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宋書に書かれた「倭の五王」は大和朝廷にはいない。
これが先日書いたトリム仮説でした。
ではこの五王の都はどこにあったのか?
隋書では阿蘇山のことが書かれていましたね。
倭王の都は九州にあるかもしれない。
では宋書にはその痕跡はあるのか?
・・・・・
あるんです♪
5人の倭王は常に中国(宋)に将軍の称号をもらおうと
国書を持って行ったようですが、 どんな称号をもらったんでしょうか?
これ、宋書に書かれています。
「使持節都督倭新羅任那・・・六国諸軍事安東将軍倭国王」
とっても長い称号で、各王によって多少の違いがあるんですが、
すべて 「使持節都督」 から始まる称号をもらっています。
これは、中国の役職である 「都督」 に任命されて、
そして「都督」を名乗ったと考えられます。
内閣のあるところを「内閣府」といいますよね。
これと同じように都督のいるところを「都督府」といいます。
ではその都督府は現在にその痕跡を残しているのでしょうか。
・・・・・・
あるんですね、これが♪
まずは文献的痕跡です。
日本書紀の天智紀に、白村江の戦い後、
天智6年(西暦667年)の条に、戦後処理として、
中国(唐)の役人を 筑紫都督府 に送る。
と明確に書いてあります。
筑紫(現九州北部)に都督府があったと 明確に書いてあるんです。
次に考古学的痕跡を見てみましょう。
これもあるんです。そう、大宰府です!
行ったことのある人も多いと思いますが、
「都督府古址」
やっぱり九州(筑紫)です。
では近畿に都督府の痕跡はあるのか?
・・・・
ないんです。
このことからも、倭の五王がいたところは九州を指しました。
宋書に書かれた「倭の五王」は筑紫の大宰府に住んでいた!
実はこの大宰府、もっと面白いことがあります。
次回はそれについて書きます。
SEE YOU NEXT TIME