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山の上にはもう白い雪が降っています。といってもこれはもう約一カ月前の写真。今はもう真っ白でしょうね。有料道路レインボウラインを走って、ようやく三方五湖に着きました。これから200mをケーブルカーで山頂公園へ登ります。毎度ながら苦手です。なるべく下を見ないようにしています^^;;;。五湖はいっぺんにはみえません。間の仕切りが太い天の橋立に見えてしまいます。この三方五湖は日本海に近い一つ以外は沈降によってできた陥没湖のようです。太い橋立は山の尾根ですね。日本海に近い一か所は砂州が伸びて小さな湾が閉じたようです。こちらは外海、つまり日本海です。拡大すると、こんな感じです。帰りのケーブルカーを横から。なんだかおもちゃみたいですね。帰りは他の方々は一人のりリフトでしたが、私たちだけケーブルカーです。情けないのですが高所恐怖はどうにもなりません。降りる途中の景色です。天気が良くて最高でした。ここも今頃は真っ白なんでしょう。ネットからの引用です。ラムサール条約もすごいですが、もっとすごい場所らしいです。ーーーーーーーーーーーーーーーーー三方五湖の一つ水月湖の湖底土から、気候変動が8万年~10万年前の状況が分かるそうです。水月湖には直接流れ込む河川がないため、湖底周辺の地形も急斜面も浅瀬もなく、波や洪水などで湖底土が乱されず積もったままの状態で保存されているとのことです。※水深が34m湖底71.5m 約100m掘り進めた調査積もった土は1年に一枚の縞模様があるそうです。それで雨が多かった年であるとか過去に起こった大地震の状況も判明する。現在 大地震は2500年に1回という数字が考えられるそうです。イギリス、ニューカッスル大学地理学教室助教授 中川毅ーーーーーーーーーーーーーーーーーこの過去の地震の記憶も太平洋側の津波の記録と関連させてもっと研究してほしいですね。
2012年12月26日
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閑話休題かわいいにゃんにゃん。二匹が寄り添っています。この二匹、ここに到着後の夕方も、翌朝も寄り添っていました。どんな関係かはわかりませんが、仲睦まじきことは良きことかなですね^^。で、この場所、海岸です。海は、かの有名なエーゲ海です。といっても国はトルコですが^^。
2012年12月25日
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「三方五湖」へいく途中、バスの中で頂いたお弁当が「焼き鯖寿司」。そういえば美山かやぶきの里と経由して宮津までは「鯖街道」といわれますね。知らない人は昔からの郷土料理と思うでしょうが、実は2000年に福井県三国町で開発された新しいヒット商品だそうです。富山の「鱒の寿司」も好きですが、此方も美味しいです。
2012年12月23日
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天橋立の後は、舞鶴経由で、三方五胡へ向かうのですが、なぜかここはアルファベットの「o」=「オー」が頭文字となる地名が多いのです。最初は「大江山」、地質学では有名です。「大江山オフィオライト」昔の海洋プレートのかけらが山になっています。早い話が蛇紋岩が多い山ですね。「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」母、和泉式部の代筆じゃあないよという主張で有名な歌です。まだ山はガスが出てきたりします。次は今反原発で有名ですよね。「大飯町」です。活断層議論があちこちで火を吹いています。破砕帯を伴っていれば、ほぼ活断層ではないでしょうか。そうはいっても日本中たくさんの活断層があります。平気でその上にビルが建っているところもあります。動かなければただの地層です。それにかつての活断層定義と今では違うので、当時は活断層でなかったものが今は活断層になってしまう、これって法律的に問題ありですよね。なんて書くと、叱られそうです。でもね、東北日本の応力状態は東日本大震災によってかわりました。以前は強い圧縮場でしたが、今はそうではないようです。すると、活断層の危険性も変わってくると思います。さらに、見事再選された大統領といえば、「小浜大統領」じゃなくオバマ大統領。ということで、小浜市です。個人的には好きな大統領です。アメリカが沈没すると、日本も沈没しますので頑張ってほしいです。
2012年12月22日
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ついに着きました。日本三景「天の橋立」です。といっても、神社の中にあるケ-ブルカ-で笠松公園の高台に上らないと見えません。そして、このケ-ブルカ-代はなんとオプションで別料金。せっかくここまできて、下の橋の部分(砂洲)を歩くだけっていう方はあまりいないでしょう。これがケ-ブルカ-。数分で上に上がります。最初に乗ったときには床が斜め下になっていましたが、上ると次第に勾配が急になってちょうどよく水平になります。結構急です。ここが上ったところです。見事に晴れ渡っています。この時期、こんなに見事に晴れるのはめったにないと売店の方もおっしゃっていました。日ごろの行いがよいからでしょうか?単なる偶然でしょうか?これがよく見る眺めですね。まるで絵葉書と同じです。砂洲の左側は内海で阿蘇海と言うそうです。天皇陛下がここの風景の説明を受けたときに、「あそかい」と言ったとか言わないとか。そこで説明した方がプっと吹いたらさぞかし面白かったでしょうが。ここはいわゆる「股覗き」が有名。覗くための手すりが着いた場所もちゃんとありました。実際に「股覗き」をしてカメラで撮影したものです。こうすると、「天の橋立」という言葉の意味がよくわかるっていうものですね。というのはうそで、本当はイザナギのミコトが天にいる大神に会いにいくために作られたはしごだそうです。天の橋立=「天のはしご」というわけです。それが倒れて、現在ここにあるというわけ。それにしても美しいです。これで、日本三景、「松島」、「安岐の宮島」、そしてこの「天の橋立」すべて見ました。どこも情緒豊かな和の風景がすばらしいですね。江戸時代から日本三景という言葉はあったそうです。ここは日本三大松原にもなっているとか。砂洲が減ってしまわないように、砂防処置が施されているようです。放置すると、海の橋立になってしまうらしいです^^;;;。ケ-ブルカ-、帰りのほうが怖いです。さらに、日本三景を雪月花にたとえて、「雪」は「天橋立」、「月」は「松島」、「花」は紅葉を花に見立てて「宮島」だとか。年の瀬の「天の橋立」はもう雪景色でしょう。それも幻想的で美しいのでは・・・。
2012年12月22日
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朝霧がかかるホテルを出て、天の橋立をちょっと越えてバスは進みます。空から雨の代わりにまるで雲がまるごと地上に降ってきたかのよう。天気予報では雨曇りだったのですが、うれしい誤算です。海はガスっていますが、なんだか期待できそうです。ようやく到着したのが、湾に沿って並んでいる伊根の舟屋。といっても高台から見るだけ^^;;;。肉眼では何とか見えるのですが、コンパクトカメラではガスっているのも手伝い、厳しいです。拡大しました。もっと拡大しました。早い話が、家が海に面していて、車庫ならぬ舟庫が家の一階についている構造ですね。小さな舟で漁業するにはとっても便利な造りです。確かNHKの朝の連ドラの舞台にもなったような・・・。ここはこのようにガスっていましたが、次に向かう日本三景は!!!???なんだか日本晴れの予感が?^^?^^?
2012年12月22日
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日本三大「かやぶきの里」といえば、福島県の「大内宿」、岐阜県の「白川郷」そして、ここ「京都美山町」ですね。ようやく全部訪れました。といってもどれも副産物。大内塾は「塔のへつり」が目的、白川郷は「高山、郡上八幡」の帰りに、そしてここは「京都と天の橋立の間」です。ここは屋根の上にのっかっているものが特徴ですね。なかなか絵になります。屋根に生えた苔の色が素敵です。この時期の「紫式部」も素晴らしいですね。そとは寒いです。そろそろ暗くなってきました。写真には写っていませんが、山の一部は白くなっているんです。もう日本海が近いんですね。
2012年12月19日
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トロッコ嵐山野駅で待っていると、やってきました、トロッコ列車が。といってもトロッコになってるのは後だけ。この季節トロッコは寒いです。紅葉の中を列車は走ります。数年前に来た時は夏の時を思い出しました。下には保津峡下りの船が見えますね。橋の上で止まっています。私の大好きな石がゴロゴロ(^^)。河原に降りて見たい気分です。終着駅「トロッコ亀岡」に到着。ここから京都を離れて、北に向かいます。さてどこに行くのでしょうか?
2012年12月19日
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川に鵜がいます。野生なんでしょうか。ここは嵐山。紅葉の名所。いつ見ても渡月橋は絵になりますね。橋を渡ると法輪寺、でも渡らず、近くのお土産屋さんで、京都土産を物色、実家に宅配手配です。これですっかり時間を費やしてしまったので、後は、渡月橋の延長の道を天竜寺方面に向かって進みました。天竜寺も越えてから左折、天竜寺の北門を左手に見ながら、さらに進むと、ここはもう「嵯峨野の竹林の小道」です。人通りが多かったのですが、それでも、ここも京都中の京都。素敵な道です。何年ぶりでしょう。ここを上って右折すると、トロッコ嵐山駅が見えてきます。
2012年12月19日
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伏見稲荷さんから今度は洛北へ一気にのぼっていきます。途中、歌舞伎の宣伝が目につきました。南座では顔見せ興行をやっていました。ちらっと見えたのですが写真には撮りきれませんでした。このすぐ後に、中村勘三郎さんが亡くなられたのです。さて、実相院は「床もみじ」が有名。でもそれは写真厳禁。見張り番の女性がいて、カメラを向けただけでピリピリ文句を言われました。床に写りこんだ紅葉です。大したもんじゃないです。しかたがないから直に紅葉を映しましたが、これもたいしたもんじゃないです。それよりこの庭の中央にいる青サギ君が見えますか?じっと何かを見つめています。その後トイレの方に行ったら、後ろで歓声が上がりました。ふと見ると、口に魚をくわえて飛び立っていきました。池の魚を狙っていたのですね。大勢の人が見ていても一心に獲物を狙う真剣さが見事です。紅葉にうつつを抜かしているのは人間様だけです。普通の生き物は明日の命のために毎日必死で餌をさがしてます。時間がないので、私たちのお昼のエサはお弁当^^。これから嵐山に向かうバスの中で頂きます。
2012年12月17日
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千本鳥居で有名な伏見稲荷です。いかにも京都中の京都という大好きな風景です。とくに緑の中の朱色は補色関係もあり、際立って刺激的です。その朱色の門が奥行きをもって連なる景色はどこか非日常の雰囲気を醸し出していますね。ちょうどこの分岐点で、外人さんが、カメラを鳥居に向けながら、どうやら自分も写真を撮ってもらいたい雰囲気が感じられましたので、逆にこちらが写真をたのんで撮ってもらいました。もちろんそのお返しに撮ってあげました。皆さん、ここで写真撮りたいですよね。この鳥居の先には「おもかる石」という石が置いてあります。この石を願い事をしてから持ち、思っていたより軽ければ願いはかない、予想より重ければ願いはなかなかかなわない。そういう言い伝えがあるそうです。私は予想より少し軽かったような。こちらはお狐様スタイル良いですね。願い事の絵馬の代わりにきつめ面ですか。どこかひょうきんでユーモラスですね。お稲荷さんもここは三角形で独特です。このあと駐車場で待機しているバスに戻るのですが、かなり距離があるのです。10分の時間を想定していましたが、なんと踏切2か所もあり、その両方でしまってしまい、5分の遅刻をしてしまいました。しかも私は戻り道を忘れてしまい、相棒がわかっていたから何とか戻れたのです。私たちが最後でクレームかなとおもったら、さらに25分ほど遅れた方がいました。どうやら迷子になったようです。ひょっとしてお狐様につままれたのかも^^。戻ってから添乗員さんが何度も繰り返して文句をお客全員に話していました。バスの中の私たちは、何もそこまでいうことないだろうに、そう思いちょっとしらっとしてしまいました。というのも、駐車場まで遠すぎるのだって一つの原因であるからです。つまり、添乗員の集合場所の設定も不適正、私にはそう思えました。しかも遅れた人は故意ではありません。遅れた年配のお二人はこの後面白くない旅行になっただろうなあと気の毒です。(最後でなく2番目でよかったなあ^^;;;)
2012年12月13日
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ということで、今夜は大阪、堺での宿泊です。アゴーラ・リジェンシーとかいうホテルです。部屋から見た大阪の夜景です。此方はもうすぐ夜明けです。この空の下で、大阪維新の会が日本維新の会となり、政治革命を起こすかのような前宣伝に、一部のマスコミは過剰な期待感を示していましたが、次第にト-ンが下がり、石原前都知事と組み出したころから、何やら支離滅裂の現実路線へ舵を切ったようです。この手の野合は、未来の党と小沢一派との野合と好対象ですね。同じ位みっともないということです。消費税の地方税化とかいっていますが、人口の少ない地方は切捨てのように見えます。そうならない方法もあるということですが、具体的な説明がありません。もしうまい分配方法があるんなら、示せますよね。で、そのほかの政策提言はぱっとしません。石原さんを党首にしたなら、党首たるもの尖閣問題に火をつけた責任を認めていただきたいと思います。どうせ認めないでしょうが=政治家としての資質なし。ということで、大阪市長をきちんと無難に任期務めてほしいと思います。
2012年12月13日
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清水寺で体が冷えたので、途中の坂をちょっとわきに入って、湯豆腐「順正」という聞いたことのあるお店に入ってみました。そこで湯豆腐と豆腐づくしのようなセットを注文しました。結構おなかいっぱいになってしまいました。黒ゴマたこ焼きが余計でした。^^;;;体もすっかり温まりました。もちろんアルコール効果もありますがね(^^)。ここから大阪までバスです。京都が混んでいるからといっても、大阪はちょっと遠いです。
2012年12月11日
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バスは清水寺へ向かう坂の途中の駐車場で待機。有名な七味トウガラシ屋さんの近くです。ここからはもう少しです。それにしてもすごいひと、旅行はフリーの方が良いけれど、この時ばかりは団体で良かったです。道の左側にはフリーの方が長い行列で並んでほとんど動いていません。私たちはチケット入手済みなので、普通に進んでいけます。さて、この後は、またボケボケ写真のオンパレードで恐縮ですが、皆さまの目で都合よく補正いただき、ライトアップを頭の中でお楽しみいただければ幸いです。私自身は昼の方がずっと好きですが、、、。まずこれが入口です。光が夜の空に向けて発しています。聞くと、西方浄土へ向けて発しているそうです^^。舞台にたどり着き、なんとか京都タワーを撮りました。京都タワーは灯台なのか、ろうそくなのか?どっちなんでしょうね。正面には五重塔?が見えています。これも私は昼の方がはるかに好きですが・・・。道は二手に分かれています人ごみの苦手な私たちはショートカットする階段側を選びました。階段で舞台の柱を右手に見ながら降ります。下に降りて、六花亭のところで塔を見上げると、、美しいですね。京都に来た実感がわいてきました。今度は桜の時期に来たいです。今は寒いです。
2012年12月09日
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バスは再び名神高速を走り、栗東、草津、大津、そして京都は山科に入ってきました。京都はちょうど2年ぶり。さらに東山をくぐり、三条通りに出てきました。ふと右手に目をやると、平安神宮の大鳥居が見えました。思わずシャッターをおしたのですが、ボケボケ。京都の石不思議展に来ていたころ、よくこの辺りを通りました。懐かしいです。それにしてもボケボケで目に悪いですね。南禅寺に到着。大きなお寺ですよね。もう少し暗くなっています。雨も降ってきました。南禅寺から歩いて湯豆腐屋界隈をとおりすぎ、哲学の道に到着。さらに歩いて、きれいな紅葉のところで写真。ここで、戻りました。何度か来たこの道、本当に懐かしいです。戻り道で黒ゴマたこ焼きを頂きました。たこが小さい割に値段高めでしたが、体が温まりました。このあと清水寺のライトアップへ。この南禅寺から清水寺までバスで1時間もかかるとは・・・。
2012年12月09日
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康安元年(1361)、近江国の領守佐々木氏頼が、この地に伽藍を建て、寂室元光禅師を迎えて開山され、瑞石山永源寺と号した。とはネット情報ですが、本当に歴史ある大本山です。鈴鹿山脈に発する愛知川にかかる橋を渡り、石段をのぼると、十六羅漢像が出迎えてくれます。写真でわかりますか?左中ほどです。露頭を直接彫ったようです。素朴ですが素晴らしいです。さらに進むと、山間の紅葉が見事です。どっしりとした茅葺の本殿もりっぱです。苔むした庭に紅葉がちりばめられて兼六園のようです。これぞ日本の美ですね。
2012年12月09日
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多賀大社は民家を縫うように狭い道を抜けたところにありました。でも、ここは、かの伊勢神宮の親に当たる由緒正しい立派な神社だそうです。りっぱな鳥居を抜けると、立派なお社が出迎えます。多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社です。「イザナギノミコト」と「イザナミノミコト」の2柱をまつっていたので、その子である「アマテラスオオミカミ」をまつってある伊勢神宮の親というわけですね。古くから「お多賀さん」として親しまれたそうです。 道に出ているお店で、小さなボトル入りの日本酒を購入し、京都への道すがら、バスの中で相棒とちびりちびり味わいました。おっとその前に永源寺に立ち寄りました。ここもなかなかのお寺ですが、それは次回に
2012年12月09日
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今回、京都、天の橋立、三方五湖などを巡るツアーに参加しました。最初に訪れたところが、滋賀県の北東に位置する渡岸寺です。ここには日本で一番美しいといわれる国宝十一面観音像があります。あいにくの雨の中、閑散とした庭を通り抜け、収蔵されている観音堂に入ると、それはありました。写真撮影禁止なので、解説はここをご参照ください。貞観時代ということは、東日本大震災に匹敵する貞観津波が来た時代、さらに天然痘が流行して大変な時代に、この観音様が民衆を救済するために降りてきたということでしょうか。もともとは金箔で覆われて金色に輝いていたそうです。今はそれもはがれて、下塗りの漆の黒い色が見えていますが、それもまた渋くて悪くはないですね。左手には人々に差し出す水差しをもち、異常に長い右手は救済の手を差し伸べるお姿だそうです。それにしても、美しい曲線美、なんだか艶っぽい雰囲気すらありますね。今から1200年も前のヒノキ一刀彫。微妙な動きのある絶妙のバランスが実にすばらしいです。戦国時代の愚かな戦で焼き討ちにあい焼失した歴史ある建物、村人が必死に埋めて隠した観音像、何が大切かを知っていたのは領主ではなく農民でした。庭の紅葉もかなり落葉して地面を赤く染めていました。お堂を出ると、さきほどまで降っていた雨はやみ、空には青空がのぞいていました。これも観音様のパワーでしょうか^^。
2012年12月09日
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再掲です。-------------今土壌汚染の悪役となっているセシウムです。でもこのセシウム、あまり聞きなれない元素ですね。それもそのはず、鉱物構成元素ではめったにおめにかかりません。そのうちの2種だけ紹介しておきます。ひとつは、ポル-サイト(ポルックス石)です。石英とかたさも色も似ていて見分けが難しい石です。しかも日本では殆ど産出されません。リチウムペグマタイトが主たる産地です。これまで、茨城県妙見山、福岡県長垂の2箇所でみつかっています。私の持っている妙見山標本中のどれかに共生しているかも知れないのですが、識別困難なので、わかりません。むかしはセシウムはリチア雲母のリチウムの副成分として得られていましたが、現在はカナダのポル-サイト鉱山からかなりの量が得られるようです。精製するとセシウム単体=金属セシウムが出来ますが、アルカリ金属の最右翼であり極めて反応性が高く、例の金属ナトリウムよりもカリウムよりも強烈だとか。もうひとつは、宝石です。マダガスカルで発見されたラズベリル。セシウムベリルともいわれました。今ではペツォッタイトといいます。ばら色というかラズベリ-のような色合い。ベリルとついていますが、厳密にはベリルとは結晶構造が違います。そういえば2004年ごろの新宿ミネラルフェアで入った正面に陣取ったフランスの業者がラズベリルをだしていまして、写真を撮らせてもらった記憶があります。結晶は六角板状でアクアマリンの一部が近い形状ですが、やはり独特です。マダガスカルでは1,2ポケットだけからの産出といわれ、絶産となったのかなと思っていましたが、最近の情報では、アフガニスタン、パキスタン、ミャンマ-などで産地が見つかったという話です。(信頼性は不明ですが)上記の産地はリチウムリッチなペグマタイト産地が多数並んでいる地域だから、リチウムとなぜか仲がよいセシウム、ありうる話だと思います。別件ですが、お茶はセシウムをよく吸収するそうです。それだからでしょうか。広い範囲で汚染されていますよね。私の体にも幾分か入ってしまっているのでしょう。早く出て行ってほしいです。内部被爆でもセシウム137のようにガンマ-線を出す核種なら、それほどではないともいえますが、べ-タ線を出すストロンチウム90やアルファ線を出すプルトニウム239などの核種はたいへん危険です。世の中には放射能鉱物マニアもいるのですが、たとえばピッチブレンド(ウラン鉱石)などの粉末が呼気とともに肺に入るとやばいです。------------------------------
2012年12月08日
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政治家がいかに言葉だけかということが分かるニュースです。引用します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇脱原発を巡る橋下氏の発言の変遷◇(4月24日)電力供給体制の改革をやる。可及的速やかに原発廃止という文言に集約しないと政治的なエネルギーが生まれない。(8月9日)電気料金はそんなに問題にならない。2030年原発ゼロに向け、道筋を見せれば絶対いける。(10月24日)安全性は当然だが、国を強くするために原発依存度を下げる。2030年代ゼロの方向性を目指すべきだ。(11月18日)原発稼働のルールを再確立し、電力市場を自由化すれば、結果として新しい電力供給体制に転換する。原発ゼロを打ち出すことが問題ではない。(11月24日)脱原発と言っている人はどういうプロセスでやるのか。選択肢ができてないのに2030年代ゼロなんて言えない。スローガンだけでは実現できない。ーーーーーーーーーーーーーーニュースからの引用を終わります。政治家の基本政策に対する発言ってこんなに朝令暮改に変わって良いものでしょうか。今日訴えている言葉が明日どうなるかわかりません。これと同じことが他の政策についても言えます。実現の目途のない政策は所詮ポピュリズムの産物です。未来の党などの脱原発政党はいずれも言葉だけです。独自の考えを持っているようには聞こえません。これからの電力会社からの大幅値上げに、どういう対策が打てるのでしょうか。それとも値上げは仕方がないという覚悟はあるのでしょうか?放射能廃棄物が怖い、未来に対するお荷物、その通りです。誰でも早く原発に頼らなくてもよい社会がほしいと思います。だけど霞を食べて生きてはいけません。この折り合いをどうつけるか、これが肝です。それを語らない政党は全て選挙の票が目当てですね。もう民主党でみんな学習したはずです。
2012年11月24日
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すっかり夢の中でした。来た道を戻り、電車に乗って、デイスニーランド側に戻って、送迎バスに乗ってから、ふと気がつきました。マフラーがありません。頭の中で逆再生してみると、最後から2何目のショーを夕食後に見たときに、石の上にマフラーを乗せて、その上に腰かけたのですが、それっきりでした。大事なマフラーなのです。当夜はもうどうしようもないので、翌日、会社からこっそり電話をかけて、遺失物センターに事情と遺失物の特徴を申し伝えました。すると、「該当するものが届いております。」とのありがたいご返事。着払いで届けていただけませんかとお願いしたら、郵便で届けられるので郵送料は不要ですとのこと。ひたすら携帯をかけながらお辞儀をしていました。さすがデイズニーです。震災の時の対応でも名をあげましたが、やはり対応が違います。だから私もうれしくてついついここでも書いてしまいます。たかが毛糸のマフラーではありますが、もうぼろぼろでもありますが、学生時代から愛用していた、愛着のものなので、値段ではない価値があります。他にそういう長く手元にあるものはもう一つもありません。3日後に、郵便受けにちゃんとはいっていました。感謝!これだもの、また行きたくなりますよね。
2012年11月24日
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本日最後のショーです。きれいですね。夢があふれています。子供のころに戻ったような気持ちです。美しすぎます。ショーが終わって、お土産ショップをのぞきました。どこもかしこも美しい世界です。現実世界もこうだったらよいのに。ありがとうデイズニーシー!しかし、現実は厳しいものがありますね。今夜もニュースで、新潟市が岩手県からのがれきの焼却処理を一旦受け入れておきながら一部の市民の猛反対にあい、返却となったそうな。またかという思いです。自分たちが逆の立場だったら、そういう態度をされてどう感じるのか、ほんの少しの想像力さえあれば、わかりそうなものを。燃やしたって問題ないから引き受けているものを危険だという妄想に取りつかれて反対している。・・・自分だけ良ければよい、そういう人たちが多すぎますね。
2012年11月24日
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今度はマーメイドのエリアに来ました。湖の前でイケメンの外人さんと記念撮影をしています。白雪姫のお相手でしょうか。私たちもずーずーしく撮ってもらいました。中に入ると、地底の世界がひろがっていました。すごく幻想的です。ここでしばらく待って、人魚姫の演劇を見ました。空中遊泳のようで、なかなかファンタジックで素敵でした。外に出るともう暗くなっていて、外も幻想的です。また海でショーが始まりました。この球形のスクリーンは巨大な風船です。ショーが終わり、夜の街をお散歩。アメリカの蒸気船野前です。なかにはレストランが入っています。先に入口近くのお店で頂いたのですが、此方の方がよかったな。夜はまだこれからですね。
2012年11月23日
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キャラクター達があちらこちらにいます。海ではまたショーが始まりました。船の中心がせりあがってきました。すごいですね。ただ空模様がちょっとあやしいです。そろそろこちらのファストパスの時間です。マジックシアターです。中では例のメガネをかけて、3D映像で大迫力、とても面白かったです。初めての体験でした。本当に目の前にでてくるのですね。そのあとで、相棒のご要望によりメリーゴーランドに乗りました。相棒大喜び。私もすっかり子供気分になり、ストレスが抜けた気分です。
2012年11月23日
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ジャズの演奏の座席を抽選で決まるというので、行列にならんだのですが結果だめ。戻って海側を見ると、デイズニーキャラクターがお迎えです。船にもたくさんのキャラクター達が乗っています。楽しいショーです。ショーが終わってふと陸側を見ると、ベネツィアに迷い込んだかのような風景が。なんだかお安く海外旅行している気分がほんの少しします。周りの人が外国人なら気分ももっともりあがるのですが・・・。ストームライダーは動く椅子にすわり、匂い、音響、水しぶきで臨場感を盛り上げるしくみ。ストーム(嵐)の中に進む飛行物体の中を再現していて、大迫力です。写真はこれからはじまるところ。撮影は不許可でした。まるで飛行機が海に落ちるようで恐怖を味わえます。恐怖苦手な私は半分くらい目をつぶってしまいました。今度はプロメテオ火山の裏側に来ています。下に見えるのが海底ニ万マイルのノーチラス号ですね。らせん階段を下っていくます。この海底二万マイルもファストパスでほとんど並ばずに入れました。なんだか閉所恐怖症の私はこういう空間が苦手です。海底では変な生き物がうごめいています。なんだかんだと楽しいです♪。
2012年11月23日
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相棒が以前から行きたいといっていた、デイズニ-シ-へとうとう行ってきました。中はもうクリスマスム-ド。若い方々、特に女性が多いのですが、中には結構高齢の方々もいらっしゃいました。デイズに-ランド側の入り口から入って、電車で移動してデイズニ-シ-側へむかいます。この電車、窓もつり革もミッキ-の姿です。入り口には音楽隊が出迎え。気分が高揚してきますね。入るとまず左側に進みました。まずはスト-ムライダ-のファストパスをゲットしなくては。ゲットしたので、時間調整でエレクトリックレ-ルに乗って戻りました。人が多いです。
2012年11月23日
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伊豆の帰り、東京駅構内でちょっと道草、丸の内出口をのぞいてみました。何人かが天井にカメラを向けています。そうなんです。東京駅リニュ-アルです。外側も立派に復元されましたが、内側の装飾も素敵です。東京のひとつの顔である東京駅が歴史の奥行きを携えて美しく復元されたこと、とっても喜ばしいことだと思います。ただ欲を言えば、ちょっと柱の軽金属的な光が軽い印象。私なら表面の一部に石を張るかも。この柱は中央構造線の紅簾石片岩、あちらは秩父蛇灰岩、その隣は飛騨片麻岩、さらに江丹別の藍閃石片岩、阿武隈石灰岩、・・。また余計なことを書いてしまいました。
2012年11月23日
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つくば市の産業総合研究所。地質標本館があります。この時期といえば、知る人ぞ知る有名スポット。美しいイチョウ並木が金色に輝きます。銀杏が金になるひと時ですね。足元も金色の絨毯。木によっては、ほら風に葉が飛んで、残った銀杏がびっしり。空を見上げると、青と黄色のコントラストが見事な秋の一日でした。実はこの青と黄はもちろん捕色関係ですが、自然界でも特徴的な色の組み合わせです。美しい青い石として古代から有名なラピスラズリ、この発色は黄色い硫黄によるものです。その硫黄が余って黄鉄鉱がよくラピスラズリには混ざっています。実はラピスラズリの日本名は青金石、そのまんまですね^^。金の薄膜をすかしてみると青緑色です。斜めに見ると反射するので金色です。これは補色関係そのものですね。ついでに、銀の薄膜の色はというと、理由はよくわからないのですが紫だそうです。銀と紫、なんだかスカイツリ-の色みたいですね。個人的にはスカイツリ-の色、地味すぎて変えてほしいと思っています。私自身の希望としては銀の相手としては赤がよいです。濃紅銀鉱とか淡紅銀鉱とかいう石があるのです。それはそれはきれいなのです。別名「ルビ-シルバ-」とも言われ、列記とした銀鉱石です。銀でないものなら辰砂、閃亜鉛鉱なども表面が銀色、内部が紅です。それはそれは美しいです。おっと、石の話はきりがないのでこの辺で。
2012年11月23日
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帰りはケチって踊り子号ではなく、普通列車にしました。アルファリゾ-ト21と言う名前の列車です。ホームに出て列車を見ると、普通列車なのに特急のような姿です。東京側の先頭は青い色の特急のような突き出たお顔。後ろのお顔は赤で、同じく突き出たイケメンです。写真はその途中の色です。赤と青が斜めに入っているのです。中に入ると、列の半分(山側)は2列の対向座席、(海側)は一列で座席が海側を向いていて、ご機嫌です。もちろん海側に陣取りました。両端の列車(写真は後端)は展望車になっています。先頭に近づくにつれ、座席の高さが低くなる、まるで映画館のようなつくりです。時間はかかりましたが、気分は特急、料金は普通。これって悪くないですね。
2012年11月11日
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爪木崎からバスで下田駅に戻ってから、石廊崎行に乗りました。石廊崎に行ったのは、会社に入ったころ、はるか昔のことです。何にも覚えて居りません。せいぜいバスから降りてどのくらいで灯台にたどり着いたか程度でした。バスから降りると、いったん降りてからのぼり坂が続きます。途中で土産物店があり、荷物をあづかるというので、お言葉に甘えました。こんなに長かったかなあと、頭の中で???が。荷物を持っていったら大変なところでした。途中きれいなハイビスカスの花が咲いていました。これは最初つつじ科とおもったのですが、どうやらキョウチクトウか、プルメリアの類では?花が見たいです。ようやく灯台にたどり着きました。帰りのバスの時間が迫っています。それを逃すと1時間以上ありません。この日は灯台を見学解放していましたので、中に入り、登ってみました。石廊崎灯台の上から見た、太平洋です。灯台の生命、ライトが回っていました。後で急いでバス停留所まで戻って、ドライバーに聞いたら、昔はもっと近くまでバスが走っていたそうです。おぼろげな記憶はまちがっていませんでした。景気が悪くなってから、バス停留所も手前までとなったのだとか。日本のどこもかしこも景気後退や高齢化などで色あせてきたようでさみしいですね。このままでは日本の国土は沈没しなくても、日本自身は沈没です。
2012年11月10日
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朝食前の散歩で港に入る船を発見。港にきたら、そこのロープを撮ってくれと言われ、渡しながら聞いたら、鰺などを40匹位獲ったとおっしゃってました。これが朝食。あっさりした典型的な日本食です。とても美味しくいただきました。朝、昨夜食べた伊勢海老の頭を半分に割って味噌汁に入れた、おいしい「いけんだ煮」をいただきました。頭のミソがだしとなって、これがまたおいしいのです。これは簡易的なものだそうですが、だしが濃厚です。その後須崎遊歩道を散策しました。この遊歩道は、須崎海岸から爪木崎までの約90分の道。海岸や山の中を歩く道で、上下もあり、結構かかりますが、場所によっては風光明媚です。ここも以前爪木崎まで歩いたことがあります。今回は時間がないので、片道30分程度で引き返すことにしました。海岸に降りられない場所は、断崖の上に登る道となるため、なかなか険しい道になっています。道端にはふきの一種ツワブキがたくさん自生していました。そういえば以前熱海に行ったときにもツワブキがたくさん咲いていました。ちょうど同じころです。この花が気に入って、自宅の庭にも植えたのです。伊豆の土壌にあっているのでしょう。その帰り道で、すこしル-トから入ったところに家が建っています。まるで素人が立てたような家です。そこに外人のような女性が立っていて、どうぞきてくださいとおっしゃっています。道を入っていくとだんなさんが出てきて、いろいろご説明。聞けば、最初は別荘として立てて、週末だけ着ていたそうです。それが今ではリタイヤして毎日こちらにいるのだそうです。いのししが出るので犬を飼っているのだとか。眺めがよいのでこの山の中にしたということで、確かにすばらしい眺めです。水や電気も最初はなかったのですが、引いてもらって、現在は使えるそうです。この写真に見える鳥、トンビだそうです。近くに巣を構えているそうで、ご主人が名前を付けて、呼んでいました。伊豆の須崎といえば、御用邸が有名ですね。でもここは、違う意味での御用邸です。ご夫婦お二人で住んでおられます。なかむつまじくて、幸せそうでした。どこでも愛する人といっしょに暮らせば都ですよね。写真はプライバシーにかかわるので撮りませんでした。遊歩道の途中の道案内表示です。その御用邸を後にして、道を引き返し、民宿に戻って、お礼と別れを言って民宿を後にしました。バスに乗って、駅に行こうかと思ったら、その前に爪木崎行きがくるようなので、それに乗りました。そのバスが結局再び須崎に来て駅に向かうのです。フリ-パスがあるので問題なし。乗るとお客さんも少なくて、爪木崎では運転手さんにいろいろ教えてもらいました。爪木崎は越前岬と並び、日本水仙の自生地として有名。その今の状態がこれです。少し芽が出てきているのがわかるでしょうか。そしてここが須崎の御用邸だと教えてもらったのが、この写真。須崎の御用邸の門です。ここから海岸の方に広大な敷地があるのでしょう。二つ目の御用邸です。
2012年11月10日
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民宿に戻ってくると、温泉が待っていました。民宿の小さなお風呂ではありますが、れっきとした天然温泉です。お湯は湧き出てくる源泉からのかけ流し。硫化水素臭はほとんどなかったのですが、体はとても温まりました。その後待ちわびた夕食です。一応、普通の一泊2食7400¥/人に対して、予約段階で伊勢海老一匹/人と舟盛りを一艘追加したのです。合計10000¥/人です。これが金目、平目、マグロ、サザエなどの入った舟盛りですが、器が舟でないのがちょっと残念。でもお刺身がとってもおいしかったので問題なしです。特に金目の刺身は、熱海で食べた味と同じ贅沢な味。こんなにたくさん、もったいないです。すこしいただくのがよいのに、多すぎます。伊勢えびも甘さが半端でないです。久しぶりに味わううまさは格別。ちょっとコレステロ-ルが心配ですが、魚中心だし、野菜もとっているので一日くらい大丈夫と言い訳三昧。他の料理もどれもとっても美味しくて大満足。途中からおなかがいっぱいになってきて、しばし牛さんごろね状態になりました。食べては牛になり、また食べて、おかげで食べ終わるのに2時間かかりました。幸せってこういうことだねと、相棒と納得の夕食でした。やっぱり伊豆は民宿ですね。
2012年11月10日
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近くに恵比寿島という小さな島があります。その昔にも来たことがあります。夕食前の腹ごなしというわけで、相棒を案内してお散歩と地質巡検をかねて出かけました。島には江ノ島のように橋がかかっていて、歩いて渡れます。島の周りには遊歩道が整備されていて、ぐるっと一周できます。島は過去の火山活動で噴き出した火山灰や軽石などが海底で地層になった白い壁の部分と、もうひとつ、地底で固まったと思われるやや黒い灰色のおそらく安山岩が崩れて海底で堆積した粗い地層の壁が見えておもしろいです。前者は海底火山の噴出物、後者は同じ海底火山のいわば本体。それらが出会ってここに見えています。白い壁です。縞模様がとてもきれいです。ここは崩れた砕屑岩がたまった場所です。玄武岩のような黒い石ではない安山岩っぽい石です。ここはその二つが混ざっているような場所ですね。固まったコンクリ-トが砕けて、再び固まった岩がこれです。白い岩が堆積して地層になってから、こわれてここに合体したという時間経過がわかります。多分このあたり一帯が同じような地質なのでしょう。プレートでいえば、フィリピン海プレートの北東端にあたります。長い時間を経て、コンクリ-トのように硬く固まっています。その周囲をせまい遊歩道がめぐっています。波が高い時には危険ですね。地層は傾斜していて、日本列島側に沈み込んでいるようです。遠くには利島が見えます。粗い波が島を削っているのがわかりますね。ひょっとしたら先ほどの砕屑岩もこのように崩れたのかもしれません。その周りの磯では釣り人がお魚さんと静かな格闘を繰り広げている時もあれば、磯遊びやシュノーケリングの場となる時もあれば、岩ノリ採取場の時もあるようです。秋の夕暮れは早いので、そろそろ宿に戻りました。宿の近くで見つけたのがこの石碑です。ここが日本の民宿発祥の地だったのです。
2012年11月10日
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サスケハナ号の近くの道の駅では「わさびもなか」をいただきました。ふうみがあって美味しかったです。その後再び駅に戻る道の途中で、「唐人お吉」の記念館があるお寺に立ち寄りました。「唐人お吉」とは、黒船に乗ってきたハリスの妾として、日本政府から差し出された一人の芸妓への揶揄を含めた呼び名ですね。ちょっとネットからその辺の事情を引用してみます。ーーーーーーーーーーーーお吉は本名を「斉藤きち」といい、天保12年11月10日、愛知県知多郡内海(うつみ)に、舟大工市兵衛の次女としてこの世に生をうけました。4歳のとき家族が下田に移り住み、14歳で芸妓(げいこ)となりました。新内明烏(しんないあけがらす)のお吉とうたわれるほどの評判と美貌でしたが、それが奉行所の目にとまるとこととなり、17歳の時、法外な年俸と引替に心ならずもアメリカ総領事タウンゼントハリスのもとへ侍妾(じしょう)として奉公にあがることとなります。その後は、幕末、維新の動乱の中、芸妓として流浪(るろう)の果てに下田にもどり、鶴松と暮らし髪結業(かみゆいぎょう)を始めますが、ほどなく離別。さらに小料理屋「安直楼」(あんちょくろう)を開業しますが、2年後に廃業しています。「唐人」という相も変わらぬ世間の罵声と嘲笑をあびながら貧困の中に身をもちくずし、明治24年3月27日の豪雨の夜、遂に川へ身を投げ、自らの命を絶ってしまいます。波瀾にみちた51年の生涯のあまりにも哀しい終幕でした。お吉は身よりもなく、宝福寺の第15代竹岡大乗住職が、慈愛の心で法名「釈貞観尼」(しゃくじょうかんに)を贈り、当時境内に厚く葬り、その後芸能人により新しく墓石も寄進され現在に至っています。お吉の悲劇的生涯は、人間の偏見と権力、その底にひそむ罪の可能性と愚かさを身をもって私達に教えているようです。ーーーーーーーーーーーーー歴史の大きなうねりの中で翻弄された一人の美女の悲しい物語ですね。残っている写真を見ると、確かに日本人離れした美貌です。お寺の中に、彼女のお墓がありました。団体客もきていまして、一緒に説明をきいていると、このお寺では、勝海舟や坂本竜馬なども来ていたようで、当時の下田の位置づけが分かるというものです。それからおいしいらーめんを食べて、東海バスで須崎海岸に向かいました。夜のために昼はあえて海鮮物は避けてます。着くと、むかしから変わりないような、なつかしいような風景がふんわりと出迎えてくれました。その民宿はおばさん一人で切り盛りしているようです。部屋は二階、何と二部屋貸切状態です。テレビは2台もあります^^。(続く)
2012年11月10日
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11月2,3と伊豆急下田へ「南伊豆のお得な切符」を使って行って来ました。この切符は東京都内から伊豆半島へ行く場合に、伊豆の指定されたフリ-エリアでは、鉄道と東海バスを自由に乗り継ぎできる便利な切符です。ただし特急料金、指定席料金は別途支払いです。旅館は下田の先にある須崎海岸の民宿です。須崎といえば、須崎の御用邸で有名ですよね。むかし、会社の係の慰労会で企画して泊まったのが最後。それから長~い期間を経て、伊豆のうまい魚貝類を口に入れたいと思っていて、ふとむかしを思い出し、その民宿があるのかネットで探してみたらあったのです。早速予約をしておきました。当初はス-パ-ビュ-踊り子を奮発の予定でしたが、相棒が早く行ったほうがよいと言い出し、朝予定より早くでかけたために、東京発の伊豆急下田行きを聞いたところ、ス-パ-ビュ-ではないただの踊り子号でした。でも時間は普通よりずっと早く着きました。東京9時発で下田着11時34分です。伊豆急は開通五十周年なんですね。熱海の沖合には初島がうかんでいます。さらに進むと、大島が見えてきます。下田に着きました。これが踊り子号です。着いたら、駅前で黒船「サスケハナ号」が出迎えです。ということで、下田観光はロープウエイはパスしてサスケハナ号の見にクルーズに乗ることにしました。着いてから、バスで港に移動し、相棒が好きなミニクル-ズで下田湾20分、帆船サスケハナ号でまわりました。とんびやカモメたちが、待ってましたとばかりにえさを求めて付いてきます。思わずカモメと目があってしまいました。その後再び駅に戻る道の途中、なまこ壁の民家が、やっぱり伊豆ですね。
2012年11月10日
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朝一番で朝食を頂きました。最初はまだ外が暗かったです。おいしいネクタリンにかぶりつきました。日本ではめったに口にできません。念のため、チェックアウトで空港行きのホームなど聞いてから、スーツケースをころがして駅へ向かいます。駅では日本人の若い学生がいました。聞くと、医学生のようで、一人旅とのこと。留学した経験があるので英語はok。なんでも親に旅行費を出してもらいこれたとのこと。裕福を絵にかいたようでした。まあ医者になったら苦労するのだから、今のうちに世間を見聞するのも良いことです。空港では、自動チェックインで、スーツケースにつけるタグまで出てきて、自分でつけるとのこと。勝手がわからず、係の人を待ってやってもらいました。若い彼は同じ便かと思っていたら違う便で、なおかつなんとビジネスクラス。かわいい子には旅をさせよ。でもわが子にはビジネスクラスで。これでは日本の将来はあやういです。このあと、ウイーンで降りて、成田行きに乗り換えて帰国です。お金が少し余ったので日本円に換金してもらったら、5000¥札しかないとのことで、1000¥札への換金はできずじまい。しかたないので、成田で残りを替えました。今回の旅行はフリーのような旅行だったので、色々大変な点もありましたが、人の親切にふれることができて、天気も良くて絶景にも恵まれて、楽しい旅行でした。
2012年11月05日
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昼食後、お店の方に国立歴史博物館へ行く方法について聞くと、歩いては20ほどかかるので、バスが良いとの助言。5#バスがこの先のバス停で来るからそれに乗ればよいとのことでした。それに従って、乗り場を探して待ったのですが、待てども5#バスが来ないのです。どうしたものかと思っていると、スイス人男性がこちらに近寄ってきて、どうされましたか?と聞いてくれました。事情を説明すると、スマホでいろいろ調べてくれて、最後には6#バスに一緒に乗ってドライバーに私達が降りる場所を話しているらしいのです、さらにその次に7#バスに乗ってひと駅、時刻は15:14に来ると、ものすごく親切に教えてくれるのです。これが7#バス。日本でさえ、バスって乗っていても今どこかが不安になります。ここでもスイスパスでフリーパス。お礼を言うと、どこから来たんですか?とのご質問。日本からだというと、私も一度行ってみたいというから、私は美しいスイスが大好きです、でも日本も美しい国ですよとつい答えてしまいました。何度もお辞儀をして別れました。旅先の情けはありがたく記憶に残るもの。パックツアーでは味わえないものです。「他人の事を我身のように気遣う」本来日本人の良い点とされてきたことのはずですが、それをここスイスで何度も味わいました。国立博物館には訪問客が多くなく、ゆったりとしていました。中には、かの有名なスイスの世界的数学者オイラーの肖像画もありました。というか、絵を見て、どこかで見た絵だなあ、ひょっとして、これオイラーの肖像画??と近づいてみて説明書きを見てわかりました。アインシュタインもスイス人ですが、オイラーもそうです。私の尊敬する世界の数人の中の二人です。だからですよね。そうでなければわかりません。そのわきで写真撮影。ーーーーーー脱線ですが、(興味のない方は読み飛ばしてください)オイラーは非常に多くの数学の業績をあげた方で、いわば天才中の天才。ガウスを数学の王様という人も多いのですが、私はオイラーこそ王様と呼ぶにふさわしいのではないかと思っています。eのiπ乗+1=0この式は超有名で、世界で一番単純で美しい式と言われますよね。自然対数の底e、円周率π、居数単位i、それにoと1だけでできている等式です。他にもオイラーの名前がつく公式や定理や数など山ほどあるのですが、後一つだけ言うならば、ちょっと難しいのですが、数学界では超有名な未解決問題であるリーマン予想に絡む、リーマンゼータ関数のオイラー積表示ですね~。(厳密にはその単純な場合なのですが)リーマンのゼータ関数は自然数のひとつの無限級数で表示されます。それが素数全てにわたる無限積でも表示されることを示している大変美しい式です。こういったことに興味がある方は調べてみると、汲めども尽きぬ底知れない深みが待っています。そういえばアインシュタインの一般相対性理論も、リーマン幾何学で時空を表現します。どちらも数学者リーマンにかかわっていたのですね。もっともオイラーはリーマンの生まれる前の人ですが。美しい風景が天才を生むとは、どこかで聞いた説です。この二人共に美しい真理を見出した天才ですが、それがスイスにうまれたというのも、この学説のとおりなのでしょうか。美しい式という言い方そのものがきざっぽくて、式に美しい美しくないなんてあるの?と相棒に言われます。でも私はスイスのアルプスが美しいのと同じような感動を美しい式をみると感じます。その理由も色々あるのですが、脱線はこの辺でおしまい。ーーーーーーーーーーーーーーーー帰りの道順を博物館の方にきくと、近くにロシア教会があるから立ち寄るとよいと教えてくれました。窓越しに向こうに塔が見えました。小さな教会ですが、塔の上部が金色に輝いてるのが印象的。実は博物館からもサン・ピエール大聖堂の緑の塔がみえたので、それを目指して歩けばよかったのです。なんだ、バスに乗らなくてもよかったというわけですが、それはやはり結果論。フリーならではの無駄というわけです。旧市街の中には昔からの泉があり、そこから湧き出る水は飲用と表示されていて、他にも汲んでいる人もいたので、開いたペットボトルに入れて飲んでみました。味は普通でした。あちらこちらにカフェがあります。大道芸人もパフォーマンスをしています。ホテルに戻り休憩後8:00過ぎに再度繰り出し、昨日と同じレストランで、ニース風サラダ(巨大)、ビーフステーキ、カルボナーラスパゲッテイを注文。飲み物は地ビール。ステーキに山ほどのポテトがついていて、なんだかなーでした。ホテルに戻ったのは10時過ぎ。スーツケースを整理し、入浴後、就寝。たくさん歩いた一日でした。明日は朝早く帰国です。
2012年11月05日
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そろそろ昼になり、1時出港のレマン湖1時間クルーズに乗るために旧市街を一旦でました。このクルーズもスイスパスでokだといわれ、ラッキー。日差しがとても強いので、サングラスをしていないとまぶしくて目をあけていられないほど。私は普通の人より紫外線や青い光に弱いので、サングラスは必携です。ちょうど台形のような形のコースを3か所途中で立ち寄って、元の場所に戻ってくる。これがローヌ川です。レマン湖から豊かな水量をフランスに運んでいます。これが乗る船。船から見たモンブラン橋です。最初に泊まった場所です。たくさん乗り込みます。湖の奥にむかって進みます。今度は反対側が岸辺です。天気も良くて、のんびり、最高です。日差しがつよくて、かなり日焼けしてしまったようです。降りてから、昨夜のレストラン街で、中華のお店(百事利)を見つけて入りました。中華どんと焼きそばをいただきました。庶民の私たちは肉料理よりもこういうほうが口に合ってます。スイスに住んで、毎食パン、チーズ、肉料理だと、飽きてもたれて大変だろうなと感じました。そういうのはたまにで良いです。とくに私は悪玉コレステロールが多いと指摘されていますので、野菜と魚料理が大事です。
2012年10月31日
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カフェで宗教改革者群像への道順をきいたのですが、よくわからなくなり、ちょうど通りかかった方にきいたら、親切に道案内してくれました。聞くと台湾人女子大生で、パリ大学在籍とのこと。ついでに写真まで撮っていただきました。同じ中国人といっても台湾の人は違いますね。その後近くの公園で、市民がチェスに講じている姿が・・・。平和の象徴のような風景です。その近くを見渡すと、朝来たジュネーブ大学が見えてきて、ようやく位置関係が理解できました。ということで、朝通り過ぎた博物館に立ち寄ってみました。中はひっそりしていましたが、とても美しい細密画が並んでいました。学芸員のような方が説明するには、昔写真がなかったころ、アルプスの美しい風景を人々に伝えるために描かれたのだとか。日本人は手先が世界で一番器用だとかいう話をかつてよくきいたものですが、そんなことは全然ないですよね。中国人の器用さもすごいとかつて思いましたが、スイス人の器用さだって半端じゃありません。こっそり写真を一枚だけとったので、写真がまずいので雰囲気のほんの一部しか伝わらないのが残念ですが、本当にすごいです。この絵もかなり大きいのです。号数でいうと100号以上。フランスのような街中楽器パフォーマンスも見かけました。ここはジュネーブ、フランスに囲まれたような町ですからね。こういう人たちがとても上手なのがすごいです。ややお年をめされた夫人も、きれいなワンピースを来て、さっそうと歩いています。高級ブランドを身につけているのでしょう。お金持っていそうですよね。
2012年10月29日
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スイスでの最後の観光の日です。朝ホテルを出て、駅の近くに来ると、老人が愛猫と一緒に名演奏を奏でています。といってもハンドルをまわしてるだけですが。彼女は名演奏代を支払っていました。フランスもイタリアもそうですが、こういう人たちが生きていける社会なんだなあと、うらやましくなります。ローヌ川を渡って、旧市街の中に入ります。それにしてもスイス人は国旗が大好きです。旧市街は立派な建物に囲まれています。素敵な路地です。まずはジュネーブ大学を目指して進み、それからサン・ピエール大聖堂に行きました。ここがサン・ピエール大聖堂。ジュネーブ旧市街の中心です。宗教改革の中心人物となったカルヴァンが25年間この大聖堂を中心に活動したとのこと。その後ジュネーブが、「プロテスタントのローマ」と呼ばれるようになった所以となったとか。中はこのように荘厳で美しい空間です。バラのようなステンドグラスがあちらこちらにあります。パリのノートルダム寺院やミラノのドオモなどのステンドグラスを連想します。外に出てみると、マラカイト色の尖塔が目立っています。これがどこからもよく見えてランドマークになっていることが後でわかりました。大聖堂の裏手にあるカフェです。ここで、私たちも一服です。こういうカフェが、異国情緒をくすぐってくれて大好きです。ウエイターさんに次に行く予定の宗教改革者像の場所を聞きました。
2012年10月29日
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ホテルに着くと、フロントの女性が何度も繰り返し説明してるという感じで、早口に部屋の場所、朝食案内、観光案内などをしてくれました。スーツケースはいつものようにファストバゲージなので、手荷物をおいて、まずはスーツケースを引き取りに駅へ向かうことにしました。それから噴水を眺めに散策です。レマン湖(別名ジュネーブ湖)から流れるローヌ川にかかる最初の大きな橋が有名なモンブラン橋です。旗がここでもたくさん立っています。スイス人は本当に旗が大好きです。橋を渡っているうちに見えてきました。巨大噴水ジェッドーです。高さおよそ130mだったかな。そこそこな吐出圧の多段ポンプを使っているのでしょう。いつも出ているのではないのですが、夕方ごろは出ているようです。ここの名物ですね。私たちがこれを背景に写真撮影をしているときには噴水に虹も掛かって、とても美しい眺めになりました。橋を過ぎ、船上レストランを過ぎると、花時計が迎えてくれました。五年前に眺めた記憶がぼんやり。帰国後当時の写真を見たら、色も同じでした。その後、夕食を食べに屋外レストラン街へ出かけました。夏は外でいただくのが良いですね。スイス料理のペルチっていう名前でしたか?スイスの有名料理だというので、相棒が注文しました。でてきたのがこれ。要するに小さな川魚のムニエルなんですね。なんだか大したことなくて、味も普通で、だけど値段は普通以上。地ビ-ルやワインを飲んで、ホテルには10時過ぎに戻りました。当初の予定では、この日に旧市街を散策予定でしたが、全然できず。それを明日に変更です。いい加減な話ですが、これがフリーの良い点です。
2012年10月29日
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シヨン城に幽閉されていた囚人は、このように小さな窓から対岸の自由な世界を眺めていたのでしょうか。何人もの人たちに片っ端から写真撮影をお願いして、無事シヨン城見学も終了。シヨン城から再び列車に乗ってモントルーへ。無人駅に咲いていた虫よけの花がきれいでした。向かって右側は世界遺産のぶどう畑を見上げながら、左側はレマン湖をみおろして走ります。モントルーから直行でジュネーブまで行くのかとおもっていたのですが、アナウンスがあやしいので、車掌さんにきくと、なんとローザンヌまでしかいかないとのこと。ローザンヌにいったん降りて、ホームをのりかえて、行くということで、ホームの番号や電車の時刻などおしえてもらいました。オリンピックで有名?なローザンヌです。時間がないので、駅の周りを眺めただけでした。ようやく来ました、スイスでの終着点、ジュネーブのコルナバン駅です。ホテルはこのすぐ近くです。駅に近いのだけが取り柄のホテルですが、スーツケースを転がす場合、これが一番の条件ですね。
2012年10月28日
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ゴールデンパスラインの列車が絶景の中を走りぬけていく。スイスの宗教改革の舞台となった地ジュネーブへと近づいていく。教会の塔が曲線状にとがっているのがスイスの教会の特徴らしい。モントルーの町をみおろし、レマン湖の対岸のフレンチアルプスを望みながら、世界遺産のブドウ畑の中を列車は降りていく。モントルーで下車して、普通電車に乗り換え、逆に戻る。小さな無人駅で降りて、少し歩くと、見えてきました。湖畔に佇む古城、シヨン城です。こちらが正面。カレンダーでも何度か見た、この有名な絵のような古城。目の前にすると、感慨深いです。例によってスイスパスが通用し、無料で入れました。天気も良くて最高です。13世紀に建てられたシヨン城が世界に知られるようになったのは、19世紀の初めに詩人バイロンがこの城を訪れ、「シヨンの囚人」という叙事詩を発表してからです。バイロンといえば、愛と放浪の天才詩人としてあまりにも有名。36歳にしてマラリアで命を落としたそうですが、天才らしい最後なのでしょう。そういえば、帰りに無人駅で列車を待っている間、時間もあるし、暑くてのどが渇いて、水がなかったので、私だけ一人でシヨン城に戻って買いに行きました。その時に買ったエビアン=ミネラルウオーター、さすがスイスだけあって日本よりも高っ。つけたしですが、そのエビアンという地域は、よりジュネーブ側のフランス領にあります。そんな近くなのに、高っ。
2012年10月28日
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インタ-ラ-ケンは日本の大津市と姉妹関係だそうだ。日本の庭が駅に行く途中にあり、この説明があった。そういえばベルニナ急行も日本の箱根鉄道と姉妹関係を結んでいるし、良い国との良い縁を見るとうれしい。駅の中ではス-ツケ-スなどを移動しやすいように、このようなスロ-プがある。これを知っていれば、ファストバゲ-ジサ-ビスを利用しなくてよかったかもしれない。さて、いよいよスイスアルプスとお別れして、レマン湖の東側にあるモントルーに向かう。ここでも絶景列車、ゴールデンパスラインに乗車。スイスの三大絶景列車がベルニナ急行、氷河特急、そしてこのゴ-ルデンパスライン。座席指定なので車両番号を確認していたら、番号が30/21と二つダブって記載されている、あれれ?なにげなくホームに目をやると、ルツェルンで写真を撮ってもらった日本人と外人女性のカップルを発見。聞くと、彼らも迷っているよう。彼女のチケットを見せてもらうと彼らのチケットには車両番号が30/21と表示されている。これで一安心。人のつながりって不思議だ。それではと乗り込むと、今度はすでに私たちの席に別のお客さん達がすわっている。スイスの列車は日本のように車両ごとに座席指定、自由席が分かれているのではなくて、座席指定になっている席が一部あるというスタイル。普通は車窓の上の方に指定と書かれた紙が入っているのだが、ここには入っていない。でも間違いなく私たちの席だ。ということでチケットを見せて納得してどいてもらった。そこで座席の背もたれを見ると、座席指定と書かれている赤い背もたれのフェルトがついていた。このフェルトがある席が座席指定のようだ。美しい氷河湖だ。向こうに見える円錐形の山は五年前には霧にかすんで神がかって見えたニ-セン山だ。ピラミッドのようである。ツバイジンメンまでは普通列車と変わらないような車両だが、窓が開くのが写真撮影用には好都合。再び美しい景色がつづく。相棒は写真三昧。日本ではこんな車窓が続く路線はほとんどない。大糸線と小海線くらいかな?スイスの山の裾野は牧草がきれいに緑のじゅうたんとなっていて、これが大変美しい。まるで巨大な庭の中を走っているかのようだ。実はこれ、すべて人間の開墾と維持のおかげの風景。つまり日本の里山のようなもの。スイスから牧畜がなくなったら、この美しい緑のじゅうたんの風景もなくなってしまうに違いない。ツバイジンメンで乗り換えてからは、立派なパノラマ車両となった。ここも指定券だが、実際には指定券がなくても席は空いていて、問題なかった。モントルーに近づくと、次第にスイッチバックしながら山を下っていく。そしてレマン湖(ジュネーブ湖)がその巨大な姿を現す。対岸にはフランス領のフレンチアルプスが見えている。またまた絶景の出迎えである。スイスのアイガ-・ユングフラウなどの近くの山の裏側の氷河を源流とする、大河ロ-ヌ川の途中にあるのがこのレマン湖だ。つまりレマン湖=ローヌ川と言ってもよい。モントル-あたりから入って、ジュネ-ブから出たロ-ヌ川は、フランスに向かい、去年行ったアビニオンで、昔あの有名な橋を崩したのだ。そんなつながりに今気がついた。そしてこのころから列車のアナウンスがフランス語が最初になり、車窓から見える家々にも日よけのある、南仏で見た家の形=フランス風に変わっている。スイスの山小屋風の家がなくなっている。実にふしぎである。同じ国なのにこうもちがうなんて。というかもうほとんど車窓風景は南仏気分である。モントルーで下車し、当初の旅程ではこのままジュネーブに向かうのだが、私達は逆方向へ向かう在来線に乗って2駅でおり、歩いてシヨン城へ行った。スイス一の古城を見ないでは帰れない。
2012年10月08日
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ここはグリンデルワルドから戻って、インターラーケンオスト駅から20分程度歩いたところ。ホテルがある通りです。この通りをもっとずっと歩いて行くと、インターラーケンウエストにつきます。散歩してみました。すると、5年前に来た時に立ち寄ったカジノの建物がありました。そこで食事をしながら民族舞踊など見た記憶があります。さらに進むと、繁華街があって、なにやら5年前のホテルの近くに来たようです。その時に向かいのビルの上の方に、牛が建物につきささった不思議な光景を見たことを思い出したのです。それがこれ。これは5年前の写真。探したら出てきました。こちらは今回撮った写真です。まだ突き刺さったままですね。再びこの地にこれたという感慨がわいてきます。古い友人に再会した感覚です。といっても再会したのは牛さんなんですが。あの時は、ホテルの近くの土産物屋さんで、スイスの緑泥石を少しかぶった水晶をゲットして喜んだのでした。ヒマラヤ水晶とも似ていますが、まさしくスイスアルプスで採れたタビュラーなロッククリスタルでした。でもスイスと言えば、テッシンの針のむしろのようなクラスターや少しずつねじれた平行連晶がたまらないスモーキーのグインデルが有名です。いずれも超高価で高根の花です。そして前回は翌朝グリンデルワルド、クライネシャイデックに向かい、登山電車でユングフラウに行ったのですが、体調不調になってしまいました。おかげで帰路のハイキングが私たちだけできなかった苦い思い出です。今回場所は違いますが、おかげさまでリベンジできました。サンモリッツのドクターのおかげでもあります。このあと夕食はあっさりベトナム料理と中華料理。私たちはこちらの方が口にあっています。西洋料理はたまに食べるのがよくて、毎日は無理。そういえば去年のアビニオンでも途中一回ベトナム料理を食べたのでした。ベトナム料理店はメニューが写真付きなのも良いです。
2012年10月08日
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ゴンドラ乗り場でバスの出発時間を聞いておいて大正解。そうでなければ1時間遅れるところでした。なんとか無事到着して待っていたハイカーに聞くと、後1分でバスが来るとのこと。バスの乗り方など聞いて、待って、メンリッヒエンから来たバスに乗りました。ドライバーに聞くと、ここでもスイスパスが有効で半額です。ポストバスは対向車とすれ違えないほど狭い道をかなりの速度を出して降りていきます。この写真の道です。実際すれ違うのが大変です。運転でもガードレールもない道なので、ハンドルさばきを間違うと大変です。車窓が素晴らしいです。途中ラッパを鳴らすのが名物だそうで、実際に聞くと面白い音色です。こうして30分ほどでグリンデルワルドに無事到着。
2012年10月08日
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山は右側からアイガー、シュレックホルン、ベッターホルン。いずれも富士山より高く、3900mから4000級の山々が連なっています。夏でも頂上付近には厚い万年雪が残り、山腹周辺はにうっすら雲がたなびいています。展望台近くには数人のハイカーがいて、いよいよハイキングのはじまりです。他のペアと写真を取り合ったり、終点のグロッセシャイデックの位置を聞いたりしながら、ゆっくりとマイペースで進みます。他の人たちはみな私達よりペースが速い。次第に前後に誰もいなくなり、私達だけが高山の斜面を絶景に囲まれながら歩んでいきます。とにかくマイペースを守ることが大事です。途中、頁岩(粘板岩)の巨大な露頭や小川、カウベルを鳴らす牛達を横目に細い道を進んでいきます。最盛期は過ぎましたが、そばにはきれいな花も咲いています。最初のうちは予想通り下り坂だったのですが、次第にのぼりが出てきて、道に迷ったのかと心配しました。でも終点方向がわかるので、大丈夫。上りはやはりきつく、登山並みに意識してゆっくりペースを維持。持ってきたアーモンドを食べながら進みます。アーモンドのビタミンEは血行を良くするので効果があるはずです。なかば気休めでもありますが、その気にさせるのも大事です。何度か牛さん達に出合いました。一緒に写真も撮りました。スイス~っていう絵になります^^。2時過ぎに出発して2時間で到着とおもっていたのですが、なかなか着きません。来るときにもらったマーカーペンの所をみると、4時25分ごろの出発に間に合わないと1時間待ちになるので、最後はかなり無理したペースで進みました。がんばって、がんばって、3分前に無事グロッセシャイデック=「大きな峠」に到着!約2時間半の夢のようなハイキングが終わりました。
2012年09月30日
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フィルスト展望台乗り場へ行き、そこで切符を購入です。ここでもスイスパスで50%割引!帰りのバスの時間を聞いたらマーカーペンで記入した時刻表を渡して説明してくれました。乗り場に行くと次々にきており、2人きりで乗ることができました。ここから時間約25分で一気に1200m標高を上げていきます。なかには具合の悪くなる方もいるとか。多少空気が薄くなる感覚がありましたがそれほど問題はありませんでした。サンモリッツで馴化できたのかもしれません。途中駅が2か所あり、その都度降車できるようにドアが開くのです。締めないと開いたまま。ちょっとあぶなかしいですね。下をみるとハイカーが歩いています。屋根の上を進みます。結構高いですね。ちょっと虫がむずむず。かなりのぼってきました。奥に見えるのがアイガーです。頁岩か粘板岩の薄いペラペラな岩が目に入ってきました。これは泥岩が海の底で堆積して、地底で圧縮されてできました。地の底から浮かび上がってきた露頭です。山の上にあるのが単純に不思議です。写真を撮りながらあっという間に終点のフィルスト展望台に到着。標高2167mは今回の一番高い地点です。五年前に2200以上で具合が悪くなったので、それ以下ということで、ここにしました。おりると、絶景が目の前にあります。ゴンドラの後ろにある乗り場はフィルストフライヤーという絶叫乗り物です。ロープにつるされて下の乗り場まで一気に下ります。私はまっぴらごめんですが。それではこれから、五年前に体調不調によりできなかったハイキングをアイガーグレッチャーからクライネシャイデックではなくて、フィルストからグロッセシャイデックで始めます。シャイデックって峠、クライネは小さな、グロッセは大きなという意味。グレッチャーは氷河です。日本語では何の変哲もない名前ですね。
2012年09月30日
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インターラーケンに着いたのはいいのですが、ホテルの場所が地図を見てもよくわからず。駅からやや離れているので、スーツケースもあるしで、タクシーで向かうことにしました。相棒はもったいないの連発。私はこれからグリンデルワルトに行ってハイキングをするので、時間の方がよほどもったいないとあせっています。ホテルはやや郊外の中にあって、なかなか素敵なホテル。スーツケースを先にあずかってほしい旨話すと、パキスタン人のようなフロントが、部屋の準備もすんでいるからチェックインして問題ないよとのご返事。さっそく入って、ハイキングに行く準備をしてホテルを出て、今度はスーツケースがないので歩いて駅へ向かいます。12:02発に乗ってグリンデルワルドへ。乗る車両によって別方向に途中で別れるので要注意です。これが列車内のミニテーブルに書かれた地図です。いったん右にのぼり、左に折れてさらにのぼります。途中、大きなU字谷の底にある村の風景に魅了されます。ハイジやクララがでてきそうですね。見えてきたのはベッターホルンの絶壁!ついに来ました、感激の再会です。車窓景色も次第に険しさを増して12:37に到着。なつかしのグリンデルワルドです。駅からぶらぶら左方面に歩いて行くと素敵なカフェが見えてきます。降りてきたら立ち寄りたいです。目の前にアイガー北壁がせまってくるようで、うれしくなります。ところが写真一枚も撮っていませんでした。5年前の写真を見つけましたので、ここに1枚載せてみます。この写真の白い雪をかぶった山がアイガーです。よくこんなところにのぼりますね。私なら5mでギブアップです。5年前に行った右側、アイガー、メンヒ、ユングフラウ方面はやや雲がかかっていましたが、今回行く予定の左側方面、つまりベッターホルン側はよくみえます。来る前は週間天気予報では雨。雨だったらあきらめてベルンにでも行こうかと考えていました。時刻表もネットで調べていました。駅の近くで写真三昧のあと、左側にのぼっていくと、その道のさらに左側にフィルスト展望台行きのゴンドラ乗り場が見えてきました。当初の予定ではここからポストバスでグロッセシャイデックまでのぼり、そこからハイキングでフィルスト展望台までやや上り坂のハイキング、展望台からゴンドラで降りてくる予定でした。ところがサンモリッツでの経験からはのぼりがとてもきついことがわかったので、逆順に急遽変更です。何事も柔軟さが大事です(^^)。この前方の左側にゴンドラ乗り場があります。右側にはアイガーがせまっています。乗り場の正面にあった絵の左下がグリンデルワルド、そこから右上斜めにのぼり、途中で左斜めに折れて行きます。一気に1100mほどのぼります。
2012年09月30日
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9:08ルツェルン発、ルツェルン湖沿いに走り、次第に標高を上げながらマイリンゲンにつき、その後標高を下げながら、ブリエンツ湖を経て、インターラーケンに至ります。インターラーケン・オストについたのが11時ごろでした。オスト=東です。これが列車内部です。写真にある列車のミニテーブルの地図には、ルツエルンから上がって、マイリンゲンで折れ曲がり下って、ブリエンツ湖を左に見ながらインターラーケンに着くルートが描かれています。ちょっと脱線ですが、マイリンゲンは シャーロック・ホームズ シリーズを書いた アーサー・コナン・ドイルが 滞在して作品を書いたことで有名です。『シャーロック・ホームズ』は 街の名誉市民なんだとか。美しいルツェルン湖が見えます。さらに典型的なスイスの風景がつづきます。この緑の芝生のような場所は牧草地帯で、既にきれいに刈った後ですね。日本の昔でいう里山的な場所でしょうか。つまりスイスのこの風景は人と自然の共同作業が生み出したものです。まだまだ登ります。よく見るとここも牧草を刈った跡がわかりますよね。下ってブリエンツ湖です。観光船もみえます。このブリエンツ湖とトゥーン湖の間にインターラーケンがあります。インター=間、ラーケン=湖です。ようやく到着です。「ようこそユングフラウ地方へ!」大きな看板が出迎えてくれました。湖の間の真上、Jの字の真下が名峰ユングフラウです。それから左に、メンヒ、アイガー、シュレックホルン、ベッターホルンが並んでいます。これから行くところは、アイガーのふもと、グリンデルワルト村。ヨーデルが聞こえてきそうです。
2012年09月30日
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