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この前のブログからまたまた長い月日が過ぎてしまいましたが、今回は4月29日から5月6日にかけてバルセロナアジア映画祭(BAFF)に行ってきました。でも今回上映された日本映画に関しては、ほとんど去年11月の東京映画祭、今年1~2月のロッテルダム映画祭、4月フランクフルトで行われたニッポンコネクション見てしまったものが多く、映画の下見という観点では本当はどうしても行かなきゃ、っていうわけではなかったんですが、この映画祭のオーガナイズをしている友達のアマヤとカルロスに招待を受け、『これはもうバルセロナに行くいいチャンス!ラッキ~!』ってなわけで行ってまいりました。で、結果的には7日間で映画は5本しか見てません(汗) なんといっても天気はいいし、食べ物はおいしいし、会いたい友達はいるし、で、映画どころではなかったってところが本音です。やはりスペインというお国柄からか、一番初めの映画上映の始まるのが夕方6時から… 朝の9時~10時には始まるオランダ、日本、ドイツの映画祭とは比べ物にならないほど遅いです。そんなわけで、俺らも日中はビーチに行ったり、買い物したり、観光を楽しみました。このBAFF、毎年アジアの国を一つ取り上げて、その国の映画をテーマとして特集しているのですが、今年は香港映画で、ゲストとしてジョニー・トーが招かれ、彼の新作映画等数本が上映されてました。この監督、もともとはアクション物出身の人なんですが、ラブコメディーとか色々と撮ってて、とにかく映画を進行させていく上でのテンポというか、リズム感みたいなところにただならない才能を感じさせる人で、どんなジャンルの映画であろうとも、ある意味での緊張感がずっと持続してて観てる側を決して飽きさせることがありません。ヨーロッパでは特に人気のある監督で会場挨拶のときにも満場総立ち口笛吹きまくりの歓迎を受けてました。ちなみに今回の旅行中自分の携帯についているカメラでパノラマ写真が写せることを発見!! だから今回の写真は全てパノラマです。ここ最近、今年は9月中旬からの開催が決定している僕らのフェスティバル『CAMERA JAPAN』の準備がだんだんと忙しくなってきている中、今回のバルセロナでの一週間は、フェスティバルの為の情報交換、コネ作りの機会となったことは勿論でしたが、ある意味で本当にいい休養にもなりました。こちらはミロファンデーションの屋上から見たバルセロナの眺め。そして最後の2日間はバルセロナから電車で30分程のところにあるSitgesという街で過ごしました。このSitges,もともとは漁村だった美しい町なんですが、1960年代ころからはゲイのメッカとして知られているところです。写真に写ってるのは相方のDと今回バルセロナで合流したDの幼なじみで現在はチューリッヒに住んでいるT君。ほんとにきれいなビーチでした。なんでも内部の情報によれば2009年度のBAFFのテーマは日本映画だそうな…キャッ!また来年も来なきゃ!
2008.05.08
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先週の金曜日に親知らずを抜き、ズキズキするのはともかく、今ほっぺたがめっちゃ腫れてまるで『ガキデカ』状態。仕事もお休みした。今度の木曜日にバレンタイン・ディナーの予約も入れてあるんだけど、それ迄にちゃんと腫れが治まり普通の食事が食べられるところまで回復するのを祈るしかない。ま、そんなわけでちょっとゆっくりとブログを書く時間ができた訳だ。先月24日から10日間に渡り、恒例のロッテルダム国際映画祭 (International Filmfestival Rottterdam)が開催された。早い物で僕がこの映画祭に出席するのも今年で5回目である。今年で37回目となるIFFR、あまり日本ではなじみが無いようだが、ヨーロッパではカンヌ、ベルリンと並ぶほどの由緒ある映画祭だ。この映画祭は、処女作品、第2作目までの作品を製作する監督のみを対象に資金援助、バックアップなどをして、後にその完成作品を上映するコンペ部門『Tiger Competition』を設けている事でも知られ、世界的に新人監督の登龍門的な位置づけをされている映画祭であり、何処となくおおらかで開放的、カジュアルな雰囲気が会場やパーティーなど、どこに行っても満ちているところが新鮮で良いと思う。かつてそんなスタンスで知られていたアメリカ、コロラドのサンダンス映画祭にみられるように、ハリウッドで『インデペンデント映画』というものがもう1つの映画のジャンルにしか過ぎない物になってしまった風潮を受け、現在ではアカデミー賞と同様単なる映画製作会社、配給会社のPRイベントの1つに過ぎないものに化してしまう映画祭が増えて来ている中、IFFRの様な映画祭の存在は、それこそユニークで貴重な物であると言っても良いと思う。そしてそのような映画祭を運営して行く姿勢そのものが非常に勇敢なものに思われる。ところで今年のIFFRでは、日本からの参加作品の内容が量的にも質的にもイマイチ貧弱だったような気がした。で、周りの関係者の方達と色々と話していると、やはり日本の映画業界も最近はハリウッド化というか、商業主義的になって来ているらしい。大手の『x宝』『x川』などの映画界社が業界を支配するような傾向があり、要するにIFFRは、カンヌやベルリンと比較すると知名度が低いので広告的価値がないとみなされ、『プレミア上映をするならもっと有名な所でやらないと意味ない』っていうことになって来ているらしい。まあ全部がそうだとも言いかねるが、大金叩いてコネさえ攫んでおけば、どんな駄作でもそれなりに『名作です』みたいなPRの乗っかったレーベルを張って上映してくれる映画祭が増えて来てる、そしてそんな事が通用する映画祭がどんどんデッカくなって来て、さも重要な映画祭のように僕たちの目に映るようになってきてる、って事。それであまり日本で知名度のない映画祭が上映を要請してきたりすると、途方も無い上映料を請求してくるくせに、ちょっと名の知れてる映画祭に対してはちぎれんばかりにしっぽを振っておべっか使って『上映料は無料で構いませんから、ぜひ今年の上映作品に選んで下さい、お願いします!』みたいな感じらしい… 全くの悪循環だ。今年のロッテルダム映画祭のDirector in Focusの1人として特集が組まれ、日本から招かれていた小林政広監督(バッシング、愛の予感、その他)と知り合いになり、どういうわけか結構気があって一杯呑みながら色々とお話しする機会に何度か恵まれたのだが、どうも現在の日本の映画業界は自分の信念を貫いて、映画会社の言いなりに売れ線の映画だけを撮る事に反発する映画作家達には非常に住みにくい所らしい。監督もこの次の作品あたりからは海外に制作費のスポンサーを求めたい、みたいな事を言っておられた。そんな状況のなかで今年は若干24歳の石井裕也という監督の作品が4作も上映されたのは嬉しかった。この石井監督、大阪芸術大学の卒業制作として『剥き出しにっぽん(91分/16ミリ/2005)』を監督。この作品で第24回そつせい祭グランプリ。ぴあフィルムフェスティバル(PFF)2007グランプリ&音楽賞(TOKYO FM賞)受賞したひとで、そのあと2年間の間にあと3本の映画を制作し、計4本が全部IFFRで上映された。とにかく荒削りだが楽しい映画を作る人だと思った。なんだか去年『天然コケコッコー』を発表した山下敦弘監督を彷彿とさせる人だ。そういえば山下監督の作品は新しいのが発表されれば必ずプレミア上映していたIFFRだったが、今年は『コケコッコー』は上映されなかった。IFFRは今年から新しいフェスティバル・ディレクターを迎えたから、上映作品の選考姿勢が変わったのか? あるいは山下監督の映画配給会社も『ハリウッド化』してしまい、ロッテルダム映画祭は知名度が足りないとみなされたのか… はたしてどちらだろう? まあ、IFFRで上映済みの作品は基本的に上映しない、っていうのが僕らの映画祭『カメラジャパン』の方針だから、ある意味では山下監督の新作を僕らがプレミア上映できるチャンスが出て来た訳で、まんざらでもないことも確かであるが…こちらで日本映画祭をオーガナイズしている僕らにとって、このIFFRは絶好のネットワーク/コネ作りの場であり、今年も又毎日映画の合間に忙しく走り回ったり、業界パーティーにあちらこちら顔を出したりして、色々な方とお会いすることが出来た。 又、今回はミクシィを通して『ロッテルダム、オランダ、日本映画』というふうに検索をしたら僕らの映画祭である『カメラジャパン』が出てきたとの事で、日本で映画関係の仕事に長い事たずさわり、今新たにそういう仕事を立ち上げようとしていらっしゃる『かさやん』という方がロッテルダム映画祭に仕事絡みで来られるとの事で連絡を頂き、実際にお会いできたのが嬉しかった。自分が熱意を持ってやっている事を理解し合える人と出会える事は、やはりうれしい。まあそんな訳で、最後に今年観た作品のなかから僕の独断の10作品をご紹介。ちなみに等映画祭で観客投票で一位を獲得したPersepolisが入っていないのは、僕がこの映画をみたのが土曜日の夜で、この日はこの映画の前に既に朝から4本、しかもそのうち超スローな映画を3本もみた後だった為、この映画の上映中思いっきり居眠りしてしまったため… 今度劇場で公開されるらしいんで、もう一度観てくるつもり。それぞれの映画の内容のほうはリンクのほうからどうぞ。英語だけど勉強だとおもって辞書片手って感じでいかがでしょう?手抜きで申し訳ない!でも僕のつまらない解説を読まされるのよりはいいのでは…?それでは又。- Import Export- Let the right one in- Das Herz ist ein dunkler Wald- REC- Ploy- Estomago- Juno- Cargo 200- It’s hard to be nice- Stellet licht
2008.02.11
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お久しぶりです! 前回の日記からしっかりと時間が経過してしまいました。ごめんなさい!と言うわけで現在、12月22日から年末・年始を過ごすため日本に来てます。去年の10月末から11月初旬にも来てたんですが、その時は相方と一緒で、僕らがオランダでオーガナイズしてるフェスティバル絡みで東京国際映画祭に参加したりしてたり、アメリカから遊びにきてた友達と合流して旅行したりしてたこともあって、毎日ドタバタしてて家族と過ごす時間がなかったので、今回はまったりと家族中心の時間を過ごしてます。だから今回はあまり友達との呑み会とかにも頻繁には参加しませんでした。ちなみに僕が日本で正月を過ごすのは、よく考えてみるとかれこれ15年ぶりの事です。僕の両親は一昨年に帰国する迄アメリカに30年程住んでいましたし、僕自身も日本を離れてからもう25年程たっていて、しかも二人いる兄弟も1人はドイツにずっと住んでいるし、もう1人は去年迄上海に単身赴任してたりで、自分としても今迄あまり正月に日本に帰る機会、理由及び場所が無かったんです。それに飛行機代もこの季節は高いですし… でも一昨年からは実家がアメリカではなく日本になったこともあり、今回はフランクフルト発のアリタリアで安い切符が手に入ったので、思い切って又日本に行く事にした次第です。12月20日に電車でフランクフルトに行き、友達の家に1泊して翌日21日のミラノ経由の便で日本に行きました。そんなわけで、2007年の大晦日はフツーに家で紅白歌合戦をテレビでバックグラウンドに流し、年越しそばを食べ、熱燗を呑みながら『ゆく年来る年』を見てまったりした後、近所の深大寺まで歩いて初詣をしようかな、なんて思ってたんだけど、結局外の寒さと去年夜中に初詣に行った姪の『半端じゃなく混んでて、寒くて、死ぬかと思った』のコメントにめげて断念。行くのは翌朝に行く事にしました。で、翌朝は遅めに起きて、先ずはあらかじめ覚悟を決めてあったお年玉を姪ッ子二人と甥ッ子計三人(\\\)に渡し、その後はフツーに家族でお屠蘇を呑んでおせち&お雑煮で祝いました。そしてその後、腹ごなしを兼ねて深大寺へ初詣に出かけました。でもまあ向こうに到着するとやはりこの混雑ぶり…うちらが家を出てくる時には『連れてけ~』と大騒ぎでアピールした挙げ句、一緒についてきた我が家の迷犬ドルチェ君はこの人ごみを見たとたん、ご機嫌ななめ。しまいにはちゃっかりと『だっこ~』とせがみついて来ます。うん、家のこのドルチェが変な犬である事は以前にも日記に書いた事あるんですが、これ又今回帰って来た際に発見した事があるんです…実はドルチェ君、現在ハマりまくっている新しい趣味があるんです。それは何かと言うと…YouTube なんです! 最初話を聞いた時には『嘘つけ~!』って言ってた僕ですが、この現場を目撃した時は、かなりなショックでした。とにかく動物の画像を検索して、それを見せるともう『ジ~っ』と、いつ迄でも見てます。いつどうやってこんな事を憶えたのか、みんなよく判らないらしいんですが、とにかく誰かがメールのチェックしてたり、ゲームやってたりでコンピューターの前に座ってるのを見るといつの間にか隣に来て、足をカリカリと引っ掻いて『もっと見せてくれ~』と、せがみます。まったくこんな犬にしたのは一体誰なんだ~!?平和なお正月の日本からのご報告でした!!それでは、又。皆さんにとって2008年が素晴らしい年になる事をお祈りしております!!
2008.01.04
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いや~皆様本当にご無沙汰いたしました。このところ仕事が忙しかったのと、生まれつきの飽きっぽい性格が出たちゃったのが原因です。まあその他にもちょっと個人的な部分で色々ありまして… とにもかくにも本当に長い間のブランク、申し訳ありませんでした。で、現在は東京に来ております。19日にこちらに到着したばかりで時差ぼけで朝の5時半から目が覚めてます。まだ日曜だから誰も起きてないし、その時間を利用してブログを書いてます。僕がいままでこの数ヶ月間ブログを放りっぱなしにしてる間に、色々な所で色々な事がありました。これから先、写真で記憶をたどりながら数回に渡ってご紹介するつもりです。先ず第一弾の今回は、僕のアトランタ時代の親友、ゴンザロの結婚式の時の話であります。今年7月7日の事です。ゴンザロはマドリード出身なんですが、そもそも彼がアトランタにやって来た理由は彼の兄貴や従兄弟達がもう既にアトランタに前々から来て大学に通っていたからで、僕はその時点で既にこの連中と6~7年程の付き合いがありました。だから僕が彼らと出会ったのはもう既に20年も前の事です。で、そんな訳で彼らの家族の誰かが結婚するたびに僕は招待を受け、大家族の多いスペインなので今迄に7回程スペインの結婚式には参加した事があります。だからこの一族が半端じゃない金持ちだってことは、前々から重々承知たんですが、今回のは特に半端じゃない豪華なものでした。今回参加したゲストの数が450人!!こんなに沢山人の集まる結婚式に出席したのは始めてであります。スペインの結婚式にはWitness(証人)というのが新婦・新郎にそれぞれつく訳ですが、まあアメリカの結婚式でいうベストマン/ブライズメイドと同じです。で、今回僕もこの結婚式の証人になってくれと頼まれたした。っていうことは又『あれ』を着なきゃいけなかったんです…『あれ』というのは…そう、あのペンギンみたいなスーツです。スペインの結婚式で僕が証人をつとめたのは今回で3回目でした。でもこの衣装、どうも窮屈でダメです。しかも前回と同様またもや結婚式の行なわれたのが夏の真っただ中。スペインの夏は暑いので汗っかきの僕にはもう拷問です。ま、そんな訳で結婚式の行なわれるマドリードから車で2時間程の所にある彼の家族所有の農場へと向かいました。この農場の広い事たらなんの…ゲートみたいな所を車で通過して、『ここから先がうちの敷地だ』って言われてからさらに運転する事更に20分、既に山を2つ程超えた所でやっと別荘に到着です。元々は修道院だった所をそのまま改装したこの別荘、とにかくスケールがもう凄い事…アメリカのデッカい家に慣れてる俺も、ちょっと開いた口が塞がらないといった所。裏にはプールやらゲストハウスやらが至る所に…ゲストハウスを全部あわせると100人以上泊まれるんだそうな…、まじ~?母屋の裏にある野外チャペルが今回の結婚式のセレモニーが行なわれる会場です。先ずはそちらへと移動します。20分ほど久々に会う懐かしい友達連中と色々と話しているうちに、次々にゲストが到着し始めました。こうして例のペンギンのスーツで、例のクソ暑いスペインの夏の天気の中、長~いセレモニーを終えた後、今度は母屋の正面側の牧場に移動します。皆今度は一体何を待っているのかと申しますと…はるばるガリシアから連れて来たと言う伝統的な乗馬パフォーマンスのお披露目です。クラシック音楽に合わせ、見事に訓練された美しい馬が何頭も次から次へと、新郎新婦の前でダンスのようにステップを踏んで祝福していきます。 こうして馬のショーがおわり、カクテルを呑みながら、わいわいがやがやとやっているうちにだんだんとあたりが暗くなって来ました。なんだか『未知との遭遇』って感じでしょ…?そしてディナーの時間となりました。シエスタの国、スペインですから既にこの時点で10時半過ぎ… シエスタ(昼寝)とメリエンダ(夕方に食べるタパスの軽食)が無ければついて行けません、このペースは…なんと言っても450人以上のゲストですから、自分のテーブルを探すのも一苦労です。こちらはテーブルの配置図…まるでウインブルドンのドローを見てるみたいな感じです。で、ダークと僕のテーブルはNo.2。新郎新婦のテーブルの隣でした。同席の面々はみんな20年来の付き合いの友達連中とそのワイフ達だったので変に緊張せずに済み、楽しかったです。やっぱゲイのカップルを目立つ所に座らせてリベラルさをアピールしようって事かな、なんていう又ひねくれた考えを頭の中で巡らせつつ、恐らくこの結婚式の出席者の中で、最も銀行口座にある貯金が少ないであろうと思われるこの自分らを、それだけ親しい友達と見なしてくれてるんだなぁ、などと最終的には感動する俺でした。いゃ~、でもマジで思いました。もしこんな結婚式を自分がやろうと思ったら、自分の一年分の給料全部はたいても無理だろうな、って…食事が終わったのが既に夜中の12時くらい。いよいよ本格的なパーティーです。趣向を凝らしたライティングなどでいい感じにセットアップされたプールの周りでパーティーは始まりました。これはこの農園の敷地内でハンティングの際に狩られた鹿の角… この農場のなかの客室、晩餐室なんかには至る所に飾られてますが、こっちは氷の固まりのなかに入ったもの… スペインならでは、って感じですね。朝の2~3時頃になって、やっと新郎新婦のゴンザロとロシオからの挨拶及びファーストダンスが… で、その後はもうひたすらディスコフィーバーって感じ? (ださ…、 すみません。ボキャ貧で…)ちなみにこの時点でもう既に時間は朝の4時頃。それにしてもスペイン人たちは、夜が強いのなんの…、もうパワーが全く違います。これもシエスタとかしてなきゃやってられないって事ですね…そうこうしてるうちに、朝の6時半くらいになるともう空は白々と明るくなって来て、すでに太陽が昇りかけてます。で、こちらはまだまだ元気に踊りまくってる俺の昔なじみの友達連中。左側のカップルはゴンザロの兄貴のイバンとワイフのエスティバレス。イバンは僕のアトランタ時代のベストフレンドで、テニスチームで一緒にプレイしてたこともあります。もう13年程前に行なわれた彼の結婚式の時にも僕はウイットネスとして出席しました。っていうかこの時点でもう朝の7時半頃… この頃になると一口で食べれるような朝ご飯とかがサーブされて、みんな踊りながら食べてました。お前らもう朝だろ!もういい加減にしろよって感じです。ちなみに向こうがフィーバしまくってる間にうちの旦那はどうしてたかと申しますと…もう完璧にダウンしてます。やっぱシエスタもせずに勤勉なドイツ人はParty Pooper(パーティには弱い奴)ってことですね… それにしてもこの翌日(っていうかこの日の午後)は、全く丸つぶれでした。でも楽しかったよ!そんなわけでムチシマ・グラシアス!それでは又!
2007.10.21
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うちの相方のダークは昨日からスイスにスキーに行ってます。帰ってくるのは来週の月曜の夜。俺も行きたかったけどもう休みが余り残ってないし、スキーも去年の暮れに1回オランダの人口スキー場でやったのみでその時にも転びまくってたから、ダーク並みにスキーの上手いメンバーが揃ってる所に行ってもお荷物になるだけだし… とにかくそんな訳で俺は今回はロッテルダムで留守番です。まあ仕事忙しいし、カメラジャパンの準備の方も忙しいし、だからこちらでコツコツやってます。さて今頃楽しくスキーを楽しんでるいるダーク、このまえ、(って言ってももう2週間過ぎてますが、)僕らのすむデルフトハーフンにあるWormっていうベニューでDJのギグをやることに… このWorm、エレクトロニック系の実験的な音楽、オーディオ・ビジュアルのイベントなどを中心に行うNPOのベニューなんですが、2年程前に僕らの住処のすぐそばに移って来たんです。元倉庫だったスペースなんですが、ロッテルダム市がまだこの先この場所を何に使うか決定してなくて、それまでの間だけっていう条件でこのスペースを使う事を許可さてるため、壁には一切釘を使わないという条件で内部をリノベート、改装に使用されている素材、木材は全てリサイクルされたもの、飲み物はビール、ワインを含め全てオーガニックのものだけ、というこだわりようです。そんなわけでこちらは大型トラックのタイアをリサイクルして作られたソファー・チェアーバーも全てリサイクルの木材と他の建築場所で残ったエアコンのダクト、20年くらい前のアップルのモニターなんかで作ってありますここWormでは映画の上映もたまにやっていて、やはりかなりコアなアート映画とかを中心にやってます。ちょっと前には寺山修司氏の映画なんかもここで上映してました。で、ここのプログラミングををやってるのが僕らの友達のピーターていうアイリッシュ人、それで今回のテーマはOrbital Obsessionということで宇宙とかコズミックっぽい題材のインデペンデント系の映画を毎週木曜日の夜に上映してるんですが、この晩にプログラミングされた映画は、旧東ドイツの宇宙飛行士が初めて宇宙飛行をしたときの話を貴重なビデオ画像やアニメ等を使った偽ドキュメンタリーInterkosmosで、それにちなんでって訳じゃないんだけど、お互いに根っからの映画・音楽通ってことで日頃から仲のいいダークに今回もDJをやってくれと依頼して来たってわけです。映画上映が夜の9時からでそれが終わった後、10時半から2時迄の間バーのほうでDJ Digglerことダーク君が自分のLP、CD、それにiPodを持参して色々とスピンしたんだけど、80‘s、90‘sのインディーロックから、ノイとかカンなんかの70年代のドイツアルトロック、Mouse on Mars、To Rococo Rotなどの結構ビートが効いてのれる系のドイツのエロクトロニックなどなど幅広くかけてました遊びにきてくれた友達連中も結構楽しんでくれてた模様、でも一番楽しんでたのは勿論ダーク本人でした。
2007.03.10
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皆さんこんばんは。(日本はおはようですね)10日程前には目覚めたら素晴らしくきれいな朝焼けが見えたりして…『これはもう春の予感?』なんて思ってたんですが、とんでもない…この所オランダの天気は最悪です。やはり2月頃が一番天気の悪いときなようです。2日に一度は雨で風がびゅーびゅー吹いてるか曇ってて寒いかどちらかって感じです。一年間全般的に見るとオランダの天気はそれほどは悪くないんですが…そんなわけで今も窓の外は風がびゅーびゅー音がしてるのをききながらこのブログ書いてます。この前のかつらのブログの反響でこの手の『変身ネタ』はギャル友にヒットするって事を発見したので、またうけ狙いでこの前ベルリンで正月を迎えたときの話をご披露しちゃいます…ダークと俺の誕生日をダルムシュタッドでカラオケパーティーをやったのを憶えてる方も居るかもしれませんが、その時に来てたドイツ人の友達でまず最初にカラオケに飛びついた女の子がいたんですが、彼女、アンニャっていいます。マイクを持ってMakiちゃんの横で歌ってるのがアンニャです。それでこのアンニャ、お仕事の方はというと、ベルリンにある有名なレビューシアター、Fredrichstadtpalast(フレドリッヒスタッドパラスト)っていう劇場でコスチューム・デザイナーをやってるんですが、この劇場、要するにパリのLidoとかムラーンルージュみたいな感じのキャパレーショーというか、噴水やプールみたいな大掛かりな舞台装置とかをつかい、豪華な衣装の人たちが踊り廻り、飛び回るみたいなショーをやるシアターなんです。で、規模的に行くとこちらの方がリドとかムランルージュよりも全然でかいそうです。だからそこのコスチュームデパートメントのヘッドである彼女は、お偉いさんってわけです。あのときのカラオケの姿からは全く想像できませんでしたけどね…とにかく大晦日から新年にかけてベルリンに来ていた俺らはある日、彼女の働く劇場の見学をしに行く事にしました。劇場は4月中旬から始まる新しいミュージカルショーの準備のため閉鎖中。着々と準備が進められていました。今度のショーはステージの中央に大きなスイミングプールが出来るんだそうです。この新しいショーのため、アンニャは150着近いコスチュームをデザインしなければなりません。だから毎日もう大変な忙しさです。こちらはアンニャがデザインして書いた図面をもとに実際に衣装を作ってる部屋の模様、みなさんミシンを駆使してガンパってました。とにかく何処を見ても衣装だらけ…マスクとかも全部彼女がデザインしますこれはかつらとかマスクのサイズを合わせる為に使うものですねとにかく舞台衣装の生地やアクセサリー類は全部あります、って感じです。それで、その下の階が…ワードローブ室。今迄のショーで使われた衣装たちが眠る倉庫。もう衣装の山でした。『うゎ~つ』『キャー』って言ったっきり俺らは二人とも駆け足でコスチュームの山の中へ入って行きました。いままでトラニー(女装)とかの傾向があるなんて考えた事ないけど、『こんな所に来た途端に、知らずのうちにマグマのように蓄積されていた願望が一気に爆発したのか?』みたいなノリでした。まったく新年早々何やってんだ、バカ!って言われそうな感じでしたが、でもなんかおもしろかったです。こんどこんな出で立ちでウインドウショッピングを楽しもうと思ってます。
2007.03.01
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1月末から2月にかけて10日間にわたるIFFR映画祭開催中、ある土曜日のこと。この日は朝の10時半から映画ばっかり見てて、椅子に座ってばかり居るのがちょっと辛くなった夕方の4時半くらいのことです。この日3本目の映画を見終わった時点で次の映画をパスする事にして、この映画館の近くにあるギャラリーとか美術館の集まってるWitt de Withstraatっていう通りを散歩する事にしたんです。それでその通りにある俺のお気に入りの"Tent"っていう名前の、モダンアートの色々と尖った感じのアートが常に揃ってる美術館があるんですが、6時迄やってたんでふらっと入ったんです。もう外は暗くなって来てました。Tentではいつもスペースをたっぷりとって、ワンスペースに大きなアートワークを1つ『ぽん』と置いてみましたみたいのが多くて、ここ数日の間、混み合った映画館で座りこんで映画を見続けてた俺は凄く癒されました。で、最初にちょっと気になったのは野球のグローブで出来たこのフィギャー。ちょっとレザーフェチ??そしてナイキ・ジョーダンで出来たこの熊さん!で、上の階にいってみるとこんどはプラスティック製のパティオチェアで出来たオブジェが…でも次の部屋にあった『これ』にはちょっとぶったまげました。っていうかある意味でこの作品には一目惚れしました。クジラの骨。パティオチェアが、こんなに美しいものに変身するとは…ロッテルダム国際映画祭からちょうど一ヶ月が経つんですが、実は映画祭の時の事を思い出そうとすると、あの時に観た映画の事よりも、この『クジラの骨』のことが未だに頭の中に甦ります。で、先週Tentにいってみたら、もう置いてませんでした。あの骨は今、世界の何処に展示されているのやら…
2007.02.24
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10日間続いたIFFR (International Filmfestival Rotterdam) が終わったのが先週の土曜日。この期間中は毎日外食、映画の見すぎ、酒の飲みすぎ、夜更かししすぎの連続がたたって僕はすっかり風邪をひいてしまいました。そんな訳で久々の日記です。今更なんだよ、って感じですが映画祭の話。開催期間中は色々あって忙しかったですが、また『あっ』という間に終わったって感じです。今年は去年より見た映画はかなり少なくて30本弱でした。俺的に気に入った映画は以下の12作品でした。なお順番と気に入った度会いとは関係ありません。- 7 Ans(France)- Park (USA)- Retribution (日本)黒沢清の新作- Man's Job (Finland)- Cover Boy (Italy)- Viva (USA)- The Host (Korea)- Rescue Dawn (USA)- Ca Brule (France)- Dixie Chicks: Shut Up and Sing (USA)- D.O.A.P (UK)- Paprika (日本)こんさとしの新作説明の方はタイトルをグーグルすると判ると思います。だから説明は飛ばしてもう自分の話へ…こちらがSchouwburg 普段はクラシックコンサートの会場などに使われてる所ですが、映画祭期間中はこちらがパーティー会場と言うか、その日の映画のチケットを持ってる人だけが入れるバーとクラブが中に配置され、大変な賑わいになります。毎晩最後の映画を見た後にはここに来てまずビールを飲んで『今日見た映画はなに? どれが良かった?』なんて言う風に情報の交換をしてた所です。このShouwburgの前には大きなスクエアーのようになっていて、その近辺に映画祭の会場になっている建物が色々あるんですが、とにかく映画祭関連のPRのグラフィックスや照明デザインもやはり建築の街を意識したスケールの大きな見せ方をしてるな、って感じです。こちらは映画祭オープニングの夜に開かれた完全ゲストリスト制のウエルカムパーティー。ロッテルダム駅となりにあるビルディングの屋上をワンフロワー全部使ったパーティー。去年の映画祭で知り合って仲良くなった連中も皆揃ってて、いつまででも居たいほど楽しかったんですが、翌日仕事があるので俺らはパーティーが一番盛り上がって来た午前2時ごろに泣く泣く帰宅しました。ところで映画祭というとこのところ必ず一緒になるフランクフルトのニッポンコネクションの連中なんですが… はいはい。今年もまたロッテルダムにやって参りました。この三ヶ月程前、去年の10月東京映画祭の時に一緒になった記憶もまだ新しいんですが、ここでも又一緒です。なんかロッテルダムの知り合いよりもこの人たちに会ってる頻度の方が高そうです… この次は4月末にフランクフルトで行われる彼らのフェスティバル、NIppon Connectionの時に再会する事になります。そんなわけで、今年もロッテルダム映画祭、無事終了しました。ところで映画祭の始まる寸前にちょっとした用事でドイツのダークの実家に行ったんですが、その時に物置の整理をしてたらあいつのお母さんの昔使っていたピエールカルダンとかのデザイナーブランドのかつらが沢山出て来ました。色々と見ているうちにやはりおかまな俺らは次から次へとTrying On。結構一瞬にして盛り上がりました。そういうわけで、このときいかに盛り上がったか、ちょっとご紹介…おまけでございました。それではまたCiao!
2007.02.11
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IFFR(International Film Festival Rotterdam)が昨日の夜から開催されました。お友達の龍児さんの日記でもこのIFFRの話題はこれからちょくちょく出ると思うので、映画に興味のある方は僕らの日記を両方読まれるといいかも…、です。オープニング・フィルムは招待客向けのスクリーニングがアルゼンチンのエステバン・サピアー監督の『LaAntena』一般向けがワーナー・ハーゾッグ監督の『Rescue Dawn』でした。僕はこの日は仕事があるしその後はオランダ語のクラスもあったので字幕付きでディープな内容の『LaAntena』はちょっときつそうだな、と思ったので、内容が英語でアクション派のムービーであるというネット上の情報に頼り、『Rescue Dawn』のほうを見に行ってきました。チケットは既に予約受付開始数時間後に売り切れだったんですが、僕はダークともう1人オランダ人のパートナーのアレックスの3人で『CAMERA JAPAN』という日本映画際をオランダでオーガナイズしている関係上、ゲストパスをもらっているので、当日の朝にチケットをゲットすることが出来ました。ゲストパス及びプレスパスの所持者にはどの映画にも一般販売用とは別にチケットが用意されていて、ソールドアウトになった映画でもまだチケットが入手できます。このパスは映画のチケットはすべて無料、他にパーティーやQ&A,記者会見やレクチャーなどにも自由に出入りが出来るというもので、自分たちの映画祭のための下準備やコネ作りのためには欠かせないものです。ただしゲスト及びプレスパスの利用者は何日も先の映画のチケットの予約をすることは出来なくて、その映画の上映される前日、当日のみにカウンターにいってチケットを入手するというシステムです。 僕は結局昨日の夜は会社の仕事がいきなり忙しくなってしまったため、結局夜のオランダ語のクラスは休む羽目になり、やっと終わらせたレイアウトを印刷所のサーバにアップロードし終わったのが夜の9時から上映の『Rescue Dawn』の始まる5分ほど前。必死に自転車で突っ走って映画館に到着したら、監督や俳優たちの挨拶中につき入り口は全て閉められていて、結局ドアが開いて中に入れたときにはもう中は真っ暗、前から5番目の、巨大スクリーンを前にずーッと上を見っぱなしで首のこる体勢を余儀なくされる席に座る羽目になりました。Rainer Werner Fassbinder, Volker Schlöndorff, Wim Wendersらと共にドイツニューウエーブシネマを代表するドイツ人監督の1人、Werner Herzogの新作である、この『Rescue Dawn』は、ベトナム戦争中に秘密ミッションを遂行中にジェット機が追撃されジャングルに墜落、ラオス共産主義軍の捕虜となった後に生還したドイツ生まれのアメリカ空軍パイロット、ディエター・ダングラーの実体験をもとに描かれたものです。Werner Herzog監督はもともとドキュメンタリータッチの作品を得意とする作家です。実はこの監督、ダングラー氏の体験記は1977年にもドキュメンタリー映画を製作していて、監督にとってはとても思い入れのある物語であるといわれています。2005年には、動物愛好家として野生の熊の周りで生活を続け、最後には熊に食い殺されたことがニュースをにぎわせたティモシー・トレッドウェル氏の生涯を描いた『GRIZZLY MAN』を発表、絶賛を受けました。他にも『フィッツカラルド』『神の怒り』などといった名作を数々と世に送り出しています。実話に基づいた映画、しかも監督がドキュメンタリーを得意とする人だけに、この『Rescue Dawn』、内容的にもまるで見ている側まで一緒にラオス・タイ国境のジャングルの中にいるような錯覚を起こさせるほどの現実的な描写で淡々と描かれ、ハリウッド的な大げさで超マッチョな戦争映画を期待していた人は肩透かしを食うかも…主演は『American Psycho』や『Batman Returns』などで知られるクリスチャン・ベール。端正なルックスとクールなダンディズムでアメリカでも多数のファンをもつ俳優ですが、今回の『Rescue Dawn』では、捕虜という最低レベルでの生活を余儀なくされる人間の直面する数々の極限的な苦るしみや絶望、怒りといった感情を、体当たりの汚れ役で見事に演じきっています。今回のIFFRはオープニングナイトに上映されたこの『Rescue Dawn』と最終日のクロージング・フィルムの『The Prestige』の主演でもあります。今年のIFFRはクリスチャン・ベールで始まり、クリスチャンベールで終わるわけです。明日金曜日からは僕も週末になるので、スケジュールもぎっしりで、一日4本から5本の映画を見る予定になってます。たぶんこんな風に長々と一本の映画のことを書いてる余裕はないかも…でも凄く良かった作品、印象に残った作品とかがあった場合には出来るだけ書きますね、それでは又。
2007.01.25
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昼寝から目を覚ました僕らはローマの街をぶらぶらと歩き回る事にしました。まあ、行った場所はみんなと多分変わりないと思うんですけどね。何処行っても日本人をはじめ、色々な国の観光客がいましたから。だから別に説明をする必要も無いと思うので、今回は写真だけパパっといきます。まず最初にいったのがパンテオン。最初にパンテオンが建てられたのは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによってだったんですが、後に火事で焼失し、現在ローマで見ることができるのは2代目のパンテオンです。ドーム内部は天辺の部分に穴が開いてます。これは設計上どうしてもドーム状のものを作った場合には穴をつける必要があったんだそうです。っていうか、建築家のダークがたしか色々と説明をしてくれたんだけど、その時ぼーっとして天井見上げてたんで、なんで穴が必要だったのか良く憶えてないです。すみません!こんど又訊いておきます~!こちらは夜のパンテオン。やはりいい雰囲気です。真っ正面のカフェで、他の店の倍近い料金を払ってコーヒーを飲みました。景色代です。話は変わりますが、日本の誇る建築家である安藤忠雄氏は、若い頃にこのパンテオンに深い感銘を受け、建築家になる決心をしたんだそうです。それで、今回ローマで他に行った所と言えば…古代ローマの中心地であったフォロ・ロマーノ逞しいマッチョなグラディエーターや猛獣達が命をかけて格闘を繰り広げたコロッセオそして、こちらはバチカンです。ところでこのバチカンのサンピエトロ広場の周りを囲んでいる大きな柱、四列にわたって広場の周りをぐるりと囲んでるんですが、この広場のど真ん中に立って見ると、一番前の列の柱だけが見えて、一列の柱が周りを囲んでいるように見えるように設計されてるんだそうです。でもこのときはちょうどこのサンピエトロ広場の中心部にあるオベリスクの所にこんなクリスマスのディスプレイが出ていたので、中央部に立ってそれを確かめる事は出来ませんでした。舞台の後ろに立っている塔みたいなのがオベリスクです。中心迄行けなくてややムッとしかけた俺でしたが、このディスプレイを守ってるバチカンの警固兵がいい男だったので即効で許してしまいました。それにしてもまあユニフォームのオシャレな事ったらありません。で、サンピエトロ寺院の入り口あたりの警護兵のユニフォームはこんな感じ…こちらはサンピエトロ寺院の内部。天井のディテールが素晴らしいです。目映いばかりの光のリフレクションがまさに荘厳なムードをかもし出します。こんな光のマジックに見とれているうち、どうして建築と光をテーマに研究/デザイン制作活動を行っているトーマスが、このローマに来たのかってことがちょっとわかったような気がしました。こうしてダークと俺はこの後の二日間も、こんなペースでローマの街をこれと言ったスケジュールもなくぶらぶらして、美味いイタ飯を毎日たらふく食って、ゲイバーにも行ったりしてゆったりと週末を楽しみました。ダーク、すてきな誕生日プレゼントをありがとう!ところで俺からダークへの誕生日プレゼント、未だにちゃんとやってないんです(汗)クリスマス休暇前に仕事が凄く忙しかったんで、クリスマスのプレゼントはやっとの事用意したんですが、誕生日のプレゼントの方は本当にアイディアを考えてる余裕がなくて、『来年迄ちょっと時間をくれ~』って頼み込んで、実は現在時間稼ぎしてる最中なんです。クリスマスと誕生日が近いっていうのはこういう時に本当に困ります。早く何か考えないと…っていうか一応考えてるアイディアはあるんですが…それを実現できるのはどうやら来月になりそうです。その件についてははまたご報告いたします~!それでは、又。皆さんお元気で!
2007.01.22
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結局1月14日までにベルリンの日記を全部終わらせる事は出来なかった… まあいいか…でも大晦日も楽しかったし、その後にも楽しい事ありました。そのうち暇ができたら突発的に書くかも知れません。先週の週末、ダークとローマに行って来ました。これは僕の誕生日にダークが2人分の往復の航空券をプレゼントしてくれたもので、僕は今回が初めてのイタリアでした。っていうか、正確には3年前の夏にスロベニア、クロアチア、スイスを車で回った時に、イタリアのスイス国境近くで1泊した事があるんですが、そのときはもう夜中に運転で疲れて寝る為にストップしただけだったし、周りはみんなドイツ語話してたし… だから今回が初めてのイタリアと言ってもいいと思います。実は今回ローマに行く前に、何人かの人から『ローマの人間は陰険だ』とか『スリが多い』とか色々と脅されて結構ビビってたんですが、結果から先に言うとノープロブレム。圧倒的に美しい街で、心からエンジョイしてきました。今回ローマで滞在した先は、ニューヨーク時代の友達でマレーシア出身のトーマスが現在スカラーシップを受け、研究活動をしているAmerican Academy in Rome. ローマ空港から電車とバスを乗り継いでたどり着いてみると、『うっわ~、なんやこれ~!』とダークも俺もぶったまげてしまうような所でした。とにかくで、でかいこと… アメリカ、スペイン、アイルランドなど各国の大使館の建ち並ぶローマの一等地であるこの近辺に6ッ箇所もの施設を持つこのアカデミー、アメリカの芸術、建築、デザイン、文学、考古学、人類学、歴史学、社会学、音楽など、各界からよりすぐられたメンバー30人近くが六ヶ月から2年に及ぶ研究、制作期間を過ごしている場所です。それでこれが本館正面の入り口…わかりますかこの大きさ?ドアの前に立ってるのが僕です(身長172cm)門番のいる正門から入り口迄真ん中にある噴水を挟んで100メートルは軽くあります。そして入り口を入ると中庭が… 階段の所に居るのがトーマス。トーマスは今回アメリカからの建築家として照明/自然光と建築デザインの相互関係の研究の為、今回ローマに招かれて、去年の9月から研究、制作活動をしています。この彼、要するにスーパーエリートなんです。マレーシアで生まれ育ち、10歳の時にカリフォルニアに家族一同引っ越して来て、その後大学はニューヨークのイーストビレッジにあるクーパー・ユニオンという学校で建築の博士号を取りました。このクーパー・ユニオンという学校は、年に5人前後しか生徒を受け入れない事で知られるエリート養成所のような特別な学校で、金さえ積めば入れてもらえる所ではありません。そして選りすぐられて入学した生徒は全員奨学金をもらえて授業料はすべてタダ。とにかく入るのが半端じゃなく大変な学校な訳です。今回のこのアメリカン・アカデミーでのローマ留学も、なんでも150人近い応募者の中から選ばれたんだそうです。ちょっとそう云う世界って、想像できません。俺なんて今迄に成し遂げたアカデミックな業績と言ったら、池袋にある私立X教中学校の入学試験に奇跡的に合格し、その後低空飛行のギリギリの平均点で大学に進学、そしてその直後には渡米、中間と期末試験だけを受けに日本に帰ってくる生活を繰り返して在籍最長年度ギリギリの8年がかりで卒業した事くらいです。(それにしても授業に全然出てなくても卒業できてしまった所がすごいでしょ? 友達に出席届けのカードとかかわりに記入して出してもらってたし、大講堂で行われる授業なんて、出席の確認とかほんと適当でしたから… 僕の名前が呼び出された時にもかわりに友達が返事してくれたりとか、しょっちゅうでした。やっぱあの当時の日本の大学は適当だった、ってことですかね…)くじ運のほうはというと、雪谷大塚の商店街の福引きで昔一度北島三郎ショーのチケットを2枚あてた事があったくらいかな。もちろん切符は近所のおばちゃんにあげて、自分は行かなかったですけど…とにかくエリートのトーマス君はこ~んなにでっかいスタジオをで制作、研究活動をし、3人の専属グルメシェフによって調理された料理を、1日2食この食堂で食べ、(どこかに食べに行かなかった場合は、という事ですが)一ヶ月に一度のペースで世界各地にそれぞれの土地の文化、芸術に触れるための旅行に連れて行ってもらって、それで経費は全部むこうが負担という夢のような待遇です。みなさ~ん。若いうちに一生懸命勉強すると、こんな人生が開ける事もあるんですよ~!! 俺なんかの場合、後悔先に立たずっていうのはこの事ですね。っていうか俺の脳みそ/才能の限界は、もうとっくの昔、がきの頃からわかってはいましたが… とにかくこのアカデミーの規模、豪華さ、全く持って信じられませんでした。政府関連の施設にはやっぱ金があるんだな~、と納得しました。こちらがバルコニーとそこからの眺め…周りにある建物はすべてアカデミーのもの。晩餐会などに使う時以外はだれも使ってない建物とかあって、もうほんと贅沢三昧です。で、もうちょっと周りを見回すとローマ市内のパノラマが見事に広がってます。こんな環境の所に一年もいたら、それこそインスピレーションが沸いて素晴らしい作品や小説、楽曲などが出来ない方がおかしいですよね。それで裏庭はこんな感じです。裏庭を散歩するダークとトーマス。この二人はニューヨーク時代に同じ建築事務所で一緒に働いていた仲で、それ以来の付き合いが続いています。なぜか裏庭を眺めながらガッツポーズのダーク。なんなんだろ、こいつ…ところでこの"Bear"って入ってるスゥエット、俺のお気に入りのやつなんだけど…なんでダークが着てるの?アントワープ出身のWalter Van Beirendonckっていうデザイナーのセーターなんだけど、多分俺の(俺らの?)持ってるスゥエット・シャツのなかで最も単価の高いものかも。このWalter氏、もうもろ熊専、レザー系のゲイで、そういえばアントワープにThe Bootsっていう超ハードコアなゲイ・セックス・クラブがあるんですが、以前そこに行った時に、そこのダークルームにいきなりさりげなく立ってたりしてた事もありました。おっと、何故か話がアントワープにそれてしまった…とにかくアカデミーに到着後内部を色々と見て回ったあと、この日朝5時に起きて飛行機に乗って来た俺らはさすがにちょっと疲れて来たので、少しだけシエスタの昼寝をした後でローマの街を歩こうと言う事にになりました。(続く)
2007.01.17
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12月29日この日は午後2時頃迄爆睡しました。起きるともう雨は止んでました。このアパートの周りは、まだ町並みにかなり東ベルリンの雰囲気が残ってます。左手の後方に小さく見える串刺しの団子みたいなのがかつての東ベルリンを象徴するアレキサンダー広場のテレビ塔です。突然話が音楽の話に飛びます。70年代後半から80年にかけてあのデビッド・ボウイがアメリカでのドラッグ浸りの生活を離れ、ベルリンでひっそりと音楽作りをしてた時期があって、環境音楽の生みの親として、その後エレクトロニック系ミュージシャンたちの神様的存在となったブライアン・イーノが制作に加わり『ロウ』『ヒーローズ』っていう「ベルリン二部作」と呼ばれるアルバムを立て続けに録音した時期があったんです。(『ヒーロズ』の後の『ロジャー』を入れて三部作っていう人も居るけど、『ロジャー』は俺的には全く前2作に比較に値するほどの作品ではないと思っているので、独断で二部作って事にしちゃいました!)一部のファンはこの時期のアートロック的な作品を彼の最高傑作とみなしているんですが、僕も同感で、この2枚のアルバムには完璧にノックアウトされた口です。その後80年代に活躍した様々なアーティストに与えた影響力は大変なものがあったと思います。このボウイの2枚のアルバムとか、それよりちょっと前の頃、初期のロキシーミュージック(『アバロン』以降の、商業的成功の為に身売りしたブライアン・フェリーのダミーバンドに成り下がったロキシーではありません!)あたりのアルバムがこの世に出てなかったら、おそらく今時のエレクトロニカ・ミュージックなんてのは出て来てなかったと思います。とにかくエポック・メイキングなアルバムだったんです。そんなボウイの音楽を聴きながら僕は、写真を眺めてまだ行った事の無いベルリンという街の醸し出す排他的なデカダンスに魅了され、暗くて深淵、同時に攻撃的、刺激的、そして哲学的なアートの街だっていう印象を脳裏に焼き付けたんです。まあとにかく、この日は起きた後にダークが、近所の友達の家に最近生まれた赤ん坊に会いに行って来るって言うんで、俺は留守番してアパートでこうしてぼーっとしてることにしたんですが、上の写真みたいなどんよりした空の元、旧東ベルリンの殺伐とした風景をこうやって眺めてたら、そんな昔のあこがれの念が突然甦って、まだ中学生の頃、渋谷のCiscoっていう輸入版の店でボウイのLP(CDじゃないですよ!LPだよ、LP!!)を制服のまま買いに行って、早く聞きたくて駅から家迄駆け足で帰って、それでそのLP聴いてめちゃくちゃ感動したことを思い出しました。それこそホント、鳥肌立っちゃって、涙まで出そうになっちゃってね… 今思えばあの頃はテニスの部活と音楽だけが僕の人生の大部分を占めてました。まだセックスの事なんか知らなかったし、自分がゲイであるなんて事も気ずいてなかったし… とにかく思春期の始まる寸前っていうんですか…? 多分俺の人生の中で最も感受性が強かった時期だった気がします。その後年を取って行くごとに何事に関しても感動のインパクトっていうんですか、なんかこう全身に『ガツーン』とくる感動って言うのがだんだんとなくなって来ちゃって、もう今では何を見ても聴いても批評とか屁理屈が先回りして頭の中にいっぱい湧いてきちゃう… まあ、『それが大人になるって事なんだ』って言っちゃったらそれ迄だけど、なんか寂しいですよね、年と共に感動がどんどん薄れてくってのは…とにかくそれで、こうやって今ドイツ人の彼氏とここに来てるっていう事実がまるで信じられなくて、『色々あったよな、俺の人生もその後…』みたい感じで感慨にふけっちゃいました。唐突でしょ、これって? 二日酔いのせいで脳の中に変なケミカルが満ちちゃってたのかも知れません。このあとダークが戻って、俺とダークはトレンディーなミッテ地域をぶらぶらとウインドー・ショッピングして、その後友達のアーティストのベアギットとボーイフレンドのティルに会いに行きました。ベアギット、彼氏のティルとダークティルはベルリンにバーを3軒経営してる、無口でダンディーなプレーボーイ野郎です。ベアギットと俺らの出会いはやはりニューヨークでした。彼女は俺とダークがちょうどニューヨークに住んでいた2001年に、クイーンズにあるPS1っていう美術館主催のレジデンシー・プログラムに、ドイツ代表のアーティストとして招かれてやって来ました。このレジデンシー・プログラムというのは、PS1が世界中12カ国(たしか12だったと思う)からそれぞれ1人づつインスタレーション・アーティストを呼び寄せて、各自にスタジオを与え、ニューヨークに一年間滞在させ作品制作を行わせ、一年後にそれぞれのアーティストによるインスタレーションをPS1美術館の中で展示する、という企画です。そんなわけでニューヨークに到着したベアギットだったんですが、美術館側の手違いなどが原因でドイツ政府の用意していた宿泊設備の準備がまだあと一ヶ月は出来ない状態になっちゃってたんです。それでダークのベルリンの友達経由で僕らに連絡があり、俺らの住んでいたイーストビレッジのアパートに1月間だけ間借りさせてあげる事になったんです。この当時すでに5歳程になる子ずれの独身ママだったベアギット、正式な住処が決まる迄の間は子供をベルリンの母親のところに預けて来ていました。それがまあこの彼女、俺らが今迄に出会った人間の中でも、男女を通じてもおそらく最大のパーティー・アニマルだったのです。彼女が俺らのアパートに一緒にいたこの一ヶ月間、俺は彼女に付き合って遊び歩き、平日は会社に行かなければならなかった事もあって毎日睡眠不足、飲み過ぎ、プッ飛ばし過ぎが重なって8キロくらい体重が減りました。まあその辺の裏話は色々あるんですが、スペースの都合上省略です。でもホントこのときの俺、もう血を吐く寸前でした…俺らはベアギットを通じて同じプログラムにオランダから参加してたアムステルダムのビデオ・インスタレーションのアーティストや、アイルランドのアーティスト、フランスのアーティストなんかとも仲良くなって、いまだに交流があります。ところでアーティストとしてのベアギットの作品の方はかなりコンセプチュアルな要素の高いインスタレーションで、その道の人たちには高く評価されてる著名人です。社会的な問題をものすごく鋭いスタンスでダイレクトに表現したものが多く、ベルリン魂炸裂って感じです。そんな彼女、ここ5年ほどはもう引っ張りだこの人気で、一年中世界のあちらこちらのギャラリーで展示のためにいつも飛び回ってます。つい2週間くらい前迄は、韓国の釜山に一ヶ月半間滞在してインスタレーションの制作を行ってたそうです。この夜は、みんなでまず寿司を食べに行って、その後に飲みに行ったのが、1930年代の東ドイツの時代からずーっと続けて営業しているというミッテ地区にあるBallhaus Mitteというボールルームでした。その当時にはビッグバンドが演奏していたであろうステージはそのまま、その上にタダのおっさんのDJがレトロからディスコ調のもの、80’s、そして30年代当時のワルツとか社交ダンスナンバーなんかをスピンしてます。内装なんかもほとんど当時から変わってないそうで、働いてる店員も昔からの人がそのまま引き続き二十年、三十年も働いてるおじいさん連中が多く見られ、なんとも言えないいい雰囲気をかもし出してます。こういう重厚な歴史を経て来たこのボールルームで、30年、40年、いやもしかしたら50年前に初めてデートでこの場所に来ていたのかもしれない年配のカップルと、今日初めてのデートでここに来たのかもしれない若いカップルが、隣同士ワルツのメロディーにあわせて社交ダンスをやっている様子は、それこそ元東ベルリンのミッテのこのBallhausだからこそ見られる光景ではないか、なんて思いました。で、パーティ・アニマルのベアギットと出かけたからには、もう酔っぱらわずに帰る事は許されません。あ~あ… ベアギット… ご、ごめん!! し、写真が… でも彼女、プロポーション抜群の美人です。俺と同い年で11歳の子供がいるのに、未だに3~4人の男達に常に求愛されてます。またそういう男たちを玩ぶのが旨い事ったらないです。さすがはアーティストです。そういえばニューヨークでもモテモテだったっけ、彼女… それでもってティルのほうはそんな彼女を片目にタバコをくゆらしながらクールに『ふふふ』って笑って流してるし… 大人です、この人。結局この夜もあちこちはしごして飲んだくれちゃって、寝床についたのは朝7時半頃でした。ああ、デカダンスだぜ~!草々
2007.01.10
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この前友達と話してたらオランダでは1月の14日までが『Happy New Year』ってお互いに挨拶しても構わなんだそうです。なんでだかは知りませんが… ってわけで僕の年末のドイツ旅行の話も14日までには終わればいいのかな~なんて思ってます。12月28日ダークの誕生日であるこの日、前夜のカラオケパーティーの影響で極度の二日酔いでした。でも午後1時の出発の前にケラー(地下室)の掃除、かたずけをしなければならないので、朝10時には起きました。辛かった!そしてオートバーンに乗るといきなり雨… 結局一日中この日は雨でした。それで夕方の4時頃にはもう周りも暗くなって来ます。その上に渋滞してる箇所が何か所かあったので、予定では4時間半のはずが結局ベルリンに到着したのは7時間後の夜8時でした。この後既にダークの誕生日のディナーを一緒に食べる約束をしてる友達連中に合流するため、シャワーを浴びる余裕もなくクロイツバーグ地域にある典型的ベルリンスタイルのレストランへ向かいました。ここのレストラン、ベルリンの伝統的な料理で有名な店なんですが、他にも有名な理由があって、それはゲイが沢山集まるって事。要するにドイツ人のトラディショナルな料理を食べに来るフツーの年配のカップルと、おかまが共存している空間なんです。それでもって内装はこんな感じ…けっこうシュールです。半年ぶりに再会する友達と食事して、色々とペチャクチャ話しました。食べ終わった頃には俺ら、かなりグロッキーでした。やっぱ朝の6時迄飲んでたので、二日酔い+10時起きの掃除+7時間のドライブはいくら何でもキツすぎ… で、この後は近場のバーにいってちょっと飲んで、その後はおとなしく就寝する事にしました。お邪魔したのは友達のステファンのアパート。彼はプリンツラウアーバーグという地域に住んでます。ベルリンの壁の崩壊以来、もと東側にあったこの地域は、この数年間この近辺の公団住宅がどんどんと改装され、アーティストや新しくビジネスを立ち上げた連中がドイツ、ヨロッパの各地から沢山集まって来ているんですが、ステファンもその1人、1年半前にフランクフルトから引っ越して来て、こちらでウエブ・デザインの会社を友達とやってます。で、彼はプログラマーです。俺らがディナーから帰って来たら、なんと日の丸を持って歓迎してくれました(!)そしてくたくたになって横になった寝床にはこんな枕が…『キャ~!ハハハ~!』とか無邪気に叫びながらふわふわの雲の上を駆け回っている夢が見れそうな気がしました。見ませんでしたけど… ぴかチュ~
2007.01.09
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12月26日(夜)黒の森での誕生日ランチの後、ダークと僕は兄の車でダルムシュタッドのダークの実家まで送ってもらいました。この日の夕方にロッテルダムの日本人のお友達で、ウィーンを尋ねていたMちゃんとベルギー人の彼氏P君がダルムシュタッドに車で合流、その後4人でフランクフルトの友達と合流して夕食。その後はP君の体調がイマイチだった事もあり、2時くらいには帰宅。翌日に備えます。12月27日ダークと俺の合同のバースデー・パーティーの日がやってきました。すでにこんな招待状をメールであちこちに送信済みです。でも今回は平日の夜なので一体どのくらい人が来るのか見当のつかない状態での準備となりました。そもそもこのバースデーパーティー、ダークは過去18年間に14回もやっていて、すでに奴の友達の間ではクリスマスと大晦日の間のこの頃に恒例のパーティになってました。前回の日記に書いたように、ダークの両親はこの時期は毎年ブラックフォレストの別宅で過ごすので、クリスマスのディナーを済ました翌日にはダークはダルムシュタッドに戻り、こうして毎年誰もいない実家の地下で人を沢山集めて自分のバースデー・パーティーを開いていたんです。ダークと俺が付き合い始めてからも今迄にこのパーティーを2回やった事があり、今回で一緒にやるのは3回目。前に一緒にやったのは2003年の12月でした。そのときは週末だった事もあり、40人以上人が集まりました。みんなダルムシュタッドの実家に帰って来た連中がクリスマス前後は家族と一緒の時をすごして、『そろそろぱーっとやりたいなあ…』って思ってるこの頃に、ちょうどいいタイミングにあるパーティーなので、ダークが1999年にニューヨークに行っちゃう迄は恒例のパーティとして楽しみにしている連中が多かったらしいです。でも今回は平日の夜(水曜日)なのでたぶんそこ迄沢山の人が来る事は無いだろう、ということで買い出しに行った際にもビールやスナック類の量も2003年のときよりは少なめにしました。夕方の5時くらいからカラオケマシーンをセットアップしたり、一応暖かい食べ物もなにかあったほうがいいだろう、ってことでキャロット・ジンジャーとポテトのポタージュスープをでっかいポットで作ったり、色々を準備してる最中に、『7時30分ごろにいきなり『ピンポーン』とチャイムが鳴り、すでに第一陣の到着です。夜9時からってインビテーションンにちゃんと書いてあったというのに… ま、いいか。それだけ楽しみにしてくれてたってことですね。この後もぱらりぱらりと人が到着し始めて、8時頃になると10人くらい集まったので、とりあえずケラー(地下室)へ…皆カラオケのセットアップにやや圧倒され気味で、恐る恐るDVDチェックしたりしてましたが、この時点ではまだ誰も歌おうっていう気配は無しです。9時半近くになり、20人ちょっと超えるくらいの人数が集まったところで、Mちゃんとダークがしょっぱなまずみんなへのお手本を兼ねてまず一曲。歌ったのはマドンナの『Frozen』奥の部屋でビールを飲んでた連中も、『おっ、なんだなんだ?』って感じでぞろぞろ集まり始めました。初体験組でまず一番乗だったのがゲイカップルのグイドーとミゲール。そしてMちゃんが再び登場、隣はベルリンのFredrichstadtpalastという劇場でコスチューム・デザイナーを勤めるアンニャ、ミュージカル関連の仕事をしてるだけにやはり度胸満々です。そして日本で鍛えてきたカラオケをひけらかすダーク… もうこの辺ただのガキですもうこの頃になるとみんな『俺も!私も!』って感じでマイクの取り合い状態。こちらから『ほら、歌え歌え!』って言う必要はもう全くない状態でした。このあともずっとこの調子が続いて、結局最後のお客が帰ったのが朝の5時半(!)みな帰り際に『この次は週末にパーティーをやってくれ、そうしたらいつまででも歌える!』なんて言ってました。ゲルマン民族+ビール+カラオケ=パワー・パーティーという新たなパーティー方程式が確立されるのを目のあたりにした感じでございました、はい…カラオケマシーンを貸してくれたカース、DVDを貸してくれたKongとTongにも大感謝です。とにもかくにも、ダルムシュタッド初のカラオケ・パーティーはめでたく大ヒットのデビューとなりました。草々
2007.01.06
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昨晩深夜にドイツからオランダに戻りました。皆さんあけましておめでとうございます! 2007年が皆さんにとって素晴らしい年になりますように!クリスマス迄はドイツの兄貴のところでのんびりしてた俺でしたが、その後26日以降スケジュールがぎゅうぎゅうにつまっていた為、日記のアップが一週間遅れになりました。 失礼!12月26日は僕の4×才の誕生日という事で、旦那のダークの両親がランチに招待してくれました。僕と兄貴の家族3人で彼らの別宅のあるSwartzwald(黒の森)までドライブして行きました。兄貴の家のあるWeinheimからオートバーンを南に約1時間半もドライブすると、周りの景色が『いかにもー』って感じになって来ました。いつもならこの近辺はもう雪が沢山積もってるはずなんですが、暖冬のことしはまだ雪も余降ってないとの事、ホワイトクリスマスは無かったそうです。高速を降りて約30分でダークの家族の別宅に到着です。ここで僕と姪のM美は写真の連射。ダークのご両親とダーク、そしてうちの兄貴。ダークのお父さんはダルムシュタッド工科大学の教授で現在はサバティカル中。旅行好きなご両親は今迄に世界中色々な国を旅行しておられます。日本にはすでに7回も行った事があるそうで、大の日本通です。ダルムシュタッドのでっかい実家に比べると、こじんまりとして可愛いこちらの別宅、家族のみんなは『山小屋』って呼んでます。でも敷地だけは沢山取ってあってこの下の丘は全部この家の敷地です。僕もこの山小屋には過去2回程おじゃましていて、ダークの家族と一緒にクリスマス休暇を過ごした事があります。リビングルームからはまわりの風景が見渡せます。雪景色じゃなかったのがやや残念ですが、やはり黒の森は黒の森。良い眺めです。この山小屋のある付近はBesenfeldという村で、ダークのお母さんが生まれ育ったところです。40年以上前のある冬、この家の裏手にある丘の麓あたりでスキーをしている最中、ダークのお父さんとお母さんが初めてであったというおまけストーリー付きの場所です。お母さんの生家はこの村の違う場所にあったのですが、彼女のご両親が亡くなった後、もう大きい家は必要ないという事で、お2人が出会ったこの丘の上に家を建てたんだそうです。ちょっとロマンチックな話でしょ?ダイニングルームはバーバリア調の仕上げ、木の壁に鹿の角、マイセンやドイツの伝統的な焼き物などで飾り付けされてます。二階にあがる階段付近にも鹿の角が…ちなみにダークのお父さんはハンティングはしないそうです。到着早々、ダークの家族とダークからクリスマス/誕生日プレゼントを頂いちゃいました。ラッキー!ダークの両親からはイタリア産パルミジャーノ・チーズ、イタリア製チーズ削り機、イタリア製サラダスピナー(サラダの菜っ葉を洗った後に入れて、くるくるっとまわして水気を飛ばす道具)、イタリア産エスプレッソを頂きました。そしてイタリアンムードが一気に高まったところで、ダークからのプレゼントはなんと二人分のローマ行きの往復航空券!というわけで、1月の第2週末はローマに行って参りま~す♪プレゼントを頂いた後は早速ランチです。この日のお料理はシーフードの薫製のアペタイザーに始まり、メインディッシュはウサギの肉でした。ダークのお母さんの手料理のドイツ料理の腕前にはいつも脱帽します。向かって左から赤キャベツとリンゴのシナモン風味煮、芽キャベツのソテー、ウサギのひれ肉のロースト、梨のリースリングワイン煮クランベリーソースのせ、そして一番奥がドイツ風エッグ・ヌードル『シュペッツラ』です。それぞれこの時期に食べる典型的な料理です。このような料理の組み合わせに肉が鴨、アヒル、イノシシ、鹿、ウサギ、キジなどの様々なゲーム(野生の動物の肉)が加わる訳です。あまりに美味しくて2回もおかわりしてしまいました(ブヒブヒ!)ランチの後は腹ごなしに散歩に出かけました。実は僕らは6年前の僕の誕生日にもここに招待された事があり、その時にダークのお父さんと僕の姪のM美は意気投合。今回のランチもダークのお父さんにとっては僕の誕生日を祝うということはともかく、もう一度M美に会えることを何よりも楽しみにしていた模様で、もう外に出たとたん2人手に手をとり合い、どんどん歩いて行ってしまいます。2人仲良く何を話しているのやら… ドイツ語の判らない僕はとりあえずこの仲睦まじい2人の写真を後ろからパチリ。散歩から戻った後は、お約束のケーキとティーです。この日お母さんの焼いてくれたケーキはダークチェリーとナッツのタルト。あんなに沢山ランチ食べたはずなのにまたヨダレの出てくる俺は、この日豚さ加減全開でした。まあ、誕生日だから許してって感じです~外も少し薄暗くなって来たところでツリーのキャンドルに灯をともすダーク。前に龍児さんのブログで話題になってましたが、やはりドイツではクリスマス・ツリーに本物のキャンドルを使う家がまだあるという証拠です。危なくないのかって質問したところ、目の前に座ってこうして食事したりする時だけしか灯さないし、燃え上がりにくい特別なキャンドルを使用していて、キャンドル立てに仕組みがしてあってツリーには燃え移らないように出来ているとの事…やっぱり本物のキャンドルの方がムードがあっていい事は確かです。ここでM美といっしょにツリーの前で記念写真。それから、もう1つ僕がドイツのクリスマスのデコレーションで気に入ってるのがこちらです。こういう風にしてキャンドルの熱気を上のプロペラが受けて、くるくる回るようになってます。そして真ん中の部分には木で出来た手作りのクリスマス・フィギャーが沢山乗っていてチョー可愛いです。こうしてわいわいがやがやとケーキとお茶で会話をを楽しんでいるうちに、あっという間に外は暗くなり、時間が過ぎ去って行きました。久々に家族と好きな人たちだけとゆっくり過ごす、そんな楽しい時を実感できる誕生日でした。
2007.01.03
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今日は車で400キロ程ドライブして、ミュンヘン近辺にあるAndechs Closterに行ってきました。元修道院だったこの場所、当然の事ながら地ビールと鹿、鴨、アヒルなどのワイルド・ゲームを使用した料理がウリのスポットです。今日は朝から霧が濃く、決してドライブに適した日ではなかったのですが、黙々と運転をして連れて行ってくれた兄貴夫婦に感謝です。とにかくいつも無口で、思ってる事を余り旨く表現できる方ではない兄ですが、僕が生まれた頃は大層可愛がってくれたそうで、事あるごとに『おむつを替えてやってたんだぞ!』とか良く言われます。まあ俺ははそんな事は憶えちゃいね~んですが、まあこっちが3人兄弟の末っ子で向こうが一番上、まあ頭が上がらないって事にしとくのが色々物事旨く運ぶので、一応そう云う事にしておきましょう(可愛くない俺…)車でオートバーンを飛ばす事約4時間半… Andechs Closterに到着です。で、この時点で俺らは全員会話も出来ない程腹ぺこ。花より団子という訳で、レストランへ直行しました。すみません。ぶすっ、としてて… 微笑むのが下手なもので、俺… 腹減ってたし、昨日の晩、本を読み始めたら寝られなくなって3時間くらいしか寝てないし… となりはK子さんです。そしてとりあえずダークビールを注文しました。当然のことながら絶妙な味わいでした。でも僕の兄貴一家には飲める人が誰もいません。兄貴は一応付き合いで小さいグラスを一杯注文しましたが、こっちもなんだか張り合いがなくて結局飲んだのは一杯だけ、でも後で家で飲めるように4種類セットのケースになったビールをお土産にしっかり買って帰りました。料理の方はラム・コトレット.肉汁にワインを加えて煮詰めたリダクションソースをかけ、ローズマリーを添えた一品を注文しました。美味かったですよ。ちなみに姪のM美は鹿の肉、兄貴は鴨、K子さんはアヒルを注文、とことんゲーミィな獣肉的チョイスで迫る我々でした。やっぱ、ドイツの冬ですから… 皆腹ぺこだったらしく、料理が届くなりせっせと食べ始めたので他の料理の写真はパスです。お腹いっぱいに食べて満足した後は、修道院の中を散歩です。今日は寒かったですが、やはり奇麗ですね、こういう所は。心が洗われる感じで、クリスマスムード思いっきり湧いてきます。こちらは教会のファサード最近修復した模様で、新しすぎるのがやや残念でした。内部の方は、カソリック系という事もあり、ドイツの教会とは思えない程カラフルでゴージャスでした。礼拝所近辺の物置には巨大なキャンドルが沢山… これ、相当高価そうでした。一本だけでもいいから欲しい! ね~駄目? ジ~ザス~たら~!(天罰あたるぞ、おめ~!)そして、クリスマスにはお約束のジーザス誕生のエピソードを表すフィギャーもしっかり配置されてました。そんな訳で、Merry Christmas from Germany第二弾でございました。それでは、又!!
2006.12.26
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皆さんこんにちは!皆さんよいクリスマスを過ごされましたか?僕は今、ドイツにかれこれ30年ほど住んでいる兄貴の家に来ています。本当に普通な、のんびりとしたクリスマスを過ごしています。そんなわけでこれ迄の日記です。12月22日(金)僕と旦那のダークは、前日21日に仕事を早めに切り上げて夕方5時半の電車でロッテルダムを出発、夜10時ごろフランクフルトに到着、その晩はフランクフルトの友人宅に1泊しました。そしてこの日は昼食を済ました後、ダークはブラックフォレストにある両親の別荘で家族と合流するため、僕は兄貴の一家と合流する為に同じ電車に乗り込みました。そして約45分後に到着したWeinheim駅で僕が先に電車を降ります。今年のクリスマスは僕もダークもそれぞれドイツにいる家族と別々に過ごし、又後で合流して新年は2人でベルリンで迎えるプランです。電車を僕が降りる間際に、ダークが出口迄ついて来て紙の手提げ袋を渡されました… このとき俺は『しまった!』と思いました。今年のダークのクリスマス・プレゼントとして俺は、この前の日記でもご紹介したButt Magazineの2年分の定期購読の申し込みをしてあったんです。Butt Magazineは、ダークも俺もお気に入りの雑誌で、ダークは前々から定期購読をしたいって言ってたんです。だからそれを実際にネット上で手続きした迄は良かったんですが、その後色々とドタバタしてて、実際に奴が手に取って見れる形にしておく事を考えてなかったんです。少なくともカードかなんか用意して、そこにウエブ上で定期購読の申し込みをした際の確認画面のプリントアウトでも入れて渡せば良かったと… とにかく電車が止まる迄のわずかな間にその辺の事を色々言い訳して詫びたんだけど、あいつは『そんな事気にするな』と言ってくれました。申し訳ない!! 必ずこの穴埋めは致します。ダーク殿!!兄はこの日がクリスマス/新年の休暇前の最終日という事で打ち上げ会があったため、兄嫁のK子さんと18歳の姪のM美ちゃんが駅迄車で迎えにきてくれ、兄貴の家族の住むGroixheimataalという街に到着したのは午後3時ごろでした。この日は兄貴の帰宅後皆で夕食を食べ、その後は僕が11月に日本から色々と持ち帰った日本映画のDVDの中から2本程見て、早々と就寝。ドイツの田舎は夜8時にもなるとまわりはもうひっそりしていて物音ひとつしません。そんなわけで爆睡しました。12月23日(土)この日は姪の通うフランクフルトの日本人補修校の最終日とのことで、フランクフルトに一緒に行きました。僕の姪のM美は、幼稚園の頃からずっと地元のドイツの学校に通っていますが、平日の月曜から金曜迄は現地ドイツ校、そして土曜日には日本語や日本的な風習等を失わないようにという事でフランクフルトの補習校に通っています。M美地元のドイツの学校の友達のマデレーンもフランクフルトにいってクリスマス・プレゼントの買い物をしたいとの事で、先ずうちに尋ねて来て、M美、マデレーン、兄貴、俺、そして兄貴の家の愛犬モンクで出発です。まずはフランクフルトの日本食レストランで昼食を食べ、その後M美は地下鉄で学校へ、M美の学校が終わる夕方5時迄の間、マデレーンは単独でショッピング、そして僕と兄貴は、K子さんがこの日は用事があって同行できなかったのでフランクフルトの街でクリスマス前最後の食材の調達などをする事になりました。兄の家族が良く足を運ぶこのマーケット。やはりクリスマス、年末前最後の買い物をする人たちで混み合ってました。そして日本人の多いフランクフルトらしく、肉屋さんにもこのようなサインが…この同じマーケットの中にある八百屋では、日本語ぺらぺらの店員さんがいて、日本野菜も沢山揃っています。ちなみにこちらは、このマーケットのすぐ近くにあるゲーテの生家です。(全く関係ないってか?)現在フランクフルトには登録されているだけでも日本人の人口は3000人以上といわれ、約600人程のロッテルダムに比べるとやはり断然の数です。土曜日の補習校も小学校一年生からM美の通う最高学年の高3まで合わせて約250人あまりの生徒が通っています。平日に授業を行っている全日制の方も含めると全部で500人近い生徒数だそうです。僕はオランダで友達とオーガナイズしてる日本映画祭の関係でロッテルダムの日本人学校ともちょっと関わりがあるんですが、こちらの生徒数は合計でたったの45人あまりです。毎年このフランクフルトで4月に開催される日本国外最大の日本映画祭で、僕らの映画祭の姉妹映画祭でもあるNippon Connectionにしても、ヨーロッパで最も日本人人口の多いと言われるデュッセルドルフにしても、やはりドイツはヨーロッパで最も日本と関わりの深い国ではないか、とこちらに来る度に僕は思います。僕らがM美を迎えに行った4時50分ころには冬休み前の最後の授業という事で早めに終わったのか、既に生徒達がロビーへ次々と出て来ます。生徒のほとんどが日本人である月~金曜日の全日制に比べ、土曜日の補習校にはハーフの子が多く、迎えにきている親にもドイツ人/日本人カップルが多いです。日本人学校入り口前で。マデレーン、M美の仲良しコンビの記念写真です。12月24日クリスマスイブ。 きょうは昼の12時半くらい迄寝坊してしまいました。そして起きて来るとダイニングルームのテーブル上のAdventの4つ目のキャンドルに灯がともっていました。ドイツではクリスマスの4週間前の日曜日をアドベント(Advent)と呼び、4本用意したろうそくの一本目に先ず灯をともし、そのあと3週間前、2週間前に2本目、3本目と灯をともしていって、クリスマスイブには4本すべてに灯が灯ります。一本目のキャンドルはHOPE:希望を、2本目がPEACE:平和、3本目がJOY:喜び、そして4本目がLOVE:愛を意味するんだそうです。そ、そしてそのキャンドルの横には、K子さんが僕の寝ているうちに焼いたと思われる美味しそうなショートケーキが!!これは僕がドイツ人の旦那の友達などを通して確信してる事なんですが、ドイツ人の女性は(おかまも含めて…)、どんなに料理が苦手な人でも、お菓子作りだけはみんなすっごーく上手なんですね。それで僕の兄嫁さんも、元々料理好きな上に周りのドイツ人の主婦達にこの20年近い間ケーキ作りを伝授されてるので、このケーキはもうほっぺたが落ちる程旨かったですよ!!もー本当、幸せでした!兄貴夫婦からは前々から『うちではもう娘も子供じゃないから、クリスマスのプレゼント交換はしない』って言われてたんだけど、やはりアメリカで20年近くを過ごした僕にとっては、何か渡さないと気がすみません。そんなもんでブランチとケーキを食べ終わった所で僕はみんなにプレゼントを渡しました。が、内容は自慢できる程のものではないのでここではあえて公開しません。そして僕がプレゼントを渡すとなんと姪のM美も『わたしも~』といってプレゼントを部屋から持って来ました。兄とK子さんにはなんと彼女が朝の8時半迄徹夜して作ったらしい手作りの小物入れと宝石箱!いや~、もう完璧脱帽しました。そして俺にはこのシュールな色彩の筆立てをプレゼントしてくれました。なぜかワニが突き刺さってます…絵を描くのが大好きで、雑誌の漫画コンテストなんかでもいつも賞をもらったりしてるM美ちゃん。兄貴夫婦はたまに『生活が不安定になるのでは…』なんて心配してるけど、僕としてはなんとしても自分で好きな道に進んで、素晴らしいアーティストになってくれることを願っています。今年のクリスマスは、大人数集まって祝った訳でもなく、高価なプレゼントを沢山交換し合った訳でもなく、贅沢なレストランで食事をした訳でもありませんでしたが、とっても心温まるクリスマスとなりました。
2006.12.25
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12月15日はオフィス恒例のクリスマスディナーでした。僕の働く建築事務所は経営者がアイルランド人、全員で16人とあまり人数も多くなく、しかも過半数の9人が外国人(オランダ人じゃないという意味)なこともあり、皆とても仲がいいです。外国人組のうちわけはアイルランド人2人、イギリス人3人、スコットランド人1人、ドイツ人1人、カナダ育ちのハンガリー人1人、スゥエーデン育ちのポーランド人1人、そして日本人の僕です。クリエーター系の職業柄、平均年齢も若く、オフィス内での服装もカジュアル。仕事場もキュービクルのような小さなオフィスに小分けされてる訳ではなく、1つのでっかいスペースに全員デスクあって、常に大きなボリュームで自分たちの好きな音楽がかかってて、そこでコンピューターで図面やイラストレーションを制作したり、スタジオで図面や模型を眺めながらわいわいがやがや議論してるような雰囲気の職場です。スペースが広いので、いきなりサッカーとかやり始める連中がいたり、たまに集中するのに苦労する事がある程です。それにイギリス、アイルランド、スコットランドとUK方面の人間が多いせいか、仕事の後に飲みに行く機会も多いです。ロンドンにもう1つオフィスがあって、そちらには14人程いるんですが、合同でスウェーデンやベルリンなんかに建築物視察の旅行に行ったりした事もあります。そんなわけでクリスマスディナー前の日中にオフィスの参加希望者で何らかのアクティビティーをするのがうちの会社の習わしになってます。ちなみにこちらは去年のクリスマスディナーの前にみんなでゴーカートに行った時の模様です…ち、ちょっとダサすぎ!! それで、今年は『スキー』でした。実は僕、今回が初めてのスキー体験でした。去年はアイススケートで、これも初めてだったんですが、昔ローラースケート(古い~!)をやってたのが良かったらしく、こちらの方はまるでウソのように旨く滑れました。そんな訳で今年も、『スキーもスケートも同じウインタースポーツ、ちょろいちょろい!』って思って参加しました。オフィスから車でやく40分、Zoetermeerにある『Snow World』に到着です。僕の相方のドイツ人のダークは、もうよちよち歩きになったのと同時くらいの頃からスキーに親しんでいるとの事で、僕は一緒に行った事ないので見た事無いんですが、取り巻きの友達の話によるとほぼプロ並みの腕前との事。『Snow Worldに行く』って話したら『あんなお子様向けのちゃっちい所、俺様には物足りなさ過ぎる』と一笑に臥されました。というわけでダークは日中のスキーはパス。デンハーグとユトレヒトの間くらいの所にある『Snow World』は人工雪を敷き詰めた大規模な人口スキー場です。内部には2つのスロープがあり、1つはあまり急でない傾斜の初心者向けのスロープ。もう1つはもっと急なものになっています。こちらの緩い傾斜のスロープの片隅で、今迄スキーをした事無い組の僕らは先ずはスキー教室に参加します。まっすぐ滑ったり、右と左に方向を変えたり、ストップする方法を教わったんですが… いや~、参りました。スキーはスケートよりもぜーんぜん難しい!しかもこのインストラクターさんの英語がイマイチ… 趣旨があまりつかめず一苦労した上に、一緒にクラスに参加してたイギリス人のトムとジョンは終始インストラクターの英語に突っ込みを入れっぱなし。嫌な奴らだと思われたに違いなく、インストラクターも最後の15分程は投げやり状態。『ハイおしまい~、じゃスキー楽しんでね~』ってかんじで僕らはゲレンデに取り残されます。恐る恐るリフトに乗ってスロープの一番上迄行ってみると… け、傾斜が急すぎ!こちらが緩い傾斜の初心者向けの所だって言われても、45分かそこらのレッスンを受けただけの僕らに取っては、もの凄い角度に見えました。それでとにかくいつまでもてっぺんに突っ立ってても仕方ないので、思い切って滑り始めました。転んだ回数は約30回以上! いや~、難しい!特に転んだ後に立ち上がるのが難しい!全部で2時間の時間制だったんですが、ほとんど滑ってる時間よりも転んで一生懸命立ち上がるのに七転八倒してるのに時間を費やした、って感じでした。 1つ気がついたのは、滑り始めた後にスピードが乗って来て、少しでも『怖い』って思うと、もう途端に転ぶんですね… スキーって結構精神的要素が影響するんだな、ってことを知りました。まあスポーツなんて全部そうなのかもしれないけど… 来年の3月にスイスにスキーに行くことになっているので、まあ今回やってたくさん転んどいて良かったのかな、って思ってます。っていうわけで、アフタースキーは同然飲みに…スキー場の山小屋って感じのバーでしたが、やっぱり外は暗くて雪がふわふわ舞い降りてくるようなところで飲みたいな~ってかんじでした。この後、夜はレストラン『Kip』でディナーでした。『Lekker』っていうオランダのグルメマガジンのベスト・レストランのランキングにも載っていたこのレストラン、料理は美味しかったです。やはりうちの事務所のパーティーでいつも感心するのは酒の量… 食事と一緒に次から次に出たワインはもちろんの事、ディナーの始まる1時間前からお開きになる迄の間、バーはずーっと貸し切りでオープンバーでした。アイルランド人の飲ん兵衛をボスに持つとこういう時には得だな~などと思ってしまいます。右側からケビン、フラウキャ、そして僕の相方ダークおじさん。スコットランド人のケビンはアーバン・デザイナーですが、どちらかと言うとプランを実際にデザインする作業よりもセオリーや理論をまくしたててクライエントの頭を混乱させ、そのスキに仕事を貰ってくるのが彼の得意技。書籍やブックレット制作の際には文章を書くのも得意な彼がAD/グラフィックデザイナーである僕とコピーライターとして一緒に組んで仕事する機会が多いです。ケビンと僕の共通の話題はいつもマック/アップルのコンピューター関連の話。新しいソフトがどうとか、ショートカットがどうの、MP3とMP4の根本的違いはなにか、みたいな話題でいつも盛り上がってて、『極度のマックオタク』というのが僕らの密かな共通点です。オランダ人のフラウキャは、多分僕がオフィスで一番親しい『友達』と呼べる存在。彼女はレズビアンですが、必ずしもそれで仲が良くなった訳ではないです。でもやはりある意味での連帯意識がある事は確かです。ところで彼女、テニスの腕前はプロ並みです。僕らの共通の話題はテニスと食べ物。2人とも自称グルメで料理好き。お互いの家に集まって食事つくって食べたりしてます。このあとダークは前夜のアムスの夜更かしが応えたのか、ギブアップして帰宅。僕らはバーを2件程ハシゴしました。楽しかったけど翌日は二日酔いギンギンでした。最後のしめは食後にシガーで決めるフラウキャのショットでどうぞ…
2006.12.18
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12月14日オランダの誇るアート指向のゲイ雑誌、Buttマガジン主催のビデオ・スクリーニングに行って来ました。3ヶ月に1回のペースで出版されるこのButtマガジンを立ち上げたのはJop van BennekomとGert Jonkersの2人。Gert Jonkersはこちらの新聞NRC Handelsbladにコラムを持つファッション・ジャーナリスト、そしてJop van BennekomはButt magazine 以外に『Re-magazine』の編集も手がけるヨーロッパで最も重要なマガジン・デザイナー/エディターの1人。この雑誌が創刊された2001年には、俺とダークはまだニューヨークに住んでたんですが、Butt創刊号が出た時にはニューヨークのゲイのアート関係者とかデザイン業界のゲイの連中の間でも、口コミで評判が広まって、当然俺とダークも購入。それ以来の大ファンであります。ダークの崇拝するロンドン在住のドイツ人フォトグラファーWolfgang Tillmansや映画監督のGus van SantやJohn Waters、オランダを代表するファッション・デザイナーチームのViktor&Rolfなどなど、今迄この雑誌にインタビューが載ったアーティスト、そして作品をこの雑誌に提供した人々の顔ぶれには蒼々たるものがあります。今気になる人物、尖ってるコアなアーティスト達の作品や写真、インタビューが満載され、現在のアートシーンや、音楽などの動きに興味のある人にとっては読み応え充分な雑誌だといえるでしょう。アメリカやイギリスをはじめ世界各地に読者層を持つ『Butt』は、ゲイマガジンという枠を完全に超えたレベルで、様々なサブカルチャーを独自の視点で捉えたコンセプトマガジンとして各分野で高く評価を得ている雑誌でもあります。ファッション特集を装って、実は単にスポンサーの商品を紹介するに過ぎないような記事を何ページも組んだりなんていう愚かな企画は絶対にせず、写真のモデルも一人一人皆超個性的、他のゲイ雑誌でいたる所に登場するパーフェクトボディ+ルックスの複製人間みたいなタイプは全く見当たりません。アーバクロンビー&フィッチやAmerican Apparelの服を身にまとい、IKEAのカタログに出てくるような家に住み、全員マドンナやシザーシスターズあたりの音楽を毎日何度も何度も聴いて、テクノのダンスビートが流れて来ると途端に、『キャ~』って黄色い叫び声をあげながら条件反射的に上半身裸になって飛び跳ねて踊りだす…なんていうステレオタイプ的なゲイのライフスタイルとはまったくかけ離れたところに位置する雑誌です。これはゲイ関係の出版物だけに関した事ではありませんが、一般的にレイアウト・デザインや紙の質、カバーなど上っ面の見かけはもの凄く立派でおしゃれでも、内容的には何でもかんでもぎゅうぎゅうずめに押し込んだだけで最終的には他の雑誌と全く区別がつかないような雑誌がむやみやたらに存在してる、どこかの国の雑誌業界にも見習って欲しい姿勢を貫いた雑誌だと思います。今回のスクリーニングが行われたのはアムステルダム駅近くのレストラン/クラブ『11(エルフ)』 現在はSTEDELIJK MUSEUM CSが入っている元郵便局だったビルのてっぺんの11階にあるエルフ、裏口からレストラン迄上がって行くエレベータは郵便局の頃の貨物用エレベ-ターをそのまま使用、エレベーター内一面にローカルのグラフィティアーティストの作品が描かれてます。ダークの後ろの部分がちょうどむき出しになった壁の部分。この壁にも延々とグラフィティが描かれていて、エレベーターの動きにあわせてまるで動くアニメーションのように見えます。レストランは倉庫だったスペースの20メートル近い天井をそのまま生かしたデザイン。ワンフロアー全体をぐるりと囲む窓からはアムステルダムの夜の全景を楽しむ事が出来ます。スクリーニングが行われたのはレストランの裏側にあるイベントスペース。夜の7時半くらいからとだんだんと人が集まり始め、8時にはほぼ満員状態になります。アムスのあちらこちらのゲイバーで見かけた顔がちらほら… 結構ゴツめの髭レザー系のお兄さん、熊おじさん系が結構多いので、『へえ~、あいつもBUTTマガジンのファンなんだ~』みたいな感じでした。こちらは挨拶をするBennekom氏とJonkers氏。今回のスクリーニングは、過去に出版された『BUTT』のバックナンバーに掲載された記事やインタビュー、アーティストたちの作品をまとめた『BUTT BOOK』が TASCHENから出版されたのを記念し、ロンドンのテート・モダーンミュージーアムのキュレーターであるStuart Comer氏がBUTTマガジンに作品を提供するアーティスト達のショートフィルムやビデオ作品を集めたものだったんですが、Wolfgang Tillmans, assume vivid astro focus, William E Jones, General Idea and Walter Pfeifferなどの作品が約2時間弱に渡り上映されました。中でも印象に残ったのは実験派映画作家/写真家のWilliam E Jonesの『MANSFIELD 1962』。 1962年の夏、オハイオ州マンスフィールドのゲイのハッテン場であった公衆便所に警察が隠しカメラを仕掛け、そこで行われた同性愛行為をを8ミリカメラで撮影し、後に"sodomy law" (男性同士の性行為を禁ずる法)違反として30人に及ぶ男性達を逮捕する際の証拠として使用された映像を編集した作品。隠し撮りされた様々な『容疑者』達の性行為場面がしばらく続いた後、その男達が駐車場などで警察に尋問される場面にカットし、最後は彼らの"mug shot"(警察に逮捕された時にまず最初に取られる写真)が次から次へと映し出されるところで終わリます。ハッテン場の公衆便所で廻りに誰もいないことををちらちらと確認しながら性行為に耽る男達の表情や、細切れにされた場面が音無しのかなり荒れた白黒の映像で映し出され、これが帰って不気味な雰囲気を醸し出してました。この他にもなかなかユニークな映像感を楽しめる作品が何本かありましたが、文章で説明する事は不可能なので省略です。アーティーなゲイの画像の世界に浸った後は近くにあるゲイバーを何軒かはしごして、ロッテルダムに戻ったのは朝の3時でした。俺は金曜日は休みだったからいいけど、ダークは仕事でかなり辛かったみたいです。ああ、これから先クリスマス、正月にかけてまた飲む機会が増えそう… 皆さんもこれから飲み過ぎ、食べ過ぎには注意しましょう!!
2006.12.17
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昨晩は龍児さんとジャックの結婚5周年記念パーティーに行ってきました。このお二人、結婚5周年というものの、実際交際し始めてからは既に15年以上。あっぱれなもんです。一般に巷ではゲイのカップルは長続きしないっていう通説があったりするんですが、こういうカップルを見ると何となく希望がわいて来ます。僕とダークはニューヨークで出会い、付き合い始めてから今年で7年目。そしてオランダで結婚してからやく2年です。ああいう仲良しカップルになれるよう僕らもがんばります。(がんばってもしかたないか…)お二人の住むデンハーグは、僕らの住むロッテルダムから電車で約20分。去年購入したすてきなアパートにお住まいです。ここで彼らの親しいお友達が集まってのパーティーだったんですが、まだお付き合いするようになってからの日の浅い俺らもご招待頂きました。龍児さんありがとうございます。実は龍児さんの所には猫が3匹いまして、僕とダークは2人とも極度の猫アレルギー、だから家を出る前、龍児さん宅到着直後、そしてパーティーの最中と3~4回薬を飲んでアレルギーと戦いながらのパーティー参加でした。でも最後の方は楽しかったのでアレルギーも気になりませんでしたよ~龍児さんの手料理のディナーをごちそうになった後、ここデンハーグの、オランダ女王お気に入りのケーキ屋のケーキでお祝いです。5年前の結婚式の時には出来なかったケーキ・カッティング、今回はちゃんとできてよかったね、お二人さん~♪それにしてもこのケーキ、マジで美味しかった… こんなケーキがあったらビアトリス女王もダイエット大変だろうな、などと余計な心配をしてしまう程でした。そしてケーキを食べて、みんな程よく酔いのまわった頃には、お決まりのカラオケタイムです。マイクを独占して歌う人、そしてバラの花を口に踊りまくる人…みなさんそれぞれ多いにエンジョイした夜でした。龍児さん、ジャックさんおめでとう!!これからもお2人、ず~っとお幸せに!
2006.12.10
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いゃ~、早い早い!歳をとると時間が経つのが早くなるんだってうちの親が前言ってた事あったけど、何となく最近実感してます。この前日本から帰って来たと思ったら、その後仕事とこっちの友達連中とひさしぶりに合ったりしてるうちにすでに一ヶ月が経過。僕にはまだなじめない12月5日のオランダ聖ニクラスデーもあっという間に過ぎて、今はもうクリスマスと正月の休暇ムードです。この前アムスに行ったら、とあるセックス・ショップも既にクリスマスムード満点のディスプレイでした。しかもこれ、こんなふうに回転してました…それで昨日の夜は、ロッテルダムのライブハウス『Rotown』にThe Long Blondesというイギリス、シェフィールド出身のバンドのギクを見に行って来ました。女の子3人プラス野郎2人のバンドで、このバンドのリードボーカルのKate Jacksonっていう女の子がイギリスのある音楽雑誌で『いま最もクールなミュージシャン』って書かれてたり、新曲がMTVで流れてたりとかもあって、350人から入るベニューはほぼ満員でした。ロッテルダムは色々と結構いいバンドが頻繁にギグをやる所で、アムスはともかくニューヨーク、ロンドン、東京なんかだったら数時間でチケット完売するようなバンドのギグも当日の夜にふらっと来てまだチケットが余ってるなんて事がよくあって、そう云う意味ではうれしいです。それにチケットの価格もここRotownはだいたい相場7~8ユーロ。これって他の大都市だったら絶対にあり得ない話です。でもある意味ではインディ系の音楽に関心をもってる人が余りいないという事でもある訳で、一種寂しい事でもあります。それでこのThe Long Blondesのコンサート、俺は別にこの『いま最もクールな』女の子達を見るのが目的で来た訳ではなく、会社の同僚でシェフィールド出身のジョンの推薦があったから来る気になったのです。彼は僕の事務所のなかでも多分最強のMusic Buff(音楽に詳しいヤツ)なので、彼がこれはいいぞっていうギクは出来るだけ行くようにしてます。イギリスのシェフィールドは元々は炭坑の町。昔『フル・モンティ』なんて言う映画の舞台になった町ですね~♪ 憶えてます? 仕事にあぶれた炭坑夫達がストリップダンサーをやっちゃう、とかそんな感じの映画でしたが… とにかくこのシェフィールド、田舎の町だと思ったら、なんのなんの… 今迄にも結構いいバンドがこの町から数々出て来てます。もちろん最近一番話題になってるバンドといえばArctic Monkeys 。過去に出て来たバンドも80年代にはCabaret Voltaire, Heven 17, ABC, The Human Leagueなどそうそうたる顔ぶれ、また90年代になると僕の大好きだったPulpっていうバンドがこの町からブレイクしてます。まあそんな訳で結構期待してったコンサートなんですが、The Long Blondesが実際にステージに現れたのは11時過ぎ、平日の夜にしては遅いなって感じ。やはり女の子3人もいると衣装やらメイクやらで時間がかかったんでしょう。で、結論から言うとややがっかり… 確かにバンドの演奏はよかったし、ボーカルのケイトちゃんも凄くいい声してたんだけど曲に魅力を感じられなかったっていうか、あまりにありきたりで編曲とかが幼稚と言うか… これだったら俺はSuedeとかの方が好きです。『じゃあなんでわざわざ写真アップするんだよ、お前』って言われそうですが、それはここ最近行ったコンサートでたまたまカメラを持って行ってたのがこのギグだったからってだけの理由です。ちなみにこの数ヶ月の間に見たギグの中ですっごく気に入ったのが2つあります。Utrechtまで見に行ったブルックリン出身のBlood on the Wall (名前が最高!)とイギリスのバンドTunngの2つ。Blood on the WallはPixiesとSonic Youthの美味しい所を全部混ぜ合わせて、それにブルックリンのウイリアムスバーグあたりのアーティーなガレージバンド的ふてぶてしさをぶち込んだみたいな音。めちゃデイストーションのかかったベースを弾きながら太めのおねーちゃんが『わたしにゃ~オシャレなんて関係なし!』って感じでガラガラ声で歌ってるとこがちょーかっこ良かったです。Tunngのほうは打って変わって、繊細で緻密な音。生ギター3人と両手両足使って見た事も無い楽器を次ぎ次こなすパーカッショニスト、そして奥の方でラップトップ数台と色々な機械を駆使していわゆる"Glitch"と呼ばれるエロクトロニカ音楽系のノイズを次から次へと曲に絡ませて行くナーディーなお兄さん、そしてボーカルとメロディカ担当の結構可愛い目の女の子という面々。とにかく皆歌も演奏も旨かったし、曲も最高、グリッチのほうも完璧なタイミングでした。エロクトロニックとフォークの融合ってことでこの手の音楽は今『フォークトロニカ』って呼ばれてます。しかもリード・ボーカルかつグループのリーダ的存在の男がめちゃ俺に行けてるタイプ! ここ迄才能とルックスを一緒に併せ持ってるなんてズルすぎる、って思いながらよだれたらして見てました。ところでこのエロクトロニカっていったい何?って言う人もいるかもしれないけど、クラブとかでDJがスピンしてるのでシンセとかモヂュレーター、シークエンサーとかを使ってるような音だったらすべてエレクトロニカ、って思ってる人も多いかもしれないけど、そういう訳でもありません。1990年代以降に現れたテクノやハウス等の電子音楽全てをさす呼称なことも確かなんだけど、それはただ単にこの言葉の響きがかっこいいから、そういう風に呼んでいる輩がいるだけであって、逆に最近は電子音楽の中でもより限定的な一ジャンルとして認識されている場合が多いです。限定的な意味合いにおいてのエレクトロニカの際立った特徴は、コンピュータによって偶発的に発生したグリッチといわれる一種のノイズを楽曲の中に積極的に取り入れてるところで、それ以外にも曲の展開や進行、音そのものに偶発的要素やこれまでの音楽的様式を否定した前衛音楽的な面があって、同じくグリッチノイズを扱っているIDM、音響派やドローン、ロウアーケースミュージック等と共に、音楽性に対してより抽象的なアプローチを行っているんですね。うーんなんだか話が変な方向に進んで来たのでこの辺でおしまいにします。前からこうやって音楽の話を一緒にしてた皆さんは、「あ~あ、又始まった」って思ってると思うけど、もしなにか交換できる情報あったらいつでも送ってくださ~い。こちらも美味しい情報あげますから。だけど日本でコーネリアスのツアーが3月くらいにあるらしいけど、スッゲーうらやましい。当然売り切れなんだろうけど… もしも行く人いたら連絡ください。ぜったいいじめてやるから。他の方は、「はぁ~、こんなんにも興味あるんだ」ってことで軽めに流しといてください。んじゃ、又。
2006.12.08
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もう終わりと言っておきながら、またまた日本ネタです…(汗)我が家の愛犬ドルチェ君、今回帰ってる時に気づいたんですが、なんかスゲ~変な癖を2つ身につけてました。まず1つは家族の誰かが登校、出勤で家を出て行こうとすると、すっご~く落ち着きがなくなって、それでうちの両親がなだめるためにだっこして玄関口迄連れていって、『バイバイ』させるんですが、いざドアを開けてその人が一歩外に足を踏み出した途端に、本当に悲しそうな顔でもうこの世の終わりのような声で『ギャイ~ン!オンギャ~』ていう悲鳴を上げるんです。この悲鳴がもう全く犬のものには聞こえないんです。もうホント『お前は一体何者?! こなきじじいか?』っていいたくなるほど… そのくせその人がドアを閉めて出て行ってしまうと、もう何事も無かったような顔をしてケロっとしてるんです。最初のうちはうちの家族だけに対してやってたらしいんだけど、俺らが滞在してるころには、もうダークが家を出てく時も、ちょっと遊びに来たお客さんが帰る時も、同じようにその都度『ギャヒ~ン!』ってやってました。こいつスゲ~役者だな、と思いました。それともう1つ。この犬、前からおなかを撫でてもらうのが好きだったんだけど、少なくとも以前は、まず近くによって来て、それで人の足とかに体をこすりつけるなどして『なでなでして!』って要求して、それで頭なり背中なりを撫でてやっていると、そのあとで『ゴロン』とひっくり返って『今度はおなか撫でて!』って感じだったんですが、今はもう人が家に帰って来て、視線が合った途端にいきなり『ゴロン』…はじめのうちは面白くて『よしよし』って言ってすぐにおなかをさすってやってたんですが、何度もこれを繰り返されるとちょっとこっちもあまりの行儀の悪さにムッとして来て、ちょっと無視する事にしたんです。でも向こうも頑固で20秒、30秒、1分とずーっと固まったままの姿勢で待ってるんですよ、これが…それでもなおこっちが無視してると、『ちらり』とたまにこっちを見るんですが…こっちがヤツの方を見ると、またパッと目をそらして無視するんです。それでも放っておくといつの間にかいなくなって寝室で寝てたり、えさ食べてたりとか。 何を考えているのやら… まったく変な犬です。もう1つ、おまけねた。前の日記でダークが『あるもの』の虜になった事はご報告しましたが、広島でお好み焼きランチを済ませて電車待ちのためにぶらぶらして時間つぶしてた僕らは、街角でこのポスターを見かけ…もう大喜びでその会場に直行しました。まあ展示会自体はマアマアだったんですが、出口付近にあった記念写真撮影用のプロットみた瞬間、ダークはもう狂乱状態に… 『写真取って取ってとって~!』ということで、パチリ…というわけで、以下ノーコメント。おそまつさまでした。
2006.12.05
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引っ張り続けた日本国内旅行編、これが最後です。それにしても結構しんどいわ、あとから写真で記憶たどって書くの…これからは旅行中に日記くらい書けるよう、もう少しゆとりのある旅をしたいと思います。11月3日ガンガンの二日酔い、というかまだ4時間程前の酒が抜けきらない状態で起床した僕らは、とりあえず朝食を食べ、しばらく公園でぼーっとして過ごした後、大阪国際現代美術館へと向かいました。アルゼンチン出身の建築家Cesar Pelliのデザインによる、竹の木をモティーフとしたスチールパイプのファサードが目立つ建築物。でも実際の展示場はすべて地下になってます。がんがんの二日酔いだったんでそんな事考えもしなかったんですが、この日は偶然な事に『文化の日』だったんで入場料はただ。ラッキ~♪ ってわけで中に入って展示も見て来ました。一番印象に残ったのは日本人作家の小川信二っていう人の個展。世界中の著名画家達の作品を、人物を全て抜き取っちゃった形で再現した、『Without You』っていうシリーズは結構笑えました。こちらはフェルメールの『牛乳を注ぐ女』で、こっちが小川信二さんの作品こちらはベラスケスの『ラス・メニーナス(女官達)』こちらはマルゲリータ皇女がしっかり消えてなくなってます。でも一番度肝を抜かれたのは鉛筆画の『Perfect World』というシリーズです。一見ただの白黒写真の絵はがきみたいに見えるんですが、実はこれ全て鉛筆画…とにかくもう精密で、細かーいピクセルの世界。『マニアック』としか言いようが無くて、もう見れば見る程深~い、深~いマイクロコスモスに引き込まれていく自分に歯止めが利かず、ジ~ッと見いっちゃって、タダでさえ二日酔いの頭がますますズキズキ痛んでしまいましたよ~。こうして文化の日にふさわしい文化的なひとときを過ごした俺らは、福井駅に6時到着できるよう予約してあった電車に遅れそうな時間である事に気づき、大慌てで大阪駅へと向かいます。福井駅でこれ又ニューヨーク友であるあさみちゃんと待ち合わせをしていたからです。皆さんもう気がついてるかもしれませんが、僕はニューヨークで知り合った日本人の友達が多いです。自分はアメリカに22~23年ほど住んでた訳だけど、実はニューヨークに行く迄、日本人の友達はアメリカには全然いませんでした。日本では中学から大学までずっと同じ私立校に行ってたから、いわゆる『幼なじみ』的な友達もいたし、それ以外にも大田区の地元の友達とかもいて、なにもアメリカ迄来て日本人の友達を捜す必要もないだろう、みたいな感じだったし、それに長い事住んでいたアトランタでは大学の時もアートスクール行ってる時にも周りに日本人はいなかったし、働き始めた後もずっとアメリカの会社だったのでホントに日本人に出会う機会って言うのが全然なかったんです。でもそれはニューヨークに行ってから、がらっと変わりました。とくにニューヨークにいた最後の2年程は、生まれて初めて日本系の会社(出版社)で働く事になり、そこに僕と同じ日に入社してきたのがこのあさみちゃんでした。でもやっぱり今思ってみると、ニューヨークには日本人がいっぱいいた訳ですが、クリエーティブ系の仕事をしてる日本人連中もけっこう多くて、仕事や友人を通して色々と興味深い日本人の人たちに出会った訳ですが、そうしてると何となくアートとか音楽、映画なんかの趣味もけっこう似通った連中とか、ユーモアのセンスが近い人間がいたりするもので、そんなふうにしていつの間にか気の合った同士で日本人の友達グループが出来上がってた訳です。あさみちゃんは3年程前に日本に戻り、今は東京でデザインとかディレクションの仕事をしてます。それで彼女がもう日本に帰るっていうちょっと前に、彼女のお母さんが一度ニューヨークに遊びに来た事があったんです。そんでもってこのお母さんがお酒とパーティー大好き人間だったんですが、その時にあさみちゃん親子と俺とダークの4人でグリニッジビレッジにくりだして、クリストファー・ストリートのゲイバーとかにも一緒に行って、すごーく盛り上がった事とかあったんですが、そのときにお母さんから『日本に来たらぜひ福井にも遊びに来てね』って言われてて、今回の旅行では俺らそれをしつこく憶えてて、しっかりとそれをあてにして福井迄おしかけた、という訳です。あさみちゃんとは今回既にジブリの森の会合の時に会ってたんだけど、俺らのプランに合わせてあさみちゃんもこの週末に里帰り、いっしょに福井で週末を過ごしてくれた訳です。福井駅に着いた頃はもう暗くなってました。改札口をでるとそこにはあさみちゃんとお母さんが… あさみちゃんのお母さんとは3年ぶりの再会です。お元気そうで何よりでした.そしてあさみちゃん宅で夕食。福井の魚介類は新鮮でとっても美味しかったです。お母さん、ごちそうさまでした!今回の旅行は毎日毎晩ハードスケジュールで、歩きまくり、喰いまくり、飲みまくっていた僕ら。この晩はお母さんのごちそうを堪能したあと、早めに就寝、ゆっくり休みました。11月4日この日は同じ福井県にある武生市に遊びに来てる、これまたもう一人の元NYフレンドである舞ちゃんと彼氏の一生くん、そして舞ちゃんの金沢のアートスクールの同級生で、その後一緒にニューヨークのパーソンズに留学してたお友達のミキ アイちゃん達に会いました。このミキ アイちゃん、今はGAPのデザイナーとして働いてる人なんだけど、ビザの調整の為にいま日本に一時帰国中、故郷であるこの福井県武生市に滞在中。ここに舞ちゃんと一生君は今年の夏に1回遊びに行って、福井に病み付きになってて、今回俺とダークが福井に行くって連絡したら、それだったら自分たちもまたアイちゃんの所に遊びに行くから、福井で合流しようって言う話になった訳です。そんなわけで、僕のニューヨーク経由の日本人コネクション、もうニューヨークに住んでない現在もどんどん広がってます。ちょっと怖いくらいです。しかもこのお話、あさみちゃんとミキ アイちゃんが実は高校時代に同級生だった!っていうおまけ付きです。というわけでこの日は、なんでも家具職人であるミキ アイのおじさまが、昔の古ーい庄屋を買って、それを十年くらいかけてこつこつと手を加えて作り上げたゲストハウス『趣味の家』があって、そこでみんなで食事をしよう、ということでそちらにおじゃましました。まあその家の素晴らしかった事!中央の方がおじさまなんですが、とにかくこの家、障子から家具から隅から隅迄、全て彼の手作りです。こちらは檜のお風呂。ここも床から壁、風呂桶に至る迄全ておじさま作家に入ってすぐの所に立ててある屏風。おじさまは30歳くらいの頃にこの屏風で総理大臣賞をもらい、それ以後はもう色々な家具デザイナーのところから仕事の依頼が殺到して引っ張りだこ状態が続いてるんだそうな…こんな風に食器棚の扉とか至る所に、元々この家に使われていたふるい木材を再利用してあります。いい感じでしょ?とにかくこの『趣味の家』でみんなでわいわいがやがやと食事して、そのあといろり端でくつろいで、『古き良き日本』を満喫した午後でした。この後、あさみちゃんのお母さんがピックアップに来てくださり、日本海に沈む夕日が見られるという海沿いの露天風呂『漁火』に行ってお風呂を楽しみました。ここは写真取るチャンス無かったんだけど、ほんとに露天風呂が崖っぷちの上にあって、見下ろすと下はすべて海! あちらこちらに出ているイカ釣り舟のライトがキラキラ光っててもう絶景。この温泉の『漁火』という名前はもちろんここから来てます。お風呂の後はあさみちゃん宅でみんなで鍋で一杯。今迄仕事とテニスでお急がしかったお父様も合流です。突然おしかけた僕らを暖かく迎えてくださったあさみちゃん、そしてご両親、本当にありがとうございました。この次は絶対オランダ迄遊びに来てくださいね!そんなわけで、一週間に及ぶ僕らの日本国内旅行、これが最後です。あ~疲れた…っていうか、ちゃんと読んでくれてた方、いるかどうか判りませんが、もしいたらホントーにお疲れさまでした!!(完)
2006.12.03
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実はまだまだあるんです… この前の日本国内旅行の時の写真… だからまだ書きます。でも後2回で終わらせます。約束です!11月2日ニューヨークの時のお友達ヒロ君を尋ねての広島訪問も、あっという間に2泊3日の日程が終了、新幹線で大阪に向かう前にヒロ、そしてこの前日にニューヨークから遊びに来たサム、そして僕らの4人で広島と言えばお約束のお好み焼きのランチを食べに行く事になりました。そしてヒロがお気に入りの場所だといって連れて来てくれたのはここ、その名も…ここ、ビル全体が全部お好み焼き屋さんという迫力のスポットです。そこでこんな風にしておばちゃんが目の前で作ってくれますそして、出来上がってきたモノは、も、もの凄いボリューム!これ、ネギのせです。でもネギはちょっと量があまりにも多すぎて、それにネギだけで追加料金350円、これはちょっと必要なかったな、って感じ… でもやっぱり凄ーく美味しかったです。広島に来たら食べようと思ってた牡蠣(前日の晩に居酒屋で食べた!)とお好み焼きはこれでしっかり食べた訳です。このお好み焼きの余りのボリュームでこの後の大阪では全然おなかが空かず、結局大阪で目当てにしていた『たこ焼き』は食べられませんでした。それにしても広島は、とても充実した旅となりました。やっぱり地元の人と一緒だと色々と知らない所に行けるので楽しいですね。ヒロ、今回は本当にありがとう!この次はオランダであおう!そうでなければバンコクでミッチがオープンしたレストランに一緒に行こう!(ウチワねたで失礼…)次の目的地は大阪。ここは1泊だけなんですが、前もって計画を立てていた時に、「京都では美しい日本の風景を、そして広島と福井は地方都市ののんびりした雰囲気を味わおう… だからその途中の大阪ではしっかりゲイの遊び場に行ってはじけるぞ~♪」って2人で決めていたんです。そんな訳で宿泊先も前もって下調べもして、ゲイの中心地とも言える堂山にあるRKK○田ホテル。しかも最上階の和室のペントハウス!これはいつもはケチな旦那のリクエスト。使う時は使うんだな…って感じです。2人でゆかたをきてポースで~す!この日の晩はオランダの近所のお友達の龍児さんに紹介してもらって、ミクシィで連絡をとっていた秀介さんとホテルのロビーで初の顔合わせ。ロシア語を大学で専攻されたという秀介さん、とても流暢な英語を話す紳士的ですてきな方でした。みなでさっそく夜の町に繰り出しました。まずは居酒屋に入ってちょっと飲んだそのあとに、秀介さんが『実はプレゼントしたいものがあるので、1回ホテルの部屋に戻りましょう』と言い出します。ここで俺とダークはお互い顔を見合わせます。『な、なんで…? もしもいきなり凶器かなにかが出て来てひどい目にあったらどうしよう…』なんていう気持ちになりそうになったんですが、僕が信頼してる龍児さんから『ずーっとメールでやり取りしてるけど、絶対にいい人だと思う』っていわれてたのを思い出したし、もしも何かあっても、こっちは2人だし、いくらなんでも大丈夫だろう、って思って、『じゃ、行きましょう』ってことでホテルの部屋に戻りました。そしてホテルの部屋に入るなり秀介さんは鞄の中から『黒猫』っていう小さな褌を取り出し、『これプレゼントします。だから今からおつけなさい!』 唖然とする俺らに秀介さんは『もういいからほら!早くつけなさい!』といいながらもう俺らのズボンを脱がせにかかる勢い… 秀介さんは、とても流暢な英語を話す紳士的ですてきなスケベな方だったのでした。俺らも『じゃ』って訳で素直に2人同時にズボン脱いで、パンツも脱いで『黒猫』をつけました。(でも、ちゃんとタオル巻いて着替えました。俺ら、そこ迄節操無くないです。この『黒猫』っていうのは褌の一種なんだけど、いわゆるアメリカなんかでスポーツをする時につけるサポーターの『ジョック・ストラップ』に何となく雰囲気が似てて、俺がアトランタに住んでた頃にカレッジでテニスチームでテニスをやってた事があったんですが、同じチームに実は一人このジョック・ストラップをつけてるヤツが一人いて、彼が実は俺の好みのタイプだったです。とにかく彼がロッカールーム着替えてる時に、ちらりちらりとそれを盗み見してたことなんかを突然思い出して、『なんかエロいな~、これ…』って思っちゃって、まんざらでもない気分でした。なんかこう、『これからゲイエリアにいってはじけるぞ!』って、変に気合いが入ったっていうか、そんな感じでした…うん。ちなみにこちらが黒猫…こちらがジョック・ストラップです。黒猫を身につけたダークと俺は、そのまま秀介さんに連れられてまずは外人さんの集まるゲイバーって事で、まず一軒行ったんですが、いまいち盛り上がってなくて、そこを出て次に行ったのが『仁坊』というお店。ガッテン系、ガチムチ・体育会系のこのお店、とっても楽しかったです。マスターの太郎さん初め、スタッフもみんな男前の人が集まってたし、お客さんも気さくな感じで外人を連れて入って来た僕らを嫌な顔ひとつせずに歓迎してくださいました。太郎さん、どうもありがとうございました!また大阪にいったら是非寄らせてください。そんな訳でお店の雰囲気をちょっとここでご紹介…ナイスなバーテンの男の子が、ダークの為にわざわざ褌に着替えてくれた所こちらが太郎さん。ちょっとピンぼけ気味なのは、この時の酔っぱらった僕の心象風景という事にしといてください。(汗)そして、ダークに酒を飲ませると必ずと言っていい程、これが始まります…こうして大阪の夜も佳境を迎えるのでした。この後は『ホテルのすぐ近くだから…』という口実で『北欧館』なるお風呂屋さんへ…ホテルに戻ったのはもう朝の6時過ぎでした。これでチェックアウトが10時だから、せっかくのペントハウスで実際に過ごした時間はほんの5~6時間足らず… まあでも楽しかったからいいや、ってことで次回に続きます!
2006.12.01
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いや~。我ながら『しつこいな』とは感じ始めてますが、やっぱり楽しかったのでまだ書きますよ、3週間前の日本の日記…(もう4週間だろ、お前!)ていうか、日記ですから。やっぱりあったことは記録しとかないと、ね。10月31日楽しかった京都から広島へ。この次日本に来た時は京都に2~3泊はするつもりです。東京から京都に向かう際、新幹線の車内では一種類のお弁当しか売っていない事を知った僕らは、この日は乗り換えの岡山駅のホームで駅弁を買いました。左が僕の食べた岡山名産なんとか豚弁当(なんていう豚だったか忘れました)。右がダークのたべた『栗おこわ弁当』どちらも美味しかったです。京都をでて3時間半後に広島に到着。ニューヨーク時代の友達ヒロくんとは平和公園で待ち合わせです。多分日本で小学・中学・高校時代を過ごした多くの人たちはそうだと思うんですが、この平和公園、見学に来ている小学生、中学生でごった返していて、僕も自分の中学校の修学旅行を思い出しました。待ち合わせ時間迄少し時間が余っていたので、広島原爆記念資料館へ。この広場内にある広島原爆記念資料館は、少しでも沢山の人たちに見てもらいたいという配慮からか、入場料は今でも25円と格安です。修学旅行で来た時は、『怖い~』『気持ち悪い~』を連発して目を覆ったままほとんど展示物を見ていなかったような思い出があるんですが、こうやってもう一度じっくり見て回ると、あまりに月並みな表現にはなってしまいますが、やはりこういう悲惨な事を再び繰り返してはならない、という気持ちになってきます。っていうか、原爆投下に至った経緯とか読んでると、今イラクなんかでやってる事と根本的なモーティブは結局『お金儲け』っていう点で変わりはなく、『アメリカさん~、あんたらホント進歩してないね… っていうか、少しは学べよお前ら!たのむよ、ちょっと~』って感じです。要するに戦争=ビジネスって事。なんかちょっとやるせないよね… 僕はある国が1つの国として文化とか歴史、伝統みたいなものを持ち、そういうものが充分に成熟していくために当然必要となる期間というものは並大抵の時間ではない、って思うんですよね。そういう長~い、長~い時間の流れの過程で、色々と栄華を極めたりとか、どん底に突き落とされるような思いをしたりとか、そんな事が色々とあって、それでもってなんていうか国としての文化とか、国民性みたいなものも大人になって行くっていうか深みがでるっていうか、そんなものだと思うんです。そう云う意味ではアメリカは『なりあがりのいじめっ子』っていうか、そういう文化的、国民意識的な部分が成熟するチャンスがないまま、あっという間に財力と戦力ばかりが大きくなった、っていう感があって、そう云うのってなんだか凄く恐ろしいような気がします。そんなわけで平和記念館の見学を終えた頃に裏の駐車場でヒロ君との再会。ニューヨーク時代から全然変わらず元気そうなので安心しました。そしてその足で僕らは宮島へ。ここもたしか修学旅行で来てるはずなんですが、全然憶えてなかったです。中国の影響をかなり受けてる感じの鮮やかな配色の建築物はなかなかのものです。やはり日本は美しい!まずはダークとヒロでスナップショット!そしてダークと俺も『はいチーズ!』…違うか… (汗) あと、至る所にいたのが鹿。遠目に見ると可愛いんだけど、近くで見るとダニとかついてたりして、けっこうきもかったです。だから頭なぜなぜなんて絶対にしてやりませんでした。このあと帰り道にはヒロ君お気に入りのスーパー銭湯でひと風呂浴びてさっぱりして、そのあとはスーパーで食材を入手、夜はみんなで鍋で一杯。またまたニューヨーク時代の思い出話に花が咲きました。11月1日この日は車で尾道までドライブしました。ここでヒロのお友達の悦代さんと合流。ぶらぶらと尾道の町を散歩しました。尾道は港の近くに丘があり、そこにお寺や小さくて可愛い家が密集していてその間に小道が沢山通っています。それにこの辺りは志賀直哉、中村憲吉などが住んでいた事でも知られ、『文学の道』なんていう小道もあります。でも何と言っても目につくのは至る所にいる猫、猫、猫。『猫の細道』なんていう道もあって、かわいい猫の絵とかオブジェなんかもあちらこちらに置かれていました。ここでいきなりエッちゃん(悦代さん)のアップ。いつもむさい髭のオヤジとか(自分たちの事です)男の写真ばっかり載せてる気がするので、このへんでそろそろ美人のギャルを登場させようという、いわばノンケの方々への心配りです。でも残念ながら彼女、素晴らしい旦那様と新婚生活をエンジョイしてる真っ最中。でも目の保養になったということでお許しを… エッちゃん。今回は色々と案内してくれて本当にありがとう!楽しかったです。しばらく歩いた後、エッちゃんの家で一休みしました。この時にダークは『あるもの』と運命の出会いをします。それは…これ。そ、そうです。ガラモン… ヤツは一目見たとたん、"It's sooooo cute!"を何度も連発。ボキャ貧状態に陥ってました。 『そ、そうか~、かわいいか~、それ?』って思ってる俺の事はそっちのけでダークはもうガラモン人形を手放しません。そしてしまいには抱えたまま昼寝を…ダークが目がさました後、港の近くのアイスクリーム屋さんでアイスをゲット、夕日を眺めながらアイスを食べました。田舎で休みを過ごしてる、っていう実感がわいてくるような、そんなうれしい一日でした。(続く)
2006.11.28
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まだ続きます。3週間遅れの日記…10月30日映画とパーティーと宴会に明け暮れた東京の一週間はあっという間にすぎて、この日からダークと一週間の国内旅行の開始です。ところで今回の旅行でとても役に立ったのが、ジャパン・レールパス。まあヨーロッパのユーレールパスの日本版みたいなもんだんだけど、ようするにこれを前もって買っておくとJRの電車、バス、フェリーが乗り放題と言う優れものです。一週間、二週間、三週間のパスがあります。一週間分で1人約190ユーロ(約28,600円)、これで新幹線(のぞみは除く)から何から全部乗れるので、充分もとがとれます。ちなみにこれが使えるのは外国人、あるいは海外永住権を持つ日本人、海外に日本人以外の人と結婚して住んでる日本人。オランダでは同性婚もちゃんと法律で認められてるから僕も使えた訳です。僕らは今回一週間分のやつを入手したんだけど、とにかく『行けるだけ行こう』ってことで、今回は京都~広島~大阪~福井を1週間で回ると言うハードスケジュールです。これ迄ずーっと人に会ってばっかりだったんだけど、この日は2人だけでまず京都へ… ところが東京駅に向かう際に突然中央線がストップ、線路の点検をする必要があるとかで運行取りやめになってしまい、荻窪駅から総武線~山手線と乗り換えて東京駅へ、結局予定してたよりも2時間程遅い新幹線に乗る事になってしまいました。だから京都駅からバスに乗って予約を入れてあったB&Bに到着したのはもう4時頃でした。ところでこのB&B、大推薦します。元ニューヨーク友のMちゃんの推薦だったんだけど、凄く気に入りました。小さいけれど出来て一年くらいで、定年したおじさんがやっているところです。長期滞在の外人が多いそうで、ツインでも一人4,300円。部屋は清潔だし全室ベッドで、シャワーも各部屋ついてます。名前はろくろく荘っていいます。それで宿から歩いて5分くらいの所に、朝食を食べたり、バーベキューをしたり、食事つくって食べたりパーティーをする事の出来る『席』っていう別館もあるんですが、そちらはちょっとした庭園もあって、とても雰囲気があっていい感じでした。これは翌日、朝食を食べてる時の様子。自転車も無料で貸してくれます。京都は日本の都市としてはオランダに似て結構平坦なので、隅から隅迄自転車で行けてしまうんです。このB&B、すぐにいっぱいになっちゃうらしいですが、もしも京都に行って、じっくり腰を落ち着けて何日か滞在するならおすすめです。ネットで予約するのがいいんじゃないかと思います。などと言っている僕らは、実は京都は1泊しかしなかったんです…(ださっ) 今思うともっと居ればよかった、っていうのが本音です。でもこの後広島に現在住んでいるやはりニューヨーク時代の友達のヒロ君にも会いに行きたいし、その後は大阪のゲイのメッカである堂山に10畳の和室のペントハウスを予約してあるし… ってなわけで一週間で色々と回るとなると、やっぱ忙しくなっちゃうよね。このB&Bは、銀閣寺のすぐ近くなので、5時半の閉館前にとにかくそこだけでも行ってみよう、ってことで早速ママチャリで出発。銀閣寺はだいぶ前、子供の頃来た事があるはずなんですが、全然憶えてませんでした。改めて見るとやっぱり良かったです。まだこの頃は暖かくて、紅葉が始まってなかったのが残念だけど、葉の色が変わり始めてる木はいくつかはあって、構図によってはこんな感じで『紅葉が素晴らしかった』ってごまかせそうな写真とかも取れちゃう訳です。あっ、後はPhotoshopって手もあったね!それにしてもやっぱり京都はきれいです。何処を見ても自然があるし、どことなくペースがスローで、東京の時の喧噪というかストレスみたいなものが『スーッ』と僕らの体から毒素みたいに出ていくのがわかるっていうか、そんな気分でした。そんなわけで観光らしい観光はもうここ迄で、この後1回『ろくろく荘』に戻って仮眠。東京に居る間、映画祭と久しぶりに再会する友達との約束で毎日かけずり回ってたから、京都に来たら『何も予定とかスケジュールたてずにその場の雰囲気で行動しよう』って事になってた訳です。っていうかこの時は2人とも爆睡、だいぶ疲れ溜まってたみたいです。夜8時頃に目を覚まして次の目的地は『船岡温泉』。大正時代からずっとある西陣の銭湯なんですが、知る人ぞ知る場所らしくて、ダークの持って来てたアメリカの旅行ガイドブック『Lonely Planet』では"It's a Must" (絶対行くべし)なんて書いてあるし、『疲れが取れそうだな~』ってなわけで地図を調べてから又ママチャリで行く事になりました。それに建築家であるダークはちょうど今、オランダのどこかに建設される新しいスパ(西洋式温泉ですね…)のデザインをしてる最中で、まあある意味でのリサーチでもあった訳です。いや~、よかった!いい湯でした~!中には普通のお湯、熱めのお湯、泡風呂、冷水風呂、サウナ、黒湯、弱電流がとっているという電気湯(これは怖いからトライしなかった)、そして檜の露天風呂とバラエティーに富んでいて、これで入浴料340円は安過ぎ~、って感じでした。それからできるかぎり創業当時のままにしてあると言う脱衣場の天井周りには、戦時中に満州で作られたという、もう見るからに『大日本帝国万歳!』みたいなノリな兵士達が行進してる姿を描いた巨大な木彫りの飾りが施されていて、『どうよこれ…? ちょっとヤバんじゃないのこれ、今どき?』って感じでした。でもすっごく立派だったけどね… ちなみにここは平日でも夜1時くらい迄開いてます。お勧めです。この後又自転車で京都の街をぶらりぶらりと走っていると、なんとなく外から見た感じセンス良くて、『ジャポネスク』みたいなカウンターバーがあったので、入ってみました。女性が2人だけでやっているお店で、料理もおいしかったし、選んでるお酒や器も凄ーくこだわっているのが伝わって来る感じのお店で良かったです。ところでダークが今回日本で気に入ったものがもう1つ、それは『ショーチュー』です。それにしてもいろんな種類があるんですね。そば焼酎、芋焼酎、麦焼酎、黒砂糖焼酎、米麹焼酎、紫蘇焼酎… もっともっとあったはずなんだけど、もう思い出せません。 そんなわけで、カウンターで色々と料理を作りながらお話ししてくれたお姉さんに、ダークは今焼酎を気に入っちゃって大変なんだ、っていったら。『あらほんま?それやったら聞き酒おしなはれ~』といいながらお姉さんは色々と出してくれました。どれも微妙な特色があって美味しかったです。紫蘇焼酎うまかった~そんなわけで、京都唯一の夜はあっという間に過ぎて行きました。翌朝朝食前に、また自転車を引っ張りだしてB&Bのおじさんに勧められた『法然院』っていう、小さなお寺に行ってみました。まだ朝早かったから俺ら以外には誰もいなくて、凄~く静かで、『幽玄』(漢字これでいいんだっけ?やや不安…)っていうか、ほんと心が洗われるような感じでした。朝食を済ませた後は次の目的地、広島に向かう新幹線をキャッチすべく、京都駅行きのバス停へ… バスを待ちながら、心の中で『この次来た時には、絶対に最低3~4泊はしなきゃ』って思いました。たぶんダークも同じ事を考えてたとおもいます。 そしてやって来たバスの入り口には、かわいい熊さんのステッカー…もう京都って、最高!!(続く)
2006.11.24
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相変わらずに3週間遅れの日記、続きます…10月28日この日は本当に参加者が多かった!まず第一に、この日は11年ぶりに僕の家族がほぼ全員揃った日であります。僕の家族はもうこの30年近く、家族全員が同じ屋根の下に住んだ事がありません。まず最初に僕の一番上の兄貴が30年くらい前にドイツに行って、現在でもドイツに居ますし、その5年程後には僕の両親が、そしてその2年後には僕がアメリカに移住、そして3年前からは2番目の兄貴が上海に単身赴任しています。今年の6月に僕の両親は25年近いアメリカ生活に終止符をうって日本に戻ったのですが、今回は本当に偶然に、皆が同じ時期に日本に戻ってくる事になり、実家に大集合、という事になった訳です。この二日まえの木曜日に上海に戻った2番目の兄貴を差し引いても、全員で10名プラスダークで11人。にぎやかでした。ほんと…みんなでうちに集まった後、僕とダーク、ニューヨーク時代からの知り合いで今は東京で働いている日本人ギャル友3人、ドイツの兄貴の家族全員、両親、そして甥っ子、計11人に及ぶメンバーで、『ジブリの森博物館』に行きました。『トトロ』『もののけ姫』『天と千尋の神隠し』なんかで有名な宮崎駿氏の博物館です。ちなみに写真撮影は厳禁だったから写真はこれだけです。と言いながら、実は1つだけ館内で隠し撮りしたのがありました…(汗)半魚どんのポップコーン・ジャー。 これ、ちょっと可愛すぎ…それにしてもオランダで予定をたててる時点で『なんだこの組み合わせは!』と思ったけど、今思い起こすと、本当に凄いメンバーだったと思います。事の起こりは今年の6月に僕が日本に行ってた時に、元NYC組ギャル達と吉祥寺に飲みに行って、その時に、今度僕が日本に戻って来たら僕の実家の近くにある『ジブリの森』にみんなで行ってみよう、っていう話になった所からはじまります。それでそのあとオランダに戻って来て、ダークにその話をしたら、普段アーティストぶってるくせに実は可愛いキャラ系が大好きなヤツは、飛び上がって『ホント~、ウソ~!!俺も行きたい~♪』と参加一番乗り。そして今回俺らが10月21日に日本に行くってことが決まったのとほぼ同じ時期に、ドイツの兄貴の家族も日本に行く事になったらしい、と実家の母から電話があり、早速ドイツに電話を入れて『10月28日にジブリの森に行くんだけど…』と言ったところ、絵を描くのが大好きで日本の漫画雑誌のコンテストに応募して、何度も賞をもらったりしてるドイツの姪は、宮崎駿さんなんていったらもう神様みたいな存在な訳で、『行きた~い!』の連発。兄の奥さんのお父さんの五周忌の為に岐阜の実家を訪れていた3人もその二日後に急遽参加が決定。真ん中の兄貴の所は、上の女の子2人は大学の部活だのバイトだのがあって参加できないとのことでしたが、一番下の甥は参加。そしてその甥っ子を誰よりもかわいがっている僕の両親(最近では『おじいちゃん、おばあちゃん』っていう呼び名が定着してますが…)も参加という事になった訳です。三ヶ月くらいまえから予約しとかないと入場は無理と言われているこの『ジブリの森』、今回はラッキーな事に一月半まえの予約で全員のチケットが取れました。ところで博物館の内容はというと、楽しかったんですが、とにかく混み過ぎ。 何処を見ても人の山、山、山。特にグッズを売ってるギフトショップはラッシュアワーの電車並みの混み方でした。でもさすがに中のシアターで上映されてる短編映画なんかはやはりさすが、って感じでした。ちなみにこの映画、毎月内容が変わるらしいです。『ジブリの森』のプチ遠足が終わった後は、グループも二手に分かれました。この日東京で一泊した後に、奥さんの岐阜の実家に行く事になっていたドイツの兄貴の家族はおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に実家に戻り、水入らずで食事、ヨーロッパに戻ってから多分ドイツの兄貴には又会うであろう僕とダークは、そのまま吉祥寺へ出て、さらに3人のメンバーを加えての『元NYC組同窓会』に参加しました。僕よりもほんとずーっと年下で、(生物学的には俺が父親である事も可能な(汗)ほど年下で)色々な経路を通ってニューヨークで知り合ったみんな、誰もがニューヨークで得た何かをベースに今は日本でがんばってます。シナトラの有名な曲で"If you can make it in New York, you can make it anywhere!" (もしもニューヨークでやってけたなら、もう何処にいったって大丈夫!)なんてフレーズがありましたが、ほんとみんなを見てて、髭のお母さんは本当にうれしくなっちゃいました。ゴールデン街のAce'sを僕に紹介してくれたミィちゃんが予約してくれた、ちょっとオシャレで食べ物もおいしい居酒屋で楽しく飲んで食べて、ニューヨーク時代の話をしているうちに時間はあっという間にすぎて行ったのでした。全員の結論:『やっぱニューヨークは素晴らしい街!』 それにやっぱ俺とダークが出会った街だし、ね。この後は当然ながら、お約束のカラオケ。うんうん。そう言えばニューヨークでもよく行ったね。イーストビレッジとかコリア・タウンとか… なんて言ってる僕は実は苦手なんだよね、カラオケ。歌旨くないし、スゴ~く自意識過剰になって血圧一気にあがっちゃう気がするし… でもダークはもうカラオケ大好き。今回の旅行で『居酒屋』『カラオケ』『温泉』はダークにとって人生に欠かせない必須アイテムになってしまった模様です。そんなわけで、今回ここまでで。んじゃ、又。
2006.11.20
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大幅遅れの日本滞在の日記、Part 2です!10月23日今回は、僕らがオランダでやっている日本映画祭『CAMERA JAPAN』の姉妹映画祭、というか生みの親といってもいいフランクルトをベースにする映画祭『Nippon Connection』(『日コネ』って僕らは呼んでます。)の関係者も東京国際映画祭に来ていて、当然の事ながら毎日のように行動を共にしてました。『日コネ』は、2000年にスタートして以来、着々と成長を続け、今や日本国外で行われる日本映画祭としては世界最大の規模を誇り、上映映画数約150本、5日間での来場者はのべ1万にも及びます。そもそも『CAMERA JAPAN』を僕らがオーガナイズするようになった始まりは、ダークがドイツ時代からの友達で日コネのオーガナイザーでもあるマリオンに話を持ちかけられ、2005年の夏に僕らがこのNippon Connectgionのデジタル映画部門と、鈴木清順監督のレトロスペクティブを『Nippon Connection on Tour』のタイトルのもと、オランダ3都市で行ったのが始まりでした。その時に会場となった映画館のプログラマーの人たちが『これはいいアイディアじゃないか!自分たちでやったらどうだい?応援してやるよ』って言われてはじまったのが『CAMERA JAPAN』だった訳です。この『Nippon Connection on Tour』は、現在も『CAMERA JAPAN』のプログラムの一部として上映され、ショート・フィルムファンや、アニメーションファンの間に人気があります。そんな訳で、こちらがNippon Connectionチームです一番右で写真を撮ってるのがフェスティバル・ディレクターのマリオン、あと一番左が同じくフェスティバル・ディレクターのホルガー、そして僕の向かって左にいるカップルがマリオンの友人のカースティンとハイコです。とにかくこの写真に写ってる面々とはもうこの3年間毎年、1月末から2月初旬に僕らの住むロッテルダムで開催されるロッテルダム国際映画祭、4月中旬にフランクフルトで行われる『日コネ』と必ず年に2回は顔を合わせていたのですが、今度は東京でも一緒になり、今年ですでに3度目です。これであと3ヶ月も経つと、またロッテルダムにこのメンバーが出没するっていう訳です。カースティンとハイコは2人とも本職は外科医なんですが、ハイコは趣味でスプラッター・フィルムの評論家をしているという変わり者です。スプラッター・フィルムとは、残酷な描写で血のほとばしる(Splatterする)場面の沢山出てくるような映画の事で、『悪魔のいけにえ(Texas Chaisaw Massacre)』とかをイメージしてもらえればだいたい判って頂けると思うんですが、例えば日本のチャンバラものでも結構派手に血がドバーってしぶきをあげてるのって良くありますよね、そう言えば… とにかく医者とかやってると血を見る機会が多いので、それで彼はそんな趣味を持ち始めたのかな~、なんて思って一度その辺の相互関係を質問してみた事があるんですが、『そんな事は全然ない。タダの偶然だ』とのことでした。カースティン&ハイコそれでこの日(10月23日)ハイコの誕生日という事で、みんなで出かけようではないかという事で盛り上がり、新宿に行く事になりました。マリオンのリクエストで『新宿ゴールデン街に行きたい』とのことだったので、『はいよ!』って言って引き受けた迄は良かったんですが、なにしろ今年の夏に東京に遊びに来る前は10年近く日本に居なかったし、新宿には余り来た事も無かった僕は、早速身内や友達に片っ端に電話をして『あの~、新宿ゴールデン街ってどこ?』って訊いてはみるものの、知ってる人は誰もいない… と思いきや、なんと前回6月に東京に僕が来てた時に『元ニューヨーク組』のギャル友の連中と飲みに行ったんですが、その時に最後に行った店が実はゴールデン街だった事が判明、そのお店に繰り出す事になりました。上の写真で僕が電話してるのは、そのゴールデン街のバーの場所がどの辺か訊いている最中だったからです、はい。新宿駅から何人もの人に尋ねながらやっとたどり着いたのがこの『Ace's』っていうバー。今年6月に来た時に、ニューヨーク時代に知り合ったミィちゃんに教わったバーです。今は東京のワールド・ミュージック関連のレコード会社で働く彼女、面白いお店を沢山知ってて、凄く頼りになる人です。ミィちゃん、ありがとね!平日の夜中に何度も電話してごめん!日本の典型的なバーっていうか、8人も座ったらもう満員になっちゃう感じのお店です。でもお店の中はスターウォーズ、ET、バットマン/スーパーマンとか、懐かしいアメリカの映画、テレビのグッズがあらゆるところに置いてあり、流れてる音楽も70年代のAOR、80年代のテクノポップから90年以降のグランジあたりの微妙なツポを刺激してくれるチョイス。もうドイツ組はもう盛り上がる一方でした。そんなわけでこちらははしゃいで写真を撮りまくるハイコまあこういう日本のバーのいいところは、このように小さな空間を偶然に分かち合った人たち同士が、いい形で出会えるところなんだと思います。この夜は僕が外人5人引き連れてどどーっとなだれ込んでくる寸前まで、2人でのんびりと飲んでいた若い男の子2人が居たんですが、最初のうちやっぱ凄ーく引いちゃってるのがもろわかって、こっちも内心わるいなあ~って思ってたんですが、こういうところで凄く気が利くのがうちの彼氏。なんだか旨ーい事みんなが話せるような会話を作るんですね、これが… このへんにはバーテンダーのひとも凄く感心して、『彼、日本でこういうお店できますよ、絶対!』とかほめられてました。とにかくそんな訳で知り合ったのがこちらのお二人…お二人ともそれぞれ東大、大阪府立大で大学院に通う秀才であります。かといってお高くとまってる訳でも、秀才ぶる訳でもなく、最初のうちは黙ってたけど、だんだんと話が弾んできて本当楽しかったです。それで左に座ってる彼は、なんと来年早々ドイツに一年留学する事が決まっているとの話。それが判明したとたんドイツ人連中全員が『ア~ソ~!(これドイツ語です)』と叫んで驚喜し、全員が同時に名刺を彼に渡しながら、『ドイツに来たら必ず4月にNippon Connectionに遊びにくるんだよ!VIPとして扱ってあげるからね!』と言った事は、もうお察しがつくでしょう。彼の方もこれから誰も知り合いのいないドイツに留学が決まり、『ドイツに行ったら一体どうしょう…』みたいな感じで、不安な思いを友達にこのバーで語っていたところなんだそうで、『信じられませんでした』って言ってました。こういう出会いがあるたびに、大げさだけど『生きてるのって、やっぱ面白い』なんてふうに思ってしまいます。そんなわけで、Ace'sでさんざん楽しい時を過ごしていながらも、このゴールデン街が新宿二丁目からそれほどは離れていない事を知っているダークと俺は、『それじゃあどこか別の店に行こう!』とグループを自分たちの領地へとおびき出す機会を待っていたのでした。そりゃそうだがに~ 新宿におかまと遊びに来て二丁目行かずに済ませよーったって、そうや問屋がおろしますかってんだ!←ふ、古すぎ!そしてやって来たのが『Arty Farty』ハイコ、もう大分酔って怪しい目つきです。『あ~あ… またゲイバーかよ…』っていう表情の女性陣でもこのバーは飲み物が全て安いという事が判明するとあっという間に皆上機嫌が戻ります。さすがはドイツ人!ハイコにかわって今度はカースティンが写真連射を開始!そして最後はちょーオネエなサラリーマン達が登場。商社に勤めてるとかで英語も達者な彼らは日こね軍団をますますエンターテインしてくれました。なんだかスモークマシーンがすごくて写真良く見えませんが、なにはともあれ Happy Birthday Heiko!!そんな訳で、今回はここまで!続く
2006.11.17
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いや~ お久しぶりです。まったく…9月から10月にかけて自分でも驚く程の勢いできちっと日記を書いてた僕ですが、ついにぼろを出して、本来のむらのあるあきっぽい性格を大発揮!ってわけではないんですが、ちょっと日本に行ってたため、結構忙しく、日記の方もずっと書かずじまいになってしまいました。だから2~3週間逆戻りしての日記ということでよろしくです!10月20日~21日:アムステルダム→ロンドン→日本ダークと一緒に日本に向け出発!と言いたいところなんですが、じつは9月にネットで見つけたBritish Airの一番安いロンドン経由の切符、俺の切符をブックして次にダークの分を取ろうと思ったら、ロンドン~東京間はもう満席!だからこの日は俺が先にロンドンを出発し、3時間ほど後の飛行機でやってくるダークを成田で待つはめになりました。計16時間程のフライトの後にあと三時間も成田空港で待つのはやっぱ辛かった! 最初の1時間半くらいは空港内のレストランで寿司食ったりJRパスの手続きしたりしてたんだけど、あとの一時間半はベンチに座りながらウトウトしてました。だからダーク到着後にリムジンバス乗り場に向かう時も疲れ気味の僕です。このあとリムジンバスに乗る事約1時間半。吉祥寺駅に到着し、ちょうど上海から東京に戻ってきていた真ん中の兄貴夫妻にピックアップしてもらいました。実家について休む間もなく、シャワーだけ浴びてすぐ六本木に向けて出発。この日(10月21日)から六本木ヒルズを会場として開催される東京国際映画祭に出席のためです。そもそも今回僕らが日本に来たタテマエ上の理由は、自分たちがオランダでオーガナイズしてる日本映画祭『CAMEAR JAPAN』の来年の下準備の為。日本映画の発掘や配給会社や関係者の人たちとのコネ作りをするためでした。だから映画祭初日であるこの日は、時差ぼけだのなんのいってる場合ではなかったのです。とにかく六本木に来るのは多分15年ぶりくらい、六本木ヒルズも初めてで、最初の1時間くらいは自分が何処に居るのかも判らない状態でした。まあ~それにしても変わるもんですな、しばらくいないと… で、六本木ヒルズのタワー内48階に関係者の受付や、パーティー等の行われるラウンジがあるんですが、もうそこに向かうエレベーターからして既にハイテックなデザイン空間… 『ああ、東京に来たんだな~』ってな気分になってきますね、やっぱ。48階の関係者ロビーからは、天気がよかったので東京のパノラマが一望できました。受付でゲストIDをゲットして、これから先数日間の映画のスケジュールをチェックした後は、今日はもう夜のオープニングパーティーまではこれと言ってする事がないので、原宿、渋谷方面にいってぶらぶらすることになりました。原宿ではまずお決まりの明治神宮へ…ダークが色々とポーズをとってくれたので、写真をちょっと載せときます。でもこの日は土曜日。週末の明治神宮に行きたかった理由は、じつはこれ…コスプレギャルたちの写真が取りたかったのであります。このあと渋谷にいって、西武ロフト館の最上階にいってみると、な、なんとコスプレ・コーナーがあるではありませんか!! そんなわけで俺らもコスプレにチャレンジ…なんだかんだとくだらない事をしてる間に時間はあっという間に過ぎ、再び六本木へ。オープニング・パーティーのはじまる時間帯になると何故かもう時差ぼけも感じませんでした。パーティーは飲み物、バイキング形式の食べ物とも全てタダ!いい気になって飲んだり喰ったりしているのもつかの間、今年2月のロッテルダム国際映画祭の時にお世話になったHさんを発見。Hさんはロッテルダム国際映画際で上映される日本映画のコーディネートをこの7年程されてきている女性で、日本映画を外国に紹介するのはこの人を通さずには不可能であると言われている程の人で、いわばこの世界のドンみたいな女性です。僕は今年のロッテルダム映画祭で、何か自分たちの映画祭に生かせる事の出来るコネを作るチャンスだと考えて、通訳のバイトをしたんですが、その時に今年の映画祭の『Director in Focus』で特集された長崎俊一監督のQ&Aや上映前の挨拶などの同時通訳をすることになり、そのコーディネートをされていたHさんと知り合いになった訳です。ダークと俺は人ごみをかき分けHさんめがけてまっしぐら、もう犬のようにしっぽふりふりで大接近して行きます。Hさんはロッテルダムで9ヶ月くらい前に会った僕たちがいきなり目の前に現れてびっくりされている様子ではありましたが、『あら~!良く来たわね』とにっこり。自分たちの映画祭の為にはるばる東京迄やってきた僕らの意気込みに感心してくれた様子で、この後Hさんはぼくらを沢山の関係者の方々に紹介してくれたのでした。今回日本に行くにあたり、CAMARA JAPANの名刺を作って持って来たんだけど、このパーティーでは沢山ばらまく事が出来ました。Hさん、本当にありがとうございました!写真は廣木隆一監督の新作『M』で演技に初挑戦したという美元(ミウォン)さんと。美元は元ミス・ユニバースの日本代表だっただけに、プロポーション最高。背の高いこと… となりの俺はもうだだのちびデブオヤジですね。でも俺そんなにちびではないんですけど… (ちなみに172cmです。デブなのは認めます!)そしてこちらは美元さん、共演の高良健吾さんと廣木隆一監督。廣木監督は、今年のロッテルダム映画祭でも『やわらかい生活 (It's only talk)』が高い評価を受け、シンガポール国際映画祭ではグランプリも受賞しています。今回の新作『M』は、賛否両論の別れそうな作品ですが、おそらくロッテルダム映画祭でも上映されることは間違いないでしょう。こうしてオープニング・パーティーでの名刺渡しまくりプロジェクトを成功に終わらせたダークと俺は、このあと新宿二丁目に繰り出し、しっかりとおかまバーをいくつかハシゴして、最終電車にはちゃんと間に合うように家に帰りました。成田空港到着後フル活動のハードな一日でありました。やっぱ疲れました、この日。(続く)
2006.11.14
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ちょっとヘビーなトピックが続いたところで、もっと前に書くはずだったOktoberfestのおまけ編です。ゲイテントで弾けまくった日曜日でしたが、翌日月曜は、夜行電車の出発がミュンヘン駅から夜10時40分と時間に余裕があったので、ゲイテントだけしか見ていない僕らはもう一度Oktoberfestの会場にいって、じっくり見る事にしました。さすがにこの日はビールは一滴も飲みませんでした。日曜日にはゲイテントだったBrawroslもちょっと覗いてみましたが、案の定もう普通のテントに戻っており、前日の驚異的な熱気が嘘のようでした。でもしっかり混んでましたけどね…というわけで、他のテントの様子もいくつか写真取ってきました。みんなそれぞれ趣向を凝らしてますよね。各テントでは、それぞれ違ったブリューワリー(ビール醸造所)がスポンサーに付き、その醸造所によるビールが出されているんですが、僕らが月曜日に行った時には、それぞれのテントの前にビールの樽を積んでおめかしした馬車が繰り出し、宣伝していました。それで、ちゃんとイカしたお兄ちゃんが馬車を従えてましたそして重たいジョッキをたくさんもって歩き回っていたパワーウエイトレスの皆さんも、お疲れさまでした。こちらはおまけ、ゲイテントにいた迫力のパイプおじさん。ぜんかい載せるの忘れてました!こちらはバーバリア地方の女神、バーバリア。凄くでっかいんです。真っ黒なので顔が良く見えず、すみませ~ン!あの時は飲み過ぎてなにがなんだか憶えてなかったけど、今になって考えてみると、色々と思い出してきて、やっぱり楽しかった!又来年行く事に決めました!レーダーホーゼンもやっぱ買おうかな…龍児さん、お買い物付き合ってね~!
2006.09.27
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前からミクシィの僕の日記を読んでくださってる人たちはご存知だと思うけど、僕のドイツの姪と日本の姪にまつわる事件が一件落着したと思いきや、先日またまた大変に困った事態が僕の家族内で起こりました。僕の前の日記を見ていない方は、多分そちらを先に読んでもらった方がこの先わかりやすいと思います。 *ドイツの姪。日本の姪。ミクシィ…もうイヤ!! *ドイツの姪 Part 2その困った事態とはどういう事だったのかと言うと… 2004年の3月に僕がさんざん苦労して書いて、当時日本にいた僕の2番目の兄貴とその奥さん宛に送ったカムアウトの手紙が、なんと義理の姉(兄貴の奥さん=ここからはCさんと呼ばせて頂きます)の目には全く触れていなかったことが判明したのです。 頃の起こりは、ミクシィを通して僕のフロフィールを見つけ、僕がゲイである事を既に知っている大学生の姪が、先日Cさんと色々とペチャクチャ話していて、たまたま今度僕が『友達』を連れて日本に来て、そして実家に泊まるって言う話をしてたらしいんですが、そのときに『Yazは今度ボーイフレンドを連れてくるんだよね~』って言う風にポロっと言っちゃったらしいんです。そうしたらCさんは完璧に固まって『なにそれ、そんな話、全く聞いてない…』との反応… 僕の姪はとっさに『えぇ~?! Yazから3年前に来た手紙、読んだんじゃなかったの?』と聞いたところ、『そんな手紙、見た事も聞いた事もない』との回答… そうです、これでこの三年来の謎が半分は解けた訳です。 僕が2004年に兄貴とCさんに対して手紙を出した後、何度となくこの2人とは電話で話す機会があったんですが、その時には全くその手紙の話題がでる事はなく、全くいつも通り。そして今年の夏に日本に久しぶりにかえった時にも、兄貴は今上海に単身赴任中なんでいなかったんだけど、Cさんとは毎日顔を合わせてたのに、僕の手紙の話題の出る場面は皆無、しかも日本の家族ではお決まりの『いつお嫁さんもらうの?』とか、とか『今付き合ってる人は?』なんて言う質問も全く出なかった… 結局最終的に僕は、『こうやって何事もないように振る舞うのが、日本人的な反応、思いやりなのかな~?』などと段々と考えるようになっていました。それで、この前日本にいる時に、機会を見計らって『こんど10月末か11月に友達と一緒に来ようと思ってるんだけど…』ってCさんに聞いたら、『うんいいよ。でも一緒の部屋に寝るんだよ~、うふふっ』なんて意味深に笑ってたりしたんで、これはもう僕は『う~ん、やっぱりこれは知ってるんだな』などと勝手に自分の都合のいいように解釈してました。だから、僕としても、Cさんがあの手紙を読んだ事もなく、その存在さえ知らなかったと言うのはもう、大爆弾を落下されたようなもの、ぶったまげました。僕の姪に聞いたところ、Cさんは僕の連れてくる『友達』というのは女の子だと思ってたんだそうです。OH MY GOD!! その後、姪と色々と相談のあげく、例の手紙を復活させ、新たにアップデートしたものをメールで添付して姪に送り、それをあちらでプリントしたものを手渡してもらいました。 それにしても、インターネットってって便利やね~(きんさん、ぎんさんの声で… 古るすぎ!) 結果から先に言えば、Cさんの反応はグー、俺の姪に『こっちに来たらもっともっと、もっと話を聞きたい!』って言ってるそうで、これはもう酒の肴にされる事必至。まあ、しょうがないですね~ っていうか、ありがたいと思わなければ。家庭によっては『もう家には来ないで欲しい』なんて言う人だっているはずだから… とにかく、色々と考えた末、今回のような事態になった理由は以下の2つである、との結論に達しました: 1.2004年に出した手紙は、日本には届かなかった。 2.手紙は届いて、兄貴がまずそれを読んだが、どうしていいかわからず、Cさんにも見せずそのまま黙っていた。 何となく『2』の可能性が強いような気がして仕様がないんだけど、俺の姪も『お父さんの性格的に大いにあり得るかも~』 みたいな事を仄めかしておりました。こっちとしてはけっこう『ムかっ!』と来かけてたんだけど、あとで姪からのメールで『お母さんがあの頃は家の家庭内でも色々あったので、許してやってと言っております』みたいなメッセージ。もう済んだ事だし、忘れます。 っていうか、自分がたまたまカムアウトしようって決意したからって、周りの人間がみんなそれに対して心に準備が出来てるとは限らない訳で、こっちも身勝手だったな、って気がしないでもないです。 それにしても大学生の姪と俺とダーク、そしてCさんで居酒屋とかで一緒に飲むの、けっこう楽しいかも!
2006.09.27
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おことわり。この日記は、僕が前にミクシィ上で書いたものです。今回新しく書いた日記の内容をわかりやすくするためこちらにコピベしたものです。>>>先日ドイツの兄貴から電話がかかってきて、今週末に日本行きで、向こうに滞在中に娘(俺の姪)とふたりで深大寺の実家に何泊かするって話だったんだけど、その電話の会話の終わる前に、ついでに姪の○xみを俺のマイミクに加えるべきかどうか、ってことを話し合いました。向こうはミクシィを知らなかったので、『ミクシィ』とは何か、っていう説明からまず始めなければならなかったんだけど、結論から言うと兄貴はまだ彼女を俺のマイミクに加えるのは良いアイディアではないと思う、との事でした。あんなにみんなで一緒に飯食ってる時とかに、頻繁にゲイの話題とか出してた○xみチャン、俺は内心彼女は気がついてると思うから、必ずしも兄貴の考えに同意はしないけど、向こうの考えは理解できるし、最終的にはまだ彼女が家を出て自立するまでは兄貴が親として育ててる訳だから、それを尊重するのが当然だと思うので、まあ後は成り行きに任せる事にしました。 そう云う訳で、報告でした。
2006.09.27
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おことわり。この日記は、僕が前にミクシィ上で書いたものです。今回新しく書いた日記の内容をわかりやすくするためこちらにコピベしたものです。>>>いまドイツの兄貴のところに遊びに来てます。僕は3人兄弟の一番末っ子で、このドイツにいる兄貴は一番上の兄です。この兄はもう30年くらいドイツに住んでます。それで僕の姪にあたる19歳の一人娘がいる訳なんだけど、さっきミクシィをチェックしてたら、横に来て『ええ~っ!ヤッちゃんも(姪にはこう呼ばれてます)ミクシィやってるの?私もマイミクやって!』って頼まれてしまいました。さあ困った… っていうのも、僕のプロフィールには自分がゲイである事とか全部書いてあるから、それが彼女にバレてしまう… その事に関してはこちらとしては全く問題ないんですが、3年程前に僕が彼女の両親(僕の兄貴とその奥さん)にカムアウトした際に後から、『我々は全然構わないし、気にもしないけどもまだ娘は若い事だし、話してない』って言われてたから、どうしていいか判らなくなっちゃった訳です。たぶん彼女にはまだ僕の話はしてないに違いないし… なんかこんな形で彼女の両親をスキップした形で僕が姪に対してカムアウトしてしまうって言うのは、何となく他人の家の子供の教育方針を無視した行動を取ってるような気がして、なんだか気が引けてしまう… さっきも夕食の最中にも『ねえ~、ミクシィにいれて!』とか何度も言われて『う、うん』とかこっちは歯切れの悪い返事。周りにいる兄貴と奥さんは僕のそんな心の中での葛藤にはまったく気がついている様子はまるでなし。こまるんだな~、こうゆうのって… この話はまたちょっとおいておくとして、これもミクシィ絡みの話。今回六月に日本に帰ってた時にも、アメリカから日本に戻った僕の両親と同居することになった僕の2番目の兄貴の家に泊まってたんですが、(この2番目の兄貴は2年程前から上海に単身赴任中)この2番目の兄貴と奥さんに対しても僕は、一番上の兄貴達にカムアウトしたのと同じ頃に長~い手紙を書いて日本宛に送り、すでにカムアウトを試みたんですよね。でもその後何度か電話とかで話しても、その手紙に関する話題は一切なし。それで『お~、久しぶりだな~、元気か?』とか妙に明るくて… まるで俺の出した手紙などは存在しないかのような様子。それで今回実際に日本に行って、2番目の兄貴の奥さんの方と毎日のように顔を合わせてた訳なんだけど、やっぱり僕の手紙の件、及び僕がゲイである話なんかは全く登場する機会はないまま、2週間の日本滞在が終わり、ニューヨーク経由でオランダに帰って来た訳です。それで飛行機の中とかで、『やっぱり手紙が向こうに届かなかったのか?』『あるいはこうして、何事も無かったように振る舞っている事自体が、向こうに取っては(俺がゲイである事に対して)全てオッケーである、という日本人的表現なのか?』などと色々と考えを巡らせていた訳です。 ところが、東京からニューヨークついた翌日にメールをチェックしてたら、いきなり2番目の兄貴の21歳で大学3年になる長女である姪から『あれま!』っていうミクシィメールが来てて、『岸部』って名前で検索したら俺のプロフィールがでてきた、みたいな内容のメールが来て、こっちはもう『ぎょっ!』って感じで焦って『まあ、そんなわけで伯父さんはゲイなのだよ』みたいなメールを返送し、『まあ、嫌われたらそれはそれでしょうがないだろう』とか覚悟をきめてたら、彼女からはすぐ返事がきて、『私にはゲイやバイの友達が沢山いて、私にとってはそんな事は何でも無い事なのです』って言って来て、凄ーくほっとした、なんていう出来事が会ったのです。それでこの姪には僕が既に彼女の両親(2番目の兄貴夫婦)に対しては手紙を出してカムアウトを試みたんだけど何の反応もなかった事、もしかしたら手紙は届かなかったんじゃないか、みたいな事をメールで伝えたんだけど、『たぶん年代的、性格的にどうしていいんだか判らないんだと思うよ』とか言われました。っていうか2番目の兄貴の奥さんとか実は俺と同い年なんですが… とにかく最近の日本の若い子たちはやっぱすごいんだな、などと変に感心してしまいました。ともかく21歳の姪は3人いる子供の一番上(下に妹と弟がいる)だし、東京で育って、東京の女子大とか行っているから、そういうとこも結構鍛えられてる部分があると思うんだけど、このドイツの姪の方は一人っ子で大事に大事に育てられ、しかも1歳からずっとドイツの田舎で育って来てる子なので、相当にナイーブな面が多く、一体どういう反応されるかとか思うと、ちょっと心配な訳です。 あ~あ、どうしよう… 多分これからもずっと『マイミク入れて~』とか言われるのは必至だし… 困ったよ~! アドバイス求む!!
2006.09.27
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9月17日、午後4~5時:この時間帯にはもう既に完璧酔っぱらいでした。そして酔った時の悪い癖でいい男がいると気になってしょうがない俺… でもふとダークを見るとあいつもあいつで色々な男をチェックしてました。でもあいつはどちらかと言うとライスクイーンだから結構そう云う意味では楽しみが少なめだったかもしれないです。ライスクイーンとは白人で東洋人の男の事を好きな連中をさすゲイの用語です。(これに関しては僕のお友達の龍児さんが用語解説してるのでそちらへどうぞ。ーちなみに僕の方からもちょっと付け足すと、東洋人の男で東洋人の男を好きなゲイはスティッキー・ライス(餅米!)って聞いてます。)ここでちょっと目についた兄ちゃん達をご紹介ドイツには僕の好きなトルコ系の熊さんが多いです~ みんな毛深い… うひひ!ちょっとこれは毛深すぎ?隣のテーブルから気軽に色々と話しかけてきて、人なつこくて可愛かったスペインの熊さんグループ熊さんといえば、このオクトーバー・フェスト(Oktoberfest) の期間中には熊専を対象にしたパーティーであるOktoBEARfestっていうのが開催されていて、凄ーく盛り上がってたとの報告が龍児さんから入っています。詳しい事は彼のブログをチェックしてみてください。5~6時:この変になってくると何故か皆何となくロマンチックな感じっていうか、人肌が恋しいというのか。ただ単にホーニーになってくるのか、よくわかりませんが、とにかくなんか皆抱き合ったりキスしたりって感じになってきます…熊さんキスビアンもこれからキスの態勢ついでに俺らもつられて…6時~8時半ごろもうこの頃は酔っぱらって記憶が確かではないです。でも写真だけは残ってるのでたどってみます。ゲイのイベントにはもうお約束のドラッグ・クイーン達。でもちょっと迫力あり過ぎ?美しいとはとてもじゃないけど…言えない晩ご飯を食べ終わった頃に、アムステルダムから尋ねてきている日本人のお友達を他のテントに案内していた龍児さんとJackが姿を現しました。みんなで写真をとろうと思ってたら、何処からともなく割り込みが…まあこんな具合で僕らはゲイテントを後にして、この後子供心に帰って外の遊園地でローラーコスターとかに乗ったあげく、お風呂屋さんへと向かい、その後解散しました。ダークのお姉さんの家に戻ったのは、朝の5時頃でした。みなさん、お疲れさまでした!!草々
2006.09.21
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9月17日、午前11時前後:そんな訳で朝の十時からビールを飲み始めた僕らは、1リットルのジョッキを片手に、この巨大テントの中、開いてる席のありそうなテーブルを探して歩き周り始めました。最初のうちは結構ムってたんですが、しばらく歩き回るうちに良い男の集まってるテーブルとか、おこげ同伴のおかまテーブルとか、ビアンのテーブル、などなど色々とあるのが楽しくて、結構2人とも上機嫌になってきて、あっという間に最初のジョッキを飲み干し、すれ違う力強いおばちゃんのウエイトレスから2杯目、3杯目と次々にビールを注文、2人ともお昼頃にはかなり出来上がってきてしまいました。この頃になるとどのテーブルも上機嫌、みんなはしゃいでいて、もう周りの人間にも次々に話しかける状態になってきます。僕に対しては当然の事ながら『日本から来たのか?』って皆話しかけてきて、こっちが『いいや違う、今オランダに住んでて、こっちが俺の旦那』みたいな感じで会話が進み、もう後は話がとんとんと進み、5分後はもうお友達状態。そしてこの頃になっていよいよバンドの登場、もうみんな椅子の上に立ち上がってる状態で、席がないのなんて全く気にならなくなってきます。もうみんな席なんていらな~い! の図。バンドの登場!午後1~2時頃:この頃になると俺もダークも大分酔ってきて、もう恥ずかしいなんて言う観念はまるっきしなくなってきます。そしてちょうどこの頃に俺らが近くにいたテーブルは、ハンブルグから来てるグループだったんですが、このメンバーの一人のちょっと見オタク青年風の熊系のお兄ちゃんとダーク氏が意気投合、『俺らのテーブルに座って、一緒に昼飯を食べよう!』とのお誘いが… 内心『やった!』とか思いなつつ、最初は『ほ、本当にいいんですか~』みたいに遠慮するふりをしながらも既に体は座り始めてる俺らでした。ここでお決まりのプレッツェルとミュンヘン名物の白いソーセージ、鳥のローストを頼んで一気食い、ますますビールの進んでしまう展開にと発展して参ります。(あまりにがつがつ食べたので、ソーセージとチキンの写真取るの忘れてました。すみません!)ハンブルグからの一行とオタク熊さんプレッツェルを手にして喜ぶ俺3時~4時:ランチも済ませてまたジョッキを2杯も飲んだこの頃には、皆ハッピームード大全開。バーバリアの伝統的衣装である皮の短パン『レーダーホーゼン』を身にまとったお兄ちゃん、おじさちゃん達があっちこっちのテーブルで踊り始めます。オランダ、デンハーグから今回5回め(だったと思う)のOktoberfestに参加中の、ネット上で知り合って以来急接近中のお友達である龍児さんも、ちゃんと自分のレーダーホーゼンを持ってるんだな~、なんて事を思いながら何となくジェラシーを感じる俺でした。それでダークに『俺も欲しいな~、あんなの』って言ったら、奴は冷たい視線で、『おまえねえ、あ~ゆ~のは最低でも200ユーロはするんだぞ。おまえそれに1年に一度しかはかないだろ、どうせ買ったって』って言われて、『ふん!』ってそっぽ向いて怒ってみるものの、内心『まあそういえばそうだよな~』などと心の中でつぶやくYaz… と、いうわけで又この辺でお写真をどうぞ!もう何処を見ても、レーダーホーゼンだらけです!(続く)
2006.09.21
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皆さん今日は。今回からこちらでブログにさせてもらいます。ジャンプするのがウザイのは判ってるんですが、ミクシィは写真が3枚までしか見せられないのがじれったかったもので… てなわけでよろしく!この前お話ししてたOktoberfest、行ってきましたよ! でも、金曜日にロッテルダムを出発したとこまでは良かったんですが、その後、眠りながら行くはずだった直行の夜行電車の出発駅のユトレヒトに向け、ロッテルダムから出た電車が突如ストップ、電車に乗り遅れると言うハプニング。オランダ~ドイツ間を5回の乗り継ぎで12時間以上かけての旅、というひどい目にあいました。こうしてミュンヘンに住む俺の旦那のお姉さん宅に到着したのが、翌日9月16日土曜日のあさ10時半頃… 非常に疲れました~でもそんな事を言っている暇もなく、この日の夜には同じくオランダから既に到着している龍児さんと旦那さんのジャックと待ち合わせのため、ダウンタウンのゲイ・エリアへ、龍児さんは、ちょっと前にネットを通して知り合った人なんですが、同じ日本人で、しかもゲイの結婚を経てしかもここオランダに住んでいる人で、住んでいるところが近いせいもあって、ここ最近急速に仲良くなっているゲイ友です。もうOktoberfestには何度も来ている龍児さんたちから、Oktoberfestのテントはだいたい朝の十時頃にオープンするから、それまでには来るようにした方がいい、とか色々とアドバイスを受けて、この夜は翌日に備えて早めに切り上げました。龍児さんたちはアムステルダムから来ている友達や、ミュンヘンに住む日本人の家族ずれの方達などと会う予定があるとの事で、日曜日はまずゲイ・テント以外のテントに行くとの事だったので、とにかく連絡を取り合って後で会おうという事で、この夜は別れました。9月17日(日)。ここからは時間刻みでご報告します~!午前十時:朝早く来て開場へ…こちら入り口ですこの中に、それぞれ6000に近くが座れる程の巨大テントが色々とある訳です。他のテントはともかく、初めての俺らはもうOktoberfest開催後の第一日曜日にゲイテントと化す『Brourosl』へとまっしぐら!そして、中に入ると…な、何ともう既に満員!空席なんて全く有りゃーしません!え~っ、うっそ~!それはないだろう!ええ~!てなわけで、『一体何時から来てるの、みんな?』って聞いてみたところ、この6000人近いおかまとビアンの連中はすでに朝八時にはこちらに来て列を作って待ってたんだそうです。負けました…まあ、そんな訳で自分達のテーブルを確保する事を諦めた俺らは、早速ビールを注文、まだ朝の10時だというのに既に飲みの開始です。(続く)
2006.09.20
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