『ビジョン実現への道』
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なぜだろう? 今の私は【信念を持つ人】、【自信を持つ人】に惹かれる。 だが、昔のわたしは全く反対の人間だった! 「信念がなく」グラグラして、 自分にまったく「自信」がなかった。 「自分を信じていなかった」のだ。 「どうせ自分なんかできる訳がない」と 常に消極的な考えが私の頭の中を支配していた。 暗ーく、ジメジメした消極的な人間だった。 もし、 現在、あの頃の自分と、今の自分が出会ったとしたら うっとしいやっちゃろーなあ。 また、多くのクライアントの方々からも 「自分に『自信がない』のはどうしてなのか?」 そして 「『自信を持つ』ために、どうしたらいいのか?」 という質問をよくいただくので 整理してみよう。 【自信】と【うぬぼれ】は違う。 どう違うのだろうか? 先ず 「うぬぼれ」とは 「他人が見るより、 自分で自分をすぐれていると思うこと。自負。」 つまり、 「自己を過大評価」そして「自己陶酔」しているニュアンスがある。 本人が思っているよりも、 他人から見れば その人が、「そんなに力があるように見えない」のだ。 私も、いっぱいそういうところがあるなあ。 こんなんやってたら、あかんなあ。 自分で変えていこう! それに比べ 「自信」とは 「自己の能力や価値を確信すること」 つまり 「自分を信じている」のだ。 「自分は、できるはずだ」とか 「自分には、値打ちがあるはずだ」ということを 「しっかりと『自分の力』を信じている」のだ。 わたしは昔、自分で自分が信じられなかった。 そういえば、その時には 「どうせ私にはできない」とか、 「そんなこと言ったって」、「けどー」、 「私なんて」や「できっこありません」とか、 「やっぱり自信がありません」などという 自己卑下をする言葉をよく使っていた。 だから、それが『そのまま現実化』していた。 あの頃のわたしは、 どうしてあれほど自分に『自信』がなかったのか? そういえば 今から思えば、 挫折や失敗を【自ら好んで】していたのではないかな。 仕事、お金、勉強、恋愛、人間関係等。 何故、わたしは挫折や失敗ばかりしていたのだろう? ひとことで言えば 『約束を守らなかったから』 お金の支払い、時間、人との約束・・・ もっと、 自分の胸に手を当てて 突き詰めて考えてみると 自分が『自信がなかった』最大の原因は、 【自分との約束】を守らなかったからだ。 もっと簡単にいうと、 「自分がやろうと決めたことを、 ことごとく約束を破っていた」のだ。 やらなければいけないこと、 そして、 私自身の『本当にやりたいこと』を しなかったことなどから逃げ続けてきたから。 やらない理由、できない理由を どこからか、上手に探しだし、 いろいろ自分に言い訳や正当化をし、 【自分との約束】を破ってきた。 わたしにとって 【自分との約束】 これが一番むずかしかった。 だから【自信】がなかったのだ。 そう、自分で自分を裏切ってきたから、 自分を信じられるはずなど、なかったのだ。 自分を裏切る行為をし続けてきた結果、 わたしの心の中で 「やると言ってるけど、やり遂げるわけがない。」 「きっと、また口先だけだよ。」 「今までのように、やらなかったり、 あるいは、取りかかったとしても 中途半端で放っておくのだろうなあ」という、 どこか自虐的かつ冷笑的に自分を見ている もう1人の自分がいたように思う。 だから 「自分を信じられる訳などなかったのだ!」 自分を裏切り続けてきたからだ。 「自分を『信用』などしていなかった」のだ。 だから 【自信】がなかった。 では、どうすればいいのか? 【自分との約束】を守ることだ。 だが、今まで【自分との約束】を破り続けてきたのは 「何故」だったのだろう? 最大の理由は 【自分に合っていない】目標を立てていたからだ。 つまり【無理な目標】だったのだ。 「できない目標」を立てていたのだ。 「できない目標」だから「私はしなかった」 「高すぎたり」「低すぎたり」した目標を立てていた。 良い格好をして、自分の現状からは、 ほど遠い目標を立てていたのだ。 「取り敢えず」目標を立てただけで 満足していた。 そして【やり遂げるぞ】という気概がなかった。 わたしは 自分で自分を裏切り続けてきたから そう、 『自分に嘘』をついてきたから 【自信】がなかったのだ。 【自分との約束】を守っていない人の顔は どこか曇っている。 言葉は、いつも言い訳と弁解がましい。 何でもかんでも人のせいにしたり 責任転嫁をして本当の自分から逃げる。 よく落ち込む。姿も、いつも、背中を丸め、うつむき加減になりがちだ。 むかしのわたしが、そうだった。 一方 【自分との約束】を守り続けている人の顔は イキイキ輝いている! 言葉は基本的に自己責任だ。 いさぎよい! 背筋がピンと伸びている。 他の人が見ていても気持ちがいい。 本当にコツコツでいいから私は実行しよう。 【信念】とは何か? 信念とは 広辞苑によると 「ある教理や思想などを、かたく信じて動かない心」 とある。 なるほど。と思うが、 もっと、ピタッとくる表現はないものか? 単純に考えてみた。 以下は中村天風師の『天風瞑想録』より 【信念】についての私の解釈だ。 先ず、 信念の反対を考えるとわかりやすいかも知れない。 信念の反対とは「疑う」ということ。 何でもかんでも「疑う」ということを私はしていた。 とくに昔は探偵をしていたから。 あらゆることを懐疑的に考える癖があった。 「この人の言ってることは本当なのだろうか?」とか 「あんなえらそうなことを言っているけど、 裏で何をやっているかわからないな」とか しかし、何事でも 疑えば「キリがない」 安心していられない。 いつ病気になるだとか、 いつ不幸になるだとか 考えはじめると、 おちおち眠っていられない。 おちおち生きてられなくなる。 ビクビク不安に襲われる。 「安心」から遠ざかるのだ。 つまり 【信念】がないと 何でもかんでも、疑いの方から考えようとする。 疑いの方から考えようとするから、自分というものが、 勢い、小さな存在になってしまっている。 では何故疑いがいけないのか。 それは 疑い出したら、「何事も安心ができない」からだ。 いま、こうやっている間にも地震がきたらとか、 「今夜、寝ている間に死んでしまったらどうしよう」とか、 疑い出したら、それはもう、安心しない。 疑いがこうじたら、産んだ親まで疑いはしないか。 誰も生まれるとき、親の顔を見て来ないから、 ただ、自分の観念の中で、これは自分の親だと思うから 親を親と考えているだけだ。 これが【信念】だ。 夜寝るとき、明日起きられると思わなくても、 起きられないだろうとは思わないから寝るのだ。 そうやって、眼をつぶっていても、又開けようと 思えば開けられるから眼をつぶっているので、 もう絶対に開かないと思ったならば、 眼をつぶりやしないよ。 というような、わかりやすい例で 【信念】について中村天風師は示す。 つまり【信念】とは 漢字源で【信】とは 「一度言明したことを押し通す人間の行為をあらわす。 途中で屈することなく、まっすぐのび進むの意を含む」と ある。 わかりやすく言えば 「疑いなく、すなおに固く信じている心」 もっと分かりやすく言えば 曲がった考えのない 「まっすぐな固い心」だ。 だから【信念の人】は動じない。 ひとのことを疑って疑ってかかる人よりも 「まっすぐで固い心の人」=「信念の人」に私は惹かれる。 古今東西の人類の英知となった人々も 【信念】について言及している。 「人の本当の値打ちというものは、宝石でもなければ、 黄金でもない。いわんや地位でもなければ、 名誉でもない。ただ、信念の二文字である」 (ソロモン) 「信ぜざれば救う能わず、縁なき衆生は度し難し」 (釈迦) 「先ず信ぜよ」(クリスト) 「疑って、迷って、真理から遠ざかる者よりも、 信じて欺かれる者、汝は幸なり」(マホメット) 「信は万事のもと」(孔子) 「凡人というものは、何事も信念無く諸事に応接する為に、 自然に不可解の苦しみに悩んで、不安の生涯を送ることに なる」 (ゲーテ) などなど信念の重要性に関する記述は多い。 そして何かの業を成し遂げた偉人に共通するのは 皆、【信念の人】だったということだ。 また、 中村天風師は「信念」は頑張ることではない。 「煥発」するものだという。 「信念」は出たくてうづうづしているというのだ。 当時、この考えを知った頃の私は、そんなものかなっと 思っていた。 ところが、 私に借金が山ほどあったとき、 夜になると 「明日の支払いをどうしよう。取引先からの入金がないと 支払いが難しい。さて、どうしよう・・・」 ということばかり考え、時には夢にまで見たり、 歯ぎしりをしたり、何日も眠れない日々もあった。 どうしよう。どうしようと、 支払日前になると 不安で不安で、心配で心配で過ごしていた。 そんな私だった。 しかし、 中村天風師の信念の煥発法を知ってから 毎晩、その方法をトレーニングした。 詳しい説明は中村天風師の著作をご参照ください。 少し言うとそれは自分の寝掛けに鏡による暗示法を行うのだ。 鏡に映る自分の眉間に向かって、一言だけ、 自分に向かって命令をする。 私の場合は、 「お前は信念が強くなる!」と 「一回だけ」「真剣な気持ちで」自分に命令をするのだ。 そして寝る。 起きた直後には「お前は信念が強くなった」と 過去形で断定する。 この時は鏡は使わなくてもよい。 これを私は、できるだけ毎日トレーニングした。 すると、 本当に、いつの間にか、なのだが、 それほど心配しなくなってきた。 もちろん、努力はしてきたが。 あれほど、心配性だった当時の私が、 自然と、それほど心配しなくなってきたのだ。 たまに心配することもあるが、 回数としては極端に減ったと思う。 「なるほど、信念は頑張って出すのではなく、 このように自然に煥発するのか」と実感した。 【信念と自信】 この2つの言葉は似ている。 昔のわたしは、あまり違いがわからなかったが、 少しずつ意味を整理したり、実践を積むことに よって、本当に少しずつではあるが、 今まで書いたように、分かりはじめてきた。 これからの私は、 自惚れることなく、 「自分との約束を守る」ことによって、 「自信」を少しずつ得、 「信念を煥発」することによって、 「確固たる信念」を少しずつ築き、 少しでも【信念の人】に近づけるよう 精進しよう! 「よしっ、やるぞ!」
2005.10.15
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