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台湾と言えばディンタイフォン。小龍包で有名ですね。でも日本人ばかりフィーバー。狭いビルの3階にようやく案内されて、いただいたそれは、やけどに注意というほど熱くなく、味もさほどの感動はありませんでした。ブラザーホテルの2階の方がずっとおいしかったです。欣葉の方がおいしかったです。ここの小龍包はスプーンの上に載せて、酢醤油で味付けされた刻んだしょうがを上に載せて一緒に頂くのですが、個人的には酢が余計でした。
2012年01月18日
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孔子廟に行った。とがった屋根が中国風。隣の保安宮にもとがった屋根が。さらに屋根の上の飾りがすごい。これでもかという感じです。日本の寺院建築にはない美しさですね。話は変わりますが、台北は桃園空港のほかに街中に空港があります。この上空にも時々低空で離陸・着陸する飛行機が騒音を出しながら飛んでいます。来る前にネットで、その空港からタロコ渓谷に飛ぶ飛行機便を使ったオプショナルツアーに申し込んでいたのですが、理由はわかりませんが催行とならずタロコにはいきそびれました。もし催行していたら、低空で飛び立った飛行機に乗っていました。メモリーの都合で写真が粗くてすみません。実物ははるかに美しいです。
2012年01月18日
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なんだかメインをが写しそこねてしまいましたが、とにかく名店「欣葉」で台湾のコース料理を食べました。なんとホテルから歩いて行ける距離。送迎ガイドに聞いて予約してもらいました。なかなかおいしかったです。種類はもっとたくさん出ましたが、食べるのに夢中で写真がないです。中は大混雑。最後の写真のデザートも、白いお餅のような食感で満足できました。
2012年01月18日
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日本語ではりゅうざんじ。でも現地ではロンシャンスーと呼ばれます。1738年、福建省泉州から渡来した人々により創建された。台北市内で最古の寺院だそうです。もともとは仏教のお寺ですが、いまでは道教や儒教など様々な宗教と習合しており、祀られている神は大小合わせて100以上とか、つまり日本の八百万の神のようで、なんでも良いらしい。便利ですね~。あいにくの雨でしたが、とてもきれいでムードのあるお寺でした。にんきがあるらしく、多くの台湾人がお参りに来ていました。日本にもこういうお寺があったらなあと思います。ただしお線香が長くて、ちょっと危ない感じでした。
2012年01月18日
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台北の北部に位置する野柳地質公園は、柔らかな地層にかたい地層がのっかって、その全体が浸食を受けつつ傾斜した逆断層の地形をなしています。かたい地層の一部が残った状態で下の柔らかな地層が浸食を受けているため、トルコのカッパドキヤのキノコのような姿の不思議な形を見ることができて、地質公園にふさわしい場所だと思います。そのキノコの形の中でもユニークなのが、このクイーンズヘッド。クレオパトラの頭部に似ているということで、この地域を有名にさせたものです。まるで芸術作品ですね。人の背丈より高いです。こちらが、この地域の逆断層が一目でわかる写真です。高い方が中国大陸側です。台湾がユーラシアプレートの上に乗り上げている形が一目でわかります。もともと台湾はマニラ海溝の東側つまり、フィリピンの一部=ルソン弧だったのでしょう。それが琉球弧に衝突したような姿です。日本弧に衝突した伊豆小笠原弧に似た状態でしょうか。この辺りはとても複雑なテクトニクスです。日本に沈み込んでいるフィリピン海プレートが、台湾近傍では逆にのりあげているのが実に不思議です。台湾よりもっと南では再び沈み込んでいます。個人的には南シナ海がホットプルームによって形成された事が一つの要因になっているのではないかと思っています。だから時々地震も起きます。温泉もたくさんあります。10年ほど前にもありましたよね。この時最大のずれは10Mにも達したといわれます。もし黄海もホットプルームにより拡大したとするなら、とっても面白いことだと勝手に想像しています。ここは風景砂岩の産地でもあるんですね。足元に広がっていました。なおツアーに参加してみてわかったことなのですが、外人専用のツアーでした。ホテルで何かツアーはないかときいたら、これがすぐにあるので、どうかと言われました。すぐに迎えの車が来て、出かけることができました。この車の人も英語で話すので変だなあとは思ったのです。でも参加できてよかったです。実は来る前に予約したらだめだったツアーとほぼ同じもの。説明はほとんど英語でしたが、私たちのために日本語でも少し説明してくれました。とても親切なガイドさんでした。狭い地域で雨の中でしたが、地学の不思議を垣間見た楽しいツアーでした。
2012年01月14日
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ランチに近くでよいところはないかとホテルのフロントに聞いたら、地元の人たちの行く店を教えてくれました。店構えは町の食堂といった感じで、メニューはB級グルメです。酸辛麺です。私はあまり好みではないのですが、相棒は気に入っていました。こちらは私が食べたかった牛肉麺です。台湾のラーメンといわれます。真っ赤な割には辛さもそれほどではなくて、スープもおいしかったです。私はこれがお気に入り。体も温まりました。
2012年01月14日
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観光夜市の果実店に潜入。このドラゴンフルーツを購入。痕で食べましたが、それほど甘くなくてちょっと期待外れ^^;;;。こちらは何か分からず買いませんでしたが、後で相棒が別の夜市で試食した結果、すごくおいしいとの感想。昔沖縄で試食したアテモヤ=森のアイスクリームとわかりました。ひなちゃんさんのブログによれば、もっと黒くなってからが食べごろだそうです。
2012年01月14日
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午前中は雨の中、故宮博物院に行ってきました。5年ぶりの白菜ヒスイも相変わらず人ごみの中にありました。今回は完全フリ-なので、音声ガイドを借りて回りました。その後、飲茶のおいしいブラザ-ホテルの2階でランチをいただきました。海老がぷりぷりで、最高!このように保温しながら運搬してテ-ブルまで来てくれるので、見ながら注文できるのがよいです。なんだかんだとおなかいっぱい食べてしまいました。さすが台北市内に住んでいた方からの情報は間違いないです。なお飲茶ではデインタイフォンというお店が日本ではとっても有名です。そこも行きましたが、たいしたことなかったです。こちらの方がずっと上だと思います。台北はタクシ-が安いので、ほとんどタクシ-を使って移動しました。外国のようにぼられる心配もほとんどないので、とっても安心です。ホテルのフロントも町の人も、聞くと親切に教えてくれます。親日的な国って本当によいですね。
2012年01月14日
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2011年11月に台北フリーに行ってきました。親日的な国なので安心です。5年ぶりです。出発前の成田空港。あっ緑のエコジェットがいました。ラッキーです!1台しかないはずなのですが、これまでも時々見ています。台北について早速来たのが台北101。一時世界一のノッポビルでしたよね。雨で視界が悪いので、登らずに済みました。私はごぞんじ高所恐怖症です。相棒はとても残念がっていました。
2012年01月11日
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2011年10月に仮に開館した福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズに行ってきました。まだ一番広い屋内は開いていませんでしたが、今年2月ごろ完全オープンだそうです。早く元通りになってほしいですね。2年ぶりでした。
2012年01月09日
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埼玉県大宮市にある鉄道博物館に行ってきました。中には運転シミュレータもあり、子供達に混じって並び、しっかり運転してきました。いい年して楽しかったです。ジオラマも大きくて人気でした。機関車の方向転換はおおがかりで、迫力がありました。昔は駅の機関区にあり、実際に見たことがあったので、なんだかなつかしい気分に満たされました。
2012年01月09日
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やはりこの場所からが一番でしょうか。エッフェル塔、パリの顔ですね。この後、カフェしてから、オペラ座のロアシーバス乗り場より、シャルルドゴール空港に向かいました。さよならパリ、さよならフランス。
2012年01月09日
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コンコルド広場の片隅にあるオランジュリー美術館です。モネの大作睡蓮の連作で有名ですね。まるで映画のスクリーンのように大きな絵です。写真撮影okです。拡大すると、こういう感じ。雑に書かれていますが、それがまたよいのですね。このころすでにモネは白内障になっていて、これ以上精細には見えていなかったと思います。白内障でもこれだけの絵が描ける!すごいことです。コンコルド広場の地面を眺めると、このようなメノウや玉髄質の石がたくさんあります。ひょっとしたらフリントかもしれません。エジプトでもたくさんありました。そういえば4年前に訪れたベルサイユ宮殿でもありました。フランスでもついつい地球ウオッチングです。
2012年01月09日
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モンマルトルの丘にあるサクレクール寺院です。似顔絵かきがたくさんいます。なかなか上手ですね。いつのまにかカフェで座っていた私たちもモデルになっていました。相棒の絵は額に入れて飾っています。
2012年01月08日
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モンマルトルの丘に行くので、再びメトロに乗りました。ホテルで聞いたらアベスで降りた方が近いというので、乗り場も聞いたマドレーヌからにしました。そのアベスで降りて地上に登るらせん階段です。なんだか落書きも混じっていますが、なんとなく絵の世界に入っていく気持ちがわいてきますよね。メトロの通路のあちこちにも、メトロのなかにも、ストリートミュージシャンが素敵な「パリの空の下」のメロデイを奏でてくれます。こういう遊びの心が日本には足りないのですね。施設でもなく、品物ぞろえでもなく、美辞麗句でもない。五感による歓迎っていうのでしょうか。やっぱりパリって違いますよね。また行きたい街です。
2012年01月08日
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ネットで個人的に予約していたセーヌ川デイナークルーズの老舗、バトームッシュに乗りました。凱旋門で時間を食ったため、ホテルまではメトロで駆け抜けて、ホテルからはタクシーを飛ばして乗り場へ。このためにデジカメ予備バッテリーをすっかり忘れてしまいました。バトームッシュは数あるデイナークルーズの中でも一番です。全座席が窓側に2席並んで、ゆとりの配置です。生バイオリンがすぐ近くで聴けて、シャンパンボトルサービスもあり、コース料理もまあまあでした。何よりもすてきなのは夜景です。少ないバッテリーでかろうじて撮影した夜のエッフェル塔。魅惑的な夜のパリを眺められて、感激の連続!写真は粗いですが、実物はもっとずっと素敵でした。
2012年01月07日
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オペラ座のプチホテルからメトロを乗りついで、シャンゼリゼ通りを写真を撮りながら歩いて、やってきました凱旋門♪その凱旋門を背景に、シャンゼリゼの道路の横断歩道の真ん中で何度も写真撮影をしました。でも、それは割愛。こちらは門の股下のような位置からの写真撮影です。なにやら多くの文字が刻まれていますね。ナポレオンの栄光が描かれているのでしょうか?ここまで来たからには、やはり登るしかないでしょう。ということで長く並んで大汗かいて屋上に上りました。屋上からの眺めです。まっすぐに伸びた通りが今歩いてきたシャンゼリゼ通りです。上った「らせん階段」です。お疲れさまでした。てっきりエレベータだとばかり思っていました。おっと、さあ大変!セーヌ川デイナークルーズには時間がありません。
2012年01月07日
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ホテルがオペラ座近くなので、オペラ座に立ち寄らない手はないでしょう。もちろんお目当てはシャガールの天井画。シャガール美術館でみたビデオの、本物天井画が目の前にあるって感動ですね!シャガールにとって大変な作業だったと思います。重厚なオペラ座とメルヘンチックなシャガールの絵が不思議で微妙な調和を見せていました。今回はまるでシャガールと一緒に旅行したような印象。勝手気ままな旅行って本当に素敵です。夏の旅行記を今頃で恐縮ですが、ようやく書ける環境になりました。11月の台北はこれから書きます。ということで、2012年も時間を作っては、楽しく旅行したいと思っています。明日から早速3日間のソウル。近場なのに初めてです。ヒートテック+フリース+ダウンに身をくるんで出かけます。
2012年01月01日
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アビニヨンからパリまではTGVを利用。これも各自で勝手にシンドバッド。だからツアーというより旅っていう感じですね。といっても実はチケットは先に日本で送って頂いたものを使うので、とくに悩ましいことはないのですが。アビニヨンのTGV駅は流線型のデザインでいかにもフランス製。一方パリのリヨン駅(ガール・ド・リヨン)は古い駅です。4年ぶりでした。タクシー乗り場を聞いて表に出たのですがなくて、そのうちに無性にトイレに行きたくなり、あわてました。駅内の別の売り場で聞いたらタクシー乗り場もちがっていて、またまたあわてました。乗ったタクシーも運転手英語通じず、のろのろ運転であわてました。でもメトロはスーツケース抱えて階段昇降が大変だし、エール・ウー・エールはちょっと危ない話もあったのであきらめ。とにかくなんとか無事にオペラ座近くのプチホテルに着きました。南仏とパリはやっぱりちがいますね~♪田舎者が東京駅に出たような感じです。でもこの自由な感じが格別です。4年前は添乗員さんの後ろをついて行っただけなのでとくに強い印象はなかったのですが。それだけ添乗員さんって頼りになっているんですよね。それでは中途半端ですが、みなさんよいお年を!
2011年12月31日
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ウィキの解説を引用させていただきます。ーーーー「ポン・デュ・ガール(仏:Pont du Gard)はフランス南部・ガール県のガルドン川に架かる水道橋である。ユゼスからニームへ水を運ぶための水路の途中にあり、古代ローマ時代・紀元前19年頃にアウグストゥス帝の腹心アグリッパの命令で架けられたと考えられている。」ーーーーすごいですね~。ここが水面より既に40m以上あります。この上にさらに2段のみごとなアーチがあります。長さも250m以上です。紀元前ですよ。もちろん世界遺産です。博物館にアーチの作り方がありました。先に木枠を作って、その上に置いていたのですね。なるほどです。アーチを構成する部材には自重に対して圧縮応力が生じるので、引張応力に弱い石材には大変優れた構造です。もし引張応力に強いワイヤーがあれば、吊り橋が有利です。当時はワイヤーなどなかったですからね。
2011年12月31日
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この小屋は、「ニーム」出身の「アルフォンス・ドーデ」の作品、「風車小屋便り」で有名です。天気も良くて、眺めが素晴らしかったです。この辺りは、ボーキサイトがとれる地域として有名でした。この写真の石も、おそらくそうだと思います。ということは、見た目からも、ギブス石が多く含まれている気もします。・・・ということは、この地方がかつては花崗岩マグマが出てきたところであり、その後の強い風化環境にさらされて、鉄やアルミの酸化物や水酸化物が濃集したラテライトだったことを示しています。ラテライトって熱帯の赤土ですよね。赤がそれほど強くはないので、酸化鉄の比率は多くないと思います。昔はここが熱帯だったんだと思うと、不思議な気がしてきます。ドーデの風車小屋便りには、そんなこと書いていなかったでしょうか。相棒にそんな感想を話したら、そんなことドーデもよいという顔をしていました^^;;;。おっと、補足ですが、ここは南仏レ・ボー・ド・プロバンスの近く。このボーがボーキサイトの名前の由来です。いまはもう採掘してませんが。
2011年12月30日
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アビニオン3日目の夜は屋外レストラン(ブラッセリー)で頂きました。南仏やスペインでポピュラーなパエリアです。見た目シンプルですが、だしがおいしくて感激しました。これがおいしかったので、帰国してからも銀座のスペインレストランで頂きましたが、こちらの方がずっとおいしかったです。スペイン、行ってみたいなあ、食べてみたいなあ。
2011年12月28日
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ここがゴッホの終の棲家となった精神病院のゴッホの部屋です。精神を病むってどういうことなんだろう。このようなすごい作品を創り上げる精神の、一体どこが病んでいたんだろう?私にはわかりません。中庭はおそらく当時と変わらないお花畑。外にはひまわり畑も見えました。ゴッホのみた世界が今も広がっていました。当時と同じ優しい風が吹いていました。
2011年12月28日
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繰り返し自己を深く見つめ続けたゴッホ。今にも壊れそうなゴッホの姿が映っています。もっと多くの人に認められていたらなあ。でもそれは無理だったろうなあ。だからこそ、今になって認められる。そんなもんだよなあ。ゴッホ大好き!!!大好きゴッホ!!!
2011年12月28日
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サンベネゼ橋といいます。途中までしかないのに有名な橋です。古い橋ですが、かっこ良い橋ですね。
2011年12月28日
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アビニオンの旧市街にある法王庁です。一時、ローマ帝国の皇帝がここにいたんだとか。石でできた建物の中に入ると、そのすごさがわかります。旧市街の中のホテルだったので、歩いて行けました。この先をさらに行くと、川の途中までしかない、古い橋が見えてきます。これこそ、有名な「アビニオンの橋」ですね。「アビニオンの橋で、踊ろよ、踊ろよ。 ・・・輪になって踊ろ・・・」というような歌詞です。多分ご存じでしょう。アビニオンってフランスの奈良みたいな街かな?石畳が素敵ですが、たくさん歩くと足が疲れます。
2011年12月26日
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今年のイブはイタリアンレストランが予約できました。素敵なピアノとサックスの生演奏も聞けて、楽しいイブが過ごせました。年齢75歳とおしゃっていましたが、年齢を感じさせない見事なサックスの音色で、皆を魅了させました。今回が最後の演奏ということで、残念です。ジャズの名曲「ミステイ」など、久しぶりに聴きました。
2011年12月25日
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南仏の農家レストランでいただいたエスカルゴです。ここで養殖していました。その様子もみせていただきました。ひさしぶりに頂きました。バジルと混ざって、なかなかおいしかったです。要するに陸化した貝ですものね。食べられる貝殻と、食べられない貝殻があります。わかりますよね。
2011年12月25日
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南仏の町の骨董市に行きました。その街の中を流れる川で見かけた風景。なんだか、素敵です。絵になってますよね。ふっと、日本の潮来の嫁入り舟と、タイの水上マーケットを連想してしまいました。
2011年12月23日
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プロバンスの市場で買いました。形はいまひとつですが、食べると、甘くてすごくおいしかったです。また食べたいです。
2011年12月21日
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ニースの街のやや内陸側にあります。バスにのっていきました。外国のバスって、ちょっと不安がありますよね。でもなんとかなりました。行ってみると、運転免許証とかパスポートなど個人証明の提示を外国人には要求されました。ああ、外国人なんだなあと感じました。中に入ると、写真のような大きな絵が並んでいます。あこがれのシャガールの絵の前で、写真をたくさん撮りました。ここは写真撮影がokです。帰りは下り坂なので、歩いて戻りましたが、かなりあってくたびれました。
2011年12月20日
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ニースの海岸に近いサレヤ広場は、屋外レストランが密集しています。ル・サファリがおいしかったというネット情報を昼のドライバ-兼ガイドさんに告げると、そこのオーナーを知っているというので、夕方にガイドさんの名前を出して、テーブルを予約しに行きました。すると、ラッキ-!ご存じでした。その後海岸を散歩してネグレスコホテルなど中に入って見学してから戻って食事となりました。多くの人がすでに座っていましたが、予約しておいたおかげで難なくよい場所に座れました。ご存知だったおかげで、シャンパンがサービスででてきました。料理もおいしくって写真に撮るのを忘れて食べてしまいました。隣のテーブルにはなんとロシア人カップルがいました。日本には数回訪れたことがあるとおっしゃっていました。片言英語でも、楽しいですよね。周りには日本人が見当たらないのがうれしいですよね。夜になると、こんな雰囲気でした。なかなか楽しかったです。
2011年12月19日
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ゴッホの跳ね橋、かどうかはわからないようですが、子供のころに見た絵と似た姿です。私の大好きなゴッホが、このあたりスケッチしていたのかと思うと、うれしくなってしまいますね。
2011年12月19日
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18日に京都で行われた韓日首脳会談で、李明博(イ・ミョンバク)大統領は野田佳彦首相に対し従軍慰安婦の補償問題を直接提起した。ーーーーいまごろになってまた韓国のいやがらせがはじまったようです。韓国人の慰安婦はいたかもしれないが、日本軍によって強制連行されたいわゆる従軍慰安婦がいたという証拠は現在ないはずです。しかも、もし従軍慰安婦がいたとしても、すでに日本は賠償金を韓国に支払い済みです。よって、何をいまさら、二重に支払えというのか?という感じです。これって有名な話ですよね。まさか韓国の大統領が言うべきことじゃないでしょうに。それが少女像のいやがらせをさらにするような言い方まで。最低の国ですね。北朝鮮もひどいが、韓国もひどい。
2011年12月18日
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老後のルノアールの家を訪ねました。カーニッシュルメールというニースから近い土地。気候温暖な土地は、リューマチに苦しめられたルノアールの心をいやしてくれたのでしょうか。この部屋で、ひとり、変形した指に絵筆をひもでまきつけて、あの虹色の重なりを経て、絵がしだいに紡がれていく。そんな感じでしょうか。優しいおじいさんが、今にもあらわれてきそうでした。日本人、中国人、アメリカ人、フランス人、イタリア人・・・世界中からルノアールを訪ねて来ていました。
2011年12月17日
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「冷温停止」と言わないで「冷温停止状態」というところがみそですね。技術用語がいつのまにか政治用語や官僚用語にすりかわっています。メルトスルーしてしまった原子炉に対して、冷温停止って一体どういう意味なんでしょうか。いまだに一番高いのは圧力容器の底です。スルーしたはずなのに。格納容器の底の温度がわからないからです。これでなぜ冷温停止といえるのでしょうか?馬鹿げていますね。世界から笑われますね。被災地の方が聞いても疑問が残ると思います。世界に対して発信という前に、被災地に対して誠意をもって発信してほしい。
2011年12月17日
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一体どうなっているのでしょう。最初から官僚は必要だと主張していたが、民主党が反対して、建設中断を主張した経緯。いまさら官僚のいうがままとは?子供手当は財源あるといった小沢氏のばんかいは?高校無償化はなぜ朝鮮学校まで出すのか?高速道路の無料化実験の結果は?農家の個別補償のゆくえは?民主党の公約違反が次々です。その反面、公約にない危険なTPPなどを推し進めようとしています。公務員給与削減は今国会で成立できなかったし。その反面消費税増税は着々と・・。税と社会保障の一体改革は?結局国民にみんなしわよせ。いまだに民主党は外国人参政権を主張しています。国籍のない人に参政権なんて売国の発想ですね。なにもかも、あまりに説明が足りません。総理が直接国民に説明の必要があるのではないでしょうか。まあ支持率低下がこわくてできないのでしょうが。
2011年12月17日
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土曜日、池袋のサンシャインシテイーで開催されている東京ミネラルショーに行ってきました。ひさしぶりの参加でした。ものすごいひとだかりでした。でも多くの人が、ただみてるだけで、買っている方は少なかったような。まあ例年そうでしたが。私はインド業者からルチルが十字に結晶線が延びているインクルージョン入りの小さな水晶(クルバレイ産)と、インドネシア産のオーピメント入りアゲートを買いました。オーピメント(雄黄)は有毒ですから、取り扱い注意かも。写真がうまくとれたら公開しますね。あとは見た限りでは以前に見たことがあるものや、すでに持っているものが多かったような。これが終わると、もうクリスマスですね。
2011年12月12日
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生まれて初めて月食をみました。赤い月になるんですね!写真はボケボケになったので省略。結構感動しました。
2011年12月11日
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TPPではこの問題は議論されないとか、されるとか言いますが、議論されないから大丈夫だとはいえないのがTPPです。なぜってTPPはネガテイブリスト方式ですから、条約交渉で議論しなかったから良いとはならないわけです。ということは、条約締結後に、「この問題も論理的には規制はだめだ」とかいう話がふっとでてくる可能性が十分にあります。とても危険な話です。簡単に罠がつくれるわけです。つまり条約締結前に議論を故意に避けるということです。本気でこんな危険な条約に前のめりになっているのでしょうか。バカとしか思えません。
2011年12月10日
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TPPでは非関税障壁の撤廃が最も問題です。でも農業に限っても大きな問題があります。多くのメデイアでもいろいろ話題になっていますので、いまさらですが、一言だけ。穀物の自前調達ができなくなると、普通の国は滅びます。TPPでは国内の主要な穀物農家がダメになります。海外調達に依存する姿となります。その後調達先の穀物が不作に陥ると、日本の穀物調達が困難になります。その時にTPP推進論者はどのようにして、この苦境を解決するというのでしょうか?昔太平洋戦争時には、コメがなければアワやヒエを食えと政府は言いました。でも、そのアワやヒエもないのです。芋もそれほどたくさんできないでしょう。フランスパンのバケットでも毎日買いますか。出来たてはおいしいですよね。冗談はさておき、食料戦略は国家の基本です。大前研一氏はTPPがはじまると逆にアメリカの農業は壊滅するから心配ないと言っているようです。この方はアメリカ人なんでしょうか?ちょっとあきれています。
2011年11月27日
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原発不要論、代替発電がいろいろいわれていますが、はたして本当に質的にも量的にも代替できるのでしょうか。安定的な発電が売り物の原発と不安定な太陽熱、風力などが代替え対象といえるのでしょうか。そのうちほとんど全部の原発が停止するかもしれません。寒い冬がすぐそこです。原油の値あげもひたひたと迫っています。結局つけは国民が負担です。もんじゅはさておいて、現有の原発を耐震性を高めて使うことが現実路線だと思います。ふわふわした理想論もわかりますが、私自身そういう意見を述べたこともありましたが、目前の電力不足や電気料金値上げの問題解決にはなりません。今の日本に火力用の燃料がこなくなると大変なことになります。エネルギー安全保障の観点から原発再稼働を再検討してほしいものです。
2011年11月24日
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拙速で説明不十分な政府の対応に不満です。とくに被害をこうむりそうな農業分野への対策をどうするのか、安心を与える配慮が全くありません。ほかにも具体的な問題点が指摘されていますが、それらに対する反論も具体性のない抽象論であり、説得力が不足しています。ということで、明確なデメリットに対して、メリットが不明確なTPPには賛成できません。農村が荒廃した田舎を見たくありません。私は製造業に従事していますが、それでも賛成できません。「全ての物品を交渉のテーブルにのせる」というのはTPPの当然の前提であり、いまさらそれを否定するのは実に滑稽です。その気がないなら最初からTPPには参加資格がありません。米国に本気度を試されているのですね。こんなことで誰が一体交渉役になれるのでしょうか?
2011年11月18日
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鷲巣村(わしのすむら)は外観がこのようになっています。山や丘などの上部に集落が密集しています。周囲は壁が取り囲んでいます。南フランスには、このような村が多数あるようです。過去に敵の襲撃から防衛するために、このような姿になったそうです。有名な鷲の巣村の中はどこも観光化していて、お土産店やレストラン、絵画店などが並んでいます。その結果、昔は個性的な村だったのでしょうが、今はどこも同じように見えてしまいます。鷲巣村から周りを見ると、このような景色です。アルプスの終点みたいな、石灰岩山地が見えます。そのすそ野にも家々が張り付いています。日本とは全く違う風景です。南仏の光の中で印象派の油彩の中に入ったかのような景色に見とれながらの旅でした。
2011年10月11日
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最初にニース近郊で訪れたのは、香水工場で有名なグラース。写真にあるフラゴナールが有名だそうです。ここでお勧めのオードトワレを購入。なかなかおちついた良い香りでした。アルミの容器が独特。周囲から城壁でへだてられた小高い地形です。このような村を鷲巣村と呼んでいます。中世にイスラムなどからの攻撃に耐えるように作られたといわれます。このような村が南フランスには多数あるようです。次に訪れたのが、サンポール。ここも鷲巣村。私の大好きなシャガールのお墓がありました。ここでは昼食を屋外レストランで頂きました。2人でドライバー兼ガイドが一人ついて、貸し切り状態です。その方のお勧めの場所で、なかなか見た目にも味も良かったです。こちらはサラダですが、エビやスイカやメロンなど立体的に盛られた姿がよいですね。こちらはお魚の下に古代米が敷いてあります。味も良かったです。二人で半分ずつ頂きました。アコーデオン引きが私の大好きな「パリの空の下で」を引いてくれます。それが何よりも素敵で、「あ~ここはまぎれもなくフランスなんだなあと思いました。」日本人がほとんどいないのがよいです。二人だけなので、ほとんど個人旅行と同じ雰囲気。気分も最高!
2011年10月07日
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二-スの浜辺です。コ-トダジュ-ル=青い海岸です。よく見ると、ほとんどが白っぽい玉砂利です。はだしでは歩きづらいです。薄いバスタオルを敷いた程度ではあまり心地よくありません。とてもよく丸みを帯びています。一個いただいてきたものをよく見ると、ナイフよりもやわらかいので、どうやら不純な石灰岩とかドロマイトのようなものです。中には緑色岩や頁岩のようなものもあったのですが、主役は前者のようです。背景の山を想像するとうなずけるような。近くの川から流れてきて、幾千万回の波浪で丸められたのでしょう。遠浅の海岸ではありません。それが青色をもたらしているんでしょうね。
2011年09月22日
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東日本大震災により夏季休暇が前倒しに。おかげでお盆の前に長い休みが。早速いろいろあたって、今回添乗員なしの南仏パリ旅行が実現しました。以前の旅行は連泊なしで移動が多く、食事もいまいちで自由時間もすくなく、気楽なのですが、勝手気ままができないという不満もあり、今回は初めての旅行会社「空の旅」を選択してみました。添乗員さんなしで、乗り継ぎや食事や交通機関の利用などをこなさなければならないので、やや疲れる旅行でもありましたが、個人旅行にちかい経験もあじわえました。早い話、私が添乗員になったわけです。でも添乗員さんの苦労の一部もあじわいまして、大変だなあと思いました。旅行中はまるっきりフリーでは大変なので、できるだけオプションツアーをつけてみました。さて、成田を発ってパリCDG(シャルルドゴール空港)へエールフランスで飛びます。フライトアテンダントさんもTシャツ姿。時代はかわりましたね。12時間後にCDGに降りて、さらに3時間待ってからニースへ飛びます。寝ぼけ眼で、空港の人に聞きつつなんとか出発ゲートにたどりつき、椅子に座ってエアマクラを使って休憩。次の飛行機に乗ってから、エアマクラがないことに気が付きました。多分首につけたままうろうろしているうちに落としたのでしょう。以前の首の手術により、今でもやや首回りに気をつかっているのでエアマクラは必携。残りの旅程は相棒のものを借用としました。前回4年前に降り立ったときは円形のターミナルでしたが、今回はもっと近代的なターミナル。さすがフランスという気分です。そしてようやく夜のニース、コートダジュール空港に到着しました。世界中からバカンスで押し寄せるコートダジュールの玄関口。日本人がすくないのが最高です^^。送迎はついていたので、楽~♪空港から英国人の散歩道といわれる、「プロムナードデザングレ」を通り、セレブ御用達ホテル群と渚を横目でみながら夜のニースをホテルに向かいました。
2011年08月26日
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サイパン周遊ツアーであちこち廻った途中で、サイパン動物園ではとれたてマンゴーにかぶりつきました。こちらの写真は果物屋さんでバナナと一緒に買ったパパイヤです。結構大きくて、ホテルに戻って食べました。この写真のように半分にしてから、さらに細かく切っていただきました。これもなかなかの美味♪サイパンってフルーツ天国ですね。とても気軽に行ける島です。また寒くなったら行きたいと思います。
2011年08月26日
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ホテルの近くの浜からマニャガハ島へ行きました。なんと、船はバナナボート♪モータボートけん引で15分くらい、結構早くて、水しぶきが顔にぶつかります。結構スリルもあって、気分は最高!マニャガハ島は小さい島ですが、真珠色の砂浜、ペリドット色のヤシの木、翡翠色の海が最高!水遊びを楽しんだあと、島を歩いて一周しました。船着き場周辺は人が多いのですが、島の裏側はあまりいません、島独占♪っていう気分です。この島、昔は日本軍の防衛基地で、軍艦島と呼ばれていました。その痕跡が浜に残っている砲架です。この場所、かつて友人が送ってくれたサイパンの写真にあったことを現場を見て、思い出しました。「あっ・・・ここだったのか、と・・・ね」
2011年08月26日
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サイパン島はグアムとほぼ同じ歴史を持っています。太平洋戦争末期、南洋諸島の中核として司令部を置いていたサイパンですが、結局米軍の物量作戦につぶされ、玉砕の道を歩みました。約3万人が死んだそうです。その一部はサイパン島北部においやられ、高い崖から身を投げてしまいました。そこはいまバンザイクリフと呼ばれています。(写真がそうです)その背後にはスーサイドクリフと呼ばれる同じ崖をもつ山もあります。スーサイドはご存じでしょうが、自殺という意味です。スーサイドクリフのすぐ下にラストコマンドポスト、つまりサイパンの日本軍司令部がありました。サイパンが陥落して、そのすぐ南のテニアン島から原爆を積んだB29が広島に向かったのです。先日テレビで放映していた「硫黄島からの手紙」サイパンそのままだなあとおもってみていました。平和がいかに大切なものかを気づかせてくれる風景ですね。
2011年08月22日
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