PR
カレンダー


















保護家に戻り、顔をきれいにしました。
やっと、顔に触れる事ができた…。
もう、痛くないよね?
もう、苦しくないよね?
~あとがき~

うららと過ごした時間は、凄く短かったと思う。
でも、うららが猫ホスピスで過ごした時間、
うららが猫ホスピスで感じてたもの、
一番強く伝わってきたものは・・・
「心地良い」という感情でした。

本当は、うららはまだ死にたくなかった。
本当は、うららが自分で最期を決めたかった。
私は、うららが望んでいる事を尊重しなかった。
でも、そこに後悔はありません。
そんなとき、古くからの有志に、
こう言われました。
「安楽死が尊厳死ではないかというと、
線引きがとても難しい。
尊厳て人によって取り方は違う。
死の崖っぷちに動物と一緒に立つ由美さんを見て思うのは、
その子たちに、気高い死を迎えて欲しいという想いを、
全力でその生に傾けているのだということ。
それが正に、尊厳死だと思う。
由美さんの手に託されているのは、
単なる命だけではないからね。
全力でその子に想いを傾けたときに、
出てきた判断だったんだろう。
うららには安息が必要だと、
心の底から思ったんだろうね。
安息もまた気高い最期だと思うよ」

その言葉に、なぜ私は老犬ホスピスを起ち上げたのか、
瀕死の猫達をレスキューするようになったのか、
もっと深い部分にあった答えに気付きました。
「辛さ、孤独、悲しみ、そんな思いを抱えたまま
ガス室で死なせたくない!」
「尊厳のある最期を迎えさせたい!」
そんな思いで老犬や瀕死の仔達をレスキュー始めたけど、
「気高い最期」
「安息の最期」
自分が最も大切にしてたものは、
この二つだったんだと、気付く事ができました。
時に、人間が決断する事も必要なんだと思ったけど、
その決断の瞬間を、決して間違ってはいけない。
早くてもダメ、遅くてもダメ、
見逃すなんてことは絶対ダメ!
そのためには、固定観念、先入観、自分の感情を、
一度捨てなければいけない。
だけど、自分の判断が間違っていなかったと、
ハッキリ断言はできない。
数時間後、数日後には、
うらら自身が決めた最期の時が
必ずあったのだろうから。
私が殺したことに間違いはない。
だけど・・・
その子には何が必要なのか、
自分に出来る事は何なのか、
五感、第六感、全てを集中させていきたいと思いました。
お願い事ばかりで申し訳ございません。
出会うはずのなかった2人 2023年08月23日
最期に遺してくれたもの 2023年08月01日
回復を願い続けたが… 2023年03月08日