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2025.02.18
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カテゴリ: WRC~2000年

グループ B の名車たち - 伝説のモンスターマシン



序章:熱狂と狂気の時代
1980​ 年代、世界ラリー選手権( WRC )において、未曾有の革命が巻き起こった。「グループ B 」という、限界なき競争を許されたクラスが誕生し、最も過激で、最も伝説的なラリーカーが生まれた時代である。パワー、軽量化、空力、そして技術革新の極みが集約されたマシンたちは、ファンとドライバーを魅了し、同時に恐怖と紙一重の世界へと誘った。
この物語は、情熱と野心、栄光と悲劇が交錯した短くも激しい歴史を辿るものだ。グループ B の誕生から終焉、そしてその遺産が今日のモータースポーツにどのような影響を与えたのかを紐解いていく。



グループ B の誕生:規制緩和が生んだモンスター
1970 年代、 WRC はグループ 4 (ホモロゲーションに必要な市販車台数 400 台)を中心に行われていた。しかし、 1982 年に FIA (国際自動車連盟)は、メーカーの開発自由度を高めるべく「グループ B 」規定を導入。最低生産台数はわずか 200 台に引き下げられ、ターボや四輪駆動の技術が全面解禁された ​​

この規制の緩和により、メーカー各社は実験的な技術を投入し、純粋な競技車両を生み出すことが可能になった。結果として、 500 馬力を超える超高性能マシンが誕生し、 WRC は前代未聞のスピード競争へと突入する



伝説のモンスターマシンたち
アウディ・クワトロ( Audi Quattro

グループ B の幕開けを告げたのは、アウディ・クワトロだった。 1980 年に登場し、世界初のフルタイム四輪駆動ラリーカーとして WRC に革命をもたらした。登場初年度から圧倒的な強さを誇り、 1982 年には WRC のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。その後も「クワトロ E2 」など進化を続け、最終的には約 600 馬力にまで達した。

プジョー 205 ターボ 16 Peugeot205 T16
1984 年、プジョーはミッドシップレイアウトの「 205 T16 」を投入。コンパクトなボディに強力なターボエンジンを搭載し、驚異的な走破性を誇った。 1985 年、 1986 年と 2 年連続で WRC タイトルを獲得し、最強の一角として名を馳せた。

ランチア・デルタ S4 Lancia Delta S4
1985 年に登場したデルタ S4 は、スーパーチャージャーとターボを組み合わせた「ツインチャージャー」システムを採用。低回転からのトルクと高回転のピークパワーを両立し、ゼロヨン加速では当時の F1 マシンを凌ぐ速さを誇った。

フォード RS200 Ford RS200
フォードが開発した RS200 は、理想的なミッドシップ四輪駆動ラリーカーとして設計された。 1986 年には大量の改良を施したエボリューションモデルが登場し、 600 馬力超えのモンスターと化した。

MGメトロ 6R4 MG Metro 6R4
イギリスの MG が開発した 6R4 は、ターボを使わずに自然吸気の V6 エンジンを搭載した異色のマシンだった。小型ながらパワフルな走りを見せ、テクニカルなコースでは強みを発揮した。



熱狂の果てに:グループ B の終焉
このように、グループ B はわずか数年の間に技術と性能の限界を押し広げた。しかし、その速さは人間の制御を超えつつあり、コース上の事故が多発するようになった。

1986 年、ポルトガル・ラリーでは、フォード RS200 が観客の列に突っ込み、多くの死傷者を出す大惨事が発生。同年、ツール・ド・コルスではランチア・デルタ S4 を駆るヘンリ・トイヴォネンとコ・ドライバーのセルジオ・クレストが命を落とす事故が起きた。この悲劇を受け、 FIA は即座にグループ B の廃止を決定し、 1987 年からはより安全性を重視した「グループ A 」規定が導入された。



グループ B の遺産
ループ B は短命だったが、その影響は今なおラリーファンの心に深く刻まれている。ここで培われた四輪駆動技術やターボ技術は、市販車にも応用され、現在の高性能スポーツカーにも脈々と受け継がれている。

また、 WRC 以外のカテゴリーでもグループ B マシンは活躍の場を得た。例えば、パイクスピーク・ヒルクライムではアウディ・クワトロやプジョー 205 T16 が圧倒的な強さを見せ、ダートトラックを駆け上がる姿は今なお語り継がれている。

さらに、グループ B の伝説を受け継ぐ形で、今日の WRC マシンやラリークロスカーは進化し続けている。メーカーとドライバーたちは、当時のスピリットを受け継ぎながら、より安全で速いマシンを作り出しているのだ。



結び:伝説は終わらない
グループ B は、単なる一時の狂騒ではなかった。それは、人類が限界へ挑み、技術と情熱が交錯した、ラリー史上最もドラマチックな時代だった。そこにあったのは、狂気とも言える速さへの執着、ドライバーの命を賭けた走り、そして観客が歓喜と恐怖を抱きながら見守った究極の戦い。

技術が進化し、モータースポーツの安全性が向上した現代においても、グループ B の魂は生き続けている。そして、あの時代を知る者たちは、今も心の中で叫ぶのだ。「グループ B は永遠に伝説だ」と。



WRC is for boys.
Group B was for men

by rally driver Juha Kankkunen
1986 年、1987年、1991年、1993年世界ラリー選手権チャンピオン ​​

​​
※ラリーカーの競技車両クラスについて
グループB​

  • グループBはラリーで使用されるGTカーのカテゴリーです。 
  • グループ 3、グループ 4、およびグループ 5 を統合して置き換えました。 
  • グループ B の車は、より過激で運転が難しいと考えられていました。 


​グループA

  • グループAは、ラリーやツーリングカーレースで使用される市販ツーリングカーのための一連の規定でした。 
  • グループ A の車は、パワー、重量、コスト、および許可されるテクノロジーに制限がありました。

​WRC​(ワールドラリーカー/現在のRC1車両)
  • ​WRCカーはグループBカーよりも速いが、現代の技術開発により車両のバランスが良いため運転の難しさはグループBほどではないという人もいる​。





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Last updated  2025.02.27 05:23:12


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