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■欲求の元表面的な欲求(~がほしい、~がすき、~したいなど)には基本的に「元(もと)」があります。例えば、お昼に何かを食べたいというとき、最初の「元」は、「お腹が空いた」でしょうね。その「お腹が空いた」が変化していって最終的に「~を食べる」ということを決定します。面白いのが、最初の元の欲求(衝動)が最終的に決めたことに張り付くことです。つまり、お腹が空いたと同じくらい、~を食べたいと思うということです。このときだいたい、最初の衝動の元が何だったかは忘れます。この「元」と「最終決定、欲求」をつないでいるのが、「思考」です。この思考が練り上げられた状態だと、衝動から最終決定までがあっというまで自動的なように感じます。ここに人のパーソナリティーがあるんだなと感じます。もとの衝動は多分あんまり、人によって違いは出にくいものだと思います。しかし、その過程=思考が違うので結果は千差万別です。この元から、最終的な決定までの過程をつぶさに見ていると面白いです。逆に、最終的な気分などから元を探っていくと意外なことを発見できます。自分が、どんな思考をしているかがわかります。そのとき、過去の感情を沢山それにかぶせてくるのでその様子が妙で面白いです。その人の大切にしているものっていうのはここに出ます。この思考回路の違いこそが個別性に大きく関わってきます。(思考回路といっても感情が結びついているものも含んでの総体です。)年をとってくると、思考と感情の結びつきが多くなり、また思考の簡略化による思考の自動化が沢山おこってくるので、いらないものを沢山抱えてきます。コンピューターでいえばバグが多くなって、ウイルスなどに犯されやすく、全体的に使いにくくなったり、機能不全を起こしやすくなったりするみたいです。このバグは自分自身の思考なので、これを処理できるウイルスバスターも自分です。そのウイルスバスターが、「元」と「最終決定、欲求」をつなぐ思考をつぶさに見るという行為になります。
2007年08月27日
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■昔はみんな聞こえてた。自然の声が聞こえてた。なんで、聞こえなくなったの?必要がなくなったから。自然の声を聞かなくても生きていけるようになったから。みんな友達だったころを思い出す。みんな友達だった。星も、月も、太陽も、みんな友達だった。なんで話をしなくなったのかな。静かな時間がなくなったから。刺激的な楽しみができたから。簡単に手に入るものがたくさんあるとわかったから。欲望を追い求めてたら、かなうことがわかったから。みんなで夢をみてるんだ。欲望を叶えることが大切だって思ってる。必要だって考えている。なんで、夢をみてるんだろう?心地いいのかな?夢から覚めたら、話をしよう。いっぱい、いっぱい話したいことがあるんだ。聞きたいことがいっぱいあるんだ。ずっと、まってたよ。ず~~~と、まってたんだよ。
2007年08月21日
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■植物コミュニケーション植物は、自然はずっと歌ってる。さわいでる。人が歌を愛するのは、自然が歌を愛しているからかもしれない。自然が歌っていることを人の言葉に直せるだろうか?それは、あるときポエム(詩)となりあるときは歌となり、あるときはただの言葉となり、ぼくらにとどく。それは、あるときひらめきとなりあるときは、啓示となりあるときは、直感となりあなたにとどく。歌ってる、さわいでる。自然にうたってる。自然にさわいでる。耳を澄ませてごらん。ハートを感じてごらん。きっと聞こえるよ。風にのり、光となり、あなたに届く。
2007年08月20日
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■わからないことはそのまんまわからないことはそのまんまなぜ、あなたは生まれてきたの?わからないことはそのまんまなにが生きる意味なの?わからないことはそのまんまどうしてあの人はかわらないの?わからないことはそのまんまそのまんま、そのまんま。そのまんまがありのまま。ありのままがそのまんま。答えを出そうとしているあなたにきづいてごらん答えがないことのほうが自然だってわかるよあなたを苦しめてるのは、不自然なことじゃないのかな。自分で自分を苦しめている生き物なんてなんか変?そのまんま、そのまんま。そのまんまがありのまま。ありのままがそのまんま。なんでそれを知りたいの?それを知ったらどうなるの?それは本当?それを知ったって本当のあなたはなんにも変わらないよ。変わると信じているの?なぜ、今がイヤなの?どうしてそれをイヤだとしているの?そのまんま、そのまんま。そのまんまがありのまま。ありのままがそのまんま。不自然さに気づいてごらん。今にとどまってると、わからないことをそのまんまにしていると、不自然さに気づけるよ。その不自然さをしっかり見てみると、本当のあなたが見えてくるよ。なんで、そんないらないものを引っ付けたの?なんで、そんな不自然なことしてるの?不思議だな。そのまんま、そのまんま。そのまんまがありのまま。ありのままがそのまんま。
2007年08月19日
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■思いの蓋感情や思いには蓋ができる。それはできないのは~~だからだ。とか~~はやってはいけない。~~は~~だから悪いことだ。とか。周りとの協調ということも大切だが、こうあろうとすることを強化しすぎると思いに鈍感になっていく。感情にも鈍感になっていく。結果的に感情なり、思いなりに蓋をしていく。そして、蓋をすることを正当化して蓋をしていることに気づかなくさせていく。自分で蓋をしているのに、誰かや何かのせいにしたりする。問題は蓋をしていると気づかなくなっていくこと。蓋をしているとモヤモヤとしてやってきたり、わだかまりとして感じることがある。それをじっと見つめていると、それを言葉にしようとがんばっていると、ふっと、蓋が取れて思いや感情があふれてくる。何が蓋をしていたのか?何に蓋をしているのか?に気づくことができると、そのモヤモヤやわだかまりに悩まされなくなる。そんなことか、と思うこともある。感情や思いを大切にしすぎると、協調性を失ったり、子供っぽくなりすぎたりする。しかし、別にそれに蓋をする必要はない。以前は必要だったかもしれないけど、今もその蓋は必要?本当に?蓋をとると、きっとあなたが大切にしているものが見えてきます。また、大切にしなくていいものにすがっていたりするのが見えてきたりもします。大切なもの、忘れないためにもいらない蓋は取っておきたいですね。
2007年08月17日
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■昨日は終戦記念日ということで。一人の心の中の、怒りや、憎しみが争いとなり最終的に戦争を引き起こす。一人の心の内の、平安や、穏やかさが世界を平和にしていく。世界の争いの根源は、私たち一人一人の心の中にあるものの反映だと思います。世界の平和のためにいろいろ活動されている方々は素晴らしいことだと思います。ただ、それ以上に私たち一人一人の日々の生活の中に平和の「カギ」があるのではと考えます。誰かに対して寛容でいられること、争わずに仲良くいられること、あなたが何に対して怒り、傷つき、そしてそれに気づき許せるのか。一人一人の心の平和は、きっと世界の平和に繋がって行く。世界の平和は、今のあなたにかかっているのだということを。世界の平和を願うのもいいでしょう。しかし、さらに大切なのは、あなたのうちにある怒りや憎しみに立ち向かっていく勇気がきっと、世界の平和に繋がるのだということを。誰かの責にする(被害者に徹する)わけでもなく、出来事の納得できる意味をさがしたり、強く何かを思い込むわけでもなく、事実を変えようとやっきになるわけでもなく、その怒りや憎しみに立ち向かう勇気を。世界の平和は誰かになにかをさせたり、してもらったりすること以上に一人一人から発せられるのだということを。戦没者の方々のご冥福をお祈りいたします。
2007年08月16日
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■アルバムを買ったスキマスイッチのベストアルバム聞いているととてもこころに残る歌があったボクノート■ボクノート:スキマスイッチ(一部省略)耳を澄ますと微かに聞こえる雨の音思いを綴ろうとここに座って言葉さがしてる考えて書いてつまづいて消したら元通り12時間経って並べたもんは紙くずだった今僕の中にある言葉のカケラ喉の奥、鋭く突き刺さるきれいじゃなくたって 少しずつだっていいんだこの痛みを形にするんだ今僕がつむいで行く言葉のカケラ一つづつ折り重なってうたになるキレイじゃなくたって 少しずつだっていいんだ光が差し込む■こんな経験ありませんか?胸の奥にあるモヤモヤを言葉に直していく。でも、なかなかこれだという表現ができない。モヤモヤがとれない。キレイやかっこいい言葉にしようとしている自分に気づいた。そんなもの捨てて、ただただ言葉をカケラでいいからつむいでいってみる。矛盾していても、かっこ悪くても、あきらめずに言葉にしていってみる。そんなことをしていることを馬鹿にする自分もいる。でもあきらめない。そうすると、スッと心の奥のほうに光が差し込んでくるを感じるなんかモヤモヤが晴れて行く。わだかまっていた感情や、思い込みに気づく。それが「気づいて」っていっていたのがモヤモヤだと気づく。そんなのをうまい具合にメロディーにしてるな~って。大切なものはいつだって、ココロのオクにあるんだって。
2007年08月10日
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■知る知ることは大切です。情報しだいで、次に打つ手は変わってくる。が、落とし穴もある。知るとは=そう思い込むことひいては、思い込みたいことになっているときがある。定義すること=思い込むこと =そのものではなくなることがあるあなたという人となりを言葉で尽くしきることはできない。占いや人からこうだと決めても、違うこともあれば、大きく矛盾するものを抱えているほうが普通。それをあなたがやっても同じこと。だいたいこんな感じと言葉で定義できても、やはり、あなたという一側面でしかない。世の中そんなもので、言葉では言い尽くせない。何かを定義してしまった時点で、その一側面でしかなくなる。つまり全体性を欠いてしまうのがこれのデメリット。そのかわり、わかりやすい、理解しやすい、人に伝えやすい専門的な知識が必要ないなど、大きなメリットも沢山ある。全体を見るための方法は、「そこにとどまること」ありのままに気づき、ひたることとどまるというと、流れをとめている、停滞しているようにきこえるかもしれませんが、逆です。とどまるとは、流れをとめているものに気づくことです。つまり不自然なものに気づくこと。なぜか不思議ですが、とどまることでしか見えないものがあります。パターンの破壊はおそらく、これが一番有効化と。
2007年08月09日
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■キリスト教はい、今度は宗教ですか、、。まあ、なんでか最近やたらと縁があるので、それについてちょっとだけ。キリスト教はローマの時代に起こった。だから、当然ローマの時代のことが大きく関わってくる。ローマってのは紀元前750年くらいから始まって、AC800年くらいまで続いていた、まさに1000年大国2000年以上前に、民主主義や上下水道、道の整備をかなりのレベルでやっていたのには驚きです。この当時は、とっても自分勝手で動物チックに生きていたみたい。奴隷制度っていうのが完璧に根付いていて、人権とかどうにでもなっていたころ。どーも、そのアンチでうまれたらしいのがキリスト教。(詳しくは知らないんで個人的感想です)神の前ではみな平等。まあ、いいこといいます。人間として、権力者としてはとても不平等にできている世の中ですが、なぜか、神の前では平等。しかも、一夫一婦制など快楽的、倫理的なものにも厳しい。信じていれば、死んだときに助けてくれる。信仰ってやつですね~。日本人は葬式仏教になってしまっているので、仏教徒といっても信仰のかけらもないですからね。なじみがないです。おっと、ローマの時代にもどりますが、このころは、この考え方がともて斬新で進歩的、それまでの動物チックに生きていた人達に人間らしさっていうものを深く考えていかせたみたい。で、2000年たちました。人間考えることなんて、2000年たってもたいして変わってないんでしょうけど、2000年前の教えを有り難がってたら、ちょっと古い気もする。それが真理で変わらないことなら今後何年、何万年たとうとも変わらぬ教えとして存在するでしょうけど。少なくとも2000年間は、それに変わる新しい考えたかは有効に働かなかったみたい。ふ~ん。そうなんだね。新しいものってできるのかね。それともそういうものが真理なんだろうか?人の考え方ってのは対した変化はないんだろうけど、周りの環境は大きく変わっていく。たぶん、今必要なのは激変して行く環境へ対応できる考え方なんだろう。特に日本では、ここ数十年で生活スタイルが激変している。価値観もたぶん、激変している。環境の変化が激しすぎて、人間としてついていけなくなることもあるだろう。とどまりたい。変わりたくない。休みたい。とか、、。本能的に思っている人は多いんじゃないのかな。社会は方向性を強く持っているので、なかなか休ませてはくれない。消費もし続けないとだめ。そのための新しいもの、楽しいものを供給していってるのが今の社会の流れ。基本的に、売れれば良し、売れたものが正解で、正義。資本主義の根本になってるんだからしょうがない。ふ~ん。ほんとに?お金が手に入ると楽しいよね。楽しいこと沢山できるのは間違いないし。そのために楽しくないことやる?う~ん。これは事実の1側面だけだな。楽しくないことガンマンすればするほど、反動で楽しいことを求めるようになる。まあ、これは普遍的か。我慢せずに、楽しくないことができる能力ってのが、今の社会で必要な能力ってこと?おっと、堂々巡りが始まったので辞めとこう。宗教の話にもどるけど。締め付けるのが、どーも宗教のようだ。拡散して破綻気味の世界を、そのことによって、よくして行こうってわけだし。その理想なのかどうかよくわからないけど、なにかのためにがんばる?のが大切なわけだし。締め付けが欲しい時には最適だが、締め付けがきつい時は、その逆になるのかな。なんにせよ価値観だな。価値観が無いときには、そういう変わらない、しかも多くの人が信じているものが支えになったり、一本筋の通った自信になったりする。これでよい!なんて価値観を持ちにくい世の中ではあるけど、資本主義はお金様の宗教(価値観)といえなくもないか。お金の価値を妄信している気もするしね。妄信か~。何に対して今、妄信してるかな~。
2007年08月08日
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■内的なウソに気づく力。これが、一番いま、しっくりくるところか。内的なウソに気づくとなんかあんの?全てに気づいていく。自分のすべてに気づいて行くこと。すると、出来事のある側面が見えてくる。自分が巻き起こしている部分。自分が主たる行動をおこして、その結果を巻き起こしている事実がみえる。逆にいうと、事実のあらゆる側面に過去の自分の意図が見える。その意図は顕在意識になるときに、変更されたり、隠されたりする。そこを見分けるのが、内的なウソに気づくちから。何にウソをついて正当化しているのか?これをみると、自分が何を望んでいたのかがとてよく見えてくる。そして、その結果も。まだ過去の自分の意図に気づくだけで精一杯だが、これが、進めばもしかすると未来にかなり大きく関わることができるようになるかもしれない。ただ、この意図ってのは都合よくはできていない。そのときの魂の叫びといってもいいようなもの。都合よく未来を作れるというより、進んでいっているものが事前に確認できる程度かもしれない。これは、心の平安ということに関してはとても有効に働くようだ。心の平安とは、いわゆる自信というものに呼びかえられるかもしれない。自分の進んでいる方向、未来の出来事、今の自分、これらをひっくるめてわかっているっていうか大丈夫と思う。これが自信=心の平安ってやつかもね。そうなることがわかっている状態ってやつか。また事実で揺らぐことがあれば、その側面をしっていくだけ。過去の知りえなかった自己の意図を確認していくこと。落ち着きと平静、、。だから?あっそう。そういうこと。落ち着きと平静とかってどうでもいいのね。まあ、少なくとも今の段階でどうのこうのいうもんではないのね。目指すとか、手に入れるとかじゃなくて人生はすでにそうだってことね。はいはい、わかりましたよ。(爆
2007年08月07日
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■さみしさを見る。大きな課題です。とても大きなさみしさを持っています。だれといても、なにをやっていても感じるものです。これがあると、自分が一人だけだと感じます。そのため、それを埋める何かをさがします。楽しさ、安心、心地よさ。一時的には埋めれることもあります、、がいつまでたってもキリがありません。孤独感。そう呼んでもいいでしょう。あなたはなに?なんでそこにあるの?それを苦しいと決めている私があるの?それが、なんなの?どれだけ蓋をしても、気にしなくても、解消しようとしても、何度も何度も現れるあなたはなんなの?私自身?これがあるから、大丈夫なんて思ってもすぐにはがれる。あれが手に入ればっていってもきりがない。あなたはなに?なんでそこにあるの?静かにこっちを見ているあなたは何も言いたそうにないね。満たされないから、さみしいの?行き詰るから苦しいの?あなたのカケを探しているの?探して欲しいの?あなたはカケているところはあるけど、カケてはいない。カケていると信じている心。それがさみしさ。そこを何かで埋められると信じているのもあなた。かけているものはどこからくるんだろうか?どこからくるの?事実。出来事。これがないからだめなんだ。これをしないといけないんだ。なにかをしないと。見るべきは、かけはどこからくるの?様々だね。それを一個、一個見てみようか。それがやってきたときは、それはきっとあなたといっしょにいたいときなんだろう。一個一個、見てみよう。知っていこう。それでいいや。いっしょにいるから、いっしょに見ていこう。嫌がったり、押さえつけたり、何とかしようとしないから、ただ、いっしょにいるから、いっしょに見ていこう。良い悪いを判断しないから、拒絶したり、無視しようとしないから、ただ、みていこう。いっしょに見てみよう。ただ、ただ、いっしょに。
2007年08月06日
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■自然という教師過剰に期待してもいかんが、自然はすばらしい教師ですね。別にかけらもやさしくはないですが、適確かつ、適正、そしてエネルギーに満ちてます。最近、感じるのは、自然と深く触れ合っていると、ネガティブなところとか、不自然なところ、過剰なところを、ズバッと指摘してきます。これには受け取る側の感性が必要で、それと気づく必要があるとはいえ、とても適確かつ適切です。妄信していたり、願望だったり、自分だけでは気づきにくことを容赦なく指摘してきます。向こうとしては、なんでそんな不自然なことしてんの?って質問してる程度でしょうけど。これは、まるでなにかの「理(ことわり」のなかにいるようです。(理ってバガボンドからもらいました)よくわからないけど、大切なものを教わっている気がします。正確には忘れていたものを思い出している気がします。大切なものってそんなものかもしれませんね、教わったりするよりも、そうなんだなって思い出す感じでしょうか。それを忘れさせているものに気づけば、思い出すことができる。だから、知るのではなく気づくんだろうなと。元気がないとき、自然に触れていると元気になってきます。エネルギーは高いところから、低いところに流れるからですかね。そう思うと、向こうにとっては迷惑なのかもしれませんが(^^
2007年08月04日
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■人とのコミュニケーションは楽しいですね。なぜでしょうか?面白いと感じます。いろんなやり取りをしながら、楽しむことができます。あの手この手で面白いですね。考え付かない発想をお互いに交わすからでしょうか?それに引き換え植物はなんとも静かですね。楽しさって変化のことなのかも知れませんね。変化を楽しんでいる。(楽しい理由はそれだけではないでしょうけど)短時間であっというまに発想は変化していく、情報は変わっていく。そういったものを楽しいと感じるんですかね。ぎゃくに自然は変わらないなにかを教えてくれる。つねに変化しつづけているんだけど、変わらないみたいな何か。だから、別に楽しいとかはあんまりというか全然ないです。不思議な感じはありますけどね。楽しいとかとはまったく違う次元です。自然との交流は、生命と私を教えてくれます。人との交流は、楽しさとつながりを感じさせてくれます。ありがとう。なんで、、。わかりません。いいんじゃないですか。違うこと思うこともあるでしょう。それもそれでよし。
2007年08月03日
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■芸術は爆発だっていっていた人がいます。生命は爆発だって思います。瞬間瞬間に爆発していく。なんで?わかりません。太陽みたいな感じですかね。輝いている間中、核融合して爆発している。爆発なんだけど、静かに開いて行くという表現はいいですね。好きです。本当に無条件、無目的にバーンと開いて行く。なんで?わかりません。生命のうねり、たくましさ、静けさ、、、、そう、、静かですね。生命はとても静かです。それを平安という人もいるかもしれませんが、思ったよりダイナミックな平安です。静かなのに、、、。面白いのが、植物はこの生命にあふれています。それに気づくと、、、。まあ、とんでも話ですが、、交流が始まります。植物と!?まあ、いいじゃないですか、主観ですし。交流、つまりコミュニケーションです。言っていることとかはよくわかりません。言葉が違うんですかね。言葉の知らない外人とコミュニケーションしている感じです。植物は、おもったよりおしゃべりですね。驚きです。なんかイルカといっしょに泳いだとき、あまりにイルカが鳴き続けているのに驚いたのを思い出します。で、、、。別に、、それだけです。交流したらどうなるのか?わかりません。どうなるんでしょうね。
2007年08月02日
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