Win the Dirby

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エルコンドルパサー


牝系にThong(孫にNureyev、曾孫にSadler's Wells)がいる良血を買われ、Nothern Dancerの18.75%の血量(奇跡の血量)を使い誕生した名馬エルコンドルパサー。
馬名の由来はオーナーが好きだったサイモン&ガーファンクルの名曲「コンドルは飛んでいく」から。
Montjewが勝った凱旋門賞の2着馬で、その時のフランスのメディアが「あの時の凱旋門賞の勝ち馬は2頭いた」と言ったのは有名な話。

新馬戦は一番人気も後の名馬としてはあまり人気が無い方でした。
しかし2着との着差は7馬身、3着以下は更に大差という快勝をし、続く500万下、共同通信杯とも圧勝しました。
NZTも快勝後、NHKマイルカップでは無敗のクリスタルC馬トキオパーフェクトを抑え圧倒的な一番人気・・そしてこれも圧勝してしまいます。

そして放牧空けの毎日王冠。
自分はあまり昔のレースは知らないですが、恐らく史上最高メンバーのG2レースだと思います。
快速サイレンススズカ、骨折明けで後のグランプリ3連覇の同期グラスワンダー・・
この時手綱を握っていた的場騎手は、無敗の2歳王者グラスワンダーに乗り換えエルコンドルパサーは蛯名騎手に乗り替わります。
さすがにサイレンススズカには敗れたもののグラスワンダーには先着するという偉業を成し遂げました、そしてこれが国内で負ける最初で最後のレースでもありました。

さて、毎日王冠の次走ですがエルコンドルパサーの陣営は迷っていました。
マイルCSに出れば王者タイキシャトルとぶつかりあってしまう、JCは距離が長い・・・
長い悩みの末ジャパンカップに出走することに決めました。
距離の不安もあってか当レースは3番人気(一番人気はスペシャルウィーク)でレースに臨みます、が。
中段やや前の方に位置付けたエルコンドルパサー&蛯名Jは直線に入ると徐々に抜け出し、後方からの追随を許さず勝ってしまいます。

ここで陣営は海外遠征を視野に入れました。
表上の目標は凱旋門賞でしたが、実は陣営はこの馬の実力では凱旋門まで滞在できるかなぁ、なんて話していたそうです。
そんなこんなで海外緒戦のイスパーン賞でクロコルージュの2着と善戦、調教師の薦めで出走したサンクルー大章典で、英愛両ダービーの実績があるドリームウェルらを破り海外初G1を手にします。
凱旋門の前哨戦、フォワ賞はたった3頭立てのレースでしたがイスパーンで負けたクロコルージュを破ります。
しかしこの時、ボルジアに差された後、直線でぎりぎり差し返すというちょっぴり危ないレースとなりました。

そして凱旋門賞。
この日のレース当日、同じロンシャン競馬場で行われたスプリントレースのアベイドロンシャン賞で日本から遠征したアグネスワールドが勝ち、エルコンドルパサーへの注目も大きくなってました。
レース当日のロンシャン競馬場の馬場はすぐに見て分かるほど不良の状態。
エルコンドルパサーの陣営は先行策をとりました。
直線で先頭に踊り出て逃げるエルコンドルパサー・・
残り300m、200m、100m・・その時後方から一頭の馬が日本の夢を打ち破るかのように飛んできました。
後にジャパンカップに出走しスペシャルウィークに敗れてしまうMontjew(モンジュー)です。
ゴール板のあとわずか前で交わしたMontjew・・日本の夢がまた遠い日に変わる一瞬でした・・

その後エルコンドルパサーはケガで引退、種牡馬入りすることになります。
しかし間もなく腸捻転を発症、今年の3歳馬を最後に死亡してしまいました。


・・・今でもよくスペシャルウィーク、テイエムオペラオー、グラスワンダーと比較されてしまいますが自分はこの馬が一番だと思っています。
スピードシンボリ、マンハッタンカフェ、タップダンスシチーが挑んだ凱旋門という大きなレース、そのレースで日本馬最高記録である2着という偉業を成し遂げた馬ですから。


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