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3日もブランクが空いてしまって、失礼致しました。ブランク長いは低音の魅力。…皆さまを低温にしてしまいました(苦笑)。重ねてお詫び申し上げます。さて、シリーズ「私の落語論」。文章どころか、自分の意見が全くまとまっていないうちから書き出してしまったので(苦笑)、客観的に改めて前2回の文章を読んでみると、自分で書いた文なのに、何を伝えたいのか支離滅裂(苦笑)。でも、とにかく「昭和の名人礼賛し過ぎ」のファンと、「落語の内容に『変化を求めすぎる』今のファン」に苦言を呈している、ということだけお判り頂ければそれでいい(笑)。あんまり高い文章力を求めないでください、私に。今日のテーマはこれ。「寄席の客よ!演者にもっと気を遣え!」「何で、客が金を払って気を遣わなきゃならないの?向こうが客を楽しませるんだろうが!」…という意見の方が殆どだろうが、私はそう思わない。上の意見がおかしいと思う人は、寄席にはあんまり行かない方がいいような気がする。ホール落語は、「ちゃんと落語を聴くんだ」という、ある程度の心構え(?)を持って観客が行く訳で、噺家も気合いを入れて(いつでも入れてるだろうが特に)、高座に臨む訳だから、あんまり上の意見は関係ない。しかし、寄席に行く場合。初めてでも、何回目でも。その際は「演者が、心地よく落語が出来るように、ある程度は観客も『仕事』をすべし!」というのが、私の長年の考えである。別に、「仕事」っつっても、高度なテクニックが要る話ではない。普通に笑い、普通に拍手をして、落語を十二分に楽しむ雰囲気を醸し出す。これさえ守れば、寄席マナーはバッチリなのだ。しかし…私も、もう13年くらい『寄席通い』をしているが、行くたびに思うのは、一部の客の「落語を聞く」という態度のレベルの低さ。「あなた、同じこと、歌舞伎や演劇でやれますか?」と言いたくなるほど。国立演芸場は別にして、都内には上野鈴本演芸場・新宿末廣亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場の4軒の定席があるが、どこでも大体、そういう客は目立つ。私が頻繁に行くのは末廣亭で、いつも高座向かって左側(下手側)の桟敷の前の方、というのが定位置。その辺にしか座らない。何でかというと、一つは都内の寄席で、桟敷席がここにしかないということと、視線の先がちょうど楽屋で、いろんな声が聞こえてきて面白い(笑)、というのが理由。そうすると、一段高い桟敷席だから、椅子席のお客がどういう姿勢で聴いているかというのが丸わかり。そうすると、態度の悪い客の目立つこと。末廣亭のみならず、私が特に嫌いな寄席の客の態度、というのを挙げてみる。1・噺家が出てきたのに拍手をしないこういう人を見ると、本当に理解に苦しむ。何しに来たんだ、テメエ、バカ野郎!ってなもんだ。普通は出囃子が鳴って、高座返しの前座が出てきて、メクリが返ったら、拍手をするのが当たり前。ただ、ボーッとしてるだけの客がいるんだ、結構。こういうのは大概、落語を聞いても全く笑わない。寄席に行く前に、病院に行った方がいいと思う。2・飲み食いしながら落語を見続けるこれは、雑誌やテレビなんかで寄席紹介をする際、「飲み食いしながら観られます」みたいなことをアピールしすぎたのが原因だと思う。それを真に受けるおバカさんが多過ぎ(苦笑)。私だって、ペットボトルのお茶とお菓子くらいは持っていくが、不思議なのは…「ハイキングが中止になったんですか?」…と聞きたくなるぐらい、豪勢なお弁当を持ってきてワイワイ食べてる人たち。特に中年~老年の団体女性客に多い。そんなの食うなら、高尾山に行け!と言いたくなる。そもそも、落語のみならず、誰かが喋ってるのを見聞きしながら食事を取ったら、相手の話なんか頭に入る訳がない。ましてや「○○さ~ん、これ食べる~?」とか何とか言いながら落語を聞いてて、噺家に対して失礼だという気持ちにならないのだろうか?私は極力目立たないように飲むし、菓子類は中入りで食べるようにしている。血糖値が上がって、眠くならない程度に(笑)。この態度が、私は当たり前だと思うんだけど。3・落語の最中に喋り続けるこれまた、中年~老年女性団体客に多い(苦笑)。まあ、早い話が「オバタリアン」って奴だ(古い…)。落語に関することも、関さないことも含めて(笑)、何故に思ったことを、すぐに口に出すバカババアが多いのだろうか?マクラで近所の話とかを振れば「アッハッハ~!!そ~うそう、そういえばこの間○○さんがね~」的な話になり…。演者が何か言えば、いちいち相槌をうち…。噺に入って…例えば「時そば」とかで蕎麦を手繰れば「まあああ~!美味しそうねえ~!すごいわ~!」…殴れるもんなら、全身全霊でブン殴りたい(笑)。4・特定の噺家(芸人)のみ追いかけるある意味、これが一番、質が悪いかもしれない。お目当ての人が下がった途端に、思い切り帰る客。「思い切り帰る」って日本語はないか。まあいい。今は「特定の落語家の追っかけ」という人が多く、「その人の落語しか、あるいはその落語家と頻繁に会を催してる人の落語しか聴かない」という感じの人がとても多い。そういう客は、他の噺家が演っている間は、じっと待つというか、とにかく無反応。拍手は一応するけど極力笑わない…みたいな(笑)。お目当ての人が出てくると「待ってました!」と言い、人一倍笑い、終わるとそそくさと帰ってしまう。あと、女性芸人さんを「AKB48」と同じ感じで追っかけるファンが、ごく稀にいるらしい。風の便りに聞いた話だが…本当なのかね(苦笑)!?こういう人にも、あんまり寄席に来てほしくない。寄席というものは、一見個人芸の集まりだが、私は「アンサンブル」だと思っている。言い方変えれば「バラエティーショー」とでも言うべきか。自分の興味のない噺家・芸人でも、何組か続けて観ることに、寄席の意味があると思う。リレーというか、次の人に客席の空気感や高揚感をバトンタッチしていくのを観る空間ではないだろうか。昼席の途中から見て、夜席の途中で帰るのを悪いとは言わない。しかし、特定の演者だけ見に行く場所ではないと思う、寄席は。上記の4項目に、私と同様に腹が立った経験をお持ちの方!そういう方こそ、真の寄席通い者(?)!これからも、堂々と寄席通いしてください。…何ちゅう上から目線なんだ(笑)。よく「落語初心者に寄席は不向き」と言われるが、これはその通りだと思う。寄席の敷居は、低いようで高い。いきなり足を運んで、十分満足して帰ることは、100%…とは言えないが、不可能に近いと思う。本気で「落語を生で聴くこと」にハマろうと思うなら、まずは面白い・つまらないは別にして、ホール落語に通うべきだと思う。1年間くらい。そこで色んな噺家を知り、ネタを知り、「私はこの人の落語が好きだな」と思う人が4~5人できたら、初めて寄席に行くべきだと、私は思っている。そうすれば、いきなり寄席に行くよりは、一応下準備が出来ているから、ある程度満足して帰ることは可能。客が殆どいない、次々出てくる噺家・芸人が一様に面白くない、壮絶な日にぶつかることもある(笑)。でも、それを体感して「寄席ってつまらない」と思わず、「今日は周りの客がバカばっか」と思えたら、一人前の落語マニアの入口に立てたと思っていい。異論も多々あるだろうが、私ゃ、そう考える(笑)。ちなみに上記の道のりは、私の13年前の経験。こうして私は、落語マニアになってしまいました…。
2012年06月17日
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別に差別がどうとか、そういう話では全くないのでご安心を(何が安心なんだか…)。昨年大晦日「第63回NHK紅白歌合戦」において、最年長の初出場で美輪明宏が歌った、ご存知の名曲「ヨイトマケの唄」。この歌ほど、物語性があって骨太で、6分という長さを全く感じない歌も珍しい。感動的かつ貧乏臭い歌を嫌い、明るく楽しく朗らかで無意味な歌(笑)を愛する私ですら、この歌だけは激しく胸を打つ。この歌みたいな経験、皆無なのに。いわゆるメッセージソングの先駆けだったのだが、「土方」が放送コードに引っかかるという理由で長い間「放送禁止歌」に指定されてしまっていた。…いかに放送禁止用語を取り締まる人間、揚げ足を取る人間がキチガイかということが良く判る。内容を真剣に聴いたら、批判するほうが馬鹿だと思わないかね…それほどノータリンなんだろうか、差別を嫌う「『自称』正義の味方」は。そんなこたぁ、今日の話と全く関係ない(笑)。本題はここから。この歌ほど、様々な歌手にカバーされた歌もないと私は思う。何人くらいカバーしてるんだろう?えっ?誰の歌唱がベストかって?それを、これから書くの、これから!美輪明宏作詞・作曲なんだから、ご本人が歌うのがベストであることは言うまでもない。ただ、昭和40年のオリジナル盤と、ここ十数年テレビで歌っているのと比べると、近年の歌唱は「あまりに芝居がクサ過ぎ」だと思うのだ。大半の方は「嵐のような感動」をされると思うが、私は歌い方がクサ過ぎると、ドン引きしてしまうタイプ。お嬢の「悲しい酒」も同じだから。なので、美輪さん歌唱は「丸山明宏」時代の音源が、私はベストだと思う。テレビでの歌唱なら…感情注入が今よりクサ過ぎず、かと言ってオリジナルのように淡白でもないもの。今、YouTubeに上がっているが、昭和60年7月のテレビ東京「夏祭りにっぽんの歌」での歌唱が一番良いかもしれない。…っていうか、夏祭りで「ヨイトマケ」を歌ってたというのがビックリである(笑)。藤山・淡谷・ミネ・市丸・渡辺・二葉・田端というお歴々の前で歌ってたんだ、美輪さんは!…また話が逸れた(苦笑)。この歌、演歌・歌謡曲・フォーク…色々なジャンルの歌手がカバーしたのを聞いたが、歌いながら自分で泣いたり、感極まった顔になったりされると、私はホント引いちゃう(笑)。そういう点でいくと、私が一番「嵐のような感動」を受けたのは、なぎら健壱歌唱のものであった。メロディーに忠実、感情注入も殆どなく、悪く言えば「本当に淡白な歌唱」である。これが実に良い。私は本当に感動した。…ここまで書いて思いついたが、落語の聴き比べと「ヨイトマケ」の聴き比べ、イコールだと思う。演りながら自分で泣いちゃう人情噺と、さっぱりと演る人情噺なら、私は後者を100%取る。なぎら氏の歌唱は、落語で例えると小満ん、小柳枝、小燕枝、扇辰の各師匠の高座の雰囲気に似るように感じる。あとなぎら氏は子供の頃、実際に「ヨイトマケ」を見ていると思うので(恐らく)、それがまた歌に深みを与えているのではないかとも思う。演歌歌手のカバーはねえ…噺家に例えるとねえ…先代の「笑点」の司会者…アワワ(苦笑)!!それにしても、これだけのレベルの「スタンダードナンバー」を、今の私より若い年齢で作り上げた美輪さんの、若き日の才能には恐れ入る。凄い。子が母を思い、母が子を思う。どっちサイドからでも、受け取り可能(?)な無償の愛を鮮やかに描いた歌。こういう歌は、これからも益々歌い継いでいってもらいたいが、歌手の方々は少し「感情注入」を抑えて(笑)、歌っていって頂きたいと思う。そうした方が、より感動できると思うんだけど…そう思うのは私だけなんだろか?
2013年01月03日
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毎度ここで書いてる、家元との思い出話。昨日の文、自分で読んでも「これ、事実かいな?」と思ってしまうほどの内容だ(笑)。言っときますけど、虚言癖じゃござんせん、私ゃ!自慢するわけでもなく、のべつ偉そうにしたい訳でもござんせん!全て事実!脚色一切なし!…そんなこと書こうと思ったわけじゃないんだ(笑)。日本に「懐メロ(戦前~昭和30年代)好きの若者」が全部で何人いるのかということを、ふと思うことがある。そして、今の10代~30代くらいの一般人は、どの程度「昭和の流行歌」を知っているのか?ということが、バカバカしいと我ながら思うが、気になって仕方ない。ただ「私は昭和の歌が好きですよ」、あるいは「昭和の歌謡曲、何曲も知ってますよ」という人が、ある程度はいることは把握してるし、落語会の客席なんかで、声をかけられたこともある。しかし!ここからが難しい話になる。今、若くて「昭和歌謡が好きな人」というのは「私が思う価値基準に沿った人」じゃない人が殆どなのだ。では、その「価値基準」とは何か?大雑把に分けると、たくさんあるが、今日は3つほど。その1・昭和35年以降の歌は「今の歌」に等しいつまり、昭和の歌というのは「レコードがSPだったときの流行歌」である、というこった。ここで具体的な名前を出すのは、申し訳ない気もするが、橋幸夫以降のデビュー歌手は、どれだけ歌手生活が長かろうと「ベテラン」としての括りには入れられない、ということ。感覚的なもんだけどね。「私、昭和歌謡が好きなんですよ~!松田聖子とか中森明菜とか!」という人とは、全く相容れない。もう「1980年代のアイドルソング」が、30年以上前の歌だと、頭じゃ分かっているのだが、心底相容れない。東海林太郎・藤山一郎・淡谷のり子・小唄勝太郎・市丸・ディックミネ・伊藤久男・灰田勝彦・霧島昇・赤坂小梅・渡辺はま子・二葉あき子・林伊佐緒・美ち奴・近江俊郎・岡晴夫・田端義夫・小畑実…という「お歴々の歌」こそが本当の昭和歌謡だ!と信じて疑わない、カルト宗教的な考えなのは、良くないんだと分かっちゃいるが…。その2・「蘇州夜曲」「リンゴの唄」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」の4曲は、正直どうでもいい歌真の懐メロファンは、NHKやテレビ東京の特別番組で、この歌が出てくると、ダレるはずだ。今の若い歌手が、フジテレビの「ミュージックフェア」や「NHK歌謡コンサート」とかで、「昭和の歌を現代に歌い継ぐ」みたいなので、こういう歌をアレンジしまくりで歌われると、腹が立つ人も多いだろう。顰蹙買うことを覚悟で書くが、よく若者が、老人ホームの慰問やボランティアで、上記の歌を覚えて、歌ってるのを見てると「行為は素晴らしいけれど、分かってねえな…」とついつい思ってしまうのだ。具体的には書きにくいし、感覚的なことだから「解る人しか解ってくれない」とは思うのだが、本当の昭和歌謡好きは、上記の歌に、さほどの思い入れはないと思う。「蘇州夜曲」よりゃ「支那の夜」「いとしあの星」がいい、終戦直後の歌なら、「リンゴの唄」よりゃ「悲しき竹笛」か「東京の花売り娘」だろうよ!という人を、私は信用する。その3・美空ひばりは「マドロスもの」「美空ひばりの歌」と聞いて、まず「川の流れのように」と「愛燦々」を歌う人間を、私は軽蔑する(笑)。「東京キッド」「リンゴ追分」「お祭りマンボ」あたりなら、まあ仕方ない…という感じか。褒めはしないが(笑)。「うん!解ってる!」というのは、マドロス物のヒット曲か「あの丘越えて」「越後獅子の歌」あたり。これも感覚的なことだが、「流行歌が判ってるか否か」は、この質問をすると、大体解る。私は、美空ひばりは、どちらかというと嫌いな歌手だが、好きな歌は結構ある。その殆どは「マドロスもの」。お馴染み「港町十三番地」も勿論良いし、「あの日の船はもう来ない」、「三味線マドロス」や「鼻唄マドロス」、「浜っ子マドロス」「白いランチで十四ノット」とかね。和モノだと「唄祭り八百八町」「大川ながし」が好い。…いろんな方面から、顰蹙買うこと間違いなし!ってな気がするが、嘘偽りのない「歌謡曲好き」としての正直な意見である。↑この画像を見て、心底興奮するような人がいいやね(笑)、流行歌ファンなら。
2013年09月03日
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昨年は「たけ平&ぼたん」両師匠の真打昇進パーティーが開かれた帝国ホテル。今年は、司師・たけ平師と並ぶほどの深い付き合いのある春風亭朝也改め春風亭三朝師匠のパーティーが開かれた。誘いを受けたのは、なんと昨年の8月(笑)。三朝師は私の仕事のシフトを把握していて「え~確か、木曜日が夜勤でしたよね?はいはい!金曜日だから大丈夫!」と、その時点でパーティーに必ず出席することが決まっていた(笑)。---------------------------------------------------夜勤が終わり、午前11時前に帰宅。顔を洗って部屋着に着替えて、さあ、仮眠だ~!と思っていた矢先に電話が。相手は林家たけ平師(苦笑)。今晩のパーティー終了後は別の用事があるので、二次会(お茶)ができないお詫びの連絡だった。律儀で素晴らしいよ、あの人は(笑)!3時間ほど仮眠をとって、17時10分過ぎに家を出て、帝国ホテル着が17時50分過ぎ。クロークにコートとカバンを預けてたら、ある女性に「どうも!」と声をかけられ、「??」と振り返ると林家ぼたん師!しかも洋装!そして、2階「孔雀の間」前に着いてからは、そりゃ~もう怒涛の挨拶ラッシュ!友人・知人の大集合状態!受付でご祝儀を渡し、記帳を済ませ、会場入口に入ると…。新真打と一朝師匠がお出迎え。単に挨拶しただけで、柄にもなく胸がいっぱいになる私…(涙)。そして、中で待ってて入ってくる方々の顔ぶれを見てこれまたビックリ!私の席から舞台正面を見ると、こんなアングル。画面左下の赤い着物の方が、司会の玉の輔師。不謹慎な例えだが、ホテルが大爆発して全焼したなら、その場で江戸の落語文化は壊滅状態に近くなるんじゃ?というほどの(笑)噺家さん&落語関係者の数!木久扇師・正楽師・小朝師・正蔵師・喬太郎師・勢朝師・馬桜師・正朝師・玉の輔師(パーティーの司会)・文蔵師・扇辰師・小せん師・彦いち師などのベテラン&中堅連から、歌奴師・一之輔師・志ん陽師・司師・小傳次師・おさん師・たけ平師・ぼたん師・萬橘師・べ瓶さんらの若手!そして読売の長井好弘さん、放送作家の和田尚久さん(パーティーの帰りに一緒にファミレスに行った)、我らがらくごカフェの青木さん、そして盟友(笑)のドージン落語・井上新五郎正隆さんと、超豪華な布陣!これだけの顔ぶれが大量に集まったというのは、やっぱり三朝師の人柄であり、落語の腕が確か(本寸法の江戸前・余計な入れごと殆どなし!)だからであろう。--------------------------------------------------------18時30分に開演…もとい!開宴(笑)。落語協会会長が仕事で欠席だったので、副会長の正蔵師の挨拶から。そのあとは、NHKのラジオで一緒だった山田邦子さんのスピーチ!そして木久扇師の乾杯の発声。その後、豪華な食事に舌鼓を打って、1時間ほどしたらお待ちかね(?)の余興コーナー!活弁士・坂本頼光さんの、全くオフレコにせざるを得ない放送禁止の「三朝師匠、真打昇進おめでとう」がテーマの「某有名ドラマの」パロディ無声映画(笑)。死ぬほど笑った、私ゃ!!続いて、落語ファンにゃお馴染み「三K辰文舎」のライブ!文蔵師匠が怖すぎる…(笑)。そして、最後は大神楽社中の鏡獅子!そして一朝師の挨拶、三朝師のお礼の挨拶と続いて…。パーティーのフィナーレ、三本〆の音頭は叔父貴分の春風亭小朝師!パーティーで挨拶をされること自体が非常に珍しいことだったそうだ。2人そろって『AKB48』の大ファンなんだそうな(苦笑)。だから挨拶してくれたみたいネ。私とたけ平師・談志家元との関係に近いような感じ(笑)?この小朝師の三本〆の前に、とあるサプライズがあって三朝師が顔を真っ赤にして喜んでいたのが面白かった(笑)。三朝師の高座のごとく、心から華やかで明るく、列席した芸人さんとお客が一枚岩になって楽しんだ豪華パーティー。本当に楽しい一夜を過ごさせてもらった。三朝師匠、真打昇進おめでとうございます!25日(土)の鈴本を楽しみにしております!
2017年03月10日
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訃報というものは不思議なもので、大きな訃報があると、どういうわけか何人か続くものだ。今井雅之さんとほぼ同時に、上方の演芸界を支え続けた重鎮2人が立て続けに旅立ってしまわれた。誰にも真似できない、誰も継げない至芸を全部あの世に持っていってしまう…この損失は大きすぎる。まず、今いくよ師匠。享年67。ウチの母親と同い年だよ…早すぎるとしか言えない。昨年、胃がんと診断されたとき「手術ができない」みたいな報道を見て、心配していたのだが…。ある程度、抗がん剤で小さくしてからメスを…と聞いていたので、今の医学なら治るだろうと思っていただけに、本当に残念でならない。体力が持たなかったのかな…元々痩せておられたから。上方漫才師の中で、女性どうしのコンビというと、筆頭は名人「海原お浜・小浜」、その弟子の「海原千里・万里」、「若井小づえ・みどり」「海原さおり・しおり」辺りの方々が代表者と言えるだろうか。現役だと「ハイヒール」(最近はバラでしか見ないが)とか「海原やすよ・ともこ」あたりが大阪で活躍してるだろう。私のような「東京のお笑い好き」にとって、小さいころからいちばん慣れ親しんだ大阪の女流コンビは、何といっても「今いくよ・くるよ」のご両人だった。私が覚えている最古の記憶は、若き日のさんま師と3人で進行していた『目方でドーン!』という番組。簡単に言えば、あの『ガッチリ買いまショウ』の重さ版の番組だった。あとは『花王名人劇場』とか、正月のNHK『初笑い東西寄席』の大阪勢のレギュラーとしての舞台を、もう数限りなく見続けてきた。『目方でドーン!』をやってたからか分からないが…。いくよ・くるよの漫才は、弱者を貶めたりせず、ガラの悪い下品な言葉を使わず…くるよ師匠がド派手な衣装を着てても、決して下品ではなく、一定の品格があった。そういう点では、女流の「夢路いとし・喜味こいし」の風格があったような気がする。クレージーキャッツ的ともいえるか。それ故、漫才を見て心の底から爆笑したという思い出はないが、「つまらない」と思ったり、不快な思いは一切したことがない。これは、芸人として素晴らしいことだと思う。高校時代、ソフトボール部の仲間として出会い、まだ女芸人の少なかった時代に吉本へ入り、40数年間第一線で活躍…。漫才=コンビ仲が悪い…てえのが当たり前になっているのに、このコンビだけは私生活も常に支え合い、励まし合ってきたと聞いている。こんなコンビは、そうはいない!Aスケ・Bスケやトップ・ライトの先生方は、このコンビの爪の垢でも煎じて飲んだほうがよかったのでは(笑)?だからこそ、くるよ師匠のこれからが心配で仕方ない。周囲のお仲間が支えていってほしいな…と切に願う。そして、同じ日に入ってきたのが、暁照夫(照雄)師匠の訃報。享年78。東京の「玉川カルテット」、大阪の「宮川左近ショウ」が、浪曲漫才の2大グループなのは、異論がないだろう。あと「東洋朝日丸・日出丸」兄弟もいたか、大阪には…。実を言うと、宮川左近ショウはリアルタイムで見ていない。昭和61年に宮川左近師匠が亡くなっているので…。だから「往年の名人芸」みたいな番組のVTRでしか見たことはなく、お弟子さんと組んだ「暁照夫・光夫」のコンビは、正月のNHKで何度か見ていた。とにかく暁照夫師匠といえば、あの三味線の腕であろう。ご自身もギャグで言っていたが「もうイヤ…なんでこんな上手いんかしら?」ってアレである(笑)。上記のギャグを言う直前の鮮やかな早弾きで、最後のとこがベンチャーズも真っ青の「テケテケサウンド」になるのが好きだった(笑)。撥でなく、ギターのピックで弾くのが「この人流」であり、三味線の棹が少し短かったのも特徴。カッコ良かった。クレージーもドリフも、玉カルも左近ショウもそうだが、キチンとした腕があるから、おふざけやってもキチンとギャグやネタがハマる。これが素晴らしい。…当たり前っちゃ、当たり前なんだけど。こういう本物の藝が、どんどん減っていってしまうのがとても寂しい。今いくよ師匠、暁照夫師匠のご冥福をお祈りいたします。長い間お疲れさまでした。
2015年05月30日
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本当ならば、当然21日(水)の晩に書くはずだったが…。よみうりホールからの帰宅後、PC立ち上げたら、ネットの調子がおかしくてブログがあまり書けず、おまけに途中まで書いた文章が、保存できずに消えていた…(涙)。というわけで、2日遅れの立川談志八回忌。…そんな言葉はないだろうと思うので、没後まる7年目の昼夜レポ。------------------------------------------------------------------昨年は『歌で綴る昭和の時代』の準備に追われていたうえに、体調崩して行けなかった。2年ぶりに出かけた『談志まつり』だったが、今年は出演メンバー全員が素晴らしい出来!立川流の充実ぶりを見せつけられた1日だったように思う。有給とって、行ってよかった…。まず昼の部。開場は11時だったが、開場後すぐに入ってしまう私の気短さ(笑)。中に入って自分の座席を確保し、ロビーに出てたところ、新しいCDの販売ブースを発見!草柳さんに久々に挨拶し、キントトレーベルの『談志42歳』を迷わず購入(笑)。このCDが、また物凄い中身だったので、後日感想を書いていこうと思う。-----------------------------------------------------------------------それで本題。まず中入り前の4席だが、これがまたハズレなしの見事な高座のオンパレード!友人である談吉さんの「半分垢」でスタート。独自の”やや過激”なクスグリが入りながらも、全体的には端正な高座だった。やっぱ面白いわ、この人は。また落語会をお願いしたいもんである。いま現在、談吉さんの師になった談修師。これまた家元の弟子とは思えないほど(笑)剛速球&正統派の「真田小僧」。…何というか「美しい落語」という見本を魅せてもらった気がする。かといって面白みが薄いわけではなくて、適所で必ず笑いを取っていくのが、本当に素晴らしかった。上方ムードを振りまいた雲水師の「時うどん」。マクラで江戸の時の数え方・貨幣価値を丁寧に解説してから本編へ。これがまた尻上がりに盛り上げていったから見事!爆笑させてもらった。中入りは、現在テレビで見ない日はない志らく師。家元存命のころは、懐メロの話をよく一緒にさせてもらったが、なんだか今は「えらく遠いところに行ってしまった師匠」という感じがしてしまう(苦笑)。志らく師が偉かったのは、タレント活動なんかのマクラを一切振らず、いきなり談志晩年の十八番「死神」に入ったところ!これにゃあ、客席でシビレたネ。笑いどころの多い演出で、肩肘張らずに楽しめて見事の一言。サゲは「誕生日オチ」だったが、短くスパッと終わらせたのが絶品だった。ちなみに死神の呪文は「アジャラカモクレン、カルロス・ゴーン、一体ミスター・ビーンと三谷幸喜と、どっちに似ているでしょう」だってさ(笑)。---------------------------------------------------------------------中入りのとき、物販コーナーで談志師匠のご子息・慎太郎さんに10年ぶりくらいに挨拶。私のことを覚えててくださっていたのが嬉しかった。…でもまあ、そりゃ懐メロと映画の話で、あれだけ家元とベタベタしてたんだから、インパクトあったろう(苦笑)。ついでに談志千社札を購入したら、オマケしてくれた(笑)。慎太郎さん、ありがとうございます!!---------------------------------------------------------------------中入り後は談之助師。談之助師いわく「師匠のを生で聴いたのは1度だけ。滅多に演らなかったネタ」という「五目講釈」を。ちょっと講釈の言い立ての箇所で、多少聴き取りづらかったのが難だったが(苦笑)…それを差し引いても凄く面白かった。昼夜で唯一の色物は、なんとなんとのピコ太郎(笑)!!古坂大魔王って人が、ここまで卓抜たるセンスがある藝人だとは全く思わなくて驚いたの何の!単に「あんなの藝じゃない」「くだらない」と一蹴してしまえば、それだけのパフォーマンスかもしれない。でも、あの意味のない中身&あの衣装(苦笑)を全くのゼロから創り上げたセンスには敬服せざるを得ない。『PPAP』だけじゃなく、いろんな歌を意味のない喋りで繋いでいくという藝当は、本当に凄いと思う。…だから、中身が全く説明できないのが難だけど(爆笑)。そして主任の龍志師。江戸前のさっぱりとした「五人廻し」…これがもう凄かった!今まで、いろんな噺家で「五人廻し」を聴いてきたが、一昨日の龍志師が最高峰!墨東キネマのTさんが推しまくるのも、よく分かる(笑)!そういやTさんも、珍しくいらしてたっけ。龍志師は、本来ならば寄席で聴きたいところだが…できれば落語協会の芝居でね(苦笑)。末廣亭で拝聴したことが数度あったが(余一回で)あのときも良かったもんね。大長文になってしまったので、夜の部は別ページで書かせていただきます。
2018年11月23日
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とにかく「カッコイイ」人だった。訃報を聞いてこんなに悲しく、寂しい思いをしたのは久々だった。今は無くなってしまったが、数年前まで、下北沢に「シネマアートン」という小さな名画座があった。こじんまりとして、落ち着ける映画館だったが、そこのトイレの手洗いのところに、一枚の写真が飾ってあったのが忘れられない。後ろは、スタジオの扉みたいだったから、おそらく映画撮影の休憩中のスナップだったのだろう。長髪に着流し、少しを前をはだけ、左手に日本刀。何かを考えているような、あるいは静かに気合を入れているような感じで、一人椅子に座っている。役者・原田芳雄の魅力が、この一枚に凝縮されていると言っても、過言ではないような写真だった。どんな駄作でも、この人が画面に出ると締まった。良い体格、野太い声、独特の色気と茶目っ気。役によって見事に変えつつも、演技の芯の部分の重厚さが好きだった。松田優作を筆頭に、様々な役者さんが尊敬し憧れまくり、心から慕ったのが、よく解る。しかし!名優・原田芳雄の真の魅力は…個人的にはなんだけど、やっぱり「鉄道マニア」としての顔だと思う(笑)。「タモリ倶楽部」に初登場したのは、確か2003年の暮れだっただろうか。「鉄道barで一杯やる」みたいな企画で、外を走る電車や鉄道模型を見ながら、タモさんと大はしゃぎしているのを見て「原田芳雄ってこういう人なの…?」と、今まで自分が抱いていたイメージが、ガラガラ音を立てて崩壊したのをよく覚えている(笑)。それから、「タモリ倶楽部」の鉄道企画には欠かせない存在となり、数々の名言・珍言動で笑わせてくれた。千葉の小湊鉄道に一日体験入社した際は…松尾 「これが、これからタモさんと芳雄ちゃんに 運転してもらう車両です」原田 「(車両に向かって)よろしく!(最敬礼)」車両内の清掃時には、進行係の松尾貴史の上から目線にムッとしつつも…原田 「俺、趣味が家事手伝いだから…」…と言いながら、嬉々として掃除機をかけていた。その上、運転時に非常制動をかけてしまうという貴重な(?)体験までしていたっけ。京浜急行の久里浜工場に、貸切で見学に行ったときも、9時過ぎからのロケなのに、朝の4時に起きたと言って、車内で大騒ぎしていたのも面白かった。東京メトロの地下鉄を貸し切り、南北線・有楽町線・千代田線を通りながら綾瀬検車区まで行ったときは、息子の喧太さんと共に出演。「えーっ!?この電車、俺たちだけ?」と大はしゃぎ。普通なら通らない連絡線を通ったときには…。松尾 「喧太、感想は?」喧太 「いや、たまんないっすね!これね!」原田 「よかったな!」タモ 「ちっちゃい子じゃないんだから!」松尾 「普通の親子の会話だ…」というやり取りに、大爆笑したのが忘れられない。日本一チケットが取れないことでも知られる、寝台車の「カシオペア」に乗ったという報告だけの回の時が、我らが「芳雄ちゃん」の真骨頂であったと言える(笑)。ある映画への出演条件が「青森ロケがあるんなら、カシオペアに乗せろ!」だった芳雄ちゃん(笑)。制作スタッフが、あちこちでチケット購入に挑戦し、何とか取れたのが、南武線の武蔵新城という駅。「みどりの窓口」に駅員が一人しかいないという、小さな駅だったことを聞いて「秘境だね、秘境!」と大喜び(笑)。各車両の部屋のキーの番号が打ち込みで「4405、ヨシオゴー!」にしたと嬉々として語り、スイートの車内でのみ提供されるというワインを見て、感嘆の声を上げて、いきなり拝む(笑)。終いにゃ、タモさんと乾杯のときに「カシオペアやないか~い!」と大騒ぎ。勿体なくて、一切使わずに持ち帰ったアメニティグッズを見せびらかしていた姿は、本当に幸せそうだった。そういう姿のイメージが強いゆえ、先月の新作映画の舞台挨拶で、車椅子で登壇した姿を見て、本当に強いショックを受けた。そして、思いたくはなかったが、これが人前に出る最期になる覚悟で来たのだろう…というのが判った。だから余計に悲しかった。それから一週間で、天国に旅立った芳雄ちゃん。…告別式の出棺のとき、涙を流すイメージが全くない佐藤浩市や阿藤快、金山一彦、「タモリ倶楽部」で常に隣にいた松尾貴史(告別式の司会だった)が、顔をくしゃくしゃにして、肩を震わせて泣いてるのを見て、私もテレビの前で涙が止まらなかった。今後はテレビも映画も「タモリ倶楽部の鉄道企画」も、本当に寂しくなってしまう。今頃は、あっちで松田優作と会って一杯飲んでいるか、あるいは、鉄道に乗りまくって大騒ぎしているか…。遅まきながら、心からご冥福をお祈りいたします。
2011年08月04日
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昨日の午後だが、携帯に歌手協会の友人からメールが届いた。「トンコ節」「ヤットン節」などのお座敷ソングで戦後に一時代を築いた、久保幸江さんが亡くなったという内容…。それも「2年前の9月8日に、86歳でひっそりと亡くなっていた」という内容に驚いてしまった。大体、亡くなってから公に発表されるというのは渡辺はま子先生のときもそうだった。小野巡さんのように、ご家族がマスコミに公表せず、私が長を務める懐メログループのメンバーが、お宅に訪ねていって、初めてその死が公になったという例もあることはある。しかし…「数ヶ月経って」というのなら何となく分かる気もするが、2年経ってというのは…。あれだけ、明るくて賑やかな歌をヒットさせた方の最期としちゃ、寂しいものを感じてしまう。身寄りがなく、老人ホームで余生を送っていたのは仕方ないにしても…ね。ある意味、昭和の歌手らしい、芸人らしい最期とも言えるけども。久保さんと言えば、古賀メロディーの「トンコ節」、そして「真室川音頭」のメロディーをベースにした「ヤットン節」の大ヒットで知られる。他にも「チャンバラ節」とか、各社競作になったお馴染みの「野球拳」なんかでも一世を風靡した方であった。私は生のステージは、確か靖国の「みたままつり」と歌手協会の「歌謡祭」で、ギリギリ間に合っていると記憶している。歌はやっぱり「トンコ節」と「ヤットン節」だった…ような気がするんだが、曖昧な記憶になっちゃった。テレビ東京の大晦日には、確か明治座でやったときに2~3度出ておられたような記憶がある。2005年に体調を崩されて、一線を退くまではお元気だったのだから(当たり前だ)、もうちょっとテレビで歌う姿を見たかったと思う。心からご冥福をお祈り申し上げます。
2012年08月29日
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1日遅れの報告になってしまったが、昨夜は本当に大騒ぎ!クタクタのボロボロになったが、面白パーティーに列席でき、非常に充実した時間を過ごすことができた。久々に入った、東京は新宿副都心・京王プラザホテル。18時開宴だったが、私は17時キッカリにロビーに。こういうセレモニーは早めに行くのがコツなのよ。ギリギリで行くとすんごい混むから。ロビーに着くと、もうそこには既に井上新五郎正隆先生がおられた(笑)。まだ殆ど人はおらず、H君と座る場所を探していたら、主役の夏丸師匠が目の前を横切った(笑)。「おめでとうござンす!」と声をかけたら「あっ!どうも!今日、余興で歌うんで、これからリハ」だとさ(苦笑)。こういう大事なセレモニーでも、歌を歌うことっか考えてねえんだからさ…ホント困っちゃう(苦笑)。受付が始まっていたので、祝儀袋を手に向かおうとしたら、顔を存じ上げないご夫婦がお声をかけてこられた。誰かと思ったら…なんと夏丸師匠のご両親&妹さん!!これには驚いた。妹さんは以前、テイトの「夏丸演芸館」でお会いしたことあったので(非常に美人なんで)覚えていたが…。なので、井上さんと丁寧にご挨拶。お父さまもお母さまも、Twitterやブログなんかで、私の顔をご存知だったらしい…かなり恥ずかしいネ、これ(苦笑)。保田先生や読売の長井さん、各協会の噺家のお師匠さん方、夏丸追っかけ軍団など、いつもの面々が顔を揃えたところで開場時間。入口で幸丸・夏丸・紅・蘭・小遊三の各師匠方に、これまた丁寧にご挨拶。これが中に入った直後、入口から撮った写真。相当な広さの会場であることが分かる。…私が写真撮ってンのに、目の前を堂々と横切る我が師、保田先生(爆笑)。------------------------------------------------------------------------んでもって、18時になったら披露宴がスタート。これが、後方入口から新真打2人が入場してきて、登壇したところの写真。…なんか妙な新郎新婦という感じ(笑)。最初は小遊三副会長の挨拶。本来ならば、歌丸師の出番だが、体調が優れないので代打…ということだろう。----------------------------------------------------------------------その次は来賓スピーチ。落語協会会長、柳亭市馬師匠!歌と演芸と相撲をこよなく愛する夏丸さんの、直の先輩みたいな人だもの(笑)。私も2009年以来(原因不明の)絶縁状態が続いていて、2012年以降は全く会ってもいなかったが、昨日…ホント6年ぶりくらい??に、久々に喋った。なんとな~く…というよりゃ、相当ギクシャクした感は否めなかったけどね、向こうもこっちも。昔のような、懐メロ仲間の関係に戻るこたぁ、100%無理だぁね…。余談だが、市馬師がいた落語協会テーブル、居並ぶ面々の物凄さに恐れおののいた。金馬・木久扇・小満ん・圓丈・小里ん・馬生だもの!豪華すぎでしょ(笑)!その隣の落語協会テーブルが、歌る多・吉窓・小せん…そして末席に林家たけ平師匠(笑)。他にも昇太師・圓楽師の『笑点』メンバーもおられたし、萬橘師匠に挨拶もした。お手伝いをしてる二つ目さんも、友人・知人大集合(勿論、真紅さんもいるし)だったから本当に疲れた。------------------------------------------------------------------------話を元に戻す。そして浅草演芸ホール社長挨拶~鏡開き~乾杯の音頭と続き、中締めの挨拶が、まあビックリ!大正14年生まれ!大重鎮であり、夏丸さんの大師匠でもある桂米丸師匠!御年93歳!まあ元気元気!全く淀みない喋りと頭脳明晰さは、衰え知らずといっていいだろう。これだけ白ジャケットが似合うのは、灰田勝彦か米丸師だ…と隣席の友人は言っていた。その通りだと思う。------------------------------------------------------------------------その後は、放送作家の和田尚久さんのスピーチ、元フジのアナウンサーだった花田景子さんの挨拶(当初の予定では旦那の貴乃花親方が来る予定だったらしい!)などが続き、余興では新真打2人が歌いまくるという…なんだかカオスな披露宴であった(笑)。新真打って、頭ぁ下げてるだけかと思ってたんで…。私は今回、初めて「落語芸術協会」の真打披露パーティーに行かせてもらったのだが、やっぱりパーティー会場の空気も、落語協会とは全然違うんだな…ということに驚いた。-----------------------------------------------------------------------夏丸さんも、これで第一段階が一段落(?)というとこに来たんだと思う。5月1日からの披露目が、桂夏丸師匠のスタートになるわけで、ここを身体を壊さずに乗り越えていかなきゃならんわね!夏丸師匠・蘭先生!改めておめでとうございます!
2018年04月15日
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往年のVTRマニア、そして昭和歌謡マニアが心待ちにしていた「第22回NHK紅白歌合戦」のレストア完全版?再放送!…私は仕事だったので、19時に帰宅して湯に入って夜飯食べて、ポッドキャストをアップした後、先ほどまでじっくり見ていた。冷静に考えれば、当時リアルタイムで見ていた人以外は初めて見る往年の「紅白」だったわけで、私も「残ってないと思っていたVが見つかった!」という気持ちに近い感じで見ることとなった。-----------------------------------------------------------------いろいろ問題だらけのNHKではあるが、今日だけは手放しで褒めたい!それは、ほぼ余計なテロップ(ワイプ)を後付けで入れることがなかったからだ。そして当然16:9の画角で4:3の番組を放送したわけだが、横の黒味にも何も余計な字を入れなかったのは本当に素晴らしかった。歌詞も出さなかったし。集中力が途切れたり、横っことに気が散ることは全くなかった。大きなノイズは取ることができなかったようだが、それでも以前に見たときよりは発色もキレイになっていたと思う。音質の悪さは仕方ないところもあるのだろうが、もうこれで十分だと…。-----------------------------------------------------------------まずオープニング。昭和38年以来?の東京宝塚劇場の表から撮る(中に入っていく)演出。これは、おそらくNHKがハンドカメラを導入したてホヤホヤで、それを思う存分ひけらかしたかったのかもしれない(笑)。裏番組の12チャンネル「なつかしの歌声・年忘れ大行進」では、この翌々年の昭和48年大晦日から、ハンドカメラを使って中継をしている箇所が見受けられる。多分テレ東は2年弱、ハンドカメラ導入が遅れたのだろう…。それはさておき、宮田輝アナ・水前寺清子の2人が少し喋って、すぐに入場行進→選手宣誓→スクールメイツのダンス!無駄の全くない導入部が堪らないネ。聞いてるかぁ⁉今のテレビマンはよぉ!お馴染みの「スタインソング」を舞台中央で指揮しているのは歌舞伎座から飛んできた藤山一郎先生!「第4回年忘れ」の衣装のままで指揮してるのが確認できた(笑)。------------------------------------------------------------------そのあとは、もう言わずもがな!トップバッターの尾崎紀世彦はつい10分前まで帝国劇場にいたわけで…いくら近いとはいえ…どうやって宝塚劇場に来たのだろう?と思うほどの瞬間移動(笑)。南沙織・スターにしきの・ピンキラ・美川憲一・和田アキ子の若々しい歌唱映像。生バンドの音も冴えわたって結構!この回が最後の紅白になってしまった坂本九。新婚ホヤホヤのときで、ヒデとロザンナが神主と巫女さんになって出てきて祝詞をあげるという演出(笑)。このVを柏木由紀子が見たら…懐かしいのと辛い気持ちが同時に来るだろうな…と思った。事故がなかったら、絶対平成の紅白にカムバックしただろうし、俳優としても司会者としても、今でも大活躍したことは容易に想像できる。ちあきなおみの抜群の巧さ。西郷輝彦「掠奪」は初聴だったが、青春歌謡から抜け出した感じの歌でよかった。途中ブレイクが入ったときに、紅組バンドが岸洋子「希望」の演奏を始めてしまったのが、実に生という感じのハプニングで個人的には楽しかった(笑)。白組の控えにいるデューク・エイセスが紅組のほうをジーッと見ていたのが印象に残ったネ。岸洋子「希望」も実によいテーク…だったが!途中で音ありのニュース速報が入ってしまったのは本当に残念‼まあ確かに大事であることに変わりないが、もう少し速報を出すタイミングを後ろにずらしてもよかったのでは??私はますます朝鮮人と南北朝鮮が嫌いになりました(笑)。これがあるから、もう一度BSで…2日に分けないで1回で全部再放送してくれませんかねぇ???そして、珍しく1回目の中間発表後に審査員を発表するというかたち。鈴木文弥アナの声も懐かしかったが、審査員の中に浪曲師の浪花家辰造先生と、この翌々年に交通事故で急逝してしまったボクシングの大場政夫がいたのは驚いた!そして、各地方の一般の審査員の方々を、1人1人紹介していたのも懐かしい。ドリフの応援合戦も…ベタな内容なのだが懐かしく、何故か思わず涙腺が緩んで…(涙)。反日左巻き(嘲笑)の加藤登紀子も初出場。今よりさっぱりした歌い方での「知床旅情」。でも、この歌はやっぱ森繁だわね。デュークの「にほんのうたメドレー」も好い。金髪度合いが物凄い(笑)青江三奈の「長崎未練」、そして今では大御所になった五木ひろしも「よこはま・たそがれ」で初出場。ちょっと音がヨレヨレ(元のテープのせい)だったが、平尾先生の指揮もいい!そして、小柳ルミ子「わたしの城下町」も平尾先生の指揮で。こちらも初出場だったが、ここもテープが痛んでて音がヨレていたのは残念だった。-----------------------------------------------------------------コント55号の応援…これは以前、何かの番組で見たことあったが思い切り「キチガイ」って言っていたのを(笑)切らなかったのは素晴らしかった!一部のクレーマーに気を遣うことなんざない!はしだのりひことクライマックス「花嫁」の歌唱映像だって、冷静に考えたら国宝級の貴重さであろう。藤圭子は当時結婚していた前川清が、急病で紅白に出られなくなって、「みちのく小唄」の後に、クールファイブが歌うはずだった「港の別れ唄」をクールファイブを従えて歌う演出が、実に素晴らしかった。朝ドラ「繭子ひとり」の映像は公式に1本も残っていないので、このような形でも雰囲気が判るのは貴重であろう。三代目の猫八師匠と石井均(伊東四朗の師匠)がいい。舟木一夫「初恋」。藤村の詞に曲を付けたのがあったとは…。そしてお千代さんの「竜飛岬」。「10:00」の時刻が出たので、この時点で藤山先生は、再度歌舞伎座から宝塚劇場に向かって急いでいる…というところだろう(笑)。北島三郎「北海太鼓」。この歌もよく知らなかったが、画質が著しく悪くなっていた。これはおそらく画面下部のノイズ除去ができなくて、ズームアップしたからだろう…。威勢のいい歌で実に「紅白」っぽくて良かった。美空ひばり・雪村いづみ・真帆志ぶきの3人で歌う「アニーよ銃を取れ」の替え歌。これ本来は3人娘にしたかったのだと思うが、江利チエミが出場を辞退してこの形になったのだと推察される。翌年が札幌五輪だったので、白はダーク・ダックスが「白銀は招くよ」「白い恋人たち」をメドレーで。いいねぇ、こういう歌での「紅白」は。紅はトワエモアが「虹と雪のバラード」。東京の人にはあんまり…なのだが、北海道の方には堪らなく懐かしく思い出深い歌であろう。そしてドリフと55号の合同コント!これはホントに貴重品!こんなもんが残っていたとは…私も初めて見たよ、これ。今でも元気な菅原洋一「忘れな草をあなたに」。宮田アナの司会が、歌の内容とも札幌五輪とも関係なくて笑った(笑)。…とまあ、大長文をアットランダムに書き綴ったが…明日もこれと同じような分量の後編に……なってほしい(懇願)‼‼あと私が見たい歌手の出番は、ほぼ明日だったことに見終わって気が付いた(笑)。
2024年12月14日
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さて昨日の続き。今日も仕事だったので、帰宅後にウキウキしながら堪能することと相成った。-------------------------------------------------------------もうすぐ電報のサービスがなくなる…とかいう話を聞いた気がするが、紅白名物の電報読み。「南極の氷はどこも白かった」的なやつ!今はⅩの呟きとかを画面下に出してるのかね?せめて激励メールを紅白両軍の司会者に読ませたほうが、多少雰囲気が出ると思うんだが…こんな意見は「時代遅れ」だって一蹴されんだろうね(苦笑)。由紀さおり「初恋の丘」。私は不勉強で知らない歌だったが、母親は「あったあった!」と言っていた(苦笑)。お次はクール・ファイブの欠場により繰り上げ出場になったフォーリーブス「地球はひとつ」。間奏の北公次のバク転が物凄くて驚いた!朝丘雪路「雨がやんだら」。「11PM」で大橋巨泉と名コンビを組んで「繭子ひとり」に出演していて、もう八面六臂の活躍をされていた中で放った大ヒット。ここで時刻は10時30分。ヒデとロザンナ「望むものはすべて」。この歌も知らんかった。リズム楽器での応援が菅原洋一・坂本九・尾崎紀世彦・堺正章・アイジョージという贅沢。雪村いづみ「涙」。これは…また不勉強で申し訳ないのだが、サンレモとかの歌なのだろうか?ドラマチックかつ高らかに歌い上げていた。お次はアイ・ジョージ「自由通りの午後」。…なんかもう不勉強でなんなんだが、この歌も初めて聴いた。作曲者と出場回数のテロップが切れていたから、おそらく画面下部に修正しきれないノイズが出て、画面をズームしたのだろう。伊東ゆかり「誰も知らない」。この歌は、一昨年の歌手協会歌謡祭で聴いた。53年前のVTRだが、今と声があんまり変わっていないのは素直に凄いと思った。--------------------------------------------------------------3回目の中間発表の後、何故かタヒチアン?ポリネシアン?のダンスが唐突に始まった(笑)。常磐ハワイアンセンターとか…からだったのかいな??いしだあゆみ「砂漠のような東京で」。以前、このVTRを見たときは画面全体が白っぽく、カーテン越しみたいな画で見にくかったのだが、ピカピカの映像になっていて嬉しい。間奏の日比谷の夜景もよかった。白組に大御大・古賀政男先生が登場!東京に来たてホヤホヤのころの思い出を語った後、村田英雄「人生劇場」の指揮を!イントロで宮田輝が「楠木繁夫さん、中島孝さんと歌われ…」と言ったのには非常に驚いた!中島孝の名前を出した司会は、まずこれだけだろう。トップ先生も言ってなかったしな…。初出場の本田路津子「一人の手」。この歌、何回か前の「歌で綴る~」で夏丸師匠が歌っていた。私が知らなくて大恥かいた歌だよ(苦笑)。この年、天皇陛下(昭和天皇)がご訪欧された年だったようで、両陛下をお乗せした飛行機の機長とCAさんへ、宮田アナがインタビュー。そして…そしてだよ…‼‼大正10年、昭和天皇が皇太子時代にご訪欧されたときに出来た歌を、我らが藤山一郎先生が金ピカアコーディオンを弾きながら歌唱するという激レア場面(涙)‼‼「なつかしの歌声・放送全記録」を作ったときから、ず~っと気になっていた場面をついに見られたこの感激!この喜び!ワンコーラスだけだったが、本当に凄いものだった。そして「飛行機つながり」ということで、我らがフランク永井「羽田発7時50分」!この歌の歌唱映像、テレビ東京に1本だけ、しかもワンコーラスのみだった。これで無事に、今後「フランク永井特集」がNHKで組まれるときは、この映像が使われるようになるでしょう(笑)。ザ・ピーナッツ「サンフランシスコの女(ひと)」。歌謡曲系を歌うようになった時期の歌だが、抜群のハーモニーを聴かせてくれた。間奏で物凄いノイズが出ていたが、鑑賞に堪えるまでここまで修正できたのは凄いと、素直に賛辞を贈りたい。宝塚歌劇団雪組のラインダンスが。まあ考えてみれば、ここは東京宝塚劇場なんであって、こっちが本来の使い方(?)だが…。これは紅組メンバーに「スータン」こと真帆志ぶきがいたから、特例での出演みたいなもんだったのかもしれない。宮田アナと尾崎紀世彦の2人で、ボクシングの大場選手を紹介したあとに、初出場のマチャアキ・堺正章巨匠の登場!「さらば恋人」が大ヒットして、TBSドラマ「時間ですよ」も大当たりしていたときの…まさに絶頂期の抜群の歌声!今まで何度となく「さらば恋人」を聴いてきたが、ベストテークはこれだろう!同じく初出場の渚ゆう子「京都慕情」。この第22回は、私も知らない歌も多くあるが、今でも普通に歌い継がれている歌がこんなに大量にあったのね…(感涙)。関西からの応援で、当時「ドツキ漫才」で一世を風靡していた正司敏江・玲児のご両人と笑福亭仁鶴師匠が登場!私もテレビで、後年のドツキ漫才は何度となく見ていたが、全盛期は飛び蹴り…というか、ドロップキックしていたとは知らなかった。これは演芸マニアも大喜びの貴重映像。急に画面は東京宝塚劇場の外。坂本九がレポーターになって、当時最先端だったのだろうか?今の電気自動車を「無公害自動車」という名で紹介していた。当時は公害問題の真っ只中だったからか…。バッテリーで動いていたのだろうか?その中継が半ば強制的にぶった切られ(笑)、舞台には千昌夫が登場して「わが町は緑なりき」。この歌も初聴。タイトルがジョン・フォードの映画だな…と思った。ここで画面が切り替わり、急に画質が落ちて、音もモノラルになった。ラジオの録音音声みたいに聴こえたが…。ここら辺も修正に骨が折れたのだろうと推察される…。あるいは宮田アナが自宅で録っていたVTR以外のものが見つかったんだろうか?都はるみの登場で「港町」。そして白組に三波春夫先生が登場!白組バンド紹介のあと、これもテレビでの歌唱はレアであろう「桃中軒雲右ェ門」!歌いだしが少しだけバンドとズレたが、すぐにリカバーして抜群の喉を聴かせてくれた。間奏での「南部坂雪の別れ」が結構のひと言!2番の途中で、音質が元に戻った(笑)。4回目の中間発表の後、急に鶴岡雅義・五木ひろし・堺正章・森進一・ちあきなおみでの時代劇コント。何でかいな?と思っていたら、舞台中央から橋幸夫が鯔背な丁髷姿で登場。マイク前で雪駄が滑ったのはご愛敬か(笑)。歌は「次郎長笠」。間奏の立ち回りも懐かしい。にしても、若いときの橋幸夫の丁髷姿は市川雷蔵ソックリだ!そしてスータン・真帆志ぶきで「嘆きのインディアン」。この歌は外国曲のカヴァー…で合ってるのだろうか?ホントに不勉強で申し訳ない‼宮川泰先生がド派手に登場して、布施明「愛の終りに」。テロップを見たら「作曲・クニ河内」となってた。自分の曲じゃないのに、何故に出てきたのであろうか(笑)??宮川先生の指揮棒が派手で、曲の最後に銀色の紙吹雪まで撒いていた(苦笑)。歌手より目立つ指揮者(笑)。弘田三枝子は「バラの革命」。この人が故人というのが、何だか今でも信じられない。歌は当然、抜群の巧さ。鶴岡雅義と東京ロマンチカは「追憶」。この歌も作曲が平尾昌晃先生だった。この年、大活躍だったのね…。三條正人のヒサシ頭が懐かしい。昭和40年代後半~50年代前半の「紅白」のシンボルだった佐良直美は「片道列車」。この歌も知らなかった。改めて佐良直美の歌の巧さに気付かされた。白組のヒザは、早世してしまったおミズ・水原弘の登場!ハマクラ先生作詞・作曲の「こんど生まれて来る時は」という「ヘンな女」の続編みたいな歌だった。薗田憲一とデキシーキングスの伴奏も非常に好く、おミズの歌とアドリブの巧さに唸った1曲。和田アキ子・佐良直美のご両人が司会に回り、水前寺清子の「ああ男なら男なら」。客席からの「チータ‼‼」の絶叫も懐かしく、紅組総出の応援も実に往年の紅白らしい。チータの親友、青江三奈の心からの応援が強く印象に残った。そしてトリ!白は猪俣先生の指揮で森進一「おふくろさん」!何かにとり憑かれたような絶唱…つうか熱唱!センターマイクがグラグラ揺れるわ、瞳孔は開いているわ…見ていた子供が泣き出した…つう噂を聞いたことがあるが…まあホントかもしれない(苦笑)。そのあと、なんと雪之丞姿の長谷川一夫先生が颯爽と登場!美空ひばりの東海林先生カヴァー「むらさき小唄」に合わせて踊り、白組と紅組で長谷川先生を取り合うというひとくだりがあった後、いよいよ大トリ!長谷川先生が「私の妹姐、美空ひばりでございます!」と紹介。鈴木文弥アナの司会(影ナレ)で出てくる特別待遇で「この道を行く」をフルで絶唱!お嬢が好きとか、嫌いとかは関係ない。お嬢の声は、まさに1年を締めくくるに相応しい貫禄と、誰も超えることの出来ない問答無用の迫力があった。これが紅白のトリなのよ!よく考えたら第22回紅白、古賀政男・藤山一郎・長谷川一夫・美空ひばりと、国民栄誉賞受賞者が4人も出ている!凄い…。---------------------------------------------------------------そして最終集計の結果、白組が僅差で3年ぶりに勝利。最後に驚いたのは「蛍の光」の指揮が、藤山先生じゃなくて客席にいた岩城宏之先生だったこと!藤山先生は歌ったら、家に帰っちゃったのだろうか??…それにしてもね、今日が大晦日なんじゃないか?と思うほど「第22回紅白」を堪能してしまった。あのボロボロVTRをここまでの画に修復したスタッフの方々には、心からのお礼を申し上げたい。ありがとうございました。大晦日は、21時からもう1回これ見るか(笑)。その前は「第4回年忘れ大行進」も見なくちゃね(笑)。
2024年12月16日
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2020年2月以来、実に5年10か月ぶりの開催!昭和100年の年の年末を飾る超豪華落語会のご案内です!橘ノ圓満師匠・春風亭三朝師匠・桂夏丸師匠・春風亭昇也師匠、そして超絶演芸マニアの二ツ目・金原亭馬吉さんに、落語協会のお囃子・松尾あささんを迎えて、演芸ファンが泣いて喜ぶ(と思う)年忘れの豪華共演番組!それが!「出囃子と物真似で綴る戦後落語黄金時代」開催日…12月17日(水) 会場…アートスペース兜座5階・演芸フロア開場…18時 開演…18時30分 終演…21時 料金…(予約)4,000円 (当日)4,500円 出演…橘ノ圓満、春風亭三朝、桂夏丸、春風亭昇也、金原亭馬吉、 (お囃子)松尾あさ、(第2部進行)林田雄一 予約先 (メール) 0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp (携帯) 090-4183-2028(←ショートメール希望) あささんによる三味線の生演奏&馬吉さんの太鼓で、圓満師匠を筆頭に夏丸師匠・昇也師匠に、往年の名人や現役の芸人さんの物真似(形態&声帯模写)をしていただきます!昨今の物価高のあおりを受け、料金が少々お高めで申し訳ないと思いますが、これだけの出演者でこれだけの豪華内容ですから、決して高くないと主催者は思います(笑)!年末のお忙しい時期かとは存じますが、是非とも有休をお取りいただいて、ご来場いただければ幸いです!兜座は満員で43席前後…だと思います。既にポツポツとですがご予約をいただき始めておりますので、ご予約・お問い合わせはお早めにご連絡を!よろしくお願いいたします!
2025年10月18日
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1月2日は、ポツンと正月休みだったので(3日と今日は、また普通に仕事)毎度ながら親子そろって赤坂の日枝神社に初詣。私は2年ぶりに着物で出かけることにした。これまで何度も袖を通したからか、毎年着る速度が速くなり、ついに今年は10分を切った(笑)。着慣れるって大事だよ、ホントに。ところがよ、ところが!1年間着ないと、ホントに体が怠けてるというか…日ごろ「洋服がどれだけ楽か」というのを痛感する。歩幅はいつもの3分の2程度、動きの制限がかなりある、全身つっぱらかる、等々…。特に雪駄を履いて歩いていると、いちばんキツイのは、段差でもなくホテルのロビーでもなく…。正解は「微妙な上り坂」、これがツライ!!そんなこんなで、赤坂中を歩き回ったら、昨日の朝…。両足全部が筋肉痛!!筋という筋全部が!てなわけで、ボルタレン塗りまくって出勤することと相成った(笑)。でも、せめて正月中にはもう一度和服で出かけたい。やっぱり、寄席(か落語会)行くときにしようかな。
2016年01月04日
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支那・南鮮関連で、昨日今日と非常に腹の立つニュースがあったが、それと同じくらいカチンときてしまったニュースが、年末にあった。以下、サンケイスポーツより。大みそか放送の「第63回NHK紅白歌合戦」(後7・15)のリハーサルが30日、東京・渋谷のNHKホールで行われた。今年で63回の紅白はこれまでフルバンドによる生演奏だったが、今回は初めてフルバンドを入れないことが30日、分かった。伴奏は従来、NHKホールに近いスタジオでフルバンドが生演奏し、専用回線で届ける形。三原綱木とザ・ニューブリードが1972年から連続出演してきたが、今回はいない。 このため自前のバンドを入れる歌手以外は、ニューブリードなどの演奏で事前に伴奏をスタジオで録音。31日は、その音源を元に、いわばカラオケ方式で歌を披露することになる。理由について同局は、歌手が歌うバックの映像を歌に合わせて凝ったものにしているため、事前録音が適していると判断。演出効果を優先した形だが、「来年以降はどうするか未定」としている。一言で言やあ「ふざけんな!」である。歌番組は「生バンド演奏で歌うもの」が常識であり、事前録音だったら、テレビ東京でたま~にやってる「カラオケバトル」の番組と同じじゃないか。私は「紅白歌合戦」を一部しか見ていないが、舞台を無駄に広く使う意味が全く分からない。昔のように、紅組・白組にそれぞれのバックバンドが控えてて、ある程度の広さしかない舞台でも何とか歌っていくというのが、紅白の味だったのではないか。裏番組のテレビ東京「第45回年忘れにっぽんの歌」は生バンド演奏だったが、これもバンドが全面に出ずに、御簾(?)の向こうで演奏していた。生放送の歌番組は、生バンド演奏が命のはずなのに…それを軽んじたら、歌番組を名乗る資格はないと思う。昔の歌番組のセットを見て欲しい。昭和44年12月31日放送・東京12チャンネル「なつかしの歌声・年忘れ大行進」より生バンドが舞台に2組、舞台下に1組と合計3組!いいんだよ!歌番組はセットに凝らなくても、キチンと見える位置にフルバンドがいりゃあよ!同じ舞台を、別カットから見るとこんな感じ。↓昭和46年大晦日の歌舞伎座は、こんな感じ。↓…いいじゃないか!実にシンプルで(笑)。年末恒例の柳亭市馬師匠の落語会&歌謡ショーも、必ずこの形でやるから、客席も盛り上がるのであって、カラオケじゃ決して、ああは盛り上がらない。今年の紅白は(1月4日に言うのも何だけど)、必ず生バンド演奏、それも舞台上の「いちばんいい位置」にニューブリードを据えるべきであろう。カラオケ伴奏の紅白なんぞ、放送する価値は全くない。
2013年01月04日
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「うつ病にさえ、ならなけりゃ…」今日の午後、訃報を聞き真っ先に口をついて出た言葉。あの病さえなければ、ほかの病気にもならなかったかもしれないし、88歳という高齢でも、まだ普通にテレビで活躍できていた…かもしれない。そう思うと、本当に惜しいし、残念でたまらない。新東宝~東宝黄金期のスターの1人であり、ミュージカル俳優の先駆けであり、TVバラエティでも大活躍をされた俳優の高島忠夫さんが亡くなった。死因は老衰だという。------------------------------------------------------------新東宝では『坊ちゃん』シリーズでコミカルな演技を魅せ(監督は近江俊郎大先生!なぜか白山雅一先生も出た映画)新東宝倒産後は東宝に移籍。サラリーマン喜劇で、藤木悠や佐原健二と組んでヒット作をいくつも出した。『サラリーマン弥次喜多道中』とか。それと並行して『キングコング対ゴジラ』『海底軍艦』に『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』だとか『怪獣島の決戦・ゴジラの息子』などの数々の特撮映画で大活躍。また、日本初の本格的ブロードウェイミュージカルである『マイ・フェア・レディ』の初演では、ヒギンズ大佐役で江利チエミと共演。活躍がそのまま、昭和30年代の芸能史になるような感じの売れっ子ぶりだった。高島さんというと、個人的には(興行的には失敗だったが)昭和39年公開のミュージカル映画『君も出世ができる』が忘れがたい。フランキー堺とダブル主役、東宝のお家芸のサラリーマン喜劇をミュージカル化したもので、今もなお根強いファンがいる作品だと聞いたことがある。私は昔、どっかの名画座(場所失念)でかかったのを見ていて、そのあとCSでやったのを録画して持っている。フランキーや高島さんはミュージシャンだから歌が上手いのは当然なのだが、藤村有弘・有島一郎・十朱久雄まで踊り狂うというスゴイ映画。『君も出世ができる』公開当時に発売された、サントラのソノシート!!滅多にない貴重品……だと思う(苦笑)。これを手に入れるのには、本当に苦労したのヨ。昭和38年には寿美花代と結婚したが、翌昭和39年に長男を家政婦に殺されるという悲劇にも見舞われたりした。その後、高嶋政宏・高嶋政伸兄弟が生まれ、テレビも夫婦で『ごちそうさま』の司会をされたりと、順風満帆の活躍を続けてこられた。個人的には『ゴールデン洋画劇場』の解説、あと同じフジの『クイズ!年の差なんて』のアダルトチームのキャプテンの印象が強いし懐かしい。『ドレミファドン』の司会の記憶はなんか朧げなのよ、世代的に。覚えてはいるけど。確か『ドレミファドン』で、高島忠夫の看板フレーズだった『イェーイ!』が生まれたのよね。--------------------------------------------------------------1998年に重度のうつ病を発症。しばらく表舞台から姿を消し闘病生活を続けていたが復活。その後、うつ病が再発したが2003年ごろから再復活された。しかし、その後はパーキンソン病や不整脈など、様々な病との闘いの日々になって、表舞台から完全に姿を消してしまった。寿美花代さんの、献身的な介護を追ったドキュメンタリーでその姿を見たのが、テレビでは最後だったか。2013年ごろだったと思う。ここ調べりゃいいんだけど、記憶だけで書く談志システムで書いているから、記憶がチト曖昧。--------------------------------------------------------------今日の訃報で出ていた、政宏・政伸兄弟のコメントによると、ここ2~3年は本当に大変な介護だったようだ。寿美さんもテレビに全然出なくなっていたから、おそらく付きっきりで献身的介護をされていたのだろう。闘病だらけの苦しい晩年になってしまったのは、ご当人も無念だと思う。でも、最期は家族に見守られての、とても安らかなものだったようだ。それはよかったと思う。寿美花代さんと政宏・政伸のご兄弟には、お父様の長期間の介護、本当にお疲れさまでした…と、これしか言えない。高島忠夫さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2019年06月28日
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いやいやいや…実にどうも…ポッドキャストと、それに付随した公式Ⅹ(Twitter)更新に追われて…。そのあげく、2月17日(土)の晩に7年ぶりに酷い風邪をひいて、いま現在声が全く出ない状況という…。「第13回・歌で綴る~」以来の大病で、ただいま絶不調(苦笑)。その上ねぇ…先ほど…腸が煮えくり返るというか…これほど腹が立つことがあるのか…という事象があって、ま~た体調が悪化しそう(笑)。人が何十年かけて死に物狂いで調べ上げたことを、よくもまぁ何の挨拶もなしに簡単に横取りして…。もう”こっちの趣味”は足を洗おうかな。なんかいろいろ嫌だ。----------------------------------------------------------------それはさておき!おかげさまで、三朝師匠とのポッドキャストは大好評の嵐であります(かなり誇張気味)。林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」 | stand.fm林田・三朝の「おもしろ演芸&芸能史」 (seesaa.net)そしてまた、当方の職場の同僚がYouTubeチャンネルを開設してくれました!今月からは3方向でお聴きになれます!おもしろ演芸チャンネル - YouTubeただし、YouTubeはアップするまでにタイムラグがあるので、できればstand.fmでお聴きいただければ幸いです!
2024年03月01日
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よく「戦後の日本を明るく照らした3大スター」みたいな括りを考えるとき「美空ひばり」「石原裕次郎」は確定で、あと1人が各人の考え方によって変わる…なんてことがある。私の本音は「森繁久彌」だと思うし、「高倉健」という人も多いと思う。プロレスが好きな人なら「力道山」「アントニオ猪木」と言う方もおられるかもしれない。「植木等」もそうかな?しかし世間的に「ひばり」「裕次郎」と並ぶ、戦後日本の太陽は、やっぱり「ミスター」長嶋茂雄なんではなかろうか。------------------------------------------------------------------巨人軍を愛し、プロ野球界全体を愛し、人の悪口や陰口を言わぬ大らかな人柄。天然ボケと言われてしまうが、数々の珍言動やら珍行動(苦笑)で、日本人に笑顔と元気を与え続けた長嶋さん。2004年3月に重度の脳疾患で倒れられ21年。想像を絶する過酷なリハビリをされていたが…今朝、89年の生涯に幕を下ろした。89は「や・きゅう」とも読めるし、今日は6月3日!自身の背番号(永久欠番)であり、お好きな数字だったという「3」の日にあの世に旅立たれるとは…何たるスター性!訃報を知ったときは驚いたが、上記のことやらを考えるにつけ……「やっぱりミスターは凄いわ!本当にお疲れさまでした!」という言葉しか出てこなかった。そんな感がある。しかし「昭和の巨星堕つ」という言葉が真っ先に頭に浮かんだのは言うまでもない。昭和100年の年に、戦後日本の象徴が旅立った…というのは、単なる寂しさとか悲しさだけで片付けられない。あと徳光さんが「後追い~」するんじゃないかとヒヤヒヤしたが…夕方の日テレのニュースと、その後の追悼特別番組に出ていたからホッとした。明治天皇崩御のときの乃木大将みたいになったら大変だ…とね。-------------------------------------------------------------------正直、私は野球オンチなので、長嶋さんのプレースタイルはまったく語れない。下手にここに書いて「無知なくせに、何を偉そうに書いて粋がっているんだ!この大バカ!ノータリン!お前が死ね!」などと罵倒されたくない(冷汗)。だから、まあ色々思い出す長嶋さんのことをいくつか…。まあ、やっぱり珍言動・珍行動の話になるだろうか。徳光さん筆頭に、ビートたけし・高田文夫などという方々の口から語られる「ホントにそんな人いるのかよ⁉」的な話の数々に、もう腹ァ抱えて笑い転げた。どこまでホントか知らないが…。曰く…・一茂が子供のとき、後楽園球場に連れて行って、帰りに忘れて 球場に置いてきた。・現役時代、柴田選手がロッカールームに小銭を置いてそのまま 着替えていたところ、長嶋さんがその小銭を取ろうとしたので 「ああ、チョーさん!その小銭は僕の…」「あぁ~そうなの? ごめんねぇ、僕のと似てたから!」・外車で上野駅前に乗り付け、エンジンかけっぱなしでそのまんま 地方遠征に行っちゃった。鍵もかけずに。・何かのインタビュー番組で(日テレの「ミユキ野球教室」?) 「お好きな朝食のおかずを1つ挙げてください」と聞かれて、 20品目ぐらい挙げた。・「好きな数字は?」「ラッキーセブンの3!」・支那にロケに行った際「お蕎麦が食べたい…」と言ったのを聞いた 徳光さんが、支那在住の日本蕎麦職人(当然日本人よ)に頼み込んで 蕎麦屋同様のメニューを作れるようにスタンバイ。 「長嶋さん!お好きなものをどうぞ!」「…じゃあ、カツ丼」・「鯖という字は、魚偏にブルーですかぁ?」・クリーニング屋で「いいスーツですねぇ~!お幾らですかぁ?」と 買おうとした。・監督1年目(昭和50年)のとき、「監督になっていかがですか?」 「いや~大変です!何しろ、毎日がジャイアンツ戦ですから!」・自由が丘(か田園調布?)の寿司屋で、自分に全然構ってくれない 寿司屋の大将に「ヘイ!シェフ!」と呼びかけた。・自分で電車などの切符を持ったことがなく(当然買ったこともない) 新幹線の自動改札を通ろうとした際、バーン!と止められ、切符の 投入口に「長嶋です!長嶋です!」と言った。…パッと思いつくだけでこれよ(苦笑)。あと、あんまりここで書くとマズイのもあるが、それはまたポッドキャストで…。あとあれか。世界陸上?だかのときの特別レポーターが長嶋さんで、カール・ルイスに「ヘイ!カール!」っつったのとか(苦笑)。-------------------------------------------------------------------でも、そのような点も含めて、これほどまで愛された野球選手を他に知らない。そして天才的な野球のセンス…その裏には当然、人の数十倍・数百倍の努力があったわけだが…。王貞治さんが記録の人なら、長嶋さんはやっぱり「記憶の人」となるのだろう。長嶋さんのことを神様レベルで崇め奉っている方が、全国に…数十万…いや!数百万はいることは頷ける。-------------------------------------------------------------------昭和33年に巨人軍入団。昭和49年に現役引退。その後は監督2回。そして文化人として大活躍された長嶋さん。普通だったら助からないような脳疾患を乗り越え、身体が不自由になっても、巨人軍の後輩や他球団の選手、そして少年野球の子らに野球の素晴らしさ・楽しさを教え続けた長嶋さん。安倍総理が、長嶋さんに国民栄誉賞を生前に与えたことは、本当によかった。正しい判断だったと思う。そして野球人初の文化勲章に輝いて、天国に旅立った長嶋さん。後年の20年が、過酷なリハビリ~闘病にならなかったら、もっと大活躍されたはずなのに…と思う気持ちもあるが、今はただ冒頭に書いたとおりで「お疲れさまでした」の言葉を送りたい。戦後日本を明るく照らした「ミスター」長嶋茂雄さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。…今日は長嶋さんの立教大学の大先輩の、野球が死ぬほど好きで「野球の合間に歌を歌ってる」と言われた、この人のこの歌でも聴いてから寝るか。今ごろ、この方や川上監督とも会えたかな?
2025年06月03日
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(昭和46年12月31日放送「第22回NHK紅白歌合戦」より)6月だったか。夢グループのコンサートで「潮来笠」を歌いながら涎を垂らしてたのを見たとき、何とも言えない寂しい気持ちになり、「これ以上…ねぇ…」と思ったが…。つい先ほど知った訃報に物凄く動揺したし、非常に寂しい気持ちになったが「お疲れさまでした!これ以上、晩節を汚さないうちに逝けて良かったですね!」と声をかけたい気持ちにもなった。不謹慎な言い方だと思う方もいるかもしれないが、江戸っ子らしいキレイな引き際に「よかったなぁ」と思った気持ちに変わりはない。--------------------------------------------------------------------橋幸夫さん。6月から入院をされていたそうだが、昨日(9月4日)の23時48分、82歳で亡くなられた。これは私個人の意見なんで、刑部教授やたけ平師匠がどう言うかは分からないけども「最後の昭和歌謡の大スター」だったと言い切っていい歌手だろう。それは「両手に余るヒット曲があること」「映画に沢山出ていること」「バラエティー番組でも名前が出ることが多い」、この3つを備えた最後の人だと思うからだ。昭和18年、荒川区の呉服屋の息子に生まれた。遠藤実先生の下で歌のレッスンを受けていたが、吉田正先生の下に移り、ビクターの専属となった。この直前、確かコロムビアのオーディションを受け落ちているのだが、このときに合格していたら「舟木一夫」の名でデビューすることになっていた!という秘話がある。歌謡曲歌手のデビュー年齢を一気に引き下げたのが、橋さんだった。昭和35年(1960)、17歳で「潮来笠」でデビュー。この歌がいきなり大ヒットして、当時のルールでは「新人1年目では出られなかった」紅白歌合戦に初出場(第11回)!橋さん「潮来笠」が読めなくて、確か「シオキタガサ」だったか「シオクルガサ」と読んでしまい、吉田先生に怒られた…というエピソードを聞いたことがある(苦笑)。…と書いてて急に思ったのだが、「橋」という苗字、橋さん以外に聞いたことがない。言い慣れてるから今まで何とも感じなかったが、結構珍名なんじゃなかろうか??(2025.09.06追記)ある落語仲間からメールが来て「浅草コメディアンで喜劇人協会の会長もされていた橋達也さんがいますよ」との指摘が(苦笑)。言われりゃ確かにそうでした!こちらの橋さんのご本名は「枦さん」だそうで…これも珍名さんだな…。------------------------------------------------------------------その後はもう、股旅歌謡にリズム歌謡に青春歌謡に、今でも普通に歌い継がれている大ヒット曲を数々飛ばした。ちょっと思いつくだけでも…。「おけさ唄えば」「木曽ぶし三度笠」「南海の美少年」「沓掛時次郎」「江梨子」「中山七里」「いつでも夢を」「舞妓はん」「お嬢吉三」「恋をするなら」「チェッチェッチェッ」「あの娘と僕」「雨の中の二人」「霧氷」「殺陣師一代」「恋のメキシカン・ロック」「佐久の鯉太郎」「若者の子守唄」「赤い夕陽の三度笠」「次郎長笠」「子連れ狼」「今夜は離さない」あたりが出てくる。そういや20年ぐらい前に「盆ダンス」という、ワケわからない(苦笑)歌も出していたっけ。「紅白歌合戦」は、昭和35年の第11回から昭和51年の第27回まで17回連続で出場。その後、平成になって2度出ており、そのときは2度とも「いつでも夢を」での出場だった。最後の出場は、確か吉田正先生の追悼だったような記憶がある。「紅白」では、いわゆる股旅ものの歌唱時には軽く殺陣をやったりミニコントみたいな件があってから(あるいは曲間に)歌っていた…そんな印象がある。去年の暮れに「第22回」を見たから、それが記憶にこびりついているのかも。あと初めて「レコード大賞」2冠を達成したのも橋さん。第4回が「いつでも夢を」(吉永小百合とデュエット)、第8回で「霧氷」か。-----------------------------------------------------------------平成になってからは、バラエティー番組でも、その姿を頻繁に見かけていた印象もある。やはり、清水アキラがフジテレビの「ものまね王座~」において、セロテープで両目を吊り上げ、スイミングキャップにハイレグ水着(もちろん女性もの)で「恋のメキシカン・ロック」を散々歌って、ご本人登場でエライ空気が流れる(笑)という、あれを見た印象が強いんだろうなぁ!「クイズ!年の差なんて」や、日テレの「夜もヒッパレ」とかで見た記憶もある。あと1996年か1997年だったと思うが、これもフジテレビだったが「27時間テレビ」で、たけし・さんま・SMAPと共演していて、深夜のコーナーで、殿が橋さんの秘密(カ●●)をバラしてしまい、大騒ぎになったのは覚えている。私ゃ腹ァ抱えて笑ったから(笑)。-----------------------------------------------------------------2000年代は「日本歌手協会・歌謡祭」で、その姿を客席で何度も見ることができた。その時期は歌手協会のお偉方だった橋さん、水前寺清子が副会長で、それこそ2人で「歌謡祭」を引っ張っておられた時期に、ゆうぽうとや中野サンプラザで何度もその歌声を聴くことができたのは財産である。でも、その後「アレ」との人間関係悪化(軋轢?)があったのだろうか。歌手協会を辞められたのは、本当に残念だった。その後は「夢グループ」の専属となって、例の通販のCMでも姿を見かけてはいたが…。夢グループの石田社長が悪いとは全く言わないが、あれだけの大スターの橋さんが安く売られている…言葉が悪いが「バーゲンセールみたいな感じ」で歌っていたのが、私はどうにもこうにも納得できなかったというか…。カラオケ伴奏だし。「たられば」の話ほどアホらしいものはないが、日本歌手協会に残っておられれば、間違いなく会長になっていただろう。陣頭指揮を執りつつ、歌謡祭のトリで「潮来笠」「いつでも夢を」などを歌って大盛り上がりになることは、容易に想像がつく。そして橋さんの「価値」も全く下がらずに、そしてひょっとしたら認知症にもならずに、もっと頑張れたかもしれない。そんなことを、先ほど聞いた訃報でついつい考えてしまった。「現実は事実」だし、亡くなられてしまったわけだから、今さら何を言っても仕方ないのだが…。------------------------------------------------------------------今となってみたら、あのコロナ禍での歌手引退宣言のとき、既にアルツハイマー型認知症の兆候は出ていたということだろう。その後、復帰宣言をしたときには、結構症状が進んでいたということもあったのかもしれない。でも、そのような状態になっても、もう一度お客さん・ファンの前に帰ってきて、不完全ながらもステージをギリギリまで務めて天国に旅立った…というのは、良かったのかもしれない。昭和35年(1960)デビュー。歌手生活65年!享年も歌手生活の時間も、ほぼ藤山一郎先生と同じだったということか。そう思うと、本当に大きな大きな歌謡界の星を失ったんだ…と思わずにはいられない。橋さん、長い間お疲れさまでした。そして闘病から解放されて、ホッとしておられることでしょう。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2025年09月05日
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5月末のときは、あれほど期待していたのに…。なんか、激しく裏切られたような気持ちが強い、最近。それとも…己の眼力がなかったのかもしれないが…。春風亭昇太師が六代目の司会者に就任し、新たに三平師がレギュラーに入って、『笑点』にやっとこさ、新しい風が吹き始めたと思ったら…。「伝統ある演芸番組の風」が吹かず「セコなバラエティーに汚染された風」が吹き始めてしまった(怒)。「…スタッフは日テレの屋台骨の、この番組を一刻も早く終了させたいのだろうか…?」そう勘ぐりたくなってしまうほど、番組全体のレベルが著しく下がってしまった。私はそう思う。-----------------------------------------------------第一に、OPのアニメがいただけない。この番組の司会は、昇太師である。司会というものは、年功序列は一切関係なく、番組のトップ。なのに、OPのアニメの登場順が年功序列のままなのは絶対におかしい。早急に直すべきだ。そんなことは絶対ないと思いたいが、もし木久扇師とか圓楽師がイチャモンを付けて、あのままなのだとしたら、番組スタッフは「司会者が途中に出てくるのは変です」と異議を唱えるべきだろうよ。昇太師→木久扇師→圓楽師→好楽師→小遊三師→たい平師→三平師→山田隆夫の順番でないと、誰が司会者なんだか分からない人も多いんじゃないの?「司会が毎週、持ち回りなのか?」と勘違いする人だって絶対出てくるだろうよ(苦笑)。------------------------------------------------------第二は、大喜利前の演芸コーナー。恐らく香葉子さんの強大なゴリ押し、あるいはスタッフの根岸に対してのゴマスリのどちらか分からないが、最近は三平師プッシュが悪目立ちしすぎる。特に佐智子夫人の懐妊なんて、わざわざOPで演芸部分を潰してまで放送するようなことじゃないでしょうよ!年に数度、座布団十枚獲得のときだけ、VTRコーナーになるのが新鮮でいいのであって、たい平師の24時間テレビのマラソン練習だとかを放送する必要はない。意味もない。まあ、ここ数週間は元に戻ったが、いつまたスタッフがVTRコーナーを入れたがるのか不安である。どうせ、24時間テレビのたい平師のマラソン密着とかが、9月上旬のOPコーナーで流れるんだろうなぁ…。あ~、ホントに嫌だ嫌だ(苦笑)。------------------------------------------------------懐古趣味ばかりだと、いろいろなことが先に進まないのはよく分かる。確かに過去を振り返ってばかりでは、番組の発展はないかもしれない。しかし、こうなってしまった場合は、過去の番組構成を改めて認識して、50年続いた「偉大なるマンネリ」としてこれからの番組内容を考えなければいけないのではないか?他のバラエティー番組の…それもダメな部分だけを真似て、これからの『笑点』に何の発展があろう??よそのバラエティー番組がどんなに変わろうと終わろうと、大喜利の問題にのみ「時流」を取り込めばいいじゃないか。そのためには、やはり40分…は難しいから、17時15分からの45分番組にすべきなのではないだろうか?そして、前半コーナーは「テレビで売れてる芸人」ではなく、「キチンと寄席の高座を務めている」人をを出してほしい。月イチくらいは、前半20分で落語をやるべきだろうよ。ベテランでも若手でもいい。「寄席の藝」を流すべきだ。そうすれば後半の大喜利が、絶対に映えると思う。この番組が、世間一般と落語・寄席演芸を繋ぎ止めている唯一のものだ…という認識を、スタッフや作家はもう一度考えてもらいたい。-----------------------------------------------------『笑点』を3歳から見続けて(三波伸介司会の最末期)、今日こうなってしまった私(笑)のこの意見、極論だと思われる方も沢山いらっしゃるだろうが、この考え方は決して間違ってはいないと思っている。
2016年08月10日
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