2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全5件 (5件中 1-5件目)
1
体重 580g 授乳量指示 0.5ml*6回パパからメールが入る。紗栄と書いて「さえ」はどう?「さえちゃん」うん、かわいい名前だ。OKの返事。パパは帰ってから5時間も考えたらしい。パパお疲れさま。 午後、またまた病室の引越し。今度は産科の人達と一緒だ。たまたま実家の近くの知り合いのSちゃんと一緒になった。彼女は妊娠中毒症で、1ヶ月早い出産となりうちと同じように子供はNICUにいるらしい。私より1日早い4/27に出産したそうだ。他に双子ちゃんがお腹にいるUさんと、前置胎盤で安静にと言われている割には動き回っているKさん。さっきまでいた部屋とはがらりと変わりにぎやかだ。 午後2:30、さえちゃんのところへ面会に行く。「おかあさんのおっぱいが出たら、すぐ飲ませたいんです。まだ未熟な赤ちゃんにはお母さんの母乳が一番のお薬なんです。母乳が出たら0.1mlでもいいので持って来て下さい。夜中でも結構ですので」小児科の先生が言った。母乳…自信がなかった。もともと私は母乳の出がいいほうではない。上の子2人とも産後1ヶ月くらいまではミルクと混合だった。ただ、しょうちゃんが1歳半になる去年の夏まで飲んでたからもしかしたら出るかも。でも、昨日看護婦さんが乳管マッサージをしてくれた時、右側がにじむ程度で左はまったくダメだった。~さくらんぼノート 看護婦さんからのメッセージ~ お母さんのおっぱいが出たら、0.5mlを6回づつミルクをあげられます。頑張って2,3時間毎に刺激していってください。 目の前にいる保育器の中のさえちゃんは、おっぱいを求めてるんだ。今、さえちゃんのためにできる事は、できるだけおっぱいを与える事。私も頑張らなくちゃ!さえちゃんをもう少し見ていたかったけど、ここでボーっとしててもしかたがない。気持ちを切り替えなくちゃね。とりあえずシャワーを浴びて体を温めてマッサージだ。 シャワーを浴びて病室に戻り、とりあえず乳管開通操作。でもやっぱり左は開く様子がない。右は少しだけ出てきた。まだまだ搾れる程じゃないけど。繰り返せばなんとかなるかも… 3時過ぎ、出生届や児童手当、保健所への届けを終えたパパがやってきた。さえちゃんに面会に行って帰っていった。パパも疲れているよね。 夜8時、3回目の乳管開通操作。やっと左が開いてきた。「0.1mlでもいいから持って来て下さい」これだったら少しは搾れるかも。看護婦さんを呼んで見てもらった。「じゃ、おっぱいの入れ方と記入の仕方教えますね」ようやく!さえちゃんにおっぱいを持っていけるかもしれない。 夜11時、看護婦さんを呼んでおっぱいを入れる容器を持ってきてもらう。14ml程入る試験管。これに直接おっぱいを搾っていく。一生懸命搾っても1mlにもう少し届かなかった。でも、さえちゃんが待ってる!ほんの少しだけど看護婦さんに直接NICUへ持っていってもらった。そして、3時間毎に搾り持っていってもらうという作業を続けた。おっぱいが少し出て安心したせいか、不思議と熟睡し時間には起きる事ができた。
2004.04.30
体重 601g 朝、看護婦さんが来た。「部屋を移りましょうね。大部屋だけど静かな部屋よ」昼ごろ、私は婦人科の4人部屋に移った。母は朝から来てくれてた。 10時ごろ、パパと義母が子供達を連れて来た。昨夜は義母と一緒に寝たらしい。急な入院だったので、子供達のことも心配だったけど意外といい子にしてたらしい。義母には家の惨状を見られちゃったな。 ひろがしきりにしゃべりだす。「あーちゃん、ひろとねーおしりふきふきできるようになったよ」ひろはウンチの後、自分でお尻を拭けない。一度挑戦して自分の手にウンチがついてから、全く自分で拭こうとしなくなっていた。私がいなくなった途端、自分でお尻を拭いたのか。えらいねーひろ。しょうちゃんの遊び相手もしてるんだよね。 しばらく話をした後、「あーちゃん(お母さん)バイバーイ」と言ってあっけなく去っていってしまった。子供って、けっこうドライなのね。 午後、点滴がはずれた。「赤ちゃんに会いに行きましょうか?」会いたいけど…でもちょっと怖かった。NICUへの入り方を教えてもらい、産科の看護婦さんに入り口まで案内してもらった。「私はここまでしか行けないから、あとは中で名前を言ったら赤ちゃんのところに連れてってくれます」と入り口にひとり残された。まず最初のドアを開け、手をよく洗いガウンを着る。そして、奥のドアを開け看護婦さんに名前を告げた。「こっちですよ」と奥の保育器へ。保育器の中の小さな赤ちゃん。肌は赤黒く口には人工呼吸器、胸には電極、手足には点滴などが刺さっている。痛々しかった。私のせいだ。二人の子を何の問題もなく産んで、お産を甘く見てたんだ。涙が次から次に溢れ出す。看護婦さんがガーゼを持ってきてくれた。「赤ちゃん頑張ってますよ」そして、一冊のノートを私に渡し、「このノートに毎日のおっぱいを搾った時間と量を記入していって下さい。私達は赤ちゃんの体重と授乳量を書きます。お母さんが聞きたいこと等もこのノートに書いてください。看護で答えれる範囲の事は記入します」ピンクのノートの表紙には「さくらんぼ」としてあり、今日の日付の欄には看護婦さんのメッセージが書いてあった。~さくらんぼノート看護婦さんより~ 順調に大きくなるように一緒に見守っていきましょうね。ささいな事でも何かあれば言って下さい。どうぞよろしくお願いします。NICUは面会時間が決まっている。午後の2:30~4:00までと5:00~7:00までの1日2回。5時過ぎ、パパが来たので一緒にNICUへ面会に行った。医師からの説明があった。「カリウムの状態がよくないので今治療をしている。今は危ない状態です。」やはり、医師の口から気休めの言葉は出てこない。それだけ厳しい状況なんだと改めて確認させられた。 NICUをでた私達は、赤ちゃんの名前を考えてた。未熟児の場合、未熟児養育医療給付という医療費の助成制度がある。病院側から、早くこの手続きをしたほうがいいと言われた。世間はゴールデンウィークまっさかり、申請するには30日の明日しかない。明日出生届を出して、保健所へ未熟児養育医療給付の申請を出さなくてはならない。どんな名前にしよう?待望の女の子。かわいい名前にしたい。パパは姓名判断に凝っている。姓名判断のデータをノートパソコンに入れて病院に持ってきてた。私が思いつく名前を言っても、字画が悪いと却下されてしまう。元々私は姓名判断にはあまり興味はなかったが、今回ばかりは字画にも頼りたい気持ちになっていた。病院の食堂で2時間ほど名前を考えたが、パソコンのバッテリーもなくなり、時間も遅くなったのでパパに任せることにした。かわいい名前にしてよねと念を押して。 病室に戻ると、みんなカーテンを閉めて静かだった。ほかの部屋からは、まだ楽しそうにおしゃべりしている声が聞こえる。私もカーテンを閉めベッドに横になった。保育器の中の我が子の姿が焼きついて、この日も眠れない夜を過ごした。
2004.04.29
深夜2時すぎ、何かお腹が痛いので眼が覚めた。トイレに行くとちょっと血がついてた。この前内診したせいかな?お腹の痛みはそんなにひどくない。でも寝付いたかと思うと痛みがくる。いったい何なんだろう???結局、朝まで痛みは続き眠れなかった。早く病院へ行こうと言うパパに「大丈夫、何かあったら連絡するね」と言い放ちパパを会社に向かわせた。この時、もし早く病院に行っていたら、、、もしかしたら、、、ひろを幼稚園に送ってから病院へ行った。先生の診察。「子宮口が開きかけてます。おかしい。この前は破水してなかったはずなのに、、、すぐ入院してください。家族に連絡して!」 入院?2週間?どうしよう…ほとんどパニックだった。すぐパパに電話して病院に来てもらう。私は張りを止める点滴をうっていた。痛みは約10分間隔。点滴をすると息苦しくなったり、動悸がするらしい。 午前11頃。少し間隔が長くなるがいっこうに痛みは続く。「国立に移りましょう。なるべく早く!」パパは一旦、翔ちゃんを連れて家に帰ってた。昨日からの洗濯物もそのままだったし、朝食の後片付けもしないまま家を出てた。この状態でおかあさんに来てもらうのは、ちょっと恥ずかしかった。パパに家を片付けてくれるように頼んでいたのだ。 私は救急車で国立長崎療養センターへと送られた。パパは先にひろとを幼稚園へ迎えに行き、まっすぐ入院手続きをしに行った。私はまだ自分の身に何が起こっているのか理解しきれないでいた。ただ、国立には小児科があるから何かあっても大丈夫だから…その言葉が引っかかってた。 国立に着きすぐ診察。「間違いなく破水してます。羊水が全然ないです。そしてお母さん、子宮内感染を起こしています。このままだとたぶん分娩になるでしょう。赤ちゃんは今600gくらいしかありませんが、すぐに新生児科のほうで対処します」信じなれなかった。なんでこんな事になってしまったんだろう…600gで産まれてしまうんだ。涙があふれて止まらない。 できるだけの妊娠継続のため、子宮収縮抑制剤と抗生物質の点滴がはじまる。でも痛みは増すばかりだった。「もうこれ以上薬を投与しても無駄のようですので、自然に任せましょう!」そして、薬をやめてしばらくすると本格的な陣痛がきてしまった。そして午後7:53出産…産声はなかった。すぐに横に待機していた小児科のスタッフが保育器に連れて行く。子供が気になるが、4、5人で囲まれた保育器の中は見えない。男?女?どっちなんだろう。しばらくして私の横に保育器がきた。「女の子ですよ。見えますか?」小さな体…でも良かった。ちゃんと動いてる。生きている。これだけでホッとすることができた。そして、小さな赤ちゃんはNICUへ運ばれて行った。しばらくして、私は陣痛よりひどい痛みに襲われていた。あまりの痛みに看護婦さんに痛み止めをもらい、ようやく痛みが軽くなったのは午後10過ぎ。パパは小児科の説明を聴きに行ったまままだ帰ってこない。何かあったんだろうか? 午後11時ようやくパパが戻ってきた。処置のため結構待たされたらしい。パパも疲れたみたい。ひろとしょうは義母が家に連れて帰っていてくれてた。私の母も夕方から慌ててタクシーで駆けつけてた。付き添いはできないようになってたので、パパと母は一旦家に帰って行った。そして部屋には私だけが残された。 ここは陣痛から分娩そして養生までできる部屋になっている。一人でいるには広すぎる殺風景な部屋。長く慌しい1日だった。もう私のお腹には赤ちゃんはいないんだ。まだ実感がわかない。本当にこれは現実なのだろうか…なかなか眠ることができず、ようやく眠りについたのは午前4時頃だった。
2004.04.28
とても肌寒い日でした。幼稚園の帰り図書館に行き、そしてお買い物をして家に帰る。なんだか体の調子が悪い。昨日もらった薬のせいだろうか?抗生物質の副作用で熱が出るとか書いてあったな、、、それとも急に寒くなって風邪ひいたか?とにかく何もしたくないので、毛布をかぶって寝てた。パパが会社から帰る。「ピザでも頼むか?」ありがたい言葉だったが、とりあえず食事は作れた。でも、後片付けはパパにしてもらい、お風呂に入って早めに寝る事にした。
2004.04.27
妊娠23週4日目。そろそろ長男の幼稚園のお迎えの時間になる正午、突然股の間に違和感が、、、え???何だろう?すぐトイレに駆け込む。尿意がないのにだらだらと滴り落ちていく。もうお迎えに行かなくちゃ!ナプキンではとても間に合わないので、しかたなく子供のトイレトレーニングにときに使っていたおむつパットをあてて幼稚園に向かった。帰りに産婦人科に行こう。なんとなく不安を覚えながら、途中去年同じクラスだったお母さんに「6ヶ月で破水なんてないよね?」なんて話しをしながら、自分に言い聞かせる。まさかね、、、 産婦人科の午後の診察は2:30からだった。受付をすませ診察を待つ。診察の結果は破水はしてないだった。とりあえずホッ。でも、、、じゃあなんだったんだろう???一応1時間張りがないかモニターをあてます。という事だったので病室でひろとしょうを遊ばせながらモニター。1時間後、先生が言うには「張りはないし、子宮口も開いてないから破水はしてないだろうけど念のため抗生物質のお薬を出しますね」だった。ひとまず安心だ。薬をもらい、家に帰ったのは5時頃だった。その日は普通に夕食を作り、お風呂に入って寝ました。思えばこの日が始まりだった、、、
2004.04.26
全5件 (5件中 1-5件目)
1