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中年よ、大志を抱け!
ゆれ動く季節
1、 「もやもや」
サークルの秋の定例コンサートには出ないつもりでしたが、一つ下の学年の人達がやっている、ハウンドドッグのコピーバンドのキーボードが事故で手の怪我をしたので、急きょそいつの代わりにキーボードを弾くことになりました。
僕は、そのバンドの結成時のキーボードだったので頼まれたわけです。
で、就職活動です。前の年に受かっていた楽器屋のもとじめは、やめときました。ピアノの調律士を養成する専門学校には年齢制限があって、残念ながら僕はもうリミットを出てしまっていたからです。それに、僕もSと同じで、楽器の販売には興味がありませんでした。
しかし、かといって特にこれこれをしたいということがありません。しかたがないので、もしかしたら行きたくなる会社があるかもしれないと、合同企業説明会というものに行ってみました。
そこでいくつかの会社の説明を聞きましたが、そのうちの一つだった、車のディーラーの人事担当が連日電話をかけてくるので、これも縁と言うことだろうということにして、じゃ、受けて見ますと答え、受けたところ合格。特にやりたい仕事と言うわけではありませんでしたが、その会社のどの営業所に入っても、Sの家に車で一時間半以内で行ける所だったので、彼とまたバンドを組むことになったとしたら、都合がいいだろうということも思ったわけです。
こうしてさっさと就職先を決めてしまうと、後輩のバンドを一つだけ手伝うって言うのも、なんか淋しいと思えてきました。
で、同じようにさっさと就職を決めていて、秋のコンサートは出ないつもりだたYと、二人でデュエットを組むことにしました。ただ、フォークギター2本のグループなんで、定例コンサートはやめにして、学園祭の時に教室を借りて、他のアコースティックグループ2つとコンサートを行うことにしました。
そのうち、吹奏楽部の人が、「去年の冬、断言児さん達、クラッシックをやってたでしょう?あれ、僕達として見ませんか?」と言ってきました。僕は、その前の年のサークルの内輪のクリスマスコンサートで、「2001年宇宙の旅」のテーマとか、モーツァルトとか、ビバルディの四季の「冬」だとか、そんな曲を余興としてセッションバンドでやったんですが、たまたまその会場の店のアルバイトを、吹奏楽部の人がやっていて、僕達を見たわけです。で、学園祭では一つ部屋を借りて、吹奏楽部の有志で室内オーケストラをしようと思っていますが、いっしょにして見ませんか?と言うわけです。
Yとのコンサートの日程とはバッティングしませんでしたし、クリスマスコンサートのメンバーも、出来ますよ、と言ったので、OKしました。
するとそのうち、M子が、知的障害者施設や身体障害者施設のイベントのたびに「今日の日はさよなら」などの歌を歌っている歌声サークルに所属している友達から、僕が作曲したある歌を歌いたいと言ってるんですけど、と言ってきました。
「最近さびしそうな顔をしている君に、僕はなにもしてあげられないけど、歌を歌ってあげるよ」と言う内容のその歌を練習している所を、そのサークルの人が聞いて、自分たちのテーマ曲にしたいと言ってるというのです。
こんな歌でもいいなら、どんどん使ってくださいと言いました。すると、歌唱指導にきてください、と言われ、何度か行ってるうちにその人達と施設で一緒に歌うことになっちゃったわけです。そういう、キャンプファイアー用と言うか、素朴なフォークソングばっかりをちゃんとやるのは初めてでしたが、ああ、こういう世界結構楽しんだ、と思いました。
こうして、一人旅や読書三昧を、と思っていたのに、結局は例年のごとく音楽、音楽で明け暮れて行きました。
学園祭でのYとのコンサートは、やりたい放題というか、自由にいろんな歌を歌い、お客さん立ちも一緒に歌って喜んでくれ、今までで一番もりあがった感じでした。
クラッシック風コンサートもなかなかで、新しい友人も出来、もっと早くやってたら良かったのに、と思ったくらい面白かったです。
・・・しかし、学園祭が終わると、楽しすぎた反動が来たと言うか、なんか急に淋しい感じになって来ました。
もう、俺の音楽活動も終わりか…と思ったわけです。
僕もYも、Sの自宅の近くの職場に決まってましたので、また一緒にバンドをしようという話しはしていました。
しかし、僕ももう24才。卒業してもずっと遊びのようなことをしながら生きて行けるとは思っていませんでしたし、もうその頃にはプロになりたい、なんて言う気力はほとんど無くなっていました。
しかしそれでもなお、まだ自分の中では、完全に音楽で生きていくことに対してあきらめたわけでもありませんでした。
ただ、一人では出来ないとは思っていました。千春さんみたいに一人でどんどん行くなんて、僕には出来ないな、と思ったわけです。
もしかしたら、卒業した先輩の中には、ライブハウスで歌いつづけている人もいましたので、そういう道もあるとは思いました。でも、僕はバンドの楽しさを知ってしまったので、できればバンドで音楽がしたかったわけです。
今思えば、他人に依存しすぎていたのかもしれません。しかし、容姿、声、曲、ライブパフォーマンス・・・どれをとって見ても、僕一人でずんずん世界に押し出して行けるほどの自信は、音楽に関われば関わるほど小さくなってきてました。
・・・思えば、なにも知らなかった頃はとっても強気でした。自分は天才だと思いこんでいたこともありました。しかし、そうではないことに気づき始めると、自分のマイナス要素ばかりが目につき出して、一人ではとっても、、、と思ったわけです。しかし、かといって、じゃあ、あきらめるか、と言うふうにもならなくって、・・・要するに、もやもやしてました。
音楽を、人生の真中において生きていくのか、趣味としてやっていくのか、ほとんどもうわかっているのに、まだそれに納得しきれていない「もやもや」・・・
そのもやもやを断ち切るきっかけとなる出来事が、5年生の秋の終わりに起こりました。
2、「プロの世界を垣間見る」
大学5年生の晩秋の頃、前からちょこちょこアルバイトをしていたある小さな会社の社長が、「音楽で飯を食うってのは大変なことなんだけど、ほんとにそうしたいと思ってるなら、ちょっと俺の知り合いのバンド見てみない?」と言うんです。その会社は、マッサージ機とか、全自動麻雀卓とか、そう言ったものの販売、修理をしていて、納入の際など人手がいる時には電話がかかってきてたわけです。
彼は副業としてセミプロのジャズバンドでベースを弾いてる人で、クラブでジャズをしたり、いろいろな催しものに呼ばれたりして、月によっては本業以上の収入をバンドで得ていたわけです。また、彼の弟は、中部地方のある放送局のバンドでギターを弾いているという、れっきとしたプロでした。
店長は、「断言児君のピアノの腕がどのくらいかは知らないけど、知り合いのバンドの演奏を見て、出来そうだと思ったらそう言いなよ。紹介してあげるから。」と言ってくれたわけです。なんでも、皆本業を持ってるので、場合によってはメンバーがそろわない時があるので、そういう時に助っ人として入れてあげられるかも知れない、ということでした。
そこで早速見せてもらうことにしました。
名古屋にある彼専用のスタジオには、僕が見たこともないような高い機材や楽器が置いてあり、それだけでも圧倒されてしまう感じでした。
やがてメンバーが来て練習をはじめました。ドラム、ベース、ギター、ピアノ、サックス、ボーカル、というバンド構成で、曲はジャズでした。僕はジャズはあんまり知らないので、何というタイトルなのかはわかりませんでしたが、聞いたことのある曲を何曲か演奏してました。
もうそれがすっごくうまいんです。思わず口をボーっとあけて見てしまいました。僕はそれまで、サークルのみんななどから「うまいなあ」なんて言われてたし、自分でもそう思っていたんですが、まるでレベルが違ってました。
練習が終わった後、「どう?」と店長に聞かれ、あんまり皆さんが上手なので驚きました、と言うようなことくらいしか言えませんでした。
とりあえず、ピアノの人が今からある店で仕事をするんで、ちょっと飲みに行きがてら見にいこうか?ということになり、店長とピアノの女性と共にその店に行きました。
その店は、ちょっときどってワインなんかを飲むという感じの品のいい店で、ピアニストのその女性は静かに雰囲気を作ると言った感じでピアノを弾き始めました。曲はジャズでした。
そのとき僕は、彼女は上手だけれど、俺だって練習したらあのくらいは出来るだろうなんて思いました。
そのうち、お客さんが、リクエストをし始め、彼女はそれに答えて何曲か弾きました。
楽譜も見ずに何曲も弾くので、レパートリーがたくさんあるんだな、と感心しながら、あれだけのレパートリーを僕が持つことが出来るかな?なんて思いました。
やがてお客さんの一人が、場違いだけど、どうしても歌いたい歌があるんだけど、と、たしか「北国の春」をリクエストしたんです。
ほんと、場違いだな、彼女、どうするかな、と思ってみていたら、にっこり笑って「いいですよ」と答え、弾き始めました。
そうか、そういうリクエストにも答えるんだな、と思ってたら、そのお客さん、えらい下手だったんです。
リズムも音程も狂ってるわけです。
ところが、ピアノを弾いてる彼女はお客さんの歌声に合わせて、リズムだけではなくキーを変えながらピアノを弾いたんです。一音上げて、さらに半音上げ、また戻って半音落とし、さらに半音落として、またまた一音上げて、・・というふうに、お客さんの声に伴奏が逆らわないようにうまく調子を合わせていくわけです。
これには驚きましたね。ピアノでキーを変化させて弾くのは相当難しいんです。メロディだけならともかく、両手を使った伴奏をそんなふうに変化させ、しかもきちんと弾くというのは、誰でもが出来ることではありません。それに、何がリクエストされるかわからないのですから、たくさんの曲でそういうことが出来るんだろうと想像しました。
・・・脱帽でした。
僕は社長に言いました。「彼女はすごいですね。僕なんかとてもとても…」
社長は、「そう、彼女は相当レベルが高い。練習量も半端じゃないし、あの感性もすごい。・・・でも、そんな彼女でも、ピアノだけでは暮らしていけないんだ。」と言いました。
もう、めまいがする感じでした。
僕がやってきたのは、ポップスとかロックとかが主だったし、カラオケの伴奏みたいなことはしたことがありませんでしたので、彼女のような技術が必要だったわけではありませんでしたが、ピアノを弾く技量と言う面では、完全に負け、というか、彼女の足元にも及ばない、ということを思い知りました。
もしかしたら社長の知り合いのバンドに入れてもらえるかもしれない、と思っていましたが、それはアマアマだったなと痛感しました。
演奏が終わって、彼女に、僕はこういうところでの仕事は全然だめだとはっきりわかりましたと言うと、「まあ、あんなのはちょっと特殊だけど・・でも、君にはこういう仕事は無理だとしても、ピアノが好きならいつまでも弾いてあげてね」と言いました。
このことがあってから、チューリップなどいろんなプロのミュージシャンのレコードを今まで以上に注意深く聞くと、どのミュージシャンも、音の作り方、使い方、演奏技術、コーラス・・・などなど、やっぱりすごいことをしているなと思ったわけです。
楽器だけではありません。声だって、僕は歌謡曲はあまり聞きませんでしたが、人気のある歌手だとか、十年以上歌ってるベテラン歌手の声だとか、よくよく聞いてみると、やっぱりそれなりにすごいわけです。変な声で変な歌い方で歌ってると思ってた歌手だって、長くやってる人は、やっぱりそれなりの味があるわけです。
反対に、ぽっと出て、ぱっと消えていく人達は、やっぱりその程度に聞こえました。
冷静に僕の音楽を分析した場合、「すごい」ところなんてどこにもないと思いました。
俺には音楽で生きていくために必要な才能はない…
こう結論付けざるを得ませんでした。
もうすぐ、卒業でした。
3、「卒業・就職」
サークルの内輪のクリスマスコンサートではサークルの全員とバンドを組もうと思い、10以上のバンドに参加しました。そして終了。
店長代理をしていた喫茶店でも、年内でバイトを終えることにしたの、さよならコンサートをしました。
これで、学生時代の音楽活動は全て終了しました。
卒業が決まり、後輩達と卒業旅行に行ったり会社用の背広を買ったりして、やがて卒業式。
セレモニーが終わり、夕方の卒業生追い出しコンパまでの間、特別音楽室やピアノ棟を一人で見てまわりました。
特別音楽室やピアノ棟は、僕が入学する直前に完成したので、初めてそこに入った時、「この新しい場所で、新しい僕の人生が始るんだ」、と思ったことや、初めてバンドを体験して、その楽しさに夢中になったこと、コンテストで優勝したいと思い練習したこと、楽器を弾いたり歌を歌ったりした時、自分の全存在がそのためにあるというような恍惚感を感じたことなど、5年間のうちに200曲近く練習しましたが、その折々に思ったことや感じたことを、ぼんやり思い出しながら、いつも座っていた特別音楽室の前にあるベンチに座り、それでも、結局プロにはなれそうにもないな、と、ぼんやりタバコを吸っていました。
ふとYとM子がやってきて、「断言児さん、探してたんですが、こんな所にいたんですか。みんな、喫茶店でも行こうって言ってますけど」と言うので、「うん、行こうか」と言い、「お前らは卒業しても音楽続けるの?」と聞くと、M子は、実家で高校時代の友達と一緒にバンドを組むって話してます、と言い、Yは、「なに言ってるんですか、断言児さん、Sさんと僕としてくれるんでしょう?」と言いました。
「うん、そやな。また頼む」と僕は言いましたが、なんだか気持ちが乗らない感じがしました。2人は、そんな顔してないで、早く行きましょうよ、と言い、僕にとっての大学そのものであった特別音楽室とピアノ棟に一礼して歩き出しました。
こうして就職。会社が借りてくれてるアパートに、もう一人の新入社員と2人で住むことになりました。
ネクタイと背広と革靴とアタッシュケースの毎日。家々を回り車の査定を断られる毎日。それでも、「男は仕事」と思ってたので、たとえ車の営業の仕事が、すごくやりたいと言うほどのものではなかったとしても、とりあえず今はこれだと思って、一生懸命しなけりゃ、と思っていたわけです。そのうち少しは売れるようになり、俺って、営業の仕事も出来るじゃんか、営業で生きていかなきゃ、などと思いました。
この間、ギターやキーボードは実家においてきてましたので、全く触りませんでした。レコードもテープもほとんど聞かず、今までと生活のありかたを一変させようと思い、すぐ近くにあった空手道場に通い始めたりもしました。道場は週に2回、体を動かすわけですので、生活のリズムを作るのにいいと思ったわけです。武道の雰囲気は好きでしたしね。
SとYには、仕事に慣れるために、少し落ち着いてからバンドをしよう、と言ってましたが、全面的に音楽に関われない関わり方ってのに抵抗があったというか、要するに、学生時代、音楽を遊びでやってきたつもりではなかったので、いいかげんというか、中途半端な関わり方をするなら、しない方がいいと言う気がしてました。
・・・ところが、夏休みにSやY達とともに山にキャンプに行ったんですが、Yがギターを持ってきていて、それを弾きながらみんなで歌っているうちに、やっぱり音楽っていいな、と思い、秋からバンドを組もうなんて約束してしまいました。なんだかんだと理屈をつけて音楽を遠ざけていましたが、やっぱり、好きだったわけでしたし、そういう体質になってたわけです。
ギターを弾くって、また、歌を歌うって、やっぱり僕にとっては楽しいことだったわけです。もう、プロになるとか、そんなことは考えませんでした。ただ、自分の音楽を出来る所までやってみたいと思ったわけです。
なんだか、気持ちが軽くなった感じで、SとYと再び音楽活動をはじめることになりました。
4、「再びバンドを組む」
僕とSとYは、9月からバンドをしようと約束したんですが、実際には福祉施設の職員だったYは夜間勤務が多く、また、施設のイベントの時などに歌を歌うために、職員の何人かで半分仕事がらみのアコースティックグループを作っていて、今は僕らと練習する事が簡単には出来ないということで、とりあえずYは後から入れる事にして、僕は、Sと2人でアコースティックグループをしようと思っていました。Sとは学生時代、よく2人で歌っていたので、そういう感じで、と思ったわけです。
しかしSは、「実はよぉ、俺がバンドをするかもしれんって言ったら、一緒にしたいって言うのがいてさぁ、…ドラムと、リードギターと、そして、ボーカルなんだけど…」と言うわけです。
ドラムの人はSの農協に出入りしていた新卒の農機具会社の社員で、学生の時にバンドをやっていたということでSとすぐに意気投合し、その友達が、彼の友達を呼んでるということでしたが、僕としては、Sの友達なら僕の友達でもあると思ったので、それについては別にかまわなかったんですが、ボーカルもいるのか、と思ったわけです。
そのボーカルは楽器が弾けないのでボーカル専門ということで、つまり、僕はリードボーカルではないということになるわけで・・・
で、あんまり嫌らしい事言っちゃいかんいかんと思いつつも、つい引っ掛かりのこもった声で、「で、ドラムもリードもボーカルも、うまいんか?」と聞くと、「ドラムは聞いた事無いけど、たぶんM子くらいのレベルはあるんじゃないかと思う。…わからんけど…。リードギターはドラムの奴と一緒に甲斐バンドとかローリングストーンズとか、ああいう系統の物をコピーしてたそうで、フォークギターを聞く限りは俺や断言児よりもうまくって、Yくらいはいけるんじゃないかなって思う。…ボーカルは、ドラムとリードの奴がいたサークルの同級生で、彼らとは別のバンドで歌ってたそうや。マッチとか歌ってたそうで、一緒に2回くらいカラオケに行ったけど、まあ、なんちゅうか、…ヘタじゃないと思うけど…」と言うわけです。
「マッチって、近藤まさひこか?」と聞くと、「そう、あのマッチ」というわけです。「マッチとか、小泉今日子とか、松田聖子とか、そういうアイドル路線の歌をずっと歌ってたんだって」と言うわけです。
「小泉今日子とか松田聖子とかって…女か?」と聞くと、「いや、男」というわけです。
とにかく、いっぺん会わせてくれよ、と言い、彼らと会いました。
ドラムのFは、エネルギッシュな自由人という感じで、Sが好きそうなタイプだなとすぐにわかりました。リードギターのJは、渋いおっさんと言う感じ。二人ともアウトドアが趣味で、やはりアウトドアが好きなSとはすごく気が合ってました。ジュンちゃんと呼ばれているボーカルは、童顔で細い体つきの、想像してた以上に「アイドル」路線の人で、小粋に流行りの服を着こなして、帽子なんかかぶってきてました。
彼らは、僕とは同じ学年だったわけですが、僕が浪人してたので一つ年上ということで、いいよいいよ、って言うのに「断言児さん」とか敬語を使うので、なんかこそばゆい感じがしましたが、いろいろ話してるうちにすっかり仲良くなって、どんな奴だろうと心配していたジュンちゃんも、すごく純粋でまじめな人だったんで安心しました。・・・というか、彼はあっという間に僕らのマスコットみたいになってしまい、ほんとに、「ジャンちゃん」という呼び方がぴったりという感じでした。僕とSは、みんなと別れた帰りがけに、あのジュンちゃんって、一種の人徳者やな、と話し合いました。それほど、はじめて見るタイプだったわけです。
ここに、ビートルズ―チューリップ路線の僕とS、ローリングストーンズー甲斐バンド路線のFとJ、そして、アイドル路線のジュンちゃんが一緒にバンドを組む事になったわけです。
目標は、翌年の春に開催される名古屋市関係のあるイベントに出場するということになりました。
このイベント…僕はとんでもない大失敗をすることになるんですが、それは次回に…
5、「人間関係する」
僕らは週に一度、楽器屋さんのスタジオを借りて練習することにしました。
で、選曲です。
ジュン(天真爛漫に)「あの、しぶガキ隊なんてどうですか?断言児さん、やっ君に似てますから」
僕(ちょっとうれしそうに)「え? やっ君? 俺、似てる?」
S(鼻で笑う感じで)「太ってる所を除けば、目が二つあって、鼻と口が一つづつあるとこなんて、うり二つやぞ」
僕(ちょっとむっとして)「それどーゆー意味や」
J(ジュンちゃんの発言にはらはらした感じで)「ジュンちゃんの言うことは気にしないで下さい。こいつ、あんまり目が良くないんですよ。」
僕(君、はずしてるよって感じで)「それもどーゆー意味よ?」
F(ヤバイ、いい雰囲気にしなくちゃって言う感じで)「いや、少し似てるかも・・・」
ジュン(やっぱり天真爛漫に)「そうでしょう? S君もふっ君に似てますよね」
S(まんざらでもなさそうに)「へへ、やっぱり? 時々言われるんだよね」
僕(お前だけ何よ、って感じで)「嘘つけ。そんなこといっぺんも聞いたことねぇぞ。」
ジュン(またまた天真爛漫に)「いいじゃないですか、しぶガキ隊、できますよ? ね?」
J(こいつ、しょうがねえなって感じで)「ね?じゃねぇんだよ。俺のギターが泣くじゃねぇか。」
ジュン(またまたまた天真爛漫に)「なかせるギター、いいじゃん?」
J(もう、こいつって感じで)「そーゆー意味じゃなくってさ・・・」
F(いい雰囲気を作らなきゃって感じで)「ジュンちゃん、僕ら、ロックバンドだからね」
ジュン(あっぱれなくらい天真爛漫に)「しぶガキ隊もロックしてるんだけどな・・・」
J(僕とSに悪いなって感じで)「とにかくジュンちゃん、断言児さんとSさんの意見を聞こうよ」
僕(FとJに気を使って)「いや、F君とJ君は何したいの?」
F(僕とSに気を使って)「チューリップとかビートルズ、しましょうよ」
J(僕に気を使って)「こないだ財津さんがテレビに出てたけど、渋かったもんね」
S(ちょっと自分を主張して)「俺はストーンズがしたいと思ってたんだけど・・・」
僕(FとJとの接点を探ろうと言う感じで)「俺、甲斐バンドのブルーレター好きだけど…?」
F「もともとチューリップも甲斐バンドも福岡出身で、仲いいんですよね」(だから僕らも…ね?って感じで)
ジュン(あくまでも天真爛漫に)「財津さん、聖子ちゃんの曲いっぱい書いてるでしょう?…夏の扉、僕好きなんですよね・・・」
J(もう、お前、って感じで)「聖子ちゃんはどうでもいいんやて!」
・・・というような会話がずっと続いたわけです。
FとJは、僕が一つ年上ということで僕のことを断言児さんと呼び、そんな僕をSが呼び捨てにするもんですから、JはSのこともさん付けで呼び、FはSと仕事で知り合ってたのでお互いに君付けで呼び合い、FとJは同じサークルの、いわば身内に当たるジュンちゃんがとんでもないことを僕らに言わないかとはらはらしていて、僕とSはチューリップやビートルズが好きだとは言ってましたが、なんとなく子供の頃の思い出を引きずってると思われるのがいやで、FとJも甲斐バンドやローリングストーンズに付いてはやっぱりそう思ってるフシがあって、お互い、相手が好きだといってる音楽をやろうという感じで…
要するに、お互いがお互いに気を使っているという雰囲気が濃厚でした。
しばらくして、Sが、「なんか俺らって、人間関係してるね、」と言い、それが妙につぼにはまった言い方だったんで全員ニヤニヤしながら、じゃ、これから新しい曲を練習するとしたら時間的にも大変かもしれないから、とりあえず、みんなが大学の頃にやってた曲で、共通の物があったら、それをやろうよ、と言う事になりました。
で、その結果、、爆風スランプの「うわさになりたい」(タイトルに自信ありません)、ジギ―の「グロリア」(って言うタイトルだったと思うんですけど…)、甲斐バンドの「破れたハートを売り物にして」(タイトルに自信ありません)、ハウンドドッグの「フォルテシモ」、そして、RCサクセションの「この雨にやられて、エンジンいかれちまった」(タイトル、全然自信ありません。って言うか、絶対違います)と決まりました。
練習をはじめると、ジュンちゃんの歌は結構うまく、しかもSとともに飛んだりはねたりしてましたし、FもJも上手で、最初からメンバー全員ぴったしという感じで、非常に盛り上がりました。
僕は、新しいバンドも組めたし、ボーナスも入った事だしと思い、思いきってローランドのデジタルシンセサイザーを買いました。
・・・これが、大失敗の元になっちゃったわけです。
「いやあ、大学出てからこんなに楽しいバンドが出来るとは思ってませんでした」と、渋いおっちゃんという感じのJが言い、ほんとほんと、と僕らもお互いにそう思いました。
練習の合間に、冬には雪山に遊びに行ったり温泉に入ったりして、僕らは、昔からずっと友達だったという感じでした。人間関係してるって言う言葉が、僕らの間ではやってましたが、それはだんだんといい関係になってきてる事をあらわすようになってきました。
そして春。(だったと思うんですが…)なんだったか詳しくは忘れましたが、名古屋市がらみの、屋台が出たり、演劇みたいのがあったり、いくつかのバンドが演奏をしたりという、そういうイベントがあって、僕らもそれに出たわけです。
朝から夕方までそのイベントはあって、僕らはお昼ちょっと過ぎの出演でした。
僕は、買ってからまだ数回ほどしか使った事のない新品のキーボードをもって行きました。前から持ってる方は慣れてましたが、音が良い方がいいだろうと思ったわけです。
そして本番。
野外ステージでしたが、音の返しも良いし、お客さん達も結構たくさんいて、順調な滑り出しという感じでした。
しかし4曲目。「フォルテシモ」をやったときの事でした。あの曲は、前奏がキーボードで、学生時代何度もしてましたので、タッチミスも無く、完璧に弾き始めたわけです。・・・ところが、前奏のドラムやベース、ギターが入ると、なんと、全然キーがキーボードと合ってなかったんです。すごい不協和音に聞こえて、気持ち悪いなぁ、って感じなわけです。
最初僕は、ギターかベースか、どちらかのチューニングが狂ったんだと思ったんですが、そうじゃなくって、どうも、僕のキーボードの音程が半音高いようでした。
しまった!こりゃあかんわ、と思い、あかん、これ、という顔をみんなにしましたが、すぐに細かい事を弾くのをやめて、半音下げたコードで軽くシャーシャー弾いたので、ジュンちゃんは最初戸惑ったものの、ギターとベースの伴奏でいつも通りに歌いました。しかし、半音下げるといっても、あの曲はD調ですから、C♯にするという事で、またC♯ってのはあんまりやった事のない調なんでちゃっちゃと出来ないわけです。とにかく弱わっちゃいました。
どうしてそうなったのかわっぱりわかりませんでしたが、どうにもこうにも仕方がありません。その曲には、キーボードの結構長い間奏もあるんですが、複雑なメロディーを半音下げて弾くなんてとっても出来ませんでしたので、シャーシャーと小さい音でコードを弾き、自信がないところは単音で適当に弾きました。もう、全然ダメってなもんです。
しかしジュンちゃんは、うまい具合に元曲にはないア~~~だとか、ウ~~~だとかのメロディーを表情いっぱいに歌い、SとJもアドリブでいかにも僕達の演奏は他のと違って、こうなんです、って言う感じで弾いたの、危機を切りぬけた感じになりました。すごいな、ありがたいな、と思いました。
僕にとってもう一つ良かったのは、最後の曲が、そのキーボードとは違うピアノを使う曲だったし、ぱ~~~っと盛り上がる曲だったので、終わり良ければ全てよしという感じでコンサートを終われた事でした。
しかし、すごいドジをしちゃったって事は事実なわけで、みんなに大変申し分けないのと、自分自身が恥ずかしいのとで、ほんとに穴があったら入りたいという感じで、演奏が終った後、とにかく全員に謝りました。
みんな、いやぁ、一時はどうなるかと思ったけど、アドリブしたりして切りぬけれたし、面白かった、なんて言ってくれて、いいよいいよって言ってくれましたが、僕はみんなの気持ちはありがたかったんですが、やっぱり自分としては良くありません。どうしてこういうことになったのか、という疑問と、大チョンボをしちゃったというショックがなかなか消えませんでした。
それでも、みんなとほかのバンドの演奏を見たり、屋台を周って食べ歩きしたりしてるうちにだんだんと落ち着いてきて、その日は打ち上げをして帰宅しました。
家に帰って、キーボードを出して弾いて見ると、やっぱり半音高いんです。
それで、分厚いマニュアルをパラパラめくって、キーに関するところを見ていたら、「トランスポーズ」という機能がある事を思いだしました。
トランスポーズって言うのは、同じ鍵盤を押さえた時に出て来る音を、半音単位で変えられる機能の事で、例えばハ長調のある曲を練習してきた人が、歌う人の都合によってもう少し高い音程や低い音程で弾かなければならなくなった時に、普通のピアノなら鍵盤のポジションを変えて弾くわけですが、トランスポーズ機能を使えば、今まで練習してきたと同じポジションで、音程だけを自由に変える事が出来ると言うわけです。言ってみれば、ギターで言うカポタストの機能みたいな物なわけです。今は、たいていのキーボードにその機能がついてると思いますが、当時はみんなについてるっていうものではありませんでした。
それで、僕は、そういう機能は「おまけ」と思ってましたし、なんというか、ピアノをやってた僕としては、なんかちょっと「邪道」みたいだと思ってましたので、使ってみようと思った事がありませんでした。
それに実際、バンドの場合、不特定多数の人がボーカルをとるという事がないので、トランスポーズを使う場面も必要も無かったわけです。それで、どこをどうするとその機能が働くかなんて事は知りませんでした。
それはつまり、どこをどうすればキーを元に戻せるかって言う事も知らなかったって言うわけで…
ところが本番の日、音色を変えるために別のボタンを押す時に、その機能を働かせるボタンを知らずに押していたわけです。
「そーゆーことか!」と思いました。
「大体からして、キーボードに限らず最近の機械はいらん機能が多すぎる。ボタンも多いし、ボタンが少ない奴もあるけど、その代わり、そういう奴はボタンの組み合わせが複雑や。マニュアルも分厚くってわけわからん用語もありすぎる!・・・」と、さっそくSに愚痴をこぼしましたが、Sはあっさりと「そりゃ勉強になったな、」とか言って、「で、次はどうする?」と言いました。
「じゃ、今度は秋か冬になんかしよっか?」ということになり、僕達はミーティングをする事になりました。
しかし、社会人ってのは、いろんなことがあるもんで・・・
6、「転職、転職、また転職」
春のイベントが終わると、とりあえず冬、学生時代お世話になった楽器屋さん主催のクリスマスコンサートに出さしてもらおうか、ということになりました。
今度は、杉真理の「いとしのテラ(タイトル、やっぱり自信ありません)」、ノーバディの「ディア・マイハート」、ユーミン「恋人はサンタクロース」、そして、ポリスの一番ヒットした有名な曲(タイトルはど忘れしました)でした。
練習はやっぱり楽しく、夏はキャンプに行ったりして過ごし、そして冬。今度は失敗もなく無事コンサートは終わりました。
僕らは、FもJも作曲をしてたそうですし、ジュンちゃんは作詞をしてたそうなので、僕やSの曲と共に、次のコンサートでは、オリジナルの曲をやってみようと話していました。
・・・ところが、年が明けてすぐに、ジュンちゃんが、「実は僕、仕事が変わる事になって、実家に戻る事になったんです」と言うわけです。
ジュンちゃんは、ある和菓子やさんの配送をしてましたが、このたび、三重県にある実家の呉服屋のお父さんの体調が悪くなり、家へ戻ってくれないかと言われ、後を継ぐつもりで店を手伝う事になったと言うわけです。
「え、そうなの?」と言うと、それに続いてJも、「それが、実は僕も、今の会社を辞めて別の会社に移る事になったんです、すいません」と言うわけです。Jの新しい職場は、彼の実家のある広島県でした。
「なんだ、そうなんだ・・・」僕は、バンドが出来ないというよりも、せっかく友達になったジュンちゃんやJともう会えないという事が淋しいと思いました。
バンドの方も、FとSと僕の3人、ドラムとベースとキーボードという構成になってしまうわけで、それでは、ロックバンドとしては音が薄くなるので、僕がギターを、と言う事になるわけですが、僕はサイドギターを弾いた事はありましたが、一人でギターをやるとなるとちょっと自信がありませんでした。
で、Yを誘って見た所、だいぶ仕事にも慣れてきて余裕が出てきてるんで、ギター、やりますよ、という事になり、4人でバンドを組む事になりました。
Yもアウトドアライフが好きだったので、すぐにFとなじみ、とりあえず秋頃何かに出ようよ、ということで、練習をすることになりました。
で、Yもオリジナル指向でしたので、やっぱり何曲かオリジナルをして見ようと言うことになりました。
FとYは、ついでに、当事テレビでやっていた「イカすバンド天国」(通称イカ天)に応募しましょうよ、あんなレベルなら楽勝ですよ、と言いました。僕とSは、あの番組が楽勝だとしても、それでどうなる? とか思いつつも、まあ、やってみてもいいかな、なんて思いました。
今度のバンドは僕が集めたバンドではないし、それぞれの個性を出したいと思ったので、僕がメインボーカルではなく、ビートルズみたいにみんなで歌うバンドにしようと思いました。
ところで、その年の夏ちょっと前、僕も転職をしました。一つの家で3台も買ってくれたという事もあって、車の営業の仕事がいやになった、というわけではなかったんですが、それほど売れてたわけでもなかったので、ずっと一生これを続けるのかと思うとなんだか重い気持ちになっていた頃、無くなった祖父が鍼灸の勉強をしていたことを知り、今更祖父のように医者にはなれないけれど、祖父の遺志をちょこっとだけ継いで鍼灸師にはなれるかも、と思い、試しに鍼灸学校の過去の試験問題をやって見た所、なんとなく行けそうだったので、資金をためるために車の営業をやめ、同じ市にある、ある自動車工場の期間工になったわけです。
毎日残業をして、無欠勤なら、ひと月42万円くらいにはなるという事だったので、月に35万円貯金するとしたら、2年ちょっとばっちり働いたら、入学金や授業料が出来るだろうという計算でした。
しかし、最初はほんとにしんどかったですね。ラインに入ったんですが、あまりのしんどさに2週間も経たない内に次々に僕と一緒に入った若い人達がやめていってました。後から来る人達も、来てはやめ、来てはやめ、という感じでした。それでアルバイトニュースや就職情報誌などでは、毎日毎日期間工を募集してるわけです。ただ、北海道や九州などから出稼ぎに来てる人達と、ブラジルから出稼ぎに来てる人達は、とっても辛抱強く仕事をされてました。
…後年、こうして僕はブラジルに来てますが、この時初めてブラジルの人達と会う機会があり、それも、すごくまじめだなぁ、という尊敬に似た感情を伴なっての出会いだったわけです。
それにしても、良く覚えてるんですが、最初の3日ほどは、仕事が終わって従業員寮の自分の部屋に帰るとすぐにそのまま作業服のままで寝てしまい、朝は身体を引きずるようにして工場に行きました。まともに夕飯が食べられるようになったのは、数日してからで、寝る前にシャワーを浴びる余裕が出来たのは、もっと日数が経ってからでした。
何度かやめようと思ったんですが、やめてしまったら自分の計画は台無しなわけですから、そう簡単にやめるわけにはいかなかったわけです。
こういうふうだったので、日曜は休みでしたが、しばらくはバンドをするどころではありませんでした。昼過ぎまで寝ていて、ごそごそとコンビニへ行って食料を買って遅い昼食を食べ、また寝て、夕方ちょっとしたレストランで定食を食べる、という感じでした。各週で土曜日が休みだったので、その時の日曜は朝からなんとか元気でしたけども…
しかしえらいもんで、3ヶ月もすると身体が慣れてしまって、仕事も楽に出来るようになり、毎日ちゃんと夕食を取り、シャワーも浴びて、テレビを見たり本を読んだりも出来るようになりました。
それで、その年の秋のコンサートとイカ天の話は無くなりましたが、翌年の夏を目指してバンドの練習ももちぼちするようになったわけです。
Yは、土曜日に宿直で、日曜の午後から練習できると言う事だったので、僕らはいつも日曜の午後3時ごろ集まって練習して、終わったら食事をするという感じでした。
オリジナルの曲なので、アレンジから考えなければなりません。それで、1曲が出来るまでには結構時間がかかるんですが、それでもなかなか楽しい時間ではありました。
しかし、しばらくすると、今度はYが、職場のローテーションが変わって、日曜に職場に行かなきゃならなくなり、みんなで集まるのは平日の夜7時くらいからとか、各週の土曜日の午後からとかになりました。
…社会人ですから、そういうことは当たり前なわけです。
しかし、そうこうするうちに、年の暮れ頃、今度はFが転職することになっちゃいました。実家の静岡に帰るというのです。
僕らは、もう一緒にバンドが出来なくなることも淋しかったですが、やっぱりFともう会えなくなる事が残念でした。
みんなで旅行に行ったりしましたが、ついに別れの時が来て、Fは行ってしまいました。
年が明け、さあ、バンド、どうする?という事になりました。
Yは、「もともと卒業したら3人でやりましょうって言ってたんですから、この3人でやりましょうよ」、と言い、フォークギターとハーモニカ、タンバリンと言う感じでもいいですし、フォークギターとピアノ、ベース、と言った感じでもいいじゃないですか?と言いました。
Sは、「ドラム、探せばいるけど…」と言いながらも、そうそうFのように僕らと気が合って、しかも相当うまいドラマーはなかなかいないけど、と言いました。
僕は、「俺が買ったキーボード、ドラムを打ち込んで音を出す事が出来るけど、それってどう思う?」と聞くと、Sは「俺、そういう機械に人間が合わせるってこと、非常に拒絶しちゃうんだよね」と言い、Yも、「そんな機械を入れるのやめましょうよ、アコースティックがいいですって」と言うわけです。
僕は、「いや、ちょっと聞いてみただけよ。俺も機械のドラムなんか、って思う。・・・じゃ、アコースティックで行こう。」と言い、しかしただフォークギターを3人でやるのもありきたり過ぎるし、リズム感を強調したいと言う事もあって、Sはベース、Yはエレキギター、僕はフォークギター、を基本のスタイルにして、曲によってはピアノやタンバリンやハーモニカを入れよう、と言う事になりました。
こうして前に僕らでやった歌や、新しく作った歌を持ち寄って、2週間に一度の割で練習をはじめました。
そうこうするうちにサークルの先輩から、結婚するから、披露宴で演奏をしてくれないか、という連絡がありました。
続く…
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