I was born here.






最近、バイト先の後輩に、こんな相談をされた。
「生きてく気力、失っちゃいました・・・」

私より4歳も年下で、まだまだ夢も希望もありあり!の彼女のそんな言葉に、
私はひどく驚いた。

中学生のころにも、登校拒否の友人がいて、
その友人との日々からいろいろなことを感じた。

私の周りには、あっけらかんと明るく楽しくすごしている友人が多い。
でもその一方で、傷つきやすい心もち、悩み苦しんでいる友人がいるのも確かだ。

「生きてくって・・・・生きていく気力って何だろう」と、そのたびに考えた。
そして、私なりにたどりついた結論(まだ、結論といえるものではないけれど・・)。



小学生のころか、中学生のころか定かではないが、
国語の教科書にこんな文章が載っていた。
父と息子が二人で夜道を歩いている。
二人は、出産のために入院している母親のお見舞いに行った帰りである。
言葉少なに父と並んで歩きながら、
息子は「いのちが誕生すること」の不思議さを考えていた。
あの大きな母のおなかには、新しい命が宿っているのだ!
そしてふと思いつく。英語の授業で「I was born in Japan」
というフレーズを習ったことを。

ちょっと難しい話になるが、「生まれる、生まれた」という単語は、普通「be born」と受身で使われる。(生む、という動詞bearの過去・過去分詞形)
他動詞だからなのだが、簡単にいってしまえば、「生まされた」とかいて「生まれた」という意味になる。

その息子がその授業を思い出した後、このストーリーがどんな展開になるのかというところまでは、私は忘れてしまった。
しかしなぜか、こんな小さな国語の教科書の中の一節が、ふと頭をよぎったのであった。

私たちはみな、大切な命を授けられて生まれてくる。
でも、生まれてくるときは、みな自分で望んで生まれてくるわけじゃない。
生まれるというのは、受身的だと思う。

だから・・・・「生きていくのがいやになった」「なんか、死にたい」と思うこと。
それは、私はあってもおかしくない自然なことなんじゃないかと思っている。
だって、自分が望んでたてた目標でさえ、
途中でいやになって投げ出したくなることがある。
生きるという行為も、極論をいってしまえば、
自分が自ら自分に課した行為ではない。
よく、「死なんて言葉をいっちゃだめだよ」と、悩む友達に私は言ったし、
私自身も幼い頃から両親にそう言われて育ってきた。

でも・・・・・きっとそういわれることが、今つらい状況にいる人にとって、
一番つらいかもしれないと、最近は思うのだ。
確かにいうとおりなんだけれども。

それよりも、何かのきっかけで、縁があって与えられた命なのだから、
何かしてみよう。
せっかくだから、この世の中ってもんを、もうちょっと目で見て、触れて、
感じてみよう。
まだまだ知らない世界が、無限に広がっているんだから、
それを知ってからもう一回考えてみよう。
そうしてるうちに、もっと生きたいって思えるんじゃないか。

I was born here.

そんなふうに「生きる」ということをとらえられたら、少し楽になるんじゃないかと思っている。






© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: