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東京から友人が遊びに来ていたので、観光で本島北部の辺戸岬(ヘドミサキ)に行って来た。私も始めて行ったのだが、国道58号線は快適なシーサイドロードでした。最近ストレスも溜まっていたので、よい気分転換になってよかった。岬には駐車場があり、おきまりの観光レストランや軽食、麺類が食べられるパーラー(沖縄ではこの名前が一般的)がありましたが、友人の希望でレストランに入る。友人は「シーラバター焼き定食」私は「ゆしどうふそば定食」を注文しました。味はいまいちでしたが。食後に岬の遊歩道を歩きました。沖縄の岬の景観は素晴らしいです。断崖絶壁の下にプルーの美しい海が広がります。沖縄の岬に来るたび思う事があります。素晴らしいと思うこの場所でも、たくさんの命が散ってしまったという悲しい過去です。沖縄は戦争で犠牲になった人々が数多くいるのに、その場所が観光地になっているということが私自身、あまり理解出来ずに複雑な心境になります。沖縄は素晴らしいところですが、かなしい過去があったということも忘れてはいけないと思います。
2005年01月31日
沖縄のテレビのCMを見ていて、なるほどなぁと思う事があります。沖縄のお酒といえば泡盛ですが、そんな泡盛文化を象徴するかのように泡盛酒造会社のCMが多いです。居酒屋で乾杯して楽しく飲んでいるシーンや、15秒で琉球文化を紹介して、最後に泡盛の品名が登場する物などさまざま。内地では、お酒を飲める人と飲めない人の比率が半々ぐらいだそうですが、沖縄では70パーセントの人々が飲める人とのこと。アルコール分解酵素が体に備わっている人が多いということになります。人口に対しての飲食店(飲み屋さんなど)の数も、日本トップクラスだとか。ビックリしたのは、アルコールの消費率が全国2位だそうですよ。ちなみにトップは東京です。沖縄パワーを感じる今日この頃です。
2005年01月26日
昨年、12月にダウンジャケットを着て歩いているお兄さんを見てどうして、こんなに暖かいのに真冬の格好しているんだろう?なんて思いました。かみさんは、沖縄の冬も凄く寒いんだから・・と言っておりますが、納得できないぜ!オレは沖縄でダウンなんか着ることは絶対にない!と断言していました。12月終わりから1月に半ばにかけて、沖縄の冬を実感しました。さぶい、さぶいを連発してしまいました。内地の冬の寒さとは質が違いますが、充分に寒いのでした。海からの強い風が吹くとどうにも辛く、暖房器具が欲しい~と思う毎日でした。でも、ダウンは意地でも出さないと決めております。かみさん曰く、「来年の冬が見物ね、ふふふ・・」と不気味な笑みを浮かべております。今日は20℃ぐらいあるようなので、快適な朝でした。沖縄に来て5ヶ月もすると、東京の冬なんて考えられません。(内地の皆さんゴメンナサイ)南国に住んでいると思考回路ものんびりしてくるようでして、イライラすることもあまりなく、東京生活の頃よりはストレスが少ないようです。かみさんは地元なのでのびのびして幸せそうです。
2005年01月25日
東京に住んでいる時は時たましか運転してなかったのにこちらに来てから車通勤をしている。沖縄を離れて8年ほどになるが、その間に道路状況や新しい道もできて変わっているし、沖縄にいる時は軽自動車を乗っていたので、車体や車幅感覚などがなかなか身につかなくて、特に駐車するときは未だにドキドキする。仕事を始める前や休みの日に旦那に特訓を受けるものの、最初の頃はパニクって公共の駐車場で立ち往生して周囲の人に注目されてしまった。少しは上達したものの、鬼教官ならぬ旦那を同乗させて運転すると毎回緊張しておかしな行動をして注意を受ける私である。仕事帰りにアパートの駐車場に止める時、入り口が少し盛り上がり緩やかな斜面をバックで車庫入れする時ついふかし気味でアクセルを踏む。方向のたて直しをしようと前に出たとき、右から車がやって来たので、ちょっと焦って後ろに下がった時左のサイドミラーを柱の角にぶつけバキッと音と共にあらぬ方向へ向いてしまったのを見た時、ギュンと肝が縮み上がり「あぎじゃびよ~(あらま~の意〉でぇーじなたん〈大変な事になってしまった)」と思わず心の中で叫んでしまった!すぐに飛び降りてサイドミラーを元に戻し、壊れてないか何度も確かめた。幸い柱の角はクッション材のような物で保護されている事とさほどスピードが出てなかったことでガラスを割る事無くダメージを受けずに済んだ。東京にいる時からマメに洗車をしたりして丁寧に扱ってきた旦那の大切な愛車に傷をつけたりしてはとんでもないことになると思っていたら、奇跡的に無傷に近い状態だったので、ほっと胸をなでおろした。黙っていようと思ったけど、私はバカがつくほど正直な性格なので、旦那に報告したら、「焦らず周りをよく見て運転しないと事故を起こすから気をつけないと」という一言をもらった。あ゛-ビックリした。大事な愛車を傷つけないように気をつけなきゃ。何より事故だけは絶対に避けなければと改めて思う今日の出来事だった。
2004年10月27日
今日の日記はないちゃーパパです。引越しの騒ぎもやっと終わりまして安堵感に包まれている今日この頃です。東京に住んでいた時は、マスメディアが伝える沖縄基地問題などそんなに気にもなりませんでしたが、沖縄で生活をしていますと、とても身近な事だと感じました。朝も早くからジェット機の音が聞こえてきてベランダに出て見ると、2機の戦闘機が映画トップガンのように上空を通過して行きます。小学生の頃同じ種類のプラモデルを作ったりしましたが、実際に見る事なんてないと思ってました。かみさんは別に気にもせずに納豆御飯食べていました。
2004年10月23日
今年は久々の台風の当たり年と言われているが今回は当たりも当たり大当たり!って感じで沖縄を縦断して本州に向かってきている。昨日から強い風と時折台風らしい強い雨が降り、大物がやってくる気配を漂わせていた。そんな中で職場の仲間達は早く来るといいのにと子どものような心境で台風を心待ちにしていた。昨夜は仕事を終えてから研修が以前から予定されていた為、台風でお流れにならないかと少し期待していた。しかしその淡い期待は見事に外され、しっかり研修を受けて帰宅した。帰り道、台風の気配は強まっているような気がして恐らく明日には上陸か?!と思って眠りにつき気さ目覚めと共に気象情報をテレビでチェックすると各交通機関や学校は休校の文字が目に入り、嬉しさ半分今回仕事に就いて初めての経験で戸惑い半分という気持ちの朝だった。急に貰えた家族と過ごす貴重な時間でラッキーだが、半日缶詰で早くも退屈している父子である。
2004年10月19日
私の実家の近くのアパートに引越してから5日目になり、七割近くダンボールをつぶして整理したものの、まだまだ辺りに箱が未開封のまま山積みで荷物が散乱したまま落ち着かない状況で過ごしている。それでも連休最終日はあまりにも良い天気で、片づけをサボり家族でドライブに出かけた。真っ青な空と海を見るだけで沖縄に舞い戻って来れた実感と何とも言えない幸福感に満たされる。毎日沖縄の素晴らしい景色を眺めることが出来るのはなんて贅沢な事なのだろうと改めて感じ、感謝している日々を送っている。仕事もこれまでの経験や子育てを生かせる職につく事ができて嬉しく思う。子ども達に囲まれ、一緒に過ごすのは本当に楽しくてたまらない。私の親も念願の孫との交流が毎日持てて喜んでいる。結婚前からいつか沖縄に住む約束をしていたが、こんなに早く実現できて驚きだが、急な事とはいえ、引越しの荷造りから様々な手続きや処理など主人にすべてお任せでこちらでの行政上必要な手続きは私の母に手伝ってもらうなど家族の協力なくしては今日の沖縄移住はありえないことだ。本当に感謝している。夢は願えば叶うものなんだと久々に実感している今日この頃。
2004年10月13日
久し振りに日記を書くので、何からどう記して良いのか戸惑ってしまうけど、この数ヶ月間で私の生活や周辺の状況が目まぐるしく変化し、私や家族の者は翻弄されつつも何とか一つ一つの関門をクリアしている毎日。思い返すと祖母の49日に、私に仕事の話しが舞い込んだ。説明会や面接を経て採用が決まってからスタートに至るまでヤキモキしながらも慌しく濁流に流されるかのごとく勢いに身を任せながら、主人や周囲の家族をも巻き込んで急きょ沖縄へ引越しとあいなった。 つづく・・・
2004年10月11日
いよいよ、明日引越しです。こんなに早くかみさんの郷里の沖縄に住む日が来るとは・・久し振りに子供とかみさんに会えるのは楽しみです。今日は大雨の中、有明のフェリー埠頭までバイクを走らせました。沖縄行きのフェリーに載せる為です。最近は雨の日は乗らない軟弱ライダーになっていましたが、今日はそうも言ってられません。カッパを着込んで恐る恐る走らせました。バイクに乗り始めた頃は嬉しくて、雨が降ろうが関係なく走ったものですが、今は・・・1時間ほど走っただけですが、昔の?感覚が戻ってくる様でした。やっぱり、好きなものは楽しいものです。
2004年10月05日
先月から大忙しです。家族で沖縄に引越しする事になりました。この日記も久し振りにアップしますが、もう誰も見てないだろうな~。今日も引越し荷造りで大変です。この住みなれた東京に別れを告げるのはちょっと寂しいかも。まあ、沖縄も住めばみやこかな。ないちゃ~パパでした。うちな~ママは子供と一緒に沖縄行ってます。
2004年10月01日
のどかな午後、友人のメールによる恐ろしいニュースが飛び込んできた。沖縄の普天間基地に隣接している沖縄国際大学の構内に米軍の大型ヘリが墜落したという・・・今まで事故がなかったことが不思議に思えるくらい、沖縄は基地と民間住宅地が密接して建っている。大げさに言えば、広い基地に押しのけられ、せせこましく申し訳なさそうに我々民間人が基地の周囲に住まわせてもらっているように映らなくもない。そんな状況で毎日のように軍の飛行訓練は行われている。私が初めて衝撃を受けたのは、学生の時、普天間基地の近くに住む友人宅の前で立ち話をしていたら、突然私達の上空をアメリカ軍の飛行機が通過していった。けたたましい雷音が聞こえてきたと思うと同時に周囲を爆音で包み、まるで民間宅の屋根にぶち当たるのではないかと思えるような低空飛行で迫り、言いようのない恐怖感を覚えた。手を伸ばせば届きそうなぐらいの至近距離で飛行機の腹部全容を見たのはその時が初めてで、改めて基地の近くに住む人達の危険度の高さと騒音の被害というのを目の当たりに感じたものだ。学校などの公共機関には防音対策として2重サッシと冷房完備を国や行政が提供しているが、民間人への健康や安全性は誰も保証していない。以前から普天間基地の移設問題がこう着状態にあった中で起きた事故だけに、反響は大きいだろう。幸いにも民間人にケガはなく、ヘリの乗員3人が重軽傷、死者はいない模様。
2004年08月13日
8月から心機一転日記を書くぞ!と開いたら、楽天の機能バージョンアップの為メンテナンスやら回線が混み合っててアクセスし難くなっているのをいい口実に気付くと約1月更新していない事に・・・まるで夏休みの宿題を先送りにする小学生の心境だ。一旦書くことを中断すると、思うように手が進まなくなる。一昨日から息子は従姉妹達と共にじいやんの家でお泊りをしている。様子を見に行くと、すっかり子供天国になっていて、親は邪魔者扱い。息子はお姉ちゃん達の遊び相手としては役不足で適当にあしらわれたりしてるけど、嬉しくてたまらない様子で、1人大汗をかきながら小犬のように2人にまとわりじゃれついている。「孫が揃うと賑やかでたまらないわぁ」と言いながらも、主人の両親は以前から楽しみにしていた孫達との水入らずで過ごす時間が叶ってこちらも嬉しそう。いつもなら炎暑、猛暑、酷暑と言われていても息子を公園やジャブジャブ池へ遊びに連れて行かなきゃならずヘロヘロになってるが、このチャンスにいい加減日記を再開しなきゃ尻すぼみになりそうで、バテ気味の体を奮い起こしてPCに向かった。それにしてもこの間新機能が備わったばかりのこの楽天日記。まだ理解しきってないのにまた機能が変わっちゃったの?なんだか取り残されてる気分だよ~Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン。カリフォルニアにいるゴリラは手話で意思疎通を図れるのだとか。私はゴリラよりも進化の遅れていることに戸惑いつつも自分なりに機能の使い方を学習していこうと思う。今日は59回目の長崎「原爆の日」。平和宣言で伊藤市長が核廃絶を訴えたように、戦争で亡くなられた方々の御霊を崇めるためにも世界中で起きている争いを止め、恒久の平和を築かなくちゃね。
2004年08月09日
祖母の告別式、初七日を済ませて東京に戻ってきた。久し振りに対面する祖母は穏やかな表情で眠っているような姿に一安堵した。母によると亡くなる日の朝までいつもと変わらぬ様子であったが、流動食を少し吐いたのを見て訪問看護師さんを呼び、救急車で運ばれている間に脈が弱くなりつつも、お世話になった先生方に最期のお別れができ、臨終を看取られたことを聞き、祖母の律儀さと言うか人柄が表れているように思えた。南国特有の湿度の高いまとわりつくような暑さの中台風の影響もあり、時折雷を伴うような大雨が降る事もあったが、お坊さんの読経の時間や火葬場への移動、お寺での告別式など要所要所はきれいに晴れ渡り、最期まで祖母の人間性や器の大きさを感じさせられ一人一人に深い印象を与えてくれた。元お産婆さんだった祖母の友人は来年百歳を迎えるというのに告別式に参列してくださり、杖をついてはいるもののかくしゃくとした姿は実年齢よりも若若しく、皆の驚異と羨望の眼差しを集めた。今でも自分で家族の食事を作ったり、新聞は毎日欠かさず読んでいるそうで、ウチナーガンジューおばぁ(沖縄のスーパーおばあちゃん)ここにも健在で嬉しく思った。暫らく振りに会う従兄弟や親戚達とおばあちゃんの思い出話や近況を語り合ったり、私の息子が集まっている人達のマスコット役を買って出て、悲しく湿っぽくなる空気を和ませていた。告別式でも大勢の方が参列して見送って下さったのに、初七日も予想以上に多くの方がお見えになった。この日記にもお悔やみのメッセージを寄せて頂いた方々に家族や私も感謝の気持ちで一杯である。きっと祖母も天から喜んで見ていることであろう。仕事で忙しい主人が留守をしっかり守り、日記更新もしてくれたお陰で祖母とのお別れをきちんとすることができた。ありがとね。コメントを載せてくれたり静かに様子を見守って下さった皆さん、本当にありがとう。また今日から日記を再開するが、皆さんの温かい気持ちに励まされ、癒された事は忘れません。沖縄よりも気温の高い東京の猛暑に目を回していますが、皆さんも熱中症にかからないようお気をつけあそばせ。新潟や福井の集中豪雨で亡くなられた方達のご冥福を祈ります。
2004年07月20日
いつもここの日記を見て下さっている皆様ありがとうございます。日記に初めて書きこみます。2週間独身状態のないちゃーパパです。初めまして。よろしくです。日記は通常、うちなーママがアップしていますが、子供と一緒に沖縄に里帰り、100歳で天国に召されたおばぁの家におります。とても悲しい出来事ですが、人生一度はある事です。うちなーママもこの悲しみを乗り越え前進していく事でしょう。今週末は1人寂しく、冷蔵庫の野菜庫にあったナスでマーボーナスを作りました。あと、ホタテの炊き込み御飯です。調理師なので、当たり前ですがおいしいです。でも、一人の食事はおいしくないです。うちなーママと子供が帰ってきたらまた作って食べさせようと思う。今晩は缶ビールで沖縄のおばぁを偲ぶとします。
2004年07月04日
昨日母から祖母が亡くなったことを知らされた私はあぁこの日が来てしまった・・・・・と静かに受け止めていたが、家事で気を紛らす手を緩めると自然と涙があふれ出て、それを見た息子は「どうしたの?どこか痛い痛いしたの?」と気遣ってくれ、それがまた胸に染みしばらく涙が止まらなかった。さっそく沖縄行きのチケットや、歯医者の予約取り消しなどの手配をし、出かける準備に取りかかる。気を緩めるとまた涙が出そうになるので、息子を公園に連れて行き遊ばせながら外の空気を吸った。母は自分の親だからと24時間自宅で付っきりで祖母を介護していたが、帰省した時手伝って見てその大変さはなかなかのものだ。それを知りつつあまり帰ってあげられない親不孝な自分を悔やんでの涙も時々流れたが、100歳という天寿をまっとうした祖母と献身的な介護をし、最期を看取った母に労いの言葉をかけに行ってくることにする。今朝はおしめりの雨が降っているが、天国でお迎えを待つ人達が沢山いるので、祖母も不安に思ったり迷う事無く真っ直ぐ天へ召される事でしょう。ゆっくり休んでね、おばあちゃん。
2004年06月30日
今日も蒸し暑い1日だった。こんな天気だと冷たくさっぱりとしたものを食したくなる。朝食は冷やしざるうどんを食べたが、食している時ふと、独身時代よく作って食べていたメニューを思い出した。超簡単&どんぶり1つのシンプルお手軽さで調理時間も短いのでお薦め。1.茹でうどんにお湯をかけほぐし、水洗いする。2.どんぶりに移し、適当な大きさにカットあるいは 手で崩した絹ごし豆腐、細かく切ったオクラ、 ワカメ、納豆、花カツオ、刻み海苔をのせる。3.お好みで梅干、わさびあるいはおろし生姜を加え、 麺つゆ、醤油またはポン酢などをかけて大胆に 混ぜていただく。夏バテなど食欲の無い時でも、つるつるとした冷たい触感と喉ごしで食がすすみ、納豆などのネバネバ系の食べ物が血液をサラサラにし、活力が湧いてくるでしょう。中に入れる具材やかけるつゆも、お好みのドレッシングでアレンジして楽しめると思う。さっそくお試しあれ。
2004年06月26日
以前から粘土遊びをさせようと思っていたけど未だ1度も息子に与えていなかった。今日のレッスンの中で小麦粉粘土が与えられ、そのままお土産として持ち帰る事ができ、息子はさっそく粘土遊びに高じていた。昔、小麦粉粘土の作り方を教わった事があるがレシピを何処かにしまって分からなくなっていたのでインターネットで調べてみたらちゃんと作り方を紹介したHPを発見した。最近は市販されているものもあるが、手作りの方が安心して与える事ができる。とても簡単なので今度子どもと一緒に作ってみようと思う。
2004年06月25日
午後郵便局で用事を済ませた後、公園ヘ行こうと思ったら光化学スモッグが発生中につき外出を控えるように注意を促す役所からの放送が流れた。東京へ来るまで「光化学スモッグ」は学校の授業や教科書でしか聞いた事のない言葉だったのに、今でも発生し続けていることを知ったときは正直驚いてしまった。公園で遊ぶのを中止しておやつを買って帰った。予定していた時間より早く家に着いたので、息子の髪を切ることにした。息子の髪は今のところ私が時々カットしている。しかも彼がぐっすり寝ている昼寝時に切らないと、嫌がったり動きまくるので、危なくてしょうがない。彼の許可を取って切ろうとしたら毎回拒絶&逃げ回り、最近は切るタイミングを外してばかりでお猿さんのような状態になりつつある彼の髪型がとても気になってきた。この間私が美容室で髪を短くカットしてもらう時に初めて息子を連れて行き、息子の髪も切ってもらおうと訊ねたら頑なに拒否していた。それで大きくなって床屋で切りたくなる日まで私は彼の専属ヘアスタイリストになる事に決めた。今日は思い切っておやつで釣って座らせた状態でカットしてみることにした。終わったらそのままお風呂に入れるように準備して畳に新聞を敷き詰めてその上に息子のイスを置き、真っ裸にしてベビーパウダーを全身にはたいて座らせ子ども番組を見せながらカットし始めた。テレビに見入っていてなかなか好調なすべりだしだった。そのうち切った髪の毛がイスに溜まり体をちくちく刺しだすと落ち着きを無くし、耳の周りを切ると音に反応して「もう終わる」と言い始めた。おやつの事をちらつかせながらもう少しの辛抱と切るピッチをあげた。両サイドと後頭部を終えトップを切ろうとしたら、息子の我慢も限界に来たようで、本格的に終了を求めてきた。慌てて長さを整え終わりにした。お風呂に入り、おやつを食べたら眠気が来たようで夕方だというのに昼寝ならぬ夕寝を始めた。この時間に寝るとまた就寝時間が遅くなるけど・・・と思いながら寝入った頃を見計らってカットの修正をした。息子の髪を切って気付いたが、母の手の器用さが私のDNAに組み込まれているようだ。周囲の人達にも彼の髪型は好評だ。もう少し場数を踏んだら旦那の髪もカットしてみたいなぁ♪
2004年06月23日
台風一過の晴天で、一気に真夏になったような猛暑に慌てて扇風機を押入れから出して回すも、熱風しか送られてこないうだるような暑さに閉口しながらもエアコンが苦手な私はまだこちらの方がだいぶましである。昼寝から起きた息子はさっそく出かけたがるので、暑さしのぎに図書館へ行き、日が傾いた頃公園へ移動した。息子は水を得た魚のように自転車から下ろすと同時に駆け出して嬉々として遊び始めた。小学生に混じってグローブジャングル(円形状の回転するジャングルジム)で遊んでお兄ちゃんお姉ちゃん達に上手にかまってもらって上機嫌にしてたが、砂場で遊んでいる子達に目を留めた息子は一気にそっちの方に気持ちが移って道具を借りて遊び始め、私は砂場にいたお母さんと挨拶を交わしながらお話した。何気なく後ろを振り向くと、駆けて来た自転車とドッジボールをして後ろ向きに走っている男の子が接触してそのまま後ろ向きに転倒した子は運悪く外套の柱に頭を打ってしまった。その子は一緒にお話していたお母さんの子の同級生で子ども達が大騒ぎする中、お母さんはテキパキと転んだ子の様子を見ながら携帯でその子のお母さんと連絡を取ろうと試みていたが、あいにく留守電で子どもに携帯番号を訪ねるが、覚えてないので1人の子が公園のすぐ近くに家があり、自宅の母に連絡を取ってもらうよう指示した。しばらくじっとさせたまま容態を見ていたら、立派なコブが見る見ると出来上り、所々擦傷を作ったものの気分や状態は特別悪くない様子にベンチの方へと移動させ、濡らしたハンカチで患部を冷やしていると、呼び出されたお母さんと連絡をしてくれたお母さんが氷を持ってそれぞれやって来た。私は砂場に散らばった道具をまとめて袋に入れ息子にお返ししながら礼を言うように告げるとそのお母さんは私に挨拶し、私もお礼を述べながら怪我をした男の子にお大事にと告げて退散しようとしたら自転車に乗っていた男の子は事故の現場で1人固まって顔を歪めて立っていた。一瞬迷ったけど、皆がケガをした子に掛かりきりになりその子の様子に気付いて無かったので、そっと近づいて謝ってくるといいよと告げると、その子は緊張しながらも自分の役割が分かって表情が変わったのが見えた。集団を前にして少々怯んでいる男の子に「お兄ちゃん頑張れ!」と励ます息子の声に私は驚いたが勇気を振り絞って謝る子に初めて気づいた怪我をした子のお母さんが振り向いて対応していた。夜中急に訳の分からないことをわめきながら泣き叫ぶ息子をなだめるが、抱き起こすとしがみつきながらしばらく興奮状態で泣きわめき、背中は汗でびっしょり濡れていたので、シャツを替えてなだめていると徐々に落ちついて眠りについた。寝た後に突然泣いたりわめいたりするのを「夜驚症」というようですが、人間の脳は昼間積み残した課題を夜眠っているあいだに処理するそうだ。恐らく息子も公園での出来事がフラッシュバックしたのだろう。公園で遊んでいても事故のアクシデントはつきもの。猪突猛進の息子には刺激的な教訓になったようだ。
2004年06月22日
今朝から蒸し暑い湿り気のある熱気に包まれた不快な天気。予報ではお昼過ぎから雨になるらしい。歯医者さんに診察の予約を12時に入れていたので家に着くまで雨が降らないことを願いながら受付を済ませ、待合室でしばらく順番を待った。ふと本棚を見ると、少女マンガのコミック本が沢山並び、学生時代読んでいたマンガの作者達の単行本を見つけると懐かしさで思わず一冊手に取って見た。息子も私の真似をしてパラパラとページを開いて戻しては次の一冊を見ていたら、すぐに名前を呼ばれて診察室に入る。1歳半検診の時、随分と待ち時間が長くて眠気でぐずり始めた頃診察を受けてひどく嫌がり、それ以来歯磨きさえも嫌うほどのトラウマ気味の息子で、果たして素直に口を開いて見せることが出来るか少々心配してたが、1人で診察台に横になって大きく口を開いて見せてので先生も感心していた。上前歯の裏に虫歯になりそうな部分が1箇所見つかったが治療を要するものではないということでフッ素を塗ることになった。以前「ち・お」にフッ素の害や虫歯予防法の問題点などが記載されているのを読んでいたのに、虫歯予備軍があると言われ、仕上げ磨きをさせてくれない日もある事を考えると断ることが出来なかった。フッ素効果は半年から1年ぐらいだと塗り終えた後に言われ、定期的に塗ることを奨められた。もう1度「ち・お」を読んでフッ素について調べてみたいと思った。私は1箇欠けている詰め物の詰め直しと歯石取りを奨められ今回は上部の歯石を取って終わった。家に着くとすぐに雨が降り始め、濡れずに戻れてラッキーだった。西日本を横断している台風は猛威を振るいながら北上中だが、死者や行方不明者を出す被害を起こしている。直撃しなくても台風の影響で、東京はまるで嵐のような雨風が降っているほど勢力が強い。自然の猛威は甘く見ていると思わぬ被害を受けるもの。油断大敵である。
2004年06月21日
今日は旦那が久々に土日の両日仕事がお休み。息子はじいやん、ばあやん達とお出かけするので2人で食事に行くことにした我々も一緒に外出の仕度を始めたので、いつもと様子が違う事を察知した息子はちょっと怪訝な顔をして「パパ何処か行くの?」と訊いてきた。最初はごまかしていたが、息子の疑わしい顔を見てじいやん達と息子が遊びに行く間にパパとでお出かけするが、後で2人で迎えに行く事を約束すると少し納得したようだ。いつもは張り切って行くのに、じいやん達が迎えに来ても浮かない表情をしている息子を見てばあやん達が気にしていたが、事情を知った2人はうなずいてさっさと連れ出してくれた。子ども抜きで食事に行くのは本当に久し振りでしばらくは息子の様子を話し合っていたが、食事が始まると食べるのを楽しむことに集中しゆったりとしたひとときを過ごす事ができた。ウィンドーショッピングなどをして8時前に迎えにあがると、食事も入浴も終えてサッパリした息子は3人で過ごした時間が楽しかった事を表す表情をしていた。家に帰ってお互いに今日の出来事を話しているうちに眠気に襲われた旦那と息子は自然と布団に入って2人で寝息を立てて合唱し始めた。息子がやきもちを焼いてくれてちょっぴり嬉しくもあり、心苦しかったけど、夫婦水入らずの外出も楽しい1日だった。
2004年06月19日
ばあやんの家では8時には就寝し、朝までぐっすり休んでいると驚くような報告を受けたのに、なぜか家では滅茶苦茶な生活を送る息子である。梅雨の中休みで毎日絶好のお天気に恵まれ、公園で思い切り遊んで帰るとすぐにシャワーを浴びて夕食を済ませ、少しすると眠りにつく子どもらしいパターンを迎えるが、2、3時間寝るとスッキリした顔で目覚めてくる。慌てて寝かしつけようとしても全く受け付けず。息子のテンションが上がるにつれて私はドッと疲れが増し、目を開けてるのかどうか分からない瞬間もある。「目開けて寝て」と訳の分からない注文をされたりして毎日どのようにすれば息子がちゃんと就寝時間に寝てくれるか思案中である。以前にも日記で同じ事を書いたのだが、良くなりかけてはまた夜更かし生活リズムに戻り、なかなか頭の痛い問題である。
2004年06月17日
今朝は息子はいつになく張り切ってばあやんに電話し、お泊りしていいか確認して迎えにきてもらったじいやんの自転車に乗って出かけて行った。理由は2人からバースデープレゼントにもらった自転車。当日はばあやん仕事を休んで公園で自転車の練習を付き合ってくれた。以前から交通公園で乗り慣れているので、スイスイ漕いでる姿を見て驚いていた。じいやん宅の近くには自転車を乗りまわすのに最適な公園が近くにあるため、当分の間自転車をそのまま預かってもらう事にしたので、朝から超ご機嫌な様子で起きて準備する。昨日はお教室でレッスンの後、息子と同じ誕生月のお友達と2人バースデーソングと先生からプレゼントを頂き以前から心待ちにしてた3歳になる日を実感する1週間。今月は旦那の仕事も忙しく帰りも遅くなることから1人撮り溜めしていたビデオをゆっくり見ることにした。見ていてふと、あることを思い出した。私にはテレビを見ている時、ある動作をするそうだ。画面に見入るほどその症状はひどくなるらしい。。。トーク番組などの人の話に軽く頷き、たまに口も動いてるとか・・・旦那に以前指摘され、物凄く恥ずかしかった。オバさん現象の表れかと思ったが、随分前に友人からも同じ事を注意された覚えがある。不意にそのことを思い出してはっとしたが、自分では全く自覚が無くて直そうにも直し難い。テレビを見るのは楽しいが、自分の姿を想像しただけで恐ろしくなる。ひぇ~。何か上手い直し方はないだろうか。
2004年06月12日
明日は息子の誕生日。母から小包が今朝届いた。いつもはゆっくり起きてくるのに自分の荷物が来たのを察知すると飛び起きてきた。お手紙とプレゼント、お菓子を両手いっぱい受け取るとモノスゴイ満面の笑み。その他にもゴーヤーやおそば、お肉等満載。沖縄からの小包の楽しみの1つにクッション材代わりにいれてある古新聞。時々記事の切り抜きを入れてくれてる事もあるが、私は郷土色の濃い沖縄の新聞を読むのが好きだ。沖縄には『沖縄タイムス』と『琉球新報』の地方2紙があり、各家庭で大体どちらかを取っている。都市の新聞と違う所は、地元の記事が多いのはもちろん沖縄では一般者の訃報を紙面に載せる。それを毎朝知人や関係が出ていないか確認し、告別式に出席したり、お悔やみの電報を出すのが地元に住んでいる人には大事なことである。多い時には見開き一杯あるいはそれ以上にまたがる事もあり、こんなに沢山の人が亡くなったのかと驚かされるが、式を執り行っては行けない日を避けて行うものだからそういう日もあるのだと随分前に聞かされた覚えがある。訃報記事を載せるときにはお亡くなりになられた方を筆頭に喪主、子ども、兄弟、会社関係者などが亡くなられた理由と時間、告別式の日時や場所と共に簡潔に書いてある。その辺りの部分を注意して見る事が重要なのである。交際範囲の広い人ほどその欄に時間を費やすだろう。その他、カラー文字やカラー写真付記事、カラー広告で全体的にカラフルで明るい印象を受ける。方言も注釈付で書かれたり、読者の投稿欄も沖縄の人特有の語り口調が文章にも表れていたりして読んでいてほのぼのと温かい気分に包まれる。沖縄には米軍基地があるから、基地関係の記事も何らかの形で毎日のように載る。今月23日は第2次世界大戦で日本で唯一地上戦のあった沖縄戦の終戦日で、沖縄戦犠牲者の冥福を祈る『慰霊の日』である。5月15日は戦後沖縄がアメリカ軍の領事下にあったのを祖国復帰した日で、「戦争と平和」に関する記事も頻繁に目にする。沖縄でも凶悪事件や犯罪は増加傾向にあるものの命の大切さや戦争の悲劇を繰り返してはいけないという啓示や話し合い、コンベンションが開かれている機会は他府県より多いであろう。戦争体験者である年長者が減る中、時代と共に風化しない、させない努力を政府も地方紙から学ぶべきだと思う。
2004年06月08日
今日はそよ風吹く爽やかな快晴。しかしこのお天気もどうやら今日までの様子。天気予報でも明日から崩れてそのまま入梅するかも知れないと言う。急に思い立って家中のカーテンを洗うことにした。ついでに窓拭きも。湿度の低いカラッとした陽気なので、次のカーテンを洗い終える頃には最初に干したものがもう乾いているという絶好の洗濯日和。通りに面している部屋のカーテンやサッシの溝は黒く煤けた汚れが付着していて雑巾がすぐに真っ黒くなる。そんなに大きな通りではないが、メインの大通りにアクセスしやすい抜け道として知られ救急車も1日中けたたましい音を鳴らしながら通りを駆け抜けていく。その音を聞くたびに頻度の多さに驚くと共に運ばれる方が大事に至りませんようにと願う。洗濯機から取り出したレースカーテンが縫い目から裂けパックリ開いていたので乾かしてから久し振りに針と糸を出して縫い合わせた。台所もキッチン用アルコールなどを使って拭いたり、お風呂場もタイルの目地を洗って今回の梅雨前カビ対策を終了した。明日は部屋の片付けをやろうかな。
2004年06月05日
午後サティヘ出かけ子供服売り場のある階をぶらついてたら、子ども下着が3枚¥525とワゴンに並べられてた。柄がカワイイので思わず手にとって見てたら「僕、これでイイよ」と側からちゃっかり選び取った1枚を差し出して言う。「え~~(ダメよ)」って断ろうかと思ったが、この頃おしっこに関しては遊びに夢中になったりしない限りほとんど大丈夫になっているので、ご褒美として買うことにした。それからぐるっと一回りしてクリアファイル3冊を購入。下に降りようとエスカレーターに向かうとヘアアクセサリー売り場にある物を発見した息子。勢いよくダッシュし、何かを物色しているので注意しながら近づくと、以前から欲しがっているサングラスだった。しかも子ども用で、結構おしゃれなデザイン。(@゜▽゜@)きゃ~♪目をキラキラ輝かせて片っ端から試す息子に破損させてはいけないとたしなめつつサングラスをかけるのを手伝うことに。値段を見るとナント¥315。これならOKだ♪私もサングラス選びに積極的になり、イチゴ柄や70’Sのようなとんぼメガネなどで散々遊んだ後、最終的に本人に選ばせたらメタリックブルーの目尻が切れ上がったフレームを選択する。念願のサングラスを手にすることができた息子は家に着くまでずっとかけていた。新しい世界を楽しみながら周りの人の反応をサングラス越しにチェックしている彼は「カッコイイねぇ」とすれ違う人達に言われとても満足そうな様子。ドラッグストアや雑貨屋さんの店員さんに声を掛けられ、ヨーヨーなどをもらい、「サンキュー」とお礼を言うと「わぁ、返事もカッコイイね」と言われて気分は最高潮!格好はまずまずだが、日本人特有の扁平団子鼻が少し目立つがそれも愛嬌。この夏活躍するであろう。大事にしてね。
2004年06月04日
昨日ばたばたと吹く強風の中ベランダにお風呂用マットを干していたら、布団用ピンチで留めていたにもかかわらず、気づいたら消えていた。もちろん周囲を見渡すが何処にも姿形は無くあきらめてしまった。ところが今日、洗濯物を乾そうとベランダに出ると、1Fの芝生の上に見覚えのあるモ・ノが落ちているのに気づいた。くちゃくちゃとなった物体だが、恐らく家のマットに違いない。。。身を乗り出して出きる限り見える範囲内は確認したが、その時には芝生の上にゴミ1つ見えなかったのだ。もしかするとどこかのお宅のベランダに侵入してしまい、頭にきた住人が投げ捨ててしまったのか・・・早く処分せねば(汗)。実は洗濯物を飛ばすのは今回が初めてではない。去年は物凄いものを風に飛ばしてしまった。布団を乾してたら急に風が吹き出し、ばたばた翻っているのを見かけて取り込まなきゃって思いつつ家事をしていていざやろうと思った瞬間、ある筈の物が消えてて私の頭の中が一瞬???だらけになった。急いでベランダに出て見ると芝生の上には何も見当たらず。うそ・・・ってパニックになりかけたが、もう1度見下ろすと直ぐ下のベランダに三つ折りになって奇麗に入っていた。その時たまたま家にあったもらい物のフレーバーティが未開封のままあったので、慌ててそれを紙袋に入れて階下の玄関のチャイムを押すが無反応。さらに焦る気持ちを抑えつつ何度か鳴らすがお留守のよう。そのうち日も暮れかけ、空の雲行きが怪しくなり始めた。ヤバイ、布団が濡れちゃう。私は半べそかきながら時間をおいて時々チャイムを鳴らしに行くが未だ帰宅せず。息子をおぶって1階の通りのベランダが見える所に出て、下の住人宅の明かりを確かめた。通りに出てくる間にお戻りになられたのか明かりが点いてるのが見え、急いで階段を駆け登ってチャイムを鳴らし「すみません上の階の○○です」と大きめの声で中の人に呼びかけた。怪訝そうな顔で出てきた人とは初対面。しかも最近引っ越されてきたばかりの方にこのような大迷惑をかけてしまい、嫌な隣人と思われただろう。恐縮しながらお詫びを述べ、ふうふう言いながら無事布団を持ちかえった。程なくして雨が降り、ギリギリセーフ。 気をつけよう 強風の日の洗濯物 うちなーママ
2004年06月03日
今日のお昼とてもショッキングな事件が発生した。長崎の佐世保で小6の女子が同級生をカッターナイフで切りつけ死亡させてしまった。詳しい動機や状況など明らかになっていないがなぜこのような結果を招くことになったのか1児の親として非常に気になる。先週、七田のレッスンの後1人のお母さんが「子どものケンカにどれぐらい関与すれば良いのか」と質問されてたが、この頃の親は転ばぬ先の杖ではないが失敗や間違いを子どもにさせないように先回りして子どもから失敗や間違いをする機会を奪っているタイプが増えているそうだ。そのため『打たれ弱い子』が多くなり、たった1度の失敗で挫折する子や、次の失敗を恐れて内向的な性格に陥りやすいと言われている。子どもを思いやり過ぎる親の行為が逆に災いしてしまうなんて親も子も不幸というか気の毒でならない。先生のアドバイスとして「女の子であれば顔や体に傷がつくのは大問題になりうるでしょうが、男の子は多少の傷は昔から男の勲章と言いますし、この頃は兄弟のいらっしゃらない子が増えたので、個人的にケンカは大いに結構、奨励したいぐらいです。小さい頃のケンカは社会経験として人間関係の修復の仕方や痛みを知ることで相手を思いやる気持ちや力加減の調節などを学ぶ絶好の機会だと思います。『子どものケンカに口出すな』とありますが、よっぽど跡が残りそうな傷つけ方をしている時などは痛いことは止めようね、と傷ついた所を見せながら双方納得するような説明で理解させ、その場で仲直りさせることも大事です。ベストなのはやられる側にいる時は、自分で痛いから止めてと言える勇気、傷つけてしまった時は、ゴメンねと誤ることのできる素直さをもたせると良いでしょう。仲裁に入るべきかどうかはお母様の許せる範囲内で状況を見極め判断されるとよろしいでしょう。」と述べられていた。私も学生時代の講義や幼稚園の教諭時代に子どものケンカの仲裁について学んだことや難しさを痛感した。どんなケンカにも原因や理由があるから状況判断で叱ったり、どちらかに優劣を付けるようなことはしてはいけないと理解している。『ケンカ両成敗』というが、ケンカをした当人はその後サッパリして以前より仲良くなることもあるが、その後ろに控えている親への配慮や理解を求める事に一番神経を使った。もっと子どものケンカに寛容にならなければいけないが、了見の狭い親も意外と多いので、折り合いをつけたり双方の子ども達が精神面で傷つかないような接し方を求めるのが、難しい・・・。私も自分の息子のケンカに対し冷静且つ寛容でいられるような親でありたいと思うが、痛みの分かる主張できる息子に成長してもらうような心育てを心掛けていきたい。
2004年06月01日
東京は昨日から真夏のような気温である。2日連続30℃をマークしているが、今日は31℃と観測記録を更新したらしい。昨日、こんなに暑くてはビールも旨かろうとせっかく飲むなら喉をカラカラにしてから味わうべし!と旦那が張り切って散歩に出掛けようと我々を誘った。この間改装したディスカウントストアーやヨーカドーを見てまわり、最近オープンしたドンキホーテも覗いて見ようとしたらあまりの込みように断念した。最近お兄ちゃん達の遊びに興味を持つ息子は縄跳びに挑戦したがり、先ほどディスカウントストアで購入した縄跳びを公園で練習することにした。幼児用を買ったのだがあまりにも長く、調整できるとパッケージにかかれていたが微調整しかできなくて持ち手を片方はずし、たまたまついてた輪ゴムでロープをまとめ、息子に持たせて練習を始めた。しばらく彼なりに一生懸命飛んでみるものの、ロープを超えることができず、やっとできても振り回しが難しくてあまりの困難さにエスケープしたのか急にロープを片手でクチャクチャにまとめて持って走り出し、我々から離れて固まっていた。暑さもピークに達したので、帰ることにしたらうん?なんか匂うぞ。家に帰ってシャワーを浴びようとしたら息子がう○ちをしていた。やっぱり!ジャンプ運動と適度な緊張でもよおしたのだろう。急に走り出したのはそのせいだったのか。それにしても汗を流したあとのビールは最高!この頃近所の酒屋さんやサティなどでオリオンビールを見かけるようになった。地元民にとって嬉しい限りだ。急に暑くなるとだらけてしまうが、美味しくビールを飲むために汗を流すのも良い方法。夜は旦那の手作りグラタン&中華炒めを堪能した。料理上手な旦那とオリオンビールにカリーサビラ(乾杯)!
2004年05月31日
今テレビでおばあちゃんが年収1千万円を稼ぎ、新築の家を建てるほど成功を収めている地域ビジネスが紹介されている。成功の元が「葉っぱ」である。葉っぱがお金に化けるとは、狸や狐顔負けのような話である。衰退しかかった徳島の村を見事復興活性化させた仕掛け人横石知二氏は、全国各地を見聞して周っている時に閃いたそうだ。裏山で採取する葉っぱは料亭などで使用されるつまものとして使用され、なんと2億5千万円稼ぐ成長起業に発展している。有能な社員は地元のおばあちゃん達だ。しかも80代のおばあちゃんらがファックスやパソコンを駆使し、受注から1日の出来高などをチェックしててIT時代にもしっかり対応できているのには驚いた。脳も体も活性化され、毎日が生き生きと楽しくてしょうがないといった様子だ。ただ採取するだけでなく、葉っぱを折り紙のように加工して祝の席に彩りを与えるような飾りを商品開発として提供したりこのまま年を取るのを忘れて若返ってるような先輩方を見て、なんだか私の気分が明るくなったような気がした。ビジネスチャンスの原石は私達の身近な所に転がっているんだなと今日の「BB-WAVE TV」を見ての私の感想だ。私の周りにも転がっているかもしれない。これからは辺りを注意深く見てみようっと。
2004年05月29日
ヤツは突然やって来る。何の前触れもなく。ヤツは忍者の如く忍び足で。ヤツは小さいながらも黒光りした体とひくひく動かす触角で存在感と威圧感をビシビシ与えてくる。そう、ヤツの名は「ゴ・キ・ブ・リ」。こちらはご遠慮申し上げてるにもかかわらず年に何度か勝手に侵入して来て、大変迷惑千万この上ない。我が家の男性陣はこの生き物が苦手で退治をお願いする前にさっと非難するし、息子はパニックになって大騒ぎするので見せない(見られない)ようにしなければならない。家の中で見失うと気分悪くて眠り辛いので結局私が退治することになる。逃げられる前に近くにある古新聞や古雑誌を固く丸めてねらいを定め、ヤツに察知されないように周り込んで打ちやすいポジションに立ち、動きが止まっている時にバチンと一発で仕留める。躊躇したりビビッていると、相手に見透かされてしまうから絶対一発で成功するよう努める。大抵侵入口はベランダからなので、夏が来る前に毎年退治薬を部屋の隅々とベランダに置いておく。そうすると時々ベランダで中ぐらいの大きさや小型のゴキブリの死骸を発見する。しかし昨日のゴキブリは沖縄並みのサイズで真っ黒だからすごく不気味で怖かった~。まだ茶色の方が可愛げがあるように思える。東京も亜熱帯化しつつあるから生態系にも変化を来たしているため、ゴキブリも大型化してきたのだろうか。うぅ、恐ろしや~。私の風邪はおかげさまですこぶる良くなってきている。アドバイスに従いお茶うがいやジンジャーティ、ニンニクや生姜入り料理を食べ、厚着をして寝たら汗をかき、目覚めたら体の重石のようなものが取れた感じだった。ご指導下さったお二人に感謝感謝☆
2004年05月28日
季節の変わり目というか天候の不順なこの頃、私を含め体調を崩されている方が多いと思う。昔から各家庭や地域で伝わる風邪に効く飲み物や食事などあり、私がお邪魔するサイトに風邪に効くドリンクがいくつか紹介されており、今まさに私が必要としているものである。【和み茶堂さん】がお奨めしているのは生姜入り紅茶。美味しくて身体が温まる上に健康維持の効果があるとの事。ジンジャーティはチャイニーズやインドの人達の間でもポピュラーで、シンガポールにいる時はよく飲んでいた。【うるま かれんさん】はホットコーラが風邪にバッチリだと日記に書いてあり、なかなかユニークな方法だと思った。トラックパックができなかったので、こちらでもかいつまんで作り方を説明させてもらうが、鍋などで1缶分沸騰させたコーラにレモン半個の絞り汁と、おろし生姜適量を混ぜ合わせて温かいうちに飲むと効くとか?!残念ながら私はコーラが苦手なのである。私の祖母は私が幼少の頃、風邪をひくと必ず作ってくれた定番メニューがあった。オレンジ生姜ドリンクとシンジのお汁である。「オレンジ生姜ドリンク」・・・柑橘系ならなんでもOKだが、ミカンを四つ切りにして鍋に入れ、水はかぶる程度にいれて沸騰させ、黒糖と生姜のスライスを入れしばらくして好みの味に仕上がったらできあがり。「シンジのお汁」・・・豚の赤身肉とレバーを適当な大きさに切り、ジャガイモ、ニンジン、大根をさいの目にカットしたものと一緒に水あるいは出汁を張った鍋に入れて沸騰させ、味噌を溶き入れる。仕上げにおろしニンニクと生姜を加え、火を消す直前にニラを入れる。上記の2品に梅干がトッピングされたお粥だった。それ以外にも料理好きな祖母は色んな薬膳料理を作ってくれたが、好き嫌いの多い私は食事の時間がたまらなく苦痛だった。しかし祖母の料理のお陰ですぐに回復し、元気を取り戻していた。今となってはもっと色んなレシピを学んでおけばよかったと思うが、100歳になる祖母はベットに横になったまま会話ができない状態になっている。今日、明日にでもシンジのお汁や飲み物を作ってみようと思う。しかし、旦那はレバーが苦手なんだよね。沖縄ではレバーと赤身肉がセットになってスーパーでも売られているぐらいほとんどの家庭で作られる1品だ。ちなみにシンジとは煎じるという意味である。上記すべてのものに共通するのは、「生姜」である。「生姜」は隠し味程度に使われるものだが、私達の身体に大変良い食品なのだと改めて気付いた。今日初めて新機能を使ってみたが、やり方が分かればコンピューターに疎い私でも何とかできたが、相手の方に迷惑にかからないかおっかなびっくりだわこれは。
2004年05月27日
今朝目覚めると喉の奥がいがらっぽい。息子の風邪菌が入り込んだかもしれない。用心しなきゃ。昨日、先週見学させてもらった幼稚園から連絡があり、体験保育の申し込みは指定された日時に来てくれとの事で、10分前に到着した時には既に長蛇の列。やっと順番が来た時、申し込み用紙は先週渡し済みで電話連絡を受けて来た旨を受け付けの先生に伝えたが、今日いらした方の先着順で優先的に受け付けるとの返事に少しむっとしてしまった。昨日の電話の様子と、今日の受け付けの時のその先生のなんとなく冷ややかな態度に、私が非常識人であるかのような扱いを受けられた気分になったのだ。道理上先週提出したことはフライングであるが、手渡した先生に確認済みだし、連絡してきた時に一言上記のような説明があれば良かったなという思いが湧いた。しかし、入園願書提出のことを考えると、人気のある園は夜中から並んで順番を確保するというから10分前に並ぶのは甘かったと言うしかない。本番前の良い勉強になった。
2004年05月26日
週末は、天気の悪い中幼稚園見学や主人の友人と一緒に遊びに出掛けたりと、連日息子を外に連れまわしたために、とうとう風邪症状が出てしまった。本人はそれでも公園に行きたがっていたが、今日は用心のために病院以外は家で過ごした。鼻水と咳をするので耳鼻科で診てもらったが、私も数日前から耳がざわつくような感じを覚え、まるで耳に水が入ったときのような感覚に似ている。特に前屈したり起き上がる時によく感じるので、ついでに診察してもらった。寝台に横になり、内視鏡とリンクしたモニターを見せてもらうと、キラキラ光るものが奥にあった。それはなんと耳垢で、鼓膜のほうに塊が落ちてそれが動くと鼓膜に当たって音を発しているのだ。細いノズルの吸引機で吸い取ってもらい、さらに周囲をみると、さっき取ってもらったものの小粒サイズが1つあり、それも丁寧に取り除いてくれた。一部始終をモニターで見ることができるので、少々恥ずかしくはあるが安心でもある。原因が分かれば心身共気分スッキリサッパリ♪息子も治療中は泣きそうな声を出してたのに、鼻と喉をきれいにしてもらって「あぁスッキリした」と先生に言って周囲を笑わせていた。食欲も元気もある息子は薬ももらってきたので、すぐに回復するであろう。
2004年05月25日
息子のリクエストに応えて雨の中出掛ける事にした。「ビーズ見たい」と言うので、レンタルビデオ屋さんで『テレタビーズ』を借りることにした。ご存知の方もおられるでしょうがイギリスBBCが製作した子供向け番組だが、今では世界各地の子ども達にも大人気である。空想の世界に住んでいる宇宙人のような4人組がキャラクターで、お世辞にも可愛らしいとは言い難いが、なぜか子どもにはオオウケする。いつも利用するビデオ屋さんはキャンディをくれるので、それを知ってる息子は店員さんが差し出す前に「キャンディくれる?」と催促して母はちょっと恥ずかしい。。。今度はSATYに行くと言い出し、息子が歩いていくには結構距離があったので、家に着くまで最後まで歩くことを約束して行くことになった。歩きながら水溜りを見つけると嬉しそうに駆け寄ってバシャバシャと歩きまわる。雨靴を履いているので注意される心配もない。あんまり調子にのり過ぎて、勢い良く突っ込んだらはねた水が靴の中に入ってしまったみたいで水溜りの真ん中で暫らく固まっていた。SATYに着いたら一通り各階を見て周り、最後におやつを買って帰った。家の時計を見ると、2時間も歩きまわっている事を知りビックリした。夜テレビをつけたら【クイズ$ミリオネア】が映り知念さんが出場していた。あっ、沖縄の人だと思ってよく見たらなんと中学時代の英語の恩師だった。現在は宮古島の中学校の教頭をされているようで出世されたのねぇ・・・当時より老けたけどお世話になってから1?年経っているわりにハツラツとお元気そうで、思いもよらぬ画面での再会に嬉しく思った。クイズの参加理由が、去年の台風で被害を受けた校舎の修復費に充てたいと言うことで応援していたが、惜しくも一千万円達成ならず百万円だったが、先生の健闘は生徒達に感動を与えたであろう。私もかつての教え子の1人として感銘を受けた。ありがとう 安則先生。
2004年05月20日
仲良しのお友達が4月から保育園に通うようになり、息子も幼稚園や保育園に興味を持ち、園児の集団に遭遇したりすると「幼稚園に行きたい」と言うようになった。2ヶ所の幼稚園から園見学の案内があり、そのうちの1園の見学日が今日だった。家を出ると丁度雨がポツポツ降り出し、レインコートを着用させて自転車で出掛けた。15分程で到着すると、既に大勢の親子見学者で一杯。初めて訪れる園は大通りの裏にあるわりに静かで園庭も広く、息子は自転車から降りるなり広場を走り回り、ミニハウスや固定遊具を見つけて目はハートマーク。雨を無視して遊ぼうとしているのを必死に説得して園舎の見学を始めた。教室も新しく清潔ですっきり整っていて整い過ぎている感じもあったが、特別な日なので綺麗にしたのであろう。息子は2教室でそれぞれ大型絵本の読み聞かせとエプロンシアターをやっていて、どちらも1番前の特等席に座って楽しんでいた。別棟の講堂で説明会が行われていたが、どんなに呼びかけても動く気配がなく全体をサポートしている先生の1人に声を掛けて1人講堂に移って話を聞いて戻ると、全然平気で楽しんでいた。この様子だと明日から通わせても大丈夫そうな息子の態度だが、園を決めるのもなかなか大変だ。無料体験保育の申込み用紙がもらったパンフの中にあったので、さっそく申し込み、様子を見ることに決め帰宅した。息子は色んな刺激を受けたのと、雨のせいで自転車に乗ると間もなく居眠りをしていた。それにしても保育料って結構かかるのねぇ・・・。
2004年05月19日
私はよく夢を見るが、覚えている時と目覚める直前まで鮮明なのに、起きたらどんな夢だったかさっぱり思い出せない時がある。つい最近見た夢に平井堅が登場し、ティーンエイジャーに戻ったようなときめきと高揚感が残ったまま目覚め、とても新鮮な気持ちだった。歌番組の控え室にガレッジセールのゴリさんの取り計らいで入れてもらい、なんと堅さんの隣に座らせていただいてたわいのない会話を交わす内容だったが、緊張と興奮の入り混じった感覚はとてもリアルだった。ちなみにゴリさんとは同郷出身者というだけで親戚や知人でもないが、狭い島のことだから何処かで繋がっているのかもしれない。夢でもいいからこのようなときめく体験をまた味わいたいな。******************************これまでに楽天を通じていろんな人と知り合うことができていろんな人の輪(和)を見て感じられ嬉しく思います。一期一会を大切にすべくこれまでにリンクしていただいた方達のHPを全て相互リンクしました。今後ともとうきょうパパとうちなーママのHPをよろしくお願いします。いつもご覧になっている皆さん、今日初めて訪れる方にも感謝致します。
2004年05月18日
夕方のニュースを見ていたら、いろんな種類の防犯グッズの売れ行きが年々増えているらしい。地域によっては教育委員会が無料で防犯ベルを貸し出しているようだ。公園で遊んでいる小学生を見かけると、可愛らしいキャラクターの絵が付いた飾りを首から下げている子が多くなっている事に気付き、流行りなのかしらと思って訊ねると、「防犯ベル」と教えてくれた。少し前までは安全な国といわれていた日本だが、最近は陰湿で強暴な事件が多発し、幼児誘拐など子を持つ親として他人事でない大変気になる心配な出来事が頻発してて、自己防衛策を考えなくてはいけないご時世になっていることはあまり感心できない事実である。私が子どもの頃にも家庭や学校で「知らない人にはついて行かないよう注意しましょう」と指導され、素直な私は進む方向が同じだけなのに後をつけられてる!と勘違いして、店の硝子に映る姿で様子を窺ったりした事を思い出しながらも、このような警戒心は大事ではないかと思う。今回発表された高額納税者リストから挙げられたキーワードは〈女心をつかむ〉商売だった。私も柔軟な発想と商才に長けていたら高額納税者を目指したいが、高額を得られる身近な入り口は宝くじを購入することかしら。(笑)今日から発売されたドリームジャンボを買って3億を手にする夢を見ようかな。
2004年05月17日
昨日息子はじいやんとばあやんに連れられて、浅草の三社祭へ出掛けていった。0歳の頃から毎年のように見に行っているので、すっかり馴れたもので、2人が迎えに来ると「三社行こう、三社」と急かし、ウキウキ気分だった。私は貴重な晴天を有効に使うため、洗濯や家事に勤しみ家で留守番した。家族は3人しかいないのに、なぜか毎日山のように洗濯物が出る。容量が小さいこともあるだろうが、2~3度回すのは当たり前で、多い時は4回1日に回す。天気が悪いと室内に干す為そう多くは洗えず、何日か続くと物凄い事になってしまう。そろそろ帰ってくる頃かと待っていたら、連絡が来て「お泊りしていーい?」と電話で息子が訊いてきた。義母達も嬉しさと不安が入り混じった声で「大丈夫かしらね?」というので、「本人が希望してるから試してみましょう。お願いします。」と言ったら義母も肝が据わり「そうね、大丈夫だと思うけど何かあったら電話するわ」と弾んだ声で電話を切った。旦那も帰りが遅いので、予定外に自分1人の時間が持てる事になった。いろいろやりたい事があるはずなのに、急に自由になると何をして良いか解らずちょっとPCを開いたら、あっという間に時が過ぎ、深夜に及ぶまでネットサーフィンしていた。平気を装っていたものの、心の何処かで何時電話が来るかと気になっていたのだろう。結局翌日のお昼前に、天気が悪くならない前に送り届けると連絡があり帰ってきた。清々しい表情の息子は、また少しお兄ちゃんぽくなった気がした。 〈終〉
2004年05月16日
我が家はサバの文化干が好きで時々食卓に上るが、困るのが家中に残る匂いと焼く時にたち込める煙である。以前『伊藤家の食卓』で、家庭用コンロの魚焼きグリルの受け皿に、水とお茶ガラを入れると消臭効果があると裏技をやってたが、確かに普通に焼くよりも効き目はあった。しかし、家の旦那はグリルで焼くのを好まず、仕方なく魚焼き網を使用するため、換気扇を強で回しても煙の勢いに追いつけず、家中真っ白になってしまう。今朝は、出勤しなければならない旦那を起こす為にわざと文化干を焼いた。見る見るうちに白い煙が、ゴジラの鼻息のごとくダクトから出ていき、ベランダに干してた息子のパンツが煙で見えなくなった。あ~あ匂いがしみついちゃうなぁ・・・なんて思いながら見てると、「何事だー」と飛び起きた旦那が目をしばつかせながら台所にやって来た。「オレを燻製にでもする気なのか」と言ってたが、まさに私がパンツを見ながら「パンツの燻製一丁上がり」なんて心の中で叫んでたところだったから可笑しかった。作戦としては的中したが、この煙と残ってしまう匂いには閉口してしまうので、美味しくても頻繁には出来ない。幾つか魚焼き器を試したことがあるが、未だに満足するものが無く今後も魚を焼く度にこの被害にあい続けることになるのだろう。困ったもんだ。
2004年05月15日
今日も午後から公園をはしごしに出掛けた。先月の七田の学習テープに挿入されてる歌の中に『バッテンタスキはダメマーク』という歌があり、道路標識などの禁止マークを歌詞にした歌が息子のマイブームなり、外に出ると表示マークや標識を見つけては「あっ、バッテンタスキだー」と興奮して報告してくる。最初の頃は私も素直に喜んで「ホントだ、駐車禁止だね。一時停止ね。」と言ってたけど、町を歩けば あちこちに見かけるマークダメマーク♪という歌詞通り至る所に標識が溢れてて、しまいにはうんざりしてくる。家でも免許更新の時にもらった交通教則を息子は愛読してて、いちいち「これは何のマーク?」と毎回尋ねられ、すっかり忘れていたような表示などに気付かされることもあり、一緒に勉強させてもらっている。総合スポーツセンターの固定遊具で遊んでいた時、同じ年の女の子を見つけ、さっそくアプローチして一緒に遊んでいたら、機敏な動きをする彼女に触発されて、建物の2階ぐらいの高さの遊具に登り始め、中央がドーナツ状にくり抜かれた部分に円形の鉄梯子になったところから女の子は上手くバランスを取って降りてきたが、息子は引きつった顔で恐る恐る座り込んで足を下ろすものの降り方が分からず困惑気味の彼に、女の子のお母さんが優しく降り方を話して説明してくれてたが、私が丁度真下近くにきた時に勢いで降りた息子がてを滑らせて落ちてしまい、とっさに手を伸ばした私の両手が地面に突く前に息子の身体をキャッチしていた。急な出来事に驚いた女の子のお母さんは、はずみで頭をぶつけてしまったが、「大事に至らなくて良かったね、おばちゃんビックリして頭打っちゃった」と言って下さったが、本人は私にしがみついて抱かれたまま無言だった。それでもしばらくして気を取り直した息子は、再度交互に足が踏めるように木板に金具が打ち付けられた壁面を登って遊んでいた。降りる時は滑り台を使用していたので不安は無かったが、徐々に安全な降り方も指導して行こうと思う。
2004年05月14日
皇室関連のことにはあまり関心の無い私だか、皇太子さまの特別記者会見での発言には、抑圧や制圧がある中でよっぽどのことであろうと、夫として妻を思いやる気持ちが溢れていて好感が持てた。雅子さまが体調を崩されている原因の一つにお世継ぎ問題があるとは思っていたが、皇室内の厚い壁の中では様々な重圧がある事が改めて浮き掘りになり、今後の宮内庁関係の動きが気になる。
2004年05月13日
これからの季節は外遊び中心の1日になる。今日はうす曇の汗ばむことのないお天気で、午前、午後合わせて3ヶ所の公園に出掛けた。息子は結構慎重派で砂遊びが好きな為、だいたい砂場には動物除けのネットか柵がついてるので、入り口を閉めておけば今までは私は傍のベンチで安心して読書などを楽しみながら時々息子が作る砂料理を食して相手をしていれば良かったが、後からやって来た小学生のお兄ちゃん達がペットボトルの水を砂にかけて団子を作るのに興味を持ち、仲間に加わえてもらっている内に追いかけっこ遊びに転じたお兄ちゃん達について行って公園中をかけ回り、すぐ隣のマンションに帰って行く所まで後を追おうとしている瞬間で気付き、慌てて注意したが、本人はすっかり友達気分で止められる理由が分からず不服そうな顔をしていた。最近社交性が芽生えてきたのは分かっていたが、短時間で私を離れて後を追うほど親近感を持つようになるとは思いもせず、うっかり本に夢中になってられないなと思った。その後、別の公園に移ったら小学生の女の子達が1m弱の高さの塀に登って遊んでいるのを見かけて息子も真似たり、鬼ごっこしている子達の中に勝手に参加したり、滑り台でたむろっているお姉ちゃん達に「滑っていい?」と自分で尋ねて場所をあけてもらったり、ちょっと前まではチャレンジして出来ないあるいは出来そうもないことはすぐにあきらめるか助けを求めていたけど、積極的に遊びを切り開いていってるのに驚いた。もう1つの驚きは、息子のPCスキルだが、アルクの英語であそぼう!『スクールバス』の無料体験版のCD-ROMを約1月前に入手したが、その対象児が4歳からとなっていて未だ早いかと思っていたのに興味を持って取り組んでいる間にマウスの扱いが上手くなって、今ではPCの起動から終了まで1人で出来るようになった。お気に入りのサイトまであり、教育番組の関連サイト「キッズワールド」のゲームを器用にマウスを操って楽しんでいる。親バカながら息子の成長の早さに戸惑いつつも感心しているこの頃である。
2004年05月12日
いや~ぁすっかりサボり癖がついちゃって長いGWになっちゃった。本来の3日坊主の性格がとうとう現れたというべきか・・・。GW中は、子どもの日に母の日も兼ねて夫の両親と一緒に食事に出掛けた以外は、家で借りてきた本やビデオ鑑賞に明け暮れ、普段の日より健全な早寝早起きの毎日を過ごした。今回幾つか見た中で一番印象に残った映画は、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だった。あまり期待せずに見たが、主人公の不器用ながらも一生懸命に生きる姿に惹き込まれ、遺伝性の病気で視力が失われつつある中、工場や内職でこつこつと同じ遺伝を持つ息子の手術費を貯めていたが、ある日工場を解雇された日に運命の歯車が狂ってしまう展開に、思わず涙してしまった。旦那が昼寝中でよかったと思ったとたん、タイミング悪く起きてきて涙でぐしゃぐしゃの状態をバッチリ見られてしまった。。。「あぁー邪魔したね」と部屋を出ていったが、現実に戻りかけた私をクライマックスの画面が映画の世界に引き戻し、またまた涙してしまう私だった。まじめで不器用な生き方をするミュージカル好きな主人公の唯一の楽しみは、どんなに辛い境遇でも、生活の音やリズムを基に空想に浸ることでいつも前向きに過ごしているのを歌手のビョーグが好演しており、カンヌで賞を取ったのも頷けた。カトリーヌ・ドヌーヴも主人公をサポートする親友役として出演していたが、大女優の貫禄で、存在感のある演技が光っていた。読んだ本の中では、吉武祥子さん著書の『勇気をください』が心に残っている。これは、彼女自身の病気の発症から経過を綴ったドキュメントだが、幼稚園の教諭としてクラスの子ども達と過ごす日々やクラス運営に情熱を注ぐ彼女が、原因不明の頭痛や体調不良を感じながらも仕事優先で邁進した為にあと1歩で命を落とす過労死寸前で、志し半ばで仕事を辞め、社会復帰を夢見て治療に専念する途中で発見される「顎関節症」との壮絶な闘いが描かれていた。この本との出会いは楽天を通じ、彼女のもう1つの顔でもある「琉球詩人」さんのサイトで知った。病気との闘いは現在も続いてるそうだが、優しい眼差しと柔らかい文章で私の故郷沖縄のことを様々な角度から紹介し、発信し続けているサイトからは想像もつかない彼女の現状と、常に前向きな姿勢と癒しのパワーの持ち主である祥子さんのファンになってしまった。関心のある方は是非彼女の人柄に触れ、本を一読して頂きたいと思う。日記のリンクからどうぞ。
2004年05月11日
今日から5月。今朝から1日爽やかな五月晴れの行楽日和。ゴールデンウィークは早い人は4月28、29日からスタートしている人もいて、最高約2週間の連休。ニュースを見れば、空港や駅、地方への高速や各道路は混雑し、何キロも続く渋滞も見られるとの報道を見てあぁ~みんな嬉しそう、景気いいなぁなんて思い、都内は比較的空いているであろうと車を走らせたら、都心も結構車の流れが悪く、営業車や大型トラックなども多く見られ、休みとは無関係と言わんばかりに働いている人達を見ると景気回復してきているとのんきに語る大臣の言葉が嘘っぱちに聞こえる。本当に我々の経済は回復して来ているのだろうか?レジャーや旅行に出掛けている人達、働いている人達、どちらが現実の社会なんだろうって疑問に思う。働いている人達がいるから、営業している店や施設で遊んだりショッピングしたり、食事が楽しめるのだけど、車窓の景色を見ながら世の中の出来事がまるでテレビの中のバーチャルな世界に映った一瞬だった。
2004年05月01日
劇団四季の宣伝を見てビックリした。『ユタと不思議な仲間たち』というオリジナルミュージカルのタイトルに、「えぇ?!あの沖縄のユタもミュージカルになるほど、メジャーになったのか」と思わす見直した。沖縄の『ユタ』とは、古くから存在する民間の巫女、シャーマンである。シャーマンと言うと、恐山のイタコが有名だが、ユタも同様に運勢の吉凶や死者の口寄せ、先祖に関する霊的相談に応じるほか、カウンセラーや精神科医のような役目も果たし、昔から人々の生活に根ざす存在である。ミュージカル中のユタは、父の死をきっかけに東京から母の故郷の東北に引っ越した主人公の少年の名で、村の同級生にいじめていたらユタの周囲で不思議な事が起こって間一髪逃れる事ができ、それは座敷わらしの仕業ではないかとじいさんは心配する。ユタは座敷わらしとの出会い、交流を通して生命の大切さを知り、心身共に成長していく―というようなストーリーであることを確認して、あぁ私の勘違いだったことが分かったが、「座敷わらし」という日本古来の東北地方に伝わる子どもの家神というところでキーワードがリンクしてるかな?とちょっと不思議な気分だった。
2004年04月30日
始めて知ったのは図書館で見かけてからなのだけど、それ以来時々バックナンバーを借りては何度も読む雑誌で、正式な名称は『ちいさい・おおきい・つよい・よわい』というこどものからだ・こころ・いのちを考えるはじめての健康BOOKである。いつも特集タイトルが子育て中の親の関心のあるものばかりで、読者の声はもちろん、編集委員の各専門家の先生方の忌たんの無い意見や、ひとりの親としての人間味を帯びた面白いコラムには親近感を持ちながらも、マスコミやメディアでは正直に我々に語られることの無い事象を取り上げ問題提起するこの雑誌を読むと、いかに情報操作され、一部の人達に都合の良いように物事が伝えられているか、ということに気付かされたりするコンテンツの豊かな読み物で非常に参考になる。1歳半までにしなくてはならない予防接種を終えてからNo.35の『予防接種はなぜ安心といえるの?』を読んで、せっかく痛い思いをしても効果の期間が短かったり、中には意味の無い(必要の無い)予防接種もあるというのにショックを受けたが、2歳以下の乳幼児にインフルエンザの予防接種の効果を示す研究発表がないことを知り、そればかりか副作用の被害にあってもなんの保証も無いということで、母や義母に薦められた時も自信を持って受けさせない意思をきちんと伝えることができてよかったと思う。最近図書館に行っても、バックナンバーがほとんど無いこともしばしばあるので、結構読まれているんだなと知り、嬉しく感じた。息子が『ち・お』を卒業する年齢になったら『お・は』(『おそい・はやい』)があるので、これからも私の子育てバイブルのひとつになることだろう。
2004年04月29日
予め断っておくが、食事中にここをご覧になる方には途中不適切な内容があることをお伝えしておく。私だって人間、女性だから体調によって虫の居所の悪い日、機嫌の良い日、落ち込む日・・・ってのがある。特に生理前になるといくつか兆候が現れるが、眠気と共にあくびが多くなる他、短気を起こしやすくなる。昨日1日天気が悪くて家にこもってストレスが溜まっているのか、息子はやたら私の気に触る事をやらかす。何度注意を促しても次々に変わったことをしてついに私も切れて「全く何度注意させるのよっ、ムカツクなぁ~もうε=(怒゚Д゚)ノノ ゴルアァアァアァアァアァ!!!!!」とちょっと巻き舌気味で怒ってもニヤッと笑って、反省をするでもびびるでもなくマイペースで過ごしてる。すっかり母はなめられているものと頭に来る反面、ひとりから回りしている自分が可笑しくなって、つい吹き出してしまうが、その10分後には新たな怒りの材料を作り出してる懲りない奴である。普段の日なら少々多めに見れることも、この時期は理性が訊かない。ついつい感情的に走りやすい。午後図書館に出掛け、自分が借りる本を探していたら、「キャハハ」と静かな館内に響く小さい子達の声がした。慌てて声のする方へ行くと、絵本コーナーのテーブル一杯に女の子と2人で本を山積みにして小さな雪崩を起こさせては楽しんでいる。思わず「何でこんなコトしてるの#」って目を三角に吊り上げて声を押し殺しながらワジル(沖縄の方言で怒る)。宿題中の小学生達やカウンター越しに身を乗り出して見ている職員の方達に恐縮しながらも、早くこの場を何とかせねばと片づけを促すと、女の子は私の形相に驚いたのか立ちすくみ、息子は平然と「イヤーこんなが面白いの」と言って崩れた本を拾っては不安定な山に載せて滑り落ちるのを楽しんでいる。(シニワジワジーするワラバーヤッサー〈※本当にイライラする子だこと〉)と内心ぼやきながら片付けていると、私と違って静かなタイプのお母さんは、何時の間にか現れて優しい語り口調で女の子に声掛けながらテキパキと片付け始めている様子を見て、もっと寛容な気持ちで子どもと接するべきだと反省した。あまり私の職歴を明かしたくないが、実は結婚前まで幼稚園の教諭をしていた。担当のクラスの父兄や職員の先生方に「いつも笑顔で子ども達に接してえらいわぁ、見習おうとしてもつい、ガミガミと叱ってばかりで」と言われたこともあったのに、自分の子にはついつい感情的になりやすい事に気付き、今の私を見てひっくり返る人達も多いだろう。極めつけが、夕食の準備をしている時ひとりでトイレに行き用を足した息子は素肌にズボンだけ履き、それを忘れて食事の後便意を催すと、椅子に掴まって中腰になっているのを見て急に思い出した私は、言葉にならない言葉を発しながら少し待つように言うも虚しくポロンポロンとズボンのすそから卵の如く幾つも産み出て、いや転がり出てきた。その時になってはじめて本人も思い出したようだが、出てきたものを元に戻す事はおろか催した便意を急に押さえることもできず、パニックになって叫んでいた。幸いなことに息子のう○ちは団子のような形の山羊の糞みたいな状態で、すぐにティッシュで摘んでゴミ箱に捨て、近くにあった息子の上着を引き寄せその上に立たせると、急いで雑巾がけを始めた。その間、一刻も早く不快な状態から救って欲しいと訴えるのを無視しながら迅速に消毒した後、着替えを手伝った。これこそまさしく『フンんだり蹴ったり』じゃないかと思う1日だった。。。チャンチャン
2004年04月28日
先週から少しずつ息子の食欲が落ちてきて、代わりにお菓子を要求する頻度が増えてきた。「お菓子を食べるならご飯の後」と言ったら、「(イ)ヤッ、ご飯おいし(く)ないからお菓子ちょうだい」この調子で風邪などひかなれば良いのに・・・なんて心配してたら金曜日辺りから鼻水が出始め、夜になるとなんとなく体温も少し高めに感じられる日もあったりして、やっぱり風邪かぁ?!なんて警戒中である。昨日、お昼過ぎに突然「ばぁやんに会いたい」と言い出して電話をかけると、ばぁばは息子のラブコールに大喜びで応じ、夫と2人でばぁば宅に息子を送迎した。今日もある時突然「ばぁやん家イーイ?」と聞くので、平日は2人とも仕事や趣味、体操教室などで忙しい為留守にしてることが多くその事を息子に告げると機嫌を悪くし、泣き喚いたりすねたりしてた。土曜日がじぃじとばぁばとデートの日と理解してて普段はこんな風に言い出す事なんて無かったのに、一種の気まぐれかと思ったが、よ~く考えてみるとばぁば達は甘いものやジュース、スポーツドリンクなどが家にいる時より豊富に飲み食いできるので、それが狙いである事に気付き、都合良く機転を利かすようになったことに驚きと成長を感じた。その後も、「パパがいいよって言ったから(お菓子食べても)いいよ」とか「沖縄のおばあちゃんがいいって」など見え透いた嘘をついてお菓子をゲットしようとしたので、ますますビックリした。恐るべし2歳児!
2004年04月26日
私がこんなに長時間PCに向かう事になるなんて想像もしてなかったが、日記を書き始めたら軽く1、2時間経つこともしばしば。よく訪ねる所や他の人達のHPを見たりするともっと長い時間座っている事もある。不慣れなせいもあるが、サイト上のいろんな人の出会いや情報交換、知識などが得られるのが面白くてたまらない。サイトの魅力にハマッテイルと言っても良いかもしれない。顔文字を使っているのを見掛けて徐々に私も見よう見真似で使用してた。夫が突然のけぞるような格好で大笑いするので尋ねたら、「何だ、このTOTは?と思ったらToTのつもりだろ、これ」って爆笑してた。ちっ、こっちはド素人だからしょうがないじゃないか( ̄・・ ̄)=3 フンって思ったけど、イイモン。独学でこれだけ出来ただけでも自分では嬉しいのさ。あんまり顔文字にはまることは無いだろうが、上手に使いこなしている人を見ると便利だなと思う。マイペースでPCの操作を研究中なので、私のヘンテコナ顔文字や文章を見て笑ってる方が他にもいれば、ぬちぐすい(沖縄の方言で命の薬の意味)である笑いを提供しているんだと解釈しよう。『笑う門には福来たる』さあ、思う存分笑ってちょうだい。
2004年04月25日
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