語りと筆しごと~書家香玉のうずまき帖
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長年住み慣れた九州福岡を離れ、東京暮らしが始まって、まもなく1年半になろうとしている。もしも東京の大学に行ってたなら、東京で働くって、生活するってどんなんだろう、、若かりし頃はただ漠然と憧れていただけでそんな現実、まったく想像がつかなかったのだが、まさか50歳をすぎてこれが日常になるとは、人生って本当にどう転ぶやら、わからないものだ。ごく自然な流れでそうなって、今となっては意外にも、違和感が、、ない。 それどころか、もしかしたら50代以降の私の人生のシナリオは、小学生あたりくらいからこうなるように決められていたのではないかと思えるくらい、浮遊していた点と点が長い年月を経て、そうなるべくして繋がったような絶妙なリンク、子供の頃からの憧れの心象風景に今がぴたりと重なるような不思議なシンパシーに心湧く日々である。例を一つあげるなら、テレビ画面から見る東京、熱中時代の北野先生や3年B組金八先生や帝釈天の寅さんの世界に印象的に映る荒川河川敷の風景がたまらなく好きだったし、中学のときに胸を熱くして見ていた長渕剛主演のTBSドラマ親子ゲームが究極で、この共演を機に実際に結婚した志穂美悦子さん演じるカヨちゃんとタモツの名場面の数々を語らせたならばキリがない。当時のリアル足立区役所への婚姻届と、スタントなしのふたりバイクで疾走する荒川河川敷、堀切駅周辺。まるで自分もそこの住人のように思えるほど心惹かれて見ていた。それがそのまんま、今に繋がった。何の工作もなく、偶然にも、私は今や足立区民だ。ごく自然にそうなった。下町散策、江戸情緒を楽しむ散策に最適の位置にいるミラクル。好きを引き寄せる体質なのか。しみじみ嬉しく思う。でも!実は、、唯一と言っていいほど、なかなか馴染めないことがある。それは、話し言葉だ。ニュース原稿を読むアナウンサーだったこともあり、標準語、公に伝る正しきアクセント、イントネーション等は人よりも理解できる自信がある。そうオフィシャルな場の敬語は話せるのだけど、フランクな日常会話が、独特のお江戸コトバが、もちろん私は自然には出てこないし、相手の話ぶりにも、ついつい、引っかかる。不快とかじゃなくむしろ興味深くて面白いんだけど、自分は使えないのが悔しいし、微妙なニュアンスがわからず、え?と思うこともしばしば。例えば、店の中を走る子供に向かって若いママが「もぉーはしんないでぇぇー」「やめてくんない?」そうね、私だったら「はしらんでってーいいよろーがーなんかいゆったらわかるんかいっちゃ。いいかげんにしなさいよ。はよやめんかねー」とかなんとかになる。だから何というわけではなく、、ただ単に、これやっといてくんない?と言われることにも慣れないと言いたいだけ。あと、買い物や食事の際、お店の人によく言われるのが、ちゃいます言葉。「これ一緒に入れちゃっていいですか?」「お皿下げちゃいますねー」ちゃいます、ちゃいますって大阪では違うってことなのに、方言って面白い。この間さー私ったら酔っ払ってこけちゃってさーならわかるんだけどな。やっちゃったーやっちまったー的な感じかと思いきや、初対面のビジネス言葉にもなっちゃいまして。ちゃいますと言えば、昭和歌謡でならした私の記憶では、欽ちゃんファミリーの風見しんごさんの歌。ぼーくぼーく笑っちゃいますが頭をループし始めたのでこの辺で終わっちゃいます。おあとは次回の講釈で
2025年09月07日