Over The Moon.
1
☆この記事自体は、学生時代の私が2005年に書いた記事であり 「授業中に私が感じたことをそのまま書いた」にすぎません。 でも、びっくりするほどこの記事だけアクセス数が高い^^; それほど皆さん、草野心平さんの「石」という詩について調べられているのだなぁと。 以下の解釈は、あくまで「いち学生の私見」なのですが、 ここから少しでも、この詩がおもしろいなぁと思っていただけるなら嬉しいです。 コメント欄もたまに見に来るので、何かある方はお気軽にどうぞ。 *なお、私はその後、ライターを経て国語の教員になりました。 国語の解釈について興味ある方は以下のnoteもどうぞ。 http://bit.ly/branco0005------私が取っている国語科教育法では授業の始めに一日ひとつ、詩が紹介されます。今日の詩は以下のもの。『石』 草野心平 雨に濡れて。 独り。 石がゐる。 億年を蔵して。 にぶいひかりの。 もやのなかに。・・・という詩。授業では時間の関係もあって「倒置法だね」くらいしかやりませんでしたがこれを見て私は「・・・この詩すげぇ」と思いました。凄くないですか。ほんと凄いと思ったんですけど。ちょっとほら、もっかい読んでみて下さい。・・・・・・ね?凄いでしょ?・・・でもどうなんだろ、他の人は凄いと思わないのかな。別に周りで感動してる人もいなかったし。でもとりあえず、私がどうしてそんなに凄いと思ったか、誰かに言いたくてしょうがないので、今日はここで勝手に解釈していこうと思います。てかどうでもいいと思われた方はほんと無視してください。ちょっともっかい読んでください。・・・凄くないですか?(しつこい)・・・まあいいや。・・・では、解釈。まず授業でも出た倒置法。これは「億年を~」から「~なかに。」までが少なくとも「石がゐる。」の前に入ります。これによって「億年を蔵して」いる石に含まれた壮大なスケールが強調されています(ここまでは授業の内容)。でもそれだけじゃなくて、「億年を~」をまず持ってくることで一気に視野が展開してるんです。それまではしっとりと雨に濡れた情景。それが「億年」という、宇宙を思わせるような表現によって深みを増し、更に「にぶいひかり」は宇宙の星を思わせるような輝きを表し、そして最後に「もやの中」に戻ってくる。今までの宇宙の光景は夢だったのか、とはっとさせられるような。そういう視野の展開と収束、それがうまく凝縮されています。このたった6行の詩の中に。更にこの詩の特徴として挙げられるのが全ての文末にある読点。これによって、文全てに余韻が残ります。句点では飽き足らない長さの、静かな余韻。またこの読点によって、読者は無意識的に、さらっと読み飛ばすことが出来なくなっています。短い詩だからこそ出来る手法です(これがもし長い詩だったら、途中で疲れてしまいます)。そうすることでこの詩の深みが更に増している。余韻で言えば、最初にあげた倒置法も余韻のひとつです。「もやのなかに。」という、まるで先がまだ続くように思わせる最後。つまり詩全体に、余韻の手法がふんだんに使われているんです。・・・段々凄いと思ってきましたか?(笑)解釈は続きます。最初、『雨に濡れて。/独り。』とありますが、これは勿論、文全体からしても独りでいるのはその「石」のことです。でもこれは多分、石を見ている筆者自身も表しているんです。雨の中に独り、傘をさした筆者がぽつんと立っている。そこにひとつの石がある。いえ、「ある」んじゃなくてそこに「ゐる」んです。つまり筆者はこの時点で、同じ雨の中にいる者として「石」を見てるんですね。石を擬人化することで、既にただの石ころではなくなっています。で、その石に思いをはせてみると、億年の年月をそこにはらんでいる。にぶいひかり、これは宇宙の星の光でもあり、「もやのなかに」いる石の光でもあります。つまり宇宙の星の光と石の光が重なることで筆者は現実にかえるんです。その筆者の目線を通して読者は詩を味わう。・・・嗚呼凄い。それにほら、この詩の文は倒置ですけど、「石がゐる。」以外はすべて「石がゐる。」にかかる修飾文なんです。読点を使って6文にしてますが、実は文としてはたった1文。全ては「石がゐる。」、ただその一点に終結するように作られています。・・・凄すぎる。解釈はこんなところです。たった6行ですが、授業中にこんだけ考えさせられて、最初しばらく授業聞いてませんでした(笑)。いやーもー凄いなあ。「古池や~」の俳句に似てる感じ。なんか詩が読みたくなってきた。なんか図書館で借りようかな。
2005年06月14日
閲覧総数 4356