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今朝も午前6時起床、TOYOTAカムリに乗り込んで、子供達を学校に降ろして仕事場へ、といういつもどおりの出勤ドライブの道すがら、委員長の頭に一瞬、あるひらめきが浮かびあがってきたのでした。
今まで随分とくだらないノーガキをこいてきた私ですが、これはひょっとして単なる自己顕示欲を誇示するための行為であったのではなかろうかと、ある意味自嘲的なひらめきが脳内を駆け巡ったのでした。が、その反面、もっと大きな視野に立ってみたら、それも私自身に与えられたひとつの役割ではなかろうか、などと今度は自己肯定的道楽者流自己満足理論にたどり着いたのでした。(なんだかな~)
とまあ、相変わらずの屁理屈をグダグダと頭の中で繰り返しながら、椰子の木が並ぶ小道を走っておりますと、一瞬、ぱぁーっと視界が広がり青空が目に飛び込んできたのでした。もちろん、毎日出勤に走っている同じ道なのですが、なぜか今日は大変に心地良い気分で景色を眺めていたのです。
「この世の中に無駄なものなんてなにひとつないんだよね。無駄だと思っていることも無駄として存在している以上は無駄じゃないんだよね」
おおっ~、なんと素晴らしい道楽者理論でしょう。
そうです、この世の中に無駄なものなどなにひとつないのです。
この世界に生きているすべての生き物が見ているもの、感じているもの、それらのすべてはそこに存在し、みなその日々を生きているのです。
生きることの意味みたいなもんは、それを測るモノサシがあまりにも多すぎて、どんなことしたってひとつでスパッと割り切れることなんて絶対に不可能ですね。つまり、いろんなモノサシがごちゃ混ぜになった世界がこの世の中ってことになるわけですから、それぞれが持つモノサシの尺度を少しずつ広げていって、できるだけ共通のモノサシを作ることくらいが今の人間にできる精一杯の行為ではないでしょうか。
ただ、今の世の中、一番大きな共通のモノサシになっているのが「おカネ」という基準で測られる「意味」ですから、ちょっと厄介です。おカネを沢山持っている人が生きることの意味を体現する人ってことになります。
じゃあ、この生きることの意味ってのは何なんだろって考えると、それは「快感」ってことだと思うんですね。「気持ち良い」って感覚ですね。でもって、この「気持ち良い」感覚をより多く得るためには「おカネ」が必要ということになるわけですね、今の世の中は。
ん?ちょっと待って下さいよ。
じゃあ、「意味」の定義を変えればモノサシも変わるってことじゃないですか。
つまり、「おカネ」を使わずに得られる「快感」を、生きることの「意味」にすれば良いってことですね。
「おカネ」で得られない「気持ち良さ」ですか?
昔から言われている「カネで買えないもの」ってやつですか?
う~ん、なんだろう、カネで買えないものって。。。。。。
たまには皆様も息抜きに考えてみて下さい。
本当にカネで買えないものってなんなんでしょう。