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先日長男が24歳の誕生を迎えた。もう、立派な大人だ。その少し前は次男が二十歳の誕生日。この頼りない親父の下で、よくぞ立派に育ってくれたと思う。ちなみに我が家は男子二人が夏、女子二人が2月生まれである。夏は男の、冬は女の、家族そろって誕生日会をやっていた。今回、食事でも行こうかと、妻に誘ってみろと言ったが、彼女との約束があるとのこと。まあ、それもめでたいと、妻と二人で乾杯である。
2015.07.09
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末娘からクロックス、長男からバーボンが届いた。感謝、感謝である。
2015.07.01
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片方では、安穏な生活を望みつつ、でも、そうなると私のような横着者は、どんどんだらしなくなり、それでもいいかなんて思っていると、だんだん息が詰まり苦しくなってくる。なるべく自分自身を変えずにすむように、楽してるつもりが、実は変えようとしてがんばっている時や、変えざるを得なくなってもがいているときのほうが充実していたことに気づく。人生、何事も修行だと考えるのが、一番私にはすっきりするようだ。
2015.06.20
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ずいぶん久しぶりの書き込みになる。ちょっと疲れ気味だ。昨年のこの時期は扁桃腺炎を繰り返し、とうとう初入院を経験した。その数日後には無理を押して市民スポーツ大会の年代別リレーに参加。アンカーとして一人抜いて2位になり、ヒーローになったが、肉離れでゴール後医務室に直行。、今年はここまで扁桃腺は大丈夫。先週あった市民スポーツ大会は今年も年代別リレーで出ることになり、激務の間を縫って何度か練習。満を持しての出場だったが、かなり差がついて5位でバトンを受け取り、奮闘むなしくそのままの順位でのゴールだった。このあたりから疲れが出始めたのか、歯茎が腫れ始めた。抵抗力が落ちるといつも晴れるところである。一方、五十肩のほうは、とてもよい作業療法士?さんにあたることができて、順調に回復してきている。息子くらいの年齢だが、説明が実に明快で分かりやすい。自分もいつか本格的に勉強してみたいと思う。さて、衝撃の長女の婚約宣言はその後動きはなく、次男は高専の専攻科に進学を決め、長男、末娘も元気でやっているようだ。両親共に元気で、実に幸せな環境だと思う。私は、勤務校が昨年と同じということもあって、山のように仕事が増えた。責任の重い仕事も多く、消化不良気味である。ストレスも増えた。多分、最近のお疲れモードはこれが直接の原因だ。しかし、ここで反省である。もっと、きついことは過去何度もあった。それに比べれば今のストレスなど物の数ではない。精神的に追い詰められたときは、毎朝走ることで乗り切った。朝、5kmとか8kmとか走りきれれば、その日1日乗り切るくらいの元気はでる。と、いうことで、多分、気持ちも身体も、易きに流れるというか、だんだん、なまってきているのだろうと思う。まずは、気持ちを整えること。朝、走ること、文章を書くこと。このあたりから再スタートしてみようと思う。
2015.06.14
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畑仕事は半日もあればOKなので、山に登った。初日は、妻と帰省中の次男とで、福富の鷹ノ巣山へ。東広島市で一番高い山だそうだ。片道3kmほどを1時間くらいかけて登った。ブナの林がとても気持ちよい。トレイルラン用にスティックを買ったのでそれを試す意味もあった。もっとも片方は妻に渡したので、1本だけだったが、これが実に楽だった。上りはもちろん、下りもこれがあれば滑りやすい急傾斜もあまり怖くなかった。千円くらいの安物であるが、効果は絶大である。もうすぐ比婆のスカイランがあるある。これで試してみようかと思う。翌日は同じく帰省中の次女と妻で、ごく手近な今高野山へ。これは片道30分もかからない。帰宅後は急に思いついて庭でバーバーキュー。子供たちが小さかったころはよくやったものだが、久しぶりだ。GWですら、渋滞とは無縁で登れる山がいくらでもある。もちろん、畑仕事や山仕事はそれこそ無限にある。実に恵まれた環境だと思う。
2015.05.06
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相変わらず無計画のまま突入したGWも、もう終わりだ。この時期は、田植え準備や突然の来客など、計画通りにいかないことが多かったので、最初から予定を立てない癖がついてしまったのだろう。今年は春作業は、師匠がやってくれるので私は楽だ。その分、これまで妻にまかせっきりだった畑を少し自分でやってみることにした。一時は出荷できるほど畑もがんばったが、学校に勤務するようになってからは妻が自家用に少し作る程度だ。私は、きゅうりの季節はきゅうりを、トマトはトマト、大根は大根と、その旬のものは大量に食べて幸せを感じるタイプである。だから、いわゆる「ばっかり食」は全然気にならない。その代わり、皆がトマトをもてあましている時期にわが畑にないと、とてもさびしい気持ちになる。ここ数年そういう状況が続いたので、今年は最初から私も専用畑を確保してやることにした。久しぶりに腕が鳴る。
2015.05.06
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新年度に入り目の回るような忙しさが続いている。といってもそれは勤務校での話で、家ではそれを言い訳にして、のんびりさせてもらっている。せめてマラソンだけはと、なんとか大会だけは定期的に出ているが、記録はがた落ち、完走だけはしているという体たらくだ。朝学校に行き、気がつけば子供の下校時刻の4時。それから自分の仕事を始め次に時計をみれば7時前後。これはこれで幸せなことなのだろう。問題はそれ以外の時間だしっかり、踏ん張らなきゃと思う
2015.04.09
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20年近く連れ添ったユンボ(バックホー)とお別れした。中古で50万円で購入。破格の安値だった。中途半端に大きいので人気がないのだという説明だった。それでも黄色のペンキがピカピカだった。この地に来て、木の伐採から開墾、整地、石積みなど、これ抜きでは我が家の歴史は語れない。素人の私の無茶な使い方にもよく耐え、故障らしい故障もしなかった。昨年、エンジンがかからなくなり、懇意の農機具屋さんに修理を依頼したが、古すぎて部品がそろわず修理できないと言われ手放すことにした。もう一つ、同じくらい使ってきたトラクターともお別れした。どちらも、満身創痍。ボロボロである。スクラップにしか見えないであろう。私も同じ年数を経てきたわけだ。くたびれるはずである(笑)
2015.03.28
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青天の霹靂。このブログでは、小学校時代の盲腸入院に始まり、誕生日のローソク事件、保育所時代のバナナのエピソード、旅行中に311の震災に遭遇し私の渡していた当時の私にはかなり高額のお小遣いを全額寄付したりと何かと話題を提供してくれた。つい先日、1年近くのアジア放浪?から帰省。バイトで名古屋に行くが、途中アジア学院に寄っていくといって家を出た。そして、今日いきなりの電話である。思考停止。である。。。。
2015.03.02
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ハーフ。タイム2時間57秒。最初は完走さえできればという気持ちだったが、中間点で1時間3分。2時間は切ろうと欲が出た。欲といっても、基本、ハーフは1時間40分台で走ってきた。随分弱気になったものだ。後半かなり頑張ったけど少し及ばず。まあ、ここから再出発だ。
2015.02.01
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脱晩酌といっても、禁酒というわけでもなく、週末は飲んでもいいことにしているので特にどうということはなく過ごしている。体重の変化はまだあまり感じないが、時間は増えた。これまで夜7時半か8時ころ帰宅したらすぐに飲み始めていたから、夕食食べて風呂から出た頃にはすっかりできあがり、あとは寝るだけ。今は寝る直前まで頭も体もクリアだ。ずいぶん時間を無駄にしてたもんだと思う。さて、この時間を何に使おうか。。
2015.01.29
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30半ばあたりから始めた晩酌の習慣をやめることにした。飲み過ぎてしまうことが多くなったからだ。特に日本酒がいけない。そう思って実に数カ月ぶりに昨晩は飲まなかった。今日は娘の帰国祝いにビールを一杯だけ。噂によるとお酒をやめるとぐんぐん健康的に痩せるらしい。これも期待だ。(笑)
2015.01.20
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約1年間のアジア放浪?を終えて長女が返ってきた。無事で何よりだ。とにかくめでたい。一安心。
2015.01.20
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今年初マラソン。ハーフ タイム2時間10分 正月明け早々、完走できただけで上出来である。サッカー場であるエデイオンスタジアムの周りを10周。たまたま知り合いに会い、おしゃべりしながらのランとなった。私よりはるかに走力のある人なので、最後の2周はそれではと先に行ってしまったが、彼がいなかったら調子に乗って途中でオーバーペースになり完走も苦しかったかもしれない。それにしても、小雪交じりの天候で、とにかく寒かった。手袋と長袖は必要だなと思った。
2015.01.12
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この1カ月のテーマ。ブルースハープ。短期集中決戦だ。
2015.01.05
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昨晩、高校時代の仲間に誘われ、30数年ぶりのベースプレイ。一緒にやってたキーボードはプロ。ギターは勤めはあるものの、ずっと東京でライブハウスを回っている。高校の時さんざんやった曲だからと安請け合いをし、それなりには練習していったが、リハーサルに行って自分の無謀さを心から後悔した。それでも、いろんな人にいっぱい助けてもらってなんとか一曲やり終えた。(知る人は知っているスピニングトーホールドという曲です。)つくづく自分は人に恵まれていると思う。
2015.01.05
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距離は15km だけどアップダウンはかなりきつい。タイムは1時間36分。まあ、きつい登りも最後まで走りきれたというところで満足。走り終わるのを待ってたように雨。本当はまた弥山に登るつもりだったが、おとなしく帰った。先週、妻と登っておいて良かったと思う。
2014.11.30
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今日は妻と宮島。私は来週クロスカントリー走りに来るのだが、妻は来れないので、紅葉狩りと山登り兼ねてミニ旅行。気分的には定年退職後の老夫婦である。
2014.11.24
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20km タイム1時間55分8秒 昨年よりは1分早い。でも、その前の年よりは10分以上遅い。筋力の衰えを痛感。やっぱり普段コツコツ走っていた時は、知らないうちに筋力もついていたんだと思う。そういえば、最近ふくらはぎが細くなった気がしたものなあ。まあ、それでも20km走り切る体力は残っているということだ。またコツコツ走り始めよう。
2014.11.02
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扁桃腺のトラブル続きだと以前書いたら知り合いが仙人草のことをことを教えてくれた。葉っぱをちぎってしばらく腕に貼るだけだ。貼ったところが後で、火傷のようになるというので少し怖かったが、その程度のことで扁桃腺のトラブルが減るならと試してみた。結論からいうと、かなり効果があると思う。貼ってからも、何度か喉が痛くなったが、扁桃腺の腫れにつながらず、納まった。実は今も少し風邪をひきかけているのだが、扁桃腺は無事だ。それにしても今年に入ってから不調が多い。生活を整えていきたい。
2014.10.12
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今回の面接で徹底して衝かれたのはこの点である。学生時代は考古学ー卒業後農業関係の出版社に1年ー文化財関係の役所の臨時1年ー障害者の作業所2年半ー農業。一貫性がなく、いきあたりばったり、今度は教員ですか? 農業時代の収入のこともかなり聞かれたから、これは、農業で食えなくなったから今度は公務員ですか?という意味だろう。圧迫面接だと思っていたが、本気で反感を買ったのかもしれない。短期の転職経験は採用側からは非常に嫌われると聞いた。それも、もっともだと思う。学生時代に自分の進路をきちんと決められなかったというのも事実だし、とりあえず、やってみないとわからないから就職してみようと思ったのも事実だ。試行錯誤の20代だったのである。30代はなんとか農業で自立できないかと暗中模索。40代でたまたま臨時の教員の声がかかり、半分農業半分先生。51歳で採用のチャンスが生まれた。だから、受験した。なぜ、転職をしたのか。なぜ農業をはじめ、なぜ、今教員なのか、それをきちんと説明できなかった。文章にして整理することからはじめてみる。
2014.10.12
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日曜日、たっぷり時間を使ってこのブログを書いた。例によって、現状分析、過去を振り返り、なんとか前を向こうと気持を整理しながら書き込んでいった。どういうわけか、アップしたつもりができておらず、きれいに原稿は消えてしまった。しかし、昨年の不合格時の記事を読み返し、あまりにもよく似ていたので、妻と思わず笑ってしまった。唯一違ったのは、昨年は自分の後悔の気持との戦いを書いていたが、今年はそれがないことだ。やるだけのことはやったということか。。ここ一番と自分で決めた大勝負に敗れ、どうしようもないほど落ち込み、半生を振り返り、まあ悪くはないではないかと自分を慰め、なんとか前を向こうとする。人生論や名言集に救いを求め、立ち直る。若いころから何度繰り返してきただろう。性懲りもなく繰り返す自分がますます情けなくなり。。。しかし、今日、こんな言葉に出会った。「自分を信頼しはじめた、その瞬間にどう生きたらいいのかがわかる。」byゲーテすとんと心に落ちた。そうか、私をここまで運んでくれたのは、情けないこの私だ。情けないなりに悩んだり、迷ったり、苦しんだり、どれだけ頑張ってきたかは自分が一番よく知っている。その自分を自分が信頼できれば道は必ず開ける。そう確信できたような気がする。大勝負に弱くて、打ちのめされ、名言集に救いを求める、そういう自分をまず認めてやるのだ。さて、今から、再スタートである。
2014.10.08
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あきろまん。3枚で約8反。無事台風が来る前に刈り終えることができた。ぎりぎりの日程で、コンバインに乗る私も、軽トラで籾を搬送する妻もフル回転。夕方雲行きが怪しくなり少し焦ったが、なんとか、もった。朝から風が強く、朝露が早くとれてくれたこと、途中,機械のトラブルがあったが、馴染みの機械屋さんがすばやく対処してくれたことが、良かったのだと思う。そういえば、昔の私は、機械のトラブルがあると、とにかく自力で何とかしようとした。お金が無かったのが一番の理由であるが、随分、無理や無茶をしたなあと思う。そのおかげで、ある程度の技術も身についたし、できることとできないことの見極めもつくようになったのだが、、なんせ、ものすごいオンボロのコンバインばかり使っていたから、トラブルには事欠かなかったし(笑)30代のころの自分を思い返してみると、「がむしゃら」という言葉がよくあてはまる様な気がする。そんなに肩ひじ張らなくても、、、とか、もう少し、先の見込みのあることで頑張れば、、とか声をかけてやりたいが。 でも、いつも子供たち、家族がそばにいてくれたのが救いである。この頃の稲刈りは、家族総出、私の父母も手伝いに来てくれて、賑やかで楽しかった。弟の家族が手伝いに来てくれたこともあるし、友人、知人もよく来てくれた。小さなコンバイン、小さな田んぼだったから、みんな、子どもたちにも役割があったし。さて、今年の稲は、夏の悪天候の割にはよくできたと思う。感謝、感謝である。残りはこいもみじという初めて作る品種で小さい田ばかり。4枚で2反位。田も固く、倒伏の心配もない。猪の心配もない田なので、この台風も大丈夫だろう。明日はゆっくりしようと思う。
2014.10.04
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本日誕生日。覚書を思いつくまま。先日、妻と近くの山に登った。たまたま山頂で出会った人が写真を撮ってプリントしたものをハガキに貼って送って下さった。実に幸福そうな私が写っている。しかし、このとき、私は知らないだけで、すでに採用試験の不合格は決まっていたはずだ。これが、発表後であればこんな笑顔はできなかったと思う。そこで気がついた。不合格と、この山登りは何の関係もない。このとき私が幸せな笑顔ができなくても不合格が合格に変わるわけではない。それはそれ、これはこれである。何か一つ良いことがあったから、関係のないことまで楽しく、幸福にできる。これはOKだ。自分も周りもハッピーになれる。逆に何か1つ不幸なことがあったから、ほかの関係のないことまで楽しめない。これは愚の骨頂である。自分の大事な時間ばかりか、周りの時間まで貶めてしまう。今までの私がこれだ。つまりだ、たとえ、今回のこの不合格の通知を受け取った直後でも同じこの笑顔で、妻と山登りできる人間でありたいのだ。がんばって目標を達成する。それは、とても立派なことだ。しかし、それは目的ではなく手段なのだと気がついた。私も少し大人になれたのかもしれない。
2014.10.03
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教員採用試験またしても不合格。どうしてこうなのか。今回も敗因は面接だろうから、県教委の価値観と私の価値観にどこかズレがあるのだろう。たぶん、私がもう10年若ければ、そのズレは大した問題にはならないのだとも思う。なんせ私は校長先生であっても全然おかしくない年齢である。厳しい基準は当然と受け止めている。今年は、それを承知で臨んだにもかかわらず、クリアできなかった自分が情けないのだ。昨年は全人格を否定されたような気がして、本当に落ち込んだ。それを、「縁」という自分の問題として考えて、なんとか持ち直した。今も基本的にはこの考えは間違ってないと思う。今年も結局は縁がなかったのだ。そして、この悲しい結果も、最終的には結果オーライとなる。それはそれとして肯定的に受け止めておいて、やはり、合格できる受験スキルを身につけることができなかった自分が悔しいのだ。まあ、こんな風に考えられるくらいには、1年で成長できたということか。それにしても、私の人生、転んで立ち上がり、転んで立ち上がり。。ちょっと、転び過ぎではなかろうか。。。
2014.09.30
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もうすぐ誕生日である。どうも、辛い思い出のほうが多い。ここ10年を考えても、直前に認定試験の不合格通知を3回、採用試験の不合格通知を1回受け取っている。これだけでも4割は辛い思いをしていることになる。他に米の不作の年もあったから、半分以上は辛い誕生日。逆に考えればここ10年で1回認定試験の合格通知、数回の米の豊作。何より家族全員の無病息災。なんだ、十分すぎる幸せな誕生日を迎えているではないか。明日、2回目の採用試験の合格発表。結果はどうあれ、感謝して10月3日の誕生日を迎えよう。
2014.09.29
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稲刈り2反。思うように田の水が抜けなてない。しかし、台風接近。強行することにした。自分で言うのもおこがましいが、悪条件での作業は私は上手い。アクロバットのような作業を無事こなした。しかし、数年前の私ならコンバインを走行不能にしてしまったかもしれない。こんな私でも少しは成長しているのだ。さて、今日、留学を終え、しばらく帰省していた末娘と、免許合宿を終えた次男が、帰寮した。僅か数日の4人の暮らしが終了。寂しいもんだ。久々にコタエタ。そういえば、最近、感情の起伏が随分少なくなったような気がする。年の功。これも成長か?寂しいときは、寂しい。悲しいとき、辛い時。もっと正直でもいいんではないか。そういうとき、音楽や文学や美術なんかが身にしみるのかも。涙流して2人を見送ってもよかったのかもね(笑)
2014.09.23
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19km タイム 3時間8分 距離が少し変わっているようなので単純に比較はできないが、これまでより30分は遅くなっていると思う。トレイルとはいえ、ほかの比婆山や蒲刈に比べると、自分的には楽なコースのはずだったのに。。。嘆いても仕方ない。これが現実なのだ。最近は30kgの米袋がとても重く感じられるし、子どもたちと走っていても、突然ダッシュしたくなるような衝動もない。ここ2年でずい分衰えた。まあ、ここからスタートだ。がんばろう。
2014.09.15
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コシヒカリ。4反分。帰省中の末娘と、妻と。とても良い天気だった。
2014.09.13
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5月に扁桃腺炎になって以来、ずっと続いた体調不良もやっと回復か?治ったと思って少し無理をしたらまた発熱。そんなことを繰り返し、体温計が手放せないようになっていた。まるで昔の小説によく出てきた、病弱な深窓のご令嬢だ。まったく仕事にならんと、さすがに不安になっていたが、もう大丈夫のようだ。健康であることのありがたさを身にしみて感じている。
2014.09.09
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災害の中、二次試験。会場に向かいながらこれは中止になるんじゃないかと何度も県教委のHPを確認した。市内に入ると河口近くの海も泥水のような茶色で、これはただ事ではないと思った。初日は実技。音楽、バイエルは昨年と同じ曲にしたので何とかノーミスで弾けた。リコーダーは予想通りの春の小川だったが、1箇所ミス。そして低いレが2回濁った。歌は我は海の子。これは自己採点できない。多分、大きくはずすようなことはなかったのではないかと思う。体育、縄跳び、前とび30秒。きつかったが跳び続けた。後ろあやとび30秒。これはアウト。苦手なので練習したことがない。30秒の間に3回できたかどうか。。二重跳びなら自信あったのに。。。2日目面接、超圧迫面接。私が若い女なら絶対泣き出している(笑)途中、喧嘩を売っているのかと思いたくなるような面接だった。私なんて経歴は突っ込みどころ満載。つくづく自分は公務員から見ればアウトローなんだと再認識した。とりあえず最後までにこやかに返答したつもりだが、心はほぼ折れかけていた。帰途、同じ受験生と(といっても相手は娘ぐらいの年の先生だが)そんなことを話していたら、胸のポケットのスマホが落ちてガラスがヒビだらけ。。これで、99パーセント心が折れた。(泣)ところが、自習中、何とか気持ちを立て直そうとヒビだらけのスマホで情報探していたら、以前自己pr文を添削してくれた教員採用対策関係の先生が茶話会をやろうと呼びかけていた。迷わず参加。そこで圧迫面接は見込みのあるやつにやると思えといわれ勇気付けられた。その上、模擬授業は国語の詩であることも分かり、勇気百倍。3日目、面接と模擬授業。模擬授業は情報どおり詩だったので、それなりにOKか?面接は昨日とは打って変わりソフトタッチ。それどころか、私が考古学の出身だと分かると、○○さんご存知ですかと知人の個人名までとびだし、実は私も考古学なんです。と、、世間話になりそうな雰囲気。これも新手の罠かと警戒しつつ、なれなれしくならないように淡々と受け答えをした。そんなこんなでなんとか3日間終了。心身ともに疲れ果てた。派手に飲んで変えるつもりだったが、そんな元気もなく、帰宅。昨晩は爆睡した。私にとってはまさに「老体に鞭打ち」だ。。昨年、実技A 模擬授業A 面接B 総合評価B で不合格。今年、実技、模擬授業は、昨年よりやや不出来。でもA評価はあるのではないかというのが自己判定。面接はわからない。穏やかにそつなく答えられたと思った昨年がまさかのB評価。超圧迫の今年がどうなるのか。。昨年考えたことだが、結局は縁だと思う。縁があれば合格する。なければ不合格。ベストは尽くしたのだ。これはこれでよしとする。そして、土砂災害。やりきれない思いである。ひたすら合掌し祈るのみである。
2014.08.23
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採用試験。2度目の挑戦。 一次は無事通過。明後日から二次試験。昨年は面接でアウト。昨年はOKだった実技や模擬授業も、だから今年もOKとは言い切れない。やっぱり結構なプレッシャーである。実を言うと一次試験だってそれほど自信は持てなかった。この年齢で、こういうトライができることにまず感謝である。最後まで頑張りたいと思う。
2014.08.18
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この春から扁桃腺の不調続きだったので、思い切ってオプションをあれこれ追加。そして鼻からの胃カメラ。結果、追加料金2万5千円プラス胃カメラで組織を採った診療費5千円弱トータル3万円!これは安心料としては私には高価すぎた。特に胃カメラは麻酔だのなんだの身体へのダメージが大きすぎた。まさに痛くも無い腹を探られ、、である。自覚症状がないのにあれこれ老婆心で検査を受けるのは考え物だと反省。車と同じだ業者まかせの検査より、毎日乗っている自分が車の調子に注意深くなるほうがよっぽど不調の発見につながる。プロのアスリート並みに自分の身体の調子に関心を持つことだ。次回から最小限にすることに決めた。
2014.08.06
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前回の扁桃腺炎もアクアスロンに出場、完走したところで一件落着といいたいが、実はまだ、咳が収まらない。熱が下がれば次は長引く咳と、前と同じパターンだ。この2ヶ月でなんと3回目。うち1回は入院騒ぎ。常識的には切除なのだろうが、大事なリンパの関門だという。無くなれば、もっと重篤な事態を招くような気がする。大体、想像するだけでとても痛そうだ。幸い、信頼できるお医者さんもいて、漢方での治療も始まった。知り合いからは、仙人草を使う民間療法も教えてもらった。姿勢、食生活、運動。生活習慣をきちんと整え、体質改善を図りたい。多分、そういうお年頃なのだ。
2014.07.28
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スイム1,2km 34分53秒ラン8km 55分4秒 トータル1時間29分57秒 過去最遅タイム性懲りもなく火曜日に扁桃腺が再び腫れ、水曜日に39度近い熱が出て抗生剤点滴。土曜日採用試験で、日曜日がこの大会だから、完走できただけでも良かった。多分10回近く出場しているのではないかと思う。とても気持ちの良い大会だ。タイムはここ数年ジリ貧状態だが、せめて還暦までは出場し続けたいと思う。
2014.07.20
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本当は十分食べたいのだけれど、健康のために八分で我慢するという意味だと思っていたが、最近どうも違うのではないかと思っている。人間には満腹センサーみたいなのがいくつかあって、最も鈍い最期の砦のようなのが、これ以上食べると吐いてしまうというセンサーだ、自分の身体に対する感覚がストレス等の原因で鈍ってしまうと、このセンサーしか働かなくなってしまう。で、適量はだいたいその8割くらいだから、そこで止めておけば間違いは無いということではないかと思うのだ。つまり、まともなセンサーが働いていれば、何の我慢の必要も無いわけで、満足するまで食べたときが適量ということになる。アスリートには、アスリートとしてのセンサーがあり、それは身体がベストのパフォーマンスを出せる量だから、吐いてしまうセンサーの6割か7割くらいで満足の信号を出すのではないかと思う。センサーの壊れた状態で、最後の砦のセンサーだけに頼り、8割で我慢するという作業は、少なくとも私の場合は全然長続きしなかった。だから、我慢ではなく、センサーの修復というか、自分の身体感覚を研ぎ澄まそうという方向に力を向ければ道ベーションも高まるし、楽しい作業になると思うのだ。先日の入院騒ぎの前後は、別の意味でセンサーが鋭敏になったのだと思う。殆ど絶食に近い状態で、それを心地よいと感じた。弱って食欲がないというのとは少し違う感覚だったと思う。何年かぶりで体重が下降傾向になっている。良いチャンスだ。「研ぎ澄ます」をテーマに頑張ってみたい。
2014.06.09
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1日、市民 スポーツ大会。 年代別リレー 私は50代で出場 アンカーだ。 3位で バトンを貰い、 猛烈に追い上げ2位でゴールすることができた。一応面目は保てた が、 両足 太もも 肉離れ そのまま 医務室に直行となった。なんせ入院騒ぎの 数日後である。さすがに能天気な私も、点滴打って寝込んでいた男がいきなり100m全力疾走しようとすればどうなるかぐらいは判る。しかし、ずっと以前から出ると判っていて、体調管理に失敗して出場辞退では、無責任すぎると思った。とにかくこれまでにないくらい念入りにアップ、ストレッチを行った。ゴール直前の肉離れも翌日には普通に歩けるくらいに回復した。神様仏様に感謝である。
2014.06.04
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夜9時ころ、猛烈な悪寒。最初は寒いなという感じだったが、急に体が震え始め全くセーブが効かない。そのうち寒いというよりは、筋肉が締め上げられるような痛み。震えというより痙攣になり、息も苦しくなった。異変を感じた女房が見に来てびっくりしてすぐに救急車を呼んでくれた。なぜか何度も住所と私の名前、年齢を繰り返すのを聞きながら、こりゃ、到着するころには手遅れかもと思っていた。私の頭にすぐ浮かんだのは薬のアレルギーである。今まで薬でどうこうなったことは無いが、この一週間、すごい種類の薬をのまされ、抗生剤の点滴も数種類受けている。ろくに診察もせずに、やたら大量の薬を出す医者に不信感もあったし、ああ、やっぱりと思ったのだ。しかし、思いのほか早く救急車到着。8分しかかからなかったらしい。繰り返し住所を伝えていたときはすでにこちらに向かっている最中だったとのこと。救急車で移動中、やっと落ち着き話もできるようになった。病院についてすぐに熱を計ったら40度オーバー。過去開港記録だ。結局扁桃腺から菌が血液中にはいり高熱が出たとのこと。敗血症の一歩手前、菌血症というそうだ。2,3日泊まっていく?と聞かれたが、できれば一晩でとお願いしたら、まあ様子を見ましょうとのことでそのまま入院。人生初入院となった。
2014.05.30
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とうとうきたかという感じ。一月ほど前から左肩に違和感。クロールで少し変、バタフライは痛くて無理。それが、だんだん、何もしてなくても痛みを感じるようになり、ついに服を着るのにも呻き声。寝てるときも妙な姿勢をとってしまうと、痛くて目が覚め、当分痛みで寝付けない。車の運転もキツイ。田植えで無理してるのも良くないのだろう。学校も運動会前で、動かさざるを得ない。ますます悪化し、一足先に経験した妻から服の脱ぎ方、着方、寝方まで指導される始末。しかし。老化とは思いたくないこのごろである。
2014.05.13
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貰ったからと長男。私たちを食事に招待。広島市内のステーキハウスに予約を入れていた。私には出来過ぎの息子である。ちなみに私たち夫婦がファミレス以外でステーキを食べたのはこれが初めてである。(笑)
2014.04.26
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高学年というだけでこんなにも大変なものかと目が回るような忙しさだったが、やっと落ち着いてきた。これが慣れというものなのだろう。少し余裕もでてきたので、自分自身の生活も整えていきたい。とりあえず朝ジョグ復活だ。
2014.04.20
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本日初参観日、初懇談。実は昨年保護者とかなりこじれたというクラスを持たされている。子供たちが本当に良く頑張ってくれた。おかげで懇談でも保護者の好意的な意見ばかり聞けた。さあ、行こう。この愛すべき人たちと、行けるとこまで行きたいと思う。損得勘定クソクラエである。
2014.04.17
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先日長女を広島駅から見送った。マレーシアでNPOのボランティアスタッフとして働くという。全て自分で段取りし、資金稼ぎのために下呂温泉の旅館で住み込みのバイトを3ヶ月ほどして帰省、2,3日滞在して慌しく出発していった。マレーシアはアジア学院のご縁。その前に1月ほど立ち寄るインドは愛農学園のご縁だ。勿論相談はあったが、事実上事後承諾である。だから、親に頼る気は全くない。私が払うと言ったにもかかわらず1年分の国民年金の支払い金まで置いていった。頑固というか依怙地というか、私にそっくりだと女房が笑う。確かにそうかもしれない。しかし、天晴れな娘である。私はもう、見守ることしかできない。正直、少し寂しくもあるが親として喜ぶべきなのだろう。私も負けないように前に進むのみである。
2014.04.16
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子供たちが来て忙しさは更に倍増。わずか10人のクラスだが、高学年というだけで過去経験のない忙しさだ。授業の準備すらままならない。質、量ともに過去最高の働きをしているのに、過去最低の準備しかできていないというのが実感である。10の力しかないのに20の力を要求されていると感じている。確かに苦しいが、力を出せない苦しさに比べればはるかに幸せだと思う。例えは適当でないかもしれないが、ピッチャーなら、無理な連投を余儀なくされるか、やる気はあるのに試合に出してもらえないか。今回の私のテーマは「力を出し切る」である。学級通信のタイトルも「Do your best!」幸せである。
2014.04.11
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悩みに悩んだ末に来た小学校。3日目にして既にサービス残業?は10時間を軽くこえた。まだ子供も来ていないのにである。それでもまだまだ仕事は山積。授業が始まればますます忙しくなるだろう。仕事量は倍になると書いたが、それどころではないかもしれない。年間予定を見ると、早朝、夜間、休日のサービス出勤も目白押し。昨日の夜も地域のお花見会に半強制参加である。しかし、不思議なことにあまり嫌ではないのだ。それだけ好きになったということかもしれない。
2014.04.03
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22km、タイム4時間15分14秒。昨年は3時間57分51秒前日からの雨と当日豪雨の予報で、ほぼ中止のつもりでいた。前夜の送別会も一応ノンアルコールで通し、早めには帰ったが、帰宅後結構飲んでしまった。朝5時に起き、念のためサイトを確認したら、一応開催予定とのこと。??6時ころ再び確認。決行!冗談だろうとつぶやきながら慌てて身支度し出発。スタート20分前に到着。雨はかなり小ぶりになっていた。山道は当然ズルズル。でも土質の違いか、比婆よりは随分マシだった。かなりしんどかったけど、景色もスタッフの対応も最高で、とても気持ちよかった。毎年必ず出るレースにしたい。
2014.03.30
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冬には冬を、晴れの日は晴れを、雨の日は雨を。馬鹿なことをやったときはその馬鹿なことをまずはしっかり受け入れて、きちんと感謝する。それが大切だなと。
2014.03.29
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今日で特別支援学校を去る。とどまるか、小学校に戻るか悩みぬいた。今でもその選択が正しかったかどうかわからない。損得ではなく自分の気持ちに正直に従ったつもりだが、それも良かったかどうかわからない。保護者懇談がもう数日早ければ、、受け持ちの子どもたちの発表を聞くのがもう少し早ければ、、、職員の打ち上げがもう少し早ければ、、決断した後も、学校にとどまらせる要因は次々に現れた。逆の選択をしていても同じことかもしれない。不安と後悔。前に進まなきゃやってられないというのが今の正直な気持ちである。前を向く。前に進む。これは自分を救う道でもあるのだと気がついた。
2014.03.28
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10kmの部 タイム54分53秒 腰痛でまともに歩けない状態での参加だったので、完走できただけでも充分だ。会場は我が家から1km。まさに地元の大会。スタッフや応援の人も顔見知りの人が多く、声援も実名入りとなる。これはとても嬉しいものだ。なんだか自分も少しこの土地の人間になったのだなあと思う。さあ、これから少しずつ身体を整えていこう。
2014.03.28
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来年度の勤務校が決まった。ひょっとすると複式かもしれないとても小さな小学校である。つまり、一番行きたいと思っていたような学校だ。11月からお世話になっている特別支援学校に残るか、もとの小学校に戻るか悩みぬいた。今、落ち着いて考えれば、どう考えても残るほうが有利で、考える余地も無い。校長先生自ら強烈に残れといってくれているし、仕事も複数担任なので大きく失敗することは無い。仕事量は少なく給料は少し高い。そして、これから何年も仕事が途切れることは無いといってくれた。一方小学校のほうは、どこになるかわからず、とんでもない荒れた学校や学級の可能性もある。大体、私は普通の30人くらいの学級担任の経験は無く、うまくやっていく自信も無い。そして下手をすれば来年は声がかからない。特支に残った場合は、もし今年採用試験に受からなかった場合来年度から3年間は受験資格が無くなるというリスクがあった。しかし、それは校長先生自ら面接の特訓をしますと請け負ってくれた。それなのにどうして悩みぬき、結果的に小学校を選んだのだろうか?たまたま密かに希望していた小規模校になったけど、私の予想は中規模校だった。不安だらけだったのである。いつも、土壇場になると安全なほうに逃げてしまった自分を変えてみたいと思った。通常の小学校の仕事を、今、あきらめることができなかった。あまりの好条件にかえって不安を持ってしまった。4月になったら帰ると約束して出たのだから帰るのが筋だと思った。今思いつくのはこのぐらいである。もう結果は出たのだからいまさら考えても仕方が無いのだが、妻があきかえるくらい悩みぬいたことを無駄にしたくない。自分なりの人生観や価値観、行動規準をきちんと作れというサインなのだと思う。
2014.03.21
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