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本日、大手車向け用品の問屋さんに勤めて見えた方が、独立なさったとのことでお話を伺った。一昔前の様に大量に大型量販店に商品を流すとそれで儲かる、メーカーや問屋の構図が完全に崩れた。それは、大きく顧客を見ない販売戦略と、情報の進み方の速さによるところが大きい。まさに『ミクロ経済』であろう。この国はものがあふれ、考えなくとも、必要な物は、待ったり、我慢したりする必要がなくなった。かつての量販店は、顧客が注文する品は、『ないと答え』無視をした。今はメーカー先に取りに行ても顧客に逃げられないが為売ると言う。また、そこに収める問屋さんは、口座取引している弱み、弱体化した利益をそこからとろうと量販店が絞りきる。と、ますます問屋はミイラになる。ここで顧客は、情報力で汎用品は安く買い、店舗にない物を探し出す。顧客はますます特化した商品に対する要求が強くなりコア(過激)になる。こうしてわがままについてゆけない販売店、問屋、メーカーは、一気になくなる。これは、業界関係なくトヨ○さんなどの言っている『自己否定をしつづける』かどうかに掛かってくるのではないであろうか?変わりつづけなければ利益が出ない。商品もサービスも本質的に必要かどうかを見抜く知恵をお持ちの方々なら、情報を盾に、だまされない世の中が来たという事ではないであろうか?そう考えると規模の大小はあまり関係がなく、むしろ小さいがゆえの強みで必要なものだけ提供し、儲けるのが正解?!いやそれしかなくなって行くのではないだろうか?そう思うと、安全に関心の薄くなった公共輸送や、地域に根ざさないリーゾト開発、庶民の事を考えない食品スーパーなど、当然の結末か?私たちも、どんな『ドメイン』で、真に必要とされるビジネスを行えるのかとわれていると感じる。そこで前回読んだドラッカーが生きてきそうだ。私も、天に試されているのではと思うのは、考えすぎか?な…
2006.01.11
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現代経済学の再提出を作製中でございます。ミクロ経済学の本3冊はしょり読みし回答を模索中なのです。パレート最適条件が成立する事の説明が…。どなたか、愛の手を…。さておき、先立てその本を読んでいたとき某国営TVで、最近よく出る『葉っぱをビジネスにしている四国?の山村』のお話がやっていた。60~80歳ほどのおばあちゃん達が、PCを駆使し、TEL&FAXで受注の取り合いをし年末遅くまで仕事をこなしている光景が出ていた。なんとなく違和感を覚えた。前回も取り上げていたこの村のまとめで、年寄りしかいなくなり産業的にも『みかん』しかなく、気候等で不作になるし、子供や孫は都会に出て行く。そこで料亭などに出す『葉っぱをビジネス』にし、村の財政は潤い、おばあちゃんは元気になり、子供らは田舎に戻るような展開だった。今回はもう少し掘り下げ、またそんなに簡単に事が運んでいない様子も出していた?(と思った)また、慰安旅行?で、紅葉や都会の料亭に出かけ、都市より連中が『葉っぱの値踏み』をしている所をクローズアップしていた。まるで掘エモンのようなお年寄りが増えても、うれしくないのではないか?またそれを見て子供や、学生たちは何を思うのであろうかと、どうでも良い事を思ったりした。現代経済学(古典のはんちゅうだと個人的に思うが)での、競争による均衡の結果なのであろうが、田舎も含め、すべてが(なるわけないと思うが)こんな社会では、人は落ち着く所がないのではないか?これも都会に住んでいるもののエゴで『田舎はこうでなければならない』と言う事でしかないと言われてしまえばそれまでなのですが…。なんとなく、金銭や競走でない所の人とのつながりがあってそ、事の乖離に社会や経済、戦いや金銭なのではないでしょうか?ここで養老先生の言って見えた、『本当の自分=自然』と『社会の中の自分=バーチャル(それがすべてでない自分)』等と浮かんだ。これは、今日読み終わった、漫画家の江川達也氏も述べていたが、バーチャルとリアルの区別のつかなくなる世界の一遍を思い浮かべてしまった。私の思い過ごしかもしれませんが、今、日本人の中で、お金に振り回されている人が少からずいるのではないのでしょうか?=私も含め…。お金が悪ではなく、また必要のないものと言う事でもない。ただ、人生の目的はあくまで『自分がどう生きるか』であると私は思い、そのために重要な位置をお金が占めていたとしても、結果その過程にある金銭を満たしても人生をまっとうした事にはならない。その事に気づかず終わってしまう人も、わかって考えあって達成できず終わる人も多いと思う。それは、自ら考えた金銭価値を超える事のないまま、また志半ばで終わるからではないであろうか…。先程のおばあさんのお話の中では、自ら健康を損ね、気が重くなる人、やりがいを見つけ元気になる人。子供や孫が村に帰ってきて欲しいと思う人等、個人が考える事は様々で、経済を享受したい人達の願いはわかりやすい。(利益をえたい)地域の生活を考えるとそこから動けないまたは変わりたくない人達が、地域経済都市化の波に流され止むを得ず競走しなければならなくなる。付き合いや、昔の村八分的な慣習が強いからではなかろうか?(街中でも自治会が強く、地震などが起きると地域に貢献してない人達に情報を与えない、サービスをカットするなどのお話は、会議でもでる)この21世紀、私たち含め日本人は、飢えや戦争による恐怖からとりあえず遠ざかり、個人がそれぞれの価値観で生きる事を認められ、選べるようになってきた、その半面、旧態全とした大手、組織、団体、教育、社会、地域、経済が真の個人の自由を奪っているのではないでしょうか?(どこかの政治家ではないのですが、手足を縛られ、自由に泳ぎなさいと言って、プールに放り投げられている)ミクロと言うより、民、個人、またはほんとに近所のレベルでどう感じ、生活するかだと思います。『多様化の時代』を自分なりに生きて行きたいと思う年始でした。毎度ぶっ飛んで申し訳ございませんが、経済学部商科の私と致しましてはこの月末スクーリングの予習を兼ね本を読んでいますが少々考えすぎになっております。
2006.01.06
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しばらくばたばたしていたら年もすっかり明けてしまいました。少々遅いですが、改めましてあけましておめでとうございます。さて、昨年は大きな出来事もなく無事にあっという間に過ぎて歳をとってしまいました。今年は、イベント盛りだくさんなので、心して取り組む所存でございます。さて、先立て妹夫婦が実家にきまして彼らのお仕事の件で相談に乗って見ました。商売は10年ほど営んでいる、軽自動車での運送フランチャイズに加盟、ここにきて売上ががたっと落ちた為どうしようといったものでした。30代中ごろの旦那さんに、小学生の子供2人、妹は(彼の嫁)パートしているが苦しく、この地域で所帯持ちは彼だけとのことでした。要は、今までお得意だった顧客が、ダンピングにより他に流れ、フランチャイズの弱みでコスト競争に参加できず、受注が1/3になってしまったようです。彼が考えるに、あまり未練もなく、宮勤め&業界もこだわりなくと考えているようでした。まあ、彼らの人生ですので…、またこういう話と言うのも大体本人は考えが決まっていて、『なるほど!そうですね!!』等という答えの帰らない場合がほとんど。今回もなんとなく時間だけが4~5時間過ぎお昼も出ず実家で話していた。『おにいは、考えもまとまっていて良いね~』と妹。ヒトごとか?ただ思うのは、仕事(家業でも自営業でもサラリーマンでも)を変えるときに考えなければならないのが、何故やめるのか?または、何故やめたほうが良いのか?という事ではないでしょうか。と言うのも『やめる事』は、簡単なのです。やめれば終わりですので(借金があろうが、仕事が中途半端であろうが。ただ、何の目的で辞め、どこへ向かうのか、そのために何を基準にしなければならないのかが大切だと考えます。自分の為or家族の為?仕事がないのか、とられたのか?営業は十分だったか?気力はあったか?等々、自分にEXCUSEがあっては結果変わった先の仕事も投げ出す恐れがでる。自分自身に決着をつけ、基準を決め辞めるor生かす、アレンジする、継続する等を見極めるべきと思いました。あまりヒトの事をいえませんが…。『自分には才能も可能性もある!!』これは、私を含め皆さんにあると考えますが、それにのみこだわれば、結果何もえずとなりかねないのが人生ではないでしょうか?そのためにも一度きりの進むべき筋は考え(心には、ゆとりを持って)望めれば、お金はどうだかわかりませんが、それ以上の物がえられると信じる次第です。皆さんは、新年お迎えになり、何かお感じになった事などございますでしょうか?
2006.01.05
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