福岡市個別指導塾慶應修学舎の記憶「石橋の思考」

福岡市個別指導塾慶應修学舎の記憶「石橋の思考」

2025.08.02
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テーマ: 学校・教育(258)
カテゴリ: 人生論
「努力すれば夢は叶う」
「好きなことを仕事に」
そんな言葉があふれる時代に、映画『国宝』はそっと別の道を差し出してきます。
それは、夢を追う希望の物語ではなく、“芸を極めることが持つ静かな狂気”に光を当てた作品です。

観終わったあと、私の胸に深く残ったのは、「夢」ではなく、「捨てる覚悟」でした。

究めるとは、選び続けることではなく、捨て続けること
映画の主人公は、能の道をひたすら歩みます。
才能に恵まれたからではありません。
家の事情でもありません。
ただ、その道を選び、離さなかったからです。


でも『国宝』は、その裏にある“削れていく人生”を描きます。
人間らしい感情や関係性すら、芸に捧げていく中で、徐々に自分という存在が芸の「器」に削り合わせられていく。
柔らかかったはずの心も、削られ、形が定まり、可塑性を失っていく。

そして、その形が美しくなればなるほど、その鋭さは自分自身をも刺していきます。
まるで、研ぎ澄まされた刃のように。

「何があっても離さない」その一点こそ、才能
浮き沈みの激しい人生。
どんな才能を持っていても、どこかで必ず「沈む瞬間」が訪れます。
それでも、主人公は芸だけは決して手放さない。
その姿が、私の心を強く揺さぶりました。

華やかに見える舞台の裏で、何度も傷つき、孤独に耐え、それでも芸と向き合う。
彼にとって芸は「選んだ道」ではなく、「選び続ける意志そのもの」なのです。


近道でもない。
何度敗れても「また構え直す」その繰り返しこそが、拍手というご褒美にたどり着く唯一の道だと、『国宝』は語ります。

“人生設計”とは、何を捨て、何に狂うかを選ぶこと
私たちはつい、「何を選ぶか」にばかり目を向けてしまいます。
けれど、本当に人生を形づくるのは「何を捨てるか」ではないでしょうか。

『国宝』の主人公は、普通の生活や、一般的な幸せ、親しい関係さえも手放しながら、それでも芸に狂う。

でも、何かを究めるということは、そういうことなのだと、静かに伝えてくれるのです。

人は何度でも、舞台に戻ってこれる
『国宝』を観終えたあと、私が感じたのは希望ではなく「信念」でした。
何があっても手放さないものが一つあれば、人は何度でも立ち直れる。
もうダメかもしれないと思っても、また構え直すことができる。
それは、特別な誰かだけに許されたことではなく、私たち一人ひとりが持ちうる力なのだと。

「芸」を「生き方」と置き換えてもいいかもしれません。
何かに真摯に向き合い続けることで、人生は少しずつ削れながら、同時に、美しく研ぎ澄まされていく。

おわりに
『国宝』は、「才能」や「成功」を描く映画ではありません。
それよりも、「何かを貫く人間の、誠実で苦しい、それでも尊い姿」を見せてくれます。

もしあなたが今、人生の選択に迷っていたり、何かをあきらめそうになっていたりするなら、この映画を観てほしい。
夢を語る言葉よりも、黙って背中を押してくれるような作品です。

あなたには、何があっても手放したくない“ひとつ”がありますか?
それさえあれば、あなたもまた、何度でも自分の舞台に戻ってこられる。
そんなことを、私は今日も自分に問いかけています。





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Last updated  2025.08.02 08:23:12
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