2015年05月16日
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最近、介護に関する事件が、ますます増えたように思えてならない。
年々、お年寄りの数が増えて行く中、
施設不足が顕著になってきたからだろう。
国は軍備にお金を掛ける前に、介護にお金、掛けてほしいと、
つくづく思う。

たった6年ではあるが、私も経験した。
私がここで何か書くことで、おひとりでも、心の負担が、
ほんの少しでも無くなりますようにと、願いを込め、書きたい。

介護してらっしゃる方、

介護のために、離職され、ぎりぎりの生活をしてらっしゃる方、
親を思う気持ちと、自分を無くしてしまうんじゃないかと言う気持ちのジレンマで、
苦しまないでください。
デイサービスの時間に、福祉課に相談してください。

私の場合は特殊かもしれないが、
少しでも参考になれば・・・と書いてみよう。

姑は糖尿病から2度目の脳梗塞で、一人暮らしをしていた関西の病院から、
すぐに来て貰えないかと電話があり、近くに住んでいた弟夫婦が駆け付け、
認知症が発覚、夫婦共働き子供3人の子育て中の弟夫婦は即座に「介護は無理」と。
実はその前から、鬱病を患っていた私は、医師から
「認知症の介護は無理」と診断書を携えて、病院に駆け付けた。

勿論、自分でトイレ、入浴、食事ができる間は、
弟の処にも世話になりながら、拠点は、我が家だった。

何年も経って、姑が逝ってから解った事だが、
公共の介護施設には「要介護4」以上じゃないと、まず入れない。
だが、自分でトイレも食事も出来た姑は「要介護2」だった。


いつも思う。
寝たきりの頭のしっかりした方と、
認知症の「要介護度」を一緒に認定するのは、本当にまずいと。


今ご自宅でぎりぎりの介護をなさってらっしゃる方。
どうか、まず市役所の福祉課に相談してください。
必ず、ほんの少しかもしれませんが、救いになります。

姑の場合、私の医師からの診断症があり、
「介護鬱」になりつつあり、
私が入院しなくてはならない状態になり、市役所の介護課に相談に行き
増床予定のグループホームに入れてもらえた。
その時の介護度は「要介護2」。

それまでは、家で私が見ていたが、
徘徊が始まり、目を離すと、歩けるから家から出ていなくなり、
大騒ぎで探したら、何と隣りの団地まで歩いていき、
ご親切なお宅に保護されていることが解り、警察からの連絡で保護できたり、
家の中からカギはかけられるが、表からは鍵はかけられないと、本当に困った。
勿論、糖尿病性網膜症などの通院の時、病院の中でいなくなってしまうから、
目を離せず、会計の時が一番困った。
足も太って杖を使わなくてはならなかったから、駐車場に車を撮りに行く間、
誰かに頼まなくてはいけなかった。


心も体もへとへとになったが、福祉課に相談し、
出来る限りのサービスを利用、姑がいない間に、昼寝、入浴、買い物を済ませる生活だった。
その上、鬱病だから、買い物に行きたくても、出られない。
本当に毎日毎日が過ぎて行くのに精いっぱい。
子供達は、下が中学生、上が高校生だったが、
毎日のお弁当もまともに作ってやれず、可哀想な思いをさせた。


介護は、突然にやってきます。
こちらの都合は全く入る余地はない。
何か計画してあっても、全部、諦めなければならない。
翌日から戦いが始まる。
実の親、夫の親・・・・大切な人達だから、余計に辛い。

3年目に入ろうとしていた頃グループホームにお世話してもらえる事になり、
反対に、苦しんだ。
「なぜ自分で自宅で介護している方が大勢いるのに、自分には出来ないんだろう・・・」
毎日毎日鬱がひどくなった。
その時、介護施設の方に仰って頂いた言葉が忘れられない。
「Kさん、一緒にいて、介護で自分を追い詰め、相手に恨みが生まれるより、
こうしてプロの私達に託し、会う時、優しい気持ちで接することができたら、
その方が数倍良いのですよ。決して、薄情なのでも冷たいのでもないですよ」
と。
この言葉がどれほど私を救ったのか、介護されてる方ならお分かりになるでしょう。


そうなんですよ。
弱音吐いて良いんです。
「助けて~」って声をあげて良いんです。
「福祉」はそのためにあるんですから。


姑の認知症は、6年経ち、もう、トイレも自室のごみ箱にしてしまうまでに。
そして、時々、介護施設から
「すみませんが、ひと月でかまいませんので、精神科に入院させていただけますか?」
と言われるように。
1年に一度、ひと月、精神科の施錠の出来る施設に入院させた。
ある日行くと、両腕を拘束する服を着せられていて、尋ねたら、
「食堂の椅子を振り上げ、ガラスを割ろうとしたものですから」
ショックだった。
だが、こういうことの繰り返しだった。


そしてとうとう
「もう、ここで看るのは、無理になったので、施設を移ってもらえませんか」と最後通告。
翌日から、旦那は仕事を社員に任せ、私は父の看護も家事も放って施設探し。

そしてひと月後、やっと少し遠くだが、温泉のある施設が
「良いですよ。明日、連れてきてください」と。
良かったね~と疲れ果てていた私達は、帰りの車の中、ほっとしたが、
その夜、4回目の脳梗塞を起こし、グループホームを出ることなく、
亡くなった。


介護の費用は、幸い、本人が長い事、公の保育園で働いてくれていたので、
先に亡くなった夫の遺族者年金とともに、
月に13万円あったので、プラス3~5万円で済んだ。
当時は会社経営をしていたので、金銭的には困ることはなかったが。
今、金銭的に困ってらっしゃる方は、生活保護を受けてください。
決して恥ずかしい事じゃありません。
介護のために働けない、生活保護を受けるのは、当然なことだと思います。
そのために税金があり、国の予算があるんです。

そして、心の言葉を吐き出す場所を作ってください。
私はここがそうでした。
姑の介護の最中、実父が骨髄異形性症候群で、余命半年と宣告され、
姑の介護と、実父の看護で、自分の生活はめちゃくちゃになり、
吐き出さなければ、鬱がどんどんひどくなり、
私が先に逝ってしまいそうな状況でした。
そして、出会ったのが、「嵐」君。
「頑張れ頑張れ」と言う彼らの歌にどれほど救われたでしょう。
姑の介護中に父が亡くなり、会社経営していたので、
後処理が大変だったが、通夜からひと月法要の間、
義弟夫婦が看てくれ、私は毎日嵐の歌の中にいた。

真面目な方は、介護を頑張ってしまいます。
でも、姑を介護する中で、本当に多くの福祉に携わる若い人達に出会った。
そして救われた。
彼らはとても優しい。

介護なさってらっしゃる方。
一人で苦しまないでください。

行政の方、
「要介護4」以上じゃなければ施設に入れない状況を、打破してください。
姑が亡くなってから、幾つもの施設から「空きました」と電話が有った。
非常に事務的。
亡くなったかどうかより、「要介護4」になったから、電話をよこす。
どれだけ、腹が立ったことか。
最初から「要介護4以上じゃなければ当分入れません」と言って欲しかった。

何か解ることがあれば、何でもお答えします。
何でも質問してください。

くれぐれも頑張りすぎないでください。
くれぐれも、「自分」も大切にしてあげてください。






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最終更新日  2015年05月16日 17時05分13秒
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pattsyann doll さん
初めまして。
ブログ更新はされていないのですか?
アンティークドールをネットサーフしていましたら、こちらに辿り着きました。
私も五年程、母の介護をして四年前に見送りました。
気が向いたらブログを更新してください。
また、寄らせていただきますね。 (2017年03月19日 20時21分28秒)

【毎日開催】
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