あらゆることに対してどう身動きをとっていいのかわからない,そんな大学初期を過ごしたのが目白だった。親がセキュリティ面をとても心配し、完全なアパートではなく、寮母さんのいるような学生会館に入ることになった。それでも、どちらかといえば厳しい家庭に育った私にとっては、それこそ”デビュー”であった。高校を出たばかりの若造なりに、いろいろな夢や思いがあった。幸いにも、入学当時から友人や仲間に恵まれ、高校の頃の友人と不安を消し去り合う時間を持つこともでき、スムーズに大学生活に入ることができた。それでもやはり雑多に大勢の学生が行き交う構内を歩いていると、行き先の定まらない自由すぎる風景に、足がすくんでしまったりもした。高校時代、一番仲良くしていた親友(バス旅や、軽井沢への旅行の日記などにも登場する友人)。も、別の大学ではあるが私のすむ目白からとても近い大学に進んだ。なので私たちは、予定を繰り合わせては週に一度は会っていた。けれどだんだん、お互いの生活が忙しくなり、会うことも減った。それはとても安心できることだった。お互いが、お互いの居場所を見つけ、学生生活を謳歌している証だったからだ。******目白駅の近くにある、とある喫茶店。”カフェ”が流行る今でも、あえて”喫茶店”という呼び名が似合うような、目立たないけれどとてもコーヒーのおいしいお店。私たちは必ずここで会っていた。500円で、おいしいケーキとコーヒーか紅茶をオーダーできる、ケーキセットが私たちのお気に入りだった。ケーキは、どこにでも売っていそうででも見たことのない、ささやかだけれどとてもおいしいものばかりで、私たちはいつも”ここで作ってるオリジナルなのかな?”と、奥まった厨房に目をやったりしていた。******久々に降り立った目白は、姿を変えていた。道路をはさんで両側に、いろいろなお店が建ち並ぶちょっとしたストリートになっているのだが、素敵なお店ができていたり、なくなったりしていた。それでも、どこどなく綺麗でモダンな「目白らしさ」を失っていなかった。今日はここで、連休中の遊びの計画を立てようと、まさにその友人と待ち合わせをしていた。お互いが社会人となった今でも、お互いに急に、本当にとうとつに、会いたくなり、連絡を取り合う。この週末に、会える!そう決まったときには、私は本当に、にやけてしまう。嬉しくて。それがあるだけで、このきつい仕事に耐えられる、と思えてしまう。******少し早くついたので、ストリートを歩いてみる。学生会館のすぐ近くにある美容院。大学生になっておしゃれなヘアスタイルをしてみたかった私はここへ雑誌の切り抜きを持ってやってきて、まったく違うへんなヘアスタイルにされてしまい、ショックだったっけ。向かいにある本屋さん。ここでアルバイトをしようと履歴書を持って行ったら、”力持ちの男性がほしいんだよねぇ”と追い返されてしまったっけ。少し行ったところにあるATM。よくここで、”今月もうお金がない!”なんてぞっとしていたっけなぁ。いろいろな戸惑いや憧れが、きらきらと散らばっていて、今も褪せない光を放っている。*****どこも混む連休中はバス旅をして、バスでゆっくりしながらずっと二人の間で温めてきた「海外進出計画」をしよう!と私たちは盛り上がった。行き先は島。グアム。何度もいっしょに旅行をしている私たちは、今年、海外へ行くぞ!と前から言っていた。それがとうとう、現実になる。ケーキセットの内容はずいぶん変わっていた。私のお気に入りの、”チョコマウンテン”もなくなっていた。それでも、コーヒーのおいしさは変わっていなかったし、やっぱり変わらぬ500円だった。旅行のパンフレットを広げて何時間いても変わらない穏やかな空気や、 なぜかここにくる人たちはみんな穏やかで物静か(私たち以外は、)なのも、同じだった。******旅行が決まると、とても天気が良いので、私たちは散歩をした。木の葉が舞い、空気がとても綺麗だ。******大きな曲がり角を曲がったなら走り出そう戸惑うことはもうやめてその先に何があるのかはわからないけど そう強くあるために (the brilliant green, There will be love there~愛のある場所)*******美容院のそばにあるファミリーマート。あの頃、美容院でへんな頭になった帰り道のへこんだ私は、お昼に食べようと、ここで冷蔵ケースのサンドイッチに手を伸ばした。その瞬間に聞こえてきた曲。私は一瞬でこの曲の虜になった。*****その1年あまり後に、バンドサークルに入り、私はこの曲を歌うことになるのだが、散歩後に友人と別れ、夕暮れ道を歩きながら無意識にこの曲を鼻歌していた。そして。ふと気づいた。いつもいつも、”大きな曲がり角を早く見つけてそこを曲がりたい、そして曲がったところにあるものが見たい。”そう願っていたあの頃の私は、いつもわなわなと、震える拳を握り締めていたけれど。今はどうしたことか。きっとこれからも幾つもの曲がり角を迎えるだろうのに、両手を広げて、心からわくわくして、楽しみに待っている。はーやくこい!と、おどけて覗いてみたりしている。曲がり角も、まっすぐな道も。その間にあるだろう、ふたのない真っ暗なマンホールでさえも。******私の鼻歌のトーンが心なしか上がる。
April 24, 2005
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彩り たてから よこから ななめから ***テレビをぼーっと見ていたら、コーヒーのCMが流れた。詳しい内容は忘れてしまったのだけれど、洗濯に失敗をして、洗濯物に混ざっていた赤い服が色落ちして白い服までピンクに染まってしまう。干されたピンクの洗濯物たちをみながらささやくのだ。「ピンク色もいいね」と。そんなCMだった。幼稚園の頃、夏休みがくると、夏休み中の思い出を絵にして提出するという宿題が毎年出た。その年の私は、家族で近隣のプールに行ったことがとても嬉しくて、それを絵にした。プールで自分や友達が泳いでいるさまを、上から見下ろす視点で描いた。人を描いた後にその周り一面を水色のクレヨンで塗った。けれどなんだか、気に入らない。小さいころの私は、何かに夢中になると夢中になりすぎてしまうところがあった。水色の仕上がりがどうしても嫌だった私は、なんと消しゴムでその水色を消し始めた。消えるはずがない。そばでみていた母も、”上手じゃない。そのままでいいわよ。”という。でも私は、聞く耳を持たない。しばらく消しつづけて、さすがの私も参る。手を止めて、諦めて、涙ににじんだ目でふーっと息をつく。でも次の瞬間。その絵が、とても素敵なものに思えてきたのだ。というのも、消しゴムのあとがついた一面の水色は、まるで波を打っているプールの皮膚そのもののようなのだ。躍起になって消しゴムをあてて、紙が擦り切れてしまいそうになっている部分でさえ、水に飛び込んだときのしぶきの跳ね返しのようだ。私はなぜかその絵が気に入って、小麦色の頬を赤らめながら得意げに新学期を迎えたのだった。多分いろいろな事が、思わぬ所で思わぬ彩りを見せたりする。だから、日々、朝ベッドを飛び出してから、こくりと眠りに落ちるまで、目に映るすべてのことが、ものが、楽しくて仕方ない。
April 18, 2005
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ハート形した植物 まあるい 心になる ***明日、仕事でかなりやられている友達が、私の部屋に遊びにくる。高校時代の友人で、違うグループだったのに、なぜか別の大学に進んでもつるんでいた。”バーゲン友達”であり、毎年夏と冬のバーゲンの季節になるとどちらからともなく連絡をとりあう。勿論目的は買い物だけではないのだが、今も私のクローゼットには、今ではまったくはかなくなったおそろいのロングスカートが入っている。リングを交換し合った事もある。「次にもらうときは男の子にネ」なんて言い合いながら。そんな私たちがいつもバーゲンに出かけた池袋のメトロポリタン。そこで待ち合わせをして、デパ地下で夕飯を買って、私の部屋で過ごそう!という計画。池袋はよく訪れるが、思えばメトロポリタンは、最後に彼女と行って以来かもしれない。なので、私は、彼女の心を和ます(?)植物でも買おうと、新宿に出掛けた。本棚購入に続きインテリア計画第二弾、ということで、衣類を整理するカゴやカーテンを買った。食器などもまた増やした。翌日はお互いに出勤なので、グラノーラとヨーグルト、ミルクを紅茶を買っておく。ガラスの鉢に貼ってあるのは、彼女が私の引越し先に送ってくれた”ちいさなちいさな引越し祝い”だ。(写真参照)部屋を整理していると、とあるクリアファイルからたくさんのちらしのようなものがバラバラっと床に落ちた。旅行やらレストランやら買い物やらに出かけたときの、チケットやパンフレット、航空券などだった。私はいつも、手帳にこれらを貼ったりして日記を書く。でも近頃は日々の雑事にまみれて、あとでまとめてやろう、と思っていたのだった。私が日々、心がけていたいと願っていることがある。それは、その時に思ったことを、その時に伝えたい、という事だ。私たちは、心に受けた大きな感動や喜び、あるいは悲しみを、覚えている。あとから懐かしく思ったりする。けれど、ついこないだのことなのに、そのときのほとばしるような感情でさえ、思い出せなくなってしまうことがある。つかの間の記憶喪失。手帳に向かって構えたペンが動かない。仕事での悩みに嘆く友達の話を電話越しに、彼女が来たらおいしいワインでも飲もうか、と頭のもう片方で思いながら、私は誓った。”わすれないようにしよう”。今ここにある、彼女の嘆きも、悲しみも。それをただただ相槌を打ちながら、夜更けの白い蛍光灯の下で聞いているとき、初夏の夕暮れのように涼しかったことも。
April 17, 2005
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なにもできないけど 小さな手しか持っていないけど ここに確かにある 魂のかたまり *** 私の仕事は、常に気を緩めることができない。日々、品物は輸出入されるし、それにともなうトラブルも発生する。輸出が遅れることもよくある。数え切れないほどの品物の輸出入を管理することは、ただでさえそそっかしく正確性に欠ける私にはとても手強い。特にいろいろなトラブル続きで、はりつめた気持ちがとれないまま部屋に帰ると、実家の母からの宅急便が届いていた。一人暮しを始めてから、私にとっての母は、親というより女友達みたいだ。今回も、角田光代の”対岸の彼女”という本が良かったから送るよ。という宅急便で、もちろん、お菓子やら何やら、サンタクロースの袋みたいに、どこか私の家の匂いがする、楽しみがたくさんつまったダンボール箱だった。時々実家に帰ると、インテリアの好きな母のせいでリビングは必ずどこか変化している。「あ!この花瓶買ったの??素敵~」などと私が気づくと、母はいつだって「気づいてくれるのは智美だけよー。男ども(父や弟)は、飾りになんて興味が無いものね。」と微笑む。宅急便の中に、私宛に届いたという、私の友人からのハガキが入っていた。昨年末の私の誕生日にも遊びに行った、出産してもう1年になる高校時代の友人からのものだった。ひな壇の前で、赤ちゃんと一緒に写っている、とても可愛らしい、フォトスタンドに入れて飾っておきたくなるような写真だった。そしてそれを眺めながら思った。好きな人と結婚してこうして家庭を持つという選択を、ここ数年の間にできないわけではなかった。けれど私はその選択をせず、自力で夢を追う選択をした。どちらも選択することももちろん可能だったのだろうが、私にその意思や自信はなかった。差し伸べられた手を、私は自ら拒んでしまったのだった。そんなことを思っていると、携帯が鳴った。かつてのアルバイト先の塾の室長からの、写メールだった。こないだ差し入れをもって遊びにいった時のことをやんわりと思い出しながら、「なんだろう。。」と受信してみると。エッセイにもこの日記にも何度か登場している、私の生徒の写真だった。晴れて入学した高校の制服をきて、笑って写っている。私の知っている彼より、どことなく大人びていた。そしてそれを眺めながら思った。やっぱり仕事頑張ろう。そして、力をつけて、貯金もして、夢を叶えたい。世界中の生徒に出会いたいんだ。と。途端に勇気が沸いてきた。来週から、イギリス人の女の子に、日本語を教え始める。一年間、ほとんど手をつけることのできなかった通信教材の、受講期間延長の申し込みも、した。私の勇気やら自信やらは、日々膨れたりしぼんだりしながらも、備わった弾力だけは失わずに、鞠のようにはずみ続けている。PS 京都旅行記を作っています。
April 13, 2005
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カラダの声を聞く ***Tarzan 女性フィットネス特集を読んでしまってからというもの、”カラダがよろこぶ”ということについてとても興味がわき始めた。一人暮らしを始めて自炊するようになって、味覚が研ぎ澄まされてきたような気がする。いつもカフェの前を通ると、甘くておいしい飲み物をのみにふらりと立ち寄ったりしていたがそれもなくなったし、脂っこいものをほしいと思わなくなった。代わりに、”ブロッコリーが食べたい!”と急にどうしようもなく思ったり、会社で飲むミネラルウオーターを美味しい!と感じるようにもなった。会社からの帰り道、一駅分歩いている。でもそれだけじゃ物足りなくなり、近くのスポーツジムを見学しに行ってみた。出社前にカラダを動かせたら仕事がんばれそう、なんて思いながら。今日は少し早く仕事を終えられた。サオリとカフェでひとしきりおしゃべりした後、急に、家の近くにあった銭湯に行ってみよう、と思い立った。今月はとうとう残業70時間を超過した。きっと全身が癒されたがっている。家に帰り夕食を済ませ、タオルと着替えをささっと抱えて向かった。戸をあけると気のよさそうなおじさんが番台にいた。小さなシャンプー、リンスやら、石鹸やらが、30円くらいで売られている。そのあまりのかわいらしさに、思わず手にとってシャンプーを購入。このおじさんのあたたかい感じとか、ちょうどいい壁のすたれ具合、戸を開けたときの空気のにおいが、まさに”この街らしいな”と思わせる。途中、のぼせそうになっていったんあがり、冷たいお茶を飲みながら壁に張られた紙を見上げる。”毎月26日はラベンダーの日”なんて書かれている。今度は26日にきてみよう、なんて思ってしまうような、こんな小さなわくわくが嬉しい。ごく普通の銭湯だと思っていたのに、入ってみると、リラックスバス、バブルバス、打たせ湯など、いろいろな種類のお風呂があってびっくり。バブルバスで全身をほぐされて心からリラックス。目を瞑り、いろいろなことを思い巡らす。これからは、友達が家に泊まりに来たときはここに連れてきたい。以前、憧れのライターの方にお会いするチャンスがあった。その方が、”水風呂”の魅力を語られていて、ここで水風呂を発見して嬉しくなった。熱い湯でほてったカラダが冷たい水に入っていくときのその感じは、なぜか記憶にあるはずのない、羊水の中の自分を髣髴とさせる。カラダがよろこぶことをしているとき、心の中にあるもやもやや迷いや戸惑いは、すべて分解されて散っていくような気がする。心が、あるべき場所へと還っていく。
March 29, 2005
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気づいたら できていた道 確かに かかとの後ろに ***「ブリジットジョーンズの日記 2」を見た。ブリジットファンの私は、この日を待ちに待っていた。映画といえば、ポップコーン。30分以上も早く、お茶とポップコーンを買い込んで、友人と二人、並ぶ。会社の友人、サオリとは、毎日会社で顔を合わせ、仕事の合間にメールで会話もしているし、お互いに残業が多いのでよく帰り道に食事にも行く。それなのに、週末にも会う。いつも全く、話し足りないのだ。会社の友達、という気がしない。ずいぶん昔からの知り合いのような気がしてならない。恋愛に、将来に、日々、現在進行形で悩み迷いそれでも勇敢に進む私たちのブリジット!!ブリジット役のレニーは、この役作りの為にまた、一日6個ドーナツを食べて太ったという。確かに、この太りようには心から驚いた。こんなに太っても、ドジばっかりでも、なぜか誰よりもチャーミングで可愛く、私は何度もため息をついた。そしてそれを見守る恋人のマーク。彼女のすべてを静かに、優しいまなざしで見守り続ける存在が、本当に素敵だと思った。今の会社に入り、もうすぐ1年が経つ。初めての社会人生活に、毎日とにかく必死だった。お茶をこぼしたり、ゴミ箱につまずいたり、私がなりたいと思っていた”スマートで素敵なOL”からは程遠い日々だった。そうして嘆く私に、サオリは言った。「いいんだよ。ともちゃんは、それがいいんだよ。」何気ない一言なのに、とても心に染み渡るようだった。呪文のように、「そうだ、私はこれでいいんだよ。」と日々、復唱する。映画の中のブリジットも、はたからみたらとても滑稽で笑いを誘う。でもきっと、だからブリジットなのだ。一生懸命ならそれでいい。それがたとえ、不恰好であっても。これからも、スマートじゃなくても、諦めることを知らない一生懸命な人間でいたい。
March 21, 2005
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誰かの出発 誰かのゴール 春が来る ***一人暮らしを始めてから初めて、実家に帰る。祖父母のお墓があるお寺で、家族と待ち合わせる。久々に揃った家族5人。喜びを隠せない両親。お墓参りをし、東京駅付近でお昼を食べ、「東京めぐりだね」なんて言いながら丸ビルなどをめぐり、帰途につく。その夜私は久しぶりに、アルバイトしていた塾を訪れた。もう、私が教えていた生徒たちの合格発表も終わっていて、塾の外には、合格者の名前と合格校の書かれた紙が張り出されている。中に入ると、ついこないだまで生徒だった子が、先生としてそこにいた(笑)。時の流れを感じる。そして室長が、お給料が少ない、忙しくて不規則で大変、やめたいと言いつつもここで室長を続けておられる理由がわかる季節だ。久しぶりに訪れた私を、かつて同僚だった先生たちはみんな、あたたかい笑顔で迎えてくれる。こころから気持ちがほんわかする瞬間だ。ワッフルの差し入れをみんなで食べた後、みんなで写真を撮る。笑いながら騒ぎながら。なぜだか楽しくて仕方ない。教室の中で。外の看板をバックに。思えばここでみんなで写真を撮るのは初めてだ。その後、みんなでお好み焼きやさんへ。本当に懐かしく楽しい時間だった。ここを訪れるたびに思う。やっぱり先生になりたい。だから自分に起こるすべての事を受け入れる寛大なこころをもてるような、大きな自分になりたいと、震えるくらいそう思うのだ。小さな教室。何気ない教室。けれど、私にいろんなことを決断させた場所。今度は、現像した写真とまた何か差し入れをもってまた来たい。
March 19, 2005
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食べて、歌って、恋をして。 そんなふうにして 流れ行く 日々 ***札幌に配属されてしまった、高校時代からの友人が研修で上京してくる。彼女の上京の度になんとか時間を繰り合わせて会うのだが、今回は私の部屋に泊まりにくることになった。なんとか部屋も落ち着いて、人が泊まりにくるのは初めて。仕事を早く終えて六本木ヒルズで待ち合わせ。方向音痴の私たちは、なかなか会えない。お互いエスカレーターですれ違ってしまったり・・・。食事を終えて、私の部屋に向かう。近くのコンビニで、お菓子やらお酒やら、ふたりでこんなに食べられるの?という大量な食物を買い込んで・・。私たちはお互いに、無類の音楽好き。高校の頃から、そうだった。好きなジャンルが似てることもあり、部屋で私たちは、次々に音楽を流しては、歌う、踊る、食べる、騒ぐ、笑う・・・。そうして、つもり積もったお互いの近況についてのおしゃべりをする前に、疲れ果ててしまったのだ。二人で私の小さなベッドにぎゅうぎゅうになって入り、恋愛だの仕事だの将来だの、語り合い始めた。私は、彼女の話をうん、うんと相槌をうちながら聞いていたのだが、彼女が私に「だよねー。どう思う?」と何かをたずねたとき。私は「・・・・・・・・・・・・・マシュマロ。」と確かにつぶやいた。「・・・マシュマロ??」笑い出す彼女。どうやら私は彼女の話を聞きながら一瞬眠りに落ち、起き抜けに寝言を言ったようなのだ。その日会社で、会社の友人とこんな会話をしていた。私はお菓子の中でもマシュマロがとてもすきなのだが、友人いわく、「マシュマロって、カマキリか何かのたまごにすごく似てない?そう思い始めてから、苦手になっちゃった。」。多分、その会話が心のどこかに残っていたのだろう(笑)。そしてお互いに朝起きて、彼女を見送りに駅に向かう。結局、お互いの深刻な話なんてほとんどできず、歌って踊って騒いだだけのお馬鹿な夜だった。横断歩道のところで私が言った。「なーんもしゃべらず終わったね!笑」彼女が言う。「ね!でもさー!」でもさ、の先を言う前に、私たちはお互いの言おうとしてることが言葉にせずとも通じ合ったことに気づき、ただ微笑みあった。そう、きっと。私たちの日常に起こることはあまりにすべてがオリジナルすぎて、悩んでも、もがいても、答えの出ないこともある。もやもやとした霧は、なかなか晴れてくれないこともあるし、急に視界が開けてくることもある。けれど。歌って、おどり、わけもなく騒ぐ。たくさん笑う。そんな些細なことが、なんだかすべてがどうでもよくて、きっと私たちの真上に広がる大空の中じゃすごくちっぽけなんじゃないだろうか?と感じるきっかけになるのだ。
March 5, 2005
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ことことと ぐつぐつと あたたかい空気を呼ぶ音 ***最近、また新たな発見をした。私は将来、ずっと働きつづけていきたい、と思っているほうだ。それも、結婚したりしても、世界を飛び回りたいと思ったりしている。もともと一人でいることをあまり好まない寂しがりやだということもあるが、外に出ていたい。母もそんなアウトドアな私を熟知しているから、一人暮しをはじめたら家のことなんて何もしないだろう、眠りに帰るだけなんだろうと思っている。実家にいるころは、時には母を手伝って料理をしたり、母の入院中には家事をしたりと、実家暮らしのごくごく普通の女の子だったと思う。一人暮しをはじめて気づいた。料理が好き。洗濯が好き。掃除が好き。帰宅が10時近くになっても、簡単なものでいいから、作る。自分で考えて作ってみたものが偶然おいしかったりすると、うれしい。遅くに帰宅すると、もうほかの部屋の2人は寝静まっていて、暗い玄関の奥にある共同キッチンから、ほのかな温度とおいしそうな匂いが漂ってきたりする。誰かが料理をしたあとなのだろう。焼いたり、煮たり、刻んだり。火をつけたり。そんな料理にかかわるすべてのことが、とても温かい。部屋がぴかぴかになればとてもうれしいし、洗濯物が乾いてる!と気づいたときはファーファみたいな(笑)ほんわかしたきもちになる。一人暮しをしていれば、当たり前だけれどすべて自分でしなければならない。でも、一人だからこそ、きれいな器にもりつけてご飯を食べたりしていると、自分を慈しんでいるような気持ちになれる。丁寧に生活することは、自分を大切にしているようで、それだけで心地いい。本棚の次は、部屋のすみに置けるような小さな食器棚が欲しい。そんなことを考えながら眠りにつく。
February 17, 2005
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つながってゆく すいこまれてゆく ***エッセイページのsquareに書いた生徒が、私立高校に合格した。就職してからも、いつも心の中にいる生徒だった。修学旅行のおみやげにくれたおもちゃのネックレスは、いつもかばんのポケットにしまってある。私の不安はいつも「どの高校にいけるだろう」ではなくて「行ける高校があるんだろうか?」という事だった。県立高校も受けるということだが、とりあえずこれで高校生にはなれる。室長がくれたメールに、ものすごく感激した。近々また、塾を訪れよう。部屋に本棚が届いて、本を詰め込んでいるとき、塾で使っていたテキストが出てきた。(あれ?ってことは私しらないうちに、勝手に持って帰ってきちゃった? 笑)ぱらぱらと開くと、思わずくらっとするような懐かしい、塾の床の匂いがした。ああ、戻りたい。私はやっぱり、先生になりたいんだ。と心から思う。そして、そう心から思う自分を幸せに感じる。出勤前、ワイドショーを見たい自分をおさえてNHKのニュースをつける。大好きな買い物をちょっとだけ控えて、貯金に回す。日々、心がまんなかにある状態で過ごせるように意識する。すべてが、未来のため。将来、私に勉強を教わってくれる生徒のため。そう思うと、すべてがそこにつながっていく気がするから、毎日の、一分一秒たりとも、気を抜けないし、抜いてはならないと思う。なのにそれはちっとも息の詰まるようなことではなくて、とてもどきどきわくわくすることなのだ。
February 16, 2005
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多分それは 大きなことだけれど もっと大きな 目に見えないものに 包まれている 守られている ***テレビから漏れてくる音のかたちで、今が何時だかだいたいわかるような気がする。お昼にさしかかってゆく午前10時から11時にかけては、なんとなくもやのかかったような、心地よい声やら、歌やら、言葉たちがテレビの付近をとびかっている。それはスポンジのような耳たぶに、やさしく吸収されていく。・・・・・・・・・え?10時?そう、私は寝坊をした。ちょっぴり悩める事があり、近くに住む友人の家で、お酒を飲みながら語り、気づいたら眠っていた。アルコール40度のウイスキーのビン(から。)が転がっている。携帯電話を見れば、会社の番号や、会社の友人からの着信と、「どこにいるの?」のメール。私はそれをみた瞬間に、状況を察知した。何もかもほっぽりだして、眠りこけている友人をそのままに、家を飛び出す。憎たらしいほどの日光が、寝ぼけた顔に眩しい。そしてとにかく、会社に電話。運の良いことに、上長はみな留守だった。午後から出社することにした。会社へ向かう電車にのり、再び携帯電話を開く。しばらく充電がきれていたので、受信できていなかったメールが次々に入ってくる。一通ずつ、開いていく。私のこの小さな悩み事を知る友人たちからの、真摯で愉快なメッセージ。いつかしようねと約束している貧乏旅行の綿密プランを、性懲りもなくいくつも綴っている、遠くにいる友人からのメッセージ。「ねむ~い!つかれたぁ」とたった一言ぼやく、友人からのメッセージ。私、この悩み事をこんなにも多くの人に話していたのかしら?と自分にびっくりしたりしながら。私の心には、とてもあたたかいものが満ち満ちてきた。私は悩みを持った。もがいて、迷った。自分なりに明かりを見つけて、そして進んだ。お酒を飲み、飲みすぎて、眠り、眠りすぎて、寝坊した。爆発頭に寝ぼけ眼で、日なたのアスファルトを走り抜けた。シャワーを浴びて電車に乗った。そんなふうに、まったく個人的な事に、じたばたして、いろんなことをやらかしてしまっている私の、まったくわからない所で。いろんな風に、いろんな形で、私を想ってくれているこの人たち。私の個人的な悩みはおいといて、貧乏旅行探検コースプランを練っている。私の個人的な悩みはおいといて、今日も疲れたと心からぼやいている。私の個人的な悩みはおいといて、とにかく今どこにいるの?無事なの?と心配している。そんな人たちの、なんと愛しい事よ。ありがたい事よ。そして、奇跡な事よ。リトルブレイバーをボリューム上げて聴きながら、電車を降りる。
February 15, 2005
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coming soon
February 2, 2005
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わたしのいる場所 いる場所の空気 そして 空気に満ちた空 ***一人暮しをはじめて、一ヶ月が過ぎようとしている。平日はほとんど部屋にいないので、なかなか片付かなかったがやっと、「帰りたい部屋」になってきた (笑)連休中、新宿のIn the roomをふらついていて、まさに理想!の本棚を見つけてしまった。薄いけれどハードカバーもちょうどはまり、ひとつひとつの区切りの調節も自由自在。部屋の白い壁にもぴったり。色も、形も、大きさも。まさに思い描いていたような棚が、そこにあった。でも・・・3万円。私には、とても高い買い物だ。ホームセンターなど回れば、似た形のものがもっと安くあるかもしれない・・・これを買ったら、洋服はあきらめなきゃ・・・など、色々な思いが頭の中を駆け巡り、気づいたらお取りよせをお願いしていた。人との出会いも、物との出会いもそうだ。衝撃的で、衝動的な出会いには、心が踊る。どきどきする。からだじゅうの血液が、ぐるぐるめぐるのを急に体感するようになる。気分がハイになるような、頬がほてってくるような。そんな出会いをして、ベッドカバーや床にしくラグマット等を買い、帰途につく。その日は、大家のまきちゃんも、韓国人のおばさんも留守だった。私の住むアパートは、少し変わっている。ひとつの大きな家に、部屋が三つある、という感じだ。玄関をあけると長い廊下が続いていて、右側に私の部屋が、左側にまきちゃんのへや、韓国人のおばさんの部屋がある。そしてそのもっと奥に、キッチンやお風呂、洗濯機がある。部屋はそれぞれ独立しているし壁も厚い。でもキッチンなどは、共同だ。私が一人暮しを始めて、意外だったことがある。私はもともと、きれい好きかどうかに関して言えば、”普通”だと思う。実家にいる時も、普段は片付いていたり、テスト前になれば床にプリントや本が散乱したり。ごくごく普通の、部屋のあり方だったように思う。そんな私の母は、正真正銘の”きれい好き”だ。毎日の掃除は、床がすりへるんじゃないかと思うほどだし、私や弟は小さいころから、自分の部屋でお菓子を食べないように育てられてきた。こぼしたり、食べたあとのクズを放置したりするといけないからだ。一人暮しを始めてみれば、きれい好き母ももういない。どんな部屋にしようと、何をしようと誰も見ちゃいないし、人を招くときだけ片付ければ、何も困ることもないはずだ。でも。ここへきてからというもの、私は”きれい好き”になったようなのだ。母ほどではないけれど、共同のキッチンや洗面所が、きれいでないと気になったりする。部屋もいつもとてもきれいだ。そんなわけで、買い物から帰宅した私は、皆が留守なのを見計らって掃除をはじめた。キッチン、洗面所、お風呂。全部ぴかぴかに磨き上げた。そして普段はシャワーだけなので久々にお風呂をわかした。ふと思う。親のしつけや教育とは、多分、親から離れたところで、現れるものなのかもしれない。引越し当日、手伝ってくれた両親と別れるとき、母が私にこう言った。「ダイエットとか言ってないでちゃんとご飯食べるのよ。 離れてても、いつもともみのこと考えてるし、ともみが 元気でいてくれなきゃ、困っちゃうんだからね」一人暮しの良さ。それはなんと言っても「自由」だと思う。私の家は、特に厳しいというほどではないが、先に家族が寝ていたとしても、やはりあまりに遅く帰宅するのは気が引けるし、常に頭にあったりする。私は家族が大好きだし、どうしてもという理由がない限り、家族と暮らす生活をしていこうと決めていたくらいだ。けれど。時間を気にせず外出していられたり、夜中の2時に部屋を飛び出して友達の所へ行ったり、閉店まぎわまで本屋さんにいたり。自分のしたいときにしたいことを、思うままにできるという事。そんな小さな自由を、私は心から求めていたのだ。でも。不思議だ。どんなにハメを外そうとも、常に心の中心に想いがある。「両親のために、元気でいなきゃ。幸せにならなきゃ。」という想いだ。そんな想いがあるから、どんなに騒いでも、遊んでも、どこかでブレーキがかかり、最悪の事態を避ける。働いて疲れて適当に夕食を済ませよう、という時があっても、母が作ってくれた今ある健康な体を、澱ませてはならない、と思うから野菜を食べる。何かに悩んだり、落ち込んだりしても、「必ず幸せになろう」という気持ちで復活する。そしてそんな想いを、一緒に暮らしているときは意識することはない。むしろ、どうやって遅く帰る言い訳をしようか、そんなことばかり考えているのだ。思う。私は将来、きっと、もっと放任主義で、お菓子を部屋で食べてもいいよと言う母親になるんだ!と決めていたけれど。多分それでも、きっと今の母にそっくりな母になるだろう。なりたいとさえ、今は思う。
February 1, 2005
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25年前の今日 地球人として歩き始めた私 すべてはそこから始まった ***「あっこちゃんからお花が届いてるよ。 健康で皆に祝福してもらって、あなたは幸福ですね。 25年前の今日には、すでに地球人として歩み始めて いましたよ。 雪道で滑らないように!滑ってまで皆の笑いをとる必要は ないからね。」母からそんなメールが入ったとき、私は、札幌から帰郷している友人と、聖路加ガーデン47階のレストランにいた。東京の初雪。猛吹雪。25歳になった。「コブタとサカナ、どっちがいい?」札幌から電話でレストランを予約してくれた友人。せっかく築地だしね、という不思議な理由で、サカナに決定。彼女が3日間も徹夜して作ってくれたという、今彼女がとても夢中になっているアーティストのMDと歌詞カード。彼女は昔からこんな風に、自分が好き!夢中!と思ったものに人を引き込み、いつのまにか魅了してしまう。私はいつも魅了されてしまうのだが、その感じがとても心地いい。お料理を運んでくれる黒人ウエイター。パンを食べ終わった頃、「パンおかわりいかがですか?」と聞かれたので、これからデザートも控えている私たちは「いえ、結構です」と返事。すると数秒後、パンのかごを持った彼が・・・^^;最後に運ばれてくるデザートのお皿に「Happy Birthday Tomomi」と書いてある。感激に叫ぶ私。その後、お互いの共通の、今年出産した友人宅へ。奇跡みたいな小さい赤ちゃんに、私は何度も何度も感動してしばらく赤ちゃんの前から離れられなかった。皆でケーキを食べ、沢山笑い、語った。その後彼女の旦那さんに駅まで送ってもらい、夜は、毎年年末に集まる学生時代の仲間に会う。毎年この日が来ると、1年が終わるのだという思いと共に、自分がどれだけ大きな愛情に包まれているかを肌で感じる。絶望していても、悲しみに心がふさいでいても、結局この日が来れば、いつも私は生まれ変わったのだった。25歳という節目の年。お肌の曲がり角、結婚・・?出産・・?という今まではどうみても自分にはちぐはぐに思えた言葉が、だんだん近寄ってくる年。けれど、私にとって、この年齢になった今日という日は、お肌の調子も、笑顔も、最高潮のような気がする。私にとって24歳は、重大な年だった。数年間、迷い、彷徨い、探しつづけた、何より欲しかった物。欲しくて欲しくてたまらなかったもの。結婚相手でも、お金でもない、揺ぎない”夢”。それを見つけた年だった。しかも、それを見つけたきっかけが、学校へ行く資金稼ぎのためにどうでもいい気持ちで始めた塾のアルバイトだったり、とにかく就職しよう!と半ばえいや!という気持ちで入社した今の会社だったりする。”適当な選択”は時として、人生にものすごい爆弾を与えることがあると気づいたのも24歳だった。「夢があるから大丈夫!」決り文句のように、ここかしこで目にする台詞。私にとっては、歯の浮くような台詞で、意味がよくわからなかった。その意味も、今ならわかる。夢を見つけてから、私は変わった。例えば、恋愛や友情などの人間関係。人の気持ちは変わり行くもの。そして自分の気持ちも変わり行くもの。この上なく素晴らしく、そしてこの上なくはかない。でも、夢は逃げない。私さえ思いつづけていれば、いつもそこにある。夢を持つようになってから、私の心の中には大きな太くて長い、幹が出来上がった。その幹を思うとき、私はいつもけやきを思い出す。それは小さい頃、家の近くの公園にあった、その頃の私が思い切り腕を伸ばして抱きついても抱きつききれないような、勇ましい大木だった。晴れた日は光を吸って、焼きたてのクッキーの匂いがした。幼い私にわかっていたのは、今日も明日もそのけやきが、そこにあるということだけだった。
December 29, 2004
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昼と夜はそれでも 交互にやってくる 目を覚まさぬよう つま先立ちで ***休日、昼頃に目が覚めて外がとても晴れていたりすると、たまらない焦燥感をおぼえる。それはもう、ここ数年、ずっとそうだ。そんなときは、たいがい家には誰もいなくて家族だけじゃない、なんだかこの世のあらゆるものに置いてけぼりにされた気分になって、うつぶせの寝ボケ顔のまま、布団にしがみついたまま、私は地団太を踏むのだ。この気持ちはなんだろう。雨の日だったら、このままずっと布団の中にいよう、と思ったりするのに。そんなふうにずっと思ってきた。そして、とある先日のよく晴れた昼下がり、もう数日もすれば飾りも外されただの大木になってしまうのだろう大きなツリーが西日に当たるのを目を細めて見つめながら、私はふと、思った。昼と夜は交互にやってくる。心臓が爆発するくらい嬉しかったあの日も、足元に水溜りができるくらい泣いたあの日も、暗闇とともにいったん幕を閉じ、朝日とともに更新される。そんな風にして、この地球が生まれたときから、この地球が生まれる前から、日々は繰り返されてきた。そんな繰り返しを、あと幾度私は迎えるのだろう?そして、その、自分でもわからないあと何千回かの繰り返しの中に、お日様が顔を出す日は、いくつあるだろう?きっと、心の奥底のどこかが、そういう日を数えている。無意識に。私の意識のそとで。私自身も、気づくことのないままに。そして、きっとまた明日、あさって、数日後には同じような晴れたまっさらの一日がくる。でも、こないかもしれない。もう何度もないかもしれない。そんなことは、誰にも分からない。そんな、どうしようもないような自分じゃ推し量れっこないような気持ちが、昼過ぎに目覚めた私を、焦らせるのだろう。**********まだ仕事も残っているし、なぜだかまだ年の瀬という気がしない。来年早々の引越しに向けて、家族が大掃除をするのに合わせて部屋の荷物をまとめながら。私が今年出会った出来事。私が今年出会った人たち。それらの全てに、もし生まれ変わったとしても、また出会いたい。そう心から思っていることに気づいた。今年が始まる頃は、就職活動の真っ最中だった。初めての就職。初めての就職が、私が今まで何よりも欲しかった、本当の夢を見つけるということを、叶えてくれた。ふいに泣けてきた日が何日もあったし、顔をくしゃくしゃにして笑った日も沢山あった。先日、デジタルカメラでとった写真を、一気に現像した。その中に、就職する前のものがあった。私は、彷徨った顔をしていた。それは、なんだか悲壮な感じさえする写真で、私は思わず、伏せてしまった。最近、よく言われる。「顔が変わったね」と。「幸せそう」と。今に近づくにつれて、写真の中の私はのびのび、堂々と笑うようになっているから不思議だ。************私の会社は、JRの駅からも地下鉄の駅からも近い。私は今、JRを使っているが、最初の数ヶ月は地下鉄を使っていた。この前、早めに仕事が終わり、用があって久々に地下鉄を使って帰る事になり、駅までの道を歩いた。思い出のスターバックスの前を通る。(過去の日記参照。)私はふいに、足をとめてしまった。そして、体がはちきれてしまうくらい、こう思った。このスターバックスが、いつまでもここにありますように。いくつ時代が過ぎても、なくなりませんように。ただただ、そう思った。北風のふきすさぶ真っ暗な中、遠くから街頭に照らされて不安げに輝くテラス席を見つめながら、私は祈った。***目をつむり、回想する。おととし、幼馴染とともに、生まれ故郷の埼玉県三郷市を訪れた時のこと。どらえもんに出てくる空き地みたいに、いつも遊んでいた公園があった。土管があって木登りできる大木があって、地面はただの土だった。私の背よりも高い草が生い茂り、みずみずしい露に濡れて、まったく様子を変えていたこと。それを見たときの、気持ち。大学を卒業してしばらくしてから、久々に大学へ向かう道を歩いた時のこと。その一本道には、いろいろな食べ物やさんやカフェがあって、そのそれぞれに、いろいろな思い出があふれている。何時間もコーヒー一杯でねばっていたこと。おなかがすいて思わず立ち寄ったこと。何時間も飽きずに語り合っていたこと。けれどそんな思い出もむなしく、それらのお店たちが消え、全く違うものが建っていたのを見たこと。まさかと思い駆け寄った一番の思い出だったカフェの前に、「立ち入り禁止 改装中」の看板が立てられていたのを見た事。それを見たときの、気持ち。すべては変わっていく。その事実に対する愕然とした寂しさとともに、私の心に確実に湧いていた、確信。やっぱり根っこは、変わらないのだ。公園は草にうもれて地面も見えないくらいだったけれど、確かにあの頃と変わらない、土の匂いがした。建物は変わってしまったけれど、やっぱりそこらじゅうに、一つ一つの思い出が鮮明に、空気の粒になって転がっていた。だから私はこれからも、いつまでも、街がいくつ形を変えようとも、すべてを思い出すことができる。このスターバックスのアイスコーヒーで緊張する胸を冷ましながら、日々指をおりながら通っていた今の会社。今では余裕で遅刻して通っていたりするけれど。きっとこれからも、溶け込みすぎて緊張感をなくすばかりなのだろうけれど。やっぱりここを通れば、あの隅っこの席に座る私が見える。いつでもそこにいるのだ。写真の中の私が変わっていくことも、寂しいことではない。私の核は、やはり私であるから。それは、やはりいくら形を変えようとも、決して変わらないものであるから。だから変わっていくということは、寂しいばかりではない。いいことでもあるのだ。きっと。永遠なのか 本当か 時の流れは 続くのかいつまでたっても変わらない そんなものあるだろうかみてきたものや きいたこと今まで覚えた全部でたらめだったらおもしろい そんな気持ちわかるでしょう答えはきっと奥の方 心のずっと奥のほう涙はそこからやってくる 心のずっと奥のほう The Blue Hearts「情熱の薔薇」より****たった今、年末に会うことになっている、仕事で札幌に住んでいる友人から電話がありました。彼女は今私のために、MDを編集してくれているとのこと。まさにスタジオ入り中とのことでノリノリでした(笑)。私も、そんな彼女のために、「思い出MD」を作ろうと思いました。彼女と電話で話をすると、必ず馬鹿なことで笑いすぎて涙が出ます。お互いに、げらげら笑ってばかりいます。お互い大学は別々でしたが卒業旅行として東北をめぐりました。その時も心から騒ぎました。ユースホステルで出会う数々の人たちを、ハッピーに?したと思います(笑)笑い上戸で騒ぐのが好きという性質も、やっぱり変わるものではないのですね (笑)
December 26, 2004
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今 この時 その まばたきした瞬間よ ******私が”幸せ”と感じる瞬間の一つに、”一人でカフェや街なかにいて、自分の好きな曲がちょうど流れてきたとき”というのがある。私は今、会社の午後休みをとって、派遣会社の健康診断を受けるため、病院の近くのカフェにいる。それにしても、すごくわかりやすい場所にあるこの病院までくるのに、一時間も迷ってしまった。看板を見つけたとき、思わず写メールを撮ってしまった。「ってか、それを撮影してるともちゃん想像すると笑える」友人からのブーイング。検診前の飲食を止められているので、ストレートティーを注文し、読書したり、会社にいる愛しの友人に携帯からメールを送ったりしていた。すると、ビートルズの”Hey Jude”が心地よく聴こえてきた。私が、彼らのあらゆる曲の中で一番好きな歌だ。ふと立ち寄ったお店で、大好きなブルーハーツがかかってきて、思わず嬉しくなった私は、その足でCDを買って帰ったことがある。ちょうどその曲の流れてきた瞬間に、その場所に居合わせたという偶然。「本当に、綺麗ですねぇ。影も曇りもない」私のレントゲン写真をみて、お医者さまは言った。レントゲンの結果だけ、その場で見て内診してくださる。自分で見ても、晴れ晴れするぐらいのきれいな写真。等間隔に堂々と並んだ、たくましい骨。数日後に送られてくる健康診断通知書で私は、少し減った体重に一喜。なぜかまた伸びた身長に一憂。何より心配していたその他の検査に全く異常がないことに、何より安心することになる。2年ぶりに受けた健康診断。その間、自分の体に自分で不安になることが幾度かあったのだ。血液検査を受けたとき、薄目を開けてふと見えた試験管。私は、自分の血液に自分で驚いた。ああ、こんなに赤かったのか、と。晴れ晴れしいレントゲン写真に、真っ赤な血。でも、ここにひとたび、うっすらと影が見えたら。何か濁ったものが混入したら。それらは私の体を舞い、めぐり、支障を来たすだろう。そしてそれらは、不意に、音もなくやってくる。生老病死に関しては全く受け身であるわたしたち。生まれてくるという事すら受け身なのだ。健康であるという偶然の中を、いつめぐり来るかわからない新たな偶然に翻弄されながら、今日も生きる。
December 1, 2004
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同じ空 同じ雲 風が運ぶ ひとたびの憧憬 かぎりないビート *** you are the dancing queenyoung and sweet only seventeendancing queenfeel the beat from the tambourine you can dance, you can jivehaving the time of your lifesee that girl, watch that seendig in the dancing queendig in the dancing queen近々、ミュージカル”マンマ・ミーア”を観に行く。一度とったチケットの日程で行けなくなり、再度取り直しても見に行きたいと思った。予習しようと思い、サウンドトラックを買った。ABBAの音楽はどれも素敵だが、やはり一番は You can dance。誰もが必ず聞いたことのある有名なこの曲は、”タンバリンの音からビートを感じる!あなたなら踊れる、ジャイブできる!”と、いつしか常に私の頭の中で流れるようになってしまった。つい最近では、仕事中、あまりにこの曲に取り付かれ、思わず口ずさんでしまった。誰かが気づいて振り向いたような、振り向かなかったような・・・。*****************先週末、大阪に行ってきた。人生初の大阪。とは言っても初日はUSJ、二日目に大阪のメインな場所を軽く回るという旅。大阪はやはり東京とは違う。空気も少し透明な気がするし、とびかう大阪弁はあたたかい。そしてどことなく、アジアの香りがするのはなぜだろう。東京よりも、空が低い感じがするのだ。同じ日本なのに、帰りの羽田に到着した瞬間、”帰ってきた”と感じるから不思議だ。まだ暗い朝4時頃家を出て、一瞬ドキッとする。「あれ?パスポートいるんだっけ?」なわけない。ハリウッドを再現し、まるで外国の町並みのようなUSJも、道頓堀などの人波も、すべてが素敵で、楽しく、心震える思いがした。私たちは、五感すべて、第六感まで駆使してしまいそうな勢いで、眼にうつるもの、食べるもの、すべてにきらきらと向かって行った。この旅行中、いつもなんだか耳がふさがれたような感じがしていた。そう、トンネルに入った瞬間のような。物音が、声が、1ミリくらい遅れて聞こえてくるような。夢の中にいたのだ、きっと。夜遅くまで遊び歩くことにも、語り明かす間に、夜から朝にかけてだんだんだんだん空がオレンジ色に染まっていくのを見ることにも。普段当たり前にしていることに、いちいち感動した。感動。やっぱり感動するって素晴らしい。*******************かつての生徒だった、高校生の後輩から、久々に電話をもらって相談を受けた。とても仲良くなりたい友達(同性)がいる。けれど、なんだか興味を持ってもらえない。なかなか仲良しになれない。なんとも思春期らしい悩みのような気がした。若くってつやつやした頬を赤らめて話しているのが、電話口から伝わってくるようだった。いつからだったろう。私が、人や物に執着しなくなったのは。それで私自身いろいろ考えた。結局、人と人が惹かれ合うのって、何だろう、って。恋愛と友情は、違うという気がする。惹かれ合う動機とか、理由が。で、自分に当てはめて考えてみた。私が惹かれる、仲良くなりたいな、って思う人は、どんな人か。精神的に、バランスのとれている人。思いやりのある人。いつも向上心持ってる人。世界に興味が向いてる人。でも、きっとそんなの私だけじゃなく、誰でも思うこと。それに、私が実際に仲良くしてもらってたり、強く惹かれる人が、全部これにあてはまるとは限らない。こんなふうにリストアップしたって、何か上っ面を掠っているだけで根源に迫っていないような気がする。ここ数日間、弟が帰ってきていない。というのも、バンドでドラムをやっていて音楽三昧だった弟は、最近サーフィンに目覚めたようで、Yahooオークションでスーツとボードを買って、毎週のように海に行ってる。帰ってこないのも、ずっと海にいるから。時々いない弟の部屋は、いつも潮のにおいがする。その弟が、前にぽつりと言っていた。ドラムをやってると、常にドラムを叩くハイテンポなリズムが頭の中にはあって、トイレに座ってても電車で座ってても、思わずひざをたたきそうになる(笑)生活のあらゆる出来事まで、アップビートで進んでいくような気持ちになる。でも、ひとたびそんな日常から離れて、今度はゆるやかなおおらかな波の世界。ほとんど区切りもないような、おだやかーなリズム。リズムという言葉が似合わないくらい。ドラムとサーフィンは、そんな意味で対極にあると。ただのそんな弟の言葉を、なぜかふと思い出した。そしてどこからともなく、ひらめいたような気がした。物事に対する、人に対する、生きることに対する、リズム、ビートのようなもの。多分それが調和するものに、惹かれるように人はできているんじゃないかって。私の周りの知り合い、友人、仲間。いろいろな人がいるけれど、私が好きだと思う人はみんな同じ温度のビートを持ってる。それは、単に物事に燃えているとか、夢を持っているとか、そういうことでもあり、人が通り過ぎてしまうようなものに愛を注げることでもあり、夕焼け空を眺めて涙を流せることでもあり、小さい子供と話すときに腰をかがめられることでもある。好きなのに冷たくしてしまうことでもあり、思わず嘘をついて微笑んでしまうことでもあり、はりきりすぎて玄関口でつまづいてしまうことでもある。心臓の鼓動のような温かみのあるビートのこともあれば、雨粒のような湿り気のあるビートのこともあり、忘れたころに二回目のビートが起こるくらいゆるやかなこともあるだろう。たとえその部分以外の全てが違っていようとも、一瞬、たった一瞬に同じビートを感じたら、惹かれる。そして、でもその一瞬の、なんと生まれ難いことよ。何かこれだ、この人だと思うときには、いつもそれらの持つビートに、誘われているのだという気がする。そして、もし本当にそうなのだとしたら、私は、ドラムのような激しいビートも波のような緩やかなビートも併せ持つ、どちらとも響き合えるようでありたい、と思うのだ。そんなさまに、理屈なくあこがれる。
November 17, 2004
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地球は回る 人の気持ちも くるくる回って いつかまた ここに ***秋のきらめきは、春のきらめきと違う。あらゆる物たちがぱっと花開くように光を放つのが春なら、少し下ななめから差す陽がもっとも似合うのが秋だろう。那須高原に行ってきた。「秋色の那須高原と回顧渓谷・秋の松茸味覚膳」という、旅行会社のバスツアー。週のなかびの水曜日に日帰りツアーとは、かなり強行。当日は7時に東京駅発、という4時起き必須の出発時間なので、前日の火曜日は、早く仕事を終えて帰るつもりだった。なのにそんな時に限って急な飲み会・・・・そして案の定、次の日、目が覚めると5時。5分で家を出た。走る、走る~。まだ暗い朝の道を。ちょうど来た電車に乗り遅れたら、間違いなく遅刻だった。朝から全身の血液が循環しまくって、代謝が良かった。大学からの友人との久々の旅だったので、前前からお菓子を買ったり、カメラのメモリーカードを買いに行ったりと、子供みたいにうきうきしていた。くもり模様の天気も、メインの紅葉(つり橋から眺める)の時に一番晴れ上がって、見事だった。ツアーのまず最初は、「3D水族館」。「どんな魚がいるんだろう」という私達の期待とは裏腹に、どうみても水族館とは思えない規模の建物。そう、魚なんか一匹もいない。魚が泳ぐ映像を、3Dめがねをかけて見物する、というもの。3Dだから、飛び出して見える、っていうわけ。ありえない~!と思いながらも、魚やカメの模型と写真をとったり、なぜだかかなり楽しんでいた。つり橋では、おじいさんおばあさんもすたすた元気に渡っていくのに、私はへっぴり腰で友人に手をとってもらいながら渡っていた。けれど陽のあたる山々が湖水にうつるさまは本当に美しくて感動した。その次は「ハニー牧場」。牛やロバのいるま緑の牧場で、ソフトクリームを食べるのをずっと想像していたが、3D水族館に行った時点で、なんとなく嫌な予感がよぎりはじめていた 笑。そして予感は的中した。そう、緑の草原はどこにもない。牛もいない。はちみつ製品がメインのお土産やサンだった。・・・。それでも、お昼の松茸料理は本当に美味しかったし、なんだかんだで沢山笑って沢山しゃべって沢山楽しんで、忘れられない旅になった。思えば彼女とも、大学に入学したあの日からずっと仲良くしてもらっていて、いろいろな場面で助けられてきた。この日記もいつも見てくれているという彼女に、この場で「本当にありがとう★」。そして「お誕生日おめでとう」。**************************昨日、今日と、母校での学園祭があった。昨日は、母と行ってきた。というのも、私がアルバイトしていたお弁当屋さんに母が挨拶をしたいというのと、私も母と一緒に母校近辺を歩きたいな~と思っていたというので、すぐに意気投合して一緒に行くことになったのだ。もう、ものすごい人だかりで、まっすぐ歩けないほど。まだまだ緑色の木々の下で、若いエネルギーのつぶがあちこちに飛び交う。ここにいると、誰もが若くて、誰もが輝いてる。「なんでもできる」そんな気持ちになるから不思議だ。そう、ここにくるといつも、無限の可能性を理屈なく信じられるような気がする。好きだなぁ、とものすごい愛校心も湧いてくる。母も、露店を出している学生と気軽にしゃべり始めたり、あちこちではしゃいだり踊ったりしている学生たちをみてケラケラ笑ったりと、楽しんでいるようだった。今日は、毎年一緒に行っている仲間と行った。今年も一緒に来れたことを、ただただシアワセに思う。何千人も、何万人もいる学生達の中で、運命的に出会ったのも、きっと何かの縁。「入学したときよりも、大学が好きだ。」そんなキャッチフレーズが描かれた看板があった。私の母校への愛は、卒業してからも日増しに高まる。それはきっと、ここへくるといつも私という人間の核を、きちんともとのところに戻せるからなのだという気がする。***************************一通の手紙が届いた。中学生の頃の友人からだった。彼女とは、高校も別だったので、一緒にいたのは中学時代の3年間。テニス部で、ペアを組んでいた。高校を出て就職し、結婚し、出産したときには、ミッフィーの絵のついた洋服を持ってお祝いに行ったっけ。でもそれ以降、どちらからともなく連絡はとだえていた。お互いに全く別の場所で、全く別の生活をしてきたこの数年間だった。彼女は両親がいなく、祖母に育てられた。弟の面倒も見ながら、複雑な家庭環境をものともしない明るさと強さを持っていて、私は彼女のことが大好きだった。結婚すると聞いたとき、旦那さんが羨ましくなってしまったくらい、彼女のことを尊敬してもいた。そんな彼女からの久々の手紙を、わくわくしながら開いた。折りたたまれた便箋と、一枚の写真が出てきた。そこには、私がお祝いに行ったときから随分大きくなってやんちゃになった子供と一緒に笑う彼女がいた。「あーー!おっきくなったなぁ。」私は思わず微笑みながら写真をしばし見つめ、手紙を開いた。**************「元気にしていますか?突然手紙書いてごめんね。この間、家で、中学時代の手紙を見つけて読み返していあら、ともちゃんからの手紙を読んだりしてるうちに、懐かしくなって手紙を書いています。当時の内容は、恋愛の事、部活のこと、でも一番恋愛の相談が多かったね。私は、気が変わるのが早くていろんな人に恋してたような(笑)部活のテニスも、意味のないだらだらした朝練とか、試合で負けてくやしい思いしたこととか。。。そういえばともちゃんとペア組んでて、最後の郡大会は、あと一歩で3位入賞が、ともちゃんのミスで、だめだったんだっけ・・・あのときは、最後まであきらめずボールを追えばよかったなって今でも後悔しています。なんだかくだらない話でごめんね。ともちゃんの最近は、どうですか?お仕事とか何をしているのかも知らなくてごめんなさい。私は今、毎日楽しく、いつもどおりの生活です。まだ子供も小さいし、昼のみのパートをしています。去年離婚しちゃって、ともちゃんには軽蔑されちゃうかな?!今は子供と二人暮しです。ともちゃんと最後に会ったのは、お祝いを持ってきてくれたときだったかな。あれから4年以上、会ってないんだね。今度会いたいね。今になって思うのは、大人になるとなかなか親友ってできないなっていうことです。中学時代に出会えた、ともちゃんのことを思い出せて今日は良い日だなぁ(にこにこマーク)なんて意味不明の手紙でごめんね。だけど、私の心の友でいてください。今はとても楽しい毎日なので、こちらに来ることがあったら、遊びにきてね。ではさようなら。」*********************思わず絶句してしまった。あんなに仲のよさそうな素敵な夫婦だったのに、離婚していたとは。どんな事情があったのか、全くこの手紙からはわからないけれど、私は途端に不安になった。このごろは、友人達が結婚していくおめでたいニュースのラッシュだったので、不意打ちをくらったような気分になった。そして、中学時代のいろいろな事が、走馬灯のように頭を駆け巡った。あの頃のことなんて、もういまや、普段思い出すことさえなくなっていた。私の通っていた中学校は、3つの小学校から集まった生徒で構成されていたが、私は自分の小学校からたった一人でテニス部に入った。それでも、彼女始めみんなが私をあたたかく迎えてくれたこと。めちゃめちゃ弱小なチームだったので朝練をしようと決めたのに、結局みんなで朝ご飯のおにぎりをテニスコートに座って食べながらおしゃべりしているだけだったこと。コートのとなりに広がるグランドで練習しているサッカー部に大好きな人がいて、わざとボールをとばしたりしていたこと。そしてたまにその彼がボールを投げ返してくれるととても嬉しかったこと。みんなで小麦色になろうと、太陽のさんさんと照る中、空を見上げて歩いていたこと・・・。部活に勉強に生徒会に恋愛に、どれもに本気で夢中でぶつかっていた。いたずらも本当に沢山した。チョークをクレヨンに変えたり、掃除をしないで逃げて、先生に自転車をとりあげられたり、バレンタインデーに、にんじんの入ったチョコを「ホース(馬)」と呼ばれていた先生の下駄箱に入れたり・・・ジャージにくるんで教室に持ち込んだ猫が「みゃおん」と鳴いたり・・・毎日が楽しくて、楽しくて仕方なかったような気がする。「心の友」という、手紙の中の言葉に目を留めた。気づかされたのだ。会っていなかった4年間、彼女の存在は確かに私の中にいつもあった。どうしているかな、元気かな、忙殺される毎日の中でもときおりそう思っていたこと、きっとそれが”心で想う”ということだったのだということ、彼女こそが私にとって「心の友」だったのだということに。早速会いに行くことにした。とにかく、なにはなくとも彼女に会いたい。結婚も出産もまだまだこれからの私には、彼女の気持ちを理解できるかわからない。でもただただ、今は、心で想うだけでなく、彼女の顔を見なければ安心することができないと思った。*******************あのころ、きっといろんなことが、今のまま変わらないと思っていた。好きになった人の事を、ずっと一生好きでいると思っていたし、楽しい日々は、永遠に続くと思っていた。そんな思いとは離れたところでいつも地球は回っていた。歩く道もとりまく環境も、自分自身の心の中さえめまぐるしく、でも静かに、形を変えていた。それでも多分、自分の心の、魂の、もっともっと奥にある核のようなものは、生まれたときから変わっていない。軸を変えずに、自転を続けている。自分自身が回転しながら、大きな円を描いてまわる地球のように。
November 7, 2004
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漂う 夜のまち 夜ってこんなに寒かったっけ 心は熱く あたたかい夜 *******昨日の夜、仕事後8時から、友人とのみに行く約束をしていた。けれど、オフィスの私の部署(7人)に新しい課長が加わる事になり、課長の机を運んでくるのに伴って席替えすることになった。とはいっても、私は一つ左に動いただけ。でもそれだけでも、かなり視界が変わる。入社して早5ヶ月、いろいろなことを感じ、考えて、ただただ夢中で突っ走ってきたこの席。短いこの間にも、本当に色々な事があったけれど、ただただ、楽しかったな、と思う。ここへ来てよかった、心からそう思う。最初の頃に比べたら本当に仕事にも慣れたと思うし・・・と感慨に浸りながら、先輩にミスを直してもらっているのでありました^^;******************結局待ち合わせは9時になってしまった。飲んでいるうちに、”とまっちゃおっか!”という話になり、早速Iモードでホテルを調べ始める友人。途中、お互いの共通の男友達を呼んで、熱く語ってもらったり、とても楽しくてそれはそれは熱いひと時だった。私は、母の携帯に、帰らなくてもいいかというメールを入れた。学生時代の初期まで、泊まる事に関しては厳しい家庭だった。女友達の家に泊まるというのに、男の人と泊まるのではと思われていたりしたのかもしれない。でも今では、メール一つで、許されてしまう。24歳にもなれば当たり前のことなのかもしれないが、今までを振り返って、思う。私の親は私の親なりに、私の成長に応じて、いいこととだめな事、を考え、私に制限を与えていたのだということ。うるさいなぁ、と感じることも多々あったけれど、道を踏み外さずにこれたのも、こういう些細な親のしつけによるものかもしれない。お陰で上手な嘘やワル知恵も身についた気がするけれど^^;***************友人と二人、上野のまちを徘徊。夜の上野は、どことなく、ソウルの街に似ている。かなり飲んでいたからかもしれないけれど、街は、昼間と夜とでは表情が全く違うものだなと思う。ホテルにチェックインしてからコンビニへ行き、部屋に戻って話をしたりテレビをみたりするうちにどちらからともなく眠りについた。友人によれば、テレビを見ていてふとこちらを見たらすでに私は眼を閉じていたという。*********************思えば、深夜の街を出歩いたのはとても久しぶりだった。とても楽しく、嬉しく、血の騒ぐような、金曜の夜だった。高速道路を走る車のライトはダイヤモンドに見えてしまう。大げさだけど、そのくらい楽しかった。********************私の母校には、留学生が授業を受けるためのビルがある。そこにはもちろん、大勢の留学生が常にひしめきあっていて、私はそれをいつもうっとり眺めながら通り過ぎていた。おおぜいいるのに、なかなか仲良くなれずにいた。そのビルの3階には、大きな掲示板がある。授業の時間変更だとか、アパートの物件情報だとか、学校側と生徒、そして生徒同士の情報交換の場として、いつでも沢山のちらしやポスターが貼られている。重なり合って、何重にもなっていたりする。卒業式を間近に控えた頃、なんとなくこの大学生活に、何かを遣り残したようなもやもやした気持ちを抱えていた私は、「友達になりましょう」というポスターを作り、ここに貼った。文房具屋に走って買った、ショッキングピンクの画用紙の匂いを、今も忘れない。このポスターをきっかけに、よく日記に登場するソウルの慶にも出会った。トルコのトゥルハンにも出会った。出会いなんてどこに転がっているかわからないものだなと思う。***********************こないだ久々に訪れたとき、私はまたここにポスターを貼った。「日本語教えます」のポスター。今度は、優しいクリーム色の、主張のないポスターだ。常々、思ってきたことがある。外国に留学をしたり、外国語を学びたいなと思ったりすると、そこには必ず、多額のお金がかかる。バイト代に見合った英会話スクールを探したりした経験がある。でも、外国に住む人が、自分の国の言語を学びたい!と思ってくれるということは、実は本当に誇りな事だと思う。私達が、映画やタレント、文化や政治をきっかけに他国に興味を持つのと同じように、日本の何かに惹かれて、日本語を学びたい、読めるように話せるようになりたい、と思う人々の存在。純粋に、そういう人たちと直接、話がしてみたい、仲良くなってみたいと思った。だから、教えるのはもちろん無料。近所のカフェや、年明けに引っ越すつもりの私のアパートでやる。私が教えることに関してはど素人だということも、もちろん書いた。それでも、日本人である、というだけで、何かを伝えることはできると思うし、やっぱり行動しないことには何も始まらない。ピンクのポスターを貼ったときよりも、なんとなく自分の方向性のようなものがはっきりしてきたことが、嬉しかった。**********************早速、ベルギーの女の子からメールをもらった。これからどんな出会いが待っているのか、そして私の興味が果てしなく広がっていくことも、とても楽しみだ。早く早く、一日も早く海外に出たい。***********************一枚の紙から始まることは、とても多い。私の好きな読書も、そうだと思う。紙に書かれたことばや文章が、私の価値観を揺らし、人生を変え、心を震わせる。もっともっと、一枚の紙から行動を起こし、もっともっと、一枚の紙から色々なことを知りたい。 「アドベンチャー・ライフ」(日記:アドベンチャー・ライフ参照)に続き、高橋歩の著書を読んだ。数々の写真とWordsがとてもマッチした素敵な本だ。破天荒でロマンある彼の著書は、どれもいつも本棚に置いておきたい。この本の中から、特に心に残った言葉をいくつか。誰でもいい。なんでもいい。まずは、憧れることだ、」自分の人生を描いていく上で、「この人みたいに・・」というサンプルを持つことは、とても有意義だ。全てのオリジナルは、まねすることから始まるんだから。人生は有限であるということ。人生の残り時間は限られているということ。遅かれ早かれ、自分も死に、大切な人も亡くなるということ。それは、誰もが受け入れなければならないリアル。死を身近に感じることで、生への緊張感が生まれる。**********************美容室を3ヶ月ぶりに訪れた。私の大好きな、いつも担当してもらっているお姉さん。その手さばき。腰につけたバッグからはみ出す銀色のはさみ達。「七五三のセットで、今はてんてこまいなんですよ!」といいながら、笑顔で私の髪を切っていく。彼女の手さばきを見ると、血が騒ぐ。ああ、職人の手っていいなぁ、理屈なくそう思う。私もいつかあんな手を持ちたい。そのためには、もっともっと沢山の経験を積まなければ。
October 31, 2004
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それも これも 一瞬の出来事 まばたきするよりはやい ***会社のある駅を降りると、日付を示す看板が必ず目に入る。無機質な青っぽいその看板は、最近では秋の光のせいで濁ったような茶色に見える。10月はあっというまに過ぎ去っていく。土曜日、幼馴染と会い、久しぶりにコートを衝動買いした。そしてその帰り道、ついに買った。旅行のギフト券。就職活動をしているときから、初任給がでたら、両親にこれを贈ると決めていた。大学に通わせてもらい、その後も就職せず勉強することを許してもらい、こうして今就職した。両親の力なしには、絶対にできなかったこと。そして多分これからも、私の破天荒な発言は、両親を不安にしつづけていくだろう。何にしようか、本当に迷ってきたけれど、毎週出かける二人に、やっぱりこれだ、と思った。初めての就職では何かと物いりで、今になってしまったけれど。旅行代理店では、素敵な袋に入れてくれたのだけど、このままだと一発で「ギフト券だ」と分かってしまうので、私は帰り道の100円ショップでめちゃめちゃ太くて派手なリボンを買い、結んだ。 夕飯のあと、くつろいだ雰囲気のリビングルーム。私ははやる気持ちを押さえて、一瞬部屋に戻り、券を後ろ手に隠し、リビングに現れた。「どうしたの?なんかたくらんでるみたいだけど 笑」母が言う。焼きそばを沢山焼いて食べ尽くした後の鉄板から、しゅわしゅわと白い煙が天井に向かっている。「じゃーーーん!」私は勢いよく、後ろに隠していた券を差し出した。すると、なんということ!結んでおいたリボンが、するりと抜けて父の方に勢いよく飛んだのです!「おおおっ!」さけぶ父(笑)裸になったギフト券の包み。あーあ。意味ないじゃん。でも、両親はとても喜んでくれた。なんとなく照れた気持ちになった私は二階の部屋にあがった。でも、下のリビングでの、両親の会話が聞こえてくる。母:「お父さん、うれしい?」父:「うん。それにしても、リボンが吹っ飛ぶとは、ともみ らしいな。」母:「ぷぷぷ。」・・・・。でも、なんだか胸がじーんとした。******************************************この前お弁当屋さんのおじさんおばさんに会いに、久々に大学のある街を訪れたとき、大学に向かう道の途中の古本屋さんに入った。この辺りは古本屋さんが多いのだけれど、学生時代は専ら、授業で買わされる高い教科書が安く売ってないか、という目的で入るだけだった。私達はのんびり本屋に入り、私は何冊かの本を買った。その中に、心震わす本があった。今日読み終えたのだが、宮本輝の「春の夢」。 彼の本は世界を舞台にしていたり人間に対する描写にとても共感できるところがあり、もともと好きだったのだけれど、私はこれを電車の中で読んでいて、何度も涙ぐんだ。140円で売られていた古本。でも、この本は、「今」の私のために、こうして私のところにやってきたとしか思えないような本だった。本書『春の夢』の主人公、哲之の現在の境遇は、客観的に見てもそうとうに不幸だ。死んだ父が唯一彼らに残していった、多額の借金――その借金の返済を迫る、執拗で暴力的な取り立て屋から逃れるため、母と別々に暮らさなければならなくなった哲之は、都心から遠く離れた町のボロアパートで一人暮しを始めることになるのだが、大家の手違いで電気がつかないその部屋での最初の夜、柱に釘を打ちつけようとして、誤ってそこにいた蜥蜴まで釘づけにしてしまったことに気づく。しかも、その蜥蜴は体を貫かれた状態にあって、なお生きつづけていた。爬虫類の苦手な哲之は、最初はなんとかして殺してしまおうと考えていたのだが、次第に愛着に似たようなものを感じるようになり、釘を抜くに抜けなくなってしまったその蜥蜴の世話をするようになるのだが……。 それから一年の間に、哲之の身のまわりではさまざまなことが起こることになる。恋人だった大杉陽子とはじめて肉体関係を持ち、いつかは結婚しようと決意したり、そんな陽子が別の男と付き合いはじめたことを知って苦悩したり、アルバイト先のホテル内での派閥抗争に巻き込まれたり、ドイツから来た老夫婦に京都案内を頼まれたり、そんなアルバイト先で客から多くのチップをもらって喜んだり、取り立て屋に見つかって大怪我させられたり……。それらの出来事は、あくまで哲之の個人的範疇に収まってしまうような、ごくごくささやかな出来事でしかない。だが、そんな小さな出来事のなかで、登場人物達はなんとリアルに描かれていることだろう。ちょっとしたことに悩んだり苦しんだり、逆に嬉しくなったり――そんな彼らの姿は、人よりいい目にあいたいとか、人を支配してやりたいとか、幸せになりたいとかいった、人間であるがゆえに抱える種々雑多な欲望に縛られて生きていかざるを得ない私たちの現実の姿を、ありのままに映し出しているのだ。そして、そんな出来事のなかで、哲之の心はしばしば、釘づけにされてしまった蜥蜴へと飛ぶ。 なぜ人は生きようとするのだろう。なぜ人は生きなくてはならないのだろう。また、人はなぜ死ぬのだろう。父の借金を背負い、先がまったく見えてこない不安にうんざりし、生きるのに疲れてしまったとき、哲之は、釘づけにされてなお生きつづけている蜥蜴の姿に、そして彼が見た、自分が蜥蜴となって何百回と生まれ変わりつづける夢のなかに、「ある深遠な世界の淵に立って、不思議な何物かを覗き込んだよう」な感じを受ける。 (本文より)哲之はふと、死が確実に行手に待ちかまえているからこと、人間は、何がいったい幸福であるのかを知るのではないだろうかと考えた。死があるからこそ、人間は生きることができるような気がしてきたのだった。彼は母の匂いを思い出した。生前の、父にまつわる楽しい思い出が、波のように、心の淵に押し寄せてきた。陽子のふくよかな微笑と清潔な体が哲之を包んでいた――(中略)――それらはみな、いまの哲之にとっては幸福と呼べるものであった。********************************とある友人のつてで、大学のある街に安く住むことができるというお話をもらい、早速そのアパートを見に行ってきた。この辺りに住むことは、私の夢でもあったし、貯金をしながら一人暮らしをする目処もたってきたので、今後前向きに考えていくつもりだ。そこには、今のところ、私の友人と、韓国の女の子が一人、住んでいる。何かと韓国に縁があるようだ。その子ともたちまち打ち解け、「私が住んだら、晩酌しようね」という約束までしてしまった。*****************************************今朝、再び、会社に向かう電車の中で、目の前が暗くなった。電車を下りて、ラッシュ真っ盛りの人並みにつられてホームの階段を上ろうとしても、視界が暗いので、千鳥足になってしまう。よたよたとしていると、「大丈夫ですか?」斜め後ろから、がっちりと腕をつかまれた。若いおじさん(おにいさん?)だった。階段をのぼり、駅長室の前まで一緒に来てくれた。朝の忙しいときなのに・・・。お礼を言って、しばらくカフェで休んで会社に向かった。ひとの優しさが、とても胸に染みた。毎日電車で通勤していると、自分の周りにいる人たちは全て通勤の風景となっていて、あまり印象をなさない。足を踏まれただの、にらんだだの、些細な事での口論やとっくみあいの喧嘩も、よく目にする。なんだかせせこましい、とても悲しい世の中だな、でも日々こんな満員電車に揺られていたらいらいらもするんだろうな、そんな事をうつむいたまま思っていたけれど。でも、足元がふらついている人に言葉をかけてくれる優しさを持つ人が、この果てしない人波の中にもいる。それにしても、しばらく健康診断さえ受けていないこの私の身体。近々、検査を受けてこようと思う。自分の身体のことは、自分が一番よくわかるというけれど、私はなんとなく、何かがこの身体にはあるような気がする。**********************************************その幼馴染には、知的障害者の兄がいる。両親は、その兄に辛くあたるところがあったし、彼女自身も、障害のある兄のことで、いじめられたりしていた事があったという。もちろん、小さい小さい頃に。だから、知らず知らずのうちに、兄を嫌うようになってしまい、そしてそのまま、今に至る。彼女は長く勤めた会社を辞め、ヘルパーの学校に通っている。「また学生に戻れるとは思わなかった」と嬉々として語る彼女は本当に生き生きしていた。「学校に行き始めて、障害のことも勉強するようになって、 兄に対する見方も変わった。それだけでも、学校にいった 意味があった。」今では、彼女から兄への態度について両親と話し合いを持ち、いい方向に向かっているようだ。涙を流しながら話す彼女に、彼女が会社をやめて偶然この学校に入ることになった事は運命だったのだと強く感じた。福祉に関心を持つということは、簡単なようで難しい。私自身、祖母がいなければ、通り過ぎていたかもしれない。福祉大国家スゥエーデンをこの目で見てみたいし、あらゆる場面で頭の片隅で考えるようになる。会社でも医療を取り扱っているので、医療の内容の雑誌が回覧でまわってきたりするのだが、人間の生死病死には、理論理屈で片付けられないことが沢山ある。******************************************
October 25, 2004
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限界って何のことなのか きっと私がしたことといったら ほんの少し もっともっと 果てまで行きたい そして決してぼろぼろにならず 強く笑って かえってきたい *** 仕事でミスをしてしまい、帰り道、駅まで歩きながら泣けてきた。仕事のことで、こんなにも思いつめたのははじめてだ。どんなに大変でも、大変でも、会社から一歩出れば全く仕事の事は忘れる私だった。電車に乗る前に、駅のコンビニでミネラルウオーターを買い、一気に飲み干して、気合いを入れて帰った。家に帰りお風呂に入ろうとすると、バスマットがなかった。連日の雨で、母が奥の部屋に干していたのだ。奥の部屋に行き、えいよっとバスマットを抱えて出ようとすると、なぜかふと、片隅のぬいぐるみと目があった。パンダのぬいぐるみ。私がまだまだ幼くやっと歩き出した頃。家族で写真館へ出かけ、写真撮影をした。子供によくあるように、小さな私はカメラを怖がり、泣き止もうとしなかった。写真機を怖がる子供のために写真館では、いろいろなぬいぐるみを用意してくれている。私はその中の大きなパンダが気に入ったらしく、つかんで離さなかった。だから、写真にもパンダが一緒に写っている。困ったことに、写真撮影が終わったあとも、私はこのパンダが気に入ってしまい、離そうとしない。私の手は、パンダを握ってクリームパンみたいなグーの形になっていたという。それでもなんとか写真館にパンダを置いて帰った。しばらくして、パンダがうちにやってきた。祖母が、そっくりなのを買ってきてくれたのだ。*****************パンダといえば、白と黒、だよねぇ?いまやこのパンダのぬいぐるみは、灰色と黒、です。所々やぶけて、縫い直したあともあるし、鼻もちょっぴり、曲がっている。私のあとに生まれた二人の弟も、小さい頃このパンダで遊び、私達は「ぱんちゃん、ぱんちゃん」と呼んでいた。なのでなぜか、いい男前になった二人の弟も、なぜかこのぬいぐるみのことだけは、「ぱんちゃん」と呼んでしまう。(そのぱんちゃん邪魔だからどかして。みたいに。)********************これをくれた祖母はもうとっくにいないし、パンダが欲しくて泣いていた私も、もういない。記憶ももちろんない。4けれど、そんなシアワセな過去のひと時があったという事を、写真とこのパンダが、いつも思い出させてくれる。似たパンダを探して歩く祖母を思い浮かべると、大人になった今も、私は胸がじんとする。私は、もう私自身さえ忘れてしまったところで、こんなにも愛されていたのだ。自分の見えないところで、人が自分に対し愛を注いでくれているというのは、なんてあり難い事だろう。手紙や電話やメールをもらうこともそうだと思う。離れている場所でも、自分を思い出してくれているという奇跡。そんな心は勇気になるし、私自身も、いつも周りの人たちを心の中で思い出し、”シアワセだといいなぁ”と願えるようなゆとりを持ちたい。自分がどんなにゆとりのない状態にあっても。********************そしてなぜかパンダと目が合ったら、またボロボロと涙があふれてきた。色々なことに対して、心が張り詰めていたのかもしれない。友人がくれたアロマを部屋にたいて、心が落ちつたら、眠ろう。********************弟がサーフィンを始めた。バンドに海に、興味のおもむくままに熱中する弟。私もバンドを組んでいたことがあったり、今はジャズピアノに夢中だったりと、音楽が大好きなので、弟とはよく、音楽の話をする。弟は、オークションで落札したボードとウエアを持って、毎週毎週、出かけていく。だから弟の部屋は、いつも潮のにおいがする。そんな様子を見ていたら、私も海を見たくなった。*******************「こんなんでへこたれてるようじゃ、海外で生活するなんて 無理だな。」会社の同僚に、こういわれたことがある。確か私が上司に怒られた時だ。アメリカ生活の長い人なので、言葉に重みがある。今でも私を支えている言葉である。私はもっと強くなりたい。人に手をさしのべて生きていきたいなら、その本人が強くりりしくなくてどうする。私は私の果てまで行きたい。孤独とか自由とか悲しみとか、その先にあるものを見てみたい。そして、いつかさまようことなく、強く笑って帰ってきたい。
October 13, 2004
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はじめてかもしれない、というほどに大泣きした。理由は、ない。やなことがあったわけでも、悩んでるわけでも、ない。なぜか帰りの電車の中で、涙が止まらなくなった。「うわあああああぁああああああああぁぁぁぁっ!」ベッドにうつぶせに身を投げて、火のついたように、泣いた。「♪せ~かい~にひ~とつだ~け~のは~な~♪」こんな時に限って、電話がくるものだ。(私は、最近携帯を変えたのだが、最初に入っていたのがこの曲だったので、そのままにしてある。)電話が鳴る音が小さく響くのと共に、一瞬大人しくなった私は、そのまま留守番電話に切り替わるのを待ち、メッセージを聞いた。「とも~~~~~~!!あんた、やる気あんの? 今日中に電話してこなかったら、もう知らないよっ!」仕事で札幌に住んでいる友人だった。電話をするという約束をしていたことをすっかり忘れていた。急いで電話をかけたものの、彼女が出ても声が、出ない。出ない、出ない、出ない。**************************「みんな、そうなんだよねぇ」彼女のその一言が、なんだかとても胸に染みた。葛藤しながら、シアワセであっても、恵まれていても、時にこうして憂鬱になったりするのは私だけじゃないんだ。その友人が、自殺した友達の話をしてくれた。何も言わずに死んでしまって、とてもショックだったと話してくれた。自分には何もできなかったのだろうか、そんな自責の念ばかりが頭をもたげたという。******************なぜ泣くのか、その理由もはっきりわからないまま、泣くということが、もしかしたらあまり良い事ではないのではないだろうか、私の中に何か異変が起きているのだろうか、そんなことをよく考えた。でも彼女の話を聞いていたら、ひとりでつらい想いをしている人はたくさんいるのだということも知り、自分がそういう他人のSOSに気づいたり、話を聞いたり、癒せるくらいの繊細さを身に付けている人でありたい、と強く感じた。その後はいつもどおり、人には決して通じないような馬鹿な話題で沢山笑った。本当に私達は、いったん話を始めると、必ず笑いすぎて涙を流す。こんなに笑うことなんてある?というくらいに。不思議だ。でも幸せだ。さあ、眠って、明日も元気に過ごそう。
October 12, 2004
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出会い そのすべて ***今仕事では、医療機器の修理品の輸出入という、とても複雑な事を教わっている。これが終われば、私は自分だけで仕事を進めていくことになるのだが、とても厄介な仕事なので、残業がさらに増えた。先月の明細を見てみると、残業時間が60時間近い。夜帰っても、読書したりネットサーフィンしたり、ぼおっとしたり電話したりという自分の時間はどうしても欲しいので、1時位まで起きているし、朝はラッシュを避けるために、5時半に起きている。それでも行きも帰りも片道1時間半、電車では全く座れない。今までの自分の生活の大半を見て考えたら、体力のもつ睡眠時間では到底ない。けれど私は、とても元気だ。自分が意外とタフだったと思い知ると共に、私を支えているのは他の何でもない、夢なのだと確信する。働く理由、お金を稼ぐ目的がある。今まで本当に長い時間をかけて悩みぶつかり迷って挫折して、やっと確信した、自分の夢、目的。だから、もう迷うこともないし、焦ることもない。目的は、一度決まってしまえば、あとはそれに向かうだけだ。色々な国のこと、世界のこと。本やインターネット、人から耳にする話などで色々なことを知るたびに、私の胸は高鳴り、どきどきする。早く大きな行動を起こしたい。だから今、目の前にあることをしっかりこなしていかなければ。どんな些細なことであれ、目標を持つということが、どれだけ自分を前向きにするか、タフにするか。その力には、私自身、とても驚いている。頭痛持ちだし、低血圧だし、どちらかというと疲れや気候の変化に敏感なはずだった自分には、まだこんなにも生命力が隠されているよ、というのは大きな発見だった。休日もフル回転、一日寝ていたら気分が鬱々してきてしまう。そんな自分は、根っからの行動体質なのだと、社会人になっての発見だった。自分の身体を大事に管理しながら、いつも体調と相談しながら、食べ物や水、睡眠というアイテムを所々で補いながら、何かに向かって歩む日々は、何しろ生きてる感じがする。**************今日は、高校時代からの友人が、就職祝いをしてくれた。(いつまで祝っているんだろう・・・・笑)台風が過ぎて、行楽日和になるというから、臨海公園からお台場まで水上バスに乗って、夜はうんと高いビルの屋上のバーで飲もう、という計画だったのに、どんよりとした空に、ぽつぽつ雨まで降ってきた。コース変更。イクスピアリで「雨ふれっ!もっとふれっっ!!」と意地悪になりながら食事したり、映画を見たりした。ホテルの屋上のバーは結婚式の二次会で貸しきりになっていた。この友人は、「バーゲン友達」だった。学生時代、デパートなどのバーゲンの時期になると、不意にどちらかともなくむずむずしてきて声を掛け合う(笑)。そして、バーゲンに出かけるのを理由によく会っていた。決して頻繁に会うような友人ではなかった。でも今でもなかなかなぞの解けない、不思議な事がある。それは、彼女が私に声をかけてくれるのは、いつでも私がターニングポイントにいるときだということだ。それはまったくの偶然で。就職活動でとても辛かったとき、なんでもない涼しい顔でジムに誘い出してくれたのも彼女だった。私に何かを聞くでもなく、別れ際にはあっさりと「次は就職決まったときにね。」と言い残して去った彼女。*****************人との出会いを不思議に思う。たとえば、5年前の自分と今の自分、周りの人間関係は激変している。変わらずそばにいる人もいれば、あとかたもなく消え去った人、いなかったのにまた一緒にいるようになった人や、突然現れ突然消えていく人・・・・さまざまだ。でも、どの出会いをとってみても、私の日々に、人生に、彩りを与えてくれていて、どれもが鮮明で、とても愛しい。どれもが私にとって必然だったように思うし、これからも、温かい人たちとの出会いを大切にしていきたい。******************高校時代、すごく好きな人がいた。好きで好きで好きで、成績の良くなかった私は、優秀だった彼とどうしても一緒に大学生になりたくて、その気持ちだけで頑張れたようなものだった。彼とは、部活が一緒だったことで知り合った。遠くから見ているだけだったけど、彼は時々、練習に遅れてきた。その後、同じクラスになってからも、たまに遅刻してきた。彼には、障害児の弟がいた。弟をお風呂に入れたり、散歩に連れ出したりと面倒を見るから、遅れたり、遅刻したりしていたのだ。今でも覚えている。彼の弟が亡くなった日は、私の祖父が亡くなった日だった。おなじ日に、忌引きをして休んだ。彼は、弟のような障害児のための設備を整えたいと、そういう職業につきたいと思っていた。大好きな人だったし、純粋に「今どうしてるんだろう」という知りたい気持ちはずっとあった。そして今日、人づてにきいた話では、彼はその頃の夢を叶え、省庁で色々な企画を考え、頑張っているらしい。なんだかとても嬉しかった。*************************彼の話をきいて、よりいっそう、頑張る勇気がわいてきた。もう会うこともないだろうけれど、今も高校生のあの頃のように彼に励まされているという気がする。とても好きで、でも決して実ることのなかった、青春時代のひとつの片想いだったけれど、そんな過去のものでしかない一つの出会いが、こうして大人になっても私の心を励ましている。私は、私にできることを。そして私にしかできないことを。すさまじいスピードで、焦らず、諦めず、貫いていこうと思う。「自分は弱い性格だ」と言いながら、それで平然としていられるのって、わたしにはとても考えられません。それがわかっているんなら、なぜそれと闘おうとしないんでしょう?なぜその性格を鍛えなおそうとしないんでしょう?答えはこうです。「このままでいるほうがずっと楽だから!」この答えには、少々失望せざるをえません。楽だから?ということは、怠惰な、虚偽に満ちた生涯のほうが、楽な生きかただとでもいうんでしょうか。「アンネの日記」より最近共感した言葉です。私ももっと自分を鍛えていきたい。
October 10, 2004
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夢をみよう 大きくみよう 夢見るという自由 *** 体調を崩しがちだったこのごろ。やっと元気になってきた。 私は生まれてから一度も、大阪に行った事がない。広島の原爆ドームや、瀬戸大橋、京都や奈良には行った事があるが、大阪には一度もない。 けれど、ソウルに滞在した時に出会った後輩が大阪出身だったり、その後も多くの関西人に出会ったりする中で、”近くて遠い”ような気のする大阪に行きたい気持ちが募る。会社の友人には、「大阪にいったことがないなんて、人生を半分損してるようなもんや」とまで言われた。 そして来月、ついに大阪旅行をすることになった。昨日、どしゃぶりの中友人と急に思いついた。 同じ国の中の違う街にすぎないのに、時として外国より遠く感じることがある。沖縄や北海道に行くよりも、アジアへ行ったほうが早くつく、そんな現在では、実際の距離と心の中で感じる距離には、大きな違いがあるのだなぁと思う。 ****************** 昨日、その友人とひとしきりしゃべっている中で、「どんな結婚式をあげたいか」という話になった。 というのも、私達のいたカフェが、急に暗くなり、”停電?”と焦るのもつかの間、ウエディングドレスを着たお嫁さんとすらりと背の高い男性が、現れたのだ。 何の予告もなかった。私が手を伸ばせばすぐ届くところに二人はいた。 偶然その場に居合わせた人たちが注目し、気づけば私達の周りには、二人の知り合いらしき人たちが輪をつくり、大きな拍手が起きていた。二人の知り合いらしき大勢の人たちも、普段着。 なんだかその場は、今まで感じたこともないような温かく甘い雰囲気が漂い、私はうっとりした。なんだか花嫁さんにシアワセをわけてもらったような気持ちになった。 なんでもないカフェで、みずしらずの人たちが、運命的にそこにいた人たちが祝う結婚式。 私が前前から思い描いているのは、インターナショナルな結婚式をあげることだ。 そう、その頃には、きっと、世界中で出会うはずの私の各国の教え子や、友人も集まって、きた人たちどうしまで仲良くなれる、楽しいと思って帰れるような、素敵な式・・・。 ドレスや花嫁グッズは、皆親や人から譲り受けるのが幸福の証、という国の話を聞いて、なんて素敵なんだろうと思ったことがある。新しいものよりも、自分より前に幸せになっていった人たちの持ち物を引きつぐなんて、なんてロマンチックなんだろう。 色んな国の大事な人たちを集めて、食べたり踊ったりしたい。 そして2次会は。素敵なレストラン?いいえ。 学生時代にアルバイトしていた、お弁当屋さんにある、小さなたたみの宴会場。 そこで、大好きなおじさんおばさんのからあげや、鮭や、サラダを食べながら、飾り気ない会をしたい。もちろん、普段着で。 そう、いくらでも可能だ。夢見るだけならば。 しかも、旦那さんになる人の意向など全く入りようもない、あまりに自分勝手で気ままな夢である(完) PS前回の日記には、掲示板にも私書箱にも、本当に多くの感想をいただきました。とても驚いています。「いきよう」と思った瞬間についての色々なお話しをうかがう中で、人間が極限にたたされてはじめてわかることというのがあるのだ、ということをひしひしと感じています。遅ればせながら、掲示板にもお返事かかせていただきました。
October 7, 2004
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まだ、死ねない。 私でもなく 身体でもなく でも たしかに どこからか 聞こえた声 ***今朝会社に来る時、柏から松戸に出発して少したったところで、急に目の前が暗くなった。なんとなく気分が悪いような前兆があったのだが、気のせいだろうと思って外を眺めていた。だんだん息苦しくなり、冷や汗がでてきた。ラッシュの中、座り込むこともできないし、柏⇔松戸間というのは、ものすごく距離が長い。早く電車、とまれ~!と思いながら、息苦しさに耐えていた。私は思春期のころ、偏頭痛に悩まされていた。医者には、体が変化する時期特有のもので、心配ないと言われていた。でも今でも、極度に疲れたり緊張したりするとなることがあり、半年から一年に一度の頻度で起こる。私は、心の痛みには強いほうだと思うが、体の痛みにはめっぽう弱い。針を刺す痛みが怖くてピアスホールをあけたいのにあける勇気が出ないほどだ。やっとついた松戸駅で降り、壁を伝ってホームの階段を上り(はたらからみたらかなり怪しかっただろうと思う。忍者ハットリくんじゃあるまいし。)視界も気分も回復してきたので電車に乗った。大げさかもしれないが、ものすごく息苦しくなったり、絶えがたい痛みに襲われるとき、もしかしたら自分は死ぬんじゃないかと思ったりする。今朝もそうだった。急に目の前が暗くなり始めるなんて、私は大丈夫なのか?このまま完全に真っ暗になったらどう電車を降りる?電車の中の空気だけじゃたりないよ、ともがくように思う。そしてなぜか、必ず一瞬のうちに、自分にとって大切な人たちの顔が思い浮かぶ。そして、「まだ、死ねない」とはっきりと、本当にはっきりとそう思うのだ。「まだ、死ねない」という気持ちは、いったいどこからわいてくるのだろう。普通に日々を生きていれば、些細なトラブルや悩みでも、「消えてしまいたい」「自分がいなければ、こんな悩みも発生しないのに」とさえ、思うことはある。それでも自分が具合が悪いとか、そういう極度の状態にたたされたとき、「まだ死ねない」と思うことは、理屈でなくからだの奥底から沸いてくる本物の気持ちだ。そして結局それが、私を日々、生かしているのだと思う。
September 27, 2004
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髪が伸びて 秋が来た ***六本木ヒルズを歩いていたらオシャレなおばあちゃんに会った。本人としては、スーパーに行く時の何気ない格好だったのかもしれないけど、かわいかった。ショートボブの白髪は前髪をピンで押さえ、緑色のポロシャツに黒とベージュと白のストライプのスカートに茶色のサンダル。買い物袋を片手に、少し曲がった腰で歩いていた。私はしばらく彼女を見つめていた。そしたら、おばあちゃんはふいにアルマーニジーンズの前で立ち止まった。そして鮮やかな今年風のオレンジ色のコートを着たショーウィンドーのマネキンをしばらく見つめた。こういう瞬間がとても好き。おばあちゃんとマネキンのアルマーニジーンズの服はあまり接点がないように思う。その服をおばあちゃんが着るか、というとそれは現実味がない。でもなぜか立ち止まって見上げた。きっと何かしらその服に惹かれるところがあったのかもしれない。「ステキ」と思ったのかもしれない。私は、歳をとってもそういう感性をもっていることがステキだと思った。 *****ということで、六本木ヒルズに出かけてきた。最近はまた仕事が増え、残業続きに加え、前回の日記でも意地をはったように、日本語教員の試験(3日だと思っていたが17日だった。働き出したらここまで日程に疎くなるものか。)に向けて一日2冊のテキストを読み込んでいる。どんなに寝るのが遅くても、5時半起き。どんなに残業していても、飲みには行く。そんなこんなで疲れてるはずの土曜日、12時には六本木に。というのも、退院したばかりの友人が、私の就職祝いをしてくれるというのだ。この土曜日も、かつてのアルバイト先の塾長は、私を呼んでくれて、可愛い生徒に会うチャンスを失うと思うととても迷ったけれど、お断りしてしまった。実は六本木ヒルズは初めてで、お店で買えるものはやっぱり何もなかったけれど、まがりなりにもこうしてたどり着いた今にいたる道のりとか、これからのことなんかをお互いに話しているとやっぱりとてもシアワセだった。彼女が、「これ・・・」と控えめに差し出した、優しい茶色の紙袋。灯をともしてお風呂に浮かべるキャンドルのプレゼントだった。私がアロマ好きな事を覚えていてくれたその小さな優しさがとても嬉しかった。*****家で早速、試してみる。隣の部屋にいる弟にライターを借り、火をつけてお湯に浮かべる。お風呂の明かりを消す。ごく普通のお風呂が、高級ホテルのバスルームみたいになった。はしゃいだ気持ちでお湯につかる。薄暗い中でゆらめくキャンドルの光は、あたたかくもあり、官能的でもあり(笑)、とてもリラックスした。気づけば就職して、もうすぐ4ヶ月がたつ。****宇野千代先生という私の好きな作家の文章に、こんなくだりがある。 書ける。また、一枚書いた。書ける。ひょっとしたら、私は書けるのではあるまいか。そう思った途端に書けるようになった。書けないのは書けないと思ったから書けないのだ。書けると信念すれば書けるのだ。この、思いがけない、天にも登るような啓示は何だろう。そうだ。失恋すると思うから、失恋するのだ。世の中の凡てが、この方程式の通りになると、私は確信した。そのときから、私は蘇生したように書き始めた。夏に海へ行った時、懸命に砂山を作る二人の子供を見かけた。でも、だんだん潮が満ちてきて、波は一瞬の間に、砂山をさらっていってしまった。あとにはあっけないくらい平らな砂浜が、何もなかったように続いていた。私は遠くから、「あーあ」と落胆した。でもどうしたことだろう。子供達は顔を見合わせて、急にひまわりみたいな笑顔で、キャッキャとはしゃぎ出したのだ。そしてまた、一生懸命に山を作り始めた。私は、その様子に見とれた。もう、心から見とれていた。その集中力にドキリとした。多分、本当に何かをしたい、できると思っている時には、先のことや結果の事なんか、頭にないはずだ。うまくいくかどうか?いかなかったらどうするか?そんな不安さえ、浮かばないはずだ。一瞬でも「できない」「だめかも」と思ってしまったら、一気に崩れ去ってしまうくらい、人の気持ちや決心はもろいものだ。私も日々、そんな自分の心のもろさ、移ろいやすさに翻弄され、悩まされながら暮らしている。でもマネキンを見上げるおばあちゃんの素直な横顔や砂山を作る子供のぷっくらしたほっぺになんだかとてもストンと、楽な気持ちになった。PSエッセイのコーナーに「許せないこと」をUPしました。最近、夜無性にミカンが食べたくなり、食べています(笑)ビタミン不足でしょうか?
September 25, 2004
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きよらかすぎて とうとすぎて どうしよう この 命が*******入院している友人のお見舞いに行ってきた。迷いに迷ってたどり着いたとき、ゲームでゴールを果たした冒険キャラの気分だった。思わず”ついたー”と腕を上げそうになった。「入院病棟は、あちらになります」と受付の方に教えていただき、なぜか正反対の方に歩こうとして「くすっ」と笑われたりしながら、彼女の入院する病棟へ向かう。一週間程度で退院できる、軽い手術だったのだが、彼女は実家が長野県で、仕事で上京して一人暮らししているので、今回の入院も全て一人きり。相当寂しいようだ。前回の日記に書いた、おじさんにいただいたぶどうを、母がつぶれないように、上手に包んで保冷剤を入れてくれた。そして、病院の最寄駅にあるデパートに入っているお花屋で、ミニブーケを選んだ。好きなお花で、思い通りの花束を作ってもらおうとすると、本当に高い。でも、最近よく見かけるこのミニブーケは、片手サイズだし、もらう方も部屋にちょこんと飾れるし、何より可愛い。初めてこのミニブーケのみをうってるワゴンを都内で見つけたとき、私は思わず駆け寄ってしまった。こんな花束があるんだ!と、思わず自分に買いたくなったほどだ。病棟につくと、思ったよりも元気そうな彼女がいた。私はおどけた顔をして現れてみた。一瞬驚いて、けらけら笑う彼女。お花を飾ろうとして、彼女が「そこの冷蔵庫にペットボトルがある」というので、私はその、お茶がほんの少し残っていたペットボトルをすすいで水を入れ、いざ、お花をさす。しかし・・・・ミニブーケなだけに茎も短く、お水の入っているところまで茎が届かない!!「ああ、だめやん。笑」と二人で笑っていると、隣に入院しているおばさまが、「看護婦さんに言えば貸してくれるわよ」と言い終わるときにはすでに、ビーカーみたいな花瓶を借りてきていてくださった。は、はやい!そっけない真っ白な病室に、小さなお花達は本当に映えた。まだつぼみのバラも入っているので、開花が楽しみ。どうか開花する頃には、彼女が無事退院していますように。彼女の部屋に来る時、エレベータを使ったのだが、車椅子のおばあさんが一緒に乗っていた。実習生らしき若い看護士さんが、おばあさんのお腹をさすっていた。おばあさん、おなかが良くないようだ。「大丈夫ですか?痛くないですか?」私は実習生の優しい手と顔に、しばし見とれた。私は、病院の匂いをかぐと、決まって心細くなる。歯医者さんや眼科の待合室の匂いもそうだ。彼女の病棟へ行くまでの間、ぶどうとブーケを握り締めた私はやっぱり心細いようなより所のないような気持ちで、エレベータに乗っていた。エレベータに乗っていたほんの数秒の間に、私の縮こまった気持ちさえ、実習生に癒されたような気がした。ひとの命に関わるということは、本当に厳しく、本当に尊いことだ。二人で他愛ない話を絶え間なくして、彼女は点滴の管が外れそうになるくらい笑っていた。お見舞いの後、その病院の近くに住んでいる会社の友達と遊んだ。彼女は、私がお見舞いに行くと知って、駅から車で連れて行くよと言ってくれたり、方向音痴な私のために仕事中にネットで病院の位置を調べてくれたり、会ったこともない私の友達をとても心配してくれた。ファミレスで語った後、カラオケでひとしきり騒いだ。ぶどうを包むことも、病院へたどりつくことも。「お見舞いへ行く」というたった一つの事をするのに、お弁当屋のおじさんや私の母、友人など、さまざまな人たちの力が、見えないところで働いている。そういえば、いただいたぶどうをお皿に乗せて私が持ち、両親が私の両隣に座って3人での写真を撮った。これをお礼と一緒に送るつもりだ。******日本語教員の試験が近い。けれど、就職してから、満足に勉強ができていない。今の計算だと、試験前までにすべて通信講座を終えるには、一日2冊のペースで、テキストを終えなければならない。毎日コンスタントに働くということは、3ヶ月たった今でも、やっぱりなかなかハードな事だ。そして、その上で何かしようとすると、相当のエネルギーが必要な気がする。完全に慣れたとはいえ、オフィスにいる間はやはり気づかぬうちに多少の緊張はしているんだろうし、最近は先輩達と帰りに近くの体育館でバドミントンをしたりしている。飲みにも良く行く。しかも飲みに行くことが私自身、大好きなので手におえない。気づいたらちゃっかり席にいたりするのだ。毎日はとても楽しく、OL生活に安穏としてしまいそうになる。でも、身体が追いつかなくとも、私の心の方は勉強したい気持ちでいっぱいで、ああ、やはり私は教える仕事がしたいのだなと再確認する。直接世界の人と関わり、その人の人生のほんの一瞬に火をくべたいのだと。そして私が見たもの感じたもの全てを、文章にして人に伝えたい。とても恵まれた環境の会社にいると実感すればするほど、早めにここを飛び出そう、という気持ちが強くなるから不思議だ。だから必ずどんなにきつくとも、やることだけは終えて試験を受けてこようと思う。それが私の意地だ。優しい歌作詞:桜井和寿 / 作曲:桜井和寿 / 編曲:小林武史&Mr.Children誰かが救いの手を君に差し出しているだけど今はそれに気付けずにいるんだろうしらけムードの僕等は胸の中の洞窟に住みつく魔物と対峙していけるかな一吹きで消えそうな儚い願い言いかけて飲み込んで恥ずかしくなる魂の歌 くすぶってた 照れ隠しの裏に忍ばせた確信犯の声出口のない自問自答 何度繰り返してもやっぱり僕は僕でしかないならどちらに転んだとしてもそれはやはり僕だろうこのスニーカーのヒモを結んだならさぁ 行こう簡単に平伏したあの日の誓い思い出して歯痒くて思わず叫ぶ後悔の歌 甘えていた鏡の中の男に今復讐を誓う群衆の中に立って空を見れば大切な物に気付いて狂おしくなる優しい歌 忘れていた誰かの為に小さな火をくべるよな愛する喜びに満ちあふれた歌
September 12, 2004
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いつも どの年も いろんな季節の終わり方 むらさきいろの粒が教えてくれた この夏の終わり ***学生時代にアルバイトしていた、大学のすぐ近くにあるお弁当屋さん(日記「食べて歌って恋をして」>「大好き」参照。)から、ぶどうが届いたよというメールが、仕事中の私に母から届いた。家の前を歩くおじいさんがくれたイチゴ(日記「せなか」参照。)にしてもお弁当屋さんが送ってくれるぶどうにしても、人の思いやりとか愛情とかがこもった果物って、どうしてこんなに柔らかくて甘くて、口にする前にもう胸がいっぱいになってしまうんだろう。友達と通りかかって見つけたアルバイト募集の張り紙。でもここでアルバイトするには、時間的に、大学の授業を一つさぼらないとならない。「それでも、やるべきでしょ!」迷わず背中を押してくれた(笑)悪友の言葉が、私の運命を決めた。単位と引き換えに、本当にかけがえのない宝物を手に入れたと思う。おじさんおばさんは本当に素敵な方で、今でも思い出すだけで心が熱くなる。夏にはお店を閉めて50ccバイクで東南アジアを横断してしまうパワフルなおじさんでもある。私はいつも下ごしらえを手伝いながら、おじさんの話にうっとりと瞳を輝かせていたっけ。そして、卒業後私が進路に迷っていたとき、ご馳走して励ましてくださったりもしたのだ。その年、去年の末には、立派な紅しゃけを送ってくださった。何枚にもわたる励ましのお手紙とともに。鮭弁当に鮭を入れ忘れて、お客さんが戻ってくるというハプニングは今でも笑えない笑い話で、私はその送られてきたしゃけを見て最初にそれを思い出してしまったのだが、学生時代の忘れられない思い出の一つとも言える、アルバイトだった。進路相談にのっていただいたとき、おじさんがおっしゃった忘れられない言葉がある。「どんな会社に入ったとしてもね、一生懸命に頑張りなさい。 そうすれば、そこで周りにいる人たちが、必ずTomomiちゃんの 味方になってくれる。次の道への応援者になってくれる。 あなたなら、大丈夫。」私は、おじさんのこの言葉は本当だったと今感じている。今の会社に入って早3ヶ月。とても優しい教育係の同僚や先輩、音楽や本の話で共感し合える友人、人生の苦楽をともにしあえる友人。どうしてこんなにも短い間に、まるで何年も一緒にいたような気持ちになれたのだろう、と不思議になるくらい、今の私にとってのキーパーソン達がここにはいた。お返しは何にしよう。疲れ果てた帰り道、立ち寄ったお店でぶどうの柄の便箋を買った。まず、心をたくさんこめて、お礼の手紙を書こう。 ***発売されたばかりの村上春樹「アフターダーク」を買った。夜から明け方にかけてのほんの数時間という間をこの本は描いていて、幻想的な表紙に惹かれて会社帰りに平積みされたこの本に手を伸ばした。どの人間にも、与えられた時間は1日に24時間で、でも多分私たちは、それを2倍にも2分の一にもすることができる。たったの一瞬であるとか、数時間とか、数分間とか。そういう、ほんの短い時間のことを描いた文章が好きだ。私たちは日々、色々な感情の間を行き来している。つらく悲しい気持ちになったあと、ふとしたことに上機嫌になったり。昨日は嫌いだったものが今日は好きになっていたり。「笑いながら泣く」なんていう、言葉にしたらおかしな事も、沢山、私たちには起こり得る。そんな、一刹那の感情の変化とか流れとかそういうものの中に、もしかしたら一番人間らしくて一番果てしないドラマがあるんじゃないか、そんな気がして、そういうものを書いてありそうなものを見つけると、早く読みきりたい好奇心でいっぱいになる。 ***予告していた横浜放浪記は次回、書きます。会社での面白いハプニングなども書くつもりです。時間がなかなかなく、更新できずにいますが、お楽しみに。 ***
September 8, 2004
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これを話そう あれを話そう そう思っても 口からこぼれるのは いつも違う言葉 強い風に舞う帽子に 追いついても つかめないような はがゆい その感じ 話したいことは そう ここに 胸のまんなかに こんなにも真っ赤な実をつけている それなのに *** 共にインドへ行く仲間を見つけることは、とても簡単なようで難しく、でも案外あっさりとしたものだった。「アドベンチャーライフ」を読んだ。以前から知っていたものの、今朝、上野駅の本屋で立ち読みし、なんだかそれだけで涙ぐむくらい共感したので、その場で買った。終業が楽しみで、帰りの電車で一気に読んだ。もう今は、弟の部屋にある。私がインドに行きたい気持ちを日増しに募らせてている理由の1つは、以前テレビの中の長淵剛が口にしていた台詞だった。”ガンジス川のほとりでは、死んだ人が燃やされるということが 何の不思議もなく普通に日々行われている。 或る日ふと尋ねて見た。人が燃えるときの火の明るさって 一体何ワットなんでしょう?と。 どんな生き方をしても、何年で命を終えようと、人間は 蛍光灯の明かりより少し明るいくらいの光でしか燃えることが できない。”私はそのとき素直に、その明るさをこの眼で見てみたいと思った。最近、坂口憲二が出演している”この夏は忘れない”という旅プログラムでも、前回はインドだった。坂口憲二が、肌色で乳白色なガンジス川に浸かっていた。私は、私も浸かりたい、と心から思った。”本当の貧しさって、どんなものだろう。”そんな疑問が、数年前から頭を離れない。多分そんな疑問をもつのは、今までの短い人生の中で本物だと思える絶望とか挫折とか、そういうものを味わった事がないからだろう。何をもって本物なのかニセモノなのかなんて、わからないけれど。そしてそのことは私にとって、もしかしたら大きなコンプレックスなのかもしれない。私の夢。それは、身一つでも笑える人間だ。日々の生活の中で、本当にたくさんのがらくたを、じゃらじゃら身体のあちこちにくっつけて、鳴らしながら歩いているような気がする。目に見えなくとも、私の耳には歩を進めるたびに、お祭りのみこしが揺れる時のような方向性のない不協和音が響き渡る。思わず手のひらが耳を覆う。ブランド品を身につけてもいないし、ヒールでつま先を傷めてもいない。相変わらず、嘘をついて自分を武装することは大嫌いだ。けれど。私は常に着ぐるみを着ているようで、滑稽で暑苦しいのだ。人と話していて、その人と別れたあとに言いたかったことがあふれてくる事がある。私はおしゃべりだし、いつでも思いのままに話すけれど、それでもそんな時がある。ふと思う。私の芯にある想い、伝えたい想いはきっと幾重にもくるまれてしまっていて、だからそれを発見して伝えるまでに時間がかかるのだと。この本を読んで「いいなぁ」と思うのは、多分どんなことも、実際に自分で見て、感じて、体験しているからだ。だから人を酔わせる力があるんだろう。知りたいことを知りにいこう。からだにまとわりつく、得体の知れないもやもやを脱ぎ捨てて自分の芯をあらわにしたい。
August 31, 2004
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究極の願いは この海のようなひと ***金曜日。今日が終われば週末だ!と嬉しいながらも、増えつづける仕事に辟易していた午後。ぴろろろん。私のPCに、友人からのメールが入る。会社では常にPCを使うので、周りには会社のPCのアドレスを伝えてある。顔面の半分が麻痺して動かなくなってしまうという病気になり、会社の夏休み中に通院していたという、友人からのメールだった。とても元気な彼女なので、私は驚いて信じられなくて、PCを食い入るように見つめた。翌日土曜日、彼女の住む蒲田というまちを訪れた。初めて訪れた。東京都神奈川の境目に位置する、住みやすそうなまち。彼女がもう5年もここに住み着いているのも、うなずける。思ったよりも全然元気そうだった。”顔がひきつるから、なるべく笑いたくないけど笑っちゃう”と言う彼女と、沢山しゃべって沢山笑った。顔がひきつって変な顔になるので嫌がる人が多いけれど、沢山笑って動いた方が、治りが早いそうなのだ。勿論、だから笑わせたわけではないんだけど。。。確かになんだか痛々しい、ひきつった顔になるけれど、全然変じゃない。やっぱり笑顔っていいよな、と思う。その後、ダーツをしに行った。弟の部屋にあるダーツ盤でやったことはあるけれど、ダーツバーに来たのは初めてだ。彼女は何度も来たことがあるらしく、構えもダーツの飛ばし方もプロっぽい。私は、まず盤に当てるのが難しくて、ダーツをまわりに投げ散らかし、彼女がキャディーさんみたく拾ってくれていた。それに、なんとか盤に当たっても、私の投げたダーツは「ほよよよよーん」と、だらしなく宙に舞い、力のない当たり方をする。でも。それでも。連勝してしまった!「ほよよよーん」でも、なぜかいい点数のところに当たってしまい彼女は悔しがっていた。「え?私結構いけるんちゃう?」と、いつもどおり単純な私。随分と白熱してしまった。****************その日の夜は、アルバイトをしていた塾の同僚の友達と、近所にできた韓国料理屋さんへ行った。韓国からやってきたおばさんがたった独りでやっているお店でその名も”韓国の家”。一見、素通りしてしまいそうなたたずまいだ。小さな飲み屋風のテーブル。赤いざぶとんに座って、キムチチゲやチジミを注文した。心がこもっていてとても美味しかった。お客さんがひけて、私達だけになったころ、キムチを運んできてくれたおばさんに私は、”マシッソヨ!”(おいしいですよ)と言ってみた。そして、秋にソウルを訪れたときの写真を見せた。目を細めて写真に見入るおばさん。韓国語なまりの流暢な日本語を聴いていたら、ふいにソウルの匂いを思い出してくらっとした。”若いときはどこにでもいけていいわよねぇ。あなたたち、 お友達?”笑顔ではい、と答える私達に、おばさんとの会話は延々と続きお店を出る頃には日付が変わりそうになっていた。私は心をこめて言った。”マンナソ パンガスム二ダ!”(お会いできて、うれしいです!)******************海を見てきた。クルマで2時間くらいのところにある、大洗海岸。以前、茅ヶ崎の海に行ったとき、本当に長靴が流れてきて、「漫画の中みたい」と笑っていたことがある。でもこの海は、とても綺麗だ。海が近づいてくると、水平線のように、霞んだ空の向こうにまあるい青が見える。それをみると「おーっ」と叫ばずにはいられない。曇りがちな天気だったけれど、人は沢山いて、みんな楽しそう。砂浜を歩いたり、水をかぶったり、貝殻を拾ったりした。波にさらわれたまったいらな砂の上を、足跡をつけてどこまでも歩いた。潮風に吹かれて、透明になれる気がした。******************帰り道、24時間テレビをつけると、半身不随になってしまった女の子が、森山直太郎の「さくら」をピアノで弾く、という企画をやっていた。その子が付随になってしまった原因は、実はお母さん。欠席したお友達に、幼稚園からのお便りを届けに行くとき、お母さんがきちんとブレーキをかけなかったために、女の子をひいてしまったのだ。自分への罪を感じながら、娘を見守る姿には、涙が止まらなかった。でも、動きにくい指で一生懸命にその子が弾いた「さくら」は、本当にきれいだった。楽器の音は、誰が出しても決まった音階だけれど、出す人の気持ちや、心のこめ方によって全然違うような気がする。弾いているときの真剣な顔も素敵だった。****************思いがけない病気に、夏休みを奪われた友人。一人異国からやってきて、日本でお店を作ったおばさん。何より宝物の娘に、指の自由を失わせてしまったお母さん。多分誰もが、定められた運命の中で、自分の未来とか夢とか、普通の希望を抱きながらも、自分の力ではとうていどうにもならない、なにか別の者の手によって支配されているかのような、どうしようもない出来事に翻弄されながら生きてる。それは時に些細なことだったり、時に残酷でとり返しのつかないことだったり、そのどちらでもなかったりする。そして、それらが、些細なことなのか、残酷で取り返しのつかないことなのか、どうなのかを決めるのは、もしかしたらそういう人の運命というものを、周りで見ている人たちの心なのかもしれないと思った。右半分は笑っていない友人の笑顔を見て、どうしても満面の笑みをさせたくて、躍起になった。そして一緒になって笑っていたら、なんだか彼女は思ったより早く治るんじゃないか、そんな都合の良い予感がだんだん心を震わすような”本物の予感”になってきた。そして二人とも、すごくすごくハッピーな気持ちになった。一人でがんばる韓国のおばさんを見ていたら、韓国という国がますます好きになって、いつかまた行こう、そんな気持ちになったし、ピアノを弾く女の子の姿は、多分テレビを見ている膨大な数の人たちを勇気付けた。日本という国が便利で住みやすくて治安もよくて、多くの国から人が移住してくるという現実がある。住みづらい、生きづらい。たった一人のそんな国民の気持ちが、多分多くの共感を呼び、設備が整えられたり、法律が改正されたりしながら、今みたいな日本が出来上がってきた。共感する気持ち。人の幸せとか不幸せとかを、一緒に味わってみようという気持ち。きっとそれが、この世の誰かに、誰もに、何の前触れもなくふりかかる様々な出来事を、自ら手を広げて受け止めようと思う力につながる。*************** 写りが悪いのですが、このキャラメル色と白のコントラストの貝殻。私はすぐに”キャラメルフラペチーノ”を思い浮かべました。美味しそうな貝殻!笑
August 22, 2004
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見たことがある気がする 来たことがある気がする 遠い昔に 出会ったことがある気がする *** 旅行に行ってきた。以前日記に書いた、高校からの親友との旅。ジーンズにスニーカー。お菓子が沢山入ったボストンバッグを持って、走り出したいような気持ちに駆られながら、特急に乗り込む。とにかく笑いすぎた。はしゃぎすぎた。腹筋が引き締まったような気のする旅だった。まず、荷物を置いてから、草津の湯畑に出ようということになり、ホテルへ向かう。地図には”徒歩10分”とあるのに、30分は歩いた。途中、「あ、ここかな?」と思い近寄ってみると友人が一言、「ねぇ、でもライオンのマークじゃないあれ?」ライオンズマンションだった。 何度も建物を間違えて、やっとついたB級ホテル。うーん、これはホテルか?山小屋?代理店で予約をしたときにお世話になったミスタービーン(日記参照)の顔が、「ホテルはどんな感じですか?」と私達が尋ねたとき、一瞬くもったのを私は見逃さなかった。笑。やっぱりあの一瞬のくもりは間違いじゃなかったんだ。笑。一日目は草津をめぐり、ホテルへの道にあるセブンイレブンでお酒を買い込み、宿へ戻った。 私達は、高校3年生、受験期に初めて同じクラスになった。スパルタ学校だったので勉強には厳しいものがあったが、学園祭やその他行事ではまっさきに腕を振るう私達はめぐりあわせのように意気投合した。授業中に、よく手紙を書きあっていた。先生が黒板のほうを向いている間に紙飛行機にして飛ばす。 そのスリルは今でも思い出すことができる。 内容は、勿論、ほとんどが恋愛だった。当時私が彼女に渡したり飛ばしたりした手紙を、彼女は今も全部持っている。彼女自身、とっておいたという記憶はなく、以前部屋を大掃除した時に、束が出てきて、読み返すとなかなか面白いので、とっておこうと思ったそうなのだ。彼女はその束を持ってきていた。よくもまぁ、こんなにもよく、先生の話も聞かずに手紙を書いて、実らない片想いにうつつをぬかしていたものだ。読み返しながら、その頃のあまりの純粋さ、まっすぐさが滑稽で、滑稽すぎて、私達は沢山笑った。でもお互いにそんな中でも、今は忘れかけているような何かを悟り、お酒も手伝って随分感動した。なんというのだろう、まったく根拠がなくても、保証がなくても、何かを本気で信じることのできる自分がそこにはいた。 そして、日々を暮らすというただそれだけのことに、ものすごい集中力をもって臨んでいた。もちろん、無意識に。 すごく馬鹿みたいなんだけど、すごく羨ましい。そんなことを、過去の自分に対して思ったのだった。その後は、部屋を暗くして懐中電灯で遊んだり、おしいれに入ってドラえもんごっこをしてみたり、24歳らしからぬ遊びをしながら、今のお互いに関する沢山の話をして、気づかぬうちに眠りについた。ほんとうの友達というものは、言葉でも表情でもない何かで、ほとんど全部のことを、一瞬で掴み取ってしまうものだと思う。嘘のつけない世界だ。なんていうのだろう、何かを話したくて、話そうとして、話し始めて話し終わるその少し前には、胸の奥をきゅっとつかまれたような気持ちになっている。翌日は軽井沢。何度きてもかわらない街並みなのに、毎回違った表情を見せるなぁと思う。多分、一緒にくる人によって違ったりもするのかもしれない。軽井沢銀座を歩く人たちの顔が好きだ。この一本道を歩く人たちは、もう絶対に、素敵な顔をしている。ときめいていて、ビタミンカラーだ。顔の部分だけあいたモナリザの描かれた看板に、犬がよじ登って顔を出している姿に、周りの人たちはみんな笑っていたのだけど、あとからきてそれを見てふいに大笑いしはじめたおじさんがいて、私はそのふいの笑顔にふと見とれた。 人が無意識に見せる表情を見つけたとき、それがどうしようもなくいいものに思えてしまう。 小さな秘密を見つけたような、そんなちょっぴりわくわくする気持ちだ 。”ねぇ、私、嬉しくて、楽しくて、ちょーーーーーー、 シアワセ”私はたまらない気持ちで、そう友人に叫んで高台から飛び降りた。軽井沢銀座に、似顔絵を書いてくれるおじさんがいる。私は前回ここを訪れたときに、描いてもらいたいとすごく思っていたのだけれどその時は一日の予定がたてこんでいて時間がなかったので、今度来た時はきっと描いてもらうんだ!と思っていた。 そのおじさんが、いた。本当に、あの日と変わらないおもかげのままに、そこにいた。私は一目見て、あのときのおじさんだ!と分かった。 胸がどきどきした。 友人と駆け寄り、早速描いて貰う。”若干、目をぱっちり描いておくね”とおじさんがいい、”やったー!”と私が言うと、知らぬ間に私達の周りに集まっていた他のお客さん達が一斉に笑った。”あら、きづかないうちにこんなにお客さんが集まった。 あなたたちは福の神だね!”そんなおじさんの言葉にまた笑い、私達はすごく似ている似顔絵を胸に、その場をあとにした。なんだか、変わらない姿でおじさんがそこにいたことが、あまりに嬉しすぎた。私はここに数年ぶりに来たけれど、私が東京で、進路に悩んだり会社へ行ったり恋をしたりしている間にも、おじさんはこの場所で毎日誰かの顔を描き続けていて、そして今日今この時間にもここにいた。いてくれた。ただそのことに、ありがとう、いてくれて、ありがとうと思ったのだった。 日々、ふと思う。私達は毎日、それぞれの場所で、生活をしていて、私達の家族や友人や知り合いやあらゆる人たちも、それぞれの場所で、それぞれの生活をしてる。私達の世界というのは私達から見える範囲のことで、視界にいない人たちの生活を、当たり前だけど私達はリアルタイムに見ることができない。時々、見えない場所で起きている全てのことが、信じられないような気持ちになる。出来事というのは全て、自分の視界に入ってきて初めて現実になるのじゃないかという錯覚にとらわれるのだ。おじさんがあまりにあの時と変わらない姿だったので、あぁきっとおじさんは、私達がここにきたからここに現れたのだ、そんなことを思った。ここまで書いてきて、なんだか私の言葉で文章にしたらあまりにチープになりすぎてしまうような気がし始めた。***************東京は暑い。新幹線を降りた途端、現実に帰ってきたような気持ちがした。旅行前日までのお互いのはしゃぎっぷりが、脳をかすめる。たったの一日なのに、もう随分家をあけていて、会社の同僚や家族ともうずっと会っていないような感じがした。そんな旅の帰り道、夕飯を食べていこうということになり、とあるお店に入った。そこで私が一目で惹かれたカクテルがあった。澄んだ水色で、底のほうが黄色いマンゴー色。どこまでも透明な水色の海の底に、ぱっとランプのように珊瑚礁が咲いてるよう。水色と黄色の間には、透明な空間。ほろ酔いのお客達がざわめく店の中で、そのグラスの中だけはいつまでもどこまでも、深遠で、静かなのだった。そのカクテルの名前も、うっとりするような綺麗さだった。二杯目のビールを注文しようとする友人をよそに、私はどうしてもそのカクテルが気になって注文した。そのお店でも、帰りの電車で死んだように疲れていた私たちはたちまち生き返り、他愛ない話を延々とし、ああ、気の置けない友人との本当に楽しくて楽しくてたまらなかった旅を思い、シアワセをかみしめているほろ酔いの私を、一抹の切なさがふいにおそった。なんだかその一瞬に、昨晩ふと目がさめたら雨がざあざあ降っていて、朝になったら晴れていますようにと祈っていたこととか、夏が終わっていくんだなぁという予感や、目の前にあるシーザーサラダのレタスがしんなりしているさまとか、退院したとある友人のこととか、そんな私をとりまいているあらゆるものがギュルっと音を立てて私の中を逆流したような気がしたのだ。 ただ夏が終わっていくだけなのに、偶然ヒトの形をしてここにある事のあまりの短さを思った。そしてその次の瞬間のまたたく間に、とてつもない落胆と浮上をいっぺんに味わったような気がした。 思えば、夏の終わりはいつも似ていて、いつもすごく違っていた。確か去年の、もうすぐ九月というある日。私は交差点で自転車を止めて、赤信号が変わるのを待っていた。風が強くて蒸し暑くて、息苦しいような夕方だった。急にごろごろとイナビカリがして、ざぁっと雨が降り出した。そばにいた多くの人たちがいっせいに「ほおっ」と言って空を見上げた。私は驚きながらも仕方ないまま、ぬれるごとに重くなるワンピースを体に張り付かせて、自転車をこいだ。みんなが屋根の下にかけこみ、スーパーに駆け込み、走っていく。その光景といっしょに、夏がものすごい速さで、さよならを告げていくような気がした。思えばあれが去年の、夏の終わりだったのだ。 本当にそのカクテルは、せつない色をしていた。なんだか何が嬉しいのか悲しいのかわからないままに、私は日焼けしてほてった顔を潤ませていた。海のような青さが性懲りもなく恋しくなってカクテルを見つめる私。多分今年の夏の終わりは、今なのかもしれないと思った。多分いろんなものを得て、多分そのかわりにいろいろなものを手からこぼれ落としながら歩いた夏だった。けれど今年も、ひとつの季節が終わって次の季節が歩み寄ってきていることに、気づくことができた。寒く冷たい冬が終わり春が訪れる頃に、日々だんだん増えていく金色のつぶつぶを空気の中に見つけられたように。多分まだ私は、大丈夫なのだ。理由もなく、そんな気持ちがして急に勇敢な気持ちになって、海を全部飲みきってもう黄色い部分だけになったグラスを片手に、私は屈託なく笑った。
August 19, 2004
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僕は靴をはきなおして 旅をつづける 君にあえそうな気がするんだ この道の果てで ***やったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!以前日記に書いた、入院していた友人が退院した。私は、彼女のたっているところに遠くからダーーーーーーーーーーーーーーーーっと走ってきて、彼女に抱きつくつもりが、勢いあまって彼女の手前で派手に転ぶ(←これホント)。ひざに、青いあざができた。嬉しくて嬉しくて、顔をくしゃくしゃにして泣いた。切り過ぎて猿みたいになった私の髪がやっとちょっと伸びたのをみて、彼女や駆けつけたほかの友人たちは「しょうがないなぁ、もう」といった表情で、優しく何も言わずに泣きじゃくる私の髪をなでた。冷たいような待合室の匂い。いつものその匂いが、今は私の目頭をくすぐる。”タイムオーバーの見えてる時間の中で、それでもまだ生きたい、 生きようとじたばたできること。 それがすごく幸せです。”彼女がいつか、私に当てて書いてくれた手紙の中の言葉。黄色くて優しい便箋の文字が、ちらっと頭をよぎる。お医者様の予言した余命はとうに過ぎている。**********私が生きていく上で、何より気持ち悪いこと。それは、自分に嘘をついて生きることだと、思う。それでも赤ん坊じゃないんだから、”自分の素直な気持ち”と ”人に与える迷惑や影響”のバランスをよく考えながら、自分には嘘をつかずに生きていきたいと思っている。運命は決まっているよ。いのちの砂時計のつぶの数も、もう決まっているよ。でもそれでも、走り出したいんだ。衝動に突き動かされて、心がいう事を聞かないんだよ。そんなそんな、いつも私が感じているような躍動的な気持ちを共有したような気がして、涙が止まらなかった。ヒックヒックとしゃくりあげながら、そんな自分がおかしくて笑われながら笑う・・・・それを繰り返していた。*************昨夜は夜遅く、とても遅くから、うちを突然訪ねてきた恐ろしい友人達と、朝まで騒いだ。あれは一体何時ごろだったのだろう。東京湾のハナビ観戦をしていい気分で帰宅したものの、部屋にいってもいい?と電話が鳴った時、私はもうすでに寝ぼけ、頭は爆発し心はグロッキーだった。それでもBoAのCDをかけたら勝手に身体が動き、お互いに急に元気になって騒いで語った。しかも気づくと3人になっていた 笑。恋がうまくいかないというその友人に、ハナビ観戦で残ったシードルを飲ませる私・・・笑やっぱり私たち、まだまだ若い。まだまだイケル!********トップにのせる詩を考えようと思ったとき、どうしてもテーマにしたかったのは”希望”だった。そして、希望について考えたときに浮かんだのは、スニーカーの靴のひもを縛りなおすそのしぐさだった。私はなぜか、右足のスニーカーの紐がほどけることが多い。靴のヒールも、右からすりきれていく。歩き方が変なのか、わからないけれど、一日スニーカーをはいていると、必ず右足の紐がほどけてくる。紐を踏んで転びそうになるから、私はよろよろと仕方なく人波をよけて、しゃがんで紐を結びなおす。歩き続けるためにだけど、そんなこと意識せずに結びなおしているような、そんな自然なごく普通の”希望”を、言葉にしたかったのだと思う。未来を今に、今を過去に塗り替えながら、いつもの変わらない歩幅で、闊歩する。それでも時々、ドラえもんのタイムマシンに乗りたくてたまらなくなる。見える未来はつまらないけど、いまを飛び越えてその先が見たい。そこにどんな自分がいるのか見たい。見たい見たい見たい。私、笑っている?それとも今みたいに、路頭を彷徨ってる?シアワセ ですか?そして私は気づくのだ。そんなどうしようもない気持ち、今を追い越したいような気持ちが、たぶん希望というものなんだと。
August 15, 2004
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いつかいのちを振り返るとき 指を折りながら数えている 私が見える 心の震えた回数を 流した涙の描いた円を ***来週、夏休みをとって旅行に行く。気のおけない高校時代からの親友との二人旅。私の機械オンチで未だ写真をアップできずにいる、ゴールデンウイークのバス旅をした友人だ。今回の旅の条件。・2万円前後・一泊・バスか電車がセットになっているもの(二人とも、かなり 危ない運転なので)まず、前から友人が目をつけていた、バス旅の一泊コースを見せてもらう。私たちは気が合うので、私も「これいい!!」と、特にコースに含まれている”桃狩り”を見て言った(笑)そして早速代理店に行ってみるが、サンタみたいなおじさんは一言、「席が1つしかあいておりません」。その後、いろんなパンフレットを見たり本屋をうろついたり。バスで行くのは諦め、電車でいけるのにしてみよう!ということになった。それでも、今からの予約と相当きつい。私達の中での”第一希望、第二希望・・・”は、みるみる「あいておりません」の言葉で打ち砕かれていく。それでもしぶとい私たちは、「もしかしたら今の一瞬の間に、キャンセルがでたかもしれない」と、例の”桃狩り”のツアーの空きを確かめに、再び同じ代理店を訪れたりしてみる。そして最後。軽井沢・草津の旅という、一泊でも自由時間の多いツアー。ミスタービーンそっくりの代理店のおじさんに、全てを賭けた。「少々お待ちくださいね。空き状況見てきますから。」ミスタービーンが一瞬シュッと消え、笑顔で戻ってくる。「とれますよ。」飛び上がる私達。ビーンもなぜか一緒に大喜び(笑)。いい人だ。お昼に会ったのに、予約して代理店を出たとき、ちょうど6時だった。社会人になると、旅行の計画をたてたくてもなかなか時間がとれない。でも、お互いに「こんな旅が良いな」というのを仕事をしながら思い描いて、短時間で持ち寄っても、なんとかなるものだ。何より私たちの目当ては、「ゆっくり話ができること」なのだ。話していると何時間でもたってしまう私達。高校時代から、お互いの弱み欠点すべて見抜きあっている。なんだか久々に、衝動で動き回ったような気がする。旅行をしようとは前前から決めていたものの、たった6時間前に会って選んで話して予約をして・・疲れ果てているはずの週末に、ワンピース一枚で夢中になって駆け巡ったこの半日よ。家に帰ってワンピースを脱いだら、サウナスーツのように汗びっしょりだった。「これがいい」「あれがいい」お互いにあーだこーだ言いながら、感性のままに決めたわたしたちの旅。旅そのものの思い出と共に、いつまでも覚えていそうだ。私は、洋服を買うときに、あまり試着をしない。自分のサイズよりちょっと小さくて、きついかもしれない、と思う服でも、「これがいい」とピンときたら、買ってしまう。「その分、私が痩せよう」なんて思ってしまうのだ。とても慎重すぎてなかなか動き出さないようで、思えば随分、感覚に頼った人生を歩んできたような気もする。そんな部分を、何度も親に注意されたことがある。でも、衝動で動いているときの自分は、とてもとても自分らしいような気がする。そこには「理由」がないから。すきだから好き。いいなと思うからいいなと思う。そんな、魂が「私」というフィルターを通さずに直接手を伸ばして選び取る瞬間。心臓のはしっこをくすぐられるみたいな、思わず肩をすくめてしまうような、そんな瞬間がとても好きだ。*************************************************最近こころを打たれた言葉今年も泳がせてくれて、ありがとう。今年もこの海があってくれて、ありがとう。(よしもとばなな ”海のふた”より)
August 8, 2004
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夏のにおい たちこめる 生ぬるい木立の中 ***今日は、学生時代からの友人に、4ヶ月ぶりくらいに会った。コレド日本橋へ。こんなスポットなんて知らなかった!でも。まずお昼を食べよう!と入った南仏料理屋さんに、気づいたら3時間もいた。そう、私たちは何を隠そう、学生時代からの居座りコンビ。大学の近くのマックに、6時間くらいいたこともある。話が途切れない。というよりも、気づいたら6時間たっていた、という感じなのだ。お互いに仕事が忙しかったり私が就職してごたごたしていたり随分の間会えなかったけれど、話は次から次へと出てくる、出てくる。お店にとっては厄介な二人でもある(笑)。初めて来たところだけれど、お店はどこも高価で個性的な所が多かった。おしゃれな感じのおもちゃやさんをふらふらしていると、目の前におっきな地球儀が!!「わぁ~~~~!」私達は思わず近寄って触ってみる。すると、それは、パズルでできていたのだ。私たちよりも大きな地球儀。珍しがって触っていると、店員さんが「すみません~触らないで下さい~」見ると近くに「手を触れないでください。」の看板が・・・。でも、そんなの目に入らないくらいの迫力だったのだ。 ***この前、アルバイトしていた塾を久しぶりに訪れたときに、とある生徒が修学旅行のおみやげをくれた。(エッセイページの「square」に登場する男の子。)開けてみると、人魚みたいな犬?のキーホルダー(笑)と、ハートの形をしたネックレスだった。「先生、いつも首飾りしてるから。」どうみてもおもちゃの首飾り。でも私はそんな彼の言葉がとても嬉しかった。そして彼にお返しは何にしようとずっと考えていた。受験生だから、文房具がいいかな?とか、でも中学生好みのものを見つけるのがなかなか難しいので、無難にお菓子にしようかな?とか・・・・・そして私は、ここでひらめいて、このパズル地球儀をお返しにしよう!と決めた。エッセイにも出てくるとおり、この子は勉強ができない。行ける高校があるのか、正直やめた今もすごく心配だ。でも、世界はとても広い。人間の生きていく場所は、本当に果てしなくあるのだ。なんだか無性にそんなことを伝えたくてドキドキした。そのおもちゃの見本のコーナーで、1ピース1ピースに描かれたいろいろな国のかけら。それを見ていると、たかがおもちゃなのに、なんだかうっとりしてしまった。小さな国のひとつひとつの中で、誰かがおはようを言ったり、ご飯を食べたり、バスを待ったりしている。そして自分も、そのひとりなのだ。なんだかその事実を実感し、直視し始められたのは随分最近の事のような気がするのだ。世界とは多分、ものすごく遠いところにあるようで、実は足元を見下ろせばすぐそこにあるものなのだ。お昼を食べた後、色々なお店を回って、歩きつかれて「上島珈琲店」というレトロな感じのカフェに入った。古き良きコーヒー、という感じ。そこで友人が一言。「上島っていうとどうしてもダチョウ倶楽部の上島を 思い出しちゃう。」思わずコーヒーを吹き出しそうになった。 ***本当に沢山しゃべって、沢山笑った。それに私たちが一緒にいると、いつも必ず面白い事が起こる。彼女が会社でであった友人にロシア人の人がいて、その人を訪ねて一緒にロシアへ行こう、という話をしていた。「あの耳まであるふわふわの帽子かぶりたいよね」とか「やっぱり毛皮着ないとだめかな」とか話しているうち、「でもロシアって、ビザが必要だっけ?」と友人が言った。すると私の横から、「必要だよ」と答える声が。私たちの隣で食事をしている中年夫婦の旦那さんのほうだった。仕事でロシアに行ったことがあるらしく、長々とロシアの話を聞かせてくれた。最初は興味しんしんで聞いていた私たちも、さすがにその話が30分近くに及ぶと、目を見合わせた。というのも。食事が運ばれてきても話しに熱中する夫に、奥さんの方がキレかかっていたのだ(笑)。それに気づく私達。でもそんなことはつゆ知らず、私達のために、駐在時代の思い出を夢見ごこちで話してくださる旦那様。・・・・・。 ***今日はどこかでお祭りがあったみたいだ。帰りの最寄駅へ向かう電車には、小学生や中学生が沢山。目の前に座った小さな二人組みの男の子。その日焼けしててかてか黒く光る頬とか、カツオ君みたいないがぐり頭とか、素足に履いたすりきれたスニーカーとか、そういうものがすべて、夏の匂いを運んできている気がした。お祭りで買ったんだろうおもちゃで遊ぶ姿。お祭りで売っているおもちゃって、どうしてあんなに宝物みたいに、きらきら光って見えるんだろう。アルミで作った輪っかに飴玉みたいなプラスチックがはめこまれた小さな指輪を買ってもらって、いつまでも大事にしていたのを覚えてる。 ***すべては変わっていくけれど、何も変わらない。私は今でも、お祭りで売ってるあんず飴が好きだし、暗い中にポッポッと灯るあかりが揺らすぬるったい空気の感じに、酔うことができる。多分私はこれから一生大人だし、一生子供なのだ。
August 1, 2004
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初任給が出た。ATMを前に、私は無意識に半分を下ろしていた。なんか、預けておくのが怖くて・・・最近はATMごと盗まれる事件も多いし。そして会社につくと友達に、「ともちゃんが持ってるほうがよっぽど危ないでしょ?」と一喝される始末・・・・就職してから今までの、いろんなドラマが走馬灯のように?かけめぐる、そんなATM前、午前9時でした。 ***先週は会社の友人宅に泊まりに行った。イチゴが山盛りのケーキをお土産に、電車に揺られて行った。夜は、沢山語り合ったり、酔っ払ってフォーク両手に踊ったり、学生みたいな時間を過ごした。でも、人生のあれこれについて、真面目な話もできる、素敵な友達。真っ赤なイチゴを見るたびにこの日のことを思い出しそう。そんなこんなで、先週は慣れてきて疲れが出たのか激しい頭痛を起こしてしまい、半日会社のロッカールームで寝ているという事にもなってしまったので、今日は家でゆっくりしていた。午前中はゆっくり寝て、母とスポーツジムへ。体重が随分落ちていた。とはいっても、もうちょっと痩せたいけれど(笑)。その後、美容室へ。ここにくると本当に癒される。「癒されるんですよー」と担当の方と話したら、すごく喜んでくれた。一瞬ぽっと上気した担当さんの顔が本当可愛かった。お給料日の前日、ふとものすごく本が読みたくなり、大量に買い込んできた。カードで。この衝動は何だったんだろう。普通の本以外にも、キレイな海や空の写真集も買った。本を読みたい、文章を書きたい。そう思うのは私の心にゆとりが生まれた証拠だ。最近よく思うことがある。例えばお店で洋服をみていて、「あ、これいいな」と思うものは、人によって勿論違う。「いいな」と思うのは、自分の中にある、そう感じる何か。その”何か”って、どう作られるんだろう、はぐくまれるんだろうって、最近よく思う。ひかれあう友人達。ひかれあう恋人達。お互いの中にある何かが、共鳴しあって結びつく。実は今、私の友人で、余命3ヶ月の子がいる。そして、私が大きな事だナと思うのは、その子本人が、自分の余命を知っていることだ。その子のことを考えながら、エッセイのページに文章を書いた。何度かお見舞いに行き、これからも行くつもり。でも未来のことなんて神様にしか分からないから、信じてないよっていう彼女の目はとってもきれいで、私は大好きだ。その目を見るたびに。あぁ私は、彼女が心配だからでも、不安だからでもなくて、その目を見たいから病院に足を運ぶのだ、と思う。ひかれているのだ。きっと。
July 31, 2004
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疾走感と躍動感 そのすごみ そのあたらしさ 水に飛び込んだときのしぶきが まぶしいその感じ ***折に触れて思い出す。北川えりこさん脚本の、ドラマ”ビューティフルライフ”。キムタク演じる美容師と、常盤貴子演じる車椅子の女性との恋愛物語。北川さんはこのドラマを思いついたきっかけをこう話す。「子供が生まれ、ベビーカーに乗せて散歩をしている時、 ふとかがんで子供の視線に立ったときに、あれ?と思った んです。ベビーカーの高さから見る風景って、普段立って 見る風景と全然違う、と。」それが、車椅子に乗る女性の恋愛を描くきっかけだったという。私は先生として子供と話すとき、自然とかがんでしまう。腰の曲がったお年寄りと話すときも。空飛ぶ飛行機から街を見下ろした時、普段ならありえないような胸のすく思いがするように。土手に寝転がって空を眺めたとき、自分はこのまま空というじゅうたんにくるまれて消えてしまうんじゃないかと感じるように。”高さ”とはもしかしたら、目に見える世界を変える力を持っているのかもしれない。そして今日、そんな思いはますますクリアになった。とうとう、開催されました!第一回、”Charinco in Tokyo”の会。そろそろ会社に慣れてきたこともあり、ずっと暖めてきた企画をやろう!ということになった。友達りょうちゃんと。連絡は、私の社内メールに彼女が自転車のレンタルショップやお昼に食べようとドーナツヤサンのURLを送ってくれた。”隊長!いよいよですな!”などと、お互いにかなりうきうきしながら計画のメールをやりとりしていて、私は仕事中なのによく吹き出しそうになった。そして今日。天気が心配だったけれど、ちょうどいい曇り具合で、昨日までのようなムアムアした感じもない。動きやすいズボンに平たい靴、帽子も持って家を飛び出した。実はりょうちゃんに会うのは一年ぶり。一年前に会った時もそういえばお互い半袖だったっけ、と思う。ドーナツを買う。私はマンゴーとバニラ、りょうちゃんはチョコとピスタチオの味のを買って、わけっこして食べよう!という事に。こんな時、友達っていいなと思う。色んな味を、一緒に味わえるから。そしていざ、レンタルショップへ!ドアを開けると、ぼ~っとしていたらしき受付のお兄さんが突然「はくしょん!」思わず笑ってしまった。新しめのとてもキレイな自転車。私たちは早速それにまたがって、旅を始める。ちょうどつま先立ちになるくらいの高さにサドル調節して。サドルに腰掛けた途端、すうっと絹のような肌触りの風が私たちの間を通ってカゴのすき間をすりぬけた。もうお昼の時間で私たちはドーナツが気になっていたので、皇居で食べよう!という事になり皇居に向かう。普段徒歩で見る景色と、サドルにまたがって見る景色は、全然違う。なんだか違う国を駆け巡っているかのよう。楠木正成の銅像のあるところに、いいベンチがあるよとりょうちゃんが言うので、早速行ってみる。そして、銅像の目の前にあるベンチでドーナツを食べながら、色んなコトを語り合った。マラソンする人、散歩する老夫婦。写真をとりあう外国からの観光客。ヘルメットをしてマウンテンバイクで走る人を眺めながら「いつかはああなってないとね、私たちも」なんて言い合ったりしていた。りょうちゃんには、とても助けられていた。というのも、私の仕事が決まってからの一週間、彼女は毎日、私の携帯電話にメールをくれていたのだ。最初、慣れずにしんどかった私は、会社への道の途中や、昼休みに入っている彼女からのメールにとても救われていた。何か新しいことを始めるときの”最初の一週間”とは、忘れられないものを持っているものだと思う。私は中学校や高校、大学、新しい習い事や旅など、何かが始まるときの”最初の一週間”だけは、なぜか鮮明に覚えていたりするのだ。私は今でも時々そのメールを見返しては、元気になったりしている。話が一息ついた頃、りょうちゃんがポシェットから取り出した、「しゃぼんだま」。素敵!外でしゃぼんだまを吹くなんて。すぐに吹き始める私たち。ちょうど通りかかった子供が、私達の放ったシャボンの膜を追いかける。七色の膜の向こうに見える景色が、かすかにゆがむ。そしてその後、神社や千鳥淵など色々な場所を回る。思い思いに自転車を走らせて、気の赴くままに小道に入る。方向音痴全開で、笑いながら気持ちよく走る。靖国神社では、お祭りの準備が始まっていた。無数の黄色いちょうちんを、職人さんたちが取り付けていた。私はそのさまにとても感激し、何度もシャッターを切った。戦没者の慰霊の所で献花して、手を合わせた。薄目を開けて隣を見ると、やはりそこには手を合わせて目をつむる人の姿があった。”祈り”とは、”祈るすがた”とは、とても敬虔で神聖だ。私はしばしそのすがたに見とれ、もう一度手を合わせた。「ともちゃんの会社にいってみよう!」りょうちゃんの一言で、私たちは私の通う会社のビルに向かった。毎朝歩く道を、自転車で駆け抜ける。毎朝、どれだけ周りを見渡していないかがよくわかった。そしてビルに到着。いつもお昼を買うコンビ二を見たり、うろうろしてみたり。私はここで、ハッとした。休みの日、本来なら訪れない日に、学校や会社など、自分が普段通っている場所を訪れると、その場所に対する愛着がわかるような気がする。なぜだかはわからない。でも、誰もいない教室に、普段いる人たちやざわめき、そんなものを思い浮かべるからだろうか。私は会社のビルに着いたとき、やっぱりそんな愛着のようなものを、しっかりと胸に感じたのだ。そしてとてもハッとした。きっと会社に通う日々というのはもうすでに私の中に、根となって息づいているのだと。そして、私が使う駅のそばにあるスターバックスに入る。というのも、りょうちゃんがお母さんにもらったという、ドリンク無料券を使って一番おっきなサイズのドリンクを一緒に飲もう!という、しゃぼんだまに続くりょうちゃんの素敵な計画だったのだ。今まで一度も注文したことのない、グランデよりも大きなサイズのマンゴーフラペチーノ。「私達、カップルみたいだね」なんて笑いながら、どこまでもオレンジ色なカップに頬を和ませていた。入社初日、早くつきすぎた私はこのスターバックスでどうにもこうにも緊張の解けない胸をさますように、アイスコーヒーを飲んでいた。その場所に、いつの日も私を見守ってくれていた友達と二人座って外を眺めている不思議。でもとても、幸せだった。人と人とのつながりは、なんだかベクトルのようだ。鋭敏な先っぽを持ったベクトルを、私たちは脇にかかえて好きだと思う物、会いたいと思う人に対して傾ける。突き刺す。その刃が自分にも返って来る時もあれば、相手は全く別の方向に、向けているときもある。お互いに突き刺しあえる時もある。ただただ、そんなベクトルがこの世の中には散在していて、いいでも悪いでもなく、ただただ存在していて、生まれたり消えたり、道路に落ちてにぶい音を立てたりしてる。そんなベクトルの突き刺す心地いい音を、私は近頃、胸に感じることが多い。人のベクトルを感じる。傷だらけな腹部を見下ろしてみる。それはとても、幸せなことだと思う。5時前くらいに、自転車を返しに行った。銀座を通り抜けて。土曜日の銀座は忙しい。歩く点々を、直線の私たちがピーっと線を引くように横断してゆく。私たちが帰ろうと駅に入ったその一瞬の間に、大雨が道路を濡らした。私たちが自転車に乗る時間を守ってくれていたかのようで、なんだかとても感動した。帰りには、もう第二回の計画を話し合っていた。次回は、横浜。みなとみらいを駆け抜ける!今度は私が、何か素敵な企画を持ち込もうと思う。とても忘れられない一日。ちょっぴり日焼けした肌が嬉しい。
July 10, 2004
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どれもこれも あれもそれも すべては 一刹那の憧憬 だからどうか 素直な心を ***昨日は大学の後輩と代官山へ。彼女は就職活動を、粘って粘ってやっと内定・・・の本当手前という状態だった。本当に、見ていてもよくがんばったなぁという感じ。代官山は、学生時代に友人と訪れて以来。その頃は、まだ代官山が流行りだした頃で、工事中のお店も多かったので、ちょっとは変わったかな?と思いながら楽しみに訪れた。道端に止めてある自転車や、道を行く犬さえもとてもおしゃれで歩いているといつのまにか背筋がしゃんとしてしまう。私たちはとってもおなかがすいていたので、とおりに面したお店に入り、お昼を食べながらいろいろなお話をした。人って、”こうなりたい””こっちにいきたい”と念じるように強く思い続けて行動してたら、やっぱり自然とその信念を叶えていけるものなんだろうか。彼女と話していてそんなことを思った。でも、それが就職だったりどこかへ行きたい、とかだったりどちらかというと対象が”動かない”場合はいいけれど、人の気持ちが介在してる例えば恋愛とかだったら、そうはいかないこともあるんだろうなと思う。でも、”会いたい””気持ちを伝えたい”そう強く思うとそういうふうに道ができていくと感じる瞬間が時としてある。だからいつも正直に素直に、念じてしまう。その後お店を出て、軽い足取りで二人で並んで歩きながら、素敵な雰囲気のお店に入っては、”これかわいいね!””でも高ーい”なんて言いながらふらふらしてた。お互いになんとなく体調が良くなくて、夕方にはバイバイしたけど、なんだかひとつひとつの情景が、とても忘れられない一日になった。ひざしを吸収するパラソルに守られて、テラス席で寄り添う外国人の夫婦。真っ白なレンガ風のお店の屋根を朱色に染める夕日。フォトグラファーが撮った写真を次々に眺めているような、そんな新鮮な感覚に陥る、代官山とはそういう街だ。彼女の内定が本物になったなら、近々連絡がくるはず。全然うまくいかないときの悩む彼女を知っているだけに、もう、待ち遠しくて、今から涙が出そう。どんなサプライズしようか、色んな考えが頭に浮かんでくる。今日は父の誕生日。51歳。再来週は母の誕生日。51歳。同い年、同じ星座のうちの両親。母が電子レンジで作れるというインスタントのケーキを作っていてくれて、私が9時頃帰宅してからちょっとだけお祝い。”あと30年って思うと、不思議な感じだなぁ”と父がおどけてつぶやいた。今の私なら、”あと30年たったら両親と同じくらいのおばさんだぁ!”という感じだけれど、あと30年たったらこの世にいないんだ、と思うときのその感じって一体どんなだろう?”30年後とはいわず10年後には、Tomomiも結婚して 子供が幼稚園行ったりしてるかもねぇ”なんだか、10年後の自分を想像してみたら、胸が熱くなるような気がした。なんだか、そうやって、数年後、数十年後の自分を想像できるって、すごく幸せな事のような気がした。先の事なんかわからないけれど。でも想像するのって本当に自由だもの。私は、いつか女の子の母親になって髪の毛を結ってあげたりするのが夢。家で家族の帰りを待って美味しいご飯を作るのも夢。いつかそうやって、今はこの世に存在しない子供とめぐり合う時がくるのかもしれないと思うと、意味もなく胸が熱くなった。”その前に、結婚するのが先だけど”という母の一言が心を冷ますまでは(笑)。人生の中で”好きだ””行ってみたい””会いたい””こうしたい”そんな風に自分から思う、自分の心が勝手に思うという状態は、トータルで考えてみたらもしかしたらそんなに多くはやってこないのかもしれない。だから、そんな時は、思い切り念じてみる。その思いが叶うようにと。大好きな”魔女の宅急便”の中で、飛べなくなったキキが友達を助けるために、借りたデッキブラシにのっかって”飛べ!飛べ”と念じる場面が大好きだ。念じる気持ちが最高潮に達したとき、デッキブラシもキキの髪も突然殺気立ち、飛び上がるんだ。そのくらい強く強く念じれば、きっと叶う。叶わなくとも、どこかにポッと、道が開けてくるはず。そう信じて、今日も明日も思いつづけたいと思う。
July 4, 2004
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今週は、毎日残業していた。会社を出るのが10時、という日が多かった。でも不思議なことに、私の身体はあまり疲れてない。家についたらすぐに寝てしまうけれど、朝は目覚ましがなる前に目がさめるし音楽を聴きながら大好きなバラの香りのなかで、澄んだ気持ちで準備を始めている。定時は5時20分だが、その後はみんなそれぞれ仕事の調子によって、帰る時間はばらばらだ。部長が早く帰ることもあるし、私のような新人が残ることもある。とても自由だ。多分心が疲れないから、身体が疲れないんだろう。入社したてのころ、毎日定時にあがっていたのに、ひどく疲れてベッドから出られなかったのを思い出す。やはり身体は心だし、心は身体だ。昨日は、友達と仕事の後食事に行こう!と前前から約束していた。もう数ヶ月前からの、約束だった。私は「今日は早くあがるぞ!」と思い、朝もちょっと早く出社して、なんとか定時には仕事が終わりそうになった。という所で、後ろの席の、輸出物をのせる飛行機の予約をする部の方から・・・「書類、だぶってません?」はぁ。同じ輸出物についての書類を作ってしまったのだ。もちろんそれは無駄な経費になってしまう。しかも金額も小さな単位ではない。急遽、お食事計画もキャンセルになり、その後、その一件が済み、やった!と思ったら、もう、夜も深く。そんなこんなで昨日も10時だった。主に私に仕事を教えてくれている人がいる。入社2年目で、私と同い年。目の前の席だ。色々な人が、いろいろな面で助けてくれる、導いてくれる今の職場だけれど、この人の教え方って、すごくすごくわかりやすいのだ。「なるほどー!」と思うことが何度もあった。どうしてこんなにわかりやすいんだろう、と考えた。全く意味不明な事が、彼の言葉を通して耳に入ると、真っ白にシンプルに、心に残る。そう、それは、感動にも似た気持ちだった。「わかる、わかる!」「なるほど!そうなんだ。」私は、水を得た魚みたいにどんどん新しい事を生き生きと吸収し始める。そして気づいた。彼が「わからない人の気持ち」をすごくわかっているというのが全ての理由なのだ、と。目線が同じなのだ。彼も、入社した頃は、言葉の意味から何から全くわからなかったという。それから、わからないことを何度も聞ける雰囲気をもっている。私はいくら新人と言っても、自分の仕事を持ってる周りの人に何回も聞くのも悪いなと思ってしまい、なるべく一回で覚えようと気張ってしまう。「これわからない・・どうしよう」と思ってから、実際に尋ねるまでのほんの数秒間が心にもたらす疲労は、粉雪のようでも確実にしんしんと、心に積もっている。でも正直、一度で分かることなんて、たかが知れている。そんな私の様子をわかって、「わからなかったら、すぐ聞いてね」って言ってくれる。私が昨日のようなミスをしても、何をしても、絶対に嫌な顔をしない。面倒な顔もしない。いつも穏やかに、丁寧に対応してくれる。誰だって人間だから、面倒に思うこともある。頭に来ることもあるだろう。それを人に悟らせないコト。それは、1つの”才能”であるとも、思う。そんな色んな要素がまざりあって、「すごくわかりやすいな」という印象を彼に持つのだろうと思う。今の仕事をがんばろう、と思えるのも、一番最初のこの時期にこうしてわかりやすく、面白いなと思える教え方で導いてもらったおかげだと思う。彼がいなければ、仕事をやめていたかもしれない。大人になると、「初めて」のことが減ってくる。でもそれでも、初めてのことに戸惑う事ってまだまだある。そんなときに出会った1つの優しさ、”キョウカンリョク”を私はこれから何日働いても、別の場所で働く日がいつか来たとしても、ずっとずっと、忘れないと思う。社会人としての、働くひとりの人間としての、原点でありつづけると思う。
July 3, 2004
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過ぎていく日々を眺める 両手に同じ おもりを持って ***社会人になって痛烈に感じること。私の仕事は、パソコンを使う事が多い。目の酷使しすぎで、目が真っ赤になり昨日は昼休みに眼科に行った位。輸出入の記録や請求書はとても大切なもので、そそっかしい私はいつも、なくさないように、捨ててしまわないようにきちんと書類整理をしなきゃならない。次にすること、優先しなきゃならないことを考えなければならない。私は、理論的な事や、きちんと順番にやる、という事が昔からものすごく苦手。学校でも、定期テスト前になると急に本やら紙やらで部屋は足の踏み場もなくなり、髪を振り乱していた。「なんか音楽家みたいだね。急に机に向かいだしてベートー ベンみたい。」とよく家族に言われていた。それにとても衝動的。気づいたら急に計画して旅先にいたり。そんな私の衝動的な部分がとんだハプニングを起こしたことも数知れず。なのに勇気を出さなきゃならないところで極端に慎重になってしまったりするからどうしようもない。でも、そういう今までの私に欠けていた物が今の仕事によって補われているような気がするのだ。働き始めてから、なんというか、”芸術的なもの”への欲望がすごく高まっているのを感じる。思い切り絵を見ることに浸りたい。展覧会に行きたい。おなかから声をだして思いっきり歌いたい。真っ白なキャンバスに絵を描きたい。ピアノを弾きまくりたい。会社からの帰り道、思わず歌を口ずさみそうになっている自分に、我に返って驚いた。人間て、やじろべえのようなものかもしれないと思う。先週久しぶりに、アルバイト先の塾が私を呼んでくれてすごく久しぶりに生徒を教えたのだけれど、ずっと教える事しかしていなかったあの頃より、一分一分に重みを感じて授業をするようになっている自分がいた。あの頃とは何かが違っているような気がした。それは多分、電話や会議以外に口を開くことのない今の仕事と、教えるという仕事が丁度両極にあるからだろう。でもその感覚は、とても心地いいのだ。人間て、やじろべえみたいだ。静と動。嬉しい と 苦しい。得意と苦手。自分にとっていいと思うものばかり、好きだと思うものばかりが私を本当に幸せにするとは限らない。だって今の私は、働き始める前よりずっと自分と仲良くなれた気がするから。(追記)とても久しぶりにソウルからの国際電話で慶ネエと話した。喧嘩もした。本音の話し合いも沢山した。声を聴いた途端、すごくすごく会いたくなった。どうしてこんなにも会いたいか?どうしてこんなに離れていても、国境をはさんでいても、近くに感じ、信じることができるか?それは相手の自分に対する気持ち、そして自分の相手に対する気持ちに一点の曇りもないと言い切れるからだと思う。就職が決まった事を話し、「やっとこれからはお互いの仕事の話ができるね」と言われた^^;それにかつて彼女が会社員時代にしていた仕事と同じなので「やっぱりTomiは私の妹だね」とも^^;いつかまた必ずソウルに行きたいなと思う。
June 30, 2004
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またいつか 会えるだろうか 果てしないこの地面を どこまでもまっすぐに行ったら ***『地球とセックスしたい。』なにか旅ものの本を書店でぱらっと開いたときに飛び込んできたこの言葉が忘れられない。生きることへの渇望とか、衝動とか、何かを知りたい気持ち、追求したい気持ち。生きたくなったり死にたくなったりどうでもよくなったり。人の笑いじわとか涙とか、汗で光る頬とか。そんなものを全てひっくるめて、私たちの欲望、きれいな言葉で言えば希望、を本当にぴったり表したフレーズという気がする。私は、なぜか床にうつぶせにはいつくばるのが好き。青い草の光る土手や、砂浜、ひざしの照りつける焦げた地面。自分の部屋のじゅうたんの上でも。うつぶせに寝転がっていると、地球に抱かれているような気持ちと、地球を抱いているような気持ちが交差して、体じゅうのあらゆる物質が、音を立ててまぜこぜになる音を聴く。最近は、なぜか、aikoのカブトムシと、ソウルを旅していたときによく聴いていた、”冷静と情熱のあいだ”のサウンドトラックを交互に聴く。音楽は、それを聴いていた頃を髣髴とさせる。会社に行くことは、楽しいと思えるようになってきた。もちろん今でもお休みの方が好きだけれど、私は会社に行くようになってから、色々な面で考えがとぎすまされてきたような気がする。現実にあるまさに今の時間を一生懸命過ごしながら、音楽を聴いて心のどこかで過去を回想する。明日の事を考えながらこういう音楽を聴いていると、つくづく思う。「過去を食べて今を生きてるんだ。」私は写真を撮ることが好き。一時、祖父から年代物のカメラをもらった頃に、景色や、人の表情をとる事に夢中になったことがあった。でも、カメラを片手に。たまりゆく写真を横目に。ふとある時、実感した。何もかもは、ファインダーにおさめて切り取られたその瞬間に過去のものとなってゆく。悲しいとも、切ないとも違う、とても、とても、とりとめのない気持ちになったのを覚えてる。冷静と情熱のあいだに、ぬるま湯のような深遠でとろみのある空間が存在するように、過去と未来のあいだにも、ミクロの境目を含む何かがあるのだろう。それが今は見えなくとも。もしかして一生わからなくとも。自分の過去をがつがつとかじりながら、それをエンジンに走りつづけるような、日々を送りたい。****************************************************ソウルの旅中に出会った高校生の女の子、ちせちゃんから手紙が届きました。彼女はとてもイラストが上手で、真っ白な落書き帳は彼女の手にかかると、本当に素敵なサプライズに大変身。うつりが悪いのですが紹介します。二枚目は、私の似顔絵! ************************************************番外編:最近とても胸がきゅんとして涙が出そうになった、詩を紹介します。 「私が」 私が あなたのもとを おとずれて あいしていると 言いますね 私が魚の姿をしていたり 鳥の姿をしていても それは 私ですから ちゃんと 伝えにいきますね あなたのまわりの あなたに見える いろんなものにみせかけて (poem by Natsuo Giniro)************************************************(追記)今週初めに、大学時代からの友人の祖父が亡くなったという事を、さっき知りました。彼は公務員試験に向けてがんばりつつ、通院の送り迎えなどしていたようです。「同じ地球にいたのにね。同じ地面に足をついて、 生きていたのにね」人の死の何が悲しいかと言ったら私にとってはこういう事です。私も、祖父を思い出せば今も泣くことができる。ただ、素敵なことにも気づいています。嬉しいとき。幸せだナと感じる時。一瞬、ほんの一瞬、視界の本当に隅っこが光るのです。きらりと。それは祖父なのだ。人には言わないけれどそう思って少し微笑みます。そんな気持ちを、友人に捧げます。
June 26, 2004
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優しい手のひびきを 安らかな言葉のつらなりを 私を癒すすべてのものに ***今日は11時から美容室へ。私はずっと、いい美容室を探していた。今まで、ウルトラマンみたいにされてしまったり、一度行くともう行かず、転々としていたのだ。近所の友人の紹介で足を運んだ美容室。もうそこに通って今回で4回目になる。いつも、その友人もオススメの、女性の担当の方を指名させていただく。私は、”職人”の手を見るのが好きだ。一日15人以上の髪を切るという彼女の手。すばやく動いたり、優しく髪を整えたり。見ているだけでうっとりしてしまう。ハサミやくしを沢山いれて腰にぶらさげている皮のバッグ。仕事がしやすいように束ねられた長い髪。似合う髪形にとことんこだわる真剣な眼。「仕事をする姿っていいなぁ」と、鏡の中から理屈なく想う瞬間。今日は、11時ちょうどくらいに店を訪れたが、50分くらい、待った。というのも、日曜日は、予約をしても遅れて来るお客が多く、時間がずれ込んでしまったのだということ。私は今日、その後特に予定もなかったので、全然構わなかったし、ずっと読みたかった雑誌が沢山置いてあったので待ち時間の長さも忘れていたのだけれど、スタッフさんたちの対応がとても丁寧だった。最後には、お詫びのしるしにトリートメントまでして下さった。この美容室は、本当にサービスが行き届いていて温かい。途中で出してくれるお茶は、桜の花びらの入った甘い紅茶。私は母にもここを紹介したのだが、母曰く、「お手洗い大丈夫ですか?と聞いてくれる美容院は珍しい」との事。確かに、なかなか散髪中にお手洗いには立ちにくい。ここでは必ずきりのいい時に聞いてくれる。ここでは、肩だけでなく頭のてっぺんからマッサージをしてくれる。以前、仕事中に、肩ではなく”頭が”こってしまい、どうしようもない事があった。頭もこるものなのかな?私の頭が大きいから??などと密かに本気で思っていたので、聞いてみた。すると、頭も肩と同じで、重力に逆らっているから、凝るのも当然なんですよ、との答え。だから自分で肩をさするときは、頭も指先で抱え込むようにしてマッサージするといいとの事。今日切り落とした髪は、辛いことをいくつも乗り越えてきた髪。苦しい気持ちとも、緊張していた気持ちとも、会社を辞めたいと思った気持ちとも、すべてこれでお別れ。***今日は父の日。普段とは違う父の日でもある。父は明日から入院するのだ。とはいっても、何か大きな病気、というわけではなく一週間で退院してすぐ職場復帰できる全く心配のない入院。でもそれでもやっぱり嫌なもの。不安なもの。せめて前日の今日は、家族で夕飯をとろうということになり、いつも週末=外泊、の弟も家にいた。私は美容院の帰り、スーパーに寄ってみた。母の日の贈り物はいくらでも思いつくけど、父の日となると本当に難しい。パジャマなんてあげても、家では下着しか着ないし、ブルーカラーなのでネクタイもシャツもいらない。ビール1ケースといきたいところだが、明日から禁酒・・。結局、母と相談してケーキでささやかにお祝いしようという事になった。100円ショップで画用紙を買ってきて、カードを作ってみた。というのも、うちの近所のスーパーは本当に使えず、父の日の特集をしているのは紳士服売り場だけなのだ。 いかがなものでしょ?写真は、携帯の写メールをPCに転送して印刷してみた。私にそっくりでしょ?いやなんだけど(苦笑)私は最近就職したが、こうしてきちんと就職できるまで家にいることができたのも、父のお陰だ。まだなかなかきちんと恩返しができないけれど、いつかしたいと思う。そんな風に毎日色々な情景を目にしながら過ごしているうち、私はいつしか胸の中に、毎朝胸をつかえさえていたかたまりがなくなっているのに気づいた。「やめたい」という気持ちは「頑張ってやろう」という気持ちに、「行きたくない」という気持ちは「行くなら頑張ろう」という気持ちに。そしていつの時も、私を支えるのは”人の気持ち”だということにも。私が仕事を引き継いでいる様子や、緊張している様子を、見て理解してくれている人は案外沢山いた。さりげなく、共感の声をかけてくださったり、自分の入社時はこうだったよという話をしてくださったり。その一つ一つがあたたかくて、涙が出そうだった。大人になっても、まるで子供みたいなことで悩んだり、不安になったりすることが多くある。そんな自分を恥じてもいたけど、今はこう思う。私たちは純朴な少年少女時代を過ごし、少しずつ色々な事を覚え、大人になっていくけれど、”大人”というその呼び名のもとに、子供のままの自分の姿を無意識に押し隠してしまうのではないかと。大声をあげて泣いたり、うれしくて本当に走り出してしまったり、怒鳴り声を上げて怒ったり。時にはそんな風に感情を露にできる大人を恥ずかしいと思わない。PS昨日の日記に、”好きな時間帯”に関する意見をいくつかいただきました。そこで皆さんの好きな時間帯や季節、情景などを聞いてみたくなりました。ぜひ教えてください。
June 20, 2004
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この前、お風呂に入った後に部屋に戻るととても暑いのでカーテンのすき間からもぐって窓を開けてみた。どんなに空気が熱くても、風が凪いでいる。そとは意外に涼しい。風につられて、私は裸足のまま、ベランダに出てみた。真っ黒な夜も、夏に向かうとだんだん紺に近い色になっていく気がする。その紺色の中に、木の葉が揺れるのや、細い電線があるのとか、そういうのがかすかにわかる。時々遠くに聞こえる電車の過ぎ行く音は、毎日聞いているのになぜだかとても懐かしくて。そう、この世にあるあらゆる時間や景色、物音の中で、一番すきなのは?と聞かれたら。暑い暑い夏の日に、縁側で今みたいに風に吹かれている。部屋の中では、高校野球の声援がテレビから漏れていて、プールに入ったあとみたいなけだるさが身体を襲っている。そんな、夏が始まるのに何かが終わっていくような、はかなげな時間が好きだと答えていた。そしてベランダにいる今みたいな時間もとても好きだ。風は私にぶつかりよこみちにそれていくものだけれど、この時間帯、風は私を通り抜けていくような気がする。私は透明になって、暗闇の中に溶けていく。そしてまたまっさらになって戻ってくる。朝は何事もなかったかのようにやってくる。沢山の喜びや、悲しみ、苦しみ、驚きの毎日の中で、唯一変わらないこと、それはいつも必ずこういう夜が来て、朝が来て、その繰り返しだと言うこと。そんなことに静かに気づく。会社にはだいぶ慣れた。毎朝胸につかえていた、いやだなという気持ち、会社に背を向けたくなる気持ちなどが凝り固まった物が、気づいたらなくなっていた。楽しいと思えるようにもなっていた。会社に行くようになってから、”循環”を体感する。よく半身浴は身体にも美容にもいいという。体中の血流が良くなるから。身体にいいこと、心にいいことは、”循環”しているものが多い、と最近思う。運動することも、おいしく何かを食べることも、眠ってすやすや寝息をたてることも。頭をフル回転させて働くことも、恋をすることも。笑っているとき、「幸せだな」と感じる時、頬が紅潮するのはそのせいかもしれない。体中をかけめぐってる血液を思い切り循環させよう。もっと速く、もっと熱く。明日は美容室。髪を切る事は、体中にある澱のようなものをそぎおとす事。もっともっと透明な自分になっていく事。暗闇にうかぶ、確かに形ある自分。木々や電線と同じように、偶然ヒトの形をしてここにある自分。静かな夜に、その不思議さを思う。
June 19, 2004
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どんな平地に見えても いつも滑稽な つなわたり 足の指を真っ赤にしながら 私もそう みんなそう 続く足跡をみながら 遠い草原を ながめながら 今日も 砂のつなの上を ***会社に入り2週間が過ぎた。2年にも思えるような日々だった。温かい人ばかりの、問題ない職場と以前書いた。難しい仕事も、だんだん覚えてきて、なんとかなってきた。でも私はつい先日、通勤途中に胃がとても痛くなり、会社のある駅についてホームの椅子に座り込んでしまった。その日の朝は、起きたときから「いきたくな~い!」と強く思っていた。どんなときも、めったに緊張しない私にとって初めての体験だった。「え?何も問題ないのに、なんで?」とても人たちが優しい。でもそういう環境では逆に、気を遣ってしまう。そんな、まるで言葉遊びみたいに矛盾した理由だった。よく考えてみると、今までの学生時代までは、好きな人とだけ、好きなだけつるんでいられた。自分や相手が求めていない人とは、特に意識することもなく自然に遠のいていた。熱く、深くつきあうことが日常だった。でも”中途半端に表面的で、オフィシャルな環境”今の時点での私のいる場所は、そうだ。私は今までの人生において一度も、そういう環境に身を置いたことがなかったのだと、はたと気づいた。どうも慣れないというか、戸惑ってしまう。笑顔でいても、普通にしているつもりでも、心が疲れてしまう自分がいる。人好き、話好きな自分が、気を遣うあまりうまく話せない。^その後、会社に早くついてしまい付近のコンビニでふと手にとった雑誌。投稿欄に、まさに今の私をあらわすような文章があった。”みんな温かくていい人たちばかりなのに、仕事を覚える事に 気を張ってしまう。先輩達に気を遣ってしまう。会社にいる と、自分が自分でないような気がする。”そして、就職活動をしていた頃、ずっと紹介を待っていた、母校での仕事。あれだけ待ち焦がれてもこなかったのに、おととい、連絡が来た。本当に人生とは、タイミングだなと思う。恋愛もそうだ。人を好きになりたい、そう思っているとき恋人は現れない。ただ生きることに力を傾けているとき、ふと訪れたりする。今の仕事をやめて移ろうか、という考えが頭をよぎった。そう思いながらデスクにいる私を呼んだのは部長だった。「2週間くらいたったけど、どうですか?何か困ったことは ないですか?」本当に優しい部長だ。何でも言って下さいね、とのあたたかい言葉に、「やめようか迷ってます」とは言えない。そしてその後デスクに戻りしばらく仕事をしていると、上の階からやってきた庶務の方が、私の机に何かを置いた。私の苗字と切り替え式の日付の入った、職印。私の名前と、会社名がくっきり印刷された、名刺の束。やめようという考えは、捨てるしかないと思った。そしてその数分後に、パソコンに社内メールが入った。タイトルは”いざ、ご挨拶!”(笑)最初の一文目が、”初めて自分から、人に運命を感じたの!”私の次に新しい、私と同い年の女の子からだった。私の職場は、年上の方が多いので、私が入ったとき、私をよろしくと部長にことづけられていたそうなのだ。同じフロアにいても、仕事が違うので接することはなかった。私はそのままメールの返事を返し、帰りに彼女とカフェに行った。普段のテンションで、他愛ない話をして意気投合したのは、なんだかとても久しぶりな気がした。初対面なのに、本当に集中して沢山話した気がする。彼女は、前の職場が残業150時間という辛い職場で、やめてここにきたのだけれど、辛い仕事を乗り越えてきたというのが、魂の強さになってそこにある気がした。逆境は人を明るくするんだと思った。会社を辞めたい、やめよう、という気持ちから、もうちょっと、やってみよう、という気持ちへ。脱落から浮上へと、一瞬の移り変わりを味わった今日という一日。そんなこんなで、だいぶ肩の力を抜いて過ごせるようになってきた。もうわかりきっていると思っていた。自分の事なんて。今になってまざまざと気づくことがこんなにも多いなんて。私は強くないこと。情けないこと。よわっちいこと。こんな今の自分を、笑って振り返る自分がいつか現れるんだろうか。
June 11, 2004
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わたしたちはむかし 家の裏の 果てしなく続く花壇を 息をひそめて 横目でみていた 小さなきこりや めがねのうさぎ 不思議な魔女が 出てくる気がして あれから何が変わったのだろう 花は今でも 咲きつづけている ***遊びにはやっぱり、「子供の遊び」と「大人の遊び」ってある。大人がジェニー人形で友達とままごとなんてしないだろうし、子供が飲みに行って騒ぐなんて事もないだろう。小さい頃、幼馴染とジェニー人形でよく遊んだ。お互いに、誕生日やクリスマスなど、何か買ってもらえるときは必ずジェニー人形だった。ヘアスタイルや顔つきの微妙に違うジェニーが、お菓子の箱に並んで眠っていた。私はある日、ジェニーと一緒にお風呂に入った。そしてあがってから、ジェニーの髪の毛を乾かすため、ストーブに当てた。すると・・・あっという間に髪の毛は縮れてしまい、「アフロ」に。私はものすごくショックでショックで、泣いた。母が「最近は、パーマも流行ってるじゃない。」と言うのを信じて泣き止んだ記憶がある。(そんなパーマあるかよ!というくらいすごい髪形だったのに)学校に行き始めると、生活の主体も遊び場も学校だった。中学でも高校でも、遅くまで学校に残り、遊んでいたものだった。放課後の教室や廊下は、なぜかミステリアスで、胸騒ぎがした。夕日が教室の机やいすに斜めに当たるのを見るのが好きだった。子供心にとても好きな時間であり、場所だった。大人になりお酒が飲めるようになると、のみに行ったり、自分で使えるお金ができて買い物をしたり、街を歩いたりカフェに入ったり。知らず知らずのうちに、遊び方が変わっていくことは、よくよく考えたら不思議で面白いことだなと思う。でも・・・・大人がかくれんぼしちゃいけないっていうこともないし今は子供もとても大人びていて、中学生も飲みにいったりしていたりする。このホームページを開いて最初の日記に書いてあるけれど幼馴染と公園で打ち上げハナビをしたことがある。もう秋の風が吹き始めた頃で、出向いたホームセンターにはハナビも数少なくて、それでも大きなパック詰めになったのを買って、怪しげに夜の公園へ歩いた。あけてから気づいたが、ほとんどが大きな音をたてて派手に飛ぶようなハナビで、とても過激だった。だけど、静かな夜の空に飛ばしたわたしたちのハナビは、とてもとても綺麗だったように思う。次の年には、仲良くなった留学生の仲間を連れて隅田川のほとりでハナビをした。はかない線香花火に目を細めながら、時々過ぎ行く屋形船を眺めたりしていた。小学校・中学校の頃の私は、かなりのいたずら坊主で、本当にいろいろないたずらをした。先生を困らせることも、たびたびあった。勿論、深刻に良くないような事はしなかったけれど、あのスリルは、子供特有のものだろう。今、"Charinko in Ginza"というのを計画してる。都内には、自転車が一日500円で借りられるところがあるらしい。知ってましたか?都内で自転車にのろうなんて、まず思わないから、私はそれを教えてもらったとき、とてもおもしろいなと思った。銀座の街を、”自転車で”走る・・・・。そんな夢みたいな楽しいことってあるかしら??と私の心は一気に弾んだ。自転車といえば、軽井沢。二人乗りの自転車があちらこちらでレンタルされている。私はそれに病みつきになり、軽井沢に行くと必ずレンタルする。微妙なバランス感覚を保ちながら木々の中を走り抜けると、なぜかケラケラと笑いがとまらないのが不思議。銀座といえば、私なんて買い物するのにも恐れ多く感じてしまうくらい、高級で”普段着では行けないな”と思う街。だけど、普段着で銀座を走り抜けたら、また違う印象がこの街に生まれそうだ。大人だからできる遊び、楽しい遊びが、この世には沢山あふれている。それでも時々、こうして「少し子供めいた」ような遊びが、恋しくてたまらなくなることがある。そんな時はいつも、小さい頃に感じた、小さな心臓が皮膚を乗り越えて飛び出してきそうな感じ、なんともいえないスリルな感じがよみがえる。
June 5, 2004
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おととい、友人の日記をトラックバックで引用して、"hug"についての文章を書いた。そして今、メールや私書箱を開いてみたところ、それについて多くのメッセージを頂くことができた。"hug"について私が思うことを書きたいなと思う。人間が、心と身体を持っている意味・・・。私は、「心と身体」が響きあっているのではなくて、身体は=心だし、心は=身体だ、と思っている。だから、人の身体を「抱きしめたい」と思うのと、気持ちを包んであげたい、支えてあげたい、と思うのはすごく似ている、同じに近い、という気がするのだ。以前、伊豆の方へ友達と旅行に行ったことがある。普段からいつも馬鹿なことを言い合っている普通の友人同士。私たちはお金がないので本当に古くて怪しげな宿にとびこみ宿泊。部屋には大きな布団が一枚だけ。でも女二人が寝るには小さくなかったので、疲れていた私たちは、夕飯も食べず、布団に入ってしゃべりながら、持ってきたお菓子をだらしなくつまんでいた。話は急に、彼女の失恋の事に発展し、彼女は少しずつ、涙ぐみ始めた。悲しいときは、思いっきり泣くのがいいと思うし、私は何の言葉もかけられないまま、黙って話を聞いていた。その後は一瞬の展開だった。彼女が私に思い切り抱きついてきたのだ。わめきながら。その瞬間、私の目からは涙がとめどなく、溢れ出した。なんといえばいいのだろう、「泣く」時って、いくら自然にこぼれる涙でも、「あ、これから涙があふれる」って一秒前くらいには自分で分かるもののはずだった。でもそのときにはなんというか、ぶつかってきた彼女の体温が、私の目の奥にあるありとあらゆる液体を、放出させたという感じだった。思わずシャワーから手を離してしまい、床にころげたシャワーからあらゆる方向へ水が飛び散っているみたいに。予告もなく、すべては一瞬のうちに。彼女の失恋の痛みは、話を聞いているだけでもよく分かった。私も辛い失恋をしたことがあるから。でも・・・・今でも鮮明に思い出すことができる。私の身体にぶつかってきた体温を、「心がぶつかってきてる」とこんなにも感じたことを。hugは正直だ。hugをもらってそこに気持ちがあるかないかは、すぐにわかる。「ばいばい!」のさよならのhugでも、たった一瞬でもわかる。気持ちのないhugは、いくらもらってもむなしい。hugにこもった気持ちをピピッと読み取るのは、人間の持つ1つの本能、能力のような気がする。私は時々、都会の街中のスクランブル交差点で、信号が青めき、大勢の人が行き交うのを見ていて、自分もその中の一部なのに急に透明になってしまったような気がして、くらくらとその場にしゃがみこみそうになる事がある。あぁ、私は生きているのに。ここにいるのに。どこにいるんだろう。人波にのまれ、ながされてゆくよ。そんな時だ。hugがとてもとても欲しくなるのは。人はhugされることで、自分が形ある存在・・・腕で捕まえることのできる、かたちある存在なのだということを、実感するのかもしれない。透明なんかじゃない、流されてなんかない、私はここにいるよ。そう、だからhugは、愛情表現の手段だという前に、自分が今ここに確かにいることを確認するための方法。人が絶えず求める、方法なのかもしれないと思う。
June 3, 2004
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今日も会社、行ってきました!!(もういいって^^;)今日は、結婚されて昨日まで休んでいた方が出ていらして、本格的に私への引継ぎが始まった左指の薬指には、ダイヤがきらり・・・!あさってからエーゲ海に新婚旅行だそう。幸せオーラをわけていただいた。仕事は・・・本当にぞっとするくらい、大変だ。皆優しく教えてくれるし、部長も「少しずつでいいよ」とは言ってくれるのだが、いつまでもできないわけにも行かないし・・・・私は、まず”貿易”というものがどういうしくみになっているのか、そういうことすら知らない。今日やっと少しつかめてきて、「物を出荷するって大変なんだなぁ」とつくづく思った。そうそう、書類を作ると、必ず部長に”職印”という、名前と日付の入ったハンコをいただかなければならないのだが、「職印いただけますか」といわなければならないのに、「職安いただけますか」と言ってしまった・・・もう、就職活動は終わったんだってば!!あとは、急にファイルが机からなだれ落ちたり、すごく心配していた私のそそっかしさは全開の予感。始業が8:50なので、私は新人だし、40分には机に座っていた。でも、50分になっても、オフィスには数人・・・・・。「みんなこないですねー!」と、隣にいた方に聞くと「あー、今日、雨だからねぇ」という返事。すごくのんびりしているなぁ!でも、どこからともなくみんなだんだんやってきて(笑)仕事中はものすごく真剣。一人一人、わりと独立した仕事をもっているから、みんな自分のペースでやっているのだろう。ぼーっとそれを眺める私だったそんなこんなで、2日目、無事終わった。あと3回は、がんばって行かなければ。と言っていると父に「ともみはサザエさん症候群になるかな?」と言われてしまった。サザエさんの時間(日曜日の夜)になると、「明日から会社だ。」とブルーになる症状の事だ。でも、誠意を持って仕事をし、人に対しても思いやりを持って教わる姿勢で接しているなら、あとはちゃんと自分を持ってペースを守ってやればいい。仕事中、時々、「やっぱり先生の仕事がしたいな」と思ったりする。いやむしろ、いつか必ず戻ってみせる!そして「教える」道を極めるんだ、そういう思いはもう明確なものとなった。でも、今している仕事が、いつどういう形で役に立つかわからないし、一生懸命やるつもりだ。今日、帰ってきたらすごいことに気づいた。私の会社は制服があるのだが、私のはまだできていないのでスーツ出勤して仕事もそのまましていて、名札をつけたまま、最寄駅まで帰ってきてしまった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・トラックバックをはじめて使ってみます。海外の友人は確かにみんな、男女関係なく、会ったとき、帰る時、HUGを交わす。わたしはそのHUGがとても好き。あたたかくて、安心して、本当にほっとする・・・・。時々無性にHUGが欲しくなる。スクランブル交差点のまんなかで。夕焼けのかえりみちで。と、めちゃんここの日記に共感しました。http://plaza.rakuten.co.jp/emi55k/diary/200405270000/#2004-05-27
June 1, 2004
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会社、いってきました!(遠足に行ってきた子供みたいですね^^;)朝は5時に起きる。でも、なんだか寝付けなくて、目覚ましがなる前に起きてしまう。会社のある駅には1時間前についてしまい、駅をでてすぐあるスタバで時間つぶし。そこから会社に行って一日が終わるまでは、夢のようにすぎていったあっという間の時間でした。まず、面接にもいらっしゃった部長につれられ、空き部屋で仕事についての説明を受けました。会社のパンフレットをもらったり、支社の説明やこれから実際にやる仕事についてなど。その後、座席表をもらい、各部・課へ挨拶。果てしなく頭を下げつづけ、頭に血が上りました。実は私はちょうど、おとといの土曜日に社内結婚して結婚式を挙げ、退職する女性の引継ぎだったんです。その方は今日はお休みだったので、別の方が私の指導をしてくださいました。どんな人たちがいるんだろう・・・・仕事、できるかな・・・・そんな不安は、一気に吹き飛びました。本当に、みんないい人達。勿論まだ初日ではありますが。ちょうど、私より数ヶ月前に入った人と更衣室で一緒になり話してみると、「本当にこの会社は、働きやすい」と言っていました。女性も多いし、年配の男性も多いのですが、女性特有の派閥なども全くないし、上司が威張ったりも全然していない。不思議な空気がそこにはありました。私のする仕事はいわゆる貿易実務で、こういう分野を全く知らない私は、本当にだめでした。でもなんとか、先輩に教えてもらって書類を作ったりメールを訳したり。今後、書類を書いたり電話に出たりもするみたいです。日本語でも電話応対は苦手です。仕事に関しては、不安ばかりです・・・。今は優しい先輩も、キレたりして・・・^^;オフィスは綺麗でもなく雑然としているのですが、耳を澄ますと中国語が聞こえてきたり(アジアの課のほうには中国人が!!)なかなか国際的です。私は米州部に配属になったのですが、その部の人たちが仕事の後、食事に連れて行って歓迎会をしてくれました。面白い人が数人いて、作り笑いではなく本当に沢山笑わせていただきました。仕事に関しては、まだまだしばらく大変ですが、気持ちよく働ける職場だから、頑張れそうです。早くペースを掴んで、仕事後や休みの日も有意義に過ごせるようになりたいです。掲示板やメール、今日の朝や昼休みのメールでの励まし、本当にありがとうございます。朝は本当に心細かったから、泣きそうでした(笑)やっぱり私は人に支えられて生きている、だから戦える。そう強く実感した日でもありました。5時間後には起きなければ。寝ます!!なんだかんだでかなり気疲れしました(笑)PS掲示板には、少し前からまた、掲示板内でお返事をさせていただくようにしていますが、今も必ずお返事しています。ぜひ見にいらしてくださいね。
May 31, 2004
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明日、初出勤。私、大丈夫なのかしら・・・・・・?そんな不安を抱えつつ眠りにつきます。はぁ、いつもはこの時間にもうすごく眠たいのに、今は全然眠くない。明日から、5時おき。2時間かけての通勤。なんとなく不安なので早めにでるつもりです。とにかく、何があっても、まずは金曜日まで、つっぱしる!!そう気合いを入れています。一緒に働く人たちはどんな人たちだろう?仕事、私にできるかな?ちゃんと私につとまるのかなあ・・・?今日、靴や定期券を買いにいったあと、図書館から借りたパソコンの本とにらめっこしながら、Exelの使い方の確認をしていたのですが(実は仕事で使ったことがない。)う~ん、「あ!表に色がついた!」「あ!合計が一発ででた!!」と感激しまくり。(全然進歩してない^^;)以前、派遣会社のスキルチェックで、表を指示に従って作り変えていくのですが、スタートと同時にどう誤ったのか表がどっかいってしまい、そのままひたすら探してタイムオーバー、という事がありました。う~ん。がんばらねば。沢山のおめでとう&がんばってメッセージをいただき、本当にありがとうございます。頭がいっぱいで、詩を書く心の余裕すらなくなっていますが、このページを見てくださっているあたたかな人達を思い出して頑張ります。なにはともあれ、5日間!!つっぱしります!!がんばれ、わたし!!
May 30, 2004
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気持ち的に相当安心してしまい、今日は目が覚めたらものすごい時間でした。横浜に遊びに行っている両親から、横浜の風景の写メルと、「洗濯物こんどいて」のメッセージ・・^^;しばらく部屋の掃除もできないかもしれないと、とりあえず、就職活動関係のものを整理しました。驚いたのが、リクルートから出ている求人雑誌「とらばーゆ」の冊数。積み上げたらひざの高さくらいになりました。とらばーゆ図書館ができあがりそうです。これを見て応募したことはあまりなかったけれど、同じように就職活動、転職活動してる方が特集されていたりして、それを見たくて買っていました。随分この雑誌には支えられました。履歴書の下書きや会社の資料なども捨てる捨てる。そして次に、写真の整理を始めました。「高校まで」「大学時代」「インターナショナル」「スノボ」「旅行」など、おおざっぱにテーマごとに整理しました。大学時代の写真はなぜか、飲み会や普通じゃない写真が多く、情けなく思いながらあまり見ないようにして綴じました(笑)こうして時々、掃除をするといつも思うのは、「道ってしらないうちに、後ろにできていくものなんだなぁ」という事です。それから、就職する事を、今までお世話になった人たちにメールや葉書で知らせるために用意しました。本当に思います。私が乗り越えられているのは、半分は私以外の人たちのお陰です。夜、今まで本当に、あらゆる面で私を支えてくれた友達と電話で色んな話をしました。仕事に関するいろんなアドバイスをもらい、彼女とは会社がとても近いので、「慣れたらAfternoon Teaに行こう」と約束しました。すごくやる気が出たし不安も減りました。そういえば、この会社での面談は、ちょっと笑えるものでした。会議室に通され、座っていると、3人の部長さんが、入ってきました。その威厳のすごいこと。記者会見みたいでした(笑)でも実際に話し始めるととてもフランクで、私の言うことも、とてもよく聞いてくださいました。そのうちの一人の方が、私ととても家が近いことがわかり、しばらく盛り上がりました。会社って、通勤距離が長いと敬遠されることもあるので、履歴書の所要時間には、かなりさばを読んで1時間、と書いていたのですが、すぐにその方に「1時間じゃつかないでしょう!2時間かかりますよ」と笑いながらつっこまれてしまいました。「うちの会社なら、まだ近い方だけど、もっと遠い所だったら 通えないですよねぇ」と言われ、「そうですね。新宿や渋谷なんて、もう旅行みたいです」と言ったら、どっと笑いが起きました。その後も、「趣味は何ですか?」と聞かれました。というのも、人間、仕事も大事だけど、遊びの部分も大事だから、聞いてみたいとの事でした。会社に入れば、いろいろなつきあいや、飲み会もありますし、仕事ができることもそうだけど、人間として人とうまくやれる事も大切だから、という事でした。そして話の中で「飲み会、大好きです!お酒、大好きです!」と言ってしまい、変な所で意気投合してしまいました。とはいえ、飲み会のことは心配ないのですが、問題は仕事です。PCや英語のスキルは、平行して伸ばす必要があります。でも、私が、実務経験がない事、仕事で英語を使ったことがないことを正直に不安だと話すと、「そういうものは現場で覚えていくものだし、テレビやラジオの 講座にあるような、絵に描いたビジネス英語というのは実際は あまり使わない。もっとくだけているし、やりながら覚えて いけばいいんです。仕事なんてそんなものです。」と、自己PRして自分を売り込まなければならない立場の私が逆になぐさめられていました。今まで受けた中で一番、ありのままの自分を伝えることができた、あたたかい面接だったと思います。会社の面接って、こちらが話していてもうなずいてくれないとか、とても嫌な感じを覚えることも多々、あります。採用する、しないに関わらず、面談をしているのだから、最低限、話をよく聞いてほしいなとはいつも思います。面接一つとっても、社会って本当に多様だと感じます。そんなこんなで、私の頭の中は不安でいっぱいです。明日は、通勤の靴や定期券を買ったり、ちょっとパソコンを勉強したりするつもりですが、本当に不安で胃が痛いです。「新しい環境にとびこむこと。新しいものに出会うこと」が何より好きだったのに、会社となるとそうもいきません。
May 29, 2004
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