福岡市個別指導学習塾慶應修学舎の記憶「石橋の思考」

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2012.01.14
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カテゴリ: 人生論
僕が人生でやり残していることが、ひとつあります。

それは――
だれかの心の中に、「あの人だったら、どうするだろう」と思い浮かべてもらえるような存在になることです。

たった一人でもいい。
できれば、もっと多くの人の中に。

たとえば、人生の選択に迷ったとき、
誰かがふと、僕のことを思い出してくれる。

「そういえば、あの人だったらどう考えるだろう」
「どう行動するだろうか」――そんなふうに。


むしろそのときこそ、より本質的なかたちで残っていくのだと思います。

「あの人だったら、こう言っていただろうな」
「こう決断しただろうな」

そんなふうに、僕という存在が誰かの中に生き続ける。
僕の哲学や、考え方や、生き様が、どこかで誰かの心に残っている。

それは、名前を遺すこと以上に、
価値のある「存在の証」なのではないかと思うのです。

思想は人を超えて生きていく
有名人でも偉人でもない、
ごく普通の人生を送ってきた僕でも、
誰かの心に思想を刻むことはできると信じています。


目の前の人にどれだけ真摯であったか。

日々の小さな選択の積み重ねが、
やがて誰かの中で「その人らしさ」として形を持つ。

その思いが、僕の人生の大きな目標になっています。

もちろん、まだまだ道の途中です。

でも、「目指す」という意思があることが、まず第一歩だと思っています。

宗教に頼らない、でも学ぶ
僕は無宗教です。
けれど、さまざまな宗教の教えを学ぶことは好きです。

仏教における「慈悲」
キリスト教が説く「赦し」
イスラム教にある「献身と誠実」

どの宗教にも、人がよりよく生きるための知恵が詰まっています。

けれど僕は、何かの宗教に帰依することは選びません。
そこには僕なりの流儀があります。

それは、思想に“借りる”ことはあっても、“委ねすぎない”ということ。
自分の頭で考え、自分の足で立つ。
その上で、宗教の教えも、自分の中に取り入れていく。

そうやって、自分だけの哲学を少しずつ育てていきたいのです。

自分という宗教を、つくっていく
誰かの中に残る思想。
それは、いわば「自分という宗教」のようなものかもしれません。

他人に押しつけるものではないし、
信者を求めるものでもない。

ただ、その生き方や考え方が、
「なるほど、そういう見方もあるんだ」と
誰かの視界を広げる一助になれば、それでいい。

僕が願うのは、ただひとつ。
自分という小さな哲学が、誰かの勇気や希望になること。

そのために、日々を丁寧に生きる。
言葉を選び、行動を積み重ねていく。
人生が終わるその日まで、修行の道は続いていきます。

誰かの心の中で、「あの人だったら」と思われるような存在に――
それが、僕の人生でやり残したくない、ただひとつのことです。

あなたは、誰の言葉が心に残っていますか?





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Last updated  2025.05.06 09:06:12
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