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インドネシア出張もまだつづいていますが、きょうはまずデンパサールゆきのバスの切符をかいにでかけました。東ティモールのディリとデンパサールの往復航空券はもっていますが、インドネシア国内移動用の切符は現地調達です。 ↑ バスにのってデンパサール行きの切符をかいにでかけます インドネシアの都市部のバスは、乗降に電車のようなプラットフォームがあります そしておおくのバス停には係員さんがいて、バスの乗車券を販売します このプラットフォームから出場しなければ、なんど乗り換えても1回かった切符は目的地まで有効です ↑ バス停には時刻表はありません 始発と最終のだいたいの時刻と、何分間隔にバスがやってくるか書いています 現金払いは3600ルピア、e-money(プリペイドカード)を使えは2700ルピア(27円です) ↑ ごごは、カニシウス出版社へ、インドネシア語で書かれた哲学関係の本を買いにでかけました 49冊かいました さまざまな哲学テーマを取り扱った本が並んでいます インドネシアは人文社会学関係の議論が出版をとおして多くなされていますが、それが社会の活力にもなっているのではないかとおもいます 日本ではこのようなテーマは重要ではないとおもわれて、出版をとおしての議論があまり活発ではないような
2026/05/14

きょうはジャカルタからジョグジャカルタへの移動日。約540Kmはなれています。空路もあり、ジャカルタでは「なんじのフライトだ」と訊かれ、ジョグジャカルタに着くと「空港からどうやってきた」と訊かれました。おおくの人びとは、飛行機が主な移動手段となっているようです。飛行機だと、早朝出発すると、午後ジョグジャカルタで一仕事できるからです。わたしは乗り鉄なので、鉄道があればそれを選択することになっています。きょうは丸1日移動日。 ↑ きょうのジャカルタ出発は、パサール・スネン駅 ジャカルタのガンビル駅は優等列車のターミナル パサール・スネンは過去、民衆列車のターミナルといわれていたそうです 駅では機関車の切り離し作業がおこなわれていました ↑ パサール・スネン駅発の列車には1等車はありませんが、2等車エグゼクティブ・クラスは連結されています 写真はエグゼクティブ・クラスです 3等車のエコノミークラスは、座席の間隔がバスのようにせまいです 2等車は座席間の間隔がひろく、シートを思いっきり倒しても後ろのひとには迷惑になりません ↑ インドネシアの長距離列車は、いまだにジーゼル機関車が客車を牽引するスタイル 武骨なディーゼル機関車が大活躍 ↑ そのため、客車列車のなつかしい乗車感覚があじわえます 14系座席仕様客車といったところでしょうか ↑ 食堂車も連結されています というよりもビッフェといったところです 弁当を売っていて、その車両で食べることができます このお弁当は450円 ↑ 乗務員交代の風景もみることができます かつての国鉄のようです 荷物車や貨物車も健在です ↑ わたしが乗車した列車も一応特別急行列車ですが、ガンビル駅から出発する特急にとちゅう3回ほど抜かれました ガンビル駅発は優等特急列車で6時間15分程度で、ジョグジャカルタへ着きます わたしがのったパサール・スネン発の特急列車は2級特急 実質的には急行列車というところでそゆか 7時間40分かかりました 切符代は約6000円 写真は、特急列車の通過待ちをするために、待避線にはいったところ ↑ ジョグジャカルタに近づくと、こんな変わった建物がみえました 瓦を焼く作業場のようです ↑ 立体交差はありません 写真は小さな町の踏切です ↑ 宿泊先のユリウス神学生が、朝5時に駅まで車で送ってくれました ありがとうございます 来月からジョグジャカルタで神学の勉強をはじめるそうです がんばってください
2026/05/12

先週の金曜日のゆうがたジャカルタに着いたので、きょうがはじめての平日となります。土日も本の買い出しなどできることはしていましたが、きょうは面会などがつづきました。 ↑ ジャカルタで宿泊している聖ゴンザガ高校のあちこちの壁には、生徒たちがマンガを描いています ↑ 宿泊している聖ゴンザガ高校の校長先生Edu神父さんと このEdu神父さんとの面会がジャカルタ訪問の最大の目的でした ↑ 校長Edu神父さんの案内で校内を巡りましたが、写真は図書館のようす 一緒に移っている女性がこの図書館の司書 図書館入り口には自動改札着機のような入場機がありました 有効なIDをかざさなければ、図書館に入ることはできません 本の貸出はじぶんのスマートフォンでコードをスキャンます ↑ 教室や図書館は冷房がギンギン 寒い生徒たちは長袖を着ています 教科書は当然タブレット ↑ お昼ご飯は、このAgun神父様といっしょ Agun神父様は、ジャカルタ大司教区の全てのカトリック学校を管轄する学校法人の理事長 74の学校があるそうです 神父様に会うために車ででかけましたが、ジャカルタのラッシュはすごいです 車が動かないのです 渋滞で約束時刻から遅れての到着でしたが、Tidak apa apa(気にしないで) ↑ そして宿泊先の修道院では左手のBaskoro神父様と話しました かれはイエズス会インドネシア管区のすべての学校の責任者です うしろに立っているのはジャカルタ大司教区の小神学校のモデラトールのワユ神父さん イエズス会の聖ゴンザガ高校は小神学校も併設しています なんと60人の小神学生(高校生の神学生)が聖ゴンザガ高校の敷地ないにある神学校でせいかつしています 朝4時45分起床、5時25分から聖務日祷とミサがまいにちあります
2026/05/11

きょうは日曜日。きょうも図書館の本を買いにでかけました。そのまえに、ジャカルタの観光地グロドック地区にでかけました。きょうはたまたま、乗り合いミニバスがやってきたので「Pasar Mingu」駅にゆくか、とききました。「おう、乗れのれ」といわれてのったのが運のつき。ミニバスはジャスト、市場のまえが終点でした。最寄り駅のなまえが「Pasar Mingu」(日曜市場)なので、近所に市場があるのだろうとおもっていましたが、それまで見当たりませんでした。庶民の足、ミニバスに乗ると原寸大の人びとの生活をみることができました。 ↑ ほんとうは本を買う予定があるので先へ急がなければならないのですが、市場にであってしまいました それもかなり巨大ないちば どうしても見学しなければなりません ↑ この市場には鮮魚店が軒をつらねていました 生きた魚も水槽のなかで泳いでいました ↑ また精肉店もありました ↑ かなり大きな、食品を主に扱う市場でした 南ジャカルタの台所といったかんじでしょうか 鉄筋建てのおおきな建物のなかに、所狭しとお店がならんでいます そとにも露店が軒を連ねています 食品を主に扱っているので、その向きの匂いはしました でも、おなじ場所で何年も、何十年もお魚を売ったり買ったりしているのだとおもいます
2026/05/10

きょうは土曜日。仕事は休みの日です。わたしが泊まっているのは、聖ゴンザガ高校のイエズス会修道院。きょうはこの学校の卒業式。あさ卒業式があり、よるに祝賀会が学校であります。ということで、きょうは図書館の仕事で街にくりだしました。はじめはインドネシア最大手の本屋グラメディア書店の本丸へでかけました。ジャカルタの地元のバスはバス停案内や乗り換え案内などないので、本屋さんまでは時間節約も兼ねてタクシーででかけました。インドネシアは交通費が安くて、タクシーで40分近く走っても日本円で1000円くらいです。 ↑ グラメディアで本を買ったあと、引き続き古本屋にでかけます タクシー使用で成功したとおもったのですがグラメディアで本を20冊買ってしまい、それからずっと重たい、重たいとなりました インドネシアでは古本屋で本を買うことがおおいようです けっこうお客さんがいました 店に入るとすぐに「なにが欲しいんだ」ときかれます、書名を伝えると本の山のなかから目当ての本を引き出してくれます 5軒ぐらいの古本屋を回りましたが、古本屋で買えたの1冊だけ ある古本屋にはいるとプラトンの「Republik」(国家)のインドネシア語訳が目の前にありました こんかいは哲学関係の本を買おうとおもっていたので。すかさず買いました ↑ それからパサール・スネンにでかけます この市場は、金物屋さんとメガネ屋さんがひときわ充実しています メガネは「1500円パック」が目玉です ↑ つづいて、タナー・アバン市場へ電車にのって移動です 午後4時 もう疲れていたのですがお目当てはこのSup Buah(果物ジュース) 果物ジュースですが果肉がそのままはいっていて、とてもおいしいです 日本円で170円です
2026/05/09

スマランでの仕事もおわり、きょうは移動日。スマランから特別急行列車SEMARANI号で、ジャカルタに向かいました。約5時間30分の旅。ある国の指導者同様、列車が使える場合は極力列車を使用します。 ↑ スマラン市の長距離優等列車が発着するのは、きのうでかけたkota Lama(旧市街)にありました まさにきのう出かけた旧市街に駅がありました オランダ植民地時代に建てられたものです ↑ わたしは乗り鉄です スマラン―ジャカルタは飛行機でもOKですが、列車がある場合は列車を選択します ↑ 特別列車を仕立てることができないので、こんかいはエクゼクティブ・クラス インドネシアの長距離列車は1等、2等、3等があります エクゼクティブ・クラスは2等車です 1等車はLuxuriousクラスといいます 3等車はエコノミー・クラスです うえの写真はきょうわたしが乗車したエクゼクティブ・クラスです この列車は1等と2等しか連結していない、優等列車です 逆におなじルートでもエコノミー・クラスしか連結していない列車もあります そんな列車はジャカルタのパサールスネン駅に到着します 優等列車はジャカルタ市のガンビル駅です ↑ 駅で買った駅弁 約90円でした 名物弁当というよりも、お腹を満たすためのお弁当 ↑ 駅弁をかった駅構内の売店 ↑ とちゅう、水田がえんえんとつづきまいた 豊かな穀倉地帯です
2026/05/08

きょうの午前中は、イエズス会・インドネシア管区の神父様と面会。その後、スマラン市にあるイエズス会の工業高校を見学にでかけました。ソロ市のイエズス会工業高校は金属関係、スラバヤ市のイエズス会の工業高校は木工関係です。午前中で予定していたことがおわったので、ごごは少しだけ市内観光にでかけました。 ↑ スラバヤ市のイエズス会工業高校のなまえはPIKA 生徒たちはデザインを描くことからはじまって、それを作成できるように学びます 高校生がいいデザインの椅子をつくっていました 欲しいです ↑ 付属の木工工場があります ソロ市の金属関係の工業学校付属工場とは異なり、木工制作なので金属よりももっと柔軟にデザインの注文に応じることができるようです ↑ ごごの観光のはじめは、Lawang Sewu(千の扉がある建物の意味)の建物 インドネシアではじめて鉄道が敷設されtのはスラバヤ市 スラバヤ市は人口190万人 第2次世界大戦が終わったのちに、インドネシア独立派と旧日本軍が激しい戦闘をした5日間戦争というのがあったそうです この建物は鉄道会社の本社屋としてつかわれていたそうです とても重厚な美しい建物です 莫大な費用と労力を費やして建設されたのだとおもいます いまの日本の合板やセメントをつかった安普請の建築物とは趣がちがいます ↑ つぎは、Kota Lama(旧市街)へでかけました インドネシアはオランダの植民地で、旧市街はオランダ風の建物が残っています 近所には中華街もありますが、時間がなくてゆけませんでした ↑ 観光地化された地域は旧市街の一部だけのようでした 少し観光地化されたエリアを離れると、手入れされていない古い建物がたくさん残っていました 売りに出されていた建物もあります ↑ その土地にゆくと地元の人びとが乗っているバスで移動します きょうのバスは、一回の乗車につき20円 するとバスは地元の人びとが普通に生活している思わぬところを通ることがあります この写真もKota Lama(旧市街)の一部でここをバスが通りました ごみの集積地でした ごみから瓶や缶、ペットボトルをより分けていました ↑ ゴミの町の裏手は線路 ジーゼル機関車が貨車の入れ替え作業中で、いったり来たりしていました なつかしい風景です
2026/05/07

きょうはインドネシアのスマラン市に出張で滞在中。きょうは一日中、事務室で作業。あさからゆうがたまで頑張ったおかげで、予定していた仕事は上首尾のうちに終了。日曜日からインドネシアにでかけましたが、せんしゅうの土曜日に知り合いのかたのお父様が亡くなられたので、そのかたの実家にでかけました。いったことがなくて家がどこかわかりませんでした。しかし家の場所のはなしを聞いていたので、いなかなので道端にいる人に訊けばわかるだとうとおもってでかけました。 ↑ 知り合いの実家について弔問をすませてでてくると、ちょうど参列者にふるまう夕食の支度がはじまったところでした 牛をほふるところから料理ははじまります ↑ その家は想像していたところとは全くべつのところにありました 「道はなくて、川底にできた道をさかのぼってゆく」ときいていたので、家は川辺にあるだろうとおもっていました しかし実際は、川辺にバイクを乗り捨てて、徒歩で山道を1時間ほど上り詰めた山の頂上付近にその人の家はありました そこから撮影した写真です 遠くに海が光ってみえます 翌朝からインドネシアにゆくので、帰れなくなるとこまるとおもいました 真っ暗になったり、雨が降り始めると川底にある道は通れなくなってしまいます ↑ 帰途、わたしの家の近所の海辺です わたしの家は、海に近いところにあります
2026/05/06

ソロで無事に生徒用の机と椅子を買う契約ができて手付け金を送金することができたので、ソロでの仕事は無事におわりました。そこで、つぎの仕事の場所スマランへ移動しました。 ↑ 机と椅子は聖ミカエル工業高校とATMI工業大学付属の工場に注文しました わたしの左は滞在中ずっと世話をしてくれたマーケティング・マネージャーのアルベルト氏 工場が車を出して送ってくれることになっていましたが、あさアルベルト氏もやってきて、おれも一緒にゆくぞといいました 聖マイケル工業高校で記念写真 ↑ スマランにゆく途中に、ディビオ神父(左)さんのところに挨拶によりました 長年東ティモールで働いていた宣教師です 高齢になったので、インドネシアに帰国しました
2026/05/05

きのうから2週間の予定のインドネシア出張へでかけました。きょうは仕事の1日目。昨晩、ソロcity空港定刻よりに1時間20分遅れて飛行機は到着。ソロはインドネシアの古都の一つ。人口約500万人の大都会です。きょうの仕事は、ここにあるイエズス会の工業高校と大学付属の工場で、聖イグナチオ学院のために教室の生徒用机と椅子を注文するための契約書に最終サインをするためでした。そのまえに製品の質を確認したり、寸法や色をオーダーメイドしたりしました。 ↑ 空港の搭乗窓口でまっていると、とつぜんソロ行きの搭乗案内 待合室から飛行機がみえなかったので、まだだろうとおもっていました すると搭乗橋の先端から階段をおりてバスに乗って、沖止めしてある飛行機に搭乗 ↑ 夜のバリ島・デンパサール ↑ よるのソロ・シティー ↑ さくばん飛行機は遅れて到着しましたが、工場の営業部長のアルベルトさんとフィロ神父さんが到着口でまっていてくれました そのごレストランで夕ご飯 ↑ きょうはちょうど聖ミカエル工業高校の卒業式 あさ卒業ミサにさんかしました ミサ後ある先生がやってきて「2000年にシドニーの聖イグナチオ高校であったワークショップをごいっしょしましたよねえ」といいました わたしはすっかり忘れてしまっていたのですが、25年いじょうもたったいまでもわたしをみたらすぐにおもいだしたそうです ありがといことです そこで記念写真 ↑ するとフィロ神父さんが日本人の友だちがいるといってよんでくれました これも偶然にイエズス会学校の卒業生だそうで、わたしが彼の学校で聖イグナチオ学院のはなしをしたのを聞いたそうです ↑ 一通り、現物を交えての交渉が終わったのち、契約書にサインをして交換しました イエズス会学校の卒業生は、通訳で助けてくれました ↑ 契約書にサインをして、御成約のお祝いの昼食会は日本食のラーメン屋さん わたしはとんこつのラーメンライス 餃子つき! 一番手前右手は、このソロの学校と工場の理事長のヌギ神父さん
2026/05/04

突然ですが、きょうから2週間のインドネシア出張にでかけます。一昨日の職員会議で「インドネシアに出張にでかけるので、来週の月曜日から不在です」というと、そばにいた教務長のパウロ先生が「Jalan jalan」インドネシア語で「遊びにゆくんだろう」といいました。ほんとうに遊びなのか、それとも出張なのか、このブログをみてみなさんのご判断をねがいたいとおもいます。 ↑ まずは、東ティモールの民間航空会社Aero Diliでインドネシアのデンパサールへでかけます まえのドアと、後ろのドアの2か所から搭乗です 日本では連絡橋を渡るので、いつも前ドアだけをつかっているようにおもいます 後ろのドアも、閉め忘れないでください ↑ 2時間の国際線フライトの機内食は、これ Citilink航空よりはましですが、ビールとピザがでていたかつてのメルパッチ航空にはおよびません 完熟バナナのデザートは珍しいのでは? 聖イグナチオ学院の学食といい勝負 ↑ Aero Diliでは、食後のコーヒーもでます ↑ そしてデンパサール空港の写真スポット 現在国内線ターミナルで、きょうの目的地へゆく飛行機をまっています ↑ 追伸 やっぱりね。わたしが乗る予定の飛行機は、遅延 IU126 Solo City 往き おなじ航空会社のスーパー・ジェットはSurabaya行も遅延表示 やっぱりね。
2026/05/03

きょうは祭日と日曜日の中日の、土曜日。ことしから原則的に土曜日は休校日となったので、きょうは休みで3連休です。しかし、とうぜんのように休日出勤。現在学校の塀の再建設工事がすすんでいます。また、管財関係の職員は出勤です。 ↑ 深く掘り下げて、土台作りからキッチリと ↑ すると建設技師さんが、「URA神父さん、わたしどもは規定通りにコンクリートをつくっています。きちんとバケツで、セメント、砂、砂利、水の分量を量って、最良の強度がでるように配合しています。そうそう、コンクリートをパワーアップする補強材も混同しています」とせつめいしてくれました なぜ塀の再建設をしなければならないのかというと、最初の建設会社が鉄筋を十分使わず、コンクリートも粗悪品だったのではないかという疑いがあるからでう ↑ わたしの左が建築技師 左から2番目が建設会社の責任者のジョアン この会社のいい点は、建築技師と会社の責任者がいつも現場にいることです おおくの建築会社は現場にときどきかををだすだけなのです
2026/05/02

きょうはメーデー。東ティモールでは、国民の祭日で、お休み。日本では、出勤日ですね。わたしは、お弁当も持って休日出勤でした。 ↑ 出勤時にみた海 ↑ 仕事帰りはこんなころです 日本ではあすから5連休のゴールデンウイークですね
2026/05/01

きのうはインターネット接続不良で、休刊日とさせていただきました。きょうも先ほどまで停電で、きょうも休刊日か、とおもっていましたが、電気が帰ってきました。せんしゅうは1週間の学期間休みがあり、こんしゅうの月曜日から2学期がはじまりました。なのに、あすはメーデーでおやすみ。あしたから、日曜日まで3連休になります。日本のゴールデンウイークはもっとすごいことになっているのではないでしょうか。2学期にはいって、図書館はまずまずの入りです。 ↑ さすがに2学期がはじまったばかりで試験まえではないので、おひとりさまコーナーは閑古鳥 しかし独りだけ一生懸命に勉強している生徒がいました なんと歴史の教科書の要点ノートをつくっていました 歴史が好きなのでしょうか 教科書をみながら一生懸命に理解しようとしているすがたはなつかしいです タブレット教科書で、こういう勉強方法ができるのでしょうか ちなみに、教科書は貸し出し制です ↑ 貸し出しカウンターには行列ができています 五月雨式に「先生~」と本を貸してくれ、返却する、といわれると億劫なので、12:45~13:15のみ本を取り扱うことにしました きのうもきょうも、この30分間に49人がカウンターにやってきました さいきん図書館助手が貸し出しコンピューターシステムを操作することができるようになりました ↑ 閲覧室はこんなかんじ ↑ おまけ 昼休みにこんなかんじで、地べたに座って弁当をたべてもへチャラです
2026/04/30

雨季のはじまりと、雨季のおわりには花がたくさん咲くようです。勤務日は朝ご飯はにわをあるきまわりながら、海をながめてたべますが、この時期、花が咲いているのに目がとまります。 ↑ 複雑なかたちをした葉っぱもあります ↑ これは葉っぱがいぶくまえの葉っぱのつぼみ?
2026/04/28

きょうは聖イグナチオ学院の2学期始業式。始業式の日ですが、聖イグナチオ学院はいきなり初日の1時間目から、通常通りの授業。1週間の学校の休み中に取りあわなかったメールに返事を書いたり、学期初はじめのいろいろな事務をしていると、あっという間に夕方でした。1週間学校が休みだとしっていても、いろいろとメールで仕事のはなしを持ち込んでくるのはいかがなものかとおもいますが、「日本ではあたりまえ」のようなことをきいたことがあります。 ↑ 午後6時半過ぎに退勤していると、むこうから聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学の学生たちがやってきました 英語学科です 課題のビデをを作っていたそうです ↑ 右はトマージザ ウルメラ村の学生で聖イグナチオ学院の卒業生 3年間教えました いまは聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学の学生 お父さんはディリ市警の警察官 いろんなところで出くわして、そのたびに横にいる同僚の警官に、「ウルメラ村の神父さんだ、うちの子どもの先生だ」といって肩をだいてきます そして、バイクをみると「ここにとめろ、ここにとめろ」といいます こんなところにとめてもいいのかな、といもいます しかし用事がすんで帰るときには、きちんとバイクの方向を向けなおして準備をしてくれています
2026/04/27

きょうは日曜日。あさは、ネラン集落のチャペルのミサ当番。午後からは、あすから2学期がはじまるので、学食の買い出しにでかけました。1時間ほどまえに、市場からかえってきました。 ↑ これは市場ではなくて、市街地にある商業エリア 日曜日とあって、ひとでがありました ↑ いつものバナナ屋さん 15ドル分のかいものです 揚げバナナをつくります ↑ 市場周辺は未舗装 雨が降るとおおきな水たまりができます ↑ 買い物をおわってかえるこころは、もう暗くなっています
2026/04/26

3日間つづいた会議も、きょうでおわり。イエズス会東ティモールミッションには、担当する3つの学校があります。1つはわたしの勤務校、聖イグナチオ学院。もう1つは聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学。そして最後の1つは、ライラコ村の教会にあるファティマの聖母高校です。ファティマの聖母高校はライラコ村の教会付属学校で、学校法人はディリ大司教区の聖パウロ学園法人に属しています。なので、正式にはイエズス会学校とはいいませんが、ライラコ村の教会はイエズス会が担当している教会なのでイエズス会の神父さんがはたらいています。その神父さんは日本人イエズス会員の村山神父さんです。学校法人がちがうので、その点はたいへんみたいです。 ↑ きょうは昨年の会計報告書をもってくるようにというのだったのですが財務報告ではなくて、若い先生たちにどれほど学校や大学経営がご寄付に依存しているのか計算させるためでした 聖イグナチオ学院の先生たちが計算しているところです ↑ さいごのおひるごはん きょうは土曜日なので、会議も半ドンです
2026/04/25

きのうからイエズス会東ティモールミッションの教育に関わる会議が、3日間の会期ではじまりました。きょうは、その中日。朝8時半から夕方4時半まで、つづきます。 ↑ プリニオ神父さんが、聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学の10年間の戦略計画についてのプレゼンテーションをしています 帰り際に、「おれは、あしたは会議を欠席するぞ」とはなしかけてきました 「それは、いけないんじゃないの?」とこたえました ↑ 議場のようす 冷房が効いて涼しいのですが、窓はカーテンが閉まっていて、外がみえない缶詰会議室 ↑ きょうのお昼ご飯 おやつとお昼ご飯は、上質です ここで会議があると、食べ過ぎてしまいます ↑ 聖イグナチオ学院からの参加者 参加者はまいとし入れ替わり 校長も数年ごとに入れ替わり わたしはまいとし出席 先生方にとっては他の学校のことを知るいい機会になります 各学校の昨年度の評価と、今年度の展望です あしたは、昨年の会計報告 そこでわたしの出番がまわってきます 「まずいことはしてないよな」と、さきほど会計報告書をみなおして安心したところです
2026/04/24

1週間の学校の休み中なのに、きょうから3日間連続の全日会議。学校があるときに同じ会議があると「この忙しいときに!」と文句をいい、学校が休みのときに会議があると「なんてこった」と文句をいいます。そして会議に出席して、「なんであいつがこなくていいんだ。だったら、おれだって、こなくてよかったのでは」となります。 ↑ そうやって1日がおわって家にかえってくると、きょうはこんなゆうぐれでした 向こうにみえる島影は、インドネシア領アウロ島
2026/04/23

こんしゅうから、学校の塀の再建工事がはじまりました。といっても学校全体の10分の1くらいの長さです。ショベルカーが古い塀の基礎部分を掘削していましたが、きのうでそのさぎょうはおわり。けさ、頑張って働いていた小型ショベルカーが自力でトラックの荷台によじのぼってかえってゆきました。 ↑ こんなかんじで、腕立て伏せをするようにしてトラックの荷台にのぼります ↑ ショベルカーの運転台は360度クルクルとまわります 前足がトラックに乗ると、運転台を腕と一緒にくるっと回して、もういちど腕立て伏せをして後ろ足を浮きあがらせながら荷台にはいってゆきます ↑ ショベルカーは重たいのでトラックの前輪は浮き上がります なれているので、ヘッチャラです ↑ なんとトラックの運転台には運転手さんが乗っていて、まどからかををだしました ↑ ショベルカーがトラックの荷台におさまると、作業員さんたちも荷台にあがってサッサとかえってゆきました おつかれさま、ショベルカー
2026/04/22

きょうのゆうがた、Santos・東ティモール支社を訪問しました。Santos社は、ウルメラ・プロジェクトの協力者です。奨学金資金を援助してくださいます。ことし中学1年生で入学してきたウルメラ村の奨学生に高校3年生で卒業するまで奨学金を支給しようというプロジェクトの打ち合わせにでかけました。これまで、25人ぐらいに卒業するまで6年間、通算10年間以上、奨学金を支給し続けてくれました。また、学校運営に経済的援助もしてくれます。 ↑ 会議がおわっての記念写真 わたしの右隣がサントス社東ティモールの責任者Jose Lobatoさんです 東ティモール初代大統領ニコラオ・ロバートの子どもです ジャカルタのイエズス会学校・カニシウス高校を卒業生です それが縁で、東ティモールのイエズス会学校・聖イグナチオ学院の生徒たちを援助しようとおもったそうです 他の人はイエズス会東ティモール法人会計室のメンバーとサントス社の援助プロジェクト担当者です ↑ こんしゅう1週間は学校は休みですが、休校中が営繕係の稼ぎどき あさは構内に設置されている防犯カメラの修理 肝心の防犯ビデオが写っていなかったのです
2026/04/21

こんしゅうから、聖イグナチオ学院の塀の修復工事がはじまりました。聖イグナチオ学院が立っている場所は海辺にちかく、土地に塩分がふくまれています。学校を囲う塀は15年前に建設されましたが、塩分でコンクリート部分や鉄筋がもろくなってきて、数年前の水害では幹線道路に面した塀は倒れてしまいました。そこで塀の再建設が2年まえから議論されていましたが、要職にある人たちの思惑が一致せずのびのびになっていました。学校サイドはしびれを切らして見切り発車で塀の修復をすることにしていましたが、それをみてか「承認」ということになりました。 ↑ きょうから小型重機がはいって、ふるい塀の土台を取り除く掘削工事がはじまりました 学校が建設会社に手付け金をインターネット・バンキングで送金しようとしたとき、「本当にこの額の送金をしてよいのか」「OKだったら承認しろ」とインドネシア語で書かれたメールが銀行から送られてきました 見積もりをとっての建設会社の選定や銀行との取引など、学食マネージャーもそうですが、東ティモールにきてこんなことをするなどとは夢にもおもっていませんでした ↑ ということで、現場立ち合いがあるのでこんしゅうは学校は休みですが出勤しています あさでかけるときは牛やヤギさんのそばをとおってゆきます ↑ しごとを引けるころはこんなとき 南洋のむらの生活です
2026/04/20

村の公立小学校の低学年は、1日2時間授業です。8時開始で、10時には授業が終わってしまいます。10時から12時の部もあります。そして午後は、小学校6年生と中学生です。小学校と中学校が同じ校舎をつかっていて、入れ替わりで教室をつかいます。3部制ですが、生徒がおおすぎて、教室が足りないのです。教科書も日本のように一人ずつに支給されません。日本の教科書無償配布制度は、とてもよいとおもいます。 ↑ これはしばらくまえに撮影したものです 朝の10時過ぎに校門をでると、第一部の低学年の子どもたちが下校中でした 日本は校舎や教室がっても子どもたちがいなくて閉鎖しています 東ティモールは子どもたちはたくさんいるのに校舎や教室がたりません 日本は教育について熱心に議論しますが子どもたちがいません 東ティモールは子どもたちはたくさんいます
2026/04/19

出勤日には時間がないので、朝食は庭で立って海を見ながらたべます。するとときどき、庭に咲いている小さな花ににも気づきます。 ↑ きょうから1週間+1日間の学期間休みがはじまりましたが、やっぱり休日出勤 生徒や他の教職員が学校にいないと、仕事を中断させられないのでやることがはかどります
2026/04/18

きょうで1学期はおしまい。あすから1週間+1日間の短い学期間休暇がはじまります。きょうまでの今週は、生徒たちは登校してクラスマッチ。クラスマッチに興味がない生徒たちは、三々五々ぶらぶらしています。ということで、図書館もまったりとした感じで、生徒たちが途切れなくやってきました。とうぜん伝統的に図書館は昼寝をする場所でもあります。寝ている生徒を叱って起こすとたいへんな労力が必要なのでほったらかしです。 ↑ ここ数日の図書館のようす 昼寝は放っておけますが、厄介なのは「先生~」と生徒たちが五月雨式に呼ぶことです 本を借りたり、返却したいのです 時構わず「先生~」と呼ぶので腹が立ってしまいます ↑ 数日前の帰宅時のようす こんな時分に退勤してきます
2026/04/17

きのうも停電。なのできのうはブログを更新できませんでした。じつはきのう金庫を買いにでかけました。聖イグナチオ学院は開校14年目まで、金庫をもっていませんでした。じゃあ、お金はどしていたかというと秘密です。金庫のことも、じつは秘密にしてください。原則的に「手元に現金を持たない主義」で、100ドル以上の支出は2週間前に申請し会計主任の認可を受けなければ受けだすことができません。この制度は数々の軋轢を生んできましたが、現在でも堅持されています。「URA先生がダメといった」という言い回しはここから生まれました。予定していた学校行事が申請が遅れたがゆえに中止、延期になったり。必要な品物をすぐに買うことができなかったり。東ティモールでは、借金をしてでも必要なお金を手に入れる習慣かあるので、100ドル以上の支出は2週間まえ(12営業日)までに申請しなければ使えないというのは、相当つらいみたいです。 ↑ 金庫の「番号を合わせて重いふたを開けられるようになったきのうは、金庫記念日」 販売店のs従業員さんたちと記念写真 ↑ 重たい金庫をトラックに積み込みます それ以後の経路はは秘密です
2026/04/16

きょうの午後3時から聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学についての会議があり、わたしも招集されたのででかけました。えんえんと午後8時前までつづきましたが、議長の「このあと夕食を準備していあいますから」との発言を聞いた隣に座っていた神父さんが、「ホッ、よかったな」といいました。 ↑ シスターたちの研修施設に招集での会議、この写真の食べ物のほかに、焼き魚やチキンの照り焼き、果物やアイスクリームもあり、豪華版で満腹 ↑ 会議中に聖イグナチオ学院学食から写真が届きました いつもは学食マネージャーのわたしが立ち会ってまいにちの売り上げを計算しますが、きょうは会議で不在 こんなときは頼んでもいなくても学食の従業員が「御覧の通り、ちゃんとお金を数えましたよ」と写真を送ってきます 硬貨が行儀よく並べられています
2026/04/14

聖イグナチオ学院開校時からまいとし続いている伝統行事「ロヨラ・カップ2026」が開幕しました。先週の木曜日、生徒会担当者の教員をよんで、ロヨラ・カップ終了後、会計報告書をきちんと提出するようにはなしました。「残金行方不明」は、みんなだまっています。「もうできているので、あした卒業式の会計報告書をだします」といった先生に3か月後、「あしたといったけれどもまだ会計報告書が提出されていない」というと、「まだ作っていない」と堂々と返事をします。原因は、生徒がまだ会計報告を出さないからといいますが、とっくに卒業して疎遠になっています。こういうケースを挙げると枚挙にいとまがありません。このロヨラ・カップは、8月まで延々とつづくクラスマッチです。会計係は、難しいのです。 ↑ じつは先週の土曜日にロヨラ・カップ開会式がありました そしてメモリアル・マッチのサッカーがありましたが、なかなか活動はおわりません ついに生徒指導の先生に「残業代はでないんだから」もう切り上げてください、といってしまいました だけれどもやっぱり最後までやって、生徒たちは下校しました ↑ めずらしい男子生徒 女子生徒が多いので男子生徒のグループ写真は珍しいです ↑ 先週おわった期末考査の答案配りをしていたのでその光景を撮影したかったのですが、カメラをみるとみな整列して写真写りの体系になります
2026/04/13

きょうは日曜日でいつものように市場へ買い物にでかけましたが、カメラのバッテリー切れ。1枚も撮影できませんでした。キャノンのコンパクト・デジタルカメラで、もう7~8年間つかっていますが撮影はいったって好調。おそらく電池の寿命がきたのだとおもいます。最近ちょっちゅう、「バッテリーがありません」表示がでます。 ↑ 先週わたしの住んでいる家のそばの朝9時ごろ海辺て撮影しました 浅い海で漁師さんたちは歩いて海に入り網を引っ張って魚をとっています
2026/04/12

おひるまえ、図書館の仕事をしているとイザヤス神父さんがインドネシアからのカルロ・ボロメオ愛徳修道会のシスターたちを連れてきました。カルロ・ボロメオ会はインドネシアでおおくの学校を経営しており、インドネシアでは教育事業の一大勢力を形成しています。「カルロ・ボロメオ会の教育」という冊子もみたことがあります。ディリ市内にも広大な土地を持っていて、すでに幼稚園から高校までカルロ・ボロメオ学園を経営しています。 ↑ 左から3番目の男性はジャカルタにあるカルロ・ボロメオ会の経営する大学の学長 その右隣がイザイヤス神父さん エプロンをつけているのがわたし 図書の整理中でした その学長いわく、「ディリのカルロ・ボロメオ会の小学生たちは、中学生になると聖イグナチオ学院にいってしまう」といっていました
2026/04/11

聖イグナチオ学院に進学を希望する、村の小学6年生をあつめて実施しているウルメラ・プロジェクト。ことしは、ティーチングアシスタントもついてさらに教育力がUPしました。貧しい家庭の子どもたちをあつめて給食付きの無料の中学入試対策の塾を実施し、聖イグナチオ学院に入学させているウルメラ・プロジェクト。ことしは受講希望者がおおくて効率的に授業を進めるために、ティーチングアシスタントの先生を採用しました。 ↑ きょうはどうも、マイナスの計算を教えているようです ↑ ティーチングアシスタントは聖イグナチオ学院出身のアナ 彼女はウルメラ・プロジェクト出身でみなさまから奨学金をもらって卒業しました その後は、聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学に進学し昨年成績優等で卒業しました 会計室に就職しないかと誘いましたが、パートタイムで働きたいという希望でした とういことでティーチングアシスタントとして採用されました 図書館助手もしています 専任担当はフロリンダ先生、こちらも国立大学教育学部を成績優等で卒業しました ↑ 貧しい家庭の奨学生に、実際によい教育環境を提供しています このような教育は費用が掛かります 恵まれた家庭の子どもたちが享受できるような教育環境をこの生徒たちは受けることができています 昨年、教育大臣が来校した折、隣の公立小学校でウルメラ・プロジェクトのことを聞いたといって「視察したい」といわれていました このプロジェクトは、中学校入学後の奨学金を含めて、日本のみなさまからのご寄付でなりたっています ありがとうございます
2026/04/10

東ティモールの聖イグナチオ学院は、いま1学期末考査中。試験期間中は、図書館はいつも大入りです。チョロチョロッと勉強して、高得点を挙げようという生徒たちがやってきます。きのう撮影した写真は、生徒たちは紺色の体操服をきています。きのうは体操服登校日。この日に、制服を洗たくします。きょうの写真は白いカッターシャツを着ている制服登校日。 ↑ きのうときょう ↑ ただし、一人用の閲覧机スペースは、げんざい改装中 椅子もリノベーションにだしていてすべての机にありません 椅子は座面の布をビニールに張替え、木部はニスの塗り替えをしてもらっています それでも生徒たちはわずかな隙間をみつけて着席して勉強をしています ↑ 聖イグナチオ学院図書館自慢の純天然木製の大閲覧机 大工さんに最上級の木を使って作ってもらいました 生徒たちは、きっとよい成績を上げることでしょう
2026/04/09

復活祭がおわり、通常日課にもどりつつあります。あさからこまごまな仕事をすると、気がつけば夕暮れ。大した仕事をしていないのに、気づくとお昼前。そんなときは、仕事の達成感がなくて物足りない気がします。きょうは断続的に停電して、そのたびに仕事がストップでストレスもありました。 ↑ 午後6時過ぎの退勤です 帰り道、こんな夕陽をみながらあるきました ちょうど雨上がりになりました
2026/04/08

きのうから聖イグナチオ学院では、1学期期末考査がはじまりました。日曜日までは復活祭の連休だったのに、月曜日からはとつぜん期末考査。はたして試験勉強は完璧なのでしょうか。 ↑ 中2の教室 六甲学院からいただいた故ブラザーメルシュ修道士手製の机です ↑ 中3の教室 試験中、教科担当の先生が生徒の質問に答えるというのは、日本とおなじですね こちらは栄光学園からご寄贈いただいた机をつかっています
2026/04/07

きのうはイースター・サンデー。きょうからさっそく、学校がはじまりました。学食も開店です。なので、復活祭のゆうがたはマーケットに買い出しにでかけました。午後遅く、どしゃ降りになりました。ディリに住んでいる学食を世話する先生から、「ディリは豪雨なので、ディリにはまだ来ないように」との連絡がありました。1時間ほどまって小降りになったので、メルカードにでかけました。 ↑ おなじみのバナナ屋さん 販売品は、バナナ一本 ↑ 豆の煮込みは、生徒たちが大好きメニュー 生野菜がなくなったころに、豆の煮込みを料理します ↑ きのうは一番うえにみえる黄色いのをかいました トウモロコシの実を砕いたものです お米と一緒に炊くと、炊きあがりのご飯のなかに黄色いつぶつぶがあって華やかになります ↑ この露店は、キャベツ一本 キャベツだけが販売品です 行儀よくならべられたキャベツたち ↑ 雨上がりのマーケット 雨が上がるのをまったので、市場到着がおそくなってしまいました ↑ 産地からトウモロコシ山積みのトラックがやってきました じぶんの畑からトラックで運んでくる人たちもたくさんいますが、こうやって仕入れる露天商もいます ↑ こちらはタロイモの葉っぱです 卸売市場がないので、産地直送 そして小売人はここで品物を仕入れます
2026/04/06

きょうはイースター・サンデー。けさの復活祭ミサで、先週の日曜日からはじまった聖週間はおわりました。昨晩は復活徹夜祭ミサ。家に帰ってくると、午前1時前でした。木曜日からまいにちチャペルへでかけるのも、きょうでおわり。あすから、学校や仕事がはじまります。 ↑ けさのミサ後、侍者たちと記念写真 侍者たちはとても賢いです 滞りなくミサが進行できるように神父さんたちをてつだいます それなりに経験を積んで1週間の泊りがけの講習会に参加すると、免許皆伝で木製十字架が授与されます それはそうとう価値があるもので、大人になってもミサにやってくるときはその十字架をかけてやってきます ↑ わたしの左隣の黒人のシスターは、女子フランシスコ会派の一派(すみません、なまえを正確にしりません)の修道会の総長 モザンビーク人ですが修道会本部のポルトガルに住んでいるそうです 2週間の予定で、東ティモール修道院視察のためやってきたそうです ↑ イースタめし 先週の木曜日から賄さんがいないので自炊です きのうのお昼ご飯はチャーハン 具が盛りだくさんなので、じぶんでつくるチャーハンがいちばんおいしいとおもいます ↑ けさのあさごはん さくばんは深夜1時ごろに帰ってきたので寝坊しました でも、10時のミサには十分まにあったので、ゆっくりとあさごはん ジャムでなくてジェリーです バターでなくてマーガリンです そして濃厚なティモールコーヒー ↑ この南洋の果物(これもなまえをしりません)おいしいです 冷蔵庫でみつけたときにはすぐにたべなければなりません でなければ、ほかのひとがさきにたべてしまいます これから、恒例のサンデー・マーケットにでかけます あすからはじまる学校の学食の買い出しです
2026/04/05

きょうはイースターの日曜日まえの聖金曜日。東ティモールではこの日に十字架の道行(Dalan Kurus)を、各チャペル単位でおこないます。ことしの聖週間は、ボゴロ集落のチャペルがわたしの典礼当番。バザールテテ村の教会の主任司祭が「URA神父さんは、ボゴロ」といいました。十字架の道行につづいて、聖金曜日の典礼があります。「なにがなんでも、南洋の島国で、十字架の道行を正午に開始するのはいかがなものか」と数度、チャペルの重鎮たちにはなしましたが、「わしらは、12時にはじめます」との返事。正午にはじまった十字架の道行に続いて、聖金曜日の典礼をおこないました。おわると、午後3時半。 ↑ きょうはカメラのバッテリーが切れていて、この1枚だけが撮影できました 正午開始でしたが、集落中の人びとが次から次へと行列に加わってゆきました 日本の教会では子どもたちをみかけることは少なくなりましたが、十字架の道行では子どもたちを叱って追い払うほどあつまってきました 若者は十字架の道行の劇を演じます 東ティモールでは、聖金曜日は国民の祭日 3時間半の祭儀に、万障繰り合わせてやってくるので、この日の午後は、国全体が静かになります 日本社会では、宗教行事のために聖木曜日からイースター・Sundayまで連休になることは難しいですね 2月18日の灰の水曜日にはじまった四旬節はあすの復活徹夜祭のミサのまえまでつづきますが、イエスの受難と死をじぶんたちの罪やゆるし、和解と重ね合わせてかんがえてゆきます きょうはその1カ月半のクライマックスでした
2026/04/03

カトリック教会の暦では、こんばんからTriduo Pascal(過ぎ越しの3日間)がはじまりました。きょうからイースターの日曜日まで、カトリックの信者さんたちはまいにち教会へでかけます。クリスマスは、クリスマス・イブのクリスマスの2日間だけですが、復活祭は聖金曜日から復活の主日の日曜日まで4日間まいにち続きます。すなわちカトリック教会ではクリスマスよりも、イエス・キリストの受難と死、そして復活のほうがクリスマスよりも盛大に祝われます。それは、信仰の中心がイエス・キリストの死と復活にあることをしめしています。昨晩は、停電でブログを更新できませんでした。↑ 聖木曜日のミサのなかでは、洗足式があります 神父さんが12人の弟子たちに扮した男性の足を洗います 最後の晩餐でイエスが12使徒の弟子たちの足を洗ったことにちなんでいます ミサ後、神父さんと12使徒に扮した人たちは、最後の晩餐をかたどって一緒に食事をします ↑ きょうの最後の晩餐のご飯は、これ! サヨリのような鼻が長い魚です ↑ いっぽう、聖堂では聖体崇敬の祈りが続けられています ↑ こんばんは、満月 復活祭は春分のあとの満月の晩後の日曜日です きょうが満月なので、4月5日がイースターです 聖木曜日のミサは最後の晩餐の記念なので、夜祝われます そんなかんじで、日付が変わる先ほど家に帰ってきました
2026/04/02

さいきんのブログでは、生徒たちのようすがあまり紹介されていないのにきづきました。会計やメンテナンス、学食の仕事が立て込んでいてカメラをもって校内を取材することができませんでした。なので、きょうは高校2年生の教室をパトロール。 ↑ あすから聖週間のための5連休がはじまります 生徒たちは、ウキクキです しかし、5連休明けの月曜日から1学期末考査がはじまります ↑ こちらの3人組は、廊下にだされているのに写真撮影を希望しました 東ティモールでは廊下にだすという罰は効果がないようです ↑ われらがミッキー先生も高2Aで化学を教えていました ミッキー先生はインドネシア統治時代に衛生専門学校を卒業したので、化学でも生物でも、保健体育でも教えることができるオールマイティーです
2026/03/31

東ティモールは熱帯モンスーン気候。いまは雨季です。雨季といっても数日におきに、短時間雨が降るだけです。 ↑ 雨にぬれた花 雨があがると、次第に晴れてきます ↑ これは3日まえに村のラヌマテ集落のチャペルに赦しの秘跡のためにでかけたときに撮影しました 雨季ですが、雨が降らないときは青空がひろがっています チャペルは海辺にあります
2026/03/30

きょうはカトリック教会の暦では、枝の主日。きょうから聖週間がはじまります。次の日曜日、4月5日がイースターです。カトリック教会の信者さんは、木曜日、金曜日、土曜日、日曜日と4日間続けて教会にでかけます。わたしはきょうからイースターの日曜日まで、ボゴロ集落のチャペルの典礼当番です。 ↑ ミサ後、侍者たちと記念写真 むかしは侍者は男子だけでしたが、女子もできるようになりました そして、東ティモールでは女子が圧倒的におおいです むかしは侍者をする男子が神学校にいって神父になるルートでしたが、いまはなかなかそうはゆきません ↑ 夕方から市場へ学食の買い出しにでかけました きょうの市場のようすです 午前中はミサ当番ですが、聖週間がはじまっても生徒が食べる世話をしなければなりません 子どもがいたら、ご飯を食べさせるのと一緒です ↑ 市場での買い物がおわって、お店に鶏肉などの食料品を買いに出かけると、豪雨になりました 雨で荷物をトラックに詰め込めないので、食料品店内で油をうっていました すすと写真の中央の店主が、左の男性は「わたしの子どもだ」といいました すっかり旦那さんだとおもっていました 女性の店主と息子さんは東ティモールでいう「インドネシア・中国人」です 起源は中国人ですが、すでにインドネシア人になっています 女性はわたしに「おまえはインドネシア・日本人か」となんども尋ねました 一緒に買い物に行っている学食の従業員が「純粋な日本人ですよ」といっても、「いや、インドネシア・日本人だろう」といいました
2026/03/29

2026年から東ティモールの聖イグナチオ学院は、原則土曜日は休校日。先週は中学校所属教員、今週は高校所属教員の研修会が開催されました。東ティモールは週44時間労働。なので、土曜日は半ドンです。歳初めの教職員研修会でカリスト神父校長が「ことしから、土曜日は原則休校です」と発表すると、教職員は大喜び。すかさずわたしが「土曜日は休校日ですが国民の祭日ではないので、土曜日が出勤日となっても時間外勤務手当は付きません」というと厭世感が漂いました。 ↑ きょうの土曜日は高校所属の教員研修会 会計室も出勤の指示 教員にはおやつと昼食がでますが、会計室職員はありません なので、会計室は12時ちょうどに閉室です ↑ きょうの村の夕暮れ
2026/03/28

きょうの午前中、首都ディリにでかけてプロジェクターを3台かいました。2週間まえ、きちんと見積書をとり、稟議にまわして、現金を会計室から受け取ってのお買い物。7~8年前までは、「100ドル以上の買い物には見積もりを3通以上とるように」「100ドル以上の支払いは小切手で」とイエズス会地区会計室からなんども言われていましたが、現実的には不可能です。プロジェクターでたとえると、そもそもわたしたちが買いたいEPSON製のプロジェクターを在庫として3台、4台と持っている店は限られます。そして、買わない店に「見積もりを」というと、「見積もりだけはだせない、買わないだろ」といわれてしまいます。もう顔を覚えられているのです。 ↑ Zeonという店でかいました もうここ6~7年はこの店で買うことにしています 買う際には、一台一台正常に起動するかチェックします 持って帰って電源が入らないときには、この店はすぐに他の新品と交換してくれます 品物一台ずつ、店のなまえと販売日が書かれたシールを張ります ↑ プロジェクターの起動画面を投射して、作動確認 EPSON製が先生たちに、大人気 ラップトップに接続すると、自動的にプロジェクターに接続できるのです インドネシアのメーカーのもありますが、接続のコネクションは手動です 手動で接続できるのですが、先生たちは忍耐力がありません ↑ この店は壊れたプリンターをもってゆくと修理してくれます 日本だと修理代が高いから新しいのを買ったほうが良いといいますが、こちらでは「壊れたプリンターを捨てる」というと「おれにくれ」といいます こんな店にもっていって修繕してもらいます レーザープリンターのトナーがなくなると、カートリッジをもってゆくと、穴をあけてそこからトナーを充填してくれます
2026/03/27

らいしゅうはカトリック教会のカレンダーでは、聖週間。4月5日(日)が、イースターです。らいしゅうは、聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日、そして復活祭の日曜日と4日間連続で典礼があります。そのため、学校はらいしゅうは水曜日から連休がはじまります。 ↑ 聖木曜日の一週間まえの木曜日は、聖香油ミサ 司祭団はこのミサに参加して、司祭の約束の更新があります ミサがはじまるのをまっていながら記念写真 ↑ 聖香油ミサでは、リキサの町の聖ジョアン・デ・ブリトー高校の生徒たちが聖歌隊として歌を歌いました なのでミサ後のパーティーでは、一番まえにくるように呼ばれて、司教様からのお褒めのことばをいただきました ↑ 地元のColegio Malianaの生徒たちに果物やお菓子を配る、セバスチャン神父さん コレジオ・マリアナはポルトガル植民地時代から続く伝統あるカトリック教会立の学校です 東ティモールではColegio(コレジオ)とよばれる高校と、Eskola Sekundariu(中等教育学校・高校)とよばれる高校に区別します。統計資料でもColegioとEskola Sekundariuは別々に記載されています 教科書も教える内容はおなじですが、コレジオとよばれる学校は他の高校と区別されます コレジオ・マリアナはいわば旧制中学校からコレジオの新制高校になったというかんじの伝統校です 町のはずれの丘の上にあり、女子寮とマリアナ司教区小神学校が併設されています 一般男子生徒は通学生です マリアナ司教区の神父さんたち何人かが学校に住んでいます いまでも東ティモール全土から生徒たちがやってきます ↑ パーティーもおわり、ミサで聖歌を歌った聖ジョアン・デ・ブリトー高校(こちらはEskola Sekundariuに分類される、リキサ小教区教会立のカトリック高校です 生徒たちは公立高校とおなじ標準制服を着ています 東ティモールのカトリック高校(eskola sekundariu)は公立高校を補完するものと考えられているので、学費は月5ドル前後と格安です)聖ジョアン・デ・ブリトー高校の生徒たちが帰ってゆきます トラックによる超満員の人員輸送です てぶらなので、おそらく宿泊所までこんなかんじでゆくのだとおもいます
2026/03/26

食の話題がつづいています。きょう突然、こども屋台が登場しました。いぜんは「やってるな」という感じでしたが、学食マネージャーになると、「学食の売り上げに影響を与える、競合者」とうつります。放課後、学食の日計締めをすると「こども屋台が学食の売り上げを直撃」していました。学食コンサルタント役の先生が、「生徒会担当教員に、露店を出す許可の期間を短縮するようにいえ」と学食主任にいっていました。 ↑ こちらは、揚げ春巻きとスナックを売る屋台 ↑ こちらは、冷たいお飲み物とおつまみを売る屋台 取材時はほぼ完売 こちらでは、冷たいオレンジジュースを売ります あまい濃縮オレンジジュースにフレッシュミカンの果肉をまぜて、ナチュラル感を演出します ↑ この露店は、カップ・ゼリーだけを並べています こうやって、将来は市場で野菜を売って商売をする基礎を学んでゆきます 大企業の社員になるよりも、屋台の社長のほうが偉いのです
2026/03/24

さて学食マネージャーの話がつづきます。いつもはタイベシ・マーケットの話題で持ちきりですが、きょうは東ティモールのCostoco、Litaスーパーマーケットのようすです。タイベシ市場にゆくまえに、このスーパーによってお肉のお買い物です。豚肉や牛肉です。東ティモールではまだまだ冷蔵庫が普及していないので、普通の家庭が日本のように肉類を食べることができません。そもそも停電がつづいたり、電気が来ていなかったりで、冷蔵庫が使えないことがおおいいのです。そのため、ニワトリは生きたままで流通します。豚や牛は、冠婚葬祭やお祝い・行事の際に1頭屠ってみんなでたべます。なので、食肉は比較的裕福な家庭の食習慣。 ↑ 聖イグナチオ学院は学食のおかずに、お肉がでます ブタとウシとニワトリです みな冷凍肉を大きな塊でかってきます ブタとウシは、ブラジル産です とおく冷凍コンテナに詰められて、はるばるブラジルからやってくるお肉を生徒たちは学食で食べています もしおおくの国が保護貿易主義になると、東ティモールの学食のおかずはどうなるのでしょうか ちなみに1ドルランチです ↑ こちらは、揚げ物の冷凍食品 ↑ おさかなも冷凍で輸入品です
2026/03/23

きのうは夜まで停電で、ブログを更新できませんでした。学食マネージャー兼任になってから、2か月以上が経ちました。まいしゅう日曜日の午後は、買い出しにでかけます。生徒たちはお昼ご飯を学食で食べたいし、売店で揚げバナナやお菓子も買いたいし。ミネラルウォーターも飲みたいし。お腹をすかしているので、疲れているからといって学食を臨時休業することはできません。 ↑ ふぞろいな野菜たち 東ティモールでは不格好なやさいでも、平気です 売っているし、ひとは買います わたしたちも学食の食材として買います ↑ レタスと豆もかいます この二つは、けっこう高いとおもいます ↑ きょうの市場のようす ほとんどは行商です いろんな地方から、野菜を小型トラックにのせて市場に売りにきます ↑ 石鹸や歯磨き、シャンプーなどを売っている雑貨屋さんもあります ↑ 市場の外のようすです
2026/03/22

きょうはイスラム教のIdul Fitri(イドゥル・フィトリ)の祭日で、学校はおやすみ。しかし、休日出勤で、通常通り出勤し、通常通り午後6時半に退勤しました。かつて日本の学校で働いていたころある先生が、「生徒がいない学校はいいんですよ」といっていました。その通りで、ずっと机に座っていることができます。 ↑ 出勤途中にみた浜辺 ちょうとこのころ漁師さんたちは帰ってきます ↑ 浜辺でまって、魚をうけとります ↑ いぜんはこの浜には漁師さんはいませんでしたが、すう年まえからこの浜に漁師さんの舟が着くようになりました ↑ とれた魚はこんなかんじで、集落の道端で売られます 産地直送です
2026/03/20

きょうの朝、中1D組がクラス写真を撮っていました。そこで、横からおなじ写真をとりました。聖イグナチオ学院は年1回、スクール・ジャーナルを発行しています。学校に20ドル(約3,200円)以上の寄付をすれば、そのスクール・ジャーナルが返礼品としてもらえます。100ドル(約15,800円)の寄付をすると、お父さんかお母さんのなまえが、高額寄付者としてスクール・ジャーナルに掲載されます。100ドル、200ドル、300ドル、500ドルと、金額別カテゴリーでなまえを掲載しています。冊子がもらえるのは感謝のしるし、なまえが掲載されるのは特別の敬意を表するためです。こうやって寄付を集めると、1カ月半分の全教職員の給与額相当があつまるのです。これは、わたしの発案です。ということは、スクール・ジャーナルの編集もわたしがやることになっています。 ↑ 残念、一人だけ下をむいています でも、これはわたしのカメラ 正規のカメラでは、みんな正面をむいているとおもいます
2026/03/19
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