アインス宗谷の雑記ノート
1
1985年、東北を旅行したとき、その最後に訪ねたのが栗原電鉄でした。10年後の1995年、第三セクター化され、くりはら田園鉄道となり、電車から気動車に変わるなどとは、当時は想像もできないことでした。 開業は大正10年、昭和30年には、それまでの軌間762mmの軽便鉄道から、国鉄在来線と同じ1067mmに改軌し、新造電車や西武鉄道からの譲受車を投入、当時は、東北で最も近代化された鉄道でした。 1995年に非電化されるまで、そのままの姿を保っていました。 沿線は、その名のとおり、田園風景が広がり、ローカル鉄道としてのムードは満点ですが、その分人口は希薄であり、終点にあった細倉鉱山の閉山など、地元産業の衰退など、過疎に悩む地方が抱える問題をここも例外なく持っています。 来年春、くりはら田園鉄道は、廃線になる予定ですが、願わくば、奇跡が起こり、「くりてつ」が走り続けることができればと、思っているこの頃です。 以下に当時、撮影した写真を何枚か載せます。 栗鉄が東北本線(当時は国鉄)と接続していた石越から電車に乗り、途中下車したのが沢辺駅。ここは、最初に栗鉄が開業したときの終点でした。 その手前の線路際で待っていると、貨物列車がやってきました。 貨物列車を牽くのは、ED20型201。昭和25年、まだ軽便だった時代の登場した凸形の電気機関車で、昭和30年の改軌時に改造、軽便用の小さな車体に大型の台車を履き、パンタを載せた姿は、ユーモラスでした。 国鉄の有蓋貨車ワムとタキを牽き、後に自社ワフ7が付いていく貨物列車は、この頃、すでに珍しくなりつつあった私鉄らしい貨物列車でした。 次に降りたのが栗駒駅。M18形電車は、元西武鉄道の車両。隣に先ほどの貨物列車が停まり、ワムを切り離していました。 栗駒駅の先、三迫川橋梁を渡る貨物列車。ワムは栗駒で切り離し、タキだけが細倉まで行くようでした。 三迫川を渡るM15形。これは、ナニワ工機、関西生まれの車両で、昭和30年の改軌時に自社発注で新製されたもの。
2006.11.08
閲覧総数 579