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2011.05.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
藩内の世論を背景に源八より喧嘩(けんか)両成敗により隼人にも切腹仰せ付けられるよう藩に請願が出された。
老臣兵藤玄蕃もこの事件を憂慮し隼人にも死を賜らなければ藩内の騒ぎはますます大きくなり結局は主家にも累を及ぼすことになるとして藩主に訴えた
「長篠以来の五老であり大切な両家の断絶にもなりかねない事態であれば速やかに御処断を願いあげます」と藩主に上訴した。
亡くなった先代忠昌公の側近で昌能公のもり役・教育係りの杉浦右門兵衛は
昌能公を幼い頃より何かと厳しく指導していた。そのため右門兵衛は昌能公に嫌われていた。 
そのことが次の発言となり事件が拡大してゆくことになった。
藩主昌能公は父忠昌公が病死した際、「そなた、主君が亡くなったにもかかわらず、いまだのうのうと生きているのか」と罵声を浴びせた そのため右門兵衛は辱められたと感じ同時に憤りをもって切腹して果てた。
昌能公はその殉死を公儀の御法度を破った善右衛門の非とした内蔵之允を憎み 対して善右衛門の切腹を当然とした隼人を藩主昌能公は贔屓(ひいき)したのだった。

そのため上訴は採用されず

公儀の内意を伺うべく使者の向かった先は公儀の役人島田出雲守・坂部三十郎であった。この二人、隼人の親戚筋にあたり、隼人から内々工作がなされておりその他役人にも賂が密かに渡されていた模様 これとは別に幕府内の権力者本田正純もこの事件を利用して自らの欲望を達成しようと密かに考えていた
(幕府の処分によりこの後宇都宮藩は本田家が奥平家に代わって入ったが後年、宇都宮吊天井事件で再び奥平家が入ることになる。これは亀姫の本田家に対する巻き返しと言われている)
このことにより杉浦右衛門兵衛の殉死が明るみに出たばかりでなく、死者が出るような藩内の争い事が公儀の知るところとなり
八月二日、藩主昌能公は月番老中久世大和守より翌日四時に登城を命じられた。
そして八月三日、月代を整えて登城すると筆頭老中酒井雅楽頭はご法度の殉死者を出したことは「届けでは乱気」とあるが重々不届きである 叉、藩重役による刃傷沙汰で自殺者を出したことは看過できないとしながらも
譜代藩であり、奥平家は先祖代々徳川家にご奉公勤めてきた家柄でもある故
二万石減封の上 山形九万石を申し渡した。
他藩なら取り潰しも考えられるところを二万石だけの減封で済んだのは先祖の功績があったからと、家康の娘で祖母の亀姫の存在が大きいと言える

つづきは明日





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Last updated  2011.05.14 13:03:58
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