昭和41年に開通した天草五橋は、今年で44年になった。
(昭和41年7月生まれの弟と同年齢)
自分は三人兄弟の長男として誕生したが
36年生まれの弟(次男)は、天草五橋開通後、
開通した天草の国道324号で、昭和47年に交通事故で死んだ。
確かに世の中は便利になっているが
その結果様々な悲しみも生まれている。
昨年まで二日間に及んだ天草五橋祭も
財源不足で、今年から一日で消化の内容となったが
様々なイベントが行われる中
息子は、朝から商工会青年部として色々と携わり道中踊りまで参加し、
妻は、婦人会として道中踊りに参加。
自分は、消防団として海洋打ち上げ花火の警戒だけに参加したが
日中は、従業員さんといしょに工場の草むしり作業に従事した。
しかし、一般市民が立ち入ることの出来ない危険区域での
海洋花火大会警戒(観戦)は特等席?で、
目の前の海面でドッカ~ンと弾ける水中花火や
見上げる位置で花開く花火はド迫力があった。
何故だか?誰もいない特等席に
道中踊りを終えたばかりの息子が、
ビール片手に花火を観ていたのは
職権乱用に値するだろうか?
・・・いやいや、息子も消防団。
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