夏風

2007/09/03
XML
カテゴリ: ロスチャイルド
ブッシュの金脈、アメリカ国家の正体

1. 1987年、レーガン大統領時代のCIA長官ウィリアム・ケーシーはワシントンのレストランで食事をとり、レストランを出た所、突然待ち構えていた黒いスーツ姿の男4人に腕を捕まれ、黒塗りの乗用車に押し込まれ、連れ去られた。
 翌日ケーシーは死体となって発見されたが、この殺人事件に関し現在も米国の警察は一切捜査を行っていない。
全米のメディアは「CIA元長官W・ケーシー、長い入院生活の末、癌で死亡」と報道した。ケーシーが1度も入院などしていない事は知人や家族には明らかであった。
CIA長官さえ殺害出来る権力者、全米のマスコミをコントロール出来る権力者によってケーシーが殺害された事は明らかであった。
しかしCIA長官より強い力を持つ権力者、それはブッシュ副大統領とレーガン大統領しか居なかった。

2. 80年11月4日イランの米国大使館がテロリストにより占拠され、大使館職員52人が人質にされた。
当時のカーター大統領は、人質解放と引き換えに敵国イランに密かに武器を供与する密約を行った。担当したのはW・ケーシーだった。

3. 80年8月、ケーシーはイスラエルのペギン首相と会談、イスラエルの兵器をイランに供与する密約を成立させる。


4. イスラエル製の武器をイランに提供するに当たってケーシーに直接協力したのが、イスラエルの軍事機密情報局長官イェホシュア・サギと、イスラエル首相テロ対策顧問ラフィ・エイタン、そしてイスラエルの諜報組織モサドからはエイタンの親友でもあるアリエル・シャロン(前首相)が協力に当たった。

またイスラエルから調達出来ない武器に関しては、シャロンの親友でリゾート・ホテルの共同経営者でもある、シャロンのビジネス・パートナー=世界最大の国際武器密輸商人アドナン・カショギが調達に当たった。
カショギは父ブッシュ大統領の経営する軍事産業投資会社カーライルの取締役でもあった。

5. ケーシーがこの組織を使い、敵国イランに継続して武器密売を行って来た事が86年10月発覚する。
テロリスト国家イランに武器を売り、その代金でさらに武器を買い、中米ニカラグアのテロ組織コントラに武器を供与してきた事が、武器を運搬していた飛行機が墜落した事で発覚したのだった(イラン・コントラ事件)。
墜落した航空機会社エア・アメリカ社がブッシュの同僚、国家安全保障会議メンバーのオリバー・ノースの経営企業であり、ケーシーも父ブッシュも言い逃れが出来なくなっていた。
米国が公然と批判してきたテロ国家イランとテロ組織であるコントラに政府が武器を密売し利益を上げて来た。
しかもCIA長官と、副大統領ブッシュが首謀者であった。
85年8月6日のホワイトハウスの会議日誌にはブッシュとケーシーが武器密売について議論した様が明確に記録されている。
会議に出席していたリチャード・セコード空軍大将もブッシュが会議を主導していた、と米下院の調査委員会で証言している。

当時マスコミは、武器を調達したカショギの甥トディ・アルファイドと、現大統領ブッシュ(子)の経営するアルブスト・エナジー社が武器密売に関わっていた事を嗅ぎ付け始めていた。


また同様の調査を行っていたファイナンシャル・タイムズの新聞記者アンソン・エングンも死体となって発見された。
キャソラーロは死の直前、家族や仕事仲間に対し「俺が死んだらブッシュ一族に殺されたと思ってくれ」と言い残していた。

さらに武器の運搬役だった2名も死体となった。
現大統領=子ブッシュの共同経営者サリム・ビン・ラディンも死体で発見され、カショギの手足であった甥トディも婚約者である英国・元皇太子妃ダイアナと共に事故死した。

そして遂には、武器密売発覚の数ヶ月後に、首謀者と思われていた、CIA長官W・ケーシーも死体となった。


生き残っているのは(守られたのは)父子ブッシュ大統領だけである。

7. 91年11月5日、スペイン、カナリア諸島沖合でヨーロッパの新聞王、メディア王と言われるロバート・マックスウェルが水死体となって殺害されているのが
発見された。

マックスウェルは新聞デイリーミラーや雑誌ピープル、世界最大の翻訳出版社シュプリンガー、外語スクールのベルリッツ等を経営するビジネスマンであったためマスコミも騒ぎ出した。
捜査途上で、マックスウェルが殺害時乗っていたクルーザーが、ブッシュのパ-トナーの国際武器密輸商カショギから購入したものである事、マックスウェルがパキスタンの麻薬資金洗浄銀行BCCIに多額の資金を不正に蓄財していた事が
発覚し、事態は急展開する。
マックスウェルはケーシーの指示の下、軍事用ソフトウェアを各国の軍に売り、決済口座にBCCIを使用していた。
語学学校ベルリッツのソ連東欧から来た語学教師達は、ケーシーが共産圏に軍備を売却するための営業マンだった。

8. BCCIには米国のイタリア系麻薬マフィア、コーザ・ノストラから多額の資金が送金されている事が発覚し、BCCIが麻薬売買の国際的ネットワークの中核である事が明らかになってきた。
全米の麻薬資金がBCCIに集まり、コーザ・ノストラはBCCIから本国イタリアの
アンブロシアーノ銀行に多額の送金を行っていた。
このアンブロシアーノ銀行は父ブッシュ大統領の経営する銀行だった。

9. またCIAの指示の下、ソ連の支配下にあったアフガニスタンへの攻撃をしかけるパキスタン国境軍の資金源として、麻薬売買を仕切って来たのもBCCIだった。
国境軍の指揮官ファズル・ハク中将からBCCIは多額の資金援助を受けていた。

10. またBCCIからは多額の資金がウサマ・ビン・ラディンとアルカイダに流れる一方、現大統領ブッシュの経営する石油会社の設立資金がBCCIから出ていた。
さらにイラン・コントラ事件で、武器の密輸を担当したイランのマニュエル・ゴルバニコフの口座から、カショギに多額の送金がなされていた。
さらにグアテマラの反共テロ組織への武器密売の記録も露見した。ケーシーの行っていた武器密売の資金のやり取りがBCCIを主舞台として行われて来た事が明らかになり始めた。
さらにパレスチナのテロリスト、アブ・ニダルも欧州各地のBCCI口座で資金を回転させていた。
その報告を受けたブッシュの部下ジェームズ・べーカーは、それを無視し隠蔽していた事が上院議会のBCCI調査委員会で後に明らかになる。

アブ・ニダルはイスラエルとパレスチナの和平が成立しかけると、和平交渉者である政治家を次々と殺害し和平を妨害していた。
和平が潰れ、パレスチナ紛争が拡大すれば石油は値上がりし、それはブッシュの基盤であるテキサスの石油業界にとって幸福な結果になった。

11. BCCIは中東各地で麻薬と石油の利益で米国製武器を購入させ、王族にテロ対策を行わせ、一方でテロリストの活動を活発化させる資金も提供していた。
子ブッシュの幼馴染みだったジェームズ・バースは証言している。
「76年、CIA長官だった父ブッシュからCIAで仕事をしないかと誘われた。CIAに入ると仕事はBCCIの銀行員としての仕事が全てだった。」

77年、現大統領ブッシュが石油会社アルブストを作ると、その資金を提供したのはBCCIだった。担当者はバースだった。
そしてBCCIが資金を提供していたテロリスト、ウサマ・ビン・ラディンの実弟サリムが現大統領と共同で社長の席に座った。

12. 91年、アンブロシアーノ銀行の頭取が殺害され、死体が首吊り状態で銀行ビルの窓から外に向かって吊り下げられているのが発見された。まるで「秘密を漏らせば殺す」と見せしめにしているようであった。
またBCCI問題で、父ブッシュの責任を追及していた米国弁護士ポール・ウィルシャーは93年7月23日、自宅で何者かに殺害されている。
ケーシーも殺害され、事件解明の証人、事件を追及する弁護士、ジャーナリストが次々殺害される中、事件は迷宮入りしている。だがブッシュの幼馴染みバースの言うようにBCCIはCIAそのものだった。

アブ・ニダルやビン・ラディンのケースのように、BCCIはテロリストに援助し紛争を煽り、中東の王族にはテロ対策と称して石油の利益を取り上げ、武器を売りつけてきた。
それが米国経済の基本的仕組みであり、現在のイラク紛争の本質、米国という国家の本質なのだ。
中東の王族から石油の利益を取り上げ、武器を売り付けてきたBCCIから利益を得てきた者達が戦争経済の「運営者」なのだ。

13. 87年、倒産しかかった現大統領の石油会社ハーケンに資金を提供し大統領を破産から救ったのはBCCIだった。

14. 85年、石油不況から経営難に陥ったテキサス商業銀行の本社ビルを、相場をはるかに上回る値段で買い、この銀行を救済したのがBCCIだった。
この銀行の経営者がイラク戦争に協力するよう独仏を説得したブッシュの欧州特使ジェームズ・ベーカーだった。

15. キッシンジャーが極秘に初めて中国を訪問した時、同行したのがCIA職員ではなくBCCIの銀行員だった。
カーター大統領がパキスタンと中国を訪問した時にも
常にBCCI銀行員が同行していた。

16. カーターは大統領として仕事の際、常にBCCIの専用機で移動していた。大統領の身を守っていたのはBCCIだった。この時のCIA長官は父ブッシュである。
BCCIはカーター大統領図書館設立のためにカーターに数百万ドル寄付し、カーターがバージニア州て経営している農園に多額の融資を行っている。

17. 88年、BCCI問題調査委員会が米国上院議会内に作られた時の委員長が後の大統領候補ジョン・ケリーだが、ケリーは87年の上院議員選挙で民主党の選挙対策委員長だった。
ケリーは選挙資金担当者にデビィット・ポールという人物を抜擢するが、ポールはBCCI米国支部の社長だった。
ケリーは政治家として活動する際には常に飛行機で移動しているが、その飛行機はBCCIの飛行機である。

18. 1947年、米国で国家安全保障法が成立する。
この法律に基づいて米国国防省、CIAが設立され、外交、軍の情報を集中管理する大統領直属の国家安全保障会議が設立される。
この米国の「国家としての骨組み」を作った法律の作成者がクラーク・クリフォードという法律家であり、ケネディ大統領の顧問弁護士、ジョンソン大統領の顧問弁護士、国防長官を歴任した。同時にクリフォードは長年BCCIの顧問弁護士を勤めてきた。
米国国防省とCIAの設立者がBCCIの法律責任者であり、BCCIとはCIAそのもの、米国という国家そのものである。

BCCIのビジネスは中近東諸国の王族、政治家から麻薬と石油売却の利益を吸い上げ、引き換えに米国製武器を売り付け、その武器でテロリスト撲滅戦争を行わせ、一方でテロリストに資金を与え、テロ活動を活発化させる事であった。

BCCIに教育され育てられた現大統領ブッシュとビン・ラディンは、現在も教わった事を忠実に実行している。


オルタナティブ通信
http://alternativereport1.seesaa.net/archives/200604-1.html





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007/09/03 11:52:32 PM
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: