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中学校の三年になると高校受験と言う壁が立ちはだかってきて周りもだんだんと暗く張り詰めたムードになって来た。私は楽に入れる工業高校の電気科を希望していたのでプレッシャーも全く感じることなく夜遊びに興じていた。
2011.01.31
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中学二年生になると中学生活の緊張からも開放され中弛みする。私の場合も暇があれば地学長のS君と将棋をして自転車で遊び回ったり夜は時々、家にあったカブ号でドライブした。
2011.01.30
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赤城山でキャンプ中に黒桧山に登ろうという話になってみんなで登った事があった。あの時が私の初めての登山体験だったと思う。バスケット部主将のY君の健脚ぶりは人間とは思えないものがあった。あの頃「サッカーJリーグ」があったらきっとY君はスターだったろう。「黒桧山の高さは1,828m」・・・「一羽二羽」と覚えた。
2011.01.29
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キャンプ中にバスケット部のS君と商店街まで買い物に出た帰り道にS君がベンチの方を指差して「あれ!同級生が居るよ」と教えてくれたがメガネを掛けてなかった私には良く見えなかった。「Mさん、Oさん、Oさん、Tさん」だったかなぁ・・・?近視は本当に不便だった・・・。
2011.01.28
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キャンプは楽しさの余り予定よりも一日長くなってしまったが最後は食料が無くなってしまい、たまたま近くでキャンプしていた柔道部の先輩の食料が清水で冷やしてあったのを失敬した事もあった。テントの近くには清水が湧き出ていて水には困らなかったがその冷たさには顔を洗う時や米を研ぐ時には閉口した。一度だけ監視員のような大人が巡回してきたが焚き火の注意は受けなかった。
2011.01.27
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大沼のキャンプでは湖畔の反対側から毎日繰り返し歌謡曲が聞こえてきた「瀬戸の花嫁」「経験」今でもこれらの曲を聴くとあの時を思い出す。湖畔は夏休みの観光客で賑わい夏休みのリゾート気分が満喫できた。
2011.01.26
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中二の夏休みに赤城山にキャンプに行った。メンバーはバスケット部主将のY君、柔道部のK君、バスケット部のS君と当日まで親に反対されていた生物長のS君も集合時間に現れた。JR前橋駅からバスで赤城山の大洞まで行ってキャンプ場とは反対側の大沼の畔にテントを張った。
2011.01.25
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中二の時にスキー教室があって生まれて初めてスキーをした。クラスの中には家族とスキーに行った事のある同級生も何人か居たようだが我が家にはそんなゆとりは無かった。バスケット部主将のY君とお揃いの黒いジャケットを買ったが雪の中で転んでいると黒は目立った。両手でワイヤーロープを握るリフトにもすぐに慣れ頂上まで行った時にあまりの急斜面に愕然としていると校長先生が居て谷側の足に重心を掛ければ楽に滑れる事を教えてくれその通りにやったら気持ちがいいほど上手く滑れた。初心者は怖がって山側に重心が行ってしまうそうだ・・・。
2011.01.24
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中学二年の時生徒会の役員選挙があり無理やり立候補させられた。人前で話すのが苦手だった私は担任や同級生をとても恨んだ。立会演説会の前の日には体育館に放火してやろうかとも思ったがなんとか思い留まった。立会演説会では私の次の下級生がふざけてなのか計算ずくなのかドモった様な話し方で演説をして会場の笑いを取っていた。お蔭様で私は役員にならずに済んだ。
2011.01.23
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林間学校は榛名山で行ったが「みんなで漕いだカッターボート」「雨で出来なかったキャンプファイヤーの代わりのキャンドルサービス」「夜中まで騒いだ集団宿泊」等初めて経験するものは刺激があって面白かった。「櫂揚げ~、櫂下げ~」なんてね。
2011.01.22
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林間学校の夜は同級生との雑談で盛り上がったが友人には皆好きな女の子がいて「ニックネーム」で呼んでいたようだ。残念ながら私には「ニックネーム」で呼べる人が居なくて一人淋しい思いをした。
2011.01.21
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中学二年の時に隣の席になったMさんは映画「アパートの鍵貸します」に出ていた「シャーリー・マクレーン」に雰囲気が似ていてとても好感の持てる同級生だった。夜、科学部の部活をしている時に呼び出されたが、その頃は部活に夢中で断ってしまった。今思い出してもとても申し訳ない事をしてしまった。
2011.01.20
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中学二年の健康診断で近視になっている事が判った。その頃はメガネを掛けている中学生は少なくて私のメガネに対するコンプレックスは高校三年まで続いた。
2011.01.19
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小学校の高学年の時だったと思うが学校の図書館が宝庫に見えた時期があって毎週本を借りては読んでいた。「シャーロックホームズ」の推理小説が多かったかな・・・?貸出カードなんていうのも懐かしい。
2011.01.18
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小学校に入学した時に叔母さんや叔父さんから「小学生」と「冒険王」という雑誌をプレゼントされた。どちらかを定期購読をする様に薦められたので私は迷った挙句「冒険王」を選んが家族は「小学生」を選ばせたかったようだ。私の本(マンガ)好きはこの時から始まったのかも知れない。
2011.01.17
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「中一コース」か「中一時代」の英語テストの懸賞で一番になって名前が載ってシャーペンだかボールペンを貰った事があった。後で気が付いたのだがテストで満点ならば全員が一番だった訳だ。しかし、この時以来益々英語が好きになった。
2011.01.16
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「土居まさる」の夕方のラジオ番組でリスナーから作品募集をする企画があった。一回目に応募したのは「回文」を作る物で私は「回文」の意味すら知らなかった。二回目に応募したのは「夏の風物を盛り込んだ駄洒落の暑中見舞いを書く」というもので私の作品は一位に選ばれ郵便為替で5千円の賞金を頂いた。その時の作品は今も覚えている「ゆうだち うちわ揉めして かいだんしたそうだね ゆうだちのゆかたはまだ沢山いるじゃないか ふうりん事は みずぎ流して 仲良くやってくれ せみしいよ」当時好きだった「ビートルズ」に宛てた暑中見舞いだったが中学生に5000円の賞金は嬉しかった。
2011.01.15
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小学生の時に叔父さんから小さな鉱石ラジオを貰った。電灯線にアンテナ線を巻きつけると電源も無しでイヤフォンからラジオ放送が聞こえてくる。私の科学好きはこの時から始まったのかも知れない。
2011.01.14
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乾電池式の次にAC100V電源のラジオを買った時もスリープタイマー機能が付いてなかったのか私は壊れた洗濯機のタイマー装置を外して電源のタイマーに使っていた記憶があります。今ならホームセンターでいくらでも売っているのにね・・・。
2011.01.13
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中学生の時に「5球スーパーラジオ」の製作には失敗しましたがラジオ放送は毎晩聞いていました。その頃は乾電池式のラジオでスリープタイマーなど言う機能は無く聞きながら寝てしまい電池を終わらせてしまう事がしばしばありました。私は電源の配線をラジオ本体から延長させて剥いておき手で持って寝ながら聞く様にしました。寝てしまうと握っている配線が外れて電源が切れるという仕組みです。
2011.01.12
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中学校へ進学した時は親に内緒で塾を辞めていたので成績を落とす訳にはいかなかった。塾でやっていた通りに英語と数学の予習だけは毎日していた。その後に待っている趣味のラジオ工作だけが楽しみで予習を済ませた。
2011.01.11
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中学生の頃は「電子工作」に興味があって今なら「パソコンの自作」とかをやるのでしょうが当時はラジオ全盛世代で「5球スーパーラジオ」の自作キットを作っていた。毎晩少しずつ設計図を見ながら組み立てていったが電気知識も無く初めてのハンダ付けはテンプラだらけで完成して初めて電源を入れるときは恐さで緊張した。「5球スーパーラジオ」は結局自力で完成する事は出来なかった。この時買った「はんだゴテ」は今でも使っている。
2011.01.10
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私は物理長だったが物理学のクラブ活動と言っても課題が思い浮かばず最初のうちは紙飛行機を使った「流体力学」の研究と称して部室の窓から紙飛行機を作って飛ばしていたが、やがて火を点けて飛ばしてみたりその頃興味があった電気の工作で「電気錠」を作って侵入者を制裁してみたりと物理長の研究課題が一番貧弱だったようだ。一番記憶に残っているのは「電磁誘導」や「真空放電」かなぁ・・・?
2011.01.09
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化学のクラブ活動では薬品を使ったものが多かったが「アルコールランプ」に使う「メチルアルコール」は「目散るアルコール」だから飲んでは駄目。「エチルアルコール」なら飲んでも大丈夫。「チョーク」にアルコールを染み込ませて燃やして遊んだり「ビーカー」でインスタントラーメンを作って食べたり「試薬」や「実験器具」の名前や特質を学んだ・・・としておこう。
2011.01.08
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生物学の部活では顕微鏡を使ったものが多かった。プランクトンを採集してスケッチしたり沼へ行ってプランクトンネットでプランクトンの代わりに魚を捕ったり寒天を作って落下菌の寒天培養をしながら寒天を食べたり顕微鏡やプレパラートの使い方を学んだ。あの頃は「日本光学」の顕微鏡が一番高性能だと言われていた。
2011.01.07
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流星観測は、なんと言っても空気の澄んでいる冬の夜ですがある夜中に田んぼの真ん中に寝転がって流星群の観測をした時は星の色の違いまで分かるくらい良く見えて今でもその宝石を散りばめたような星空が脳裏に浮かんでくる。流星の「痕(こん)」という物をこの時初めて見た。しかし、深夜のあまりの寒さは藁に包まって寝ても耐え切れずとうとう藁を燃やして暖を取ってしまった。今考えたら補導されても可笑しくなかったね。
2011.01.06
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顧問のO先生が宿直の夜に学校へ集合して天体写真を撮った事があった。三脚に望遠鏡とカメラをセットするとあとは待つだけだったのでO先生がマージャンをやろうと言い出し朝までマージャンを教えてもらった。徹夜明けの朝食べたインスタントラーメンは、とても美味かった。
2011.01.05
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天文長のS君は「天文ガイド」を定期購読するくらい天文が好きで天体写真も時々撮りに行ったが夜遊びの方が面白くてあまり綺麗な天体写真が撮れた記憶は無い。
2011.01.04
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我が家には「3センチ口径の屈折望遠鏡」しかなくて「月のクレーター」「土星の輪」「木星の衛星」「木星の大赤斑」などが辛うじて観測できる程度だったが天文長のS君が「10センチ反射望遠鏡」を買うまでは随分と活躍した。この時、望遠鏡の能力は倍率よりも口径の大きさの方が重要だと言うことを知った。
2011.01.03
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四人だけの科学部の活動は楽しいものだった。顕微鏡を使ったプランクトンの観察スケッチ寒天を使った落下菌の培養望遠鏡を使った天体観測や天体写真色々な実験器具や試薬も使えて授業よりも数段面白かった。
2011.01.02
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交際すると言ってもNとは学年も部活も違ったので何を一緒にするわけでもなかったがある日Nが日記帳を持って来て「交換日記」を始めた。「交換日記」なんていう習慣がある事も私は知らなかったがやがて日記帳は二冊を同時に交換するようになり私が卒業するまで続いた。
2011.01.01
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