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ラジオをいっぱい聞いている。見逃し配信があるのでその時間に聞かなくても、後から聞けるし、何回でも聞ける。それはそれでいいのだが、時間がいくらあっても追いつかない。この前から「こころくをよむ 危機の時代の歌ごころ」という番組をメモを取りながら聞いている。先日は「東日本大震災 震災詠の展開」(8/21放送)を聞いた。歌人・今野寿美(こんのすみ)。僕には初めて聞く名前だが、丁寧な語り口で作品を語ってくれる。作品を紹介しながらその背景を話してくれるのでその作品世界がよりリアルに感じられる。三原由紀子『ふるさとは赤』 浪江町出身 実家は原発から10km圏内 2020 生家解体、小中学校も解体 学校では 10/26「原子力の日」として授業? 原子力ポスターを描く宿題もあった・原発の話はタブーと注意する先輩はまだムラに生き居り・東京の電気を作っていることの誇りを持てと説かれし我らまた別の番組「文学の世界」では東直子さんの『生きていくための現代短歌』が始まった。東日本大震災の時に東さんが作った歌。・感情の置き場所だけは奪われぬ言葉はずっとずっと一緒だ言葉に記すことはその時の想いを忘れない事でもある。 2022.10.16 朝、西の空に白い月
2022.10.16
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11月1日(金) 出発。若くない僕らは、一気に仙台まで行くのは疲れるだろう、そして翌日のマラソンによくないだろうと、1日早く丹後を出た。この日は新潟の手前の長岡市のホテルに泊まる。穏やかな天気。11月2日(土) この日は雨。丹後も昼頃大雨だったらしい。北陸道から磐越道、郡山から東北道に入り、ゴール近くの名取市のホテルに入る。その前に閖上に行った。5月に僕は訪れたが彼は10年ぶりくらいになるんだとか。雨の中、日和山にのぼる。食事の後、「閖上の記憶」にも立ち寄る。3.11直後に閖上に入ったNHK記者が撮り放映もされたビデオを見せてもらった。 今日明日とこのホテルに連泊。11月3日(日) 素晴らしい天気。ホテルの朝食を食べていては会場入りが遅くなるので、昨晩のうちによういしておいた朝食をとり、10分ほど歩いた所にある駅から仙台に向かう。たくさんのランナーがここで乗り換える。 9時10分スタート。いい天気だったが数が冷たいので走るには都合がいい。 30km手前辺りから、一気に脚が重くなる。ゴールまでの距離がきつかったが、5時間半近くかかってやっとこさゴール。一緒に走った彼も6時間を切ってゴール。 ゴール前で迎えてくれた東京から来た人と、居酒屋で祝杯をあげた。いろんな話をした。楽しかった。11月4日(月) この日もいい天気だ。今日は南相馬市小高伯。 時間があったので、小高区の海岸沿いの堤防で海を眺めながらコンビニで買った昼ごはんを食べた。 彼はこの小高区を何度も訪れてボランティアをやった。 小高駅近くの「おれたちの伝承館」を見に行く。夜は駅前の旅館に泊まる。女将さんが帰還困難区域が解除されたころの話をしてくれた。切実な現実に震えた。僕は何も知っていない。11月5日(火) 12時間以上かけて帰って来た。 さすがに疲れたが、交代できるので、一人で行った5月の時よりはるかに楽だ。 荷物を片づけていたら12時を超えてしまった。 無事帰れてよかった。やっぱり家はゆっくりする。
2024.11.08
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一週間後の11月1日には東北に向けて出発する。11月3日の「東北・みやぎ復興マラソン」に参加するためだ。前日でもよさそうなものだが、一緒に参加する友人も僕も年を取ってきて、前日の移動では疲れるだろうし、そんな状態で本番を迎えるのは嫌だから、と言われて「それもそうかも」と決めた。東北ボランティアに通っていた頃はまだ10歳以上若かった。ボランティアをした次の日、100kmや50km走ったのは岩手だった。確かにこの10年の違いは大きい。1日は新潟近くのホテルに泊まり、2日とは3日はゴール近くの名取市のホテルに連泊。3日はゴールした後の完走の美酒に酔いしれる予定。何としても完走しなくちゃ・・・(でも不安がいっぱい!)東京からボランティアで出会った方も合流して、何年振りかの再会を喜び、積もる話をする。4日は常磐道を南下、友人がしばらくボランティアを続けた小高に移動、そこで宿泊。彼がよく覚えている地区を案内してもらう予定だ。今のところ5日には一気に丹後まで帰ろうと思っているが、マラソンの疲労が残っているようであれば、どっかでもう一泊というのもあり得る。いずれにしても完走、完走、完走したい。今さらじたばたしても仕方ないが、体を動かすことは大事だそうだから明日もゆっくり走ろう。彼は最後のマラソンと思って走る、と言ってた。僕は最後とは思っていない、もう少し走り続けたい。
2024.10.25
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著名人というか馴染みのある方の訃報が相次ぐ。最たるは谷川俊太郎さん。講演を聞いたこともある。「生きる」は何度か学級通信に書いたし、子ども達と読みあったり群読したりした。 かっぱかっぱらった かっぱらっぱかっぱらった とってちってた かっぱなっぱかった かっぱなっぱいっぱかった かってきてくったこれは『ことばあそびうた』に収められている「かっぱ」の詩。僕には珍しくすぐに口をついて出てくる。ラジオ番組「高橋源一郎の飛ぶ教室」でもよく取り上げていたし、高橋源一郎さんの谷川さんへのインタビューもあった。いろんな場所で自作朗読もやっておられた。講演もそうだが、その語り口の柔らかさ、明確な発音や話し声が心地よかった。ちょびっと読み返してみよう。
2024.11.22
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朝は5時に起きる。目覚ましをセットするのだが、その前に目が覚めることも多い。晩は10時過ぎには布団に入るので睡眠時間としては十分だろう。少し前まではタオルケット1枚だったが、さすがに朝方とか寒くなって来たので、布団を出して来た。衣替えとか布団や毛布とか、いつも奥さんが用意してくれてたので、一つ一つ迷いながら探している。娘が帰って来た時に、いろいろ整理してくれるのだが、やっぱり自分でやってないから大いに迷う。迷いながら以前使っていた布団が見つかった。さすがにあったかい。寒くて目覚めることもなく、以来、ぐっすり眠れている。迷ったというか、これも奥さん任せにしていたのが服装だ。大事なイベントがあって、背広というか失礼のない程度の服を着て行く必要があった。タンスを開けてみると何着かのスーツがある。ジャケットもある。以前のスーツは、まずズボンがはけない。はけるズボンはあまりない。奥さんがいたら、前もって買いに行ったりしてたろうが、実際僕もそれを考えたが、忙しくて行けなかった。子ども達に新米を持って行く予定があったので娘に組み合わせを選んでもらうことにした。即決だった。それを着て大阪に行った。梅田駅の近くのビルの中の立派な店でお会いした。相手は実にカジュアルな服装で、緊張していたがすぐに打ち解けた気がする。ほっとした。奥さんも笑ってることだろう。明日は7回目の月命日。
2024.10.17
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天気予報を連日見ていたが、願いもむなしく晴れ間は期待できそうにない。寒いし風はあるし冷たい雨も吹きつけるようなころころ変わる天気だ。ちょっとは走りたかったが、前日前々日と全く体を動かしていない。それも不安材料。僕は確か5時間ゴール、を自己申告しているFグループ。10時半スタート。3~4分経ってスタートラインを越えた。最初は下り坂。飛ばし過ぎないように自重、体をあっためるようゆっくり走り出す。太鼓や吹奏楽の演奏、そして「行ってらっしゃーい」「がんばって」の沿道の声援に送られて走る。前回は30km手前くらい、今回は20kmを過ぎた辺りからしんどくなってきた。でも半分辺りで5時間を十分に切れるタイム。30km付近ですぐ後ろに風船をつけた5時間のペースランナーとそこについて行く集団が走っていた。それだけ僕のペースが落ちてきていることの表れでもあるが、しばらくは何とかついて行った。しかし、万事休す、ふくらはぎがぷるぷる震えだして来た。走り続けると肉離れ?を起こすこともある。歩いて回復を図り、また走り出す、歩く、走るを繰り返して何とか事なきを得た。最後は長い坂道を走る。途中キッズランナーがいて、一緒に走ってくれる。僕には少年野球の5年生の男の子がついてくれた。少し話しながらゴールイン。次男のお嫁さんや孫が声をかけてくれた。この寒空の中、ゴールで待っていてくれたのだ。ありがとうありがとう、おかげで完走できたよ。
2024.11.26
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