売り場に学ぼう by 太田伸之

売り場に学ぼう by 太田伸之

PR

Profile

Nobuyuki Ota

Nobuyuki Ota

Calendar

2025.11.28
XML
カテゴリ: ファッション
11月26日都内のホテルで恒例メンズファッション協会主催ベストドレッサー賞の発表がありました。本年度インターナショナル部門でダンスボーカルユニット「新しい学校のリーダーズ」メンバー4人が選ばれましたが、アメリカ公演でも活躍しているグループにインターナショナル部門というのがいいですね。


ベストドレッサー賞公式サイトより

毎年ベストドレッサー賞が発表されるたび、ヤンチャだった学生時代に仕掛けた「学生が選ぶワーストドレッサー賞」のことを思い出します。

あれは大学2年生のこと。故郷でテーラーを経営するオヤジから電話がありました。懇意にしている名古屋の最大手テーラー神谷のご子息がサビルローでの修行を終えて帰国し原宿にアトリエを構えるから挨拶に行くように、と。神谷裕之さんは学生時代に立教大学ファッション研究会代表、卒業後オンワード樫山に就職、その後紳士服のメッカであるロンドンのサビルローで修行して帰国。のちにロイ・カミヤの名前で西武百貨店池袋店にショップを構えました。

オヤジが命じるまま原宿駅前マンションの新設アトリエにお邪魔しました。その場にメンズファッション業界の重鎮が何人もいらっしゃいましたが、若造は私一人きり。このとき名刺を持っていない私は「名刺も作らずにここに来るとはなにごとか」と当時メンズファッション協会専務理事に叱られました。

さっそく名刺を作り、名刺をくださった方々を訪ね、メンズファッション協会の事務局も訪問しました。同協会はメンズファッションを広く社会に広めるためベストドレッサー賞はじめ様々なイベントを開催していたのでイベントのヘルプのアルバイトをすることになりました。

さっそく同協会研修事業の会場設営アルバイトをしていたら、当時理事長だった石津謙介さん(VANヂャケット社長)に呼び止められました。私は事務局から宴会場に持ち込んだサントリー角瓶ボトルをテーブルに並べていましたが、「キミ、これをどう思うかね?」と角瓶を指さして質問されたので、「学生の私でもこれは飲みません。ファッションセミナーの打ち上げなんですから(当時よくテレビCMをしていた)カティーサークやJ&Bの方がいいと思います」と正直に答えました。

するとセミナー会場から専務理事を呼び出し面白い質問をしたのです。「いま女性を口説きに行くときどんな乗り物で行くのかね?」。答えられずにいる専務理事に「自転車だよ、自転車。キミのやっていることはバスなんだよ。すぐにボトルをスコッチに替えなさい」。石津さん、面白いこと言う方だなあと感心しました。

その後同協会開催の別のセミナーでパネリストとして壇上に上がった石津さんの発言に疑問を感じた私は、「大変失礼ですが、先生のご発言は間違っていると思います」と業界リーダーに手紙を出しました。すると再び石津さんは専務理事に「学生でもこれくらい考えているんだぞ」と叱ったようです。

この手紙の一件で私は事務局お出入り禁止、私が主宰していた学生ファッションのマーケティンググループの仲間と一緒に予定していたアルバイトは不可になり、しかも「この業界では働けないようにするぞ」と脅されました。

みんなで大イベントを手伝う予定だったので全員のアルバイト代をあてにして私たちはホノルル郊外のショッピングセンター視察研修に出かけた直後の出来事。グループ主宰者の私は旅行代理店に全員の研修旅行費を借金することになってしまったのです。借金返済のために毎日の食事を切り詰め、たくさん原稿を書き、親にも甘えてどうにか返済しました。

一人の学生の手紙に腹を立てて「働けないようにするぞ」と発言した専務理事を私は許すわけにはいきません。知り合いのメディア関係者や評論家の先生を回って「弱者の学生を虐めるなんておかしいと思いませんか」と皆さんに訴え、賛同を得ました。

そして、最後に放った矢は「学生たちが選ぶワーストドレッサー賞」でした。グループ同志の友人たち数百人の学生に「おしゃれと思う有名人」のアンケートを実施、集計結果をあえて「ワーストドレッサー賞」として同協会恒例のベストドレッサー賞と同じ日にマスコミ発表しました。

男性がテレビドラマ「太陽にほえろ」や「傷だらけの天使」で大人気だったショーケンこと萩原健一さん、女性はバラエティー番組「3時のあなた」などで司会を務める芳村真理さんでした。

翌日の新聞報道に私たちもびっくり。自分たちが仕組んだ「ワーストドレッサー賞」の報道が恒例ベストドレッサー賞の3倍くらいどの新聞も大きな記事、事件になってしまいました。
どの新聞も学生の発表の方が大きな扱いでしたからきっとご立腹だったでしょう。私はやったーと喜ぶと同時にこれで自分は日本のファッション業界で働けないと覚悟しました。

私は大学卒業後すぐニューヨークに渡りましたが、米国のマーチャンダイジングを身体で学びたいと強く思ったこととこのワーストドレッサー賞の一件でしばらく日本では働けないと覚悟したからでした。

私がニューヨークに渡った翌年たまたま業界の宴席で専務理事さんはオヤジに「息子さんには大変お世話になりました」と声をかけてくださったようです。オヤジから聞いたとき、わが逆襲の経緯を説明したら笑ってました。

と言うわけで、私は毎年ベストドレッサー賞の発表があるたび複雑な思いになるのです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2025.11.28 17:40:21


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: