海辺のお部屋

海辺のお部屋

入院生活


言葉はこんなにも出てくるものなのである。
私にとって、入院中に関わった人は、家族のような存在だった。

 精神科というだけあって、身体的にはなんら、問題のない人の集まりだから、
日中は、みんな談話室に集まったりしていた。
誰が付けたんだか、いろんなあだ名が付いて。
その場を取り仕切るのが上手い、母親くらいの年齢の人は、校長先生、と言っていた。
その他にも、教頭先生、漁師さん、ボクサー。
そこは、一つの社会だった。
私は病棟では2番目に若かったので、あやのちゃん。
同年代の看護婦さんにもあやのちゃんと言われ、私も看護婦なんだけど。
そう、思わず叫びたくなったが、やめておいた。

 でも、私は入院中、本当に多くの人にお世話になった。
自殺未遂で入った私は、当然、閉鎖病棟。(鍵がかかってて出れない)
そして、もちろん拘束つき。(ベッドに縛り付けられるやつ。)
はじめは、お腹のところしか拘束されていなかったのに、その後、自傷行為をしたため、両手も縛られました。
自爆です。
栄養失調もともなっていた私は、毎日点滴だった。
それを抜いてね。馬鹿。
ばれて、点滴中、だけ両手抑制だったのが、両手がフリーのときに、ベッドのかどで、自傷して。(まねしないでください。)
それでも、両手がフリーだったので、首吊りしてね。(まねしないでください。保証はしません。)
これはさすがにだめでした。
って、当たり前。
即刻、両手抑制の措置をとられました。
どうやって首吊りしたかは、教えられません。
自分でも、よくまあ、考えついたと思います。
今なら、考えもしないでしょうね。
つうか、考えてもやりません。

 私は拘束を入院して1ヵ月はされていた。
1日の中に、5時間だけ自由になる時間があった。
その時間、私は必死に日記を書いていた。
そして、拘束されてからは、みみさん(仮名)や、まりちゃん(仮名)や、校長先生が来てくれた。
ベッドサイドでいろんな話をした。
たまに、うるさい、からどっかいってとか思いましたけど。
本当に。
特にみみさんは。
妄想まんまんで来るのはやめて欲しかったです。

 そして、拘束がとけて、談話室に行くと、次の悪魔が待っていたんですね。
山さん(仮名)とへびさん(仮名)。
両方とも、私が保護室(隔離ね)に入れました。
山さんは、私が自分のことを好きだと勝手に思っていて、他の男性患者さんと話すといきなり暴れ出す人です。
怖くて、ナースに訴え続けて、言ってるさまから、ドアを壊す勢いで暴れてくれて、即刻保護室に送られました。
でも、3日で出てきて、最悪な日々でした。
そしてへびさん。
私にはついていけない、性的妄想の持ち主です。
しかも、それをなぜか、私に訴えるのです。
追っかけまわしてまで。
ベッドのカーテンまでいきなり開けて。
しかも壊して。
たまりかねて、ナースに訴えました。
そしたら出るは出るは。
私以外にも被害者はいたようで、みんなで言いまくっていたら、保護室へ。
へびさんに比べたれら、みみさんの妄想なんてかわいいもんです。

 それにしても、いろんな人がいましたね。
私がリストカットの跡を見せると、自傷の跡の見せ合いが始まったり。
その後は私は彼女たちの看護婦です。
いきなりカーテンを開けて、「死にたいの。」
と言うかたもいました。
相談にのる、私も私なんですが。

 でも、急性期病棟だったこともあってか、私と同じような人はいるんです。
でも、みんな笑顔で退院していくんです。
それが励みでした。

 私は患者のみんなが嫌っていた、宮さんという看護婦さんが好きでした。
それは、私が、パニック発作が1日に10回とか起こっていたとき、保護室ではないけど、観察室なる、ようは、ナースステーションから丸見えの個室に入れられた時、
宮さんだけが私のそばにいてくれました。
まあ、たまたま、その日が一番発作が多かったんです。
そんな日に宮さんが夜勤で。
私は、こりゃ、死んだ方がましでしょ。
とか思いました。
でも、宮さん、今までの誰よりも早く気付いてくれるんです。
そして、背中をさすりながら、「大丈夫。」
そう、となえ続けてくれました。
発作がおさまったとき、抱きしめてくれました。
「もう、発作はおこらないよ。」
そう言って。
まあ、その後も起こりましたけどね。(爆)
でも、すごく嬉しかったです。
親にも抱きしめられた記憶がない私は、少し恥ずかしいけれど、
宮さんの暖かい胸が、なんだか安心させてくれました。
それだけの理由で好きな看護婦さんに格上げする私も大人げないですが。
宮さんは、本当に嫌いだったんですよ。
拒食の私に、「ここまで食べないとお盆下げない。」
とか言って、本当に下げない人ですから。
でも、芯はやさしい人なんだと思います。
本当に食べられたときは
「あやのちゃん、今日は頑張ったね。やればできるじゃない。ゆっくりでいいんだからね。」
と、言ってくれます。
それでも、みんなは嫌ってました。
まあ、あの強引な性格はあまり好かれないでしょう。


同じスタートラインに立ち
お互いに励まし合いながら進んでいたはずの仲間たちは
私だけをおいて先へ先へと進んでしまった
他人と比較するときりがないけど
こうして立ち止まっているのは私だけ
自分は自分 それでいいのかもしれないけど
今の私にはそれができない
私も早く歩きたい


 これは入院中に書いた詩である。
私の心は、ほとんどこの思いで支配されていただろう。
でも、今は逆に入院してよかったと思っている。
たくさんの友達ができて、
私の精神科看護の再スタートがここではじまった。

入院時代の最後の日記にはこう書いてあった。

みんなと別れても、何かの縁でまた会えるでしょう
その時に笑って会えるように
毎日を楽しく生きていきたい




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