やなぎにかぜ
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今日のテレビで放送していた江原さんの『天国からの手紙』。その中で、「行動」「言葉」「思い」 これはね、すべて 同じ事なんです。殺人。人を殺すという事。言葉で「あんな奴 死んでしまえばいいのに」と言ってしまうこと。または、心の中でそう思うことは すべて同じなんです。 そんな事を考えない、「思いの殺人」を犯さない。そんな世の中にしていきたいですね。こう 仰っていた。 私が以前 親鸞を読んだ時にも、似たことが書かれていた。「泥棒という行為をした者と、お金を盗んででも欲しいと思うこと。これはどちらも同じ事」(書かれていた解説の解釈は私が悟ったものとは違っている事が書かれていた。) 頭の中であっても、心が荒む事は考えないようにしよう。そう捉えたほうがいいんだと その時に私は感じたわけだ。顔で笑顔を讃えていても、お腹の中で違う事を考えていたら、それは表情のどこかに表れる。そして、意地悪い微笑みになる。 何も囚われず、自分の心の荒みをなくせば 心底明るい笑顔になれる。たとえば、言いたい事があるなら、 お腹にためずに 「言霊」として生きる言葉にして発していきたい。大阪の姉妹殺人事件の被害者家族が、番組に相談FAXを送られていという事で、江原氏は悩み抜いた末に、その家族に逢われることにされた。江原さんが、自分の使命としていま行動している事を誇りとしてやっているなら、受けていただきたいものだと思ったし、この相談を受けられた事で、ご両親のケアが出来ていた。お母さまは、最初映った表情から、事件以後 一年間毎日泣き通して目を腫らし続けて生きてこられたであろうと伺えるものだった。それが尚更痛々しく感じた。お父さまの本心。お母さまの本心。殺された娘達のメッセージ。。。 自分が被害者にならぬように。 なによりも自分が加害者にならぬように、それはどうすればよいのか。今回の番組内容ではしっかり語られていた。今回のテーマは「想像力」だった。森公美子さんが発言していたのだけれど、「犯罪被害者、遺族のケアを出来る人は一人としていない。そういう方達のケアをするために江原さんは存在しているんですね! どうか使命として、多くの人を救って欲しい」ということ。霊だの守護霊だの、前世だの 私もどうでもええんちゃう?と思うところがある。この相談で、本当に必要としている人の為に行動してゆく、きっかけになったのだろうと思う。 そういう事の為に存在していかれるのだろう。近頃の江原さんの言葉は、逞しく厳しくなってきた。ますます本領発揮されることだろう。楽しみである。
December 26, 2006
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