全810件 (810件中 51-100件目)
NCRの福島原発報告。危機感がいかに当時の日本に欠如していたのかが わかるそうです。今日、この仕事を会社が、受け、翻訳作業いたします。なにが見えてくるのだろう…かなり忙しい(⌒-⌒; )
2012.02.23
コメント(0)
創造的な時の創出。労働の時間的制約からも金銭的制約からも不自由で視野が狭くなりがちな現代社会。内面を感じる時間をもつ。自分の中に自由が広がる時、もっとも豊かでもっとも未来に迎える瞬間。それは 今、もっとも会いたい人、もっとも行きたい場所 - 自分の生命の要求がわかったとき、肝臓を感じた時 自由と未来が広がった。
2011.12.18
コメント(0)
京都では中学の理科の先生と高麗カフェで少し話をした。大嫌いな理科!その理由がわかった!先生は科学とは自然界の事を証明する理論と語り始める。さらにその背後にある神・存在の意図を探求する、昔の科学者の方々は神の神秘を追及する為の科学をしていたのだと語った。ある時、そうした神についての探求が哲学の分野のみに追いやられた。本来学問とは神や「存在」を表すものだったという。けれども、目に見える事を断片的に実証していくのみの現代の科学。今、限界の時を迎え、人を大量に殺戮する兵器をつくってしまった。。。本来、神秘的な学問だったのだと聞いてとてもときめきに溢れました。
2011.12.18
コメント(0)
年齢を経ていくと、どれだけ自分を知るか、強みを生かして世の中で差別化出来るか、が成功する要因かなぁと思います いろんな人にお会いして、成功している人は皆ご自分の仕事であったり、事業であったりお仕事にほんとに純粋に取り組んでいらっしゃる。少年の心を忘れずに無邪気に信じて明るく、そしてまわりを率いていく。後ろ向きなことは言わない。魅力的です。素敵なアントレプレナーの方々はたっくさんいらっしゃる! ニッポンの希望です☆なぁんて
2011.12.18
コメント(0)
世の中のことはシンプル。どこかでよいことが起これば、どこかで良いことが伝搬して起こる。逆もまた然り。だから見抜く目、真とか偽りかを見極める目がとても重要。感性と感受性。
2011.12.18
コメント(0)
日本は一度、仕事や事業で失敗をすると、銀行もお金を貸さなかったり、転職すればダメな人だとみなされる事がある。これはどうしてなのかと考えていたところ、ある人が宗教観念について教えてくれた。すべての仏教ではないけれども、失敗してはならない、という観念で事を為していく、米等ではキリスト教の観念に基づいて、失敗という概念がそもそもなく、いつか成功する、それまでやる、という概念。だから何度か失敗しても取り返しがつく。そのことで逆に経済がまわっていく。あと神道というのが実は一番まっとうで(その人から聞いた話では)成功するように事をなしていくプロセスを踏む。そういう宗教観念が生き方になっているとはなんとなくですが納得。以前の会社でテロップミスが多かったので「テロップミス撲滅運動」ってやって、厳しく上の人が言えばいう程毎週毎週、誰かがミスをして始末書を書かされていた。(私も衆院予算員会と衆院本会議のテロップを間違えて始末書を書いた・・・)
2011.12.18
コメント(0)
同じ言語を持つ民族同士は争わない、と聞いたことがあります。言葉の成り立ち。それぞれの文化と歴史・・・言語の世界はとても深いです。翻訳は言語学のカテゴリの「応用言語学」に属するそうです。そこにある微妙な「差異」みたいなもの、伝え方伝わり方が微妙に違うだけで解釈も違ってしまう、とてもセンシティブなもののようです。あいだにあるもの・・・人と人との交流。違う言語と違う言語の中にあるもの ー深遠です。聖書もきっと誤訳がいっぱいあると思います。誰か聖書をほんとうのイエスキリストの言葉で訳せる人はいないのでしょうか? 本当の音 本音とは、他人にも意識にもコントロールされない生命のオンです。神との出会いの音ー 日本古来の「本音」。米に戦争で負けてから「本音」と「建て前」が出来たそうです。言葉日本語のオン 何かやはり平和の道しるべがありそうです
2011.12.14
コメント(0)
3.11、あの日から 自分の人生も変わった これまでの生き方を繰り返していても疑問を感じるし 未来へ進む縦の軸と 社会や世界の全体の軸 その振れ幅が変わった。 「中心」 その手がかりをつかむために明日は京都へ向かいます。たぶん、震災のこと抜きに自分の人生が立ち行かない感じです
2011.12.14
コメント(0)
年齢を経ていくと、どれだけ自分を知るか、強みを生かして世の中で差別化出来るか、が成功する要因かなぁと思います いろんな人にお会いして、成功している人は皆ご自分の仕事であったり、事業であったりお仕事にほんとに純粋に取り組んでいらっしゃる。少年の心を忘れずに無邪気に信じて明るく、そしてまわりを率いていく。後ろ向きなことは言わない。魅力的です。素敵なアントレプレナーの方々はたっくさんいらっしゃる! ニッポンの希望です☆なぁんて
2011.12.14
コメント(0)
科!その理由がわかった!先生は科学とは自然界の事を証明する理論と語り始める。さらにその背後にある神・存在の意図を探求する、昔の科学者の方々は神の神秘を追及する為の科学をしていたのだと語った。ある時、そうした神についての探求が哲学の分野のみに追いやられた。本来学問とは神や「存在」を表すものだったという。けれども、目に見える事を断片的に実証していくのみの現代の科学。今、限界の時を迎え、人を大量に殺戮する兵器をつくってしまった。。。本来、神秘的な学問だったのだと聞いてとてもときめきに溢れました。
2011.12.14
コメント(0)
今の仕事は翻訳を依頼するのに、日本全国だけではなく、国際電話でアジア諸国、ヨーロッパや南米、アラブ諸国に住んでいる方に依頼をするのです。海外に住みながらも日本から仕事が来る。今はメールで全てすみますから、どこにいても仕事が可能な翻訳という仕事は結構いいなぁと思いますね。携わりながらアイデアも世界に広がります。今の会社は、転職をしてきた人が多くて働き方もオンサイトやDTPではフリーランス等、日本的じゃないところが波長があいます。海外の翻訳者さんは、1か所に留まらず、さまざまな経験をされて、海外というフィールドで仕事をされています。やっぱりフランスへ行きたいなぁー 夢があって、フランスはアメリカとはあまり仲良くないけれど、アフリカや中東の国にも入る事が出来ると思うので、ネットワークを繋げることが出来ないかと考えています。ちなみに今の会社は海外支社はパリのみだし ご縁があればいいな。。。
2011.12.07
コメント(0)
仕事でいろんな言語に触れています。各部署に1人色んな外国の方がいらっしゃるのですが、色んな言語やいろんな肌の人と触れ合うと言葉の不思議を感じるのです。記号や説明言語ではない、命の言葉。日本は「言霊」、聖書ではヨハネの福音書に「はじめに言葉があった」とあります。国やエリア等、精神構造も意識や思想も各々の言葉によって全く違う枠をつくり、ある。この「音」オンに世界がひとつとなる、ひみつが隠されているのかもしれません。レバノンのビブロスは9000年前の港、そしてアルファベット発祥の地。この地にたったとき「音」ことばのはじまりとなるような「オン」の世界を感じました。言葉は命であった、という事は一フィクションではなく、じじつであった認識を受けとめるはじまりとなりました。 はじめて げんごがく という分野に興味を持ちました。
2011.12.06
コメント(0)
http://www.shinnihon.or.jp/eoy/news/20111005.html 先日出会った富士の会社の社長さんがアントレプレナー・オブザイヤー2011に選ばれている事を知りました。日本代表を選出し、世界一を決めるとの事ですが過去にはDELLコンピュータのデル氏、CNNのテッドターナー等が世界一になっているようです。私ははじめて知ったけれど、若い人たちにとって すごく励みになるんじゃないかぁなと現実的な夢と希望を感じました。ちなみに証券会社の同期だった山村君のお父さんの経営するフェローテックさんがナショナルアントレプレナーに表彰されていてすごい!!起業家がじゃんじゃん出てきたら、日本も活気づくのでしょうね!環境整備をお国には願います☆そして。。。。アントレプレナーオブザイヤー、先日、証券会社の同期の山村君のお父さんがなんと 日本代表に選出されました!!! すごい! 世界大会でのご活躍、世界一になることをお祈りしています!!!!!“EOY 2011 Japan”日本代表が決定|ニュースリリース|新日本有限責任監査法人www.shinnihon.or.jp
2011.12.06
コメント(0)
あるがまま。。。 自然の摂理。自然に身を任せるようにいきる。明日から新しい仕事がはじまります。翻訳の会社なので、英会話が発生します。ワクワク、ドキドキ。。。どんな出会いが待っているかなぁそして、もうひとつ。東北は南三陸町での復興メディア設立。東北を盛り立てていく企画。先月23日を境にそんな出会いがありました。こちらは当初はボランティアになりますが、東北での出会い、岩手や宮城、福島・・・のみなさんのお力になりたいと思っております。こちらは形になりそうになったら、またご報告申し上げます。
2011.12.06
コメント(0)
先月盛岡に行ったとき、南相馬でボランティア活動をされているアメリカ人の方を紹介され、メディアについて話が出た。テレビだけでは伝えきれない情報はどうにかならないものか。メディア。情報を発信する側と情報を受け取る側。テレビは大衆に伝えられるけれども限界がある、テレビでは取り上げられないけれども、伝えたい人(困っている人)と助けられる人、繋ぐ メディアが出来ないものかと、今日の出会いからも蘇った。
2011.11.24
コメント(0)
facebookの使い方。新しい価値を互いに創造していくこと、新しい何かを創りだし生み出すこと。。。新しいメディアとして、とても有効な発信手段ではないかと、被災地は福島の自宅で放射能の高圧汚染をしている写真のウォールから感じました。そう。テレビのニュースだけでは知らない情報。発信する側も賢く伝えてゆけば、被災地も泣き寝入りせず、正しい情報を世界中に伝えることだって可能なのだと、facebookの可能性さえ感じております。ただ、それがこの日本で出来るかどうか。社会主義的な資本主義な日本、自由主義的な資本主義のアメリカとの違いかな・・・。アメリカのいいところは取り入れるべきだと思うんですね
2011.11.24
コメント(1)
東名トラックの飲酒事故で幼い2人の子供が生命を奪われて12年が経ちます。今日は2人のしのぶ会へ行ってまいりました。刑事裁判後、そして民事の取材を経て、仕事はやめても特別な想いがあってこの会にはほぼ毎年参加しています。19歳の時、中学からの大親友が飲酒事故で突然亡くなりました。彼女は井上さんと言って、事故に遭った方と同じ名前です。そんな縁があって参加していますが同級生の子たちはもう中学・高校に通っています。事故当時、お母さんのおなかの中にいた子も12歳、すっかり女らしくなりました。ご両親の、活動を一貫してされている姿に頭が下がります。データによると確実に飲酒運転の事故が毎年減ってきているからです。今日もまた新たな出会いもあり、やはり今のNPOの活動も道を創っていくことも、継続し更なる展開へ向かっていこうと心に決めました。今日の会でお隣りになった方は東海電子の社長。しゃっしゃっちょうさーん!!と緊張しましたが話をしていくと私の実家の富士に本社があって富士の話で盛り上がりました。飲酒の検知器をつくっている会社さんです。全国の運送会社を顧客に持ち、顧客である会社はこの検知器を運転前に導入しているそうです。9月には朝日新聞の一面広告に、ドクターヘリを推進する国松元警察庁長官と井上さんご夫妻とその方とで「命を守るしくみを社会に」というタイトルで対談をなさっています。これから富士・地元で色々と創ることも考えているので、コーヒーショップをつくった暁にはぜひ飲みに来てください、と既に宣伝もしておきました(笑)。検知器は今は台湾をはじめ中国でも導入され始めているそうです。兵器や武器等、技術が人を殺める事にも使われている、一方で人の命を守る事に技術が使われる、技術について考えました。人間の内面が社会を創っているのだとしみじみ感じました。
2011.11.20
コメント(0)
先日は出版会社の方にお会いしてきました。自分は月金で働く事が今はできないのでそこで働く事はなくなりましたが、その会社とはこの出版不況のさなかに成功されている会社です。なんと自費出版に目を付けた事が成功の原因との事。商業出版2割、自費が8割。新刊では自費は260万かかるそうですが最近、文庫から出す事に成功し、文庫では100万円から出版が可能だそうです。ちなみに売れたら6割が還元だとか!!! ちなみに血液型の本は30代のOLの方が、何気に投稿してきたのだそうですが、なんと500万部の大ヒット。脳内革命が415万部くらいだったので、いかにすごい事かわかりますでしょうか?OLさんは5億円の印税収入だそうです。会社はその10倍でした、と素直に部長さんが話してくださいました。発想もいいですよね~ 本づくりも自由な発想で売り込んでみようかと、浮かんで楽しくなりました☆
2011.11.20
コメント(0)
来週11月15日は京都でのコンサート。国際都市 京都。東京より日本の中枢であった期間は長く、何層にも埋もれた歴史があり、その層をはがしていくかのように、毎回のidakishinさんのコンサートで、京都の空間は綺麗になっていっていることを感じています。NPO高麗は、東京、東北は盛岡、関西は京都と3つの拠点を置いて活動をしています。この度は農業関係の方々へお手紙を書かせて頂きます。日本の未来の軸とつながり、多くの人がご参加なさいますように。。。日本の要、世界の要、Idaki Shinコンサート http://www.idaki.co.jp/idakishinConcert/index.html#kyoto写真は鴨緑江。中国 北朝鮮 国境の川です。分断された歴史の悲しみが癒され世界がひとつになることを祈り・・・ 京都へ向かわせて頂きます。http://www.idaki.co.jp/idakishinConcert/index.html#kyotowww.idaki.co.jp
2011.11.10
コメント(0)
?11月のアントレプレヌールサロン。肝は20年後の目標について。20年後54歳。10年前の目標は結婚して子供を生むこと。それは叶っていないけど(笑)世の中の状況を知っていくうちに、それはただの通過点に過ぎないという事がわかり、世界や社会の認識からも、アフリカや中東を訪れても、各国の問題を肌で感じた。個々の抱える問題は、それぞれの歴史的な問題を解決した後で手を繋いだら、世界が平和になる道しるべが見えると思う。現政権の事務局サイドのあるおやじとけんかになり、それが一番の原因でやめることになった前職から、震災を経て、一体私は何をすべきか。震災後全く決まらない職。相当焦る。面談ではサラリーマンの働き方を脱して、フルコミッションでいったら、という答えが。長い目で見たらやることがあるのだからと20年後の未来に繋がる目標を、今考えられる時。100年後、自分が死んでからも持ち続けられる理念。100年後の目標を持ってみよう。今は農業に興味があって、それは目の前にあるTPPの問題があるから。京都、東北の農業の関係者の方々に会う機会を設けようと思います。世界と日本をつなぐ、何かが生まれそうな気がしている
2011.11.10
コメント(0)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111109k0000e040033000c.html昨日の新聞でも、中高年に多いという。印象的な新聞のインタビューの一言は45歳で年収1000万円だった人が52歳で突然リストラにあい、生活保護受給者に。「日本は一度、失敗するともう這い上がれないシステム」。転職も、事業もそう。あと、日本の経済が低迷している要因のひとつに、起業家を育成してこなかったこと、があげられるのだそう。知人で米とオーストラリアで起業した方がいるけれど、日本で起業するのには 他国に比べると、容易ではないらしい。東大の学生の方々は卒業すると、最近は起業される方が多いらしい。若い人たちが活躍できるような制度をたくさん国には作ってほしいです。
2011.11.10
コメント(0)
母。母と仲良く韓国へ行く夢を見ました。韓国と北朝鮮の国境に向かう夢です。楽しくあたたかく懐かしい夢でした。高校を卒業して以来、横浜東京でずっと暮らしてから母は寂しくていつも私に電話をかけていました。母の電話を受けると身体がしんどくなる私はいつも怒って電話を切る事もありました。母が介護の仕事をはじめるにあたり、人間関係にも恵まれ可愛がられていることを感じ、母の幸せそうな声をはじめて聞きました。初めて自分から電話をし、母の声を聴くことが楽しくなりました。生きてこんな日を迎えられるとは思わず、感謝の日々です。いつも心を痛めていた家族のことがはじめて晴れやかで明るいことを感じ、これでやっと世に出られる、晴れやかに立つことが出来る兆しに感謝しています。。。
2011.11.10
コメント(0)
8月から WEBスクールに通っています。恥ずかしげもなく言いますと、職業訓練なんですが、本当に専門学校並みに技術が習得できて素晴らしい!ちなみに 合成写真や補正を行うフォトショで上記のような演出作業をしています!オモシロイですよ☆
2011.11.10
コメント(0)
家元 勅使河原茜氏の草月展に行ってきました。一部のお弟子さんの作品を見て、すぐに帰りたくなりました。作品には生き方の半端さ、甘さが全て出てしまっていて隠せないなと感じます。肝に銘じよう。そんな中、家元ご本人の作品には息をのみました。さすがです!! 宇宙の摂理と自然の調和、見事に表現されていて草も花も自由にのびやかに存在している。この空間にずっと居たいとさえ感じました。こんなにも芸術が人に感動を与えるのかと、自由と未来への創造への力を得ることが出来ました。最後のアルバムは3歳~18歳の子供たちが創った作品の合作です。涙が出ました。みらいへの希望と憂い、両方を感じました。この想いをしっかりうけとめて歩もう、そう感じました。茜様は映画監督の勅使河原宏さんのお嬢様とのこと、映画監督と家元の仕事は同じ、そうでしょうね。。。仕事はなんだってそうですが、道を究められた方々の美しい姿にかくありたいと願う、草月展での出会いなのでした。
2011.11.10
コメント(0)
11月1日。盛岡で心改めたこの日。郷里の母も転機でした。先月で10年以上勤めた会社を辞めたのです。金融に関する職場で働いていましたが、職場と家庭の両方のストレスでよく泣いて電話がかかってきました。金融は母にはあっていなぁと、母の状態からも感じていましたが介護の資格を取るために今勉強をしています。母にはあっているなぁと感じ、実際久々に電話をすると、諍いなく話をすることがはじめてできました。人は環境や人間関係でこんなにも人が変わるものかと感慨深くあります。家族のことは自分が結婚していないことのひとつの要因でもあります。社会の現象の象徴ではないかと感じることもあることも多々、そんな中私が出来る事として、先を創り続けること、未来を切り開き続ける事、ということが答えなのです。大変な問題を抱える家庭にしか分かりえないことかもしれません。だからこそやることがあると先を創るのです。
2011.11.10
コメント(0)
先日、前の会社のエリアトップになったセールスマンからの突然のお誘いで食事しました。入社して3年目、32歳で今年、MDRT(保険業界ではすごい称号)に入るという方です。でもお会いした翌日、私は倒れる程ぐったりしてしまいました。以前も同じ会社のある支社のトップの方にお会いした時もこうなったのですが、翌日IDAKIの応用講座にて、人にしみこんで張り付いた不安と恐怖、というテーマ性と一致して納得がいきました。常に自分との闘い、当然素晴らしいことなんだけれども、トップでどこかで身体の負担になっている事を彼と会ってよくわかりました。恐怖。ある意味仕事の原動力となっている人もいるかもしれません。IdakiShinさんのコンサートでは、人に巣食う 不安と恐怖を取り除いて、一人一人が元気に生きられることが可能になります。多分、連絡して来てくださるのも、何か直観が働いてしてくれるのだと感じています。なのでお知らせしています☆みなさんよろしく
2011.11.10
コメント(0)
先週アントレプレヌールコース受講後の個人面談を受けてきた。ものができるようになるには、基礎体力と頭脳の両方が必要である。体力を鍛える事、そして頭は、この世にないような難しいことを考えることで鍛えられる。ものをやれるにはその2つが必要となる。更にフルコミッションの営業や事業をすることは、計算が出来るか否か、という事にかかっている。それがわからなかったとしても、中学からの数学を見直す事で、計算能力を1から鍛えることができる。量子力学と宇宙の話をして下さり紹介してくださった「虚数の情緒」という本も、途中までではなく、最後まで読むことに意義があるということだった。量子力学くらいまでいかないと数学を理解したことにならない。恋にも数学が必要である、愛は育んでいくものであることを教えてくれた。最近素敵だと感じる男性がいても計算の定義をショートカットして口説かれることに幻滅していたのでとても腑に落ちた面談だった。
2011.11.10
コメント(0)
海外へ意識が向くと、ようやく生きられる世界が私の中に広がりました。方向性。11月15日 京都コンサートに向かう今。京都は、どう生きるかを明確にしていかないと営業をしても受け容れられない場所(私にとっては)だから、とっても苦手な場所でした。が、国際都市、京都から世界へ発信する、という主体的な感覚を持った今、京都という都市にしっかり立って、歩ける気がしています。京都から、世界へ…
2011.11.10
コメント(0)
東北へ向かうとき、ある時から内面に広がる感覚が生まれた。阿弖流為の生きた時代の大地の草の香り、馬に乗り大地を駆け抜ける躍動、弓を引き獲物を射る感覚覚・・・。黄金色に輝く稲穂、風に揺れる緑。美しい若草色のグリーンの光。その自由で豊かな感覚は何度か岩手を訪れるうちに、確かに心の内に鮮やかに広がるようになっていった。中央から奪われてきた東北の歴史が解放され、蝦夷ー エミシ、エミス・・・、真実の東北の姿が現れつつあることを確かに感じている。飛鳥の地で同じ感動があった。飛鳥の風からはペルシャの風と大陸の風を感じた。歴史の真実は蘇る。。。「日本は蘇る」-そう表現されていた高麗さんの詩が段々わかってくるようだ。
2011.11.10
コメント(0)
?11月1日、尊い日。日本の現状認識の甘さを痛感しつつも新たなスタートを切り、10年後、20年後を考え、最後には同世代の仲間と語りあった一日。女川町で実家が被災された仲間と、原発をめぐり 行政や親たちの かなり無関心な状態に驚いた。しかし未来を語る有意義な時。高麗恵子さんとの語る会では、自分自身の甘さを痛感。で直します
2011.11.10
コメント(0)
この世で最も失いたくないもの、失いたくない存在。自分の中では、この世で起きてしまったら最も怖い事。そのことに直面する現実が訪れました。「死」は誰にでも訪れるもの。けれどもどこかで私は、非現実的なものとしてこれまで受けとめていたのかもしれません。しかし、もう余裕もなく猶予もない。けれども有限なる時間はある。そして変えてゆける、今がある。一刻一刻に固唾を呑み、心正される今、今です。好きな人を大切にしてあげてください。
2011.11.10
コメント(0)
10月24日、25日。弘前、盛岡では、それぞれ市役所にゆき商工課で 事業支援や制度を聞いてきた。岩手は復興で余裕のない状況をひしと感じた。やはり 他県の支えがすごく必要。象徴的と感じたのは、岩手がたぶんもっとも震災の津波での被害を受けたけれども、国の支援にも限度があるということ。ひとりひとりアントレプレナーシップが必要だということ。歴史的にも、蝦夷の首都である、日高見=北上 岩手は、日本自体を立て直す要。とこの度も感じた。
2011.11.10
コメント(0)
仕事にて。富裕層の多い地区での仕事は身体も楽だし、楽しい。けれど、貧困層もある地域は少々苦しい。でもいいところばかり受け容れるのでなく、社会全体をわからなくちゃと感じた出来事。貧しく社会から切り捨てられたような人、何人かに話しかけられ、話を聞くと、身体が苦しくなるので、もう嫌だと、おばあちゃんが近づいて来たから無視した。するとジロジロ見てすごい怒られた。いいところばかりを見たいけど、これは社会の問題で、全体を感じることなくして、先はつくれないことを実感。人を差別しちゃいかんのだ。おばあちゃん、ありがとう(^^)
2011.11.10
コメント(0)
自由が丘の駅のホームで。知的障害を持つ高校生の男の子が、電車を待っている皆に「こんにちは」「こんにちは」って声をかけていた。誰も言葉も交わしていなかった、私がふっと、ニコッと笑うと、喜んでくれて『あなた かわいいねーーーー!!!』って大声でホームで言われて恥ずかしかった。でもとっても純粋に生きている。。。 彼が一生懸命 生きている姿は、とってもキラキラしてみえた。
2011.11.10
コメント(0)
It was decided that it went to India next year! It prepares from today! Considering going to overseas, it is me who become very fine. A spread of work and life is felt!
2011.11.08
コメント(0)
勝手なことを書かせて頂きますが。。。横田さんに関してのこと。昨年、担当していた番組で外務省の元事務次官藪中さんがゲストの時、横田さんを取材させて頂きました。藪中さんはめぐみさんの遺骨を持ち帰った時、北朝鮮政府と交渉しているので何か秘密を握っているのではないかと言われているですが・・・。めぐみさんのお母さんと2人きりで話した時間がありました。めぐみさんへの愛を心の中心から感じました。それ以来、お母様とめぐみさんの存在が心の中に生きているのですが、お母さんと話していて見えた光景があります。青い空を仰ぎ、故郷へ届くように天へ祈るめぐみさんの姿・・・。鉄格子からの青空でした。めぐみさんはどこかへ隠されているのではないか?それ以来、その疑念が消えません。。。どうかご夫妻が生きているうちに再会が叶いますように
2011.10.10
コメント(0)
田中さんは 同郷で、なんと私の実家の隣の家の女の子と高校が同級生なんです。そんなことから一度お会いさせていただき、話をしました。真摯な姿勢が心にあります。その田中さんのfacebookeでの投稿をシェア致します。【大田区の保育園・小学校・中学校空間放射能量緊急調査速報】 平成23年10月7日 (経過) 区立馬込第二小学校(大田区南馬込3-10-1)の校庭花壇付近の空間放射線量を同校教諭が簡易計測器で測定したところ、7月に計測した校庭の空間放射線量より高い値が出た。10月2日、シンチレーションサーベイメータで測定したところ、花壇に接している雨どい2本の脇において、それぞれ毎時0.64マイクロシーベルト、0.62マイクロシーベルトが検出された(地上5cm)。これらの測定地点から1m離れた所では、毎時0.11マイクロシーベルトという通常の数値であったため、直ちに、児童が近づかないよう周辺への立ち入りを禁止し、ブルーシートで被覆する緊急対応を実施。この旨、保護者に対して文書により周知した。 (緊急調査) 区として、本件を踏まえ、保育園、小中学校の類似形態の雨どい197か所(保育園5園、小学校25校、中学校12校)の空間放射線量の緊急調査を実施している(10月6日~8日)。7日正午までの測定では、保育園5園で毎時0.06~0.20マイクロシーベルト、小学校8校で毎時0.03~0.64マイクロシーベルト、中学校5校で毎時0.06~1.01マイクロシーベルトという結果が出た(いずも地上5cm。詳細は下記参照)。 (措置と今後の対応) 本調査により、毎時0.25マイクロシーベルト以上の数値が検出された羽田小学校(1か所)、大森第四中学校(1か所)、雪谷中学校(3か所)、糀谷中学校(1か所)については、該当箇所への立入禁止等の措置をとった。放射線量の測定等について協力協定を締結している国立大学法人東京工業大学の助言を踏まえ、原因究明と放射線量の低減対策に速やかに取り組む予定。 (測定値) 測定日:10月6日 天気:晴れ 測定場所:羽田小学校 測定箇所数:1箇所 測定値:0.64 中萩中小学校 6箇所 測定値:最小0.06 最大0.13 六郷小学校 15箇所 測定値:最小0.07 最大0.19 六郷保育園 1箇所 測定値:0.08 山王保育園 1箇所 測定値:0.08 小池保育園 1箇所 測定値:0.09 志茂田保育園 1箇所 測定値:0.06 美原保育園 1箇所 測定値:0.20 測定日:10月7日 天気:晴れ 測定場所:池上小学校 測定箇所数:7箇所 測定値:最小0.03 最大0.09 池上第二小学校 2箇所 測定値:最小0.08 最大0.14 東調布第一小学校 14箇所 測定値:最小0.07 最大0.23 調布大塚小学校 2箇所 測定値:最小0.07 最大0.20 新宿小学校 1箇所 測定値:0.08 大森第四中学校 1箇所 測定値:1.01 田園調布中学校 13箇所 測定値:最小0.06 最大0.248 雪谷中学校 5箇所 測定値:最小0.17 最大0.96 ※雪谷中学校は0.25以上を3か所で計測 0.40/0.46/0.96 糀谷中学校 15箇所 測定値:最小0.07 最大0.32 蒲田中学校 14箇所 測定値:最小0.07 最大0.23 ※測定箇所は、校舎等の雨どいから雨水が入り込み蓄積している箇所で、測定地点の 地上5cmの大気中放射線量を測定。30秒間隔で計5回の平均を測定値としている。 ※測定値の単位:マイクロシーベルト/毎時 ※測定器:シンチレーションサーベイメータ(NaI) アロカ株式会社製 TCS-161,172B 小型のシンチレーション式サーベイメータ(Dose RA F2) (問合せ先) 学校の対応について 教育総務課長 松本 電話 5744-1421 施設担当課長 西野 電話 5744-1430 保育園の対応について 保育サービス課長 薄根 電話 5744-1276
2011.10.09
コメント(0)
今月中旬は、京都・福井。そして翌週には盛岡・弘前へ。東日本大震災チャリティーコンサートの開催。今からひたすたら手紙書きをしています。真実の歴史を知ることは、その人自身の生命を生かして 生き生きと生きることができる。。。 それを可能にするのが 高句麗伝説コンサート、なんです!また、追ってひょうげんさせていただきます
2011.10.09
コメント(0)
先々週、不思議な夢を見た。被災地にいる夢。また大津波が来るからと、住む人全ての人に通達がいった。印象的だったのは、逃げる範囲が3段階あった事。一段階目は、この間の震災で津波が来たところ。そこは皆、回避してそこで犠牲になる人はいなかった。そして二段階目はもう少し山の裾までの範囲。そして私と私の仲間たちは、三段階目の山の上の学校まで避難をした。そして実際に津波が来たんだけれども二段階目まで津波が来て『このへんでもういいや・・・』と油断していた人たちが流されてしまった。何かすごく意味を感じる。自分の命のことは蔑にはできないし、国やひとりひとりにとってのメッセージ性を感じた夢だった。特に行政へのメッセージ性もありそう。。。
2011.10.09
コメント(0)
「国創りの夕べ」弘前でのNPO高麗 代表 高麗恵子さんの講演会をお知らせいたします。高麗さんの本音で生きることで導かれた人生、国創り、お話をされます。青森近郊の方、ぜひいらしてみてください。。。開催日時 2011年10月5日(水) 午後7時~午後8時30分 会場 弘前市立観光館 多目的ホール 弘前市大字下白銀町2-1(追手門広場内) 「高句麗伝説」コンサート上映会 & 高麗恵子講演会(NPO高麗代表) 寄付金 1,000円 主催 NPO高麗 www.idaki.co.jp☆国創りの夕べでは、NPO高麗 代表高麗恵子氏、自身がNPO高麗の活動についてお話してくださいます。
2011.10.04
コメント(0)
カメラマンの仕事、これまでのHD CAMからハイビジョンに切り替わりました!モチベーションがあがります☆ webの学校に通いながらですが、これからフリーランスとして、企業と連携して企画を立てて、共に協業していったり、という働き方に切り替わることに決めました。女性ならではの、細やかな企画や何か、新しい発想を提案していく所存です。。。どうぞよろしくお願い致します。
2011.09.30
コメント(0)
夢。最近は、連絡のある人、出会う人、そして起こることを事前に見ます。今日は大変だけど良い夢をみました。津波がくる、二波、三波とくる中を必死で泳ぐ。そして、しばらくすると海からくる津波を水の性格を加味したうえで、水を川から被害が緩和されるように 設計された堤防を敷く工事をする そんな夢でした。地震がくる夢を見ても、なす術もなく立ちすくむばかりでしたが、はじめて解決に向かう夢を見て明るい兆しを感じた今日の夢でした
2011.09.30
コメント(0)
10数年ぶりに大学のキャンパスを歩き、感じたこと。親や多くの人に大切に育てられ、生きてこられたこと。それまでの20数年。そして34歳、両親を蔑にしていないか、もっと親に喜んでもらえ、親がなすことができなかった幸せな生き方をたくさん経験してもらいたい、と純粋な気持ちが生まれて泣けてきた。ごめんなさい、そしてほんとうにありがとう。親孝行とは、親の言いなりになるのではなく、その親の生き方を超えることだと、一番尊敬する父のような先生に教えて頂いた。ここからがはじまりです。
2011.09.30
コメント(0)
「 恋とは 個が 生きる こと 恋をして ひとを好きになって 自分を知る」Idaki Shinさんが、高麗さんに出会ったときに伝えた言葉だそうです。誰かもわからない、けれども未知なる未来に懸ける、とても愛しく優しくなれる尊い気持ち。今の自分のままじゃふさわしくないから、美しくなろうと決める。日本人の恋は ただ すき であること。。。。 恋愛=相手を所有する、という意識はなかったのだと聞いています。明治時代『恋愛』という概念が入ってきてから、少し日本人の恋の形に変化が起きたそうです。純粋な気持ち。そんなことを考えていたらコンサートに来た友人から、お互いひとめぼれしてつきあうことになった人がいるの、と連絡がありました。お互い、50歳近くになっても恋は恋。。。素敵☆
2011.09.30
コメント(0)
ほんとうのことを書きます。今日は横浜で仕事があり、夜、ふと14年前学生時代に住んでいたアパートに行きました。当時、ストーカーや犯罪まがいの怖いことに遭っていたのです。ある日の明け方、見ず知らずの男の人が私の上にのっていたのです。あの時は死ぬかと思いました。結局、何もしないで私が目を覚ますと突然逃げていきました。警察もパトカーもたくさんきましたが、犯人はいまだわかっていません。その場には14年間怖くていけませんでした。19歳の頃、親友を事故で亡くしました。あの頃、それから親友の友人も、トラックで跳ねられ重傷を負いました。私は怖かった。次は私が死ぬのかと正直少し感じたから・・・。それから1年後のことでした。そのことがあったのは すぐに安全なアパートに引っ越しましたが、半年の不眠症と1年のフラッシュバック。あれは生き地獄でした。被害者の方々の恐怖がよくわかります。それから1年後、ある建設会社の専務さんに誘われていったのが、斎藤忠光さんのコンサートでした。今はIdaki Shinさんというアーティスト名です。生まれて初めて両親にもわかってもらえないことをわかってもらえた安堵感で、涙がぽろぽろあふれました。そして夢と希望をそのコンサートが見えたのです。将来出会うべく人も見えました。その時、テレビで仕事をしている映像が見えました。生まれながらの運命を解放、解決していけるコンサートなのです。そこには、IDAKI講座という講座があって受講しました。胎児期・幼児期、3歳までの親や先祖の生き方が子供にインプットされて、その人の人生の運命を決めているという。もちろん、生まれながらに恵まれた両親、恵まれた環境であれば、疵をおわない人生を生きられるすぐに安全なアパートに引っ越しましたが、半年の不眠症と1年のフラッシュバック。あれは生き地獄でした。被害者の方々の恐怖がよくわかります。それから1年後、ある建設会社の専務さんに誘われていったのが、斎藤忠光さんのコンサートでした。今はIdaki Shinさんというアーティスト名です。生まれて初めて両親にもわかってもらえないことをわかってもらえた安堵感で、涙がぽろぽろあふれました。そして夢と希望をそのコンサートが見えたのです。将来出会うべく人も見えました。その時、テレビで仕事をしている映像が見えました。生まれながらの運命を解放、解決していけるコンサートなのです。そこには、IDAKI講座という講座があって受講しました。胎児期・幼児期、3歳までの親や先祖の生き方が子供にインプットされて、その人の人生の運命を決めているという。もちろん、生まれながらに恵まれた両親、恵まれた環境であれば、疵をおわない人生を生きられる。そして・・・今日、はっきりと思い出したある瞬間があります。あのごっつい(いまだ感触は忘れていません)身体と手(口を押えられていた)を目の前に、目が覚めた時の恐怖、口を押えられていたので、うなりました。あの瞬間。。。確かに 生きる方向へ 助かるほうへ、誰かが 何かが 引っ張った あの瞬間を突然思い出したのです。それから犯人は何もしないで、窓から出ていきました。神さまというのか、存在というのか、いまだ 誰か なにかもわからない。けれども明らかにその存在に助けられた、あの一瞬。 自分は生きているけど・・・生かされている、その大いなる存在の働きかけ それは みんなの生命とつながる確かなものと今は感じているのです。。。生きていることの不思議。。。 誰に助けられて生きているのかわからないのです。生きる方向、そうでない方向、というものがあるとしたら、idakishinさんのコンサートは、すべてが生きる方向へ向かうのです。自分はそれを感じ、目にも見えます。だから、過去の知人が悲しい目に遭うとき、どうして助けられなかったのかと後悔をします。そうではない、今助けられる命があれば・・・、という気持ちを胸に、たとえ何を言われても、私はNPO高麗の活動を続けているのです。人生のライフワーク。 以上
2011.09.30
コメント(0)
ロシアへ行く夢を見た。しかも1日は日帰り、帰ってからまた、ロシアへ行く。アエロフロートで旅立つ。まわりにロシアと日本を繋いで仕事がしたいという人が何人かいたけれど・・・。ロシアの夏に見たあの高い空、高原の美しい緑、木々、小川のせせらぎの音・・・。岩手の空気とよく似ているけれど・・・文学の香りが好きだ。いつかロシアをまた訪れることがあるのだろうか?
2011.09.30
コメント(0)
土曜日は、能勢さんという映画やドキュメンタリーの監督をされてきて、現在も制作と原発関連で地元で働きかけたり、芸大で講師をなさっている方の学校の見学に行ってきました。主に社会派のドキュメンタリーを制作されてきたそうです。今回は、DVcameraの撮影でしたが、現代は簡単に動画をとれてしまうけれども、能勢さんならではの実に奥が深い映像撮影に触れました。映像って奥が深いですね。しかも、映像はその人の生き方があらわれる。日々の生き方そのものであるのですね。。。自分も何か、映画をつくりたくなってきました! 本当にありがとうございました
2011.09.30
コメント(0)
大槌は最も被害が大きかったといっても過言ではない地域ではないでしょうか。がれきの撤去も他の地域と比べてわりと後手にまわったと聞いています。釜石からバスで大槌に入ったとき、ことばをなくしました。湾 一帯の街、まるごとないのです。コンクリの土台よりない・・・同じ日本で起こっていることなのか? 被災者の方々はいま、どこにいるのだろう・・・大槌町、赤浜より奥へ行くと、あたり一帯火災で焼け焦げた建物がそのままになっていました。漁船もいまだ・・・吉里吉里地区。家の跡形もない・・・この 静かな海から どうやってあんな津波がきたのか・・・信じられない、風情のある 美しい海。海岸線沿いの道路の鉄棒をものの見事に捻じ曲げて 津波は街へ襲った・・・大槌は、遊覧船「はまゆり」が 津波がひいたあとに、建物のうえにのっていた、あの地区。廃墟となる 空しきレストハウスいまだ、浜に残された車も撤去されず・・・トタン屋根が浜に海からけっこう離れた場所にあった大槌病院。今はもちろん 使われていない・・・こんなところまで 津波が襲ってくるとは… かなり広域で 実際に行くとわかったことだけれどもあまりの被害に衝撃を受けた。奥に見えるのは水門。 そしてがれきの山、山。
2011.09.14
コメント(0)
9月11日、被災地にはじめて訪れました。ボランティアに参加しようと探したのですが日程が合わなかったこと、ずっと行きたかったのですが、自衛隊が撤退してからお邪魔にならないように、自分ができることを探るために 向かいました。写真は撮影をしたら失礼にあたるかと、カメラを隠しつつ撮影したのであまりきれいにはとれておりません。海から100mくらいの場所です。半年たってもまだこのまま。。海近くの工場。。。1F部分が壊れてそのまま。。。岩手銀行の釜石支店。商店街もほぼ壊滅、営業していたのは、もともと新築か新しくたてたお店のみでした商店街のお店の内部は皆こんな感じでした。おそらく、半壊でも 取り壊さざるを得ないような状況の場所がほとんどかと感じました。新日鉄の工場の前に渦高く積まれた がれきの山 どう廃棄するのか・・・
2011.09.14
コメント(0)
釜石、大槌町へゆきました。 内陸から移動、釜石へ近くなると唾液の味が苦くなり、空気が深刻さを物語っていました。 釜石では、商店街に 霊の姿を見ました。 人がいないのに、人が多くいるように感じるんです。 特に ピンクのTシャツをきていた、おばさんの姿を忘れられません。 人と 霊と間違えて、気が付けば 霊で、結構 鮮明に見えたのでびっくりしました。 生きている人が 元気に輝いて生きることが 彼らが助かる道です。 行く前から 実はしんどかったです。前日も眠れないし・・・ でもずっと被災地にはいきたかった、というのが本音で この時しか取れないと、予定を組んだのがちょうど9月11日の日でした。 緊張、不安、恐怖。。。 もしも地震がきたらどうしよう 津波がきてしまったら・・・ そんな恐怖もありました。 しかし、出向き 歩いて 真実に出会えた瞬間がありました。 私はそこに 未来と希望を感じました。 いばらの中をかきわけ 真に出会う あの瞬間。 真とは 美であり 愛です。 ジャーナリストとは、事実ではなく、真実を伝えるものだとおもうのです。 私は 被災地にいき、本当に 自分のやりたいことで 人の役に立てることに気づきました。 そのために、能力をあげていかければならないということです。 適当なところ 半端なところで とどまっていては 力になれないのです。 それゆえ、困難があっても 向かっていく そんなことを 被災地にて 学びました。 これからです。。。
2011.09.14
コメント(0)
全810件 (810件中 51-100件目)