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47年たって突然占いというものに興味を持ちましたそれまでも色んな習い事をしてきましたが、この占い講座が過去一高かった講座ではないかな普段なら躊躇しそうなお値段でしたがわたしは何のためらいもなくその講座を受けました1年契約でしたが、講習自体は6か月で卒業を迎える形です占いというものに、資格はないのかあったら資格を取りたいのにそう考えるのは人間だからでしょうか
2023.12.22
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義理父親から殴られ、ひきずられ義理弟は毎日のように夜中に部屋に忍びこんでくる母親は知らない振りを続け義理姉の私を見る目は非常に冷たかった人生を呪いました生まれてこなければよかったと本当に思いました何とか逃げ出さないといけない。。。中学の3年間、ほぼ学校にも家にも帰りませんでした昔はやりましたね非行少女という言葉家族に対しての愛情なんてものは1ミリもなく学校の友達、先生なんていうのも私にはまったく意味がなくただ、私を連れ歩く先輩や大人たちに利用され、利用していました過去の話はどうしたって気持ちよくないしこれ以上振り返るのはやめようと思います虐待とは暴力をふるうもの、性的なもの、その他に言葉の虐待などもありますが昔、土の時代は家庭、学校、友達、部活どれもが言葉の虐待であふれていましたね身体、心の痛みは、一生消えないと思っていましたそんな傷を持ったまま47歳まで生きてきました
2023.12.16
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小学校5年生の時に母親が同級生の男の子の父親と再婚しましたわたしが育ったところは田舎だったので、突然クラスメイトが兄弟になることに…なんてこともよくあることなのか…?わかりませんが私はとっても戸惑いました父親なんて欲しくない同級生と兄弟になるなんて嫌だ引っ越ししたくない母親はわたしに相談も無しに何してくれてんのさこんな思いでしたここから地獄の毎日が始まります義理父からの虐待、同級生の男の子からの性的な虐待それを知りつつ助けてくれなかった母親そんなわたしを冷ややかに観察していた義理姉それはわたしが高校卒業するまで続きます家に帰るのが怖かった、殴られるから夜眠るのが怖かった、義理の弟が部屋に忍び込んでくるから母親と話すのが苦痛だった、助けて!と言ったわたしに「お父さんには言えない」と言った言葉殴られないように、息を潜め、周りを確認し忍び込んでこられないように、部屋に鍵をかけ、窓には目張りをし、母親との会話を避けていました傷つきたくないから、生きていたくもなかった家出を繰り返して、児童相談所に預けられたこともありますそこは、まさに天国でしたずーっと児童相談所に居たかったでもそんな夢は叶いませんまた地獄に引き戻されるのです
2023.11.29
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最近の変化についての記録過去にとらわれて今の自分を生きれなかった未来の自分が不安で、起こってもないことに対しての心配ばかりしていた自分の人生なんてどうせこんなもんで傷つきたくないから、幸せには飛び付かなかった幸せになると不安になる、逃げたくなるこれが46年間の私でしたここまで生きて来れたのが不思議なぐらい波瀾万丈な人生でしたそれが、四柱推命で開運学を学び一人の人間との出会いで人生が変わり始めました開運学は、自分の宿命を知ることから始まりますそれを知る事によって、幼少期のどうしようもない人生が宿命だと知り一旦は納得できますさて、それを知りどう今を生きていくのか?過去のトラウマや幼少期の虐待、愛されなかった自分生まれて来なければ良かったと言われた母親からのことば、助けを求めらない環境我慢する事で、やり過ごす事でなんとか生きて来れたこれは、一人の力ではどうにもなりませんこの人間界の外側のルールに縛られてる私たちは内側の自分を見ようとすることは滅多に無いのではありませんか?内側を見ると言っても、人それぞれ味方は違うので説明が難しいのですが…わたしの変化の第一歩は開運学の同期の一人の人間との出会いで変化していきます。人からの負のエネルギーを受けにくくなり過去は過去と切り離す事が出来起きてもいない心配もする事が無くなり自分が悩まなくていい事で悩む事も無くなり今を感じることの出来る幸せな自分に気づく事が出来ます記録としてここまで
2023.11.12
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かなえちゃんはとっても目障りな存在だった自信に満ち溢れ、光り輝いたオーラを纏った彼女の周りには、たくさんの人たちが群がっていた小さい頃から大切に育てられたであろう何不自由ない環境わたしには無いものばかり持っていたかなえちゃんそんなかなえちゃんと話すこともなかったわたしには友達も居なくて、ういていて団体行動の出来ない一匹狼だったから自分から寄っていく事も寄って来られる事もこわかったそんなかなえちゃんに勝利したのは約9年間にわたるピアノ伴奏と、5年生の時のマラソン大会唯一、わたしが証明できた事、生きる意味紙に描いた鍵盤でピアノ伴奏の練習をし、マラソン大会は、ほぼほぼダッシュで走り続けたそれはもう何かに取り憑かれたかのようにがむしゃらだった彼女に負けたらわたしの生きてる意味がわからなくなるから消えて無くなりそうで自分を可哀想だと思っていたから、何もかも何も持たない、親からも厄介がられ生きている意味がわからなかったから自分なりに、生きる意味が欲しかったそんなに頑張っても、わたしは常に一人だったとても小さな身体で、未熟な思考で懸命に生きていた幼少期小学5年生そこから、長い長い地獄の日々が始まるつづく
2023.11.10
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保育園に入る前までは自然と戯れ、自由気ままに生きていました保育園に入ると何人か友達も出来ましたが、今思えば、いじめられていました。常に仲間外れにされたり、でもそれが当たり前だと思っていましたいじめられる意味も、よくわかりませんでしたし考えませんでした。小学生になると、友達は全く出来ませんでした 多分…ほとんど記憶がないのですただ、一つだけすごく覚えている事それは、ある女の子に対しての対抗心クラスのマドンナ的存在のかなえちゃん頭もよく、容姿端麗で、運動もでき、家はお金持ちどう考えたって、わたしが対抗出来るような相手では無いのですが唯一、対抗できたのがピアノでした小学校から合唱コンクールというものが各クラスごとに行われると思いますがわたしの母親がピアノが少々出来ることもあり小学1年からピアノ伴奏に立候補しましたピアノ伴奏に立候補する子たちは皆、小さい頃からピアノを習っている子達ばかりでそんな中、習っていないのに立候補したのがそのかなえちゃんとわたしだけでしたそこから、かなえちゃんとの一方的な戦いが始まるのですつづく
2023.11.05
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風の時代の四柱推命、鑑定士のわたmoonと申します。現在開運アドバイザーとして活動していますがここまでの人生は決して開運とはほど遠い生きてくるだけで精一杯の人生でした。大人になってからも、なんでこんなにも人生が生きにくいのか…不思議でなりませんでした。頑張れば、人と同じことができるようになる我慢すれば、怒られなくてすむ息を潜めて生きてきた幼少期少し振り返らせて頂きます。これは記録用でもあります。ほとんどのことは覚えてないので断片的になりますが客観視しながら振り返りたいと思います。人間関係とは程遠い保育園に入る前の頃わたしはとっても自由でした父親は会ったこともなく生きているのか死んでいるのかもわからなかったし、母親は仕事をしていたため祖母の家にお世話になりながら日中ほとんどの時間をおばあちゃんとおじいちゃんと過ごしました祖母の家は農家だったため1日外で農作業をしている感じでした畑仕事に行く時は、おばあちゃんと電車ごっこをしながら畑に向かい畑の草や木に囲まれて、自然を駆け回っていました生き物も沢山いました犬、猫、牛、鶏、ウサギ、蚕わたしの友達はおばあちゃんであり犬や猫、牛やミミズでした畑の土の中にはたくさんの生き物が居てわたしは一匹のミミズと友達になります毎日毎日、その畑に通いそのミミズと遊んでいた記憶が強く残っていますその時は空も飛べると思って、風呂敷を広げてムササビごっこをしていました本当に浮いたんですよ笑台風の日は傘を広げて、風に飛ばされながら遊んでいたり、それこそ飛んでいる感覚が好きで笑おじいちゃんには良く叱られていました。毎日が自然と一体化して平和で楽しいそんな時間を過ごしていました
2023.11.03
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