避難所での一夜が明け、相変わらずの雨が小康状態になってきて
空も明るくなってきた頃・・・
夫と電話連絡を取ると
実家も義父も無事だが、実家前の川が溢れ
床上浸水していること、
周辺一帯が泥水や土砂・瓦礫が溢れ
車が近づけないことを知らさせる。
これが、豪雨3日後の川の様子。
手前が川、瓦礫の左奥に少し見えているのが道路。
川を超えて、敷地内にも土砂とともに、
畳や車のバンパー、家の柱など様々なものが流れ込ている。
こちらも、左側が「川」
泥水が流れているのが、「道路」。
完全に、川が土砂で埋まっている。
だが、実際にこの目で見るまでは、
私もここまで大変な状況とは想像していなかった・・・。
実は義母が丁度、この2~3日前に退院。
要介護5の寝たきり状態で、当面、
介護施設へお世話になっていた。
3食の全介助が必要で・・・
その介助をしていただける看護師さんや責任者の方が
災害のため、通勤不能になってしまったとの連絡が入って来た。
よって、急ぎ必要なのが…
!義母の食事介助
実家で一夜明かした夫が、早朝、食事介助に向かう!
実家からは車で10分くらいだが、
車も自転車も通れそうにない状態の道。
ほぼ、あぜ道のような道を進んで行く訳で
徒歩30~40分くらいかかったのではなかろうか…。
施設に着くと、なんと看護師さんがおられ・・・
どうやら、帰宅不能になってしまったのだとか…。
当面、泊まり込むので、家族が無理して
行かなくてもやっていただけるとのこと!!
ありがたい!!
夫は、看護師さんにお願いして、これまた徒歩で、
倍の距離のある山の上の避難所まで戻ってきた。
この時、一旦雨が上がっていたのは幸いだったが
恐らく、2時間以上は歩き続けたのではなかろうか…???
避難所でご一緒した方の後輩さんのためのお薬やら
取りに帰ってみて、自宅が無事であることを確認していたので
夫と合流したところで、避難所を引き上げることにした。
丁度、雨も上がって明るくなったこともあり、
避難所に居る人数も徐々に少なくなっていたところだった。
ありがたいことに、町内の和菓子メーカーさんの和菓子や
袋パンが配給され、ありがたいことに1個ずついただいた!!
こんなに早くから、食べ物を配ってくださるんだなあ~…と感激!
そもそも、配る側に回らなきゃいけないのかも…とも思いながら・・・。
町内会の方や市の関係者の方に感謝!!
団地内の道路は、まだそこここに流木が転がり、
道路脇を泥水が流れていた…。
(これは、朝一番に自宅に帰った際の画像)
まず必要なことは、
!義父を避難させること
!親族の当面必要なものを持ち出すこと
そこで、渋滞覚悟で、実家へ向かう!!
地元民ならではの地の利を活かして
できるだけ近くまで車で行き、
夫と親族だけで歩いてしか進めない道を行った。
しばらくして帰って来た、2人… ???
義父は…!?
「避難しない!」
と埒が明かない…と言う。
避難しないことで、みんなが危険にさらされる
と伝えるよう夫に迫ると、もう一度迎えに・・・。
・断水している
・脚が少し不自由で、歩ける距離が100mくらい
・生活道路に出るための、橋が濁流で渡れない
この状況で暮らすには、誰かの介助が必要。
結果、誰かが来なければならない。
まだ、避難指示は解除されておらず
今後、状態悪化も予想される。
どこまで理解してくれたかわからないけれど
「息子も危険にさらす」ことを話すと、
今度は抵抗しなかったらしい…。
何度も足を運ばせることが、どれだけ自分の息子に負担か…
としみじみ思うのだが…。
こうしたケース、ふりかえってみると
これまでにも多々あったなあ・・・と
この30年間をふと振り返った。
この頃、橋の上を泥水が流れていて
義父が孤立しているだろうから…と
いつもお世話になっているご近所の
同世代の方が、町内会長さんに
助けを呼ぶよう、働きかけてくださったらしい。
町内会長さん曰く、電話してもなかなか通じず、
・・・ブレイカーが落ちていたので
FAX電話は、通じなかったのです・・
夫が到着して、ようやく電話が通じたことで
無事を確認していただいた次第ですが
長~いご近所づきあい、
気にかけてくださって、本当にありがたいことです!!
そのご近所さんの方が、被害が大きいのに…
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