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だいたい仕事(グループ)をした翌日は、僕の彼女のAがとばっちりを受ける。ぼくが「スペースがない」と言い出すのだ。「ちょっとひとりにしてくれ」と言いだす。ひとりになっても,事態は変らない。実は、僕の中にスペースがなくなっているのだ。正確に言えば、たぶん、僕の第2身体(第2チャクラと関係する肉体の外の微細身、エーテル体と呼ばれることが多い)にスペースがなくなっているのだ。第2身体はフィーングと関係していて、僕の第2身体は、いろんなフィーリングで充満して一杯になっている。それも、僕のフィーリングとは思えないから、まいる。それでスペースがないと感じる。第2身体は、他の人々のフィーリングを感じ、吸収する能力を持っている。つまり他の人々の「バイブレーション」をキャッチすることができるのだ。だから僕の第2身体は、グループの参加者の感じていることを知ることができる。彼らが何を感じていて、何が必要なのかをキャチできる。誰の第2身体もそういった繊細さを持っているけれど、僕は仕事では、それを意識的に使っている。参加者よりも、参加者が何を感じているかを、僕は感じている。で、たいがいはグループが終わると、ぼくは参加者のフィーリングで一杯になる。否定的なだけでなく、肯定的なフィーリングも含めて、僕の第2身体は、スポンジのように参加者のフィーリングを吸収して、水浸しになっている。びちゃびちゃ。スペースがなくなっている。次の日はしんどい。 解決策は、ハートでそれを受け入れること。気づいて、それをそのままにしておけば、僕のものでないものは、やがて通り過ぎていくのだが、きつく居座るものもある。また、重曹を入れたお風呂と、塩とシャワーで簡単に消えていくものもある。絶え間なく苦悩の中にいる人々を助けようと、そして多分共感しようとしている心理セラピスト、ソーシャル・ワーカー、などの援助職の人々は、こんなふうに他の人々のフィーリングで過重な負担がかかった状態にになりやすい。第2身体が休みなく受け取っている刺激のために、疲れ果ててしまうのだ。そして、一種のエネルギー的な「燃え尽き」症候群になる。または、入ってくるバイブレーションに抵抗し、自身の第2身体の応答を抑圧するようになる。感じることを止めて、機械的になろうとする。だからお医者さんとかは、患者さんの顔も見ないような人もいる。第2身体の繊細さを抑圧するために、お酒を飲む。タバコを吸う。テレビを見る。そして良いことも感じれなくなってしまう。だから看護婦さんとかは荒れた私生活の人が多い。今日の日記は、すご~く大切なことを書いている。特に日記のテーマ(セラピーと自己成長)に関心のある人にとっては、とても大切なことを書いている。そして、関係性のなかでスペースがない(息苦しい)と感じる人にも、共依存セラピーとかの考え方とは別に、メタ・フィジカルなエネルギー学の視点からの洞察があるはずだ。僕の彼女の「A」さん。当たってごめんなさい。スペースがないのは、君のせいではありませんでした。
2003.12.22
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イッポリートは告白する。 「君たちが大事にしている自然や、パーヴロフスクの公園や、日の出と日の入り、コバルト色の空、充足しきった顔が、いったい何のために必要だというのだ。そもそもこのいつ終わるとも知れない饗宴は、ぼくひとりを余計者とみなすところからはじまったのではないか?そうしたもろもろの美しさが僕にとって何だというのだ?そもそも僕はいま、1分1秒ごとに思い知らされているのだ。太陽の光を浴びながら、僕のまわりをぶんぶん飛び回ってるこのちっぽけなハエでさえ、この饗宴と合唱の参加者であり、おのれの持ち場を知り、おのれの持ち場を愛し、幸せに感じているというのに、僕ひとりだけが死産児であり、自分がたんに臆病なために、これまでそれを理解しようとしなかったということを!」(新訳) しかし、まあイポリート・チェレンチェフよ。 シェイクして、ダンスして、ジベリッシュして、静かに座ってごらん。ムイシキン侯爵のごとく、美にくつろげるはずだから。かといって白痴になるわけではない。
2018.04.09
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ブラックパンサーの国ルワンダは、なぜ豊かか?というと、宇宙から落ちて来た驚異の物質ヴィブラニウムを独占利用しているから。 そのSF並みに発展してる文明は、シールドされて世界からは隠されていて、貧しい農業國と偽装している。 部族社会が発展して王国になってるけど、民草もアフリカ的に混沌としていて幸せそうだ。 しかしティチャラ(ブラックパンサー)の元カノは、近隣の貧しい国からの難民受け入れと福祉を提言し、新国王のティチャラと意見が合わないし、広い世界と関わりたい彼女は、それでか元カノの立場。 前国王には秘密があって、ヴィブラニムを解放して、世界中の黒人の抑圧と戦おうとした実の弟を殺害し、その子どもひとりアメリカのオークランド地区に残した。 監督は、警官による黒人射殺事件を描いて絶賛された。オークランドのゲットーで始まり、ゲットーで終わるこの映画は、かなり政治的なのだ。 「世界を見守るだけ」の一歩引いた姿勢から、「ラブインアクション」が世界を変える。 マーベルスーパーヒーローもので、まかさ泣かされるとは思ってなかった。 女戦士に囲まれて、新国王であるティチャラは、真のヒーロー ブラックパンサーとして、最後は国連で、自分たちの知恵とテクノロジーを分かち合うことを宣言する。 白人へのNOの戦いでもなく、豊かさに壁を作って守るのでもなく、世界に背を向けずに、分かち合う。 感動した。 感動の個人的意味は、以下である。 1990年、OSHO没後にすぐ、昔からの仲間であるミトラ、アミーンらと、Poonaにいた。瞑想しないミトラだが、ある時何を思ったのか、瞑想センターを申請したいと言う。 それより前に約10年以上、20代の青春をエンカウンタースクールという場作りに捧げた僕とアミーンは、反対した。 片桐ユズル氏や津村喬や向井孝、松井洋子など有名な大人を顧問としながら、全国から維持費を集めて、エンカウンターグループなど心理療法から、映画会、コンサート、シールさんによるOSHO瞑想会、反原発反戦集会、果ては、僕とアミンの始めた無農薬野菜の倉庫代わりまで、当時の関西のカウンターカルチャーの知る人ぞ知る拠点としてのフリースペースを何年間も運営していて、それも幕引きして、僕としては、反戦反原発死刑反対運動からも引退して、サニヤシンになって生まれ変わり、もう世界を変える夢は見ずに、自分を変えることに取り組んで、やっとひと息ついていた頃だ。 もう瞑想センターとか、そういう形でひとに関わるとかのめんどくさいことはやりたくない。 毎晩、ケンケンガクガクの議論をして結論は出ない。 ところがミトラが勝手に申請したら、あっけなく許可が降り、それを聞いた僕とアミンは、嬉しくて号泣した。 あれはなんだったんだろう。アシュラのゲートのところでのこと。 それでOSHOの媒体(ミディアム)というアナンドの署名で、アシュラムから貰ったメッセージには、驚いた。 「アミーン、ミトラ、ビジェイ あなた達は、革命家である。あなた達は、全世界を変えることで、自分を変えて行くだろう」 と書かれている。なぜか僕たちが、反原発運動から心理療法まで、命を革めることを模索してきたことを知ってるかのようだ。 僕なんか十代の頃から、革命とは何ぞやと、まるで禅の公案のごとく問い続けて来たか知ってるかのようだ。 そして、その旅の果てにサニヤシンになり、もはや世界を変えることよりも、自分が変わることに取り組もうとしていることを知っているかのようだ。 しかし、「あなたたちは、全世界を変えることで、自分が変わっていくだろう」とある。 これは普通(サニヤシンの普通)と逆のことじゃないか。 メッセージはこう続いていた。 「何百万人の人々が苦しんでいる。その人たちに背を向けるのは、絶対的に非人間的なことである。なんであれあなた達が得たものを、分かち合いなさい」 そして「苦しくなったら、またアシュラムにおいで」と結ばれていた。 後から、このメッセージは、アナンドがOSHOの講話から抜粋して選んだと知ったが、さすがOSHOからミディアムと指名されただけある。見事に、僕たちへのメッセージだった。 アナンドからは、他にもOSHOの靴下とハンカチも頂き、その後、細々とOSHOの回し者として、手足になって働いている。 瞑想センターは結局、建物は立たず、その後10年以上続く瞑想会からは、多くのサニヤシンが生まれ、みなそれぞれ独立し、しかし去年から古巣に戻った週に一度の瞑想会は、やはりマイトリー瞑想の会という名前で場所を借りている。 書き忘れたが、僕らの貰った名前は、OSHOマイトリー瞑想センターだった。 その後、出口王仁三郎の弥勒宣言とか、OSHOのマイトレーヤ(弥勒)宣言とか、ビレッシュの強調する友情とか、マイトリー(友愛、慈悲、友情)というのに縁がある。 革命家のひとりアミーンちゃんは、現在は天然酵母のパン屋さんとして、人当たりがいいから日々忙しいが、明け方前にひとりパンをこねて、孤独と向き合う詩人である。 革命家のひとりミトラは、現在入院中で連絡もつかないが、きっと内面を見つめているだろう。 革命家のひとりの僕はといえば、本日は瞑想会。気候のせいか参加者は少なく、場所代払うと赤字である。 苦しんでいる何百万人に背を向けて、詩について思索したり、パソコンいじったり、瞑想をひとりするのは容易い。 実は、3人とも内向きな人間だ。 ひとに関われば、波動の違うひとに関わることになり、イライラもするし、疲れもする。 もう長く瞑想してるから、Poonaに行かなくても至福は感じられるし、相手の目の高さに降りて、内側の何分の一かをオブラートに包んで分かち合うのも、まどろっこしい。 ひとは受け取るのが当たり前になると、慣れてくるから、感謝されることも少なくなる。 それどころか、非難されることもたまにある。出る杭は打たれなくても、ゴシップはされる。 だから疲れてしまう時もある。 それで、ブラックパンサーだ。 ヴィブラニムを独占して、自分達だけの王国で、幸せにするのは容易い。 なんたって、自然と科学と芸術が融合したようなユートピアだし、内面だって豊かだ。 世界に背を向けて、自分たちだけの幸せを大事にすればいい。それが先祖代々の教えだし、歴代の王の務めだ。 CGは新しいけれど、内容は古臭く、先祖を家族を大切にしようというディズニーの最新作「リメンバーミー」と違って、先祖伝来の条件付けに反逆して、新しい生き方に踏み出すブラックパンサーは新しい。 勇気をもらった。以上。
2018.04.03
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