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2021.07.28
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テーマ: 哲学・思想(214)
カテゴリ: 哲学について
はじめに
愛の形は様々であるとよく聞く。クリスマスが近づくにつれて町ではカップルの姿をよく見かけるようになった。カップルの愛の形は他者愛になるだろう。そしてこの愛の形は良いものであると考えられる。しかしナルシスト・自己愛の激しいものは嫌われる傾向がある。自分を愛することは良くないという考え方が浸透しているようである。そこで一見すると対立していると思われる自己愛と他者愛が対義語となるかを考えたい。そのため「愛するということ」と他者愛、自己愛がそれぞれどういうことかを考えることによって答えを導きたいと思う。
1,愛するということ
 愛の問題を考えると多くの人はおそらく、愛される問題としてとらえるだろう。つまりどうすれば愛されるということである。そしてこの目的を達成するために男は社会的に成功しようと思い、女は外見を磨こうとする。しかし、私がここで扱う愛は、愛することとしてである。すなわち受動的活動ではなく能動的活動として考えていく。
「愛する」という語を国語辞典(p2)で調べてみると、「①それに対して愛を注ぐ②かわいがりいつくしむ③異性を恋い慕う④物事を強く好む」とある。どうやら「愛する」には他者愛の意味が強くあるようだ。またフロム(p76)によれば「愛する対象は特定の一人に対する関係ではない。人が世界全体に対してどのように関わるかを決めることである。もし一人だけを愛し他には無関心だとすればそれは自己中心主義が拡大されたものにすぎない」とある。そこで、ここで扱う「愛する」ということについては、愛は何よりも与えるもの、能動的なものと考える。そして、それは特定の一つのものにのみ与えられるものとは考えない。
 またフロム(p90)によると「愛は意思とは関わりなく自然に生まれるものであり、自分ではコントロールできない感情に突然とらわれる」ものであると考えられている。
2,他者愛
 1で愛は与えるものであると考えた。ここからは愛を与える対象の違いを考えていく。まずは自分ではなく他者に愛を与える他者愛として考えたい。愛の対象は異性、兄弟、親のように相手と自分との関係によってさまざまな種類がある。ここでは異性に注目して考える。
他者に愛を与えるというのだから、この愛の形には自分と他者が存在する。そして愛を他者に与えたとき、他者が喜びかつ自分自身もまた喜びを得ることになる。ただ、自分が得るものは喜びだけとは限らない。悲しみを得るものも中にはいるだろう。つまり愛を与えたならば、与えた主体は何かを受け取るのである。また、フロム(p48)によると愛することの基本的な「要素とは配慮、責任、尊敬、知である」。つまり、「愛する者を積極的に気にかける」。「他人の要求に応じる」。「その人が唯一無二の存在であることを知る」。「その人を知る」ことが大事である。
異性に愛を与える場合、兄弟や親が対象となる場合と異なり異性はまったくの他人である。そのため相手のことをすべて知りえることは不可能である。その中で相手のことをより知ろうとして愛を深めていくのであろう。フロムの著書(p90)では異性愛の前提に「自分という存在の本質から愛し、相手の本質と関わりあう」ということがある。
3,自己愛
 自己愛はもちろん自分だけの関係である。自分自身の個性を尊重し、自分を理解しようとし自分を愛するのである。近年ではナルシシズムと称され悪いイメージを持っている人が多い。まずフロムの著書(p92)を見てみる。フロイトにとって自己愛は「人間の発達における一番最初の段階であり、後になってからナルシシズム段階に戻ってしまった人は愛することができず、極端な場合には精神異常になる」とある。つまり、フロイトによれば自己愛を経験したことのない人は他者を愛することができないのである。また、自己愛は自分を愛することになるのであり、愛することの基本的要素である「配慮、責任、尊敬、知」は含まれていると考えられる。だから、自分自身の個性を尊重し、自分を知ろうとして自分を愛するのである。つまり自己愛と他者愛は愛の対象が異なるだけであり、愛するという要素の点から考えると同じである。他者は人間であり、人間には自分自身も含まれる。だから他者愛がよいものであるなら、自己愛も少なくとも悪いものではないだろう。ただ、フロイトの言うように精神異常としての自己愛を悪いものとしてとらえることは起こりえるかもしれない。愛の問題に関して言うならばフロイトの述べているように、自分を愛することが他者を愛することの前提条件である。自己愛は他者愛とつながりを持っているということであるだろう。だから、自己愛と他者愛の関係は対義語とはなりえず、むしろ類義語として考える方が妥当であると考える。
まとめ
これまで見てきたように自己愛と他者愛は愛する対象の違いだけであり、つながりがある。また他者を愛するためには自分を愛する経験がなければできない。他者愛には自己愛の経験が必要である。だから、私は自己愛と他者愛は対義語にはなりえないと考える。
参考文献
・『愛するということ』エーリック・フロム著 鈴木晶訳 
紀伊國屋書店 2004年発行 第14刷 
・『学校教育心理学 教育実践の科学』篠置昭男 乾原正編者 
福村出版株式会社 1994年発行 第6刷 
 ・『岩波国語辞典 第二版』西尾実 岩淵悦太郎 水谷静夫 編者
                株式会社岩波書店 1975年発行








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最終更新日  2021.07.28 15:38:45
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